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第八回翻訳ミステリー大賞 決定!!

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翻訳ミステリー・イベント・カレンダー
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2010-09-20

越前敏弥のイチ押し本

 翻訳者が自分の訳書を評するスタンスは、絶賛する、褒める、ノーコメントの3通りしかない。仕事である以上、さまざまな経緯から、不本意ながら引き受けざるをえないこともあるけれど、仮にも自分の訳書として世に出る以上は一定の評価をしてもらいたいのが当然だし、また、引き受けたときはあまり気乗りがしなかったとしても、何か月も付き合ってきたわけだから、刊行時にノーコメントを貫きたいほどの作品はほとんどない。逆に、すべて絶賛してもいいのだが、いつもそれでは空々しいから、通常はその作品のよいところをいくつか選んで、そつなくアピールするのが常であり、絶賛するのはここぞとばかり本気で勝負をかけたいときにかぎられる。


 そんなわけで、これまでの自分の訳書でみずから声を大にして絶賛した作品は3つだけ。『惜別の賦』では、ゴダードの新境地をひとりでも多くに知ってもらいたかったし、『天使と悪魔』では、いずれフレデリック・フォーサイス以来の角川のドル箱になる作家だと確信したから推しまくった。そして、3番目は去年出たこれ。


Xの悲劇 (角川文庫)

Xの悲劇 (角川文庫)


 おいおい、いまさら何を、と言われるかもしれないが、なりふりかまわず推させてもらおう。ひとつには、自分が海外ミステリーを読みはじめたころに、おのれの原点というか核というか、そんなものを形作ってくれた作品だからだし、もうひとつは、今後若い世代に海外ミステリを広めていけるかどうかの鍵を握る作品にちがいないからだ。


『Xの悲劇』の魅力は、自分などがいまさら言うまでもなく、異様なまでに緻密な推理と鮮やかな人物造形だ。終盤の40ページに及ぶドルリー・レーンの怒濤の謎解きは、何度読んでも快刀乱麻を断つごとき推論の切れ味に陶酔させられる。数学の証明問題を一点の曇りもなく解き明かしていくかのような論理展開は、ため息が出るほど美しい。


 それを語る元シェイクスピア俳優ドルリー・レーンは、思考機械並みの頭脳を具えつつも、ときに極端に人間くさく、ときに大仰なまでにペダンティックにふるまい、群雄割拠とも呼ぶべき1930年代の名探偵のなかでもとりわけ異彩を放つ。そして、気の荒いサム警視と冷静なブルーノ地方検事のコンビや、クエイシー、フォルスタッフ、ドロミオといったシェイクスピアゆかりの名をレーンから賜った使用人たちに至るまで、ひとりひとりが忘れがたい個性の持ち主だ。


 新訳にあたっては、レーンの怒濤の推理をノンストップで楽しんでいただくために心を砕いた一方、ストーリーよりもキャラクターで本を読む傾向のある昨今の若い読者を念頭に置いて、かなりのめりはりをつけて訳し分けたつもりだ。とはいえ、これだけの名作のリーダビリティーが、翻訳者の小手先の技でどうにかなるものではない。原書の放つ圧倒的なまでのオーラをなるべくそこなわずに伝えられたことを願っている。


 これから新訳『Xの悲劇』を手にとってくださる読者のみなさんに、ひとつ宿題を出しておこう。作中のある台詞(サム警視のもの)がまぎれもなくシャーロック・ホームズのパロディになっているので、それを探してもらいたい。過去の訳ではそれがわかりにくかったかもしれないが、新訳ではこれ見よがしなほどの手がかりを残してあるから、すぐにお気づきになるはずだ。



 ドルリー・レーン4部作としては、第2弾『Yの悲劇』の新訳がまもなく刊行される。このサイトをご覧のみなさんの大半はすでにお読みだろうが、ぜひ身のまわりの若い読者、特に国内作品ばかりを楽しんでいるミステリー読者に、『X』ともども勧めていただきたい。海外ミステリー好きの仲間を増やす絶好の機会だと信じている。ちなみに、新訳『Zの悲劇』は来年3月ごろ、『最後の事件』(正式タイトル未定)は来年9月ごろに刊行される予定である(とこの場で宣言してしまえば、締め切りを守らざるをえなくなるのであえて書いたしだい)。



 最後におまけ情報。『Yの悲劇』は約30年前に日本で連続ドラマ化されていて、下がそのDVD。若きドルリー・レーン役をつとめるのが石坂浩二で(いま演じればちょうどいいのに)、なんとほぼ同時に映画で金田一耕助の役も演じていたのだから驚く(〈女王蜂〉と〈病院坂の首縊りの家〉のあいだにあたる)。本来なら『Y』には登場しないはずの、サム警視の娘ペイシェンスの役を故・夏目雅子が演じているのも見ものだ。原作のメランコリックな味わいをよく伝えている佳作だと思う。翻訳者としては、作中の謎のひとつである「あの英単語2語(あの漢字2文字)」の処理をどうするかに最も関心があったが、ドラマ版はその難題を巧みに切り抜けている。


フジテレビ開局50周年記念DVD Yの悲劇

フジテレビ開局50周年記念DVD Yの悲劇



越前敏弥


 翻訳者リレー・エッセイ「自薦イチ押し本」は、今回で完結します。これまでのご愛読ありがとうございました。次週の「会心の訳文」も最終回となり、サイト開設1周年を迎える10月からは、翻訳者による新たな連載がはじまります。どうぞお楽しみに。

2010-09-06

島村浩子のイチ押し本

 三階までのぼると流水の音が聞こえてきた。バスタブのまわりに蝋燭が立ててあるのを見て、わたしは今夜ジャックがどう過ごすつもりか理解した。彼がすでにバスタブのなかにいて、胸まで泡につかっているのも決定的な証拠だ。


これは先日刊行されたマーガレット・デュマス著『上手に人を殺すには』のなかのワンシーン、ヴァレンタイン・デイに主人公のチャーリー(女性です)が帰宅すると、夫のジャックがロマンティックな演出をして待っていたという場面です。

この『上手に人を殺すには』は昨年刊行された『何か文句があるかしら』(なんて高飛車なタイトルでしょう。でも、ぜひとも実生活で言ってみたい台詞でもあります。)の続篇です。主人公のチャーリーは“小国の財政をまかなえる”ほどの財産を持つセレブ。夫のジャックは全盛期のグレゴリー・ペックを思わせる超ハンサムな元海軍将校。そんなふたりが出会って電撃結婚し、その直後に殺人事件に巻きこまれるところから前作はスタートしました。

私が翻訳をしていて楽しいと感じるのが、生きのいい登場人物がポンポンとテンポのいい会話を交わす場面です。今回、私のイチ押し本としては、訳出・校正作業が楽しかった記憶が新しい、このセレブ探偵第二弾『上手に人を殺すには』をご紹介したいと思います。

本書は帯に“お熱い新婚夫婦と友人たちの危なっかしくも痛快な探偵活動”と紹介されていますが、まさしくそのとおりの内容です。チャーリーとジャックの新婚夫婦は、冒頭に紹介した場面を見ていただいてもおわかりのように、アツアツな毎日を送っています。その仲のよさはバカップル一歩手前。なにしろ夫(三十代後半)が妻(三十代なかば)をつかまえて“かぼちゃ姫”と呼んだりするのですから……。ただ、ここで大事なのは、“一歩手前”というところ。あと少しで「アホらし……」と言いたくなるような甘甘な会話に、シニカルな味わいが絶妙のさじ加減で加えられているのです。

ミステリーのシリーズものでは、主人公のロマンスの行方がシリーズを引っぱる魅力のひとつになったりしますが、このチャーリーとジャックの場合、もう結婚してしまっているので、“このふたりの関係どうなるの?”的なドキドキ感はありません。ただ、ふたりのウィットに富んだ会話はその点を補ってあまりある魅力になっています。

ウィットに富んでいるのは、主人公ふたりの会話(というか、かけ合い?)だけではなく、作品全体です。また、このセレブ探偵のシリーズは端の端まで登場人物のキャラが立っていて、彼らがかもし出すにぎやかでリッチな雰囲気は、訳者あとがきにも書きましたが、一条ゆかりの『有閑倶楽部』をほうふつさせるところがあります。

美童グランマニエや白鹿野梨子(『有閑倶楽部』の登場人物です、念のため)を思い出させる友人たち、不良少年がそのまま成長したような、でも大富豪なチャーリーの叔父など、紹介しだしたら止まらないのですが、あまり長くなってもなんですので、ここでは特に訳者オススメのキャラ、ボディガードのフランクをご紹介します。ネアンデルタール人に似てる、だとか、ポニーテールがますます淋しくなってきた、とか、さんざんな書かれようなんですが、このボディガード、外見からは想像もつかない“かゆいところに手が届く男”なんです。本書でチャーリーの秘書(似合わなすぎる……)としてIT企業に潜入することになると、なかなか車を駐める場所が見つけられないサンフランシスコで駐車スペースを確保しておいてくれたり、何台ものパソコンをささっとセットアップしておいてくれたりするのですから。ゴリラ並みの毛深さや、発音が不明瞭で何を言っているのかよくわからない、という欠点はありますが、やっぱり意外性のある男は魅力的です。ゴリラ並みの毛深さだって、ふかふかしていて案外いいかも、という気にさえ……なるかどうかは、人それぞれでしょうか?

ミステリー作品なのに、肝心のストーリーについてほとんど触れない紹介になってしまいましたが、それは謎解きやプロットがお粗末だからではありません。デュマスは前作でCWAデビュー・ダガー賞にノミネートされた人物ですから。あと、コージー作品ながら、ちょっとしたアクション・シーンもあったりします。

本書は“ミステリーを読みながら、ニヤニヤしたり、クスリと笑いたい”、そんな気分のときにはぴったりの作品です。『何か文句があるかしら』から読んでいただいたほうが人物関係などはわかりやすいとは思いますが、軽妙な語り口がよりパワーアップした感のあるこの第二弾からお読みいただくのも大いにアリかと思います。もうすぐやってくる秋の夜長のお供にでもぜひに。

有閑倶楽部 (1) (集英社文庫―コミック版)

有閑倶楽部 (1) (集英社文庫―コミック版)

2010-08-23

栗木さつきのイチ押し本

 

 年とると、いいことないなあ。

と、お思いのあなた。

 最近、細かい活字を目で追う気力が失せたし、用事はメモしておかないとすっかり忘れちゃうし、気がつくと同じ相手に同じ質問を繰り返し尋ねてるし、なんかなあ。

 と、お思いのあなた。

 わかります。わかりますよ、ご同輩。 

 そんなとき、「年をとるのも悪くない」と思わせてくれる人生の先輩がいたら、どれだけありがたいか。

 おまけにその先輩が痛快な活躍を見せてくれたら、どれだけ胸がすくことか。

 わたしにとって、そんな人生の先輩は「ミス・マープル」と「いじわるばあさん」だ。

 まずはアガサ・クリスティーが創造した「ミス・マープル」。一見、物静かなごくふつうの年配の女性が、警察がてこずる難事件を持ち前の推理力であざやかに解決していく。わたしが惹かれるのは、彼女が人間の愚かさや欲の深さ、男女の機微などをじつによく心得ているところだ。事件の関係者に向けるまなざしや言葉からは慈愛さえ感じられるときもある。あんなふうに年齢を重ねたい、ものごとを俯瞰的に見る賢さを身につけたいと、つくづく思ったものだ。

 そして長谷川町子が描く「いじわるばあさん」。このばあさんには毒があり、ユーモアがあり、気概がある。はた迷惑な存在ではあるけれど、憎めない。そしてミス・マープルと同様、人間の愚かさを鋭くつく。寂しいときもあるだろうに、そんなそぶりは見せたくないし、同情だけはされたくないと思っているふしもある。

 肉体的な衰えは如何ともしがたいけれど、年をとったら、せめていくばくかの智恵は身に着けたい。ミス・マープルやいじわるばあさんのほかにも、同性の先達が活躍する小説をもっと読みたいなあ。

 そう思っていた訳者が原書を読んで惚れこみ、レジュメをもちこんだところ、懐が深い集英社翻訳書編集部が版権をとってくださった。そうして出版にこぎつけたのがアン・B・ロス作『ミス・ジュリア 真夏の出来事』である。主人公はアメリカ南部の小さな町に暮らす67歳の未亡人、ミス・ジュリア。平穏な毎日を送っていたところ、突然、資産家だった亡き夫の愛人と隠し子があらわれ、ミス・ジュリアは腰を抜かす。そこからストーリーはミステリの香りとサザンコメディの趣を漂わせて展開する。そして保守的な生き方を固持してきた彼女は苦しい葛藤を経て、新しい価値観を身につけ、大きく成長するのだ。あっぱれ、ミス・ジュリア。

この作品を通じて、訳者自身、大切なことを学んだ。何歳になっても人は成長できること。血のつながりのない他人と家族のような関係を結べること。誇りや良心を忘れてはならないこと。そして、ユーモアが人を救うこと。

本音を言えば、同性の先輩だけでなく、男性の先輩諸氏が知恵を寄せあって悪党を騙すようなコン・ゲームももっと読みたいと思っている。でもいま、快哉を叫びたくなるような女性の先輩の奮闘に関心をおもちのかたは、ぜひ、ミス・ジュリアと出会ってもらいたい。そして読後、こう感じていただければ幸いだ。たまに愚痴をこぼしながらも、そこはかとない希望と意志をもって年齢を重ねていこうじゃないか、と。

オスカー―天国への旅立ちを知らせる猫

オスカー―天国への旅立ちを知らせる猫