第35回 失われた声が聴こえる――インドリダソン『声』(執筆者・佐竹裕)

 
 自分がバンドなんか組んでフロントに立って拙い歌を披露するようになってからというもの、声という“楽器”が、力強さだけでなく繊細さも柔軟さも求められる、どれだけ難しいものであるかを知るようになった。しかも、声量や音程は当然のこととして、その声質が聴く側の関心を大きく左右するものなのだって。おそらく、歌い手がうたうのを聴いて「あの人は歌がうまい」と思う理由の大半は、その声が好みかどうかに左右されているのではないか。いやいや、うまいと言ってもらえないことへの言い訳でもありますが。

 美しい声ということでは、やはり「天使の歌声」と呼ばれる少年合唱団のボーイソプラノがまず思い浮かぶことだろう。その始まりをたどっていくと、11世紀頃に生まれたと言われている聖歌隊に行きつく。キリスト教以前のユダヤ教の礼拝などには、その頃からすでに少年が起用されていたという。宗教の世界ではどうも女人禁制の風潮というのがその昔からあって女性が参加することが極端に制限されていたので、より高音域の美しい声が求められる場面では、少年の歌声が必要とされたようだ。とはいえ、少年にはすべからく変声期というのが待ち受けているので、それ以前まで、美しい声のままの時期が勝負といっていい。

 そんな期間限定という希少価値も加わって、ボーイソプラノが重用される歴史は現在まで続いてきたのだ。変声期以前の少年の歌声は高い音域にあり、声量が乏しいためにか弱く清純で女声を凌駕する美しさがある。それだけに思春期を迎えて声変わりに直面したボーイソプラノ少年の苦悩たるやないだろう。残酷な言い方だけど、そこでお払い箱になってしまうわけなのだから。
 

声

 ボーイソプラノをめぐる悲劇が殺人事件の背景に秘められていたというミステリーが、北欧ミステリーの雄アーナルデュル・インドリダソンの『Röddin )』(2002年)である。レイキャビク警察犯罪捜査官エーレンデュルを主人公とする人気シリーズの第5作にあたる作品である。
 物語の舞台はアイスランドの首都レイキャビク。クリスマスの夜、外国人観光客相手ににぎわう一流ホテルの地下の小部屋で、そこに住み込んでいるドアマンがサンタの衣装を着けたまま殺害されているのが発見される。半裸で下半身を露出させた状態で、胸をめった刺しにされていた。男の名はグドロイグル。ホテルで働き誰とも交友を持たず孤独な男が、聖夜に一人で死んでいったのだ。事件を担当するエーレンデュルは、被害者が性器に装着していたコンドームからホテルに出入りする娼婦の関与を疑い、そこに付着した唾液の持ち主を探し出すよう指示する。また、ホテルの従業員全員に被害者と交流のあった者がいないかと訊いてまわる。
 やがて、じつはその被害者が、幼い頃には天才的なボーイソプラノの歌手として“子どもスター”だったことが判明する。宿泊者の中に稀少レコードのコレクターがいて、被害者と会う約束をしていたのだった。グドロイグルの歌唱が録音されたたった2枚のレコードは、いまや貴重なものとして高値が付けられているほどだという。なぜそれほどのレア・アイテムとなったのかというと、天賦の才能を開花させて絶頂にあった時期のコンサートの公演中、突然の声変わりがグドロイグルを襲って、幼き彼の名声は潰えてしまい、以降、存在すら忘れ去られてしまったからだった。吹き込んだ当人なら複数所有しているにちがいないと考えた件のコレクターがグドロイグルに取引を持ちかけたのである。被害者の父親と姉もまた、その不幸な出来事以降、関わりを避けるようになってしまい、いまや絶縁状態となっていた。
 妻とはずいぶん昔に離婚し、麻薬中毒となってしまった娘とも息子とも疎遠。自身、家族と難しい状況にあるエーレンデュルにとっては、この孤独な男の死はたんなる殺人事件というだけでなく、特別な意味のあるものとなっていった――。
 それにしても哀しい物語である。クリスマスというのは、きらびやかな面ばかりが目につく一方で、静謐なる悲劇が潜む奥深さも孕んでいるのだなあとあらためて思うに至りました。
 
 クラシックは門外漢だとかねてから豪語してはいたものの、近頃ではリベラなる少年合唱団が業界内外で人気を博していることは耳にしたことがあった。これなんかを聴くと、まさに『声』の被害者の幼少期がどんな歌声だったかを想像しやすいかと思う。この合唱団、英国の作曲家ロバート・プライズマンが主宰するボーイソプラノだけのユニットということで、18歳くらいまでの男子のみで構成されている。1998年に発足とのことなので、変声期を迎えた子はメンバーを外れてそこに新たな幼子を補填して、という風にリレーされてきたのだろう。聖歌を中心にさまざまなサウンドに挑む方針らしく、エルトン・ジョンなどポップス系アーティストのアルバムにまで参加していたりする。日本では、NHKのドラマの主題歌に使われた「彼方の光(Far Away)」という曲でおなじみのようだ。
 この合唱団のような少年たちが変声期で美しく高音域の声を失うのを回避するために、去勢することで声をとどめさせられた男性歌手というのが、いわゆるカストラートである。声帯は少年のまま肺は成人のものになるため、非常に広い声域を保ちながら力強さも兼ね備えることになる。カストラートに関する記録は、1562年のローマ教皇庁礼拝堂にまで遡ることになるが、全盛期は1600年代初め頃から1世紀で、ファリネッリという歌手がもっとも有名。非人道的ともいえる行為として1903年ローマ教皇カストラートを禁止。20世紀前半まで生存していたアレッサンドロ・モレスキという歌手が最後のカストラートとされていて、彼の声はレコードに記録されていて、いまなお聴くことができる。
 
 余談だけれど、ボーイソプラノを取り上げた作品で、実際に音楽を学んで挫折した経験を持つ名優ダスティン・ホフマンの自伝的作品ともいえる最近の映画がある。「ボーイ・ソプラノ ただひとつの歌声(Boychoir)」(2014年)は、不幸な環境に育ちながら天才的な歌声を持つ12歳の問題児が、ホフマン演じる少年聖歌隊の厳格な指導者のもとで自分の運命を切り開いていく物語だ。
『声』にはどういうわけか、具体的な楽曲だとかが明かされていない。レコード・コレクターが蒐集家の性質について、「ストーミー・ウェザー(Stormy Weather)」ばかりを集める蒐集家もいるという例を挙げている程度だ(ちなみに、ハロルド・アーレン作曲、テッド・コーラー作詞によるポピュラー・スタンダード曲です)。
 物語に重要な意味合いを持つ天才子役シャーリー・テンプルのポスター。こちらのほうは具体的な記述があって、映画「リトル・プリンセス(Little Princess)」(1939年)のポスターだと明記されているのだが。
 
 さて余談はそこまでにして、作者のアーナルデュル・インドリダソンについて少々。アイスランドの高名な作家インドリディ・G・トーステンソンを父に持ち、新聞社勤務を経てフリーの映画評論家となった。1997年にエーレンデュルが登場するシリーズ第1作で作家デビューし、第3作にあたる『湿地Myrin )』(2000年)が、国際推理作家協会北欧支部であるスカンジナヴィア推理作家協会のガラスの鍵賞を受賞。同作が初紹介作となり、日本で話題となる。続く『緑衣の女Grafarpögn )』(2001年)が2年連続のガラスの鍵賞受賞作となり、さらに権威ある英国推理作家協会(CWA)賞のゴールドダガー(最優秀長篇賞)を獲得。その地位を不動のものとした。
 前々作『湿地』のなかで、事件に関係した子どもが、人間に目があるのは物を見るためじゃない、泣くためにあるんだというシーンがある。思わず虚を突かれて胸を打たれるアーナルデュルのさりげない描写だ。描きだされるのは、ひりひりするほどに生々しく偽りのない人間の悲劇――そしてどうしようもなく孤独な存在が訴えかける叫び声。本作『声』のなかに聴こえてくるのも同様なのだ。自覚のないままに脚光を浴びもてはやされた子どもスターとしての美しすぎる声、それを失うときの悲痛な声、さらにはその色褪せた栄光のみにすがりながら命を絶たれたことで声ですらなくなった声……失われたはずの声が、孤独の叫びのように全篇に充ちている。
 次作の紹介が待ち遠しい作家がまた一人増えた。
  
YouTube音源
“Far Away” by Libera

*ロンドンで活動する少年合唱団リベラが日本で人気を獲得するきっかけとなった代表曲。NHK土曜ドラマ氷壁の主題歌に使われた。
 
Ave Maria” by Alessandro Moreschi

*最後のカストラートとされるアレッサンドロ・モレスキによる歌唱。
 
Stormy Weather - Ella Fitzgerald

 
◆関連DVD
ボーイ・ソプラノ ただひとつの歌声』
 

佐竹 裕(さたけ ゆう)


 1962年生まれ。海外文芸編集を経て、コラムニスト、書評子に。過去に、幻冬舎「ポンツーン」、集英社インターナショナルPLAYBOY日本版」、集英社小説すばる」等で、書評コラム連載。「エスクァイア日本版」にて翻訳・海外文化関係コラム執筆等。別名で音楽コラムなども。
  好きな色は断然、黒(ノワール)。洗濯物も、ほぼ黒色。
 

声 エーレンデュル捜査官シリーズ

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湿地 (創元推理文庫)

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緑衣の女 (創元推理文庫)

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