第29回:『華文推理系列』第三集で気付かされた中国ミステリーの魅力(執筆者・阿井幸作)

 

現代華文推理系列 第三集

現代華文推理系列 第三集

 稲村文吾氏が「これだ!」という中国語の短編ミステリーを発掘し、氏自身が日本語に翻訳し、電子書籍として刊行する『現代華文推理系列』第三集が11月に発売されました。今回刊行された作品は台湾の作家・藍霄『自殺する死体』(原文タイトル:自殺的屍體)(1995年)、同じく台湾の作家・陳嘉振『血染めの傀儡』(染血的傀儡)(2008年)、そして中国大陸の作家・江成『飄血祝融(2011年)です。
 
 本作については翻訳者である稲村氏自身が先日、[訳者自身による新刊紹介]のコーナーの『現代華文推理系列 第三集』(執筆者・稲村文吾)にて各作品のあらすじと紹介文を簡潔にまとめています。
 なぜ日も浅いうちに被せるように記事を書いたのかと言いますと、私がこの三つの作品を読んで気付きと感動があったからに他なりません。
 
 台湾のミステリー作品にも目を通している稲村氏に対し、北京市在住の私はもっぱら中国大陸の長編ミステリーばかり読んでいます。例えば『第4回KAVALAN・島田荘司推理小説賞』の入賞作品である『H.A.』(2015年・台湾版)と『熱層之密室』(2015年・台湾版)が翌年2016年に大陸版(簡体字)が出たので読みましたが、台湾版(繁体字)を敢えて読もうという考えはありません。とは言え大陸でも淘宝網(中国のネットショッピングサイト)などで台湾の書籍を購入できるので、簡体字訳が出るまで待ちきれないという熱心な中国人読者はそれを利用して買います。
 
 閑話休題。そういうわけでこの『現代華文推理系列』は台湾及び大陸の短編ミステリーを知る上で重宝していたのですが今作で一応の完結を迎えてしまい悲しいです。
 

藍霄「自殺する死体」

自殺する死体

自殺する死体

『自殺する死体』は何故か初めて読んだ気がしませんでした。日本語訳なんか初めて読むはずなのに、なんかだいぶ昔にどこかで読んだような既視感に付きまとわれました。まさか同作家の『錯誤配置』(2009年・和訳)と間違えているわけではないでしょうがとても不思議です。
 
 台湾の若者たちの楽しい大学生活が知人の死により一転して陰鬱なものになる…かと思えばみんな探偵気取りで被害者が飛び降りる前にすでに死んでいた(つまり死体が自殺した)という難解な事件に意気揚々と取り掛かる様子は、人の死を機械的に処理する一般的なミステリー小説の枠を飛び越えた娯楽要素のある作品へと仕上げています。また、こんなに陽気なミステリーが1995年に書かれたということにも驚きました。
 

陳嘉振「血染めの傀儡」

血染めの傀儡

血染めの傀儡

『血染めの傀儡』は中国大陸のミステリーに慣れ親しんでいた私に警察とはミステリー作品の中でどういう立ち位置にあるべきか教えてくれました。
 
 本作の問題人物・莊孝維組長(警部)は作品内の言葉を借りれば「超弩級のクズ」であり、被疑者の感情を平気で逆撫でする、怪しい人間はとにかく逮捕しようとする、部下の手柄を独り占めするなど一時期の『こち亀』の両さんみたいな傍若無人さだな程度にしか思わなかったのですが、ジョイス・ポーターの描くドーヴァー警部を意識した人物なのだそうです。
 こういう不良警官は現在の中国大陸のミステリーではまずお目にかかれないと思います。
 現在、大陸のミステリーはますますその規制を強めている感じが否めません。ある作家が大陸で禁止されている私立探偵を主人公にした作品を書いていけば発禁処分を受けるかもしれないと口にしたり、比較的審査の緩いネットドラマで数本のサスペンスドラマが残酷な表現、警察のイメージを損なうなどの理由で削除されたりして、2016年は今後の大陸のミステリーの発展に暗い影を落とした年でもありました。
 
 第9回で紹介した『季警官的無厘頭推理事件簿』は優秀だがドジでおっちょこちょいな警官の活躍を描いたユーモアミステリですが、『血染めの傀儡』のような作家の悪意すら垣間見える造型の警察官は描かれてはいません。また、第21回で紹介した『烏鴉社』は窃盗から殺人までなんでも起きる大学にある探偵サークルに所属する大学生の話ですが、作品に漂うシリアスさにより『自殺する死体』とは根本的に性質が異なります。
 
 これらのような台湾の作品を読むとやはり大陸には作家の想像力では超えられない壁があって、制約のもとに苦労を強いられており、苦境の中から生まれる創意などたかが知れているのではと思ってしまいます。
 

江成「瓢血祝融

飄血祝融

飄血祝融

 3作目の『飄血祝融武侠小説とミステリーが融合した作品で、登場する武術家たちは銅銭で相手の剣をへし折ったり、細い針を岩に刺したりする超人的な能力を持っており、武侠小説に馴染みのない方は『男塾』などを想像すればわかりやすいと思います。
 武侠ミステリー小説というニッチなジャンルには他に『冥海花』(2011年)や第17回で紹介した『這么推理不科学』(こんなミステリは非科学的だ)』(2015年)が思い当たります。ただし前者には『飄血祝融』のような派手さ(超人的な描写)はなかったと思いますし、後者は現代を舞台にして武侠小説の豊富な知識を持つ探偵が独特な視点で事件を解決するというものです。
 本作のように現実では到底不可能な技を登場させてもフェアなミステリー小説として成立している作品は上述した『H.A.』が上げられます。この作品は剣と魔法のファンタジーゲームの中で探偵と犯人に分かれたプレイヤー同士が推理ゲームをするという虚構の世界を舞台にしているという意味では似ています。『飄血祝融』も凶器などなくても指一本で人を殺せそうな人物たちが当然のように出てくる設定に驚かされますが、最後まで読み進めると確かにこの世界では理に適っていると膝を叩く推理に出会えます。
 
 日本語に翻訳された作品を読むことで私自身気に留めていなかった中国ミステリーの面白さに気付かされ、更に台湾と大陸の違いを感じさせられました。
   

阿井 幸作(あい こうさく)


中国ミステリ愛好家。北京在住。現地のミステリーを購読・研究し、日本へ紹介していく。
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