#4『ベローナ・クラブの不愉快な事件』

 ピーター・ウィムジイ卿シリーズをピーターのキャラクター的成長から読み解く、というこの試みも第四回。はたして楽しんでくださってる方はいるのかしら、といささかの危惧を抱きつつも、今回もやってまいりました。今日は第四巻、『ベローナ・クラブの不愉快な事件』創元推理文庫浅羽莢子訳、1928)。

ベローナ・クラブの不愉快な事件 (創元推理文庫)

ベローナ・クラブの不愉快な事件 (創元推理文庫)

◆ピーター卿シリーズ前半部における女性観・総括


 この巻ではピーターが参戦した第一次世界大戦の人間関係が話の中心となる。退役軍人の集まるクラブ、ベローナ・クラブ。戦没者記念祭の日、そこで暖炉の前に一日腰掛けているのが通例になっていた老軍人、フェンティマン将軍が座ったまま死んでいるのが発見された。
 とはいえ、老齢の上、以前から心臓の弱っていた老将軍の死には疑うべき点はあまりなく、その場はそのまま帰宅したピーター。だが翌日、尋ねてきたマーブルズ弁護士がやっかいな問題を持ち込んでくる。なんとフェンティマン将軍には財産家の妹レディ・ドーマーがおり、その彼女は、兄とほとんど日時を同じくして亡くなっていたというのだ。
 いったいどちらが先に死んだのか? 兄が先か妹が先かによって、レディ・ドーマーの莫大な遺産の行き先が決まってしまう。困惑したマーブルズ弁護士は、フェンティマン将軍の正確な死亡時刻を調査してもらうべく、ピーターのもとに相談に訪れたのだった。依頼に応じて聞き込みを始めたピーターだったが、事態は二転三転と……


 さて、この『ベローナ・クラブの不愉快な事件』のあとがハリエット・ヴェインの登場する『毒を食らわば』となるので、ここまでが〈ピーター卿〉というキャラクターの第一段階、と見ておいてもいいと思う。実をいうと、この小文の主題、〈ピーター卿のキャラクター的成長を追う〉というテーマは、この巻の大津波悦子さんによる解説を読んだからなのだ。

 ピーター卿の結婚相手となるハリエット・ヴェインが登場するのは次作の『毒を食らわば』から。となれば本書は卿が結婚を意識せずして暮らしていた最後の時代となるわけです。


 とある通り、この巻ではピーターの口から彼の結婚や女性観に関するいくつかの発言がある。

「極めて正しい」ウィムジイが小声で言う。「僕は親になど永久にならないつもりだ。立派な古い伝統の崩壊や現代風の作法のせいで、何もかもめちゃくちゃになってしまっている。それより、人間を卵から品よくさりげなく生まれさせる最善の方法研究の提唱に、一生と財産を捧げることにしよう。親としての責任は全て、孵化器に帰せられる」

「結婚すると人がどれだけ不作法になるものか、見るたびにむかむかさせられる」とウィムジイ。「避けられないことなんだろうが。女っておかしいよね。男が正直で忠実かどうかより──弟さんはそのどちらでもあるはずだが──ドアを開けてくれたり、『ありがとう』と言われたりすることのほうが、倍くらい重要だと思っているみたいだろう? 何度も見てきている」

「何人もの人に訊いてみたんだ──いつもの詮索さ──だがおおむね、ふんと鼻を鳴らして、自分たちの細君は良識があるから、愛されていることくらい言わなくてもわかっている、と言うだけだった。だがね、女に良識なんて、いつまでたっても持てるわけないと思う。いくら夫とのつきあいが長くなっても」


 うわあムカつく(笑)
 この後ハリエットに恋した自分がどれだけの辛酸をなめることになるか教えてやりたい気もするが、こんな考えを持っていたのでは、五年間の努力と内省が必要になるのも仕方がなかろう。
 というか、『自分の細君は良識があるから』なんて思っている旦那様は、現代でも多いのではないのかな? いやいや、良識があるからこそ、女性というのは鋭く男性を見ているし、自分を本当に大事にしてくれているか、それともただの自動家事&子育てマシーンとしか扱っていないか、という点を厳しくはかっているものなのです。ほんのちょっとの気遣い、それだけでいいのに、なぜそれを面倒くさがるのですかねえ。いちいち口に出すのは男らしくないとでも思ってるのかしらん。
 家のことが妻たるものの当然の仕事、俺に黙ってついて来い、金さえ入れていればいい、仕事をちゃんとしていればいい、浮気しなければ(バレなければ)いい、なんて気を抜いてぼーっといると、定年のその日にいきなり離婚届を突きつけられて、途方に暮れる羽目になるのです。世の男性方、どうぞお気をつけあそばせ。


 ま、それはともかく、ピーターのことである。
 この巻のピーターのキャラにあまりブレはない。上記のとおり、わりあい女性に関して(あとでキツーいしっぺ返しを食らうとも知らず)一般的な「男性」的立場を取り、「危機に際しては女の人はばか扱いする必要がある、という先祖代々の発想のせいです」と言い放ち(まあそのあとでフォローはしてるけど)仕方ないことではあろうが、女性に対して(紳士的態度、という名の)優位に立つことを無意識に選択している。
 まあ別にそれが悪いことであるとは私も思わない。無意味に女性に対して乱暴をはたらいたりするよりははるかにマシであるし、そういう態度をとられることで満足する女性ももちろんいるのである。

◆ハリエット・ヴェイン登場への序曲


 しかし、書き手であるセイヤーズの本音は、そんなピーターを囲む女性たちから少しずつ漏れ出ている。
 たとえば問題の遺産の持ち主レディ・ドーマー。彼女は親の決めた結婚を拒否し、ボタン作りの商人と結婚する行動力と決断力を持っていた。(『雲なす証言』『毒を食らわば』に登場する、親の結婚を拒否するお嬢さんたちもなかなかの行動力揃いである)
 また事件の関係者であるジョージ・フェンティマン大佐の妻、シーラ・フェンティマン。大戦のために体を悪くした夫を支えて懸命に働いている彼女なのだが、男の沽券にかかわるのか何か知らないが、毎日がんばっている奥さんに対して、この旦那のジョージがもう苛つくったらないのだ。

「そうとも! 亭主なんてものはどうでもいいんだ。きみら進歩的な女にはな。どんな男だっていいのさ、金さえあれば──」
「『きみら』進歩的な女ってどういうことよ! わたしもそうだとは言ってません。わたしは働きに出たりなんてしたくない──」
「ほら、まただ。何でも自分のことだと思ってしまう。君が働きたくないことぐらいわかってる。僕がどうにもならないんで、しかたなく働いてるのも知ってる。何度も言うことないだろ。自分が敗残者だってことぐらい、よくわかってるよ」
「ジョージ、そんなふうに言われる筋合いないわ。わたしはそういう意味で言ったんじゃない。あなたがさっき──」
「自分の言ったことぐらいわかってるさ。だがきみは完全に曲げて取った。いつだってそうなんだ。女と議論なんて、するだけ無駄だね。いや──もうたくさんだ」


 ……あああああいらいらするう!! もうたくさんなのはおまえじゃあ!(どんがらがっしゃん)
 このあたりの夫婦喧嘩のリアルさはぜひ本文を読んで確かめていただきたい。同席したピーターのいたたまれなさときたらたまらなかっただろう。まあ一言ごとに奥さんの揚げ足を取るわわざと話をそらすわねじ曲げるわで、そりゃあ色々と事情もあるのかもしれないが、こりゃダメだよ奥さん、とついみのもんたになってしまうくらいである。
 読んでいるだけで苛ついてくるこのシーンを現在にも通じるほどリアルに描き出すセイヤーズの筆力にはあらためて感じ入るが、現実のセイヤーズが経済的にも、また男性関係にも恵まれなかったことを考えると、いささか胸の痛むものがある。もしかしたらこれは、セイヤーズが実際に味わったにがい経験から出てきた描写なのかもしれない。今も昔も、男というものはどうやら厄介な生き物であるらしい。


 ところでここではふたりの女性をピックアップしたい。
 ます、ピーターの友人マージョリィ・フェルプス。陶人形を作って生計を立てるアーティストである彼女は、ピーターとは色恋抜きの気楽な友達として付き合っているようだ。少なくともピーターはそのつもりでいる。
 だが、本作のラストで、彼女はピーターに冗談ぽく結婚を申し込む(あるいは、それとなく愛情を告げる)。

「人には恋をしたがる権利があるのよ。あなたがた男の人はいつだって──」
「僕は違うよ、マージョリィ、たぶん」
「ああ、あなたはね! 人間らしいと言っていいくらいだわ。誘ってくれればわたしだって受けると思う。その気はなくて?」


 軽い調子で発されたこの言葉だが、私としては、マージョリィはかなりの気持ちを込めてこの告白をしたのではないかと思う。だがピーターの返事は、

「かわいい人──深い好意と友情で足りるんだったらいいとも──すぐにも。だがそれじゃあなたが満足しないだろう」


 言葉はやわらかいが、つまり「好きです」と言われて「ごめん、友達としか思えないけど、それでもいい?」と返しているのだ。ずいぶん虫のいい話ではないか。
 のちに、これと(内容的には)ほぼ同じ返事を、愛するハリエットから返されるとは、さすがのピーターも予測していなかったに違いない。セイヤーズがそこまで考えていたかどうかはわからないが、マージョリィに対するこの時の態度は、ほとんどそのままピーター自身に跳ね返ってくることになるのである。


 さてもう一人は、物語のキーパーソンの一人、アン・ドーランド嬢である。
 あまり美人ではなく、服装も冴えない。何かの切り盛りをさせたら上手いが創造的才能は皆無(彼女の絵を見せられたピーターが衝撃を受けるほどヘタらしい)恋愛関係でうまく行ったことは一度もなし。いわゆる「喪女」ということか。パーカーには「なんと魅力のない娘だろう」と、さんざんな言われ方。
 ただしピーターにはその魅力がわかったようで、食事の席でワインにこと寄せて彼女に告げた助言はなかなか的を射ている。この巻のラストで、彼女はどうやらある男性と恋に落ち、いずれは結婚するであろう未来が示唆されているのだが、まさに相手は彼女にぴったりの男のようだ。まあ相性、というものは何にでもあるのだから、自分にふさわしい相手を見つけさえすれば、幸せはそこにあるのかもしれない。


 解説の大津波さんには「ドーランドには容姿のコンプレックスに悩まされていたセイヤーズ自身の投影があるのかもしれない」と指摘がある。私もそういう気がする。
 セイヤーズは「ハリエットとピーターを結婚させてシリーズを終わらせる気だった」という。アン・ドーランドに待っている未来は、まさにハリエットにセイヤーズが与えようとしていた結末に見える。

「僕にだって、知性と人格の備わった女の人に好意を持つことは許されてるはずだ」


 だが、ハリエットはアン・ドーランドではなかった。セイヤーズがドーランド嬢よりはるかに自分自身を深く投影してしまったハリエット・ヴェインは、確かな知性と人格を備えた人物となった。彼女はついにセイヤーズの構築した予定調和の世界、お手本通りのロマンスを打ち壊し、道化役者のお人形だったピーターに、人間への新たな一歩という茨の道を踏み出させる、大きな契機を与えることになるのである。


五代 ゆう(ゴダイ ユウ)


 ものかき
 blog: http://d.hatena.ne.jp/Yu_Godai/?_ts=1286988042
 読むものと書くものと猫を与えておけばおとなしいです。ないと死にます。特に文字。
 
〔著作〕
パラケルススの娘』全十巻 メディアファクトリー文庫/『クォンタムデビルサーガ アバタールチューナーハヤカワ文庫JA全五巻/『骨牌使いの鏡』富士見書房 等
 
 書評をしていく予定の本:活字中毒なので字ならばなんでも読みます。節操なしです。どっちかというと翻訳もの育ちですが日本の作家ももちろん読みます。おもしろい本の話ができればそれでしあわせなのでおもしろいと感じた本を感じたまんまに書いていこうと思います。共感していただければ光栄のきわみです。

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