「なぜトーキョーN◎VAは好き嫌いがはっきり別れるのか」というエントリーを読んで思ったこと

「なぜトーキョーN◎VAは好き嫌いがはっきり別れるのか」
http://www.rpgjapan.com/old/topic17.xml

ちなみにリンク先を開いた原文はエスケープの問題のため読みづらいので、以下の手順でHTMLファイルを作り直してほしい。
・全角の"<"を半角の"<"に置換
・&amp;を&に置換
・&lt;を<に置換


 NOVA初プレイの印象が悪かった、という人の感想として、「生き様と現実のはざ間で悩むロールプレイ」を期待していたら、実際はただの超人無双だった、というのがプレイ後の感想だった、というのが載せられている。

 N◎VAというゲームでは、自らのスタイルを貫くこと、そしてそれを演出したりロールプレイしたりするのはそれほど難しくない。

 もう単純に「生き残ることは目的ではない」と、そうシステム本に書かれているからだ。ただ、2ndには書いてあるが、Revolution以降には明記されてなかったような。「NOVAはキャラが死ぬリスクをもつスリリングなゲームだ」とかそういうふうに書かれていたような。ただ裏表紙には「スタイルを貫く者だけが生き残る」と書かれているので、"スタイルを貫くこと"も"生き残る"も両方ともアピールしているのかもしれない。
 シナリオも最近になるほど、普通に生き残るのが前提のエンディングになっていると思う。
 話はずれるが、版があがるごとに演出のテンプレートについて割かれているページ数が減っているのは、個人的にはなんだか残念に思う。


 「スタイルを貫くこと」を最も端的に表しているのは経験点の計算の仕方だろう。
 経験点が与えられるのがキャストではなくプレイヤーというのが、「べつに今回のキャラが死んでしまっても構わんし〜」と思わせることができる。
 また、スタイルの権化である「神業」を使うたびに経験点に変わる。
「アクトに最後まで参加した」のも、キャストではなくあくまでプレイヤーのほうだしね。



 一方で「生き様をとるか現実に妥協するかを悩むロールプレイ」が実現できるかというと、たしかに難しいだろう。
 N◎VAというシステムではできない、という以前に、それができるほかのシステムにまず出会ったことがないのだが。


 今ちょっと考えをまとめているローカルルールのアイデアとして、2ndのスタイル判定と制御判定を組み合わせたロールプレイ評価システムを考えている。
 制御判定は「ときには失敗するのも悪くない」みたいなことがシステム本に書かれている。
 制御判定に失敗することを「現実とのハザマに悩む」というロールプレイにつなげることはできるかもしれない。



 最後に、「なぜトーキョーN◎VAは好き嫌いがはっきり別れるのか」の話の筋について。
 N◎VAファンは積極的にN◎VAの面白さを伝えようとしてないような、そんな傾向を感じた。
 N◎VA信者も、N◎VAがアクの強いシステムだということに自覚的なのか、「伝わらないなら伝わらないでもいいし」というスタンスも見える。