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2017-07-04

第32回 『イトヴィル村の狂女』『七分間』(執筆者・瀬名秀明)

 

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【写真1】

 

Georges Simenon et Germaine Krull, La folle d'Itteville, Jaques Haumont, 1931(1931/8か)(1931/5執筆)[原題:イットゥヴィル村の狂女] G.7【写真1】

「イトヴィル村の狂女」長島良三訳、《ハヤカワミステリマガジン》2000/2(No.527、45巻2号)pp.192-228*

Tout Simenon T18, 2003

Les sept minutes, Gallimard, 1938[原題:七分間] G.7

Tout Simenon T20, 2003 Nouvelles secrètes et policières T1 1929-1938, 2014

▼収録作

    1. Le Grand Langoustier[グラン・ラングスチェ邸]1930/6, 1931/5-6か 執筆)«Marianne» 1933/10/4号 - 10/11号(nOS 50 - 51)(全2回)
    2. La nuit des sept minutes[七分間の夜](1930/6, 1931/4執筆)«Marianne» 1933/3/29号 - 4/12号(nOS 23 - 25)(全3回)
    3. L'énigme de la Marie-Galante[《マリー・ガラント号》の謎](1930/6, 1931春執筆)

 

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【写真2】

 

(原題)La croisière invraisemblable, «Marianne» 1933/8/16号 - 9/6号(nOS 43 - 46)(全4回)[信じがたき航海]

▼邦訳

「あり得べからざる航海」岡田眞吉訳、《スタア》1934/11下旬(2巻22号, 37号)pp.24-26, 1934/12上旬(2巻23号, 38号)pp.24-26, 1935/新年増大号(3巻1号, 39号, 奥付ページ内には新年特別号とあり)pp.56-57(全3回)[3]*【写真2】(37, 38号は国立国会図書館デジタルコレクションにあり)

「マリイ・ガラント号の謎」松村喜雄訳、《探偵倶楽部》1955/11(6巻11号)pp.313-350[3]* 雑誌表紙と目次欄は「マリー・ガラント」表記。扉、柱、本文は「マリイ・ガラント」表記。雑誌奥付の「第九巻第十一号」は誤り

「将軍暁に死す」松村喜雄訳、《探偵倶楽部》1955/12(6巻12号)pp.150-182[2]*

「消失三人女」松村喜雄訳、《探偵倶楽部》1956/1(7巻1号)pp.314-350[1]*

 

 シムノンはメグレシリーズの正編を書き始めると、それまで書いていたペンネーム時代のヒーローをほぼ忘れてしまった。本名の仕事にシフトしてメグレのみに注力したわけだが、そのなかでたったひとり、ペンネーム時代から本名時代を跨いで書き続けられた探偵役がいる。『13の謎』連載第29回)に登場した行動派刑事G.7だ。

『13の謎』はもともとジョルジュ・シム名義で1929年に《探偵》誌に掲載された連作で、シムノンがメグレものの書き下ろしで成功してから、他の13シリーズとあわせて本名名義で出版されている。だからいまでも仏語圏で読めるのだが、実はその後、シムノンの本名名義で刊行されたG.7ものの本がさらに2冊ある。それが今回取り上げる『La folle d'Itteville[イトヴィル村の狂女](1931)と『Les sept minutes[七分間](1938)だ。ペンネーム時代から本名時代への変遷を見る上で無視できない貴重な作品群だ。

 大衆小説研究家のフランシス・ラカサン氏がシムノン以前のシムノン:ソンセット刑事の功績』巻末解説で事情を説明している。他の情報と照合しつつ、私なりに整理・再構築してみる。もしも間違った部分があったらごめんなさい。

 まだシムノンが正編のメグレシリーズに本格的に取り組み始める前、ファイヤール社がシリーズ作品4作の概要提出を要請した。そこで船旅から戻りながらもまだモルサン=シュル=セーヌで《オストロゴート号》船上の生活をしていたシムノンは、メグレ第1作『怪盗レトン』やさらなる続編の執筆と類似の時期に、後の『七分間』収録作となるG.7ものの中編3作の下書きを書いたようだ。1930年6月ころだったらしい。

 だが結局G.7ものの企画は Jaques Haumont 社[発音はジャッコーモンか?]に行くことになった。女性写真家ジェルメーヌ・クルルGermaine Krull(1897-1985)がストーリーに沿った写真を撮り下ろして犯罪実録読みもの風の冊子に仕立てる企画である。そこでシムノンは1931年初夏に中編『イトヴィル村の狂女』を書く。すでにメグレシリーズの刊行は始まって、成功への階段を駆け上がっていた時期だ。G.7ものはメグレと違って気軽で書きやすかったのではないかとラカサン氏は推測している。

 シムノンはすでにジェルメーヌ・クルルを知っていたようだ。ファイヤール社のメグレシリーズの表紙はどれも犯罪実録写真風だが、そのうちの1冊『メグレと深夜の十字路』の写真はクルルのものだ。彼女はポーランド/ドイツ出身のフォトジャーナリストで、エッフェル塔などのモダンな都市建築風景や、街路の事物・人物写真を得意とした。以前に紹介したヴィジュアル誌《Vu見た》でも活躍した。20世紀末から再評価が進み、いまは写真集が手に入る。日本語では今橋映子『〈パリ写真〉の世紀』(白水社)に紹介がある。

 シムノンは本名名義で『イトヴィル村の狂女』を刊行した1931年8月4日(火)、サン=ルイ島につけた自船《オストロゴート号》にクルルを始め著名人20人以上を招いて、やはりメグレシリーズ刊行時と同じように馬鹿騒ぎのパーティをやったという。バグパイプの楽隊が場を盛り上げた。1冊で企画が終わってしまったのは、クルルが政治的活動に時間を取られるようになったからではないかとラカサン氏は書いている。

 シムノンは残りの3作を箪笥の肥やしにしていたが、後の1933年に改稿の上《Marianneマリアンヌ》という娯楽紙に本名名義で掲載された。そのときクルルの写真が紙面を飾っており、『イトヴィル村の狂女』と同様にシーンを忠実に再現する写真が使われている。フランスの電子図書館ガリカで閲覧できるので、ぜひご覧いただきたい。各話の第1回掲載紙面を示しておこう。

http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/cb328116004/date

http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k7644937b/f9.item

http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k7644910p/f9.item

http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k7644930f/f5.item

 これら中編3作が『七分間』のタイトルで1冊の本に纏まったのは、かなり後の1938年のことである。

 

『イトヴィル村の狂女』1931

 小説家の「わたし」は、パリ司法警察局の有能な刑事G.7の活躍をこれまで何度か書いてきた。彼は30歳。育ちのよい少し内気な青年のような外観で、グレーの地味なスーツにベージュのレインコートを着ている。G.7という通称は、髪の色がタクシー会社《G7》の車のように赤いことからきている。

 台風で荒れる4月の深夜、私たちはおんぼろ車で、パリから南へ50キロのイトヴィル村近くへと出向いた。《死んだ馬》の十字路で奇妙な事件が発生したのだ。

 午後9時半に郵便局長が辻を通りかかったところ、辻の旧家に住む若いブロンド娘が「彼が殺された!」と助けを求めてきた。近くに病院を構えるカニュ医師が倒れているではないか。息がない。だが慌てて憲兵隊を呼んで戻ってきたところカニュ医師の姿はなく、なんと別の見知らぬ男が心臓にナイフを刺されて死んでいた。

 驚いて憲兵隊がカニュ医師に電話すると、彼は生きて病院におり、しかも目撃のあった時間は別の村に出産の立ち会いに行っていたという。ともかく死体はカニュ医師の病院に運ばれた。ブロンド娘の名はマルト・タンプリエ。証言は要領を得ず、精神の発達に障害があるという。

 わたしとG.7はカニュ医師の病院に赴き、死体を確認しようとした。だが安置所から死体は消え失せていた。

 翌日、わたしたちは《死んだ馬》の十字路の旧家に住むマルト嬢を訪ねる。わたしは豊かなブロンドと少女のような声の彼女に魅了される。家の窓から広大な麦畑と、いくつもの案山子が見える。G.7はわたしに拳銃を手渡すといった、「地平線から目を離さずに見張ってくれ、もし午後5時になっても何もなければ、右から3番目の案山子を撃て」と。

 マルト嬢が背後のベッドに座ってわたしを見続けている。途中、不意にわたしに襲いかかってきて、彼女の拳銃を取り上げる。だがわたしはすぐさま気を取り直して窓辺へと戻る。そしてじりじり時間が過ぎ、5時になって、わたしは案山子を撃った。そして外へ出て案山子のもとへと辿り着いたとき、驚くべき事態を目の当たりにした。G.7が「こっちだ!」と叫ぶ声が聞こえる。事件の痛ましい真相とは? 

 

 話者である「わたし」の淡い恋心が描かれるのが特徴だが、実は最後になって、G.7もブロンド娘に好感情を抱いていたのだとわかる。

 イトヴィルという村は実在するが、本当にこのような十字路があるかどうかは不明。十字路で事件が展開し、その辻に謎めいた美女が住んでいるというシチュエーションは、『メグレと深夜の十字路』(1931/4執筆)を容易に想起させる。本作はその直後(1931/5)に書かれたと思われる。このようにG.7ものの中編はたいてい原型作品がある。

 とはいえ、冒頭のヘンなシチュエーションはこれまで『不安の家』連載第23回)や「マリー橋の夜」連載第30回)でも見てきたようにシムノンならではのもので惹きつけられるし、いっときの娯楽ミステリーとしてなら充分に楽しめるものだと思う。

 本作はもともとコラボレーション企画だったためか、後の全集にテキストのみ収録されたことを除いて仏語圏で復刊の機会がなかった。シムノンだけでなく相手の写真家ジェルメーヌ・クルルも著名なので、かなり古書価が高い。実際、私の所持している最も高額なシムノン本だ。

 

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【←写真3】【写真4→】

  

 クルルの写真はほぼ全ページにわたって掲載されており、ストーリーを忠実に再現していて、ほとんど絵物語や実録紙芝居のようだ。とくにマルト嬢役の生々しい表情を捉えたシーンは惹きつけられる。【写真3】の右ページに見えるのが《G.7》で、《ハヤカワミステリマガジン》訳出時の205ページ上段に当たる。【写真4】は同211ページ下段、「涙で洗われたような澄んだ瞳で、われわれを虚ろに見つめている。/わたしは魅了されはじめていた!」(長島良三訳)の部分。

 書籍の裏表紙には、同じくシムノンとクルルのコラボによる企画第2弾『L'affair des sept minutes[七分間事件]のタイトルが大きく予告されていた。これは未刊に終わったが、後述の「将軍暁に死す」だったのだろう。ミシェル・ルモアヌ氏の著書『Simenon: Écrire l'hommeシムノン:人間を書く](Gallimard, 2003)はカラー写真がたくさん掲載されたコンパクトかつ密度の濃いお薦めの作家ガイド本で、見ているだけで楽しいが、その38ページに幻の『七分間事件』の表紙レイアウトが載っている。

 ひょっとすると、クルルはこの時点ですでに次回用の写真も撮っていたのかもしれない。書籍が1冊で終わってしまったのは惜しまれるが、後の新聞掲載版でクルルとのコラボは復活したのである。

 

 

「消失三人女」1933

 わたしと司法警察局のG.7は南仏ポルクロール島を訪れた。この砂浜で相次いで3人の女性が行方不明になっており、「グラン・ラングスチェ邸を調べろ」という奇妙な噂話が広まって、パリまで届いていたのである。

 6月のポルクロール島は太陽が燦々と輝く楽園のような場所で、ミモザなど百花が咲き乱れ、ユーカリやバナナの樹も見える。グラン・ラングスチェ邸に住むのは40歳前後のアンリという男で、普段から数人の情婦を家に引っ張り込んで暮らしており、消えた3人の女も彼のもとにいたのだった。邸宅には他にアミラルという白髪の老人も同居している。

 けだるい島の生活。G.7やわたしはハンモックで過ごし、情婦のリリーと話したりする。あるとき叫び声が聞こえ、アンリを始めわたしたちは森へ分け入ったが、わたしは何者かから発砲を受けて軽傷を負ってしまった。

 夜にはツーロンの艦隊が海上で実砲射撃演習をする。その夜、わたしたちはアンリらと夕食後、邸宅の2階に上がったが、具合が悪くなった。ふたりとも睡眠薬を盛られたのだ。アンリも眠ってしまっている。射撃演習の音が響く夜、わたしたちは懸命に睡魔と闘っていたが、そのとき森の狐罠に何者かが掛かり、それを知らせる激しい電鈴が邸内に響いた。わたしたちは現場へと駆けつける。誰が何の目的で3人の女を消したのか。犯人はアンリだろうか? 事件の背景となった過去の出来事とは? 

 ポルクロール島の情景描写がなかなか眩しくて印象的だ。異郷小説の趣がある。ミステリーとしての結構よりも、けだるい島の情景が読みどころだろう。

 これまでも紹介してきたようにイエール沖ポルクロール島はシムノンが1926年夏にバカンスを過ごし、異郷の雰囲気を満喫した場所だ。『13の謎』収載のG.7ものの短編「ハン・ペテル」でも舞台になっている。

 

【註1】

 ラストのG.7の述懐が、通俗ミステリー作品らしからぬ妙に深遠な内容で、かえって浮き立っていて興味深い。まるで後年のシムノンの特徴をそのまま自己分析しているかのようだ。

 

「事件は、君の立派な推理によって、ものの見事に解決したわけだ」

(中略)「君までが、そう信じているのか……小説家なら、ボクと同じようにかならず解決するよ……推理とか、それに似かよったものなんて、じつは、なんにもなかったんだ……しかたがしないので[ママ]、私は、人間を見つめていただけだ……私は、あそこの人間どもの体臭をかいだんだ……そして、ほかの事件を、あれこれと思い出した……とくに、過去の犯罪事件をひとつひとつ吟味した……」(松村喜雄訳)

 

 

「将軍暁に死す」1933

 オルフェーヴル河岸の司法警察局のオフィスで、G.7がわたしに匿名の投書を見せる。そこには「イヴァン・ニコライヴィッチ・モトロゾフがセーヌ河岸の自宅で6月19日に殺害されるだろう」と書かれてあった。

 冷たい雨の夜、わたしはG.7とセーヌの対岸からくだんの家を見張った。他にもオビエ刑事が監視に立っている。モトロゾフはもとロシア帝国将軍で、55歳ほど。老人はレストランから戻り、自宅に入った。その後もわたしたちは見張ったが、わたしは午前2時の時報の後、ついうっかりとその場で寝入ってしまい、はっと目を覚ますと2時7分過ぎだった。G.7はすぐそばにいる。

 何事もなかったかのようだったが、明け方5時にわたしたちが鍵の掛かった家に乗り込むと、なんと将軍は2階の寝室のベッドで心臓を撃たれて死んでいたのだ! 凶器のピストルも見当たらない。

 まだ犯人は家のどこかに隠れているのではないか。だがG.7は自分の拳銃を構えて周囲を警戒する様子もない。寝室のストーブのダクトは下階の食堂まで延びている。ダクトを通してわたしたちの会話を犯人は聞いているのではないか。だが急いで食堂へ降りてみたが、ダクトは天井を這っているだけで、怪しい人影はどこにもない。

 現場検証に立ち会い、オルフェーヴル河岸のオフィスに戻ったわたしは、G.7の机上の写真に気づいた。モトロゾフともうひとり、こんなに美しい娘は見たことがないというほどのロシア女性の写真だ。モトロゾフの娘ソニアだった。

 その後しばらくして、不可解なことにG.7は辞職願を司法警察局の部長に提出し、わたしの前からいなくなってしまった。

 ひょっとして、わたしが眠ってしまった7分間にG.7は将軍を撃ち、また戻って何食わぬ顔をしていたのではないか。わたしは友人に対し疑念に駆られる。元保安部刑事の探偵に依頼し、わたしはG.7の動向を探った。すると彼が最近、ソニアらしきロシア女性とたびたび食事を共にしていることがわかった。彼はソニアと恋に落ちたのか? なぜ彼は辞職したのだろう?

 わたしは司法警察局の部長の名を騙ってG.7に連絡し、彼と会うことに成功した。あの事件から1ヵ月半が経っていた。彼は驚くべき経緯を語り、わたしを将軍の家へと連れて行く。密室事件の真相は? そしてG.7の決断とは?

 

 原題は「七分間の夜」で、語り手であるわたしがつい眠ってしまった空白の時間を示している。本作はシムノンのペンネーム時代の探偵役L.53が活躍する短編「“ムッシュー五十三番”と呼ばれる刑事」(連載第23回)の焼き直しだ。トリック自体も実在の事件をもとにした有名なもので、このトリックはさらに変奏され、後にメグレシリーズの一編『死んだギャレ氏』になっている。

 つまりトリック自体にオリジナリティがあるわけではないが、その後の処理にシムノン独自のアイデアがあるのだと思う。トリックを早々に見抜いた探偵役が、その真相を知ったことで事件の当事者らに対してどのような態度を見せるのか、というところに面白みがある。その部分での応用が、『13の秘密』連載第28回)所収でやはり同じく密室ものであるジョゼフ・ルボルニュものの短編「クロワ=ルウスの一軒家」ということになる。

 今回のヴァージョンは、モトロゾフ将軍の過去の物語が終盤に大幅に書き加えられていることが特徴だ。語り手がG.7と再会した後、その痛ましい経緯がG.7の口から語られる。ここはたぶんシムノンが後で加筆したところで、まるで映画砂の器で終盤にいきなりピアノ協奏曲「宿命」に乗って過去の物語が延々と語られるかのように、突然モトロゾフの悲しきこれまでの宿命が、ちょっと見違えるほどの筆致で紡がれてゆくのである。ここは読み応えがある。

 

 

「マリイ・ガラント号の謎」1933

 9月はじめ、わたしとG.7は港町フェカンに赴いた。この時期のフェカンは雨模様ではなく、珍しく健康的な陽射しが注ぐ。

 G.7はパリ司法警察局を辞職し、ベリー通りの小さな事務所で私立探偵業を開業したばかり。来月にはロシア女性ソニアと結婚する。そんな彼にフェカンの裕福な商人モリノー氏から調査依頼があったのだ。モリノー氏の古い持船《マリイ・ガラント号》が、夜中に誰の姿もないのにひとりでドックから沖合へと出て行った。翌日英仏海峡で発見されたが無人で、ウィスキーの空瓶が転がっていただけだ。しかも曳船されて戻ってきたので調べると、タンク内から身元不明の女の死体が見つかったのである。絞殺だという。曳船先から多額の金を要求されたモリノー氏は、船を出航させた者を見つけたいと考えていた。

《マリイ・ガラント号》は巨大な船で、すでに現地ではリュカ警視le commissaire Lucas が捜査に当たっている。腕利きで、幅広い肩を二度揺するのが癖だ。

 モリノー氏の妻はノルマンディの典型的美人だったが、10年ほど前に若い男と逃げて行方知れずになり、しかも3年前にブレーメンで亡くなったという。娘は父に似て器量が悪く、夜に自宅で弾くピアノの音がやるせなくもの悲しい。息子は神経質なところがあり、モリノー家の家庭環境は幸福とはいえない。

 もしかすると死体の女はモリノー氏の妻で、モリノー氏が殺したのではないか。わたしはそう考えたが、どうやら死体は別人のようだ。わたしたちは《マリイ・ガラント号》やモリノー氏の自宅が見えるホテルに宿泊したが、G.7は窓を開けて寝入ったのが祟ったのか風邪気味となり、ホテルから動かない。わたしがかわって外へ出て、曳船の船長などを連れて来てG.7に引き合わせたりする。モリノー氏の息子もやって来たが、父親から死体の女と面会するなと釘を刺されたという。彼は母の面影をずっと探して生きてきたのだ。G.7はきみの母親をきっと見つけると請け合う。

 モリノー氏が調査の進捗状況を心配し、G.7を訪ねてくる。だがG.7はわたしたちを置いて、パジャマ姿のまま退席してしまった。10分経っても彼は戻ってこない。わたしがそっとドアノブを確かめると、外から鍵が掛かっている。G.7はモリノー氏を閉じ込めるのが目的だったのだ。しかし、なぜ? そこへG.7から電話があり、ようやく女中に解錠してもらい、わたしたちは外へ出た。モリノー氏の事務所へ行くと、そこに着替えを済ませたG.7が待ち構えていた。事件の真相は? 

 

 おお、リュカ警視(!)が登場。ちょっとメグレに似ている。またモリノー氏とG.7の関係は、後の『霧の港のメグレ』を連想させる。

 G.7がパリ司法警察局を辞して私立探偵になったばかりという設定がミソで、これが事件の解決に大きな意味を持つ。まるでエラリー・クイーンのようだ! これは面白い趣向で、連作の構成の妙が楽しめる。先の「将軍暁に死す」ではG・K・チェスタートンそっくりの逆説も出てくるので、本連作は本格ミステリーファンの心をつかむ要素が多いかもしれない。

《マリイ・ガラント号》という名前は前回ちょっと触れたように、西インド諸島マリー・ガラント島から採っているのかもしれない。無人船が漂流しているという設定は、1872年の伝説「マリー・セレスト号事件」がヒントなのだろう。既読ペンネーム作品では「ソンセット刑事の事件簿」連載第24回)第14話「三人の波止場の溝鼠」が近い。もっと近似したペンネーム時代の先行作があるのではないかと直感するが、見つけられていない。

 実は本作は日本におけるシムノン受容史で意外と重要な位置づけにある。私の知る限り、初めて本名名義で邦訳紹介された作品なのだ。これ以前のシムノンの邦訳は、既出の通り《猟奇》掲載のペンネーム作品のコント4編(1931)が見つかっているだけだ(連載第20回連載第21回)。

 本作は戦前の映画雑誌《スタア》で1934/11下旬号(2巻22号, 37号)、1934/12上旬号(2巻23号, 38号)、1935/新年増大号(3巻1号, 39号)の計3回にわたり、岡田眞吉訳「あり得べからざる航海」として掲載された(1934/12下旬号は年末で休号のため存在しない)。後の本国書籍版(1938)の題名「L'énigme de la Marie-Galante」ではないから、《マリアンヌ》掲載版(1933)の「La croisière invraisemblable」から直接翻訳されたことになる。【写真2】で示したように、「シメノン」ではなくはっきり「ジョルジュ・シムノン」と書かれている。「シメノン」表記で出た初の邦訳書籍『モンパルナスの夜 ─男の頭─』(永戸俊雄訳、西東書房、1935/11/16発行)より早く、書籍の背表紙に初めて「シムノン」と書かれた『黄色い犬』(別府三郎訳、黒白書房、1936/1/25発行)よりも、もちろん早い。日本のシムノン受容史は「シメノン」表記ではなく「シムノン」表記から始まっていたのだと、ここで声を大にして指摘したい。これは新発見のはずである。

 実はこれ、国立国会図書館デジタルコレクションに最初の2号分しか登録がなくて、2回で完結だと思っていたら、途中で切れているのだよ。次号に続くとも何も書かれておらず、ページの最後でぷっつり終わってしまう。《探偵倶楽部》版「マリイ・ガラント号の謎」でいえば344ページ上段のところ。読んでみて初めて次号にも続きが載っているのではないかと気づいた次第。

 ようやく同志社大学に次号があるとわかって取り寄せて読んだのである。いやあ、見つかってよかった。無事に物語は完結していて、そんなに翻訳も悪くない。

 

 シムノンは一度作品を発表すると後は頓着しないタイプの作家だったようだ。後年に筆を加えた作品というのをほとんど聞いたことがない。雑誌掲載作品を単行本化するときも、たぶんまったく手を加えていなかった。

 そうしたなかで、『七分間』収載の中編3作は、いったんペンネーム時代に書いてから本名時代に改稿した非常に珍しい例だと思う。このような作例は私の知る限りだと他に長編『北氷洋逃避行』(1932)しかない。

 どの部分をどのように改稿したのかわからないが、邦訳を読むと文章の質感がまだらであるという印象は受ける。「将軍暁に死す」終盤の映画砂の器っぽい部分は後の加筆のような気がするし、「マリイ・ガラント号の謎」では台詞に「……」が多くなっていて、この台詞の溜め具合は第一期メグレの特徴に近いようにも思える。

 ストーリーは全般的に通俗的な探偵小説の枠組みに留まっているのだが、文章はところどころで私たちの知るシムノンらしさが効いているように思える。未熟な時期のアイデアを、いくらか筆力がついた時期に書き改めて、それなりに読める作品に仕立てている、という印象を受ける。まあたんに印象なので本当のところはどうかわからないが、ペンネーム時代と本名時代の合作のように読める興味深い連作だ。

 

   

 

 今回メグレものの『死んだギャレ氏』に通じる作品「将軍暁に死す」を取り上げたので、それに関連して日本人作家の小説にも言及したい。

 角田喜久雄(つのだきくお)の先駆的本格長編推理小説『高木家の惨劇』(1947)はシムノン『ロアール館』[死んだギャレ氏](春秋社、1937)の影響を受けているのではないか、との指摘をときおり目にする。戦後日本の本格ミステリーとシムノンの交差である。角田喜久雄メグレ警視ものが好きだったそうだ。

 そこで『高木家の惨劇』を読んでみた。中島河太郎監修『日本探偵小説全集3 大下宇陀児角田喜久雄集』創元推理文庫、1985)に収録されている。

 前半の物理トリックと心理トリックのせめぎ合いはなるほど『死んだギャレ氏』っぽいが、それだけでなく中盤はダンケルクの悲劇』[13の謎](春秋社、1937)所収の「引越の神様」のようで、しかも後半の一部は『モンパルナスの夜 ─男の頭─』[男の首](西東書房、1935)っぽい。だが最後にはそのどれでもない独自の世界観になっていると感じた。戦後日本の情景描写がとてもいい。

 山前譲氏は「必読本格推理三十編」に『高木家の惨劇』を選んでいる[この評論は鮎川哲也編『硝子の家 本格推理マガジン』(光文社文庫、1997)所収]

 他の加賀美敬介捜査一課長シリーズ作品は『奇蹟のボレロ国書刊行会、1994)にまとめられており、新保博久氏が心の籠もった巻末解説記事を寄せている。こちらも読んだ。中編「緑亭の首吊男」(1946)は、シムノン『聖フォリアン寺院の首吊男』[サン・フォリアン寺院の首吊人](春秋社、1937)とタイトルがよく似ている。だが短編「怪奇を抱く壁」(1946)はもうそれ以上にはっきりと、トランクすり替えというシチュエーションが『サン・フォリアン寺院』そのものだ。

 他にも先達の海外傑作ミステリーに敬意を払った短編が散見され、当時の作者の意気込みが伝わってくるが、なかでも興味深かったのは短編「五人の子供」(1947)だ。この物語の決着は、まさにシムノン「“ムッシュー五十三番”と呼ばれる刑事」「将軍暁に死す」「クロワ=ルウスの一軒家」『死んだギャレ氏』で示した方向性とよく似ている。物理トリックではなく、そのトリックを見破っていた探偵役がどのような決断をしたか、という心理面での決着だ。シムノン『死んだギャレ氏』からの影響ということなら、ひょっとするとこの「五人の子供」がいちばんかもしれないし、そして作品自体も出来がいい。シムノンからの影響が浮いておらず、こなれている。

 長編『奇蹟のボレロ(1947-1948)も奇術団のなかで起こった凶行を扱って一見シムノンとは無関係に見えるが、途中で登場人物のひとりが「自分がやった」と告白して、それをきっかけに次々と容疑者の目星が変わってゆくスリリングなシークエンスは、ちょっとばかり後年のシムノン『メグレ罠を張る』(1955)にも似ている。もちろん当時の角田が読んでいたはずはないが、いかにもシムノンが書きそうな展開なのだ。角田は意外にずばりとシムノンの本質を見抜いて、無意識のうちにそのスタイルと作法を会得していたのではないか。ついそんな空想を広げたくなる。

 全般的になかなか面白く、これを機会に角田喜久雄を読めたのは嬉しかった。題材が自分の趣味と近そうな『折鶴七変化』『風雲将棋谷』もいつか読んでみたい。

 

【註1】

 ベルギーに事務局を置く「Les Amis de Georges Simenon ジョルジュ・シムノン友の会」から、シムノン研究家であるピエール・ドリニーPierre Deligny、クロード・マンギー両氏の共著で『Simenon de Porquerolles: Cinq séjours dans « une île idéale »』[ポルクロール島のシムノン:「完璧な島」への5回の滞在](2003)という研究同人誌が出ている。

 これに拠るとポルクロール島には実際に《Le cabanon du Langoustier ラングスチェ別荘宅》という家があって、シムノンは1926年のときそこに滞在していたそうだ。

 シムノンはポルクロール島を愛し、その後も1934年、1936年、1937年、1938年と計5回滞在した。最後に訪れたのは戦後の1955年だったそうだ。

 


瀬名 秀明(せな ひであき)

 1968年静岡県生まれ。1995年に『パラサイト・イヴ』で日本ホラー小説大賞受賞。著書に『月と太陽』『新生』等多数。

 

Tout Simenon 18: Maigret/L'Homme De Londres/L'Ane Rouge etc

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2017-06-06

第31回『悪魔との婚約者』他 初期小説からシムノンへ(執筆者・瀬名秀明)

 

f:id:honyakumystery:20170424104355j:image:w360

【写真1】

 

  • Georges Sim, En robe de mariée, Tallandier, 1929/3* [花嫁衣装]【写真1】
  • 初出原題 Nicole et Dinah, «L'Œuvre» 1928/12/30号-1929/2/14号(全47回?)
  • Georges Sim, La fiancée du diable, Fayard, 1932(1930/12/15契約)[悪魔との婚約者]
  • Georges Sim, La fiancée du diable, Les introuvables de Georges Simenon, Presses de la Cité, 1980* 【写真2】

 

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【写真2】

 

 私はティジー[註:シムノンの最初の妻]の言葉に従ってコランクール通りのカフェのテラスに腰をおろし、私の最初の長編大衆小説『あるタイピストの物語』*1を書いた。もちろん、そのまえに、原稿を持ちこむ予定の出版社から出ている小説をいくつか読み、どういうふうに書いたらよいか検討はつけてあった。(中略)

 ジュニア向けの双書もあり、そういうものを書くときには、私が奮発して買った『ラルス大百科辞典[ラルース百科事典]を見れば、アフリカやアジアや南米の各地域の動植物のこと、原住民のことがなんでも調べられた。そうやって、私は『大司祭セ・マ・ツィエン』*2とか『森の潜水艦』*3とか、そのほか世界中いたるところを舞台にしたジュニア小説をたくさん書いた。まったく『ラルス大百科辞典』の世界は実に面白かったよ! 

 ミーハー族向けのロマンスには不幸な出来事を山ほど盛りこみ、終わりは愛と結婚で結ぶことになっていた。たとえば『冷たい手のフィアンセ』*4とか『ミス・ベイビー』*5のように。『ミス・ベイビー』のモデルはジョゼフィン・ベイカーだった。(中略)

 多いときには、私は一日にタイプ用紙八十枚分の小説を書いたので、結婚したてとくらべれば、私たちは金持ちになっていたといってもいいくらいだった。

――『私的な回想』(1981)長島良三訳、《EQ》1986/3訳載  

 

【引用者注】

*1. Jean du Perry, Le roman d'une dactylo, Ferenczi, 1924(1924/6/30提出)シムノン初の書下し中編ロマンス(小冊子)。長編ではない。(連載第21回参照)

*2. Christian Brulls, Se Ma Tsien, le sacrificateur, Tallandier, 1926(1926/3/18契約)ヴードゥーの巫女』連載第22回)に続く2冊目の長編秘境冒険小説。

*3. Georges Sim, Le sous-marin dans la forêt, Tallandier, 1928(1928/6/12契約)

*4. Georges Sim, La fiancée aux mains de glace, Fayard, 1929(1928/10/15契約) イーヴ・ジャリーものの第4作。(連載第23回参照)

*5. Georges Sim, Miss Baby, Fayard, 1928(1927/12/25契約)『美の肉体』連載第23回)以前の作品だが、未読のため登場人物がジョゼフィン・ベイカーに似ているかどうか不明。インドシナサイゴンが背景のようだ。シムノンが初めて書籍出版した「ポピュラー小説」。【写真1】

 

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【左:写真3/右:写真4】

 

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【写真5】

 

 これまで10回以上にわたってシムノンのペンネーム作品を読んできた。今回がその最終編となる。

 紹介していなかった書影をまとめて掲げておこう。【写真2】はプレス・ド・ラ・シテ社の復刊「Les introuvables de Georges Simenon」 [ジョルジュ・シムノン稀覯作品集]全12冊(1980)のうちメロドラマ系の6冊。秘境冒険小説系の6冊は【写真5】参照。【写真3】はファイヤール社の戦後復刊「Le roman complet [完本長編小説](1952)。【写真4】シムノン『怪盗レトン』発表後に契約・出版した最後期のペンネーム作品小冊子。少なくともゴリラの小説は昔のストック原稿のお蔵出し。

 今回取り上げるペンネーム作品を、次のふたつの観点から選んでみた。

 まずはメグレの仲間が登場する作品だ。シムノン『怪盗レトン』以前にメグレ前史を書いていたことは記したが、メグレシリーズのサブキャラクターたちもペンネーム時代から少しずつ私たちの前に姿を見せていた。すでにトランス刑事と保安部の部長は紹介したので、今回はコメリオ判事とリュカが登場する作品を選んだ。

 もうひとつは、『怪盗レトン』以後に書かれたと思われる作品だ。シムノンがペンネームを捨てる直前、すなわちペンネーム時代からシムノンへと至る橋渡し時期の作品に接してみたかった。

 

 まず読んだのは1928年雑誌発表の『En robe de mariée[花嫁衣装]だ。後のメグレ警視シリーズの常連キャラクターとなるコメリオ判事が、初めてその声を聞かせてくれる作品なのだという。

 メグレ仲間でいちばん早くデビューしたのがコメリオ判事で、すでに長編『Mademoiselle X…[マドモワゼルX…](1928)、『La femme qui tué[殺しの女](1929、イーヴ・ジャリーもの)で名前だけ登場していたそうだが、この『花嫁衣装』で初めて出番を見せる。

 しかも研究家のミシェル・ルモアヌ氏がシムノンの別世界』で、本作を「シムノンのポピュラー作品のうち最良作のひとつ」と珍しく褒めている。

 1928年はシムノンが船旅を始めた年だ。いちばん多くペンネーム作品を出版した年でもあり、ポピュラーな長編作品をどんどん書くようになっていった時期に当たる。

 

『花嫁衣装』1929

 アマチュア・レーサーであるジョルジュ・フェヴロー35歳は結婚当日の朝、緊急の電話を受け取った。礼服姿でモンスリ公園近くの花嫁の家に駆けつけると、相手のディナ・ゴーティエ・ノワヨン24歳が花嫁衣装に身を包んだまま、ソファに横たわって死んでいたのである! 

 ディナの両親は再婚で、父親のジャーメインは生物学者。自宅の研究室でカエルを使った蘇生実験にいそしんでいる。ディナは母マティルダが植民地司政者である前夫との間にもうけた娘であり、黒ダイアモンドのような瞳を持つエキゾチックな女性だった。いまは再婚後に生まれた金髪で青い瞳の妹アン・マリー17歳がおり、普段彼女は自宅のラボで父の研究を手伝っている。

 母はかつて前夫とともに西インド諸島マリー・ガラント島で暮らしていたが、前夫は現地民に対して支配的で、ついには現地のニグロたちに森に連れ去られ、殺されてしまった忌まわしい過去がある。ディナはいわば植民地に生まれ育った「クレオール」であり、仏語よりも現地の言葉をよくしゃべり、ニグロと遊ぶことが多かったので、母は内心わが娘を恐れていた。その後、現地調査に赴いていたジャーメインと知り合って再婚し、フランスに戻ってきたのである。ディナは自由奔放でダンス好きな美しきクレオールとして育ち、近年は家に多くの知人を招いてパーティを催していた。ジョルジュはそこで彼女と知り合ったのだった。

 ジョルジュは突然のフィアンセの死に衝撃を受ける。母親も伏せっている。だがアン・マリーだけが冷静さを保っているように見えるのは奇妙だ。医者はどこにも外傷がないようだと首を傾げる。なぜ結婚当日にディナは突然死したのか。

 さらに奇怪なことが起きた。ジョルジュや家族が目を離した隙に、花嫁姿のディナの遺体が忽然と姿を消してしまったのである。

 保安部のオビエ刑事とディステルヌ刑事が到着し、捜査に乗り出す。オビエは40歳ほどで大柄。足で捜査するタイプだが、やや愚鈍な感じだ。相棒のディステルヌは彼より10歳ほど若く、誠実で頭の切れる刑事である。彼らは現場で煙草と、ネックレスから外れた真珠の玉を見つける。ディナは真珠のネックレスなど持っていなかったはずだ。

 誰がディナの遺体を持ち去ったのか。ディナの部屋の窓から庭へ出て煉瓦塀を越えれば、人に知られず脱出できるはずである。

 妹のアン・マリーが共謀者ではないかとにらんだジョルジュは家を見張る。すると深夜にアン・マリーが家を抜け出し、モンスリ公園にこっそりと何かの包みを置き去ってゆくのを見た。だがジョルジュはここで何者かの襲撃を受ける。

 このころからアン・マリーの人となりに変化が現れ始めていた。優しい感情を見せ、積極的にジョルジュを気遣うようになったのである。一方、父親のジャーメインはラボに閉じこもりがちとなり、「狂気が潜んでいる!」と訴えるようになった。妻がかつて暮らしていたマリー・ガラント島ヴードゥーが関係しているとほのめかすのだ。蘇生実験のカエルさながら、ディアナは死んでいなかったというのだろうか。

 ジョルジュはアン・マリーとともにパリ司法宮に赴き、コメリオ予審判事の質問に答える。その後、ジョルジュは家に戻って謎の手紙を受け取った。「今夜12時、20万フランを持ってブーローニュの森へ来い」というのだ。

 ジョルジュは恐れを抱きつつも大金の小切手を持って指定の場所に赴く。だがここで再び襲撃を受け、どこかの冷たい小部屋に誘拐・監禁されてしまった。サクソフォンの音が聞こえる。何日も囚われて精神も体力も消耗してゆく。ついに脱出し、通行人の助けを借りて何とか自宅へ戻った。

 一方、ディステルヌ刑事はアン・マリーの動向を見張り、彼女が《公園ホテル》に誰かを訪ねた後、ジョルジュのアパルトマンへと入ってゆくのを認めた。オビエ刑事に連絡し、ふたりで乗り込む。

 アン・マリーは《公園ホテル》にナポレオン・カスラーニョなる黒人男性を訪ねていたのである。だがジョルジュが脱出を遂げて戻ってくることは知らなかった。アン・マリーはジョルジュの部屋で危機に見舞われる。ジョルジュは負傷した彼女をかくまい、これまでの経緯を聞き出す。それは婚約者のディナが、かつて子どものころマリー・ガラント島ヴードゥーの巫女だったという驚くべき話だった。

 ジョルジュはいつの間にかアン・マリーを愛し始めていた自分に気づく。

 

 いやー、何でもありの展開。シムノン初の秘境冒険小説ヴードゥーの巫女』が、ロマンス小説の体裁とドッキングされている。まだシムノン独自の文体が形成される前の、限りなく通俗的な作品なのだが、ひたすらテンポよく進んで物語も単純であるため、こういうものだと割り切って頭を空っぽにして読める。監禁・拷問シーンは後の『軽業師カティア』連載第25回)に似ている。西インド諸島マリー・ガラント島は、秘境冒険小説『Jacques d'Antifer, roi des îles du Vent[ジャック・ドンティフェール、ウィンドワード諸島の王](1930)(1926/12/15契約)にも登場するそうだ。後のG.7ものの中編「マリイ・ガラント号の謎」(1933発表)の名前の由来でもあるのだろう。

 例によって主要人物は負傷するが、これまで読んだ作品と違い、さっさと意識を取り戻してもったいぶらずに背景を語ってくれるのはポイントが高い。「最良作のひとつ」とするルモアヌ氏の評価はどうかと思うが、こういうテキトーな小説の方が、『美の肉体』『軽業師カティア』などの力作ゆえに未熟さも見えてしまう作品よりかえって面白いと評価する読者がいてもおかしくはない。

 連載時の題名は『Nicole et Dinah[ニコルとディナ]だが、ニコルなる人物は登場しない。もともとは妹のアン・マリーがニコルという名の設定だったのだろう。研究家のクロード・マンギー氏はシムノンの艶笑コント調査時に、《パリ歓楽》1931/10号(112号)でニコルとディナという踊り子がページを挟んで掲載されているのを知って驚き、このふたりがモデルではないかと想像しているが実際のところはわからない。電子図書館ガリカで閲覧できる。

 コメリオ判事は残念ながら容貌などの具体的記述がなく、その台詞が拝めるだけだ。しかしジョルジュやアン・マリーに一定の気遣いを見せているのは読み取れる。

 

 ミシェル・ルモアヌ氏の書誌シムノンの別世界』『シムノン黎明期の輝き』に拠ると、シムノンがペンネーム時代の最後に出版契約を交わした長編は次の3つであるらしい。いずれも1930年12月15日付の契約で、これはメグレ第1作の『怪盗レトン』が本名名義で連載発表(1930年9月)された後の時期になる。

 

  • Christian Brulls, Les forçats de Paris, Fayard, 1932[パリの受刑者]
  • Georges Sim, La fiancée du diable, Fayard, 1932[悪魔との婚約者]
  • Christian Brulls, L'Évasion, Fayard, 1934[脱走]リュカがメグレに電話をかけるシーンがあるという

 

【写真4】に示したように、この後も小冊子の中編はいくつか契約がある。ストック原稿が後に契約に至ったケースもあるようだ。

 しかし研究書誌を見る限り、最後期のペンネーム長編はおそらくこの3作なのだろう。

『怪盗レトン』の執筆時期は1930年春ともいわれ、『メグレと運河の殺人』『死んだギャレ氏』が同年夏。『サン・フォリアン寺院の首吊人』が同年夏から12月。ここでシムノンはパリ近郊から一時コンカルノーに移動(後に書く『黄色い犬』の舞台)。つまりペンネーム時代最後の上記3作は、傑作『サン・フォリアン寺院の首吊人』と同時期に書かれた可能性がある。

 今回『La fiancée du diable[悪魔との婚約者]【写真2】を選んだのは、上記3作のなかで戦後に唯一復刊が出た作品であり、テキストが容易に入手できたからだ。『悪魔(ディアーブル)のフィアンセ』というベタなタイトルもいい感じだ。池田悦子・あしべゆうほのマンガ『悪魔(デイモス)の花嫁』は大好きだったよ! 

 

■『悪魔との婚約者』1932

  • 第一部

 法律家の卵フィリップ・グロンヴィル26歳はドイツのエッセンを訪れていた。同行していた友人フェルナン・ドビエの都合で帰国が遅れ、フィリップはひとりでキャバレーに遊びに行った。そこで出会った緑の瞳を持つ金髪の娘が、父親とおぼしき同行者を店外へ連れ出すのを手伝ってほしいと頼んでくる。後で自分の手に血がついているのに気づいてフィリップは驚いた。男は店で被弾していたのだ。昨今は国際的な犯罪組織が横行しているが、その抗争だろうか? 

 フィリップはルーアンの出身で、父エヴァリストは地元の高官。三人の妹がいる。翌日、謎めいた金髪娘はフィリップに再び接触してきて、重傷の父親をドイツから脱出させる手助けをしてほしいと願い出てきた。フィリップは彼女に関心を抱きつつあり、また冒険に飛び込みたい気持ちが芽生えつつあった。ふたりが車で脱出する手助けをしたフィリップは、改めてひとりでパリのサン=ジャック通りにある学生寮へと戻る。だがそのころ、血痕のついた逃亡車が見つかり、新聞沙汰になっていた。ふたりの行方はわからない。

 フィリップはパリのバーで意外な旧友と再会する。イギリス北部ソールズベリー[註:実在のソールズベリーとは別の架空の場所か]出身で〈白い砂〉と呼ばれる土地に城を持つソールズベリー卿のひとり息子、ジェームズである。[註:シムノンは本作執筆時ないしその前後に仏コンカルノーに滞在していたと思われるが、コンカルノーには実際に〈白い砂 Les sables blancs〉と呼ばれるホテルがある]

 フィリップはこのジェームズという男が苦手だった。しかしそのバーには、さらに奇妙な人々がいた。ひとりはソールズベリー卿の執事の息子ハリー。学資寮の向かいのホテルに謎の英国人が滞在しており、終始フィリップを見張っているのだが、それはこのハリーだろうか。

 そしてもうひとり、バーで出会ったのは、あの金髪娘だった。彼女はグウェンドリン22歳。「私と一緒にいるのが恐い?」と彼女は嘯く。「みんなが私のことを何と呼んでいるか知っている? 悪魔(ディアーブル)の花嫁──悪魔との婚約者よ!」

 そんな彼女にフィリップは急速に惹かれ、学生寮の自室へと連れて行く。フィリップの妹たちの写真を見て彼女は少し感傷的になったりする。彼女は自分の父親がいまパリ郊外イッシー=レ=ムリノーのヴィラに隠れていることを伝える。彼女の父はル・コモドール(准将)と呼ばれる男で、ロンドン麻薬密輸団の首領だった。向かいのホテルから監視しているハリーは、敵対するアムステルダム団の一員だろうか。きっと彼がエッセンでル・コモドールを撃ったのだ。

 グウェンドリンが深い闇の過去を抱えていることを知ったフィリップは、彼女に替わってヴィラへと向かう。だがそこで見たのは、すでに息を引き取っていたル・コモドールの姿だった。警察が乗り込んできて、フィリップは辛くも脱出する。

 学生寮に戻ると、末妹のオデットの置き手紙があった。彼女は血痕のついた車の新聞記事を読み、そこに残された帽子が兄のものだと気づいて、心配になってやって来たのである。フィリップは妹の想いを知って胸を痛める。

 

  • 第二部

 ジェームズ・ソールズベリーは父親が亡くなったとの知らせを受け、英国の故郷へと戻る。一方、グウェンドリンはフィリップの学生寮から姿を消しており、ハリーに連れられてやはり英国へと渡っていた。

 フィリップはル・コモドール殺害の容疑でパリ司法警察局保安部のリュカ警視に同行を促され、オルフェーヴル河岸へと赴いていた。リュカは30歳前後で、刑事というよりはバスケットボールのチャンピオンのような風貌である。フィリップに対して親身になってくれたのは、リュカの上司で50歳前後のエネルギッシュな保安部長、ブロンヌ氏だ。近隣のレストランが出前でサラダバスケットを運んできてくれる。

 グウェンドリンの行方が気がかりなフィリップは、司法警察局と検事局を結ぶ廊下でいきなり走り出して逃げた。友人ドビエから金を借りて夜行船に乗り、英国へと渡る。

 ロンドン、ニューキャスル、ビガーを経て、ソールズベリー卿の住まいがある〈白い砂の城〉へ[註:エジンバラグラスゴーの中間あたりだと思われる]

 ここで物語は唐突な方向へ進む。執事のオールド・ジョンが何者かに殺され、フィリップはジェームズから疑いの目を向けられてしまうのである。スコットランドヤードのハーバート・スミス警部も現地に到着し、フィリップを調べ始める。そんな折り、ハリーの署名で意外な手紙が届く。グウェンドリンがロンドンのフランクリン通りにいるというのだ。フィリップはスミス警部の目を盗んでロンドンに戻り、小さな家で彼女とついに再会する。

 フィリップはグウェンドリンの驚くべき告白を聞いた。彼女はソールズベリー卿の隠し子で、一方ジェームズはル・コモドールの息子だったのだ。恐ろしい過去の経緯によって、ソールズベリー卿は子どもを取り替えていたのである。卿の遺産は本来グウェンドリンのものだったのだ。

 そのことを記した極秘文書があり、殺された執事はその文書を息子のハリーに見せていたのだ。ハリーは自分がグウェンドリンと一緒になることで卿の遺産をわがものにしようと目論み、ル・コモドールを殺害してグウェンドリンを執拗に追っていたのである。彼は文書を隠し持っているはずだ。

 

  • 第三部

 ハリーの仲間がふたりのもとへ迫る。霧の濃いロンドンの朝。互いに愛を感じているふたりは逃走する。

 ソールズベリーのことは忘れよう、これからはふたりで生きよう。つかの間の自由な時間が訪れる。ふたりは恋人同士のようにロンドンで食事やショッピングを楽しみ、幸せを満喫し、喜びのキスを交わす。

 だがスミス警部が現れ、フィリップを殺人容疑でフランスへと連れて行った。これによってふたりはまた離ればなれになる。オルフェーヴル河岸の保安部で彼を待っていたのは、部長のブロンヌ氏と父親のエヴァリストだった。フィリップは執事の息子ハリーこそが事件の中心人物だと訴え、文書の存在についても話すが、父親はフィリップが女にたぶらかされて殺人に手を染めたのではないかと疑っていた。父はかねてから狭心症を患っており、心痛や激情は身体に障る。故郷の妹たちも心配している。フィリップはついに折れて、父に従って故郷のルーアンに戻る決意をした。

 だがロンドンで逃走を試みた際、敵の銃弾がフィリップの肩をかすめていた。その傷がもとでフィリップは重度の肺炎を患い、意識不明の重体となってしまう。ルーアンの自宅で懸命に看病するオデット。年を越してもフィリップの容態は回復しない。そんな折り、オデットのもとへジェームズが現れる。

 

  • 第四部

 その夜は嵐だった。オデットはジェームズと密かに会い、兄の恋人グウェンドリンが姿を消したこと、その身に危機が迫っていることを聞いた。ジェームズはこのことをフィリップに伝えてほしいという。最初は彼が苦手なオデットだったが、次第にその心を受けとめてゆく。

 フィリップは愛するグウェンドリンを助けたい気持ちが募り、ついに驚異的な回復を見せた。ジェームズはすべての事件の犯人がハリーであることを確信する。ハリーはすべての鍵を握る文書をどこかに隠したまま、相続人の資格を持つグウェンドリンを拉致しているに違いない。ジェームズはもはや自分に相続権がないことを知りながらも、友人であるフィリップの幸せを願い、事件解決に向けて協力しようとしていた。

 フィリップとオデット、ジェームズの3人はルーアンを発ち、パリのサン=ジャック通りの学生寮に行く。またしても向かいのホテルから英国人が見張っている。ハリーに違いない。フィリップは病み上がりながら気力を振り絞ってハリーの部屋へと果敢に乗り込む。逃げようとするハリーを、援護に駆けつけたジェームズが捕らえようとする。だがそのときジェームズはハリーの凶弾を受けてしまった。ハリーは逃げ場を失い降伏する。

 重態のジェームズを、ここでもオデットは懸命に看病する。ハリーは保安部に拘束されたが、グウェンドリンの居場所は供述しない。そればかりか「あと48時間以内、あさって水曜の午後8時か9時までに、娘は息を引き取るだろう」と嘯く。

 グウェンドリンはハリーの仲間の手によって〈白い砂の城〉付近のどこかに幽閉されているのかもしれない。リュカ警視が英国へと発つが、その飛行機は不慮の事故で現地到着が遅れる。焦燥に駆られるフィリップのもとへスコットランドヤードのスミス警部が現れ、グウェンドリンはいったん〈白い砂の城〉付近の病院へと保護されたがまた行方不明になってしまったことを告げる。

 だがカーテンを開けてフィリップが街路に見たものは、グウェンドリンの姿だった。ふたりはついに再会の抱擁を交わす。グウェンドリンは見知らぬ女性の財布を失敬するという切羽詰まった行動で、フランスにいるフィリップのもとへ戻ってきたのだった。

 ふたりの幸せな姿を見て、厳格な父エヴァリストも彼らの愛を認めた。学生寮のモルネ夫人が優しく「外を見なさい」と諭す。「夏のような陽射しよ」と。

 このときまだジェームズは癒えていない。だが彼を見守るオデットは、いつしか彼を愛し始めていた。

 事件は解決する。夏が終わり、いま故郷ルーアンでオデットが、列車に乗って戻ってきたフィリップとグウェンドリンを出迎える。

「ついに私のお姉様になったのね?」とオデットは喜ぶ。ふたりの結婚式はチュニジアだった。新婚旅行はカイロやエチオピア。太陽のあるところがいいと彼らは考えていた。霧深いロンドンで人生の選択をしたふたりにとって陽光は憧れであり、将来への希望そのものだった。

 オデットもすでにジェームズからプロポーズを受けていた。これからは4人で暮らそう。新しい家は大きな窓から陽射しがいっぱい入るところがいい。ソールズベリー卿の遺産はぼくら全員と、ぼくらの子どもで受け継ごうとフィリップがいう。オデットが問いかける。「それって、つまり……?」グウェンドリンは義妹となる彼女に打ち明けた。「そうよ、鈍いわね。フィリップと私は子どもを授かったの」父エヴァリストも若い彼らを祝福する。終わり。

 

 長い小説だった。『美の肉体』『軽業師カティア』とほぼ同じ厚さだが、読むのにかなり時間がかかった。惹きつけられる展開や描写が何もなかったからだ。

 登場人物はどれも表面的な造形で、作者シムノン自身の思いが投影されることもなく、行動はすべて行き当たりばったりで説得力がない。舞台にイングランド北部が登場するが、これもたぶんシムノンはテキトーに書いていて、真に迫る情景描写は何ひとつ出てこない。あらすじをお読みになれば、これが空っぽな物語だということは充分におわかりいただけるだろう。何かを書こうとする意欲さえ見られない小説だ。

 すでにシムノンは筆力がついていたはずだが、通俗メロドラマという叢書の枠組みを尊重するあまり、筆力と内容のミスマッチが生じて、結果的にとてもつまらない作品になってしまっている。このような不幸な事例を見ると、とても身につまされて心が痛む。作家が実力を発揮できないのは不幸なことだ。志も文学的達成度もはるかに低い『花嫁衣装』の方がよっぽど面白いと感じられるのだから、私たち人間の脳はなんと罪なものだろうか。

 しかし読んでよかったのは、シムノンという作家の本質をつかめたと思ったことだ。

 

 メグレ警視は〈運命の修繕人〉といわれる。なぜシムノンの小説は「運命の小説」なのか。

 なぜシムノンの小説は共感の物語といわれるのか。

 なぜ「30歳を過ぎたらシムノンだ!」などといわれるのか。

 なぜシムノン(それに多くのフランスミステリー)は、王道とは違うヘンな小説だと思われるのか。

 すべての答はひとつ。

 シムノン「ミッドポイント」が書けない作家だった。これが作家シムノンの本質だと、現時点ではっきりといえる。

 

 これまでも「ミッドポイント」については指摘してきた(連載第17回第27回)。ミッドポイントとはハリウッド脚本家シド・フィールド( http://sydfield.com )が著書『素晴らしい映画を書くためにあなたに必要なワークブック』のなかで初めて明示した、ストーリー構造上の重要な概念である。

 シド・フィールドの2作『映画を書くためにあなたがしなくてはならないこと』『素晴らしい映画を書くためにあなたに必要なワークブック』(いずれもフィルムアート社)はシナリオ構造の分析に画期的視点をもたらした名著で、すべてが彼の発見というわけではないが、後の映画界に大きな影響を与えたと思う。ディズニーアニメなど昨今のハリウッドメジャー映画の多くは彼の理論に沿って脚本がつくられているのではないか。

 たとえストーリー構造理論そのものに興味がなくても、海外ミステリーファンならぜひこの2冊は手に取ってみてほしい。著者がこの2冊で物語構造のお手本として詳細に分析しているのは、ジャック・ニコルソン主演の探偵映画『チャイナタウン』(1974)だからである。

 

 シド・フィールドの主張は明快だ。まずメジャー映画のような1話完結型の長編物語は、基本的に三幕構成をとる。もともとシド・フィールドはこれを直線的に図示したが、後のクリストファー・ボグラー&デイヴィッド・マッケナ『物語の法則』アスキー・メディアワークス)の応用に拠れば物語の全体は円状ないし野球場のダイヤモンドのような環状構造として表現可能で、神話構造を分析したジョーゼフ・キャンベルの理論を敷衍すると、つまりそれは「行きて帰りし物語」だということになる。指輪物語を思い出してほしい。スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』はこの構造を忠実に再現している。

 主人公は故郷で不意の試練を受け、賢者に導かれて未知の世界へと旅立つ。ここがちょうど一塁を駆け抜ける辺り、ファースト・ターニングポイントだ。主人公は旅の仲間を得て大きな試練に立ち向かうが、いったんは失敗する。ここから這い上がり、最大の試練へ向かうと決意するのが三塁のセカンド・ターニングポイント。そして主人公はついに最大の試練を乗り越え、彼にとっての宝を手にする。彼は追っ手を払い、試練の場から離れて、勝利を収める。彼は故郷へと戻り、物語はハッピーエンドで終わる。故郷を出て故郷へ戻るのだから、物語は環状構造を描いている。これが物語の王道パターンだ。

 実はこれ、男性主人公のパターンであって、女性主人公の場合は別だというのが、後にキム・ハドソン『新しい主人公の作り方』(フィルムアート社)によって指摘されている。女性の場合は「主人公が勇気を出して殻を破り、本当の自分らしさを表現したら、自分も周りのみんなもハッピーになった」というのが王道だそうだ。なるほどと思う。ヒーローとヴァージン(輝く私、という意味)の違いである。だがここでは男性主人公の話に絞ろう。

 

 物語が三幕構成だというのは納得がいく。だがそうはいっても、多くのアマチュアやプロの脚本家(作家)はうまい物語が書けないのが実情だ。何か物語構造にはもっと重要な点があるのではないか。そこでシド・フィールドが2冊目でようやく発見したのが「ミッドポイント」という概念だった。

 これは一幕と三幕の間、野球のダイヤモンドでは二塁にあたる。それまで試練を受け続けてずっと守勢だった主人公が、攻勢に回る瞬間のことだ。物語の折り返し地点である。

 映画『チャイナタウン』でのミッドポイントはどこか。それは主人公の探偵が電力水道局長のオフィスに出向いたとき、その前室で重大な手掛かりをふと見つける瞬間だとシド・フィールドは看破している。事件の鍵を握る顔役の男が写っている写真だ。これは素晴らしい着眼点で、確かにここからジャック・ニコルソンは敵への追及を開始し、映画はどんどん面白くなってゆく。

 シド・フィールドの理論は広く受け容れられた。たぶん昨今のシナリオ教室では彼の理論がほとんどベースとなっているのではないか。彼の理論を意識した娯楽映画はたくさんつくられるようになったが、一方で映画を虚心で楽しんでいるはずの私たちも、いつしかシド・フィールドの理論こそが最良の物語構造だと信じるようになってしまった節がある。市場に溢れる物語の多くがシド・フィールド理論でつくられているため、ついうっかりするとそれ以外の構造を持つ物語を欠陥品だと感じるようになってしまった……ということはないだろうか。

 シムノンの小説は、シド・フィールド理論から外れている。ミッドポイントがないからだ。ないというより、そもそもシムノンはミッドポイントが書けなかったのである。これはもうどうしようもない、作家的な性分だった。

 だが、それは欠陥小説の証なのだろうか。そうではない。

 王道が書けないのは脚本家(作家)の努力不足なのだろうか。違う。

 シド・フィールド理論以外の物語構造であっても、ちゃんと面白いものができる。その重大な事実を示しているのがシムノン作品ではないだろうか。

 

 長編小説の物語構造というのは、たぶんJポップでいうと「王道進行」「カノン進行」のようなコード進行や、Aメロ・Bメロ・サビ・大サビといった楽曲構成に似たところがあって、人間の脳はそのようなパターンに生来的な心地よさを感じるようにできている。だがもちろん、これだけが音楽であるわけではない。

 何でもいい、シムノンの小説を1冊手に取って読んでみてほしい。そこにミッドポイントは存在しない、主人公が守勢から攻勢に転じる瞬間は見当たらないと、私はかなりの自信を持って予言できる。直感だが、たぶんシムノンの小説の9割はミッドポイントがない。

 これが王道の展開といかに違うか、わかりやすく説明しよう。映画スター・ウォーズシムノン流に再構築するとこうなる。主人公ルークは田舎町で平和に暮らしていたが、あるとき謎の敵の襲撃を受け、育ての親を失う。最初の試練である。王道展開ならここでルークは賢者オビ=ワンに導かれて宇宙へと旅立つ。だがシムノン展開だとルークはダイヤモンドの一塁さえ回らず、敵から逃れて必死に彷徨う。王道展開ならやがてルークは敵の親玉ダース・ベイダーと対決するのに、シムノンの主人公はどこまでも恋人と逃避行を続け、ついに敵の攻撃を受けて意識不明の重体に陥る。恋人が懸命に看病し、やがて意識を取り戻すと、いつの間にか敵の帝国軍は自滅している。ルークは恋人ともに故郷の田舎町に帰り、感傷的な気分に浸って終わる。

 メグレは映画『チャイナタウン』の主人公のような捜査をおこなわない。ずっと経過を観察するだけだ。ロマン・デュール作品も同じだと思う。主人公が攻勢に転じないということは、どこまでも運命に翻弄されていることを意味する。運命に抗おうとしても、それは成功しない。シムノンの小説が「運命の小説」といわれる所以である。

 最後に事件の当事者が故郷へ戻る際、彼の行動に共感してくれる人物が登場する。それまでの事情をチャラにする超法規的な処置をしてくれるのがメグレ警視であって、そのためメグレは〈運命の修繕人〉と呼ばれる。このキャッチフレーズは多くの読者を幻惑させてきたと思う。少なくとも第一期のメグレは運命を「修繕」しているのではなく、運命の行き着いた先にいる人物を、その恋人とともに最初のふりだしへと戻す役目を担っているのである。

 

 たぶんシムノンはペンネーム時代の終盤になると、自分がミッドポイントの書けない作家であることを自覚していた。だからいっとき、この欠点を克服しようと努力した。

 これまで私が読んだ限り、初めて主人公が攻勢に打って出る作品は、なんとメグレシリーズの第1作『怪盗レトン』である。

 物語の途中でメグレの腹心の部下であったトランス刑事が凶事に見舞われる。このショッキングな出来事によってメグレは激怒し、より積極的に捜査をおこなうようになる。部下の死というきっかけがミッドポイントとなって、メグレは攻勢へと転じるのだ。

「メグレは人がかわったみたいじゃないか?」(稲葉明雄訳、角川文庫p.197)という台詞さえ後半には登場するが、このようにメグレが攻勢に転じるのはシリーズのなかでも非常に珍しいケースだ。しかし物語の王道パターンを第1作に採用することで、ようやくシムノンはメジャーデビューし、作家としてワンランク上に行くことができた。そのためには痛ましい犠牲者が必要だった。

 実は第一期メグレで、メグレが攻勢に転じる作品が他にもある。それは『男の首』だ。ずっと医学生ラデックに翻弄され、怒りを燻らせて耐えていたメグレが、最後に攻勢に転じてラデックを一気に追い詰める。この爽快感は物語の王道パターンによって生み出されていて、日本では突出して人気の高い作品である。物語構造がハリウッド的でわかりやすいからではないか。

 第一期メグレの最終作『メグレ再出馬』もかろうじて攻勢に転じるパターンを採用しているが、あまり作品として成功していない。第一期メグレでシド・フィールド理論の王道進行に当て嵌まるのはこの3作だけかもしれない。

 もっとも、メグレが奇抜な手法で犯人を誘い出すというタイプの展開ならよくある。第一期だと『黄色い犬』『ゲー・ムーランの踊子』がそうだし、最近ローワン・アトキンソン主演でドラマ化された後年の『メグレ罠を張る』『メグレと殺人者たち』もそうだ。しかしこれらはすべて、物語の早いうちにメグレが罠を仕掛けている。ミッドポイントではなく、一塁ベースを回るあたりで、いわば起承転結の「承」の部分で放たれている。冒頭の謎からメグレの奇策までは展開がひと続きなのである。ここが王道進行とは決定的に違う。

 本当にシムノンが自分のスタイルを確立するのは『三文酒場』からだと思う。それまでの『サン・フォリアン寺院の首吊人』『メグレと深夜の十字路』『オランダの犯罪』など第一期前半の傑作は、どれも物語の王道進行とシムノン進行の狭間で揺れることで生み出される異様な緊張感が、その傑作たる所以となっている。そしてシムノンがこのシムノン進行を自家薬籠中のものにしてゆく過程に、第一期後半の秀作『霧の港のメグレ』『第1号水門』がある。

 

 シムノンのよき読者であった作家・都筑道夫都筑道夫のミステリイ指南』(講談社文庫)の指摘がとても参考になる。重要なので引用したい。

 

 私の尊敬するジョルジュ・シムノン(Georges Simenon)は、小説を書くときに、まず何人かの人物につける名前を拾い出して、その人物の年齢とか性別、大雑把な境遇──(中略)そういうようなことを決めまして、その中の中心人物を、非常に極限的な状況に立たせる、つまり、苦境に立たせるとひとつの小説が動き始める、そういう書き方をしているそうです。

 (中略)おそらくは、シチュエーションとキャラクターとは、シムノンの頭の中では同時にできあがるのだろうと思います。(中略)できあがると、あとは自然に小説が動いていくといっているわけです。

 (中略)ともかくシチュエーションとキャラクターが決まれば、小説はできあがるわけです。あとはただ、書くという問題が残っておりまして、この書くということがむずかしいわけでもありますけれども、そのキャラクターとシチュエーションができあがれば、小説は、まず三分の二はできあがったといってもいいと思います。(後略)

 

 これはシムノンの作法の本質を鋭く衝いていて、換言するとつまり、シムノンは冒頭だけを考えて、あとは運命に任せて書いているということになる。途中から主人公が運命に抗って闘いを挑んでそれが功を奏する、という守勢から攻勢に転じる展開をそもそも計算していない。3分の2は書ける、と都筑氏が看破しているように、ハリウッド作法のミッドポイント直前まではこれで書けるわけだ。

 脚本をつくるなら、この3分の2を過ぎたところからが本当は難しい。しかしシムノンはシチュエーションとキャラクターで最後まで押し切る。主人公は最後まで運命に翻弄されて終わる。ハリウッド脚本メソッドでいえば、これはダメなストーリー構造だ。ヘンな物語だ。それでも、シムノンの小説は味わい深い。

 

「ハリウッド脚本術のように書かなくても物語というのは成立するのだ」と世界的に証明したのが、作家シムノンの最大の功績ではないか。

 物語の構造は多様なのだという当たり前の事実を、シムノンは示したのだ。

 現代の私たちは、ともするとその当たり前の事実を忘れてしまいがちだ。つい気を許すと、「王道進行」「カノン進行」でなければポップスではない、欠陥商品である、わかりやすくする制作者側の努力が足りない、と感じてしまう。

 物語というのはそんな狭いものではない、といっているのがフランスの小説なのだろう。フランスの小説は風変わりだとよくいわれる(たとえば高野優氏による翻訳ミステリー大賞シンジケート連載「フレンチミステリー便り」第2回「フレンチミステリーの魅力ってなあに?」)。だがハリウッド流の構造以外でも、物語は成立するのだ。

 それが「シムノンは大人の小説」「30歳を過ぎたらシムノンだ!」といわれる所以ではないか。私たちは精神的に若いとき、王道のコード進行・楽曲構成から心地よさの基本を習得する。だが年齢を重ねるとそれ以外の物語構造も味わえるようになってくる。シムノンを読めるかどうかは、より幅広いポップミュージックを楽しめるようになるかどうか、ということに近いのではないか。

 欧米だと日本のポップスの「王道進行」はむしろ少数派の部類だそうだし、洋楽はAメロ・Bメロ・サビ・大サビの構成を採らないヒット作も多いようだから、お国柄や文化によって、何を心地よいと思うかは違うのだろう。

 シムノン作品は日本で受け容れられやすい王道進行のパターンではない。だが、だからといって文学的達成度が低いわけでは決してない。

 

 改めて『悪魔との婚約者』を見てみよう。ふだんの三部構成と違って、第四部まであることに注目したい。従来のペンネーム作品なら、主人公のフィリップが全体の三分の二を過ぎたところで意識不明の重体に陥り、妹のオデットが看病にあたって、フィリップが回復したとき事件は自滅的に解決している。

 だが本作では主役級が二人いる。フィリップは恋人の危機を知ると、彼女を助けたい一心から気力で立ち直る。ここを読んで、おおっと思った。この先のストーリーがあるのだ! しかも敵のハリーはあと48時間でグウェンドリンが死ぬだろうと予告する。シド・フィールド理論に則るなら、主人公であるフィリップはとうぜん攻勢に打って出て、英国へ舞い戻って恋人を救出しなければならない。それがセオリーである。

 だが起承転結の「転」が書けないシムノンは本作でどう処理したか。なんともうひとりの主役級であるジェームズを意識不明の重体にするのだ! 重体の二本立てだ! フィリップは攻勢に打って出てパリへと向かう。なるほど敵のハリーには一矢報いた。だがその後フィリップはやきもきするだけで英国に渡ることもない! いつの間にか英国でグウェンドリンは救出されている。もう一度、彼女が失踪する。今度こそフィリップは自らの手で彼女を探すだろうか。そうはならない。彼女の方からフランスにやって来てくれる! せっかく攻勢に打って出る展開が準備されたのに、主人公はその見せ場を充分に活用できていない。結果的に、物語はまったく盛り上がらない。

 これはもうシムノンの性分としかいいようがない。どうしても「転」が書けない作家というのは存在する。

 そういう作家は、無理にハリウッド脚本術を踏襲する必要はないのだ。シド・フィールド理論は金科玉条のものではなく、この世にあり得る多様な物語構造のひとつに過ぎない。私は最近、ちょっとフライングして本名名義後期の作品『判事への手紙』(1947)(コメリオ判事の名が登場する)を読んだが、やはり見事なまでにミッドポイントがない。だが面白い作品に仕上がっている。「王道進行」ならぬ「シムノン進行」が確立し、それもまた読者に快楽をもたらす装置として機能したからである。

 起承転結の「転」が書けないなら、冒頭の謎で最後まで引っ張ればいい。そこに充分な筆力があって、しかもエンディングにひねりがあって感傷効果がもたらされるなら、それで読者は深い満足感を得ることができる。第一期メグレはそうしたスタイルの確立の場だった。

 そして私はまだ多くを読んでいないが、後年のシムノンは、そうした「わかりやすい」安直なエンディングさえ書かなくなってゆくように思える。より小説として成熟してゆくのだ。ここは私にとってもとくに関心を持って読み解きたいところである。

 

シムノンって、どこが面白いの?」

 少なくとも日本で、この問いにいままでちゃんと答えられた人はいなかったと思う。多くの人は「雰囲気」だとか、「共感性」だといった曖昧な言葉でお茶を濁すほかなかった。確かにそれらの回答はシムノンの魅力の一部である。だがずばりと面白さの核心を衝くことはできずにいた。

 一部の人はこれまでシムノンの魅力として「スタイル」を挙げていた。これは慧眼であったと思う。シムノンから影響を受けたといわれ日本ミステリーの確立に貢献した作家・角田喜久雄も、そのスタイルをシムノンの好きな理由に挙げていた。スタイルとはいい換えるとつまりシムノン独特の物語構造であり、それを支える文体であったはずだ。

 いまの私ならシムノンは“物語”というものが本来とても豊かなものであることを世界的に証明した作家なのだ」といいたい。「シムノンを読むと“物語”というものに対する自分の視野が拡がってゆく。呼吸するようにシムノンを読んでゆくと、これまでよりもっともっとたくさんのタイプの物語を楽しめるようになる。それができるようになったとき、あなたは王道の娯楽映画も小難しげなフランス映画も好きになっているはずだ。大衆文学も純文学も楽しめるようになっているだろう。大長編も、短編も、きっと日本の池波正太郎も分け隔てなく読めるだろう。シムノンを読むとは、物語の豊かさのとば口に立つことだ」と。

 それは、大人になる、ということなのだ。

 

 この見立ては間違っているかもしれない。まだ私は初期のシムノンさえ読み切っていないのだ。もし今後、間違っていたとわかったら、その時点で素直に考えを改めたい。シムノンは無心に、呼吸するように読んでゆくのがいちばんいい。

 

 シムノンの書誌に詳しいミシェル・ルモアヌ氏は著書シムノン黎明期の輝き』で、『Le rêve qui meurt[夢は死んだ](F. Rouff, 1931)というジャン・デュ・ペリー名義の小冊子ロマンス中編を、シムノン最後のペンネーム作品に位置づけている。出版契約は1931/3/20だから、本名のメグレシリーズの刊行が始まってちょうど1ヵ月が経っている。この後もペンネーム名義の刊行は続くが、それらはどれも以前のストック原稿だという位置づけなのだろう。

「夢は死んだ」……。シムノンがペンネーム時代に2冊しか出していないF. Rouffという出版社の冊子で、あまりにも稀覯本なので私は入手できていない。だから内容の詳細は不明だが、ルモアヌ氏はこの題名を著書の最後に感傷的に引用し、この言葉を残してシムノンは若きペンネーム時代から本名の時代へと移ったのだと捉えている。

 本連載も、シムノンのロマン・デュール作品に辿り着くのは、あと少しだ。

 

 

瀬名 秀明(せな ひであき)

 1968年静岡県生まれ。1995年に『パラサイト・イヴ』で日本ホラー小説大賞受賞。著書に『月と太陽』『新生』等多数。


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【毎月更新】シムノンを読む(瀬名秀明)バックナンバー

2017-05-02

第30回『13の被告』他(執筆者・瀬名秀明)

 

f:id:honyakumystery:20160927125733j:image:w360

【写真1】

  • Les 13 coupables, Fayard, 1932/8(1929-1930冬執筆)[原題:13の有罪]連作短編集、13編 フロジェ判事【写真1の左】
  • Georges Sim, «Détective» 1930/3/13号-6/19号(nOS 72 - 86) それぞれ事件編の2号後に解決編が掲載された
  • 『猶太人ジリウク』山野晃夫訳、春秋社、1937/7/20 [9]を除く12編収録
  • 『猶太人ジリウク』山野晃夫訳、編集・制作=奈良泰明、湘南探偵倶楽部、2016(上記の同人復刻版)*
  • The 13 Culprits, translated by Peter Schulman, Crippen & Landru Publications, 2002[英訳・米版] ペーパーバック普及版とハードカバー限定版(訳者署名入、付=ファイヤール版掲載の写真を再録した小冊子)の同時発売
  • 『十三人の被告と十三の謎(仮)』松井百合子訳、論創社近刊*
  • La nuit du pont Marie «L'Intransigeant» 1933/6/10号(1929-1930冬執筆)*[マリー橋の夜] 初出Œuvres complètes T6, Éditions Rencontre, 1967[全集]フロジェ判事
  • Tout Simenon T 17, 2003 Nouvelles secrètes et policières T1 1929-1938, 2014

▼収録作 邦題は春秋社版より

    1. Ziliouk ジリウク «Détective» 1930/3/13号, 3/27号
    2. Monsieur Rodrigues ロドリーグ氏 1930/3/20号, 4/3号
    3. Madame Smitt マダム・スミット 1930/3/27号, 4/10号
    4. Les « Flamands » 「フランドル人」 1930/4/3号, 4/17号
    5. Nouchi ヌウチ 1930/4/10号, 4/24号
    6. Arnold Schuttringer アーノルド・シュトリンガー 1930/4/17号, 5/1号
    7. Waldemar Strvzeski ワルデマル・スツルヴェスキー 1930/4/24号, 5/8号
    8. Phillipe フィリップ 1930/5/1号, 5/15号
    9. Nicolas [ニコラス]未訳 1930/5/8号, 5/22号
    10. Les Timmermans チンメルマン夫婦 1930/5/15号, 5/29号
    11. Le Pacha トルコ貴族 1930/5/22号, 6/5号
    12. Otto Müller オットー・ミュラー 1930/5/29号, 6/12号
    13. Bus バス 1930/6/5号, 6/19号

▼他の邦訳

    • 「三人の自転車曲乗り事件」訳者不明、《雄鶏通信》1946/11/30号(2巻12号)pp.32-35[10]*
    • 「三人の自転車曲乗師」峯岸久訳、《エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン》1958/6(3巻6号)pp.37-43[10]* The case of the three bicyclists
    • 「ヌウチ」静波尋訳、《別冊宝石》79号(11巻7号, 1958/9/15発行)pp.150-155[5]*

▼他の英訳 瀬名が所持しているもののみ

    • The Case of Arnold Schttringer, translated by Anthony Boucher[アーノルド・シュトリンガー事件] 所収 Ellery Queen編, To The Queen’s Taste, Little, Brown and Company, 1946, pp.387-395[クイーン好み][6]【写真2】
    • Nouchi, translated by Anthony Boucher, «Ellery Queen’s Mystery Magazine» 1948/12(Vol.12, No.61)pp.27-31[5]

 

f:id:honyakumystery:20170116113128j:image:w360

【写真2】

 

 

 13シリーズの掉尾を飾る連作集『Les 13 coupables』は、エラリー・クイーンが〈クイーンの定員〉No.85に選出したことで知られている。アメリカの《エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン(EQMM)》誌に初めて英訳紹介されたシムノン作品は、本連作集の第6話「アーノルド・シュトリンガー」だった(「The Case of Arnold Schuttringer」

1942/11号)。翻訳はその後もシムノン作品を多く手がける(批評家としても有名な)アントニー・バウチャー。クイーン編のアンソロジー『To the Queen’s Taste[クイーン好み](1946)には、当時のクイーンによる紹介文つきで「アーノルド・シュトリンガー」が収められている。【写真2】

 クイーンによる〈定員〉各作品の紹介文は、名和立行訳で《EQ》1981/1(No.19)から1982/3(No.26)まで全8回で読める。クイーンは後年〈定員〉に補遺を加える際、アメリカにおける初のメグレ短編集(オリジナル編纂)『The Short Cases of Inspector Maigretメグレ警視の小事件簿](1959)もNo.118に選出した。つまり〈クイーンの定員〉にシムノンはふたつ選ばれているわけだ。

 クイーンによるシムノンへの高い評価は、バウチャーの熱心な薦めに拠るところが大きいのだろう。そしてこれまで日本におけるシムノンのミステリー的な評価は、おおむねアメリカの作家であるクイーンを経由して形成されてきたと考えられるので、バウチャーの熱意は日本ミステリー界にも大きな影響を与えてきたといえる。

 

 さて、本作『Les 13 coupables』のタイトルをどう訳すかは悩ましいところだ。次のことはエラリー・クイーン研究家である飯城勇三氏からの有益なご示唆を受けて、アルセーヌ・ルパンシリーズなどフランスミステリーに詳しい浜田知明氏の考察も参考にしながら【註1】私なりに考えたことだ。飯城様と浜田様に心から御礼を申し上げます。ありがとうございます。

 私が持っている初心者向け仏和辞典を引くと、coupable は「罪人」「犯人」「罪のある」「とがめるべき」とある。ウェブ辞書では確かに「被告」という訳語が出てくることがあり、「有罪」と訳す人もいる。

 本連作の各短編は、タイトルが事件の被疑者の名前になっている。こうした被疑者がフロジェ判事のもとへ連れて来られる。フロジェは個室(キャビネ)で彼らと対面して話を聞き出し、本当に彼らを起訴すべきなのかどうか真相を見抜く、というのがミステリーとしての骨子だ。なかなか凝った趣向である。もし起訴するならその根拠は何か。これが読者への問いかけとなる。

 つまりここに登場する人たちはまだ起訴されていないので、タイトルに「被告」と謳うのはヘンだ、という考え方があり、いわれてみれば確かにそうかもしれないと思う。また単独犯でない場合もあるので「13人」ともいいきれない。

 原文を注意深く見ると、作中で被疑者はほとんどの場合「彼」などと代名詞で呼ばれており、なるほど「被告」扱いはされていない。「被疑者」prévenu と呼ばれる場面はごく数ヵ所あるが、あくまで彼らが犯人かどうかは結末まで断定できないかたちを採っている。

 ただ、最終的に罪の在処がわかるわけで、その罪のかたちが13個ある。だから coupables を有罪と訳して『13の有罪』とするのはひとつの手だと思ったが、シリーズ全編で必ずしも被疑者が罪人になるわけではないので、やや厳密ではない。

 そこで意訳になるが、たとえば内容を汲んで『13の容疑』はどうだろう。──などと私自身は思っている。本連載ではとりあえず『被告』で統一しておく。

 昔に出た『猶太人ジリウク』はシリーズ13編のうち12編を訳出したもの(「猶太人」は「ユダヤ人」と読む)。残りの1編(第9話「ニコラス」)が、実はシリーズ全体の印象を決める鍵となっている! 

 そしてこのフロジェ判事ものにも《探偵》紙に掲載されなかった番外編がひとつある。現在フランスで入手可能なペーパーバック版には、この短編「La nuit du pont Marie」[マリー橋の夜]も同時収録されている。

 

 

■1. ジリウク

 フロジェ予審判事 juge d'instruction Froget は黒い三つ揃えのスーツに白いシャツ、すなわち白黒二色の印象が強い、少し時代遅れに見える男だ。彼は冷静沈着でほとんど感情も表に出さない。「ぼく」は彼の自宅を訪ねる機会があるが、彼と話しているとつい気が滅入ってしまう。

 今回フロジェが対面している相手は、身だしなみを整えた山師のジリウク。強い訛りがあり、ユダヤ系ハンガリー人らしいが定かではない。彼は外交文書を売り渡していた疑いが持たれている。フロジェは機動隊 Brigade mobile の報告書も確認しつつ問いかけてゆく。まずドヌー通りのナイトクラブ《ピクラッツ Picratt's》で彼が会話していた内容を確かめると、8年前のポーランド女性殺害事件について話を切り出す。ジリウクは当時の犯人だろうか。フロジェはジリウクを検察局Parquet送りにできるか? 

 フロジェ登場編。「ぼく」という記述者の存在も示されるが、実は最終回までほとんど表舞台に出てこない。

 解決編の決め台詞としてシムノンが用意していたかもしれないのが、この初回に出てくる「Je vous inculpe d'homicide volontaire あなたを殺人罪で起訴します」だ。ここで被疑者は被告となる。だがその後はあまり使われることがなかった。

 歓楽街のキャバレー《ピクラッツ》は、『モンマルトルのメグレ』(1951)など多くの作品に登場する、シムノン読者におなじみの場所。

 

■2. ロドリーグ氏

 スペインの公爵の息子が、セーヌ川に突き落とされて死亡した。彼は生前、バーでよからぬ同国人ロドリーグ(ロドリゲス)氏に誘われてボナパルト通りの部屋に行き、阿片を吸っていたようだ。その部屋を検分したフロジェは、壁の大きな裸婦像を見て被疑者ロドリーグ氏に尋ねた。「これは誰ですか?」

 もの悲しい結末。フロジェが自分の手帳に「証拠」「推定」などの項目をペンで書き込み、読者に提示するというスタイルが登場。犯罪実録ものの雰囲気をつくり出している。内容からすると決して読者が謎を論理的に解けるわけではないのだが、それでもフェアプレイ精神は籠めていますよというアピールになっている。

《ピックウィック・バー Pickwick's Bar》は『怪盗レトン』7章にも登場したフォンテーヌ通りのキャバレーか。

 

■3. マダム・スミット

 オルレアン駅近くの下宿の庭から、埋められた男の死体が見つかった。管理人は痩せ衰えた白髪のスミット夫人。彼女の初婚の夫は会社の経営不振で殺人の共謀者となり、獄中で死んでいた。その後、彼女はイギリスで再婚したが、相手は姿を消していた。夫人が再婚相手を殺して庭に埋めたのだろうか? 

「○○は××殺しの犯人 coupable である」とフロジェは解決編で手帳に書きつけ、ここでタイトルの coupable が出てくる。冷静沈着なフロジェのメモが解決編で提示される、という基本スタイルが確立された。だがこれは小説を無味乾燥なものにしてしまいがちで、作者シムノンは自らつくった枷に填まってしまったようにも思える。

 

■4. 「フランドル人」

 被疑者は72歳のフランドル人男性バース。彼はパリ郊外の畑地と工場の町オーベルヴィリエのあばら屋で、貧しいフランドル人家族と奇妙な共同生活を30年も続けてきた。その家の主人が33ヵ所もハンマーで殴られて殺されたのだ。しかし彼は重病で、ほとんどあと数日の命だったらしい。そんな男がなぜ殺されたのか。フロジェはパリ司法宮 Palais de Justice の個室でバースと対面し、この男が抱える哀れな真実を見抜く。

 真相はすぐにわかってしまうが、『メグレ警部と国境の町』でも書かれたフランドル人の状況が痛ましく伝わってくる良作。

 

■5. ヌウチ

 モデルの仕事をしているというハンガリー娘のヌウチ19歳は、男をそそるタイプの女だ。彼女は知り合ったクロスビー夫人宅からネックレスを盗み出した疑いが持たれている。留守中の夫人宅に行って、文机をこじ開けたのではないか? フロジェは文机の指紋写真を彼女に見せて、真相を暴く。

 女の本性を戯画化した結末で、滑稽さと底意地の悪さが後を引く面白い一編。13シリーズを通して読むとシムノンの筆力がどんどん上がってゆくのがわかるのだが、本作などはその筆力と連作の形式がうまくフィットした好例になっている。なお書籍版には指紋写真が添付されているが、文中で示された証拠は反映されていないように思える。

 

■6. アーノルド・シュトリンガー

「判事さん」と被疑者シュトリンガーは訴えかける。ドイツ人とオーストラリア人の血を引く彼は、パリで薬局の夜勤をしていたが、その倉庫から濃硫酸に浸かった女の死体が発見されたのだ。彼は店の夫人と愛人関係になっていたようだが、夫人は行方不明になっている。彼が夫人を殺したのだろうか? 

 シムノンの薬学趣味が現れた一編。

 

■7. ワルデマル・スツルヴェスキー

 被疑者は元ポーランド軍人で、自分の話に酔いしれるタイプの男。ある朝、彼は新聞を購入し、その見出しを知るなり慌ててピストルを購入すると店に入り、やみくもに金銭を強奪しようとして警官に取り押さえられたのだ。一方、ポーランド大使館で強盗殺人事件が起こっていた。その事件と被疑者の関係は。

 被疑者が「判事さん」と呼びかけるパターンが確立。自己顕示欲ゆえに犯人は自滅に至る。連作はこのあたりで形式の枠に填まり、少しだれてくる。

 

■8. フィリップ

「きみの感想を聞かせてくれよ」と司法警察局のリュカ警視 commissaire がフロジェを被害者の自宅に案内しながらいう。トリノ育ちの被疑者フィリップはパリへ来て新しい仕事を見つけていたが、彼の面倒を見ていたフォレスティエという男が突然アトロピン中毒で亡くなった。フォレスティエは日頃から強心剤ジギタリンを服用していたのだが、被疑者が丸薬に細工したのか? 戸棚の薬瓶を確認したフロジェは中庭に控えていた刑事にいう。「逮捕してください!」

 後にメグレの相棒となるリュカが、メグレと同じ「警視」の肩書きで登場。実はペンネーム時代にリュカは刑事 inspecteur ないし警視 commissaire としていくつかの作品に姿を見せていた。各キャラクターが少しずつ後のメグレものへと統合されてゆく過程がうかがえる。

 

■9. ニコラス

 ロシア人の被疑者ニコラスは、ある男と知り合って彼のパリ観光につき合っていた。財布はニコラスが預かり、支払いを任されていたという。夜にキャバレー《ピクラッツ》で事件は発生した。個室でガラスの割れる音がして、ボーイが駆けつけると男が頭から血を流し、ニコラスが財布を取ったと訴えたのだ。現場から財布は消えていた。ニコラスは男を殴ったことは認めたが、金は盗んでいないと主張する。

 かつての邦訳『猶太人ジリウク』で未収録だった一編。これが省かれた理由が何となくわかる。マンネリ化しつつあったこれまでのパターンを覆す異色の一編なのだ! 連作全体の妙味がこれでぐっと増している。この一編を含んだ完訳で読む人が今後増えれば、本連作の評価は日本でも上がってゆく気がする。

 

■10. チンメルマン夫婦

 被疑者は売れない曲芸師夫妻。旅のサーカス一座になんとか職を得て、姪と三人で曲芸自転車の演し物をやっている。旅先のホテルでサーカス団員の男が姿を消し、近くの川でトランク詰めの死体として発見された。また、姪の消息がわからなくなっている。盗癖のあった夫妻が犯人だろうか? しかし動機もなく、トランクはふつうの人が抱えるにはかなり重い。フロジェは最後に意外な質問を放つ。「あなたは(ホテルの)窓辺でどのくらい待っていましたか?」

 作品そのものの趣向はパズルっぽい感じに退行しているのだが、ラストの突き放すようなシムノンの書きぶりが胸に刺さる残酷な一編。当時は鮮烈な新世代作家が登場したと受け止められたことだろう。

 

■11. トルコ貴族

 被疑者は宝石をじゃらじゃらとつけた白髪のトルコ貴族エネスコ。彼は街の娼婦をホテルに連れ込んでいたが、その女のひとりが行方不明になっている。死体もないのに私を告発するのか? と彼は鼻息が荒いが、フロジェは逮捕状を差し出す。ただし容疑は娼婦殺しではない……。

 連作のパターンに縛られて、小説としての生彩がなくなってゆく。

 

■12. オットー・ミュラー

 フロジェはドイツ警察の資料を見ながら、ドイツ人被疑者ミュラーと対面する。被疑者は金持ちになろうとあがき続ける人生を送ってきた。彼は地元の同級生だった歯科医から金を工面しようとしており、その歯科医は撲殺され、金庫が盗まれていた。フロジェの意外な質問。「あなたのネクタイは誰が縫ってくれたのですか?」

 個室でのフロジェと被疑者のやりとりで話は進行する。パズル小説の体裁に戻ってきたわけだが、筆力は向上しているのに小説としての読み応えが失われてきたのがとても残念な印象を与える一編。次の最終回ではいいところを見せてくれよ、と祈りたくなる。書籍版の添付写真がここへ来て『13の秘密』っぽく犯罪実録風味を掻き立てる。

 

■13. バス

ニューヨーク市警から欧州中に送られた文書には、バスという通称の黒人男性がバーで口論の末、バーテンダーを射殺して逃げたことが記されていた。その後の文書には、彼が不法乗船でアメリカから脱出し、さらに人を殺しながらアフリカ経由でフランスに渡ったことが示唆されていた。そしてバスはパリ市内で銃撃戦を繰り広げ、列車で逃走する直前のところで捕まったのである。だが彼は知識障碍者なのか口を利かない。「いつまでこんな芝居を続けるつもりなんだ」警察官は怒って彼を殴打する。だがフロジェは個室(キャビネ)で彼と対面し、沈黙のなかに痛ましい感情を見て取る。彼の足のサイズと靴を確認し、いま目の前にいる男が抱えてきた真実を見抜く。

 この最終話でフロジェはそれまでほとんど黒子状態だった書き手の「ぼく」と対話し、事件の真相を打ち明ける。フロジェが途中で「!」マークつきで話し出すのがとても印象的だ。初めてフロジェはおのれの感情を見せるのである。彼の姿は初期メグレと重なり合う。苛立ちや怒りを全身で発し、台詞のみならず地の文でさえ「!」を連打していた、あのメグレである。

 つまりこの最終話で本連作は、後のメグレ警視シリーズの雰囲気へと連結されるのだ。本作「バス」は連作全体のなかでもとりわけ哀切な真相を秘めたもので、被疑者の運命は痛ましく、それに対するフロジェの最終判断も奥深いものとなっている。後のメグレが見せる判断に近いことをフロジェもおこなう。シムノンが13シリーズで育んできた筆力の確かさが、この最終話に現れている。

 

■「マリー橋の夜」1933

 霧の深い午前3時、ふたりの自転車乗りがサン=ルイ島のアンジェー通りを進んでいると、イヴニングドレス姿の女性が走ってきて叫んだ。「早く! 私はたったいま、人を殺してしまいました!」

 驚いて街路樹の下を探ると、男の手袋が片方落ちている。死体はない。夜明け前であるため警察署は狂女のように要領を得ないその女を長椅子で待たせた。だが朝になって女が警視のもとに出頭すると、エルセン夫人と名乗るその女は一転して「自分は誰も殺していない」という。昨夜は夫や若い映画監督のカヴァリニらとともに夕食を楽しみ、《ピクラッツ》から車に乗り、マリー橋のところで降りたのだという。

 警視はエルセン夫人を河岸へと連れ出し、夫の死体が川で見つかったことを示す。心臓をナイフで刺されており、もう片方の手袋が見つかった。

 被疑者はフロジェ判事に委ねられる。数学教授のようにモノトーンの口調で話すのがフロジェの特徴だ。エルセン夫人はいま個室(キャビネ)で判事の前におり、廊下の長椅子にはカヴァリニや夫人の使用人、《ピクラッツ》の一団、浮浪者らが待機している。カヴァリニは夫人の愛人だとわかったが、午前3時には自宅に戻っていたという。フロジェはカヴァリニも個室に招き入れて語り出す。ナイフの指紋、足跡、そしてカヴァリニの爪に残っていた被害者の毛髪。

「嘘だ!」とついにカヴァリニは叫ぶ。それを受けたフロジェの返答は意外なものだった。「そうとも、嘘だ! だが可能性がある!」そしてフロジェは無関係に思える浮浪者を部屋に呼び寄せ、事件の真相を暴く。ふたりは有罪なのか。

 

 冒頭のシチュエーションは後に書かれるメグレ前史『不安の家』によく似ている。まったく、油断も隙もあったものじゃないな! 

 まず捜査の状況が描かれ、後半でフロジェ判事が登場する唯一のパターン。フロジェが被疑者にカマをかけるのも珍しいが、物語としてはわりと面白い。自分から「人を殺した」と騒いでおきながら後になって「知らない」と主張するという、ちょっと変わったタイプの、しかしいかにも初期のシムノン好みと思える謎かけである。連作の定型から外れるので《探偵》紙では見送られたのだろうが、前作『13の謎』との違いを模索する過程の貴重な作例といえる。

 

 フロジェという名の人物はこの他にもペンネーム作品『L'homme qui tremble[震える男](1930)に登場し、ソンセット刑事と共演を果たしているらしい。キャラクターとしては別人物のようだが、徐々に後のメグレへと繋がるキャラクターがかたちを成し、互いに交差しつつ準備を整えている様子が窺える。

 後のメグレシリーズではコメリオという判事がフロジェの立ち位置になる。それによってフロジェは役目がなくなるわけだが、判事を主役とするドラマを模索し、磨いたという点で、本連作『13の被告』シムノンのキャリアのなかでも意味があるものだったと思う。若いころシムノンはドストエフスキーを読んでいたので、『罪と罰』の影響もあったかもしれない。

 本作からは成長しつつあった当時のシムノンの、いわば作家的野心が窺える。『13の秘密』は類型的な安楽椅子探偵のキャラクターを借りた、純粋なパズル小説だった。『13の謎』の主人公もフォーミュラに則った探偵冒険家だったが、彼をフランス各地へと出向かせることで特徴を出し、シムノンは自分なりのスタイルをつくり始めた。本連作『13の被告』は判事が個室で被疑者と対面するという地味なシチュエーションで自らを縛りながらも、国際都市パリに集う多様な人々の運命を描き出そうとしたわけだ。登場する被疑者は一度も国籍や出自が重ならない。シムノンがかなり高度な趣向を目指していたことが読み取れる。

 ただ、『13の秘密』シムノンを牽引してくれたはずの紙面の特殊性が、今度はマイナスに働き始める。余計な仕掛けがかえってシムノンの筆を引っ張る。途中でパズル小説の体裁に戻ろうとするが、成長したシムノンの筆は無意識のうちにそれに反発する。それでも、ときに見事な作品が現れる。このあたりの見えない駆け引きがヴィヴィッドに伝わる面白い連作だ。単純なパズルとしてなら『13の秘密』が楽しいだろうが、小説としての妙味、読み応え、奥深さでいえば、『13の謎』『13の被告』と後の連作の方が勝っているように思える。

[4][5]は良作で、アクセントとなる[9]を経て[10]の残酷さも捨てがたく、最終話の[13]で小説として充分に読み応えのある締めを見せる。かつてエラリー・クイーンは、個々に取り出されたエピソードを短編ミステリーとして読み、評価した。もちろんその読み方はミステリーファンとしてまったく正当なものだが、13シリーズ全編を順に読んでゆくと、また違う観点からの感想や評価が自然と生まれる。3つの連作のうちどれが好みか、という評価もそれぞれの読者のなかで変わるのではないか。

 そうした新しい楽しみ方のきっかけを、今回提示できたなら幸いだ。

 

【註1】

 研究同人誌《QUEENDOM》66号(22巻3号、2002/10)所収の「〈クイーンの定員〉再検討・第五回 No.85 ジョルジュ・シムノン『13の罪人』」より、浜田知明さんの「紹介と書誌:『13の罪人』」、飯城勇三さんの「紹介:「13の罪人」とEQMM」「エッセイ:「13の罪人」の謎」を参考にさせていただきました。

 

【ジョルジュ・シムノン情報】

 

▼2017年4月、株式会社ブロードウェイから『珠玉のフランス映画名作選』DVD-BOX3が発売され、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の映画『モンパルナスの夜』(1933)が収録された。もっとも有名なメグレ映画だが、おそらく世界初の映像ソフト化なので(フランスでさえソフト化されていない)、世界中のメグレファンは必見。原作は『男の首』

http://net-broadway.com/wp/2017/02/24/珠玉のフランス映画名作選-dvd-box-3/

 

▼英ITV製作、ローワン・アトキンソン主演のメグレ警視TVドラマ第3弾『メグレと深夜の十字路』が、2017年4月16日(イースターの日)午後8時に本国で放送された。これは……かなりの問題作。シムノンの原作とはぜんぜん違う。

 

▼4月8-9日ならびに15日、日本のCSテレビチャンネル「AXNミステリー」で、マイケル・ガンボン版TVドラマ『メグレ警部』全12話とローワン・アトキンソンメグレ警視2話(『メグレ罠を張る』『メグレと殺人者たち』)が放送された。ガンボン版が二ヵ国語で、つまりかつてのNHK-BS2放送時(1993)の日本語吹替版も含めて放送されたのは快挙。メグレ役は瑳川哲朗。以前に吹替版制作会社に問い合わせたときマスターテープは残っていないと伺っていたので、まさに「AXNミステリー、グッジョブ!」。アトキンソン版は、1話目の字幕でQuai des Orfèvresが“パリ警視庁”とか“署”になっていたのは惜しい。本連載では「紛らわしいので“オルフェーヴル河岸”を“パリ警視庁”と訳すな」キャンペーンを展開中なのであった。しかし2話目で Police Judiciaire が“司法警察局”となっていたのはよかった。これは英語のドラマだが、パリ警察機構特有の表現はちゃんとフランス語の単語でしゃべって雰囲気を出しているのがポイント。ロケ地は(パリであるかのように撮影した)ブダペスト、時代背景はメグレシリーズがいちばん輝いていた1950年代に設定されている。

 http://www.mystery.co.jp/programs/maigret_keibu/episode-guide

 http://www.mystery.co.jp/programs/maigret_rowan/episode-guide

 

▼「AXNミステリー」からは6月にジャン・ギャバン主演映画『メグレ赤い灯を見る』の放送も予告されている。日本ではVHS発売のみの映画だったので、やはり貴重な視聴機会となる。原作は『メグレと生死不明の男』。同じく6月には「メグレ警視(フランス・ドラマ版)リマスターHD版」が「日本初放送予定」とのこと。ジャン・リシャール版かブリュノ・クレメール版か、本稿執筆時点では不明だが、もしジャン・リシャール版なら大快挙。ブリュノ・クレメール版も全54話のうち後ろの12話分は本邦でDVDソフト化されていないので、放送されるなら貴重な機会。

 

▼「シンプルの正体 ディック・ブルーナのデザイン展」東京・松屋銀座(2017/4/19-5/8)他で開催。シムノンを含むブラックベア叢書のデザインも紹介とのこと。

 http://bruna-design.jp

 

▼体調不良のため「ジョルジュ・シムノン情報」はしばらくお休みします。本文はストック原稿が今後も掲載されますので引き続きお楽しみください。もし連載のご感想をいただけましたらそれだけで励みになり嬉しいです。それではどうぞ皆様、素敵な読書生活を!

 

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メグレ警視 DVD-BOX 1

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瀬名 秀明(せな ひであき)

 1968年静岡県生まれ。1995年に『パラサイト・イヴ』で日本ホラー小説大賞受賞。著書に『月と太陽』『新生』等多数。

 

Tout Simenon, Vol. 17

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