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2011-07-07

最終回

 いきなりの内輪話で恐縮ですが、私はかつて、「87分署攻略作戦:第一回『警官嫌い』」の没バージョン、その冒頭で「87分署シリーズはキャラクター小説である!」と、こう書きました……まだ二冊しかシリーズを読んでいなかったのに。

 さて、シリーズをようやく1/4ほど読んだ今、改めて考えてみると、自分の発言がひどく怪しげに見えてきました。つまり、私の頭の中に渦巻いているのは次の疑問です。


「87分署シリーズって、キャラクター小説なのか?」


 誰もが当たり前のように、「87分署シリーズはキャラクター小説だよ」と語ります。果たしてそれは本当か? 今回はちょっと立ち止まって、そのちょっとした疑問について考えてみたいと思います。


 87分署シリーズには多くの警察官、そしてアイソラの街に住む人々が登場しますが、これらの登場人物のほぼすべては、キャラクターとしての掘り下げが浅い、深みが足りないと、臆面もなく書きます。

 前景に出てこないキャラクターは別にしても、特に気になるのはスティーヴ・キャレラの人間的魅力の薄さです。シリーズの主人公と言われることも多いキャレラは、大柄のイケメンで、捜査能力が高く頭も切れ、射撃も格闘もお手の物。美人の奥さんと子ども(双子)がいて、上司や同僚からの信頼も篤い。十五作品で三回くらい死にかけていますが、それも主人公たる所以か? ともかく無敵超人です。しかし、彼にはあまりにも弱みがなさすぎる。いい奴だし、ジョークも分かるんだけど、なーんか面白くない、と私なんかは思うのです。

 あと人気キャラというとコットン=ホースとかでしょうか? 個人的には、彼はキャレラ以上につまらないキャラクターだと思います。大柄イケメンのプレイボーイ。真面目なキャレラとチームを組んだ時には、軽口を飛ばして場面を盛り上げる、気のいい奴。でも、特に一人で動いている時(cf.「雪山の殺人」(『空白の時』))の彼は現実感が希薄で、きまりきった台詞を読み上げる、二流の俳優にしか見えません。最初に登場したときはすごくいいキャラクターに見えたのはなぜ?と思うほど。

 『クレアが死んでいる』でのクリングは、初期の軽薄キャラを脱して急成長を遂げましたが、この時点では単に大暴れしただけ。積極的には支持できません。『麻薬密売人』で、息子を逮捕するか悩む部長はなかなか良かったのですが、その後は87分署の「いいお父さん」に収まってしまい、メインを張る機会がない。あとはマイヤー・マイヤー辺りかな。我慢強いキャラなのはよく分かったので、そろそろ分別を無くしてもいいのではないかと思います。

 まとめると、87分署シリーズの主演役者たちは、いわばマネキンに様々な属性を張り付けた「分かりやすく」、「動的な魅力に乏しい」キャラクターばかりです(少なくとも第十五作の時点では)。もちろん分かり易さは大事ですよ。でも、意外性を内面に秘めてこそ、読書の喜び=驚きもあるのではないでしょうか。もっと裏切って欲しい、と思うのは私だけか?

 このようにけちょんけちょんに書いてきておいて何ですが、私はマクベインのことを「人間が書けないつまらん作家」とは思っていません。第十三回『死にざまを見ろ』で書いた内容をちょっと見なおしていただけるとありがたい。この作品に登場するアンディ・パーカーという悪徳警官は、最初は「プリティ・ボーイ」キャレラの裏返し、つまり「分かりやすいバッド・ガイ」として登場(@『キングの身代金』)、たちまち消えていくことが予想されながら、「人種差別」というテーマと激しく反応し、主役に抜擢された男です。

 この男が面白いのは、終始一貫してプエルトリコ人を侮辱し続けながら、物語が終わりに近づくにつれ、その態度がぶれ始めるところ。彼は「身勝手な男」という立場に居座ることによって、心配しながら嫉妬し、悲しみながらも涙を流さず唾を吐く。「刑事パーカーは悪い奴」という私の安っぽく一面的な理解を嘲笑いながら物語の幕を下ろしてしまいます。このある種の不明性は、マクベインが『被害者の顔』で、被害者の隠された面を書こうとしたことに通じるのではないでしょうか。いわば『刑事の顔』ですね。

 つまり、マクベインは書けないのではない。書かないだけなんです。書けるんだったら書くべきでしょう。なぜそこで敢えて筆を抑えるのか。それこそ、マクベインがこの87分署シリーズで書こうとしている「何か」に通じるというのが、現時点での私の見解です。では「何か」とは何なのか?


 と、引っ張っておいてなんですが、正直まだ分かりません。ただ、重要なキーワードが「アイソラの街」であるのは間違いないと思います。マクベインにとってアイソラという架空の街が、非常に愛着の深いものであるのは間違いないでしょう。「デフ・マン」が街に放火、爆破した『電話魔』を思い出して下さい。87分署の敵は街を破壊する者なのです。

 閑話休題。では、マクベインが「街」を描こうとするときに一体何が必要か。それは土地でも建物でもなく、ただ人間です。しかも出来るだけ多くの。街とは、そこに暮らす様々な人間の「顔」を寄せ集めたコラージュです。87分署シリーズを通してマクベインは、紙の上にそれを築き上げようとしました。その時、際立った個性を持った人間はむしろ邪魔です。そこに視線が集まってしまいますから。それゆえマクベインは、敢えて人物を「分かりやすく」書くのではないでしょうか。

 マクベインが何度もキャレラを殺そうとするのはきっとそこに由来する部分だと思います。一つには「キャレラ一人が死んでも街は変わらないこと」を示すため。あるいは街の均衡を崩すほどに、一人で読者の視線を集めてしまう邪魔者を消すため……?


 思わず妄想推理を垂れ流してしまいましたが、そろそろ私の第一の疑問に答えを提示したいと思います。

「87分署シリーズって、キャラクター小説だっけ?」

「キャラクターの魅力で読ませるシリーズという意見には反対。でも、多様な人物像の積み重ねによってもっと大きいものを描き出そうとする、キャラクターありきの小説だという指摘はしておきたい」


 ということで、今回は作品というよりもシリーズについての論を、お読みいただきありがとうございました。また、突然のことではありますが、87分署攻略作戦は、今回を持ちまして一旦終了、第一部完とさせていただきます。長らくのご愛顧ありがとうございました。

オレは

ようやく

のぼりはじめた

ばかりだからな

この

はてしなく遠い

108式坂をよ…

(未完)


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 三門優祐

えり好みなしの気まぐれ読者。読みたい本を読みたい時に。


わしの87分署攻略は108式まであるぞ! いや、ねーよ!バックナンバー

2011-06-16

第十五回:『空白の時』


 87分署攻略作戦第十五回は、シリーズ初の短編集『空白の時』です。87分署シリーズは長編五十三に対して短編が十強と極端に長編寄りのシリーズですが、マクベインの短編作家としての実力はどうなのか。お手並み拝見といきたいと思います。


 安アパートの一室で、女の死体が発見された。家具もろくにない粗末な部屋に住みながら、彼女は二つの銀行に驚くばかりの金額を預金していた。果たして彼女の正体は? そして殺人犯は誰なのか?(「空白の時」)四月一日、エイプリルフール。ユダヤ教のラビが殺され、教会の壁にはペンキで、“J”の一文字が残されていた。(「“J”」)休暇を取って恋人とスキー旅行に出かけたコットン・ホース。しかし、事件は起こった。スキーリフト上の殺人を目撃したホースは地元警察と対立することに。(「雪山の殺人」)


 以上の三編を収録。いずれも文庫で100ページほどの作品なので、短編というよりむしろ中編と呼ぶべきかもしれません。

 「空白の時」および「“J”」は87分署管区で起こった事件を描いた作品です。この二作品のうち、前者は独立した短編というよりも、むしろ長編の一部を切り出した作品と考えた方がしっくりくるような気がします。この作品では冒頭から、アイソラの街を女に例えたり、例のごとくの美文調で滔々と語ってしまうマクベイン節が炸裂。迷宮入りギリギリまで行きながらも、証言に見られる微かな違和感から犯人が仕掛けたトリックを暴き出すというプロットは非常によく出来ています。ただ書きこみ不足なのか、被害者とその親友という女性を含め、事件関係者の人物造形にに生彩が欠けているのが残念です。

 ところでこの作品にはクリングが登場しますが、彼が「恋人にアクセサリーを買うべく何を買うかキャレラに相談する」というシーンがあります。これは多分クレアのことでしょう。このことからも「空白の時」が『クレアが死んでいる』以前に書かれた作品であることが分かります。このようなエピソードを増やすこと。人物造形をブラッシュアップすること。そして「空白の時」という言葉の意味をもっときちんと説明し、作品との結びつきを示すこと。だいたいこんな感じで一本長編が書けてしまうのではないかなあ。マクベインには長編の原型となる中編も多いらしいので、この作品も長編化して欲しかったですね。


 「“J”」は、マイヤー・マイヤーが主役を張る作品です。彼の特徴の一つであるユダヤ教徒というファクターをフルに活用した作品で、ユダヤ教の教会における風習を説明しつつ、ラビ殺しの謎に迫っていきます。アイソラの街に生きるマイノリティの立場、そして宗教的に互いに分かりあうことの難しさを切実に感じさせる、なかなかいい作品です。ただ一点、決定的な問題点を上げるとすれば、それは裏表紙のあらすじです。うーん、またかよと言わざるをえませんな。この本のあらすじはほとんどが表題作に触れたものなので、「“J”」についてはわずか一行、十四文字分しか書かれていません。しかしながら、この一行が命取り。この作品の真相に抵触する十一文字のキーワードをばっちり収録しているので、先にあらすじを読んだ人は泣きます。具体的には私です。嘘あらすじも罪深いですが、絶対に書いてはいけないことを敢えて書いたあらすじにはかないません。私自身も、書いていいことといけないことをよくよく考えてあらすじを考えなければならないな、とつくづく思い知らされます。


 「雪山の殺人」はあらすじでも書きましたように、87分署管区からは遠く離れたスキー場で起こった殺人事件を扱ったものです。しかし、これがまたつまらない。重くなりがちなキャレラに対して、コットン・ホースは一筋だけ白髪の赤毛巨漢で女にモテモテという軽妙を絵にかいたようなキャラクター。二人のコンビは非常にうまい具合に噛みあって面白い。ただしホースは一人になるとどこまでも薄っぺらな軽薄警官になってしまうんです。まったく無意味に地元警察の偉い人と対立してみたり、私立探偵バリに頭を殴られて気絶してみたり。長い付き合いのはずの彼女にもこれだと振られそうな勢いです。あらすじには「犯人の意外性を秘めた」と書いてありましたが、この程度の意外性なら今日日ありふれてしまっていて、驚くということはありませんでした。


 ということで、いい作品ちょっと残念な作品相当残念な作品と、出来がバラバラなので、マクベインが短編作家としてどうかということは今回は判定不能でした。もしこれから読もうかという人がいましたら、裏表紙あらすじは見ずに可能ならカバーをはずしてお読みくださいまし。


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 三門優祐

えり好みなしの気まぐれ読者。読みたい本を読みたい時に。


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2011-06-02

第十四回:『クレアが死んでいる』

 87分署攻略作戦第14回は『クレアが死んでいる』です。第二作『通り魔』で登場して以来、クリングの恋人として87分署ワールドの一部を構成してきたクレアの突然の死が、作品にどのような影響を及ぼすのか。マクベインの新たな試みに注目の作品です。さて、それではあらすじをば。


 特に事件も起こらない、秋の平和なアイソラ。87分署にキャレラやマイヤーとともに詰めていたクリングに一本の電話がかかってきた。それは、婚約者クレアからだった。同僚たちに冷やかされながら、通話を終えたクリングだったが、まさかこの電話が生前のクレアと交わす最後の会話になるとは思いもよらなかった。彼女は書店で起こった無差別発砲事件の犠牲者になってしまったのだ。


 タイトルがタイトルだけに、まあ、楽しい作品にはならないだろうと思っていましたが、無差別発砲事件とはなかなかにインパクトのある殺し方です。しかも通報を受けて最初に現場に到着した刑事の中にクリングを混ぜることで、その衝撃と悲嘆が読者により強く伝わるような形になっています。もちろん、この事件からもっとも大きな影響を受けたのは、彼女の婚約者であったクリングです。仕事熱心な彼が、事件以降数日間に渡って仕事を放り出し、部屋に引きこもって悲しみに暮れるほど。クレアとの出会いやこれまでのデートの様子を描き出すことで、読者もまた、クリングの悲しみや怒りに共感することが出来ます。この辺りの描写が淡々と日常を繰り返す物であることで、逆に気持ちを引きたてており、マクベインの巧さを感じさせる部分です。


 87分署のメンバーたちにとって、クレアは「クリングの婚約者」でしかなく、必ずしも親しかった訳ではありません。しかし、クリングの受けた衝撃は、様々な形で捜査に波及していきます。捜査陣のみならず、パトロール警官など87分署に所属するメンバーのすべてがこの事件を「クリング事件」と呼んでいること、また、特に打ち合わせなどせずとも、他の仕事をしている間、各自可能な限り街に目を配ろうと団結できるといった点などは、彼らの言葉には出さずとも伝わる結束が浮かび上がると思います。


 「犯人は狂人ではなく、被害者の誰かを狙っていたが、結果として書店の中にいた7人全員を撃ち殺そうとしたのではないか」という仮説に則って、被害者それぞれの関係者に話を聞いて回るという捜査を始めたキャレラ。しかし、いずれの被害者にも誰かに殺されるような動機があるようには考えられませんでした。唯一分からないのは、クレア。彼女にはある犯罪にまつわる、クリングすら知らされない秘密があったのです。捜査チームはクレアが関わってしまった、社会の闇部に踏み込んでいきます。その捜査が導き出したのは下劣な原因と、そして悲しい結末でした。

 しかし、捜査は終わりません。果たして殺人者はどこに? 最後に明かされる悲しい真実は、この殺人の動機があまりにも希薄であること。大切な人の死に対して「動機」というカタルシスすら与えない。あまりにも現実的なこの結末を、マクベインは乱れぬ筆致で記して行きます。クリングはこの事件を受けてどこに向かうのか。今後の作品が気になる所です。


 このように『クレアが死んでいる』は、非常にマクベインらしい良い作品です。しかし個人的には、一点瑕疵があるように感じられます。

 それは、この「クリング事件」の捜査にクリング自身も参加しているということです。先に、クリングは自宅に引きこもっていると書きました。しかし彼はそのあと87分署に突如現れ、まだ休んでいろという部長の言葉を無視する形で、強引に事件の捜査に加わってしまいます。キャレラもこれを止めることはなく、むしろ正当と見ているシーンすらありました。

 しかし、これは現実的に見てどうなのか。私も、警察官のルールに詳しい訳ではありません。しかし、自分の身内を殺されて、冷静に捜査を行なうことのできる人間などいません。思い込みや激情に囚われ、事件の本質を見失いかねない、そんな人間を果たして捜査に参加させてよいものか。これは大きな疑問ですし、実際クリングはこの捜査の中で証人に食ってかかってもいます。そこの感情の動きまで含めて、マクベインの意図通りと読むこともできるでしょう。そこは分からないところです。


 警察官の身内が殺される事件を描いて成功した作品として、ピーター・ラヴゼイの『最期の声』があります。この作品はダイアモンド警視シリーズの第七作で、警視のまさに糟糠の妻であるステファニーが突如殺害されてしまう事件を描いています。

 シリーズをお読みでない方のために説明しておくと、ダイアモンド警視は、第一作でバース警察を一旦首になり、アパートの夜間警備員まで落ちぶれてしまいます。その後の作品で元の職に復帰しますが、誇りを傷つけられ、貧しく惨めな生活を送る間も、また、警察官としての厳しい職務にあっても、彼のことを優しく支えているステファニーの様子が幾度も描かれていました。それだけに、彼女の死は読者にとっても大きな衝撃であったと言えるでしょう。

 彼女の死体を見て衝撃を受けた警視は、「被害者の関係者」ということで捜査から外され、あまつさえ有力容疑者として尋問を受ける始末。真実は彼女の過去にあると考えた警視は、警察組織の力を借りずに独力で事件を追います。その中でどのような事実が明らかになるか、そして警視がどのような真実に辿りつくか、という点についてはぜひ読んで確認していただきたいところです。

 

 私はこの作品の中に、『クレアが死んでいる』でマクベインが選び得たもう一つの展開があると思います。マクベインはクリングに勝手な捜査をさせてもよかったのでは、と思います。クリングはクレアと出会った『通り魔』の事件でも、捜査権などないにもかかわらず、勝手にうろつき回り結果的に犯人につながる重要な証拠を掘り出しました。今回も同様に、クリングにキャレラたちから離れた全く別な視点から捜査を行なわせることが可能だった……いやむしろ、そうすることで物語に深みを与えることが出来たかもしれない、と私は考えます。


 まあ、すでに完成した作品に何を言っても意味はないのですが。しかし、クレアを失ったクリングが警察組織の中で無茶をすることに、「私怨による仇討」の正当化を感じずにはいられないところ、そこはこの作品の大きな欠点であるように感じました。


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 三門優祐

えり好みなしの気まぐれ読者。読みたい本を読みたい時に。

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