集団登山

引率のお手伝いをすることになった。
ガイドの人もいるので少し安心なのだが、昨年の話をしていて驚愕した。先頭がそのガイドの人で、殿はボクになる。まあ、これはこれでよい。ところが、昨年、先頭のガイドの人が途中から上げ下げして本隊から遅れた人のサポートをしていたというのだ。「やるから」というので任せたのだと言うが、ガイドにすれば背に腹は変えられない状況。100人規模の隊をわずかな経験者に委ねることに対して学校に恐怖感がないのだとしたらぞっとする。
そのうえ、高度順応のため、2450mでバスから降りて小1時間滞在させなくてはならないと言ったら、そんな時間はない、と切られた。これで結果オーライなら、そのまま無謀な登山が続くのだろう。かなわない。
体力不足とか、体調不良とかそれ以前に行程の、あるいは、計画の杜撰さで山に挑む前にリタイヤさせられる者が出てくるらしい。子どもたちには気の毒だ。
明日、その打ち合わせがあるのだが、さて、どこまで話していいものか。安全には代えられないものがたくさんあるはずで、対立しても、激突しても是々非々を貫くべきだとは思うのだが、これまでこうだったという経験則、しかも、幸運な経験に裏打ちされた楽天主義には、抗しがたいのも事実。
その後の立山少年自然の家での宿泊学習もいっしょに残るが、そこと登山がどうつながっているのだろう。ボクがもっとも忌み嫌うやり方ではあるまいかと、今から心配している。
見えている風景がきっと違うんだろうなあ。悔しいなあ。せっかくの機会なのになあ。子どもをどう管理するかばかりに気を取られている。だったら、行かなきゃいいのに。何を学ぶのか明確でないから子どもは軌道を逸れていくんだろうが。
少しずつ、説得力のある場面を作るしかないか。果てしないが。