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2014/1/14(火)

初日の出

登場判定はテレポートじゃないよって話

| 19:51 | 登場判定はテレポートじゃないよって話を含むブックマーク 登場判定はテレポートじゃないよって話のブックマークコメント

登場判定への不満の一つに「まるでテレポートみたいだ」という意見がある。

このエントリーではそれについて思ったこと考えたことをいくつか書く。


「テレポートみたい」と言われる状況とは具体的にどういうケースなのか?

例えば、前のシーンと次のシーンの場所物理的な距離が、どう考えても到着するのに数分はかかるのに、登場判定に成功したからというだけで登場できてしまう、そんな状況。

もう一つの例を考えると、そのシーンで描かれる場所は一部の人しか知らないのに、やはり登場判定で難易度以上の達成値を出せたからということで登場できてしまうというという状況。

後者の例では、「土地勘や交通アクセスのしやすさを抽象的に扱うために社会や事情通能力技能で判定した」とかそういうことくらいしか思いつかない。

ので、ここではおもに前者の例について考える。


私からの答えを端的にいうと、前のシーンの終了時点と、次のシーンの開始時点との間隔がほぼ一瞬だと決めつけるものではないだろう?というもの。

シーンとシーンの間は数分しか経ってないかもしれないし、一時間ほどの間隔があるかもしれない。

GMが明言しない限り、特定することではないんじゃないか。

シナリオの始まりと終わりで2〜3日かかるようなものだと、シーンの間が2〜3時間くらいないと逆になりたたないような局面もあるのではないか。

さらに、現代ものや近未来もので、舞台となるのが都市部に限定していているのなら、どこからどこに移動しようと数十分もあれば充分だろう。


じゃ、シーンとシーンの経過時間はいつ決めるたらいいのか。

それは「必要になってから決めたらいい」のでないだろう。

あるPCが場面に登場した、そのことから逆算的にシーンの間にかかった時間をなんとなく求めればいいのでは。


あとから決めるってやり方が気持ち悪いって人もいるかもしれない。

そういう人に対しては、シーンとシーンの間の時間や距離を明言したほうがいいだろうな。

シーンとの間が距離が離れていれば登場判定の難易度が上げればいいし、シーンとの間の時間が長ければその分逆に登場難易度を下げればいい。


ただ、シーンとシーンの間の処理を省略するってのがシーン制度の利点なので、現在進行中のシーンの時系列をさかのぼってシーン間の演出するのってどんな利点があるのかというと、かなり疑問が多い。

そもそも自分から書き始めたことなのに、そのプレイ風景を想像してみると、なんか面倒くさいというか気持ち悪いというか、そんなことを思い始めた。


最後に。舞台が現代物なら、まぁ仮にこの解釈でいいとして、じゃあファンタジースペオペといったジャンルならどうなるのかって言われると、結局なんの回答もできないんだけどね。

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2013/11/15(金)

トーストとピーナッツバターの新しい関係

| 22:45 | トーストとピーナッツバターの新しい関係を含むブックマーク トーストとピーナッツバターの新しい関係のブックマークコメント

最近の朝食の食パンに塗っているのは「ふんわりホイップ ピーナッツバター」というもの。

通常のよりお値段が張るだけあって、そこら辺の安物のピーナッツバターとはたしかに一味違う。


ところがここにピーナッツバター特有の問題が発生している。

うつまり、トーストしてない食パンに塗ろうとしてもうまくいかないのだ。

ピーナッツバターを塗ろうとすると、食パンの表面がダマになってピーナッツバターにくっついていき、ピーナッツバター自体はパンの表面に馴染むことなく、ただ塊のまま食パンの上を転がっていく。

「じゃトーストにすればいいじゃないか」という声が出てくるかもしれない。

しかし私は食パンをトーストにはしたりしない。できない理由があるのだ。

それはなぜか? 食べた後になって胃にもたれるからだ。

いつ頃からそうなってのかは分からないが、トーストを食べたあと20分から30分たった頃、胃がどっしりと重たくなってくる。ただ単に水分をきちんと摂取してないだけかもしれないが。

それを回避するためにも食パンは生のまま食べる。ああいや一応ジャムとかバターとか塗ったりするが。とにかくトースター機能はもう使うことはないだろう。

はいえトーストしたほうがピーナッツバターは塗りやすいのは事実

おそらくだが、トーストの熱が伝わったピーナッツバターが少しだけ溶けることでパンの表面に塗りやすくなっているのだろう。

だがトーストにする訳にはいかない。

そこで考えたのが、「食パンを電子レンジで軽く温める」という手法。ようは食パンの熱がピーナッツバターに伝わればいいのだから。

結論をいうとこれは失敗だった。

食パンはたしかに温まったが、その分水分が失われた。こうなったらもう歯で噛みちぎらないとまともに食べることができない。


そこでまた逆転の発想だ。

温めるのはパンのほうではなく、ピーナッツバターのほうを温めればいいのだ。

適量を小皿に取り、電子レンジで1分ほど温める。それを食パンに塗る。

これで「ふんわりホイップ」なピーナッツバターの本領発揮だ。

なめらかな触感ボリューム感あるしっかりとした風味。

ピーナッツバターの新しい世界基準の誕生だ。


ということを朝食4日分を犠牲にしてようやく結論づけたときには「ふんわりホイップ ピーナッツバター」はもう二食分しか残っていなかった。

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2013/5/13(月)

創作として軸がぶれている

19:30 | 創作として軸がぶれているを含むブックマーク 創作として軸がぶれているのブックマークコメント

ドラシティを制作するとき、一番ズレてはいけない軸、守らなきゃいけない核の部分、それは「香港アクション映画をみんなで撮影する」ということ。

なぜ「香港アクション映画」なのか?

行為判定のテンポのいいコンボシステムが、香港アクションや格闘ゲーム雰囲気にちょうどいいと思ったから。

では「香港アクション映画」とはなにか?

ワイヤーアクションの多用。

キレのある伝統武術によるアクションと勧善懲悪シンプルストーリーライン。

ジョン・ウー作品なら二丁拳銃と鳩、といったところか。

代表的な作品をリストアップして、香港映画最大公約数的な要素を抜き出すことは、たぶんそこまで難しくない。

それでは、なぜ香港で「香港映画」が作られるようになったのか?

香港映画が生み出された、その土地柄というか背景というか、そういうものがあるのだろうか?

ドラシティの舞台設定を作るにあたって、そういった「香港映画が生み出された素地」というものを持ってこなくてはいけないのではないか、最近はそういうことを考えている。

なんかのドキュメンタリーで見たことだが、ナイジェリアの映画産業はすごいことになっているらしい。

ナイジェリアのノリウッド映画が世界第3位だとかいやもう第1位だとかニュースでやっていた。ソースは見失った。


ハリウッドにしろ、香港にしろ、ムンバイにしろ、ナイジェリアにしろ、その地だからこそ映画産業が花開いたという共通の要因はなにかあるのだろうか?


そのこととは別においといて、もともとドラシティはメタ視点の色が強い。

アンケートにも「協力して映画を撮ってるみたい」と書いてもらったことがある。

技能グループにも<撮影>なんてものがあるくらいだしね。

ダイエットキュウリダイエットキュウリ 2013/08/29 17:21 確かに、香港のアクション映画は特別な雰囲気がありますね〜

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2013/4/7(日)

hongkongKimchee2013-04-07

"ボスの死に方"チャートを自作してみた

| 11:38 | "ボスの死に方"チャートを自作してみたを含むブックマーク "ボスの死に方"チャートを自作してみたのブックマークコメント

ボス用に新たに考えた、劇的な死に方チャート

1.撲殺

2.斬殺

3.刺殺

4.蜂の巣

5.血の海

6.墜落死

7.感電

8.圧死

9.名状しがたき惨劇

10.さらに二回振り足す

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2013/4/5(金)

カッコよく死ぬために、必要なことってなんだろう

| 20:56 | カッコよく死ぬために、必要なことってなんだろうを含むブックマーク カッコよく死ぬために、必要なことってなんだろうのブックマークコメント

 最近思考実験テーマの一つに、「PCを積極的に死に向かわせる」「PCが死んでPLが喜ぶ」そんなゲームプレイできないものか?と考えている。

 ちなみに今回は、前回の「トーキョーN◎VAは本当に好き嫌いが別れるのか」の続きのようなものです。


 トーキョーN◎VAというゲームは、あえて端的な言い方をすると「生き残ることよりもスタイルを貫くことを大事にする」という側面を持っている。

 「スタイルを捨てるくらいなら死んだほうがマシ」なんて言ってみたいセリフだが、結局は死亡は避けるべきもの、積極的に自PCを殺すようにしむけることはまずしない。

 トーキョーN◎VAも古い版ではPC同士が対立することも珍しくなかったんだけどねー。



 なぜ「PCが死んで逆に盛り上がるようなシステム」を考えているかというと、理由は以下のとおり。

(1)「たとえ死んでも守りたいものがある」という状況をロールプレイしたい。

(2)ゲームバランスを間違えても、セッションの失敗とさせない。

GMの調査ミスのためか、単純にダイス目が悪かったかもしれないが、それらのせいでPCが死んでも、大成功とまではいわなくてもいいから、少なくとも失敗とみなさなくてもすむような、そんなシステムを考えたい。

(3)普通とは違うことをしたい

「PCは殺さないようにするもの」という常識を破れないものか、それでいてTRPGとして楽しめるものはないか。割りと左道な理由。


 ではなぜ「PLは自分のPCを死なせたくないのか」

(1)担当するキャラクターがいなくなると、ゲーム中ヒマになるから。

(2)愛着を抱いたキャラが死ぬのは悲しいから。

(3)ゲーム的には敗北だから

対策(1)ヒマにさせない方法

 → 1.1.すぐに別のキャラクターで遊べる。

  → 1.1.1. PCは死んでも転生できる。または、PCにはクローンがいる。

  → 1.1.2. 豊富なサンプルキャランターが用意されていて、その他の追加設定(ライフパスなど)もすぐ簡単に終わる。

  → 1.1.3. 新しいキャラとして途中でセッションに参加しても、シナリオの途中からスムーズに入っていける方法をなにか考えてみる。

 → 1.2. 自分のPCがシーンにいないとき、NPCや敵を担当する。

  → 1.2.1 田中天氏のようなプレイスタイルをシステムに組み込むような何かを考えてみる。

 転生できるとかクローンがいるとか、どっかのシステムで見たような・・・。

対策(2)キャラへの愛着があるため

 → 2.1.過度の愛着を持たせない。

  → 2.1.1.洋ゲーによくあるような「もともとよく死ぬシステムである」ということを参加者に徹底時に周知しておく。

 → 2.2.逆に、愛着を持つがゆえに、死ぬ時くらい自由に演出したいと思わせるような何か。

 → 2.3.キャラへの愛着よりもべつの何かに愛着をもたせる。

 → 2.4.キャラへの愛着よりもミッションを果たすことに高いモチベーションを与える。

 死亡するタイミングをPLが決められるというのもどっかであったようなシステムだな。

対策(3)普通PCの死亡はゲーム的には敗北だから

 → 3.1. 死亡がゲーム的な敗北とは限らないことにしたい

  → 3.1.2. PCが生き残ることよりも、ミッションを果たしたことに経験点を与える。このケースでは自動的にプレイヤー経験点を適用することになる。

 → 3.2. 自分のPCが目的を果たさなくても、別の誰かやパーティが目的を果たせばよい




 ここまで思考実験を続けて、エントリーを書き進めて、途中で気がついた。

 これって『クトゥルフ神話TRPG』の正気度や、『刑事魂』の"殉職率"があれば、十分再現できてるじゃないか。

 PCが死んでも楽しめるシステムを作るには、そう思わせるための仕組みを持つ世界観の題材を探すことが大切なんだな、という結論に達した。

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