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2013-06-26

第十だらだら(空港管制官はどうしゃべる?)

 

 プライベートのほうで(まるで消火器詐欺みたいな書き方ですが)いろいろとあったものだから、まるまる一年あまりもこのコラムをお休みしてしまった。もう死んだのかな、と思った読者も多かったでしょう。安心してください、まだしばらくは生きてます。

 ま、それはこっちへ置いといて……。

 

 まず、最初に断っておかなくてはいけないが、わたしは本の虫である。といっても、前世が紙魚であるとか、ご先祖様がダイオウグソクムシだとか、そういう話ではない。子供の頃から本が好きで、図書館に入り浸って日本の小説も外国の小説もずいぶん読んでいた。純粋に経済的な問題を別にすれば、本を買うことにためらいはない。

 だからというわけではないが、まだ駆け出しの翻訳者時代、航空パニック小説をはじめて訳すにあたって、とにかく参考書を買いこんだ。当時はインターネットなどまだ影も形もなかったので、調べ物をするなら図書館に行くか、専門書を買いこむしかなかったのだ。実は編集者時代に、なかなか犢觀飜瓩離僖縫奪小説を担当したことがあって、「無知による間違い」「無神経による間違い」にいささか過敏になっていたことは事実だと思う。

 で、とにかく関係の有りそうな資料を手当たり次第に買いこんだ。『世界航空機年鑑』『航空用語事典』『航空工学講座 航空英語入門』『新航空管制入門』『運輸省航空局管制方式基準』『飛行機メカニズム図鑑』等々。言うまでもなく、小説で取り上げられている事実の基本的概念を抑えていなければ、いかに辞書を積み上げても翻訳はできない。わたしは小説中に自分が知らない言葉が出てきた時に、たとえば「ボーイング707」という言葉を記号としてそのまま訳すのではなく、どんな形のどのくらいの大きさの旅客機なのかなど確認したいという性格なので、図録、図鑑のたぐいも買った。航空機の形や構造、空を飛ぶ原理などは分かっても、本ではわからないことはある。以前にも書いたが、友人の父君が日航の国際線の機長だったので、いろいろ教えてもらえたのはありがたかった。前述の豪傑訳もその方のおかげでかなり訂正することができた。

 それでも、翻訳する上で困ったのは乗務員の言葉遣いや、管制官とのやりとり。以前にも書いたことがあるが、航空管制官とパイロットとのやりとりは、すべて英語で行われる。それは英米ばかりでなく、東ヨーロッパであろうが、南アフリカであろうが、日本国内であろうが同じことだ。

 

 たとえば、拙訳『ロボポカリプス』の原文にはこんな一節がある。

 

American 1497. This is Denver approach. Climb immediately to 14,000 feet. You have traffic at your nine o'clock. Fifteen miles.

 

 これはデンバー空港の管制官が、旅客機のパイロットに呼びかけた言葉だ。

 日本国内を含め、世界中のすべての管制官とパイロットとの交信でこれと同じような言い方がされている。翻訳というものが、原文を日本国内で通用している単語と用法とに置き換える作業だとすると、この場合は日本人パイロットと日本人管制官とが実際に話しているように、「アメリカン1497。ディスイズ・デンバー・アプローチ。クライム・イメディエットリイ……」とカタカナ表記で訳出(!)すべきことになる。もちろん、そんなことは問題外だ。なぜ問題外かというと、そんなことをして、いくらカタカナを羅列しても、読者に対して、なんの情報も与えられないからだ。このあたりのことは、これまで書いてきた訳注の意味というのと、共通点があるといえるだろう、つまり訳注の意味とは、作者や訳者の知識をひけらかすことではなく、読者に対してどれだけ(小説を楽しむ上で)有用な情報を与えられるかに尽きるからだ。

 

 話を戻すと、上記の英文は、アメリカン航空1497便。こちらデンバー進入管制。ただちに高度一万四千フィートに上昇してください。九時方向に他の機があります。距離は十五マイル」と訳した。ちなみに九時方向というのはアメリカン航空機から見て、左真横ということ。さて、この九時方向というのを訳注にするかどうか? 英米の軍事、警察物でも当たり前のように使われている言い方で、地面に時計の文字盤を置いたという感覚で、真正面が十二時、真後ろが六時になる。

 この表現は海外の映画やテレビドラマの中で警察官や軍人が普通に使っているので、もはや常識の範囲内だろうと勝手に思いこんでいたのだが、昨年の夏頃、意外な発見をした。新聞の読書欄で、編集者が自分の手がけた本を紹介するというコーナーがあったのだが、そこで某社の編集者が日本人作家の新作『12オクロック・ハイ』に絡んで、「12時の方向(真上)に敵がいる!」という意味です。」と書いていた。元になった古い映画『頭上の敵機』の原題が12 O'Clock High瓩覆里粘違いしたのだろうが、「頭上」の部分はHighだけですから。原題の正しい訳は「前方上空」です。ちなみに「敵機」は bandit という。この編集者は壁にかけてある時計の文字盤を見て早呑込みしたんだろうなあ。いろいろ悩んだ末に、結局、「九時方向」に訳注は付けなかった。

 

 同じように訳注は付けなかったが、ただし地の文で言葉を足した例をひとつ。同じく拙訳の『CSI:科学捜査班 鮮血の絆』の中で、連続殺人犯の人物像に決まりきったパターンなどないと説明している以下のようなセリフが出てくる。

 

Gacy was a clown, Bundy a law student, Juan Corona a labor contractor who killed two dozen for fun and profit.

 

 文字通りに訳せば、「ゲイシーはピエロだった。バンディはロー・スクールの学生だ。フアン・コロナは出稼ぎ労働者で、快楽と金のために20人(厳密に訳せば24人)以上殺した」となる。ただしアメリカ人ならともかく、ほとんどの日本人ではこの描写だけではゲイシーやバンディが誰だか分からないはずだ。話者の一定の感情がこめられているセリフに詳細な訳注を入れて雰囲気を壊すのは嫌いだし、この場合は、読者が誤解しかねない書き方なので、小生は以下のように言葉を足してみた。

 

「シカゴの連続殺人犯ジョン・ウェイン・ゲイシーは資産家でピエロの扮装をして犯行を重ねた。若い娘ばかり狙ったシアトルの殺人鬼テッド・バンディはロー・スクールの学生だった。カリフォルニアのフアン・コロナは出稼ぎ労働者で、快楽と金のために二カ月間で20人以上も殺した」

 

 原文では「二ダース」になっているのを「20人以上」にしたのは、実際の裁判では被害者は25人と認められたため。日本人の感覚だと二ダースは24きっかりであって、25ではない。このあたり、原文はアメリカ人の感覚では「嘘」でも「間違い」でもないのだろうが、日本人の感覚とはちがうので、あえて曖昧にした。

 ただ、こういう(言葉を足す)処理の仕方は訳者によっては異論があるかも知れない。あくまで娯楽読み物としての(読みやすさ、分かりやすさを優先した)工夫だということを肝に銘じて。

 

デーモン(上) (講談社文庫)

デーモン(上) (講談社文庫)

デーモン(下) (講談社文庫)

デーモン(下) (講談社文庫)

 ここで唐突に話題を変えるが――。

 『デーモン』(ダニエル・スアレース著、上野元美訳、講談社文庫)という本を手にとったとき、よくもこんな面倒くさい仕事を引き受けたものだな、と思った。誤解のないように言っておくと、呆れたわけではなく、感嘆したのだからね。もうひとつ断っておくと、翻訳者は知人である。女性だが軍事物の翻訳もいろいろ手がけている中堅どころの翻訳者。ただし、今回この本を取り上げたのはその内容に関してであって、決してその翻訳者とわたしが知り合いだからというわけではない。もっとも、翻訳書の編集者をしていて、その後翻訳を職業にして、ミステリ忘年会に何年も顔を出していると、たいていの翻訳者は知人だと言っても間違いはないのだが。

 本題に戻ろう。何が面倒くさいかと言うと、『ロボポカリプス』もそうだったが、本書もコンピュータ関連の用語が頻出する。コンピュータ、ゲーム、プログラミングというのは、まずそれぞれの分野で独特の専門用語が無数にある。普通名詞、ありきたりの形容詞、動詞に見えても、実はその分野で独自の意味や用法があったりする。同じゲーム会社の中でも、特定の単語の意味が部局によって異なることも珍しくないほどだ。今はネットを使っての調べ物ができるし、原作者に質問することも簡単にできるので、ある程度楽にはなったが、それでも訳者の無知、勘違いによる誤訳の危険は常に付きまとう。前にも書いたことだが、作者は自分の知っていることだけを書けばいい。知らないことは書かなければ済むからだ。ところが、訳者のほうは、作者が知っているいないにかかわらず、すべてを調べなければならない。手間と報酬を考えると、作者より訳者のほうが絶対に損だ。

 さらに、コンピュータ、ゲーム、プログラミングは、読者の知識の程度がとんでもなく多様になっているおそれがある。作品はエンターテインメントなので専門家だけが読むわけではない。たとえば、パソコンには触れたこともなく、携帯電話でメールをするくらいという人も読めば、現役バリバリのプログラマーも読むかもしれない。そうすると訳し方、訳注、読者をどのレベルだと想定するか、編集者とも相談して、かなり頭を悩ませなければならない。

 

 ここで、自分が詳しい知識を持たない分野の翻訳をする場合の落とし穴について。その分野の参考書(実は、知識のない人間に正しい参考書を選べるかという問題もあるが)を漁るなり、検索をするなりで済む場合はいいが、自分の理解が正しいのか、解釈に間違いはないのか不安が残る場合は、専門知識を持った他人に訊くしかない。

 ところが、そこに大きな落とし穴が待っていたりする。まず、専門知識を持った人物を探すのが至難の業だ。その方面の研究者学者でも、あなたが知りたいことを知っているとは限らない。ことに象牙の塔の住人だと自分が全知全能だと思いこんでいる人もいて、トンチンカンなことを教えてくれたりする(実話)。

 その方面の広い、正しい知識を持ち、ある程度は英語がわかって、専門家と一般人との違いも心得ている……という人物が理想なのだが。

 ちょっと長くなりすぎたので、次回に続く。

 

 

鎌田 三平(かまた さんぺい)

1947年千葉県生れ。明治大学文学部卒業。主な訳書にカミンスキー『CSI:ニューヨーク 焼けつく血』、バトルズ掃除屋クィン 懸賞首の男、クリード『ブラック・ドッグ』、アボット『パニック!』、レヘイン『愛しき者はすべて去りゆく』など。

 

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