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マラカスがもし喋ったら

2015-06-28

[]「移行期的乱世の思考」平川克美

移行期的乱世の思考

移行期的乱世の思考

オルテガ・イ・ガセット「大衆の反逆」

オルテガは、本書の中で、「大衆」を「最大の関心事は自分の安楽な生活でありながら、その実、その安楽な生活の根拠には連帯責任を感じていない」者たちであると批判した。そして、モラルなき大衆が権力を握る時代の危険性に対する警告を発している。

 

目次

 

・「右肩上がり」世代

・一般的に言って株主とは自己利益をただひたすら追求するものであり、その意味では公的な責任ということには、ほとんど関心を示さない存在です。

・今や、民主主義が強いリーダーを求めているというパラドクス。

・金で金を買う 個人株ブーム

・もう欲しいモノが失くなった。

・1グラムのウランで石炭1トン分→100万倍

・株主の考えは「その会社に金さえ預けておけば、誰かがなにかをやってくれて、自然に金が溢れる」

・今回の震災はその大きな変化への転轍点。

・アメリカ人は借金をして消費をしていたが、それも終わった。

・中世ヨーロッパ「ハンザ同盟」ベルギー、ブリュージュ「死の街」

ル・コルビュジエ「輝ける都市」↔ジェイン・ジェイコブズ

・通路にも商品が溢れていて、商売の生き生きとした心意気が感じられ、思わず買ってしまいます。

・なぜでしょうか?お金がないからか?それとも、余裕がないからでしょうか?お金以外に価値がないからでしょう。

・つまり、もう東京にいても大変なので、家賃の安いところに少しでも広がっていこうという動きは必ず起きるでしょう。

伊藤仁斎 古義堂 堀川 適塾

・会社人間は会社という共同体に呪縛されたものの考え方しかできなくなっている。会社での常識と一個人の常識は倒立している。そして、社会というさらに大きな共同体の存在。これも個人とは倒立して表れる。そこでの常識は、個人の常識とはひっくり返っているんです。

・例えば、社会の常識と一つの宗教共同体の常識が同じだったら、宗教は必要なく、存在もしない。社会のそれとはひっくり返っているから、その共同体の存在意義が生まれる。

内田樹「寝ながら学べる構造主義

マルクス「経済的な理由で人間は動くんだ」

ニーチェ「その時々の道徳や常識によって思考を支配されている」

フロイト「自分の中にある自分が見えない自我によって動いている」

→「人間は自分の意志で動いてない。」

・あたかも、自分で考えているかのように思っているけど、自分の意志では動いていない人間が、共同体の中に入ると、その共同体の意志があたかも自分の意志であるかのように思ってしまうわけです。

・今、日本の場合には、いわゆる「株式会社共同体」という強固な幻想共同体が存在している。巨大な東電と思ってもいい。そして、そこでの常識が日本の常識になっているわけです。だから「経済成長しないといけない」という論理に国中が帰結しているように見えるのですね。

・単純化→縮減モデル

・「わかりやすい説明、明快な答え、シンプルな目標」→ターミノロジー →手帳管理

・確かにビジネスというのは目標設定がきちっとされていないと、なかなかやりにくいところがある。曖昧だと力が入らない場合もある。それはなぜかと言うと、ビジネスそのものが、実は現実の縮減モデルだからなんです。

・ビジネスとは、要するに、商品と商品交換で世界を理解していこうという世界。

・…なのに、そのやりとりを無視して、ただ単に商品交換という一つのルールで捉えようとする、それが縮減モデルなんですよ。

・問題は、この縮減モデルという方法論を、どこまで敷衍してよいのか、ということです。例えば、人の一生だとか、あるいは国家の行く末とか、コミュニティのあり方を考える時に適用できるのか。縮減させてはいけないところがあるのではないか。つまり、縮減した人生、縮減した国家、縮減したものしか生まれないことになる。本来そういうものじゃないのに、縮減したかたちの社会しか生まれてこないという、逆転現象が起きてしまう。

>>高解像度の画像を一度解像度を下げて縮小して、それを再度拡大するようなもんだな。細部が潰れる。<<

・すでに現実に縮減思考は蔓延し始めている。そのことが何を意味するのか。縮減モデルとは、本来縮減モデルが適用できるフィールド、例えばビジネスの世界のための方法論だったわけですが、その方法論をどこにでも、むやみやたらに適用しようとした。つまり、現実の世界に適用しようとしてしまった。その結果、現実の世界が縮減してしまったということに、人々は早く気がつかなくてはいけないんです。

・失われた次元を回復する

・つまり、会社とは、人間のアナロジーで言えば、幼児期だけを切り取るという縮減モデルなんです。

・あまりにも社会の中で、会社や経済の論理が肥大化してしまった。

・テクノロジーとお金に対する万能性信仰

・直感の外れ方、直感の感度も落ちている

・経済至上主義、金銭一元主義に覆われたここ二十年ほどは、ある種のカルトな状態であったと言えると思います。

ナオミ・クライン「ショック・ドクトリン」「グレートリセット」↔「ブリコラージュの思想」

・大田区。何の責任もないものに対して、ある種、僕は責任を感じるという生き方。

・自分が育ってきた場所やそのコミュニティなどに対し、少なくとも敬意を払い、それをどうやったら少し漸進させることができるのかと考えることが大事だろうと、僕は思っています。

・核家族的なアメリカ、イギリス。

・つまり民主主義の発展史とは、日本の家族制度を壊していく歴史。

植木等、サラリーマンはゲームだと喝破している

青島幸男の思想

・正社員と派遣労働者は決定的に違う。派遣労働はアウトソース。

・「所得倍増計画」の時代。

・欲求→欲望

・だいたい、欲望は自分の身を最終的には滅ぼしてしまう。

・ところが逆に言うと、欲望がないと進歩もまたない。

アンビバレントな問題は、抑制(グラデーション)の問題。

イヌイットの生活

・「ステーショナリー・ステート」「定常状態」

・下村治「日本は”縮小均衡”すべき」

>>1万円のディナーの喩え話<<

・数値化することで、無視するもの。

・若者と大人

・「他者の欲望を欲望する」+他者から欲望されたいという欲望→拡大再生産する

マズロー最初の三つは家族の中で満たされる

アダム・スミス、新古典派「欲望のままに行動してよいのだ。神の見えざる手が調整する」

・「欲望のままに生きていいのだ」→「金がすべて」「金があれば何でも買える」は一跨ぎ。

・”経済成長” ”投資”

・チリ ピノチェト政権 焼き畑農業

・下村治 拡大均衡→縮小均衡

・「あ、これが技術なんだ」と思えるものは、まさにモノの生産の仕方なんです。しかも、それはどこにも出せないものなんですよ。暗黙知の集積。

GHQの「理想」の部分

・人口減少 自然がバランスをとる力 文明史的な流れ

・「放射能を弔う」「これまでエネルギーを供給してくれてありがとう、もうお別れです」という儀式をすべき

・他人に対する耐性

[]孫崎享 京田辺

伊丹万作「戦争責任者の問題」

国民の奴隷根性 自分たちの罪

基準地震動

TPP

ISD条項

エジプト最低賃金

スウェーデン→ドイツ政府を訴える 原発の株

国の主権を侵す

中国はなぜカザフスタン(石油)をとりにいかないのか。

ポツダム宣言

本州 四国 九州 北海道とする

尖閣 棚上げ図式 田中臂平

福田康夫首相 辞任の理由 アフガン支援断る

2015-06-26

疎外

疎外は、人間が作ったもの(商品・貨幣・制度など)が人間自身から離れ、逆に人間を支配するような疎遠な力として現れること。またそれによって、人間があるべき自己の本質を失う状態をいう。

 

マルクスによる概念

有機的身体と非有機的身体に分かれ、自然に抗う「自然疎外」が起こることで生命が始まったように、近代的・私的所有制度が普及し、資本主義市場経済が形成されるにつれ、資本・土地・労働力などに転化する。それに対応し本源的共同体も分離し、人間は資本家・地主・賃金労働者などに転化する。同時に人間の主体的活動であり、社会生活の普遍的基礎をなす労働過程とその生産物は、利潤追求の手段となり、人間が労働力という商品となって資本のもとに従属し、ものを作る主人であることが失われていく。また機械制大工業の発達は、労働をますます単純労働の繰り返しに変え、機械に支配されることによって機械を操縦する主人であることが失われ、疎外感を増大させる。こうしたなかで、賃金労働者は自分自身を疎外(支配)するもの(資本)を再生産する。資本はますます労働者、人間にとって外的・敵対的なもの、「人間疎外」となっていく。

 

自己実現のプロセスとして労働を捉えたヘーゲルを批判的に受け継いだマルクスは、資本主義社会における疎外された労働を問題とした。

 

疎外 - Wikipedia

2015-06-25

[]分かれ道

二つの分かれ道があって、経験者に「そっちは行き止まりだよ」と言われても、そっちへ行ってしまうんだよな。それで、たしかに行き止まりだったと自分で確認して引き返す。「隣の芝は青く見える」という言葉を理解していても、青く見えてしまったら、いったんは行ってしまう。失敗ばかりしているがしょうがない。

2015-06-23

[]あの街の記憶

普通の人っていない。普通の人生ってない。一度きりの、儚くて、胸が苦しい、人生。

人生の、一日一日が奇跡なんだと思える瞬間がある。

 

「あの日」

 

今生きてる人には、もう既に生きる力がある。

奇跡はすでに起きている。

2015-06-22

[]「生きる技法」安冨 歩

生きる技法

生きる技法

1│ 自立について

【命題1─1】自立とは、多くの人に依存することである

・小島直子「口からうんちが出るように手術してください」

・誰もが多少なりとも「頭がおかしい」

・誰だって、何らかの「障害」を抱えている

【命題1】自立とは依存することだ

【命題1─2】依存する相手が増えるとき、人はより自立する

【命題1─3】依存する相手が減るとき、人はより従属する

【命題1─4】従属とは依存できないことだ

・自分が困っているときに、助けを求めることができないこともまた、未熟さの反映なのです。

【命題1─5】助けてください、と言えたとき、あなたは自立している

・この人物は、私の全人格を嫌悪しつつ、そのいくつかの特性に執着していたに過ぎないからです。

・無条件の愛ではなく、常に条件つき

・朱序弼「無所有」

・自立した人というのは、自分で何でもする人ではなく、自分が困ったらいつでも誰かに助けてもらえる人であり、そういった関係性のマネジメントに長けている人のこと。

 

2│ 友だちについて

【命題1─6】友だちとは、互いに人間として尊重しあう関係にある人のことである

・お互いに人間として尊重しあう、というのは、相手の考えていることや感じていることを、正しく認識するように双方が心がける、ということです。

・その人自身の像を探求する、という努力を放棄して、「偉い人扱い」をするなら、それは侮辱になります。

【命題1─7】互いに人間として尊重しあう、とは、お互いの真の姿を常に探求し、勝手な像を押し付けない、ということである

・見分ける一つの手段は、その人が自分を「友だち扱い」するかどうか?

【命題2】誰とでも仲良くしてはいけない

【命題2─1】誰とでも仲良くしようとすると、誰とも仲良くなれない

・人は、自分が受け入れられる経験をすると、人を受け入れることができるようになります。

・「創造的構え」というのも、双方が互いに人間として、尊重しあっている場において、人間は創造性を発揮するからです。

・普通は「葛藤の構え」

【命題2─2】誰とでも仲良くすると、破壊的構えの人とも仲良くすることになる

【命題2─3】誰とでも仲良くすると、あなたも破壊的構えに吸い寄せられる

【命題2─4】破壊的構えに近づいてはいけない

【命題2─5】創造的構えに近づくべきである

【命題2─6】友だちは、友だちに紹介してもらえばよい

・3人の創造的構えの友だち→9人

【命題2─7】嫌だと感じる人と、友だちのフリをしてはいけない

【命題2─8】表面的な平穏さは、毒である

☆【命題2─9】表面的な対立は、動的な調和をもたらす

【命題2─10】相手の破壊的構えのお付き合いをしてはならず、創造的構えに呼びかけねばならない

△【命題2─11】破壊的構えを向ける人の背後の創造的構えに呼びかけると、その人が憤激することがある

・質問することが大事

【命題2─12】「恐怖」には原因があるが、その原因を自分で隠蔽すると、「不安」になる

【命題2─13】対立を恐れてはいけない

【命題2─14】嫌われるのを恐れると、誰にも愛されない

 

3│ 愛について

【命題3】愛は自愛から発し、執着は自己愛から生じる

【命題3─1】自愛とは、自らその身を大切にすることである

・自愛と自己愛=ナルシズム、自己陶酔

・自己愛は自己嫌悪から生まれる

・埋め合わせの手段の第一、自己の姿を偽装して、自分に押し付けられた像に一致させること。そして悦にいる。

・有名大学も、有名企業も、高い所得も、裸一貫の自分自身の姿ではありませんから、ブランド品と何らかわらないからです。

【命題3─2】自己愛とは、自己嫌悪を埋め合わせるために偽装することである

【命題3─3】自己愛はいつも不安と隣り合わせである

【命題3─4】偽装に奉仕するための資源と時間の獲得に奔走するのが利己心である

◯【命題3─5】自己愛を満足させるために、他人の美点に欲情することが、執着である

・こういうタイプの執着の一番わかりやすい例が「婚活」です。婚活用語で「スペック」というものがあります。それは結婚相手を「社会的地位」「所得」「年齢」「身長」「体重」「家事労働負担能力」などの項目で評価するものです。こういう考え方をする人は、実のところ、人と結婚しようとしているのではなく、相手の美点を所有しようとしているだけなのです。

【命題3─6】執着する者は、決してその対象となる人の真の姿を見ようとはしない

【命題3─7】自分を嫌っているなら、誰も愛することはできない

☆【命題4】人を愛するためには、自分を愛さなければならない

【命題4─1】自己愛は、他人を犠牲にする

【命題4─2】他人を愛することは、自己愛の否定による

☆「自分を嫌っていない」状態が自愛

>>「欠落を捏造する広告」<<

・人間は本来、自分が嫌いではありません。自己嫌悪に陥っている赤ちゃんを見たことのある方はいないでしょう。

【命題4─3】自愛は、自己嫌悪から離脱することで実現される

【命題4─4】悩むのをやめて、自分が感じていることに眼を向ける

【命題4─5】自分を大切にし、そこからあふれる愛情に引き寄せられるのが、本当の友だちである

【命題4─6】自分を嫌っている限り、本当の友だちはできない

【命題4─7】友だちだと思っていても、それは相互に利益を与え合っているだけ

4│ 貨幣について

ドイツ ドルトムント ハイデマリー。シュヴュルマー「星の銀貨実験」

【命題5】貨幣とは、手軽に人と人とをつなぐ装置である

【命題5─1】貨幣は、信頼関係なしの交換を可能にする

【命題5─2】貨幣を使うと、知らない間に、与え合っていることになる

【命題5─3】自立は、金では買えない

【命題5─4】貨幣は他人との信頼関係を作り出すために使うべき

【命題5─5】貨幣は他人とのしがらみを断ち切るために使える

有徳人 有得人

【命題5─6】経済人ではなく、有徳人になる

5│ 自由について

お金があってもどうしようもないこと

「死」「愛」「友情」「尊敬」

お金でできること「性行為」「執着」「へつらい」

【命題6】自由とは、選択の自由のことではない

【命題6─1】「選択肢が豊富にあること=自由」ではない

【命題6─2】成功とは、可能な選択肢の中から、最善の選択をすることではない

【命題6─3】人生には常に無数の選択肢がある

【命題6─4】無数の選択肢の中から、正しい選択をすることなど、原理的に不可能である

・「正解」の選択はない

【命題6─5】選択という設定自体が危険である

【命題6─6】選択を迫られるなら、その場を逃げ出すべきである

【命題6─7】不可避の選択に直面しているなら、どれを選ぶかは問題ではなく、どのように選ぶかだけが問題である

【命題6─8】自分の内なる声に耳を澄まして、その声に従う

【命題6─9】どれかを選択した以上、別の選択肢はもう閉じられている、と感じるのは誤りである

【命題6─10】自由とは、思い通りの方向に成長することである

【命題6─11】豊かさは自由を保障しない

【命題6─12】現代日本では、簡単に飢え死にしないから、怯えなくて良い

【命題7】自由でいるためには、勇気が必要である

【命題7─1】利己主義者は自分自身を嫌っている

【命題7─2】利他主義者も自分自身を嫌っている

【命題7─3】自由人は自愛しており、利己的でも利他的でもない

【命題7─4】自由人は自立している

・多くの人に依存している自由人

【命題8】人生の目的とは、その人自身の「道」の究極点である

・道=「自分の身体が教えてくれる進むべき、あるいは成長すべき方向」

・言語化、認識はできない。

【命題8─1】 あなたの人生の目的は、ほかの誰とも違っている

【命題8─2】 人生の目的は、どんな言葉でも表現することはできない

【命題8─3】表現できたと思うなら、それは何かを押し付けられた結果に過ぎない

【命題8─4】 人生の目的に向かって進んでいるかどうかは、感じることができる

6│ 夢の実現について

【命題9】夢とは、人生の目的に向かう一里塚である

・宇宙に注文を出す。具体的に細部まで想像する。

【命題9─1】夢を見ないで何かを手に入れることは、極めて困難である

【命題9─2】夢は否定形では表現されない

【命題9─3】否定形を夢だと思い込むと、否定の部分が外れて実現する

【命題9─4】たとえば、「父親のようにはなりたくない」と念じると、父親のようになってしまう

【命題9─5】夢は肯定形のイメージでしか表現できない

☆イメージに意識を集中して、ピントを合わせて解像度を上げていく。

【命題10】夢を実現することそのものには、何の意味もない

☆【命題10─1】夢の実現のための過程に意味がある

・その夢をイメージして、自分の身体がのびのびと作動することに、意味があるのです。その過程で人との出会いがある。

【命題10─2】夢を実現する過程で得られる副産物が、あなたの糧となる

・そのような夢の渡り歩きこそが、あなたの「道」です。

・安冨34歳 日経・経済図書文化賞=ホッとしただけ。

・アリス・ミラー「才能ある子のドラマ」

☆というのも、そんな焦燥感や不安に駆動されて、真の意味での創造性を発揮するなど、不可能だからです。人間は自信を持ち、自らの精神を自由に広げるときにのみ、なにか本当に意味のあるものを生み出すのです。

【命題10─3】抽象的な「夢」は、かなえるとすぐに消えてしまう

【命題11】幸福とは、手に入れるものではなく、感じるものである

・人間の感覚というものには、非常に深い計算が込められています。

【命題11─1】「正しく」狂った人間は、感じることを恐怖するため、幸福にはなれない

【命題11─2】「正しく」狂った人間は、幸福の偽装工作に全力を挙げる

7│ 自己嫌悪について

【命題11─3】「幸福」を手に入れようとすると、魂があこがれでてしまう

【命題11─4】何かに強く憧れているとすれば、それはあなたが自己嫌悪に囚われていることを意味する

☆【命題12】「自分は悪い子だ」と思い込まされていることが、自己嫌悪である

【命題12─1】自己嫌悪は、他人(親や教師など)に押し付けられたものである

【命題12─2】自己嫌悪を抱いている限り、失敗が約束されている

【命題12─3】「俺は悪くないんだ」と自分に言い聞かせて、自己嫌悪を抑えるのは逆効果である

☆【命題12─4】自分がなぜ自分を嫌いなのか、その原因をよく考える

【命題12─5】自己嫌悪は、自己の感覚の否定であるから、ある感覚が作動しなくなり、そこが盲点になる

・自己嫌悪の原因は必ず盲点に入っている。

【命題12─6】自己嫌悪の原因について考えるには、友だちに助けてもらう必要がある

【命題12─7】友だちに助けてもらうことではじめて、自己嫌悪を乗り越えることが可能となる

【命題12─8】あなたを操作して利用する人は、あなたの自己嫌悪を利用する

【命題12─9】あなたが自己嫌悪を乗り越えようとすると、憤激して妨害する人は、あなたを利用している人である

【命題12─10】自己嫌悪を乗り越えるには、友だちと共に、勇気が必要である

【命題12─11】自己嫌悪とは態度である

【命題12─12】その態度を改めれば、自己嫌悪は雲散霧消する

【命題13】自己嫌悪を乗り越え、自分を愛するようになることが、成長をもたらす

【命題13の補助命題】自己嫌悪こそが、破壊と破滅と失敗と不安と恐怖との原因である

【命題13─1】見せかけの自分のために何でもする者は、利己主義者あるいは利他主義者になる

【命題13─2】利己主義者とは、見せかけの自分の物的利益の獲得に奔走し、世間の評判を顧みない者である

【命題13─3】利他主義者とは、見せかけの自分の世間の評判の獲得に奔走し、物的利益を顧みない者である

【命題13─4】ロクデナシとは、見せかけの自分の世間の評判の獲得にも、物的利益の獲得にも、失敗した者である

【命題13─5】うぬぼれ屋とは、ロクデナシであることを受け入れられないロクデナシである

8│ 成長について

【命題14】成長とは、生きる力の増大である

【命題14─1】人は、成長すると、安心する

【命題14─2】人は、衰退すると、不安になる

【命題14─3】自分のやっている努力に意味があるかないか、感じることが大切

【命題14─4】問題は、自分のやっている努力に意味があるかないか、感じられなくなっていることである

【命題14─5】感覚を再生しようと思って努力しても、無駄

【命題14─6】感覚を再生したい、と願うことは大切

【命題15】成長は、願うことで実現される

論語

ガンディー

エーリッヒ・フロム

「愛するということ」

「悪について」

スピノザ「エチカ」

仏教の教えの根幹は「縁起」という概念ですが、それは、ここに何かが「ある」というのは、そこに何らかの「実体」が独立不羈に存在しているのではなく、世界を織り成す因果関係の複雑な網の目の中で「成っている」にほかならない。

5/23-6/22

[]Georg Simmel ジンメル

清水幾太郎

米田庄太郎→居安正、庁茂

 

生の哲学

形式社会学

人間の相互作用

シカゴ学派の都市社会学

→個性←集団の拡大

集団は異質化

↔全体社会の個性は希薄化

社会圏の交差

Peter Blau

不平等と異質性

闘争→対立の緊張を解消

→社会の統一

Lewis Coser 新睦人

 

秘密の社会学

都市における社交(公)

各自の部分の共有

↔私的な生活の成立

Erving Goffman

貧者←社会的扶助

物乞

社会の内と外

marginal man

周辺人

やくざ、旅芸人、物乞、らい病

蘭由岐子

作田啓一 B級出版社 web

 

「貨幣の哲学」

貨幣は社会分化(個性化)の所産

→分化を促進

唯物史観の基礎工事

①経済:貨幣によって交換される価値

人間の関係も交換→交換理論 ゲーム理論 数理社会学

②貨幣は実体価値から象徴←信頼

300円にロゴをつければ3万円のバッグ お札 In God We Trust

③本来、手段である貨幣は自己目的化(目的合理性)吝嗇

④個人は貨幣を媒介にして

他人との関係や所有物から自由になる

ー相互作用の間接化(貨幣はメディア)

→選択の自由→個性文化

「メディアはメッセージである」

⑤貨幣は人間を商品化したが(マルクス疎外論

さらに、人格的価値を分化させる

全ての労働は知性に媒介されている

⑥貨幣経済によって知性が優位に

感情生活の平板化↔芸術、宗教との差異(逆に重要になる)

生産物への愛着がなくなる

→流行としての消費

ニーチェ的世界(感情的、非合理的)

2015-06-19

[]仲正昌樹「「不自由」論―「何でも自己決定」の限界」 (ちくま新書) 2003年

「不自由」論―「何でも自己決定」の限界 (ちくま新書)

「不自由」論―「何でも自己決定」の限界 (ちくま新書)

・「自由な人間としての主体性」なるものが、各人の内に「自然=自発的に」生じてくるという西欧近代を支えてきた「神話」に内在する矛盾がある。

・しかしながら、ホッブズ以降、「自由な主体」間に「自然に」生まれてくる「普遍的合意」(=契約)という仮定の上に成り立ってきた近代社会は、自らの拠って立つ基盤がフィクションであると認めることはできない。

・近代の「限界」

・今さら、「主体性の神話」に戻ることはできないが、かといって全くの無秩序の中で「動物的」に生きていくこともできそうにない。近代的な「自由な主体」の「限界」を振り返りながら、ポスト・モダン状況の中で、"とりあえず"どういう態度を取ったらいいのか考えていこうというのが、本書の主題である。

・当然、そうした抽象性と日常性の間の往復を何度も繰り返していたら、常識的に「分かっている」はずのものが、だんだん複雑怪奇な様相を呈して「分からなく」なってくる。

 

第一章「人間は自由だ」という虚構

・ナチスドイツ「人間性の限界」

ヒューマニズム→「人非人」排除のジレンマ

・このように、守るべき「中心的なもの=善」と、それから「逸脱するもの=悪」をはっきり分けて、あくまでも前者を純粋に追求しようとする発想法を、現代思想では「二項対立」という。

・カール・ホッパー「ピースミール(漸進的)な社会工学

・実現すべき何らかの「価値」を掲げれば、そうしても、その価値基準から「ずれているもの」を、完全に排除しないまでも、周辺化することになってしまう。

・ナチスの「最終解決」

アドルノ「批判理論」フランクフルト学派

・<adornieren(アドルノする)>

・「分かりやすい」ことは危険なこと。

・一昔前だと、日雇い労働者の多い下町に出かけていって、「彼ら」と語り合うというのが、「一流大学」の一部左翼学生の間で流行っていた。

・無理して難解なジャーゴン(仲間内だけで通じる言葉遣い)を駆使して、日常性から浮き上がろうとする。

・どっちも「現実」コンプレックスである。

・当然のことながら、「現実」コンプレックスの知識人は、「現実」に対して適切な距離を取ることができない。「一般の人」(=国民の大多数)が言っていることに迎合するか、耳をふさいで観念の世界に閉じこもるかのどちらかしかない。

・一見して「文明」化された振る舞いの"背後"に、実は「野蛮」が潜んでいたことが「アウシュビッツ」を契機に明らかになった。

・もっと極端な見方をすれば、「文明化」のプロセスとはそもそも、自らの野蛮な本性=自然(nature)に嫌悪感を覚えるようになった人間たちが、野蛮さを表面に出さないようにしながら、「人間であること=人間性」を、守っていくべき”すばらしいもの”に仕立てあげようとする、大いなる隠蔽工作であるということができる。

ハンナ・アーレント「全体主義の起源」

・こうした「同一性」の論理が"自然と"圧倒的に強くなった体制においては、人々は独自の判断を止めて、自発的に、つまり自らの"自由意志"に基づいて、「全体」の目的に「同調」するようになる。自分の利益を自分の責任で孤独に追求するよりも、(自分をその一部として包んでくれる)「全体」の利益に合わせた方が楽である。このように、「個人の自由」と「体制への同調」がー少なくとも形のうえではー両立するという意味で、「全体主義」は通常の独裁体制とは異なるわけである。近代的な主体性を備えた人間にとって最も本質的な価値である「自由」を自ら投げ捨てて、「全体」と「同化」するように仕向けるからこそ、全体主義は危険なのである。

・「イエルサレムのアイヒマン」「悪の陳腐さ」

・アーレントはむしろ、そうしたアイヒマン的な平凡さ、個性のなさこそ、巨大な「悪」を可能にしたのではないかと考えた。

・アイヒマンの分析を通して、アーレントが到達した「悪」の本質とは、日常的な「陳腐さ」の中で、自分で考える能力を喪失していくことである。組織の中でルーティン的に決まったことをやるだけで、他社に対して自分の意見を表明し、自らの個性を際立たせることを怠っていれば、人は次第に「人間らしさ」、つまり他者の外的影響から自由な思考を働かせられなくなる。そうなると、大いなる「全体」へと同化する全体主義の罠に陥りやすくなる。いったん「全体」と同化してしまえば、自分(たち)以外の存在に対する関心がなくなり、彼らが死のうと生きようと、どうでもよくなってしまう。人間的な自由な思考を奪って、動物の群れのような本能的で野蛮な集団行動へと駆り立てる傾向こそが、「悪」なのである。

・アーレントは、デカルトーカント以来、近代思想の大前提になってきた「人間性=自由に考える」能力の普遍性・生得性に疑問を感じた。彼女は、アウシュヴィッツ以降も、依然としてそうした「人間性」を自明の理であるかのごとく見なしている"ヒューマニスト"に対して警告を発したのである。「人間性」とは作られたものなのである。

・「人間の条件」

・アーレントは我々の「人間性」が、古代ギリシアの「ポリス」という極めて限定的な環境の中で生じてきたと主張している。

・アーレントは、「人間性」を構成する要因として(1)「労働 labor」(2)「仕事 work」(3)「活動 action」の三つを挙げている。

・(3)「活動 action」は「ポリス」という特殊な空間の中で初めて可能になった。この「活動」こそが、最も「人間らしい」営みである。

・一人だけで物思いに耽る。「思弁的生 vita contemplativa」に対して、「外」に出て、積極的に他者に働きかける生活態度を指す。

・つまり筆者の解釈では、アーレントが言いたかったのは、「古代ギリシアのポリスが人間性に溢れていてすばらしかった」ということではなくて、「我々(=西洋人及びその文明的影響下にある人間)は、古代のポリスによって生み出された人間性に規定され続けている」ということである。アーレントは、ポリスの善し悪しを言っているのではなく、ポリスが「人間」としての「我々」の起源になっている、という歴史的問題を掘り下げて論じているのである。「我々」にとって善/悪の規準になっている「人間性」自体が、ポリスという枠の中で生まれたものである以上、我々は、好きであろうと嫌いであろうと、「ポリスの公的領域」と結びついた「人間性」の概念抜きで自己規定することはできない。「人間」は、いくら嫌がっても自らの出自を否定することはできない。

・全員が、自分の生活維持のための仕事・労働に従事しながら、同時に、ポリス全体の善について発言するという二重生活を営むようになる。「公/私」の境界線が曖昧になるわけである。そうすると、市民たちは物質的な利害関係を抱えたまま、公の場において、お互いに対して働きかけるようになる。

・アーレントは、そのように、もともと「私的領域」に属していたはずの物質的諸要素の混入によって「利害」からの「自由」を確保できなくなった"公的領域"を、「社会的領域 social realm」と呼んでいる。純粋な「公的領域」が縮小し、「社会的領域」が「人間」たちの"活動"の主要な場になったのが、「市民社会」である。「市民社会」において人々の「関心」は、ポリスにとっての「共通の善」の実現から、「経済的利害」の調整へと大きくシフトする。

・市民社会に生きる「我々」は、各人の「経済活動の自由」を、実現すべき普遍的価値であると考えがちだが、アーレントに言わせれば、利害調整が問題になる「経済」においては、本当の意味での「自由」はない。とどのつまり、資本主義であれ共産主義であれ、「経済」的利害が人々の中心的関心事である限り、我々は「人間」になり切れないのである。

・市民社会における経済的「利害」関係が、”人間”たちの行動を全面的に支配するようになり、「自由な討論」を通しての他者への働きかけが形骸化する時、物理的な刺激によってヒトの動物的本能に直接的に働きかけ、人々を集団行動へと駆り立てる「全体主義」が台頭する可能性がでてくる。

・全体主義体制に「同調」した人々は、「人間」的な活動を可能にする「間の空間」を持たず、次第に没個性化していき、(言論による説得を伴わない)暴力支配のモードに入る。大群衆が、まるで「一人の人間」であるかのように振る舞う。それは、陳腐な「アイヒマン」たちからなる悪の世界である。

・「プロレタリアート」としての普遍的な人間性を志向するマルクス主義は、一般的には、ナチズムやファシズムと対立するものと考えられている。しかしアーレントは、「階級的利害」という共通項によって、労働者たちを「一つ」の意志を持った「体」であるかのごとく集団行動へと誘導する点で、マルクス主義はナチズムと同類であると見なしている。

・ナチスは「多元性=人間性」の破壊者

フランツ・ファノン第三世界の反植民地闘争

・彼は植民地の人々を、白人によって作り出された「人間」のイメージに見合うステータスにまで引き上げるという従来的な発想を拒絶する。

・日本語で「自由」と訳される英語には、<freedom>と<liberty>の二種類がある。アーレントは、この二つを概念的に区別し、前者を、古代ギリシアのポリスのような「言論活動」の空間を創設しようとするものとして積極的に評価しているのに対し、後者は、物質的欠乏状態からの"自由"、つまり「解放 liberation」の次元に留まるものとして限定的な評価しか与えていない。

・同情ゆえの人間性喪失

ジャン・ジャック・ルソー「幸福なる自然人」「計算的理性」と「自然な人間の情」

・偽善者hypocrite(仮面、俳優)

・しかし、「仮面」を取りはらった後に出てきたのは、それまで「私的領域」の中に押し込まれていた「暴力」衝動である。

・エゴイズムと本音の境界線

・仮面が本音になる

・駄目な差異のポリティクス

・閉鎖的な「同情の政治」

・人間性の困難

 

第二章 こうして人間はつくられた

・ボッカチオ「デカメロン」

ルネサンス「再生」中世暗黒時代=キリスト教によって抑圧されていた。

・彼らにとって「人間性」のモデルは、書かれたもの(エクリチュール)を通してしか知ることのできないギリシャ・ローマ世界にあったのである。

・幼児が周囲のいろんなものに手や足を出して怪我したり火傷したりするのは、自分自身の身体と外界との境界線を意識していないからである。

・理性が覚醒して「自/他」の区別をするようになった人間は、「自分のもの」と「他人のもの」を区別し、前者をより増やそうとするようになる。そうやって、周囲の事物に対する「所有=自己固有性」観念が生まれ、それを固定化するために、「社会」が組織化される。「社会」というのは、自己の所有物を確保しようとする各人のエゴイズムの産物であり、そのために掟がある。掟を破るのが「悪」である。

・ルソー社会契約論

・アーレントの自由 「物質的・生物的な欲求から解放されて、他者に対して言論で働きかけること」

・欲望の衝突

・「自然人たちが自発的に自己の自由をどこかに移転することによって、主権が生まれる」

・ルソー、「私」の「自由」を「私たち」に譲渡する。

・「皆で(主権者として)決めたことだから、皆で(臣下として)従おう」

・「一般意志」というのは、各人が自分個人の利害関係を越えて、「全体」にとってはこうするのが正しいと判断するための普遍的基準となるものである。=「法」=近代法の根拠

・国家の「法」と個人の「自由」の両立を約束してくれるかのように見える「ルソー主義」

・一応、中立そうな誰かが書いてくれたエクリチュールを「法」と見なして、それが「一般意志」と合致しているか否か検証しなければならないが、もともと本当にあるのかないのか定かでない”一般意志”と照応させることなど雲を掴むような話である。結局、どこまでいっても、真正の「一般意志=法」を表象することができないわけである。

ジャック・デリダはこの点を掘り下げて、”単なるエクリチュールにすぎない”はずのものが、まるで全員が異口同音に口にした生きた言葉(パロール)であるかのごとく通用しているという根源的なアポリア(袋小路)を暗示している。

・現在思想でよく耳にするデリダの「音声中心主義」批判を、かなり簡略化して説明すれば、歴史的・文化的・言語的に制度化されてきた「エクリチュール」が、あたかも「生き生きしたバロール」であるかのごとく現前化し、我々を拘束している、という事態を暴き出すことである。もう少し分かりやすく言えば、無意識的に他人から聞いたり、本で読んだり、メディアから情報として取り込み、”心”の中に「書き込まれてしまったもの」(エクリチュール)が、いつのまにか自分の「生きた言葉」に化けてしまうことを問題にしているわけである。なおデリダが「エクリチュール」として問題にしているのは、活字やそれに類する文字や記号として書かれたものだけではなく、我々の思考を規定している、制度化された意味の体系全般である。

・ニュースの街頭インタビュー。

・つまり、もはや生きていない言葉であるエクリチュールが直接的には見えないところ(無意識)に潜んでしまって、背後から「生きた言葉」を支配しているかのような様相を呈しているわけである。

・一般的に、西欧近代のエクリチュールに汚染されている「知識人」というのは、「書物に書かれたのではない生の現実」に対する憧れを、(書物の影響を通して)抱いていることが多い。

・実際には、エクリチュールとしてしか意味をなさない「現・実」という言葉に引かれているだけなのだが、ご当人は、バロールに触れたつもりになっているので、なかなか目を覚まさない。

・「自然人」と「理性人」がルソー主義的に合体することで生まれてきた近代的「人間」観は、音声中心主義の矛盾を常に孕んでいる。

ゲーテ「ヴィルヘルム・マイスターの修行時代」

・すぐに分かるように、こうした設定は何重もの意味で、エクリチュールによる支配を隠蔽した構造になっている。

 

第三章

・ルソー社会契約論 「主体(Subject)」になるということは、同時に、特定の公共的秩序「に従う 〜be subject to」ことを意味する。

ミヒャエル・エンデ「モモ」

・ドイツ・ロマン派が創出した幻想文学の中心的なモチーフは、「かけがえのない貴重な時間」を「計算可能な単線的な時間」へと転化してしまう「貨幣」の浸透に対抗することだった。

・ルソーの「自然人」、ハーバマスの「市民」

 

第四章

・ジョン・ロールズリベラリズム」=「自由」と「平等」を可能な限り両立させることを目指す。=社会的「公正」を実現する。

・ロールズ「公正としての正義」

・「無知のヴェール」自分が相対的に弱者であると想定してルールをつくる

・アメリカの政治思想の新しい対立軸として表れてきたのが、「リバタリアニズム(自由至上主義)」と「コミュニタリアニズム共同体主義)」である。

・「最小限国家」ロバート・ノージック

林道義「自然な父性」

・安保世代、全面否定は「全面的に丸抱えされているという安心感」の裏返し

・彼らは、アメリカやマルクス主義の悪影響さえ、取り除けば無垢の"自然な日本性"が(再び)見出される、と考えているふしがある。

・つまり、どれだけ徹底したリバタリアンでも、自分で選んだわけではない共同体的文脈の中で、「(共同体内の)他者」と相互に制約し合いながら、生きていかざるを得ないわけである。

・「共同体主義」を拒否することは可能でも、共同体的な諸文脈を拒否することはできないのである。

・ドゥルシラ・コーネル「イマジナリーな領域に対する権利」

・つまるところ、リベラリズムやリバタリアニズムにおいても、「自己決定」に先立つ"自己"の選択の問題は、結果的に、既存の共同体的文脈に委ねられることになる。どういう「自己」を選ぶかは、当人と、当人を取り巻く様々な共同体的文脈との関係性の中で、"自然と"決まってくるのを待つしかないのである。

・「アイデンティティー」→「アイデンティフィケーション」

・カント的リベラリズム=あらゆる拘束から自由に判断できる、自律した「主体」になること。

・分からないと、大抵、これまで自分を保護してくれていた「共同体」の意向を慮った"自己決定"をすることになる。

・ネグリ「プロレタリアート」→「マルチチュード(群衆)」

5/13-6/19

2015-06-18

[]朗読教室

・アクセント

・鼻濁音

・無声音(母音の無声化)

メラビアンの法則

1.表情、しぐさ 55% 視覚

2.声、話し方、トーン 38% 聴覚

3.内容 7%

声の

大きさ

抑揚

強調

速さ

明瞭さ

2015-06-15

[]ウェーバー4 ジンメル

近代化=合理化

・価値合理性

・目的合理性

→形式合理性(手続き論、形骸化)

→官僚制

ロシア革命第一次世界大戦

1918年 オーストリアの将校たちに講演「社会主義」

社会主義は民主主義

↔民主主義は職業官僚の統治

<法による支配>

ミヘルス 寡頭制

「ロシア革命論」記

官僚制化 労働手段と労働者の分離

→経営の発達(協働の能率化)→階層

→窮乏化はおこらない(↔マルクスの予言)

資本主義の変質

資本家(オーナー)→金融資本家(株式会社化)

→会社員(サラリーマン)個人主義→官僚化→年金生活者 利子生活

労働者の階層化

未・半・熟練労働者+経営・管理層

社会民主主義 には大義がない

→むしろ自由主義の追求 ←市民層の成熟

 

Georg Simmel(1858-1918)

ゲオルク ジンメル

・ベルリン→都市

・ユダヤ系→大学の私講師のまま

・「生の哲学」↔「社会文化論」「貨幣の哲学」

 

「社会学」

「社会学の根本問題」

形式社会学

個人と個人の相互作用の

「形式」と「内容」

個人の集団からの解放

社会圏の交差

f:id:hommasusumu:20150701032021j:image

C・フィッシャー

社会ネットワーク研究

下位文化(サブカルチャー)

2015-06-12

[]男はつらいよ

1作目。ビートたけし山田洋次嫌いな理由(半分冗談だが)がよく分かる。作られた下町人情。

倍賞千恵子光本幸子。奈良。

2015-06-08

[]ウェーバー3

徳永恂 厚東洋輔 編

「人間ウェーバー」有斐閣

「宗教社会学論集」

現世内禁欲 目的のために欲望を抑える

 

プロテスタンティズム 市民層

カソリック 僧侶/信者

 

職業 Beruf(calling)

天職

 

材の蓄積+質素倹約

(合理的組織化)

二重予定説

 

資本主義の精神(倫理)

 

通説(ルヨ・ブレンターノなど) 

営利本能→商業活動→資本主義

 

「経済と社会」

冒頭「社会学の根本概念」清水訳

 

社会的行為←理解社会学

[意味] 理念型(典型的なパターン)

1.目的合理的 行為

2.価値合理的 行為

3.感情的 行為

4.伝統的 行為

 

「支配の社会学」

権力 パワー

権威 オーソリティー ←正当性

1.伝統

2.カリスマ

3.合法的 ←民主主義

 

価値合理性

→目的合理性 現代社会

→形式合理性

 

「歯車」鉄の檻「官僚制」

「機械装置」

民主主義 ↔ 官僚制

ボランティア ↔ NPO(官僚的)

 

フェルディナント・テンニース

ゲマインシャフト 共同社会

ゲゼルシャフト 目的社会

 

「官僚制」

1.ルール優先

2.権限 ↔ なわばり

3.公私の区別

4.上意下達

5.専門的分業

6.文書主義

 

1.効率化 能率化

バーナンド→パーソンズ AGIL

 

2.非効率性

官僚制という機械装置による

非人間的支配

カリスマ的指導者

 

社会主義ー計画経済(官僚制)

[]溝口健二監督「赤線地帯」

支配、被支配、搾取、被搾取。「考えないこと」「知らないこと」にする暴力。八つ当たりの連鎖。鉄の檻。システマティック座敷牢。それでも抑えきれない人間たる衝動。若尾文子の美しさ。木暮実千代の名演。若尾文子の客に大感情移入。

[]成瀬巳喜男監督「女が階段を上がる時」

赤線地帯1956、これ1960年。面白かった。権力、差別とは金。フェミニズム運動の下地がよくわかる。プレス工場のオヤジには驚いたが、ありそうなことだ。太っている人に悪い人はいないという名言。高峰秀子の美しさ。