2005-12-24
■[学び]使徒の働き23章
23章はパウロがエルサレムの議会(サンヘドリン)において弁明をした記事と、彼に対する陰謀から彼がカイザリヤに移送される場面が描かれています。この2つの記事を通して、神の摂理と人の努力について教えられます。
議会でのパウロの弁明
議会においてパウロは必要十分な証しをしました。彼は「私は今日まで、全くきよい良心をもって、神の前に生活してきました」(1節)と証ししました。それは、嘘偽らざる彼のこれまでの人生でした。また、彼は「私は死者の復活という望みのことで、さばきを受けているのです」(6節)と叫び、自分の証ししてきたことの本質を語りました。前日に宮においてパウロの証しを聞いたユダヤ人にとっては、これで十分でした。
イエス様の現れ
その夜、イエス様が「パウロのそばに」(11節)立ってくださいました。イエス様はパウロに全部で4回現れておられます。その中でこの時が最もパウロのそばにいて下さいました。主の証しを堅く立てた後、私たちにすぐに賞賛が与えられるとはかぎりません。パウロのように、兵営の中で、孤独に監禁されるようなことが多いものです。しかし、主イエス様は私たちのすぐそばにいて下さり、私たちを慰め励ましてくださる御方です。
神の摂理と人の努力
その時、イエス様はパウロに「ローマでもあかしをしなければならない」と告げられました。パウロはこの後、ローマに行くことが神の御心であったのです。
しかし、その直後に起こったのは、パウロ殺害の陰謀でした。その動きを知ったパウロの甥は、すぐにパウロに知らせました。この時、神の御心だから、という理由で、何もせずに神様に委ねるということもパウロにはできたでしょう。しかし彼はそうはしませんでした。甥を千人隊長のところに遣わし、甥は隊長に対してはっきりと陰謀を告発したのです。
神のご計画は確かに人の意図を越えて実現します。しかし、だからといって何もせずに手をこまねいているのは、クリスチャンにとってふさわしくない、ということを教えられます。私たちは神の御心を実現すべく、それぞれができることを誠実に、熱心に行うべきなのです。
パウロの甥はそのことをよく示します。彼は陰謀を知ったとき、自分に累が及ぶと考えて、何もしないということもできたでしょう。しかし彼は自分のできる最善のことをしました。それは誰もができることでした。「行って、告げる」ということです。私たちも、神様の福音が広まるために、それぞれができることを勇気を持ってなすべきだと教えられるのです。


を拝読して、御礼を申し上げたかったのですが、emailが届かなかったので、こちらにコメント致します。
非常に質の高い内容でおおいに養われました。beulah様のご奉仕が主に祝されますように。
付記:
偽物めいたゴミのような記事が多い中、beulah様のようにレベルの高い奉仕者がおられて心底嬉しく思います。
tovym様、拙い内容のホームページですがご覧いただきましてまことにありがとうございます。
なかなか更新ができず、新しい内容を盛り込むことが難しくなっています。
ただ、様々に書きためた文章は手元にありますので、何とか少しずつでも更新していきたいと考えています。
何とぞ今後もよろしくお願いいたします。