なぜ今、大学院?

只今のところ、お産のお手伝いを休止させていただいております。


お産のお問い合わせをいただいた方々や次はほのほでお産しようと考えていたのに…とおっしゃっていただいた方々の声を直接聞いたり、人伝てに伺い、大変申し訳ない気持ちでいます。


私は、2000年12月から助産院をはじめ、正常なお産のお手伝いをさせていただいてきました。
その中で後輩の育成にも取り組んでまいりましたが、近年、助産師の教育が専門学校から大学に移行し、現在は、順次、大学院に移行されています。
その様な中で助産学生の育成には私が専門学校卒より大学を出るべきだと感じ2011年に大学に編入し2013年3月卒業いたしました。
大学卒業の折、『これからの助産師は大学院で教育されるのだから
大学院に進み大学院での助産師の教育を把握したうえで助産師の育成に関わりたい』という気持ちになりました。
それは、過去にほのほでお産してくださった方々の中の、「娘がお産する時にほのほが継続していてくださいね」とおっしゃる声に起因しています。この声はなによりもうれしい言葉であり、私を支えてくれている言葉です、ありがとうございます。
その方々の声を活かすために『今、大学院に行かなければ。』と思いました。
ほのほで生まれてくださった赤ちゃんがお産をしてくれる頃に私の身体がお産に耐えうるかどうかは分かりません。
お産のお手伝いは、ましてや私のように完璧に赤ちゃんとお母さんを守るのは並大抵ではありません。
それならば、意志を受け継いでくれる助産師の育成に今から取り組まなければと考えたのです。
素晴らしい助産師の存在はいずれお産に影響し、妊婦さん・産婦さん・褥婦さんに還ってまいります。育児に影響していることも学術的に海外では証明されています。
お産は、大切な大切な『いのち』を生みだす仕事です。(お産は英語でlabor(労働を意味する)とも表現されます)
大切な大切な『いのち』は大学院に通いながら片手間で出来るものではありません。少なくとも私にはそうなのです。
そのような考えのもと、助産をお休みさせていただき、乳房のケアのみでの対応ということにいたしました。それがどのくらいの期間になるかは、今はまだわかりませんが、みなさま、どうぞ、ほのほ助産院を長い目で見てやってください。
そして、いずれ若い助産師が活躍できますほのほ助産院の助産の再会には応援をよろしくお願いいたします。

私と大学   〜その5〜

2011年7月、単位認定試験で4科目の試験を受けた私ですが、周りを見渡せば、本当にいろいろな方がおいでで、年齢が高い方は科目履修数が少なくて一つ一つを丁寧に勉強されていらっしゃるように感じました。
若い方は効率よく、あるいは、柔らか頭にすんなり入ってくるのか、履修数も多いことを知りました。


そういった様子を肌で感じて触発されたこともあり、編入する前にすでに授業を事前に視聴していた私は2011年度の冬には22科目の履修に挑みました。
後から考えてもちょっと無茶だったように思います。3科目を逃してしまいました。
ただ、放送大学は一度試験に失敗して単位が取れなくても次の学期に限り、再試験を受けることが出来ます。おかげで、2012年度夏の試験には取り戻せました。働きながら勉強する身としては大変ありがたかったですし、その分の費用が余分にかからなかったので助かりました(^_^;)
そして、2012年夏の単位認定試験、前回の3科目に合わせて6科目を履修し、9科目の試験に臨みました。


試験の時にいつも、一番心配なのはお産のことです。
もちろん、私の留守には複数の助産師さんたちに留守をお願いして行くわけですが、それでも気にかかって仕方ありません。
試験は始まって30分過ぎれば会場を出てもいいことになっています。
とにかく、効率よく試験が受けられる工夫をしました。
たとえば、2011年度冬は一日でできるだけ多くの科目数の試験が受けられるようにしましたし、ほかの時にも、この辺りは『お産が来そうだ・・・』と予測した日に試験のある科目は履修しないように考えました。
何よりも妊婦健診の際に毎回、お腹の赤ちゃんに向かって私がいる時に出てきてくださいと念じていました。
赤ちゃんは本当にかしこいですから、過去3回の試験の日程で2回は前日にお産になり、残り1回の今年の夏の試験では陣痛が来ているものの私が外出中に赤ちゃんが登場することはありませんでした。
サポート名人のH助産師さん曰く、『やっぱり、中井さんがいない時って出て来ないね!』だと。
この助産師さん、何しろ、ほのほのお産とはもう5年以上の付き合いですから、過去にも私の都合の悪い日には出て来ないことをよくご存知です。

赤ちゃん、どうもありがとうございました。


こうして、一年と半年で大学卒業に必要な単位を取得できました。
途中、きついこともありましたが、当初の予定をはるかに超えて目標を達成できました。
感謝の気持ちでいます。

秋の夜長  〜その2〜

テレビをあまり見ない私ですが、何気なく点けていてそろそろ、寝ようかなと思っていたら『フランスの凱旋門賞が始まります・・・』とアナウンスされたので、それはどんなものなのかと興味を持ってしまいました。
なんでも有名な競馬だそうで・・・。
で、名前を忘れちゃったけど、そのオ○○という日本のお馬さんの走りを見せてもらいました。


レースの途中までは後ろから2番目くらいにいたので『なぁーーーーんだ、遅いじゃん!』って思ってたら、後半の直線に入ってからぐんぐんぐんぐん、伸びて一番先頭になりました。
『うぅぅぅわぁぁぁ、すっげぇぇぇぇ、追い上げやん!そのまま逃げ切るのかなぁ』と思っていたら、最後の100メートルくらいでフランスの馬に抜かれちゃいました。

残念・・・。


でも、すっごい、いいものを見せてもらった気がしました。
競馬のファンでも何でもないけれど、馬が走る姿がきれいだったし、鬣の揺れる姿もきれい。
何より、頑張った姿は私に感動をくれました。

ありがとう。


競馬の魅力みたいなものをちょっと、感じれました。

秋の夜長

10月に入りました。
随分、涼しくなって、朝夕は寒いとさえ感じることもありますね。


時間のある時に私がすることの一つに『本を読む』という行為があります。
もちろん、好きな作家さんもいますが、開拓のつもりで全く知らない作家さんの作品に手を出すこともあります。
先日、あるお母さんに「小豆島出身だったら『八日目の蝉』は読んだことありますか?」と聞かれました。
何でも、映画化?されたとか。
残念ながら、読んだことがなかったので早速、図書館で借りて読んでみました。


どんな本にも人それぞれの感想があると思います。
この本の感想はともかく、懐かしい地名が出てきて、「あはぁ〜ん、あのあたりだなぁ」ということはわかりましたし、この本の作家さんも取材で訪れたんだろうなぁと思ったり、懐かしかったです。


今度はいつ、実家に行くのかなぁ、私。
・・・・・。

昨日のこと

朝からヘリコプターが3機くらい行き来している音が賑やかでした。
ただ単に飛んでいくだけならまだ、我慢する・しないの問題ではありません。が、なんだか、停滞して飛んでいる様子は阪神大震災の時を連想します。
この地は国立循環器病研究センターや大阪大学附属病院といった日本でも有数の大病院があります。日本で初の臓器移植が行われた時もヘリコプターが飛んで行って、『もしや、あれは臓器を運んでいるのかしら?』と思ったものでした。


さてさて、ヘリの目的はどうやら近くの小学校で熱中症のお子さんたちが運ばれるに当たり、報道のヘリが飛んだんだろうとニュースとお昼から来てくださったお母さんからの情報で知りました。


朝夕はちょっと、寒いなぁと感じるくらいに気温が下がってきましたが、日中は急激に気温が上昇しています。
まだまだ熱中症は油断ならないようですね。
今月末から来月頭に運動会を行う学校も多いことでしょう。
自分の体調管理と合わせてお子さんの体調にも気を付けないといけないですね。
おかあさん、頑張ってくださいね。