第四回はスペンサー・クインの巻(執筆者・片山奈緒美)

「犬界にサム・スペード現る?」

Dog on It: A Chet and Bernie Mystery (The Chet and Bernie Mystery Series)

Dog on It: A Chet and Bernie Mystery (The Chet and Bernie Mystery Series)


 あなたは犬派? 猫派?
 ハードボイルドな孤高の放浪犬が語る『のら犬ローヴァー町を行く』(マイクル・Z・リューイン)のあとがき冒頭で、訳者がこの質問に触れている。聞かれる前に答えるなら、わたしは断然、犬派である。じっさいに犬を飼っていることもあり、犬がらみの本、とくに犬が出てくるミステリは買わずにいられない病にかかっているほどだ。


 しかし、どことなくミステリアスな空気をまとっている猫に比べると、謎とは縁遠そうな犬はミステリ作品になりにくいという話を聞く。あ、そういえばそうかもと思われるだろうか? いやいや、待ってほしい。猫ミステリに負けてなるものか。今月は犬好きな人も、そうでない人も楽しめる犬ミステリ、Spencer Quinnの"Dog on It"をご紹介しよう。


 主人公は私立探偵バーニーの飼い犬兼相棒のチェット。シェパードを思わせる立ち耳の大型雑種犬である。知力体力すばらしいが、K−9と呼ばれる米国の厳しい警察犬訓練を受けて優秀な成績を収めたものの、最終試験中に横切った猫に気をとられて不合格になったという詰めの甘さが玉にきずだ。


 物語はこのチェットの視点で進行する。チェットは五感をフルに働かせた自分なりの調査でバーニーを助け、すばらしい観察力で摩訶不思議な人間界を一刀両断する。だが、多少賢くても、やはり犬。ちょっととぼけた味のあるチェットのナレーションを読みながら、つい、ぷっと吹き出してしまったり、犬であるがゆえの運命に同情せずにいられない。

「チェット――何に吠えてるんだ?」
ワンワンワン、ワンワン(おれが吠えただって? おっといけない)


旧姓だって? 何だってまた? まったく人間ってやつはみんな、しょっちゅう名前を変える。おれにはわかんないね。おれはチェット。単純明快だ。


「ねえ、ママ。かわいいワンちゃんがいるわ」
「あまり近づかないでちょうだい」
「でも、撫でてもいいでしょ?」
「ばかなことしないで。ママ、アレルギーなのよ」
おれの大嫌いな言葉だ。

 このチェットのご主人で私立探偵バーニーは、大嫌いな離婚問題の仕事を受けてなんとか生活している。元警官で探偵としてもそれなりの腕を持つのだが、なにぶん探偵業で食べていくのは厳しい。最愛の息子の学費を仕送りできず、別れた妻にどやされたりと、やや情けない日々を過ごしている。


 ある日、バーニーのもとにマディソンという女子高生の失踪事件の調査依頼がはいる。ところが、誘拐事件にしては身代金の要求がなく、マディソンがほんとうに行方不明なのか、誘拐なのか家出なのか、たんに遊びに夢中で自宅に連絡をしていないだけなのか、これがさっぱりわからない。ともかく高校生が丸二日無断で家を空けたとなると、ふつうではないのは確かだ。離婚問題の依頼が続いて嫌気がさしているバーニーは、嬉々としてマディソン探しに乗り出す。


 だが、それからがたいへんだった。ひたすら娘を心配する母親シンシアや、どことなく胡散臭いシンシアの別れた夫(マディソンの父)デイモンにやいのやいの言われながら細い手がかりを辿っていくと、マディソンの交友関係にマリファナのディーラーが浮かびあがったり、自宅からはかなり遠いラスヴェガスでの目撃情報がはいったり。さらに調査と関係があるのかないのか、チェットが見知らぬ男に切りつけられたり、車に轢かれたり、怪しげな男たちに監禁されたりもする。


 やがて、マディソン本人から無事を知らせる電話がかかってくるが、帰宅する気配がない。とうとうこの騒動の裏に気づいたバーニーは、シンシアやデイモンに調査終了を言い渡されたというのに事件の奥深くに首をつっこみ、自らの命を危険にさらしてしまう。


 こうしたストーリーが、ときおり本能のままに夢中で穴を掘ったり、人間がくれるごちそうにふらふらと吸い寄せられたりする、いかにも犬らしい犬の正直な視点で語られている。バーニーは新聞記者のスージーに密かに思いを寄せているのだが、チェットが初対面で彼女を気に入るのも、犬ならではの直観がなせる技だ。犬だからわからない事情もあれば、犬だからこそ感じとる真実もあり、チェットの語りを読んでいると、地面から近い高さで世のなかを見つめているような不思議な感覚を味わえる。何より人間と違って裏も表もなく、ただただバーニーを信頼し、いざというときには自分の危険を顧みずに助けようとする姿が胸を打つ。これがデビュー作だというのにやってくれるなあ、Spencer Quinn。世知辛い世のなかだもの、やっぱり人情(いや、犬情?)だよね。


 スティーヴン・キングがこの作品に寄せた賛辞がふるっている。

「Spencer Quinnはふたつの言語を流暢に話す――すなわち、サスペンスと犬語を。ときに笑いを誘い、ときにほろりとさせ、いくつかの場面では心底ぞっとさせる」

 そのキングに「生きる喜びに満ちた、犬界のサム・スペード」とも賞されたチェットとバーニーのシリーズ第二弾"Thereby Hangs a Tail"もすでに刊行されており、ショードッグの世界で起きた脅迫事件を調査する。バーニーにとっては重要問題であるスージーとの仲もいくらか進展するもようだ。


 そうそう、チェットが「書いて」いるブログ(http://www.chetthedog.com/)ものぞいてみてはいかがだろう。犬の本音は意外に人間の本音と共通項が多いかも。


片山奈緒

のら犬ローヴァー町を行く (Hayakawa novels)

のら犬ローヴァー町を行く (Hayakawa novels)

新潮社2月の新刊

ノストラダムス 封印された予言詩』(上・下)/THE NOSTRADAMUS PROPHECIES
マリオ・レディング(Mario Reading)/務台夏子・訳
新潮文庫/定価:本体各667円(税別)/
ISBN:上巻=978-4-10-217521-7 下巻=978-4-10-217522-4
 あの予言には続きがあった!
 フランス王家を心酔させた大預言者ノストラダムス。世界滅亡をも予言したといわれる彼が遺した四行詩は10世紀分、1000篇。だが、現存しているのは942篇――残りの58篇はどこに? 
 ときは現代――。ふたりの男が同時に四行詩の手がかりを得たことで、失われた予言詩をめぐる熾烈な競争が始まった。その一人であるアメリカ人作家サビアは、ジプシー惨殺事件の嫌疑をかけられて逃亡していた。そして彼を追い続けるフランス外人部隊の元兵士。やがてサビアは、ジプシーのあいだで伝わる暗号めいた四行詩の存在を知る。その中に出てくる“黒い処女像”が意味することは? フランス・パリからサモワ地方へ、そしてスペインへと続く探索行の果てに、サビアの前に現れたのは……。明らかになる歴史の闇、1999年を乗り越えた人類を待つ運命とは?
ノストラダムス研究の第一人者が挑む世紀の謎、圧巻の歴史冒険ミステリ!

ノストラダムス 封印された予言詩〈下〉 (新潮文庫)

ノストラダムス 封印された予言詩〈下〉 (新潮文庫)

ノストラダムス 封印された予言詩〈上〉 (新潮文庫)

ノストラダムス 封印された予言詩〈上〉 (新潮文庫)