フィットHV

150何万円だかのフィットHVが発売されるらしい。
HVという流れやこの先に来るPHVという流れが本当にいい方向なのだろうか。
ガソリンの革新が先どまり傾向にあるのかなあと時々思うのだ。
道具というのはシンプルになっていかなくてはいけないという思いがどこかこだわっている部分で、複雑なものはどこかに無理があるし、たとえ、複雑であってもインターフェースや形状は合理的な単純さが必要だと、何となく何でもそういう傾向に流れる自分を感じる。
テレマークも、フライフィッシングもその流れから全く外れてはおらず、ガンダムみたいな方向からはどんどん遠ざかりたい。カメラでもそうだ。何でもできるものなど用はない。
そうすると、HVのようなシステムにはどうも何か違う方向を感じている。洗練されていかないというのか、例えば、過剰な空力性能、転がり抵抗の少ない専用タイヤなどを用いないで燃費や効率、使い勝手を高めるような商品を持ち出すことでなければ道具としては片手落ちだろう。あるいは、そうしたものがクルマとしてのスタンダードになるような考え方をとるべきだが、トヨタもホンダもハイブリッド専用車のデザインを他の車種に広げるつもりはないようだ。それは特別な道具を作っている感覚で、ユーザを選ぶ。地球環境に配慮した目覚めたユーザですよという記号があるだけで、何が次の時代に進んで行くのかさっぱりつかめない。
実は、よく似たような感じで語られるHVとEVは構造上全く正反対の性格をもっている。複雑な制御を組み合わせて、いわば運用までも激しく制御しながら奏功しているHVに比較して、EVはその構造を恐ろしくシンプルにできる。大雑把に言えば、プラモデルみたいなもので、電池とモーターがあれば走るのだ。そうすると、既存のクルマをEVに変えてしまうのは、同じことをHVに施すことの厄介さに比べるとその違いがわかるだろう。PHVになるとまたいよいよである。
町中を見ていると、近距離のコミューター的な動きのある乗り物は案外多い。そして、多くのクルマは一日の大半を停車している。普及はそうしたものから進められるべきで、今のような一般ユーザをHVやEVに誘導するようなやり方は全くの愚策だと思う。
ただ、課題は多いのだろう。デジカメの普及で、これまで光学系メーカーが展開していた分野に電気系のメーカーが参入できるようになったとして一気にブランドが多彩になったが、今になってみると、生き残ったのは、以前からのカメラメーカーがほとんど。やはり、蓄積したノウハウは伊達ではない。銀塩フィルムカメラパラダイムで用語なんかがすっかり通用している。いや、そうでもないか。そういう置き換えをしているのは、一部のユーザなのかもしれないな。
フィットHV、それに続くビッツHVがちまたにあふれても、うちのまわりは、もみじマークの軽四があふれている。そこらがシフトするような環境は、政策的な動きしかあり得ない。