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第八回翻訳ミステリー大賞 決定!!

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2010-09-27

会心の訳文・第二十五回(執筆者・鈴木恵)

 

 最終回のテキストは、ケン・ブルーエンの『ロンドン・ブールヴァード』。とぼけた会話や、そこはかとないおかしみのある独白が随所にちりばめられ、ブルーエン(ブルーウン)の魅力がもっともストレートに表われた軽妙なクライム・ノベルだ。ブルーエンをまだ読んだことがない人は、ここから入るのがいちばんだろう。

 

 引用したのは、主人公が自分のあとを尾けてくる妙な男を捕まえて、なんの用かと問いただす場面。ちなみにノートンというのはヤミ金を営む男で、バックにはギャングがついている。

 

「わたしがアンソニー・トレントです」男は言った。

「そう言えばわかるみたいな言い方だな。おれにはさっぱりだぜ」

「あ、すみません、そうですよね……今あなたが住んでいるフラットに住んでいた者です」

「それが今ごろ……なんの用だ?」

「物を取りにいかせてもらえないかな、と思いまして」

「なんでそんなに慌てて出てったんだ?」

「ノートンさんとまずいことになりまして」

「いくらまずいことになったんだ?」

「一万です」

「じゃ、逃げたわけか?」

「ノートンさんには怖いお仲間がいますから」(中略)

「なあ、アンソニー、それは気の毒な話だが、今度おれのあとを尾けたら、もっと気の毒なことになるぞ」

 

 これのどこが「会心の訳文」なんだヨ、と思ったあなた。あなたは正しい。会心の訳文なんてのは、たいてい地味なものなのだ。というより、翻訳者の仕事自体が地味。声高に自慢したり、自画自賛したりするような性質のものじゃない。自分では、すごい名訳、オレって天才、なんて悦に入っていても、人はそんなふうに思ってはくれないし、また、思ってもらう必要もない。言わぬが花というものだ。そう、翻訳とは奥ゆかしいものなのである。

 とはいっても、これ、自分ではなかなか気に入っている場面。訳す前に原文を一読し、さて、アンソニーのキャラクター造形をどうしようかと考えたとき、わりとすぐに声が浮かんできた。誰の声かというと、志ん朝志ん朝の『明烏』の若旦那の声だ。この若旦那というのは本ばかり読んでいる堅物で、町内の札付き二人にだまされてまんまと吉原に連れてこられ、帰りたいと泣きだしてしまう情けない男なのだ。

 ちなみに、声というのはとても大切で、それも外国語の声より日本語の声のほうが断然シャープにピントが合う。キャラの輪郭がくっきりする。だから声が聞こえてきたら、黙ってそれに従えばいい。あとはその声が訳してくれる。そうすると言葉づかいから相手との距離の取り方まで、個々の問題は一挙に解決してしまうことが多い。

 きっかけになった原文は、Mr Norton has some heavy friends. 。heavy friends という言葉はいろいろに訳せるけれど、アンソニーが言うとしたらどんな日本語になるか。それを考えていたら、ふと、「怖いお仲間」という言葉が志ん朝の声で頭に浮かんだのだ。そうそう、そういえばたしかあの噺で、若旦那が「怖いお仲間」という言いまわしを使ってたよな、これこれ、コレいただき!

 声が聞こえればあとは速い。たちまち上のような会話ができあがった(ま、たちまちというのは言葉のアヤですけどね)。たったこれだけの会話で、両者の力関係、置かれている状況、それぞれのキャラクターがよくわかる。でもって、そこはかとなくおかしい(これが肝心)。しかも説明的な描写はいっさいなし。まさにブルーエンだ。

 と、得々とここまで書いてきて、念のため『明烏』を聴きなおしてみた。そしたら困ったことに……そんな台詞はどこにも出てこない。それに類する場面すらない。別の噺だったのだろうか。それともただの勘ちがい? 怪我の功名? まちがいの奇跡? ま、結果オーライなんだけど。やっぱり会心の訳文なんてのは、言わぬが花、訳者の心の中にこっそりしまっておくべきものなのである。


鈴木恵

 

ロンドン・ブールヴァード (新潮文庫)

ロンドン・ブールヴァード (新潮文庫)

幽霊を捕まえようとした科学者たち (文春文庫)

幽霊を捕まえようとした科学者たち (文春文庫)


 翻訳者リレー・エッセイ「会心の訳文」は今回が最終回となります。サイト開設1周年を迎える来週からは、翻訳者による新たな連載がはじまります。どうぞお楽しみに。

2010-09-13

会心の訳文・第二十四回(執筆者・上條ひろみ)

 

 ああ、ついに来てしまった。「会心の訳文」の原稿依頼。

 といっても、もちろん、来るぞ、来るぞと思いながらじりじりしていたわけではない。まさか来るとは思ってなかったの。まさに青天の霹靂。会心の訳文なんて、そんな恐れ多い、と思いつつも、敬愛する同門の先輩からの依頼を断れるはずもない。そりゃもう「よろこんで〜!」てなもんである。

 

 と、居酒屋店員のように叫んだはいいが、会心の訳文かあ、そんなのあったかなあ。気に入っている訳文ならあったと思うけど……つねに頭のなかにあるわけではないので、すぐには出てこない。日々あくせく翻訳作業(日銭稼ぎとも言う)をしていると、目のまえの原文&訳文のみに意識が集中してしまい、過去に思いを馳せる余裕がないのだ。ああ、「もっと余裕がほしい」と空耳アワーの安斎さんに言われてしまいそう。

 

 なんてなげいていてもはじまらないので、とりあえず自分の仕事を振り返ってみよう。

 わたしはなぜかシリーズもののお仕事をいただくことが多い。とってもありがたいことだし、シリーズ・キャラクターとは長いつきあいになるので愛着もわいて、いつも楽しく翻訳させていただいているのだが、シリーズならではの苦労もある。「これだ!」と思って選んだ訳語が、シリーズが進むにつれてなんかちょっとズレてるような気がしてくることがあるのだ。まあ、作品が進化している(?)せいもあるのかもしれないけど、たびたび出てきそうな訳語選びにはかなり慎重を要する。

 

 とくにジョアン・フルークの〈お菓子探偵ハンナ・スウェンセン〉シリーズは、十作目の『キャロットケーキがだましている』まで出させていただいていて、現在は来月刊行予定の十一作目のゲラ作業中(原書は十三作目まで出ています)。長いシリーズなので、登場人物は膨大な数にのぼるし、それぞれのキャラクターのエピソードも多岐にわたる。ああしておけばよかった、こうしておけばよかった、と思うことばかりだが、気に入っている訳語もある。それはハンナの飼い猫モシェの呼び名「でっかいくん」。原文は Big Guy で、デブ猫のモシェをこう呼ぶのはハンナのふたりのボーイフレンド、マイクとノーマンだけだ。男っぽくて、親しげで、ちょっとかわいい感じが出ていると思うのだが、どうだろうか。

 

 ハンナ・シリーズを訳していてとくに楽しいのは、ハンナ、アンドリア、ミシェルのスウェンセン三姉妹のガールズトークだ。三姉妹の性格や、強烈キャラの母ドロレスが加わったときの力関係などがだんだんわかってくるのも興味深い。


“I’m a real lightweight when it comes to pulling all-nighters, like when I have to study for a test. Maybe I should get pregnant and then I’d have more energy.” Michelle noticed the shocked expression on her sisters’ faces and she giggled. “Just kidding. I want to wait to get pregnant until I’m as old as Hannah.”

Hannah groaned. She wasn’t sure if that was an insult, but it sure felt like it.

“That’s a bad idea. Don’t wait that long,” Andrea advised.

Hannah groaned again. This time she was sure it was an insult. “Forget about my biological clock. Mother’s already got that covered.”

――Lemon Meringue Pie Murder

 

「テスト前に徹夜で勉強するには、わたしは体重が軽すぎるんだわ。妊娠すればいいのかもね。そうすればもっとエネルギーがわくから」ミシェルは姉たちの驚いた表情に気づいてくすくす笑った。「冗談よ。わたしはハンナ姉さんぐらいの歳になるまで妊娠したくないもの」

 ハンナはうめいた。自分が侮辱されたのかどうかはわからなかったが、侮辱されたと感じたのはたしかだった。

「それはよくないわ。そんなに長く待つことないわよ」アンドリアが助言した。

 ハンナはふたたびうめいた。今度のはたしかに侮辱だ。「わたしの体内時計のことなら心配しないで。そっちのほうはもう母さんが心配してくれてるから」

――『レモンメレンゲ・パイが隠している』

 

 言うよね〜! このときアンドリアは第二子を妊娠中の二十六歳、ミシェルは大学生、長姉ハンナはミシェルより十歳年上でもちろん独身。妊娠したら以前よりエネルギーがわいてきた、というアンドリアの報告を受けてのシーンだ。天真爛漫なミシェルと、ときどき空気が読めない天然のアンドリア、ちょっぴり自虐的なハンナの性格がよくわかる。

 

 自虐的といえば、カレン・マキナニーの〈朝食のおいしいB&B〉シリーズのナタリーもかなり自虐的だ。

 

She was dressed in formfitting jeans and an Aran sweater that somehow managed to accentuate her curvy figure. I love my own Aran sweater but was only too aware that it made my silhouette look rather like that of a sheep with an overgrazing problem.

――Murder Most Maine

 

 ヴァネッサはぴったりしたジーンズにアランセーターを着ていたが、どういうわけかそのセーターは曲線美を強調することに成功していた。わたしは自分のアランセーターが気に入っているが、それを着るとわたしのシルエットが草を食べすぎる傾向のある羊のように見えることは重々承知していた。

――『危ないダイエット合宿』

 

 だよね〜! アランセーターを着たらみんな羊に見えるっつーの。でもこのサイズゼロの女ヴァネッサはイヤミなほど細いんである。まあ、ダイエット合宿のリーダーだからそうじゃないと説得力ないんだけど、この女、実はナタリーの恋人ジョンの元カノなんだよ〜。やっぱむかつくよね〜。

 

 こうして書いてみると、登場人物にかなり感情移入してるな〜(〜が多いし)。翻訳の基本は「何も足さない、何も引かない」だと思うが、あんまりはいりこみすぎると、これがなかなかむずかしい。でも作品に対する愛、登場人物に対する愛は、当然ながら原作者も同じだと思うので、これからも登場人物の言動に一喜一憂しながら訳していくことになると思う。それが原作者の愛を伝えることになると信じて。よし、キレイにまとまったぞ!

 

 なんだか「会心の訳文」というより、作品の気に入ってる部分を紹介しただけになってしまったが、こんな思いで訳してます、ということで、ごかんべんを。

 

 次回の「会心の訳文」はなんと最終回! アンカーは頼れる兄貴、鈴木恵さんです。

 

2010-08-30

会心の訳文・第二十三回(執筆者・藤田佳澄)

  

「会心の訳文」というお題を頂戴しましたが、わざわざ顧みなくともそんな恐れ多いものがないのは百も承知で、バトンを受けとったことをお断りしておかなければなりません。

匝瑳玲子さんが潔い女っぷりなどと持ちあげてくださったけれど、まずは言い訳じみたお話から。

 

「ロス・デサパレシードス――失踪させられた人々――彼らは被害者たちをそう呼んでいる。おばあちゃんたちは、こんなに年月がたったいまもまだ抗議している」

 

これは、ブランド服が大好きな人権派弁護士マニーと、服には無関心なのに道行く男たちが振り返るお洒落な美女マニーにぞっこんの副検屍局長ジェイクの異色コンビが活躍する、『沈黙の絆』から抜粋したジェイクのセリフだ。著者のマイクル・ベイデン&リンダ・ケニー夫妻は、実生活でも検屍官と弁護士なので、ジェイクとマニーの丁々発止のやりとりは楽しいだけでなく、真実味がある。ここでいう〈おばあちゃんたち〉というのは、〈五月広場の祖母たちの会〉の老婦人たちを指す。

そう言われてすぐにピンとくる人は、かなりのアルゼンチン通だろう。

今年はワールドカップが開催されたこともあり、アルゼンチンと聞いて私の頭に真っ先に浮かぶのはサッカーだ。そして、監督を務める自国のチームがゴールしたり、しそびれたりするたびに、驚くほど素直な感情表現を爆発させ、選手たちよりも目立っていた国民的英雄マラドーナだ。

しかし、アルゼンチンにはそんなあけっぴろげなイメージとは正反対の閉ざされた暗黒の歴史があり、いまなおやり場のない怒りに苦しむ人々がいる。『沈黙の絆』を訳す機会をいただいて、その事実を知った。

一九七六年、アルゼンチンではクーデターによって軍事政権が誕生した。一九八三年まで続いた軍事政権下では、反体制派の人々、学生、一般市民の不法逮捕、拷問、暗殺が横行し、その被害者は三万人にも及んだという。これが〈汚い戦争〉である。政府はこの事実を隠すために、あたかも自らの自由な意思で姿をくらましたかのように、被害者たちを〈失踪者〉と呼んだ。

この弾圧によって息子や娘、あるいは孫を奪われた母親たちが組織したのが〈五月広場の祖母たちの会〉〈五月広場の母たちの会〉である。高齢となった母親たちは、犯罪の訴追と子供たちの生還を三十年以上経った今も求めているが、納得のいく結果は出されていない。

最初に挙げた〈desaparecidos(デサパレシードス)〉というスペイン語の言葉は、この箇所以外にも繰り返し出てくるので、読みやすさという点から言えば、一般的に使われている〈行方不明者〉という訳でよかったのかもしれない。しかし、被害者側の目線で、強制的に失踪させられた人々であることを表すために、説明調ではあると思ったが、あえて〈失踪させられた人々〉としてみた。

 

「それが××を狂気へ追いやったのよ。××は自分が感じている怒りに、みんなが固執していないことが受けいれられなかった」

「〈汚い戦争〉の犠牲者を決して忘れてはならない、という××の主張は正しかった。でも、××は怒りによって、自らの身の破滅を招いた」

(名前、人称は伏せておく)

 

弁護士のマニーが犯人について述べているセリフだ。本書をこれから読もうと思ってくださる方々がいるかもしれないので、これ以上の説明は加えられないが、わたしたちはさまざまな事件や事故で人々の命が失われたというニュースを耳にしない日はない。残された被害者の遺族の悲しみや怒りについて、ほんの一部にすぎないだろうが想像することはできる。裁判等を通じて、自分と周囲の怒りの温度差を痛感させられるのは、本当につらいことだろう。また、遺族のなかにも、絶対に忘れてはならないと世間に訴える人がいる一方、忘れることはできなくても封印してしまいたいと思う人がいるのも現実だ。

the last strawという表現がふと頭をよぎった。我慢の限界をいうときによく使われる言い回しだ。the last straw that breaks the camel’s back(ラクダの背中を折る最後のわら)という表現から来ているのだが、視覚的に想像しやすいせいかときどき思いだす言葉だ。

これも小説を訳していて出会った言葉なのだが、はて、どの小説に出てきたのやら……。

有能な検屍官ジェイクの言葉を借りれば、どんなに些細なことでもたちどころに思いだせる驚異的な記憶力の持ち主、マニーの脳には若い回(大脳皮質のひだ)と裂溝が詰まっているのに対し、わたしの脳は縮んで平らになりつつあるようだ。

 驚異的な記憶力と言えば、『ドーバーの白い崖の彼方に』という小説に登場する女スパイがさっと目を通しただけで、文書でも地図でもたちどころに記憶する能力を持っていた。少し前のTVドラマで菅野美穂が演じた不可能犯罪捜査官キイナや、現在放映中のIRISでイ・ビョンホンが演じるNSSエリート要員ヒョンジョンが持っている瞬間記憶力というやつだ。

実に羨ましい能力だけれど、もしもそんな能力があったら、スポーツジムのスタジオで、「コリオ(振付)が覚えられない〜!」と嘆く、平和な楽しみは失われてしまう。では、そろそろ体力増強と脳の活性化のために、ジムへ向かうとしましょうか。

最後にひとつ、著者のマイクル・ベイデンはケーブルテレビ放送局HBOでAutopsy(検屍)という番組の司会を務めているそうなのだが、ご覧になったことのある方はいらっしゃるだろうか? 最近、名医が手術する光景を流す番組が増えていて、私も興味深く見入ってしまう者のひとりなのだが、Autopsyとうタイトルの番組があると聞くと、さすがアメリカ!と思ってしまう。でも、観る勇気は……ないです、今のところ。

次回は、いくつになってもキュートな上條ひろみさんの登場です。