問題提起・ミレニアム三部作は本当に傑作なのか? その3(執筆者・酒井貞道)

(承前)


 以上、長々と書いて来たが、私の見解を簡単にまとめると、構造・キャラクターいずれの面から言っても、ミレニアム三部作は志が低い。女性への暴力や国家権力の理不尽、そして最終的に打ち出される社会正義の実現など、三部作に用いられた各モチーフが本来持っていたテーマ性・メッセージ性は、作者による安易な作劇とキャラクター造形のために、過度に単純化されている(そしてそれは、作者自身が身を置いた「ジャーナリズム」の世界の常套手段でもある)。これでは「ザッツ・エンターテインメント!」と思考停止でもしない限り、傑作と呼ぶのは躊躇せざるを得ない。ましてや二十一世紀ベスト、オールタイム・ベストなど論外である。


 ただしこれは私の読解であって、別の意見も当然あろうかと思う。それはそれで構わない。しかしミレニアム三部作が「突っ込み所のない作品」だとはどうしても思えないのである。誰も彼もが絶賛している現状は、作品の決して高くない完成度を考えれば、不健全ですらあるだろう。
 最終的に、誉めるなら誉めるで構わない。酒井貞道は何も読めてないよねという結論に至っていただいても結構である。しかし業界にミレニアム絶賛の空気が蔓延しているのは間違いない。それに流されている人はまさかいないとは思うが、先入観のない冷静な目でミレニアム三部作に接し、各人なりの「ミレニアム観」を確立していただきたく、「他人が誉めたものをわざわざ貶す」という品のない行動に走った次第である。ご無礼の段は平にご容赦のほどを。

 酒井貞道

ミレニアム3 眠れる女と狂卓の騎士 上

ミレニアム3 眠れる女と狂卓の騎士 上

ミレニアム3 眠れる女と狂卓の騎士 下

ミレニアム3 眠れる女と狂卓の騎士 下

【編集部より】
 酒井氏の問題提起、いかがでしたでしょうか。論者の方からの、本稿に関する反論の寄稿をお待ちしております。また「翻訳ミステリー大賞シンジケート」は、翻訳ミステリー界のさらなる発展に寄与する話題であれば、随時議論の場を提供いたします。商業誌などではなかなか誌面を割きにくい内容であっても、ご相談に乗らせていただきます。どうぞご利用ください。

 編集人・杉江松恋

12月23日 小山正氏「私には『ミレニアム』が「無駄が多い」「薄っぺらい」「嘘臭い」「雑多」な小説とは思えない。あるいは、『ミレニアム』を批判する私という存在の謎 その1(執筆者・小山正)/【随時更新】ミステリー陪審席【討論歓迎】」http://d.hatena.ne.jp/honyakumystery/20091223/1261496312

問題提起・ミレニアム三部作は本当に傑作なのか? その2(執筆者・酒井貞道)

(承前)

 以上のように構成だけでも十分やばいのに、ミレニアム三部作はキャラクター造形でもやらかしてしまっている。
 三部作に統一感は希薄だが、実は一つだけ、全体を結合し得る要素がある。それが主人公リスベット・サランデルである。彼女は三部作全体のストーリーとテーマに深く関与し、作品の中心そのものと化している。読者の方もこれを敏感に感じ取っているし、本書を賞賛する書評家も多くの場合サランデルに魅入られているようだ。
 しかし、この人物の設定はあまりにも嘘臭い。以下、彼女の特徴を並べよう。

  1. スーパーハッカーである
  2. にもかかわらず、荒事も得意な行動派(というか不死身)である
  3. ツンが非常に強いツンデレ
  4. 女性迫害に抗う誇り高き人物
  5. にもかかわらず、日本で言う制限行為能力者(旧・禁治産者)である
  6. その出自で、冷戦期のノルディック・バランスの歪みを一身で体現する

 こうして並べてみるとわかりやすいが、あまりにやり過ぎであり、設定が明らかにチートである。どれか1個だけ、せめて2個だったら私も特に気にはならなかっただろう。しかしこれら全部だもんなあ。正直なところを申し上げれば、サランデルに対しては感情移入どころかアホらしさしか感じない。本来重いはずの作品テーマに比して、作者の得手勝手な都合が透けて見えるようで、ドン引きしてしまった。
 極端に言えば、スティーグ・ラーソンはサランデルに、「印象深いけれど、ちょっと影のある善玉キャラクター」が持つ典型的な要素を複数持たせている。この点で、彼女もまたストーリーと同様にパッチワークの産物といえよう。そしてその裏にあるのは、「この程度に設定しておけば、ストーリーを楽に動かせ、読者に感情移入させ、しかも社会の暗部に切り込んだことになるだろう」という安直な創作姿勢なのではないか。
 そしてより深刻な問題となるのは、先述のとおり、三部作のさまざまな構成要素を結合するモノが、サランデルしかないということだ。彼女に魅力を感じるどうかで、作品全体の評価がガラリと変わってしまう、これはつまり、サランデルに魅力を感じない「だけ」で、作品が楽しめなくなることを意味する。


 もう一方の主人公ミカエル・ブルムクヴィストの方にも問題は多い。彼とその雑誌《ミレニアム》は社会正義を標榜している。しかし彼らのジャーナリズムや自分たちの立場に対する楽天的な信頼は、二十一世紀の小説にしてはあまりにも能天気である。これは、わかりやすい悪徳企業や政府権力を敵にしたことで、「何が正義なのか」という葛藤をスキップしてしまったことが大きい。善玉は善玉、悪は悪とはっきりしっかり分かれた素晴らしい世界においては、相手を一方的に糾弾すれば足りるのだから、作者としても登場人物としても、こんなに楽なことはあるまい。しかし小説としての底が浅くなるのは避けられない。三部作全体ではかなり長い話なのだから、他にいくらでもやりようはあったはずなのだが。
 なお、ここで「お前はエンターテインメントに何を求めているのだ」と言われても困る。ご大層にも社会正義を作品の中心に据えたのは、他ならぬ作者自身である。その扱いが軽薄であったなら、批判に晒されて当然だろう。
 おまけにサランデルの強烈なケレン味に押されて、ミカエルの存在感は特に第二作以降、希薄化してしまう。チート主人公に作品全体が寄りかかる構図は、第二作以降さらに強まってしまうのだ。


 キャラクターについては、非常に興味深い書評がハヤカワミステリマガジンの2009年9月号(第643号)に掲載された。川出正樹氏と吉野仁氏によるクロスレビューである。あそこではお二人とも、リスベット(またはブルムクヴィスト)の言動や魅力から、作品の本質を看破するという手法を選択された。しかし登場人物に全く感情移入できない私には、お二人の言うことは何一つ響かない。はっきり言えば、どちらもオーバーリードにしか見えないのである。これが意味することはただ一つ。川出氏と吉野氏といった書評の名手であっても、「キャラクターに魅力を感じるか否か」という、読者の個人差が極めて大きくゆえに書評時の扱いも慎重を要する事項に依拠してしまうほど、ミレニアム三部作はキャラクターに多くを頼った作品なのである。ハイリスク・ハイリターンな小説手法なので一概に悪いとばかりは言えないことは認めるが、小説としてバランスが悪いことだけは指摘しておきたい。
 本当に素晴らしい作品とは、たとえキャラクターに共感できなくても、なお楽しめる作品を言う。ミレニアム三部作は、キャラクターに共感できなくなった途端に、全ての粗が露呈してしまう。そんな作品を賞賛することは、私には絶対にできない。

(つづく)

ミレニアム2 上 火と戯れる女

ミレニアム2 上 火と戯れる女

ミレニアム2 下 火と戯れる女

ミレニアム2 下 火と戯れる女

問題提起・ミレニアム三部作は本当に傑作なのか? その1(執筆者・酒井貞道)

 スティーグ・ラーソンのミレニアム三部作は、多くのプロの書評家が絶賛し、web上で見かけるアマチュアのレビューも大半が肯定的だ。
このブログでも状況は同じである。北上次郎氏いわく、今年の翻訳ミステリは、スティーグ・ラーソンのミレニアム三部作で決まりらしい。「2009年、私のベスト10暫定版」で登場した評論家9名中、実に6名がこの三部作の名前を挙げたのだ(しかも小山正氏も、実質的にはミレニアム三部作を年間ベストと断じている)。
『ミステリが読みたい! 2010年版』では総合1位、『文春ミステリ・ベスト』でも見事1位を獲得。この分では『このミステリーがすごい! 2010年版』で高順位に付けるのもほぼ確実である。翻訳ミステリー大賞の一次投票でも、確実に名前が挙がるだろう。
 しかし本当にそこまで素晴らしい作品だろうか? 個人的には重大な疑問が二点ある。一つは構成上の問題、もう一つはキャラクター造形である。

 まず構成の点から。ミレニアム三部作のストーリーは、パッチワークの産物である。
 三長篇とも、読んでいる最中は確かに面白い。次から次に新エピソードや急展開、新要素が繰り出されるからである。しかし場面場面がバラバラに自己主張するだけで、各長篇を一貫する有機的結合は全く感じられない。作品全体がうまく一つの像を結んでおらず、実に薄っぺらいのだ。途中のどのエピソードでも良いので複数をばっさりカット、それこそ百ページ単位で削ったとしても、多分全く問題はないし、読後感もそう変わるまい。これをどう考えるかだが、素直に解釈すれば「無駄が多過ぎる」ということになるはずである。
 個々のエピソードはそれなりに楽しめるので、ミレニアムがゴミだと言うつもりはない。しかしそれらのまとめ方に難があるのだ。杉江松恋氏は「(各)要素を他の作品と比較してみたら、一歩譲るところだってあるだろう。だが、そうした形で欠点をあげつらって批判しても本書の場合はあまり意味をなさない。複合体として優れた小説だからだ」と説くが、私は全く逆の見解である。各要素は合格点だが、複合体としては完全にアウト。面白そうなエピソード、緊迫感が強そうなシチュエーション、カッコ良さそうな情景を思い付き、それらを取捨選択せず適当に全部ぶち込んだだけとしか思えない。さすがに並べる順番は多少考えたようだが、それはミステリにおいては当然のことであり、特に加点すべき理由にはなるまい。小説とは、要素が多彩であれば良いというものではない。各要素自体が良ければそれで面白くなるものでもない。それらをどうつなげ、いかにまとめるかが重要である。ミレニアム三部作はこれに失敗している。古山裕樹氏は「多彩なアイデアが豊富に詰め込まれた」と説くが、私に言わせれば「豊富」ではなく単に「雑多」なだけだ。

(つづく)

ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女 上

ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女 上

ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女 下

ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女 下

新潮社12月の新刊

『片腕をなくした男』(上・下)/Red Star Rising
ブライアン・フリーマントル(Brian Freemantle)/戸田裕之・訳
新潮文庫/定価:本体各629円(税別)/
ISBN:上巻=978-4-10-216560-7 下巻=978-4-10-216561-4
 チャーリー・マフィン完全復活!
 モスクワの英国大使館の中庭で男の遺体が発見された。顔面は後頭部を至近距離から撃たれた銃弾で消失、右手の指紋も塩酸のようなもので消されていた。そのうえ、左腕までもがない。ロシアへと飛んだ英国情報部員のチャーリー・マフィンは現地当局と捜査を開始するが、ロシア側はギャング間の抗争だとして事件を早々に終結させようとする。そんななか、大使館内で盗聴器が見つかった。館内に二重スパイが存在するのか?
 遺体の身元調査はいっこうに進まない。盗聴器を仕掛けた犯人も、二重スパイも見つけられずにいる。焦るチャーリーをよそに、マスコミはこの事件を大々的に報道し、英露関係の危機が強まっていた。そんな折、必要以上に接触してくるCIA工作員アメリカは何を企んでいるのか。孤立無援のチャーリーは一世一代の賭けに出ようとするが、その勝算は……。
シリーズの行方を大きく暗示する緊迫の最新作!
 1979年に始まった大好評シリーズも今年で30周年。海外エンタの超定番をどうぞお楽しみください。

片腕をなくした男〈上〉 (新潮文庫)

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片腕をなくした男〈下〉 (新潮文庫)

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翻訳ミステリー大賞一次投票の開票進む!


【都内某所における開票作業。写真・左:田口俊樹、右:杉江松恋
 2009年に刊行された翻訳ミステリーの中から最優秀作を選ぶ翻訳ミステリー大賞は、いよいよ明日9日に最終候補5作が発表されます。ネット上での報告は、10日未明になる予定。どんな作品が残ったのか、結果をお楽しみに。