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第八回翻訳ミステリー大賞 決定!!

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2014-07-22

西部小説から生まれたエルモア・レナード(執筆者・岸川真)

 

■シートノック

 

「瀬戸川(猛資)君が言っていたけども、君が好きなレナードは西部小説の枠を使ってクライムノヴェルを書いているんだよ」

 

 石上三登志さんは生前、まだ駆け出し編集者の頃の僕にそう語った。一九九九年の正月過ぎあたりだったと思う。アクション映画に関する映画論集の相談だったのだが、話はブームとなりつつあったホラー小説、瀬戸川猛資の探偵小説観、クライムノヴェルに飛んでエルモア・レナードの話になったのだ。長く四角い顔に白髪のオールバック。石上さんの相貌はクリストファー・リーの相似形だと思った。甘い香りのシガリロを燻らせて、西部小説の話へ移る。

 

「基本的にはですね、あなたが言うように西部小説はつまんなくてね、映画の原作に使えないものばかりだから『脂肪の塊』駅馬車にE・ヘイコックスが翻案したりする」

「でも石上さん、マックス・ブランドはそこそこ面白かったですよ。『砂塵の町』『峡谷の銃声』しか読んでないけど」

 すると石上さんは大ぶりのホーンリムのレンズを光らせて「本気で面白いと言いましたか?」と来た。僕はたじたじになり、石上さんのオフィス(新橋にあった太陽企画)のソファの背に釘付けになった。

「そこそこの出来ですよ。血なまぐさい復讐劇をまともに描いただけです」

 

 スパッとそう片付けられて、僕は二の句も告げず、実際に原書で捜して他の西部小説がつまらないかどうか読んでみようと思い、イエナ書店へ走った。『牧場の女主人』レス・サヴェージ、『悪人への貢物』ジャック・シェーファー『大草原』コンラッド・リクターあたりはまあまあ。ほかはゼーン・グレイ、フランク・グルーバーなどなど玉石混淆。面白いと言えない。

 

The Complete Western Stories (English Edition) The Bounty Hunters

 けれど、一冊、エルモア・レナードによる〇四年に編まれた自作西部短篇集 The Complete Western Stories を読むと、面白い! 五一年の処女短篇“Trail of the Apache”や映画になった“3:10 to YUMA”は会話の妙で西部小説の枠を超えていた。初長編 The Bounty Hunters も読んだが、トリッキーな展開などレナード節が見え隠れする。勧善懲悪の西部小説ばかりのなかで、悪も善人半分、善も悪人半分という登場人物造形は新しい。僕はある集まりで再会した石上さんへそのことを伝えた。すると厳しい先輩は「けっこう集めるのは大変だったでしょう。けれど、面白さだけじゃなくつまらなさを味読していくのは大事なんですよ。読書は積み上げだから」と微笑んでくれた。

 読み巧者のシートノックを受けた結果は時間がかかったが、まずは及第というところだ。

 

 

■ダッチ愛

ホット・キッド (小学館文庫) ザ・スイッチ (扶桑社ミステリー) ラム・パンチ (角川文庫)

 エルモア・〈ダッチ〉・レナードは一九二五年ニューオーリンズ生まれ。GM勤務の父に従いダラス、オクラホマ、メンフィスを経てデトロイトに落ち着く。三〇年代のギャングエイジにどっぷり浸かり、その結果が『ホットキッド』に結びつく。悪人をヒーローとする視線はギャングエイジで培ったものだと思い至る。傑作『ザ・スイッチ』での主人公は誘拐される主婦だが、実質はオディールらの小悪党たち。レナードも愛着があるのか彼らのその後を描いた『ラムパンチ』も哀感もある傑作となった。映画化はジャッキー・ブラウンで監督Q・タランティーノ

 

 レナードの小悪党趣味に惹かれる話を石上さんにすると「あなたのお父さんが詐欺師だったから」と喝破される。そうなのだ。僕の実父は詐欺師でケチな悪党。誰からもロクデナシと呼ばれていた。だからこそ僕は父に愛着があった。その太い感情のパイプでレナードの作品に繋がっていたのだ。

 

プロント (角川文庫)

 レナードであれば何でも読む。全作を原書でも読み、じつはかなりの文学ファンであることも発見して一人で喜んでいた。悪党、善玉の登場と最終的には決闘で終わるレナード小説の中には映画の話題も多い。けれど『プロント』にはエズラ・パウンドを織り込むし、『ラムパンチ』にはバリー・ギフォードの詩を挿入する。パウンドはエリオットに影響を与えた大型詩人で難解とされるが、俳句に影響を受けた短詩など言葉の濃縮ぶりが素晴らしい。またギフォードも『ケルアック』というインタビューブックと共に自身、詩作や『セイラーズ・ホリデイ』のような傑作ノワールも書く。一筋縄ではいかない御仁なのだ。

 

タッチ (ハヤカワ・ミステリ文庫) Road Dogs (English Edition)

 読めば読むほどダッチ愛は深まり、犯罪がらみではないファンタジー『タッチ』で感動し、遺作の Road Dogs は老いなどどこへやらの傑作だった。お気に入りの強盗J・フォーリーが登場。決して勝ち組ではないが負け犬でもない小悪党を描き切っていた。ダッチは死ぬまでアウトサイダーの味方だった。


岸川 真(きしかわ しん)

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  小説家。助監督、脚本家を経て1999年から編集者として働く。1997年に『フリーという生き方』(岩波ジュニア新書)で執筆業を兼。小説作として『蒸発父さん』幻冬舎文庫)『半ズボン戦争』幻冬舎『あくたれ!』双葉社)の自伝的三部作。最新刊に『赫獣』河出書房新社)がある。デトロイトと阪神の両タイガース狂。さいきんは暗黒殺戮小説家と呼ばれる。

 ツイッターアカウントは @K_shin1972

 

The Bounty Hunters

The Bounty Hunters

ホット・キッド (小学館文庫)

ホット・キッド (小学館文庫)

ラム・パンチ (角川文庫)

ラム・パンチ (角川文庫)

プロント (角川文庫)

プロント (角川文庫)

Road Dogs (English Edition)

Road Dogs (English Edition)

セイラーズ・ホリデイ

セイラーズ・ホリデイ

砂塵の町 (中公文庫)

砂塵の町 (中公文庫)

ジャッキー・ブラウン [Blu-ray]

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脂肪のかたまり (岩波文庫)

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駅馬車 [DVD]

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赫獣(かくじゅう)

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あくたれ!

あくたれ!

蒸発父さん―詐欺師のオヤジをさがしています (幻冬舎文庫)

蒸発父さん―詐欺師のオヤジをさがしています (幻冬舎文庫)

 

■初心者のための作家入門講座 バックナンバー一覧

2014-03-04

初心者のためのカミ入門 第2回(執筆者:ピエール・アンリ・カミ・高野)

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【↑:執筆者近影?】

 

 こんにちは、ピエール・アンリ・カミ・高野こと、高野優です。このコーナーではフランス文学界が生んだ奇才、あのチャップリン「世界最高のユーモア作家」と呼んだピエール=アンリ・カミについて、お気楽に紹介したいと思っています。

 

 実は2011年の1月にこのコーナーで、「初心者のためのカミ入門」第1回を掲載していただいた時、「第2回は来年の桜が咲く頃までに、高野が持っているカミの原書の表紙などを一挙公開したいと思っています。第3回はカミの生涯に少し詳しく迫ってみましょう。どうぞお楽しみ」と書いたのですが、それから数年、桜が咲き、桜は散れど、その機会は訪れず(←って、あんたがさぼってただけじゃん)、また桜が咲き、桜が散ってを繰り返しているうちに、とうとうあと少しで2014年の桜の季節を迎えることになってしまいました。

 

 

 その間に《ハヤカワ ミステリマガジン》ではカミのコント集が2回ほど掲載され、また『機械探偵クリク・ロボット』が文庫化され、2014年の《ミステリマガジン》4月号には、作家特集として、カミが取りあげられることになりました。で、その時にチャップリンの戦争特派員」という作品を訳したのですが、今回はそれにちなんで、「カミとチャップリン」の交友に関するエピソードをご紹介して、「初心者のためのカミ入門」第2回としたいと思います。

 

カミとチャップリン

 2008年にカミの没後50年を記念して、フランスのブルゴーニュ地方にある、ラ・シャリテ=シュル=ロワールという町の公共美術館で開かれた「カミ展」のカタログによると、カミがチャップリンを知ったのは、フランスにチャップリンの初期の短編映画が入ってきた1915年のことだという。カミはたちまち、チャップリンに夢中になり、さっそくシャルロ(フランスでのチャップリンの愛称)に手紙を送り、猜個稔瓩里茲Δ覆發里始まったらしい。といっても、カミはほとんど英語ができず、チャップリンもフランス語ができなかったので、カミはフランス語と下手な英語で書いた文章に自作のイラストを添え、チャップリンのほうは英語で書いた手紙と一緒に、自分が出演した映画の写真を送っていたらしい。

 

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↑1916年にカミがチャップリンに送った名刺。

 カミの住所が書いてある。下にはメッセージがある。

P.S. Vous me feriez le plus grand plaisir en m'envoyant votre photographie dédicaceé.

(追伸。あなたの写真を献辞を入れて、送ってくださると光栄です。)

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チャップリンに宛てた初期のカードのひとつ。

 自分の写真の裏にメッセージを入れて送った(1916年12月)。

 Vous me feriez le plus grand plaisir en m'envoyant votre photographie dédicaceé.

 Avez vous tourné mon scénario intitulé "Charlot dans un œuf" ?

 あなたの写真を献辞を入れて、送ってくださると光栄です。

 ところで、私が書いた『卵のなかのシャルロ』という短編映画のシナリオの撮影はしましたか?

 

 また、この機会にカミは短い戯曲と、シャルロ(チャーリー)を主人公にした短編映画のシナリオも送っている。『シャルロの決闘』と『卵のなかのシャルロ』という二本のシナリオ(ただし、プロットのみ)を書いて、チャップリンに映画を撮ってもらおうと考えたのである。だが、残念ながら、チャップリンはこれを映画にすることはなかった。

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↑チャーリーを主人公とした短編映画のために、
 カミが書いたシナリオのプロットを収めた小冊子の表紙。

 Charlot se bat en duel

 Charlot dans un ♪uf

(Kickshaws, 2004)

『シャルロの決闘』

『卵のなかのシャルロ』

(キックショウズ、2004年)

 

 その後、1917年にカミは『シャルロー――ガニ股歩きの私立探偵』を発表(この作品はいずれ翻訳して紹介する予定)。また、《銃剣【ラ・バイヨネット】》誌に、本誌でご紹介した「チャップリンの戦争特派員」を掲載。そういったことから、チャップリンとカミは急速に親しくなっていく。ちなみに、チャップリンは、1918年に『担【にな】え銃【つつ】』(別題『チャップリンの兵隊さん』)というサイレント映画を撮っているが、そこでは「チャップリンの戦争特派員」同様、チャーリーがドイツ皇帝ヴィルヘルム2世と絡むという筋立てになっている。チャップリンは《銃剣【ラ・バイヨネット】》誌に掲載された「チャップリンの戦争特派員」は読んでいたはずなので、そこから何かしらのインスピレーションは得たかもしれない。ただし、それを裏付ける資料は残っていない。

 ともあれ、こうしてふたりは親交を深め、前述したように、カミはチャップリンを崇拝し、チャップリンもまた、英語に翻訳されたカミの作品を愛読して、その才能に深く敬意を表した。実際、チャップリンは、1917年にカミに宛てた手紙のなかで、こう書いている。

 

《私はあなたの『ピンの頭のような男』(L'homme à la tête d'épingle, 1914)や『シャワーを浴びながら読む本』(Pour lire sous la douche, Ollendorff, 1912)を読みました。これはまさに巨匠の作品です。極上のユーモア、洗練された味わい。滑稽で最高に馬鹿ばかしく、それでいて情熱的で――そういったものが次から次へと飛びだしてくる。真面目かと思うと、ふざけていて、その切り替えが絶妙。あなたはまるで手品師のように文章を操っていく。しかも、簡潔なスタイルで……。そうして、〈笑い〉を爆発させるのです! どうでしょう? 私がこんなふうにあなたの本のことを褒めるのを見れば、あなたの本がどれだけ私を楽しませてくれたのか、わかっていただけるのではないかと思います。そうであることを心から願って!》

(《銃剣【ラ・バイヨネット】》誌1917年3月号に「チャップリンの戦争特派員」が掲載されることが決まった時、その前の号に載った次号予告より)

 

 また、同じく1917年にはこうも言っている。

 

《カミは“イン・ザ・ワールド”――世界でいちばん偉大なユーモア作家だ。カミの本はどれも巧みなユーモアにあふれた傑作である。悲壮かと思うと滑稽で、高尚かと思うと珍妙で、そのふたつの相反するものが作家の卓越した腕前で交互に配される。その結果、否応なく笑いが爆発するのだ。その笑いは、万国共通のものである。世界じゅうの人間が理解できるものだ。カミについて話すと、私はちょっと自分について話しているような気がしてくる》

 

 こうして、ふたりはお互いの才能を認めあい、いわば狒蟷彖螳Ν瓩涼腓箸覆辰燭里任△襪、実際に会うのは、1921年にチャップリンが、当時アメリカで大ヒット中の映画『キッド』を携えて、生まれ故郷のロンドンに凱旋、そのついでにフランスに立ち寄る時まで待たなければならない。ミッシェル・ラクロス著、『カミ』によると、その時の様子をカミはこう語っている。

 

《ある朝、《ジュールナル》紙を開いた時に、シャルロが前の日にパリに着いたことを知ったんだ。そして駅に着いて最初に言ったのが、「カミはどこだ?」という言葉だったことを……。また、私がいなくてびっくりして、悲しい思いをしているということも……。私はあわてて服を着替え、ホテル・クラリッジに向かったよ。シャルロがそこに宿をとっていたことはわかっていたからね。

 ホテルは新聞記者でごった返していた。と、秘書が出てきて、有無を言わさぬ調子で、「ムッシュー・カミ、おひとりだけお通しします」と言ったんだ。そこで、部屋に入ると、私たちはひしと抱きあい、だが、そのあとはお互いに相手の国の言葉ができないせいで、ずっと話せないでいた。ずっとね。そのあと、ホテルのレストランで一緒に昼食をとった時も……。すると――私は今でも、よく覚えているけれども――食事の間に、シャルロがテーブルを離れて、どこかに泣きにいったんだ。なにしろ、私に会うためにはるばる大西洋を渡ってきて、ようやく会えたと思ったら、今度は言葉の壁で話せなかったのだからね。それを思うと、悲しくなったんだろう》

 

 いっぽう、チャップリンは、帰国後に口述筆記させた旅行記、『私の素晴らしい訪問』 My wonderful visit(あるいは、『私の外国旅行』 My Trip Abroad 内容は同じもの)のなかで、ホテル・クラリッジでカミと初めて会った時のことを次のように語っている。

 

《新聞記者のひとりが、「パリをどう思いますか?」と訊いた。そこで、私は、「これまでの人生で、そんなにたくさんフランス人を知っているわけではない。私はカミに会いにきたんだ。ユーモアにあふれた絵を描く有名な挿絵家に……。私たちはもう何年も文通をしているのだ。カミは自分の描いた絵をたくさん送ってくれる。私のほうは自分が出た映画の写真を送る。そういった形でね。私たちは友だちで、だから、どうしても会わなければならないのだ」と……。

 すると、なんと、そこにカミがいたのだ。私はカミを見た。カミは私のほうに駆けてきた。私たちはにっこり笑って、お互いに相手の腕に飛びこんだ。

「カミ!」

「シャルロ!」

 私たちはお互いに感激の言葉を口にした。けれども、突然、何かが変だということに気づいた。カミは機関銃のような速さでフランス語を話している。だが、その意味はわからない。私は困ったことになったと思った。そこで、ふと思いついて、相手と同じように、機関銃のような速さで英語をしゃべってみることにした。すると、私たちはいつまでも同時に話をするだけで、どこにもたどりつけないことがわかった。これではどうすることもできない。私は試しに、ゆっくりと――できるだけ、ゆっくりと、英語で尋ねてみた。

「えいごがわかりますか?」

 その途端、私たちはふたりとも、会話をするのは絶望的だということに気づいた。私たちは言葉が通じないのだ。私たちは悲しかった。だが、このおかしな状況を笑うことにした。

 結局、何があっても、カミはカミなのだし、私はシャルロなのだ。だったら、言葉が通じなくても、一緒に楽しい時を過ごすことができる。だから、そうすることにした。私たちは夕食をとり、それから《フォリ・ベルジェール》にナイトショウを観にいった。パリは私が想像していたより、軽やかでもなければ、輝かしくもなかった》

 

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パリのどこかで。1921年。

チャップリン(左)、カミ(右)

 

 ふたりは1931年に、チャップリン『街の灯』の成功をひっさげて、再びフランスを訪れた時にも一緒の時を過ごす。だが、そこで何か誤解が生じたらしい。ふたりの間はそれから疎遠になり、カミはそのことで深く傷ついた。また、チャップリンの映画にユーモアよりも哀愁が強く漂うようになり、チャップリンがいわば真面目な映画を撮るようになってくると、そういったチャップリンからは少し距離をとるようになる。そして、1950年には、チャップリンがこれから撮影する予定の映画【(注『ライムライト』】のなかで、悲しい道化師を演じて。観客を泣かせるつもりだと知ると、《フランス・イリュストラシオン》紙の7月1日号に、フランス民謡『月の光に』をもじりながら、チャップリンがまた喜劇に戻ってきてくれるよう願う詩を寄稿している。これがチャップリンに宛てた、カミの最後のメッセージになった。

 

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 落ちぶれた道化役者に扮し

 不滅の芸人

 チャップリンは悲しみのピエロに

 おお、観客は涙に泣き濡れるだろう!

 だが、悲しみはいらない

 我が友 シャルロよ 君は死ぬまで

 観客を笑わせてほしい 涙が出るほどに

 月の光のもとで 神の愛のために!

 

***********************************

 

 ということで、いかがでしたでしょうか? 今年(2014年)は、このあと『三銃士の息子』の本邦初訳、それから『名探偵ルーフォック・オルメス』の新訳と、カミの作品が続けて出版されます。また、第1回でお約束した「高野が持っているカミの原書の表紙の一挙公開」、「カミの生涯の紹介」も忘れたわけではありません。いつとはお約束できませんが、「初心者のためのカミ入門」第3回、第4回として必ずやりたいと思っています。しばらくお待ちくださいませ。

(2014年3月1日)

 

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初心者のための作家入門講座 バックナンバーはこちら

2013-11-11

『インフェルノ』への道(その1)(執筆者・越前敏弥)

             

        

        

 ダン・ブラウンのラングドン・シリーズ第4弾『インフェルノ』が11月28日に刊行されるので、今月の月曜枠ではそれに向けての記事を3回書かせていただきます。題して〈インフェルノへの道〉。まだごく少数ながら、見本ができ、きのうの夜に紀伊國屋書店新宿本店でカウントダウンイベントがありました。


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 とはいえ、刊行まで間があるので、第1回のきょうは、当サイトのリレー連載〈初心者のための作家入門講座〉の一環として、「初心者のためのダン・ブラウン」。


これまでの〈初心者のための作家入門講座〉はこちら


 まあ、こんな記事を書かなくたって、ダン・ブラウンは初心者にも読みやすい作品ばかり書いているんですが、このサイトの読者は、最初から本好きの人が多いはずなので、超初心者向きのものということではなく、むしろある程度ミステリーを読んでいる人向けのものはどれか、という立場で書いてみます。


 ダン・ブラウンがこれまでに書いた作品は6作。実はそれ以外に、公式サイトなどにはまったく情報がない2冊のユーモア本("The Bald Book"と"187 Men to Avoid")がありますが、どうもご本人がふれられたくない過去のようなので、ここでは無視します。


  パズル・パレス(1998)

  天使と悪魔(2000) ラングドン・シリーズ第1作

  デセプション・ポイント(2001)

  ダ・ヴィンチ・コード(2003) ラングドン・シリーズ第2作

  ロスト・シンボル(2010) ラングドン・シリーズ第3作

  インフェルノ(2013) ラングドン・シリーズ第4作


〈初心者のための作家入門〉では、まずどの作品から読むといいかを書くことが多いようです。ダン・ブラウンの場合、よくあるまちがいとして、『ダ・ヴィンチ・コード』がシリーズ第1作と思われがちなので、いや、『天使と悪魔』から読んでください、というのが初心者へのごくふつうの薦め方でしょうが、このサイトの読者のかたは先刻ご承知でしょうし、逆に歯応えのある作品のほうをお望みでしょうから、きょうはノン・シリーズの2作目にあたる『デセプション・ポイント』をご紹介します。実のところ、いろいろな意味で最も完成度が高く、作者の技巧がほどよく凝縮されているのはこの作品だと思います。

デセプション・ポイント〈上〉 (角川文庫)

デセプション・ポイント〈上〉 (角川文庫)

デセプション・ポイント〈下〉 (角川文庫)

デセプション・ポイント〈下〉 (角川文庫)

 国家偵察局(NRO)の局員レイチェルは、大統領へ提出する機密情報の分析に携わっていた。現在、ホワイトハウスは大統領選の渦中にあるが、レイチェルの父セクストンは現大統領の対立候補だった。選挙戦の最大の論点は米国航空宇宙局(NASA)に膨大な予算を費やすことの是非であり、NASA擁護派の現職よりも批判派のセクストンが優勢となっていたが、レイチェルは家族を顧みない父と断絶状態にあった。

 そんなとき、北極で地球外生命体が発見されたという情報が大統領陣営にもたらされる。レイチェルは大統領から指示を受けて北極へ行き、そこで海洋学者トーランドをはじめとする科学者のチームとともに真偽のほどをたしかめるべく調査をはじめるが、信じられないような数々の謀略の深みにはまり、生命の危険に何度もさらされる。大統領選の情勢が二転三転するなか、レイチェルやトーランドははたして生還できるのか? そして、地球外生命体はほんとうに存在するのか?


 この作品をイチ押しにする理由をいくつかあげてみましょう。


(1) スピード感と蘊蓄のバランス

 本来矛盾するはずのこのふたつの要素が両立するのがダン・ブラウンの特徴ですが、小出しに傾けられる蘊蓄がストーリーの必然からかけ離れることなく、一体化していて、中途半端に読み飛ばすことができないという点では、おそらくこの作品がいちばんです。

 蘊蓄の中身も、ラングドン・シリーズで多く見られる文化・芸術・歴史方面だけでなく、大統領選やホワイトハウス、生物学や化学や雪氷学、潜水艦や兵器など、多岐にわたっています。


(2) 巧妙な伏線

 ページターナーであるためによく見逃されるのですが、読者をミスリードするためのさりげない叙述や、伏線の張り方、小道具の使い方など、ダン・ブラウンはどの作品でも実によく工夫を凝らしています。この『デセプション・ポイント』でも、再読すれば、序盤から周到な罠がいくつも仕掛けられていることにお気づきになるでしょう。

 これは訳者泣かせの特徴でもあります。ひとつの単語が二重の意味を持ったり、台詞の話者が見かけとちがったりという場合は、訳文の処理で通常の何倍も神経をつかわざるをえません。


(3) 推論の切れ味

 ダン・ブラウンのほかの作品はすべて、暗号がいくつも用意されていて、読者は主人公とともにそれを解いていく趣向になっていますが、『デセプション・ポイント』だけは暗号と呼べるものが出てきません。そのかわり、地球外生命体が存在するか否かについての仮説が中盤にいくつか立てられ、それぞれを検証していきます。この過程がきわめて独創的かつ明快で筋道立っていて、本格的なミステリーの醍醐味を堪能できます。いちばんのカタルシスが得られるのは、おそらくこの部分です。


(4) ふたりのヒロイン

 お決まりと言えばお決まりですが、ダン・ブラウンのすべての作品に、魅力的なヒロインが登場します。ヒロインの年齢が比較的高いのは、ダンの妻ブライズが12歳上であるせいという説もありますが、それはともかく、『デセプション・ポイント』では、大統領側主人公レイチェルのほかに、対立候補側の秘書ガブリエールという女性が登場し、読者の興味はこのふたりがそれぞれの窮地をどうやって脱するかに惹きつけられます。対立する両陣営のヒロインに同等の感情移入をさせるという離れ業は、この作品だけのものです。


(5) バカミス度の高さ

 動機とトリックのアンバランスはよく「バカミス」という呼称のもとに珍重されます。『ダ・ヴィンチ・コード』の冒頭でソニエール館長がわざわざみずから全裸死体になるシーンなども、この範疇にはいるのかもしれません。詳細はネタバレになるので書きませんが、『デセプション・ポイント』はこの点でもダン・ブラウン全作品中の白眉だと言えます。「あんなことのためにあそこまで……」と言いたくなるということでは、ジャック・カーリイ『百番目の男』に匹敵すると断言します。


 というわけで、これだけ傑作の要素を具えた『デセプション・ポイント』ですが、原著の刊行当時はあまり話題になりませんでした。ひとつには、大手出版社への移籍を果たしたのがつぎの『ダ・ヴィンチ・コード』だったという事情もありますが、それより大きな理由は、この本が出たのは2001年8月であり、翌月に同時多発テロが起こったからでしょう。この時期はフィクション、ノンフィクションを問わず、期待作が総倒れとなりました。そして、愛国心の高揚が求められたこの時期には、NASAや大統領選をめぐる腐敗や陰謀をテーマにしたこの作品はお呼びではなかったようです。

 ダン・ブラウン自身も、この作品にはひときわ愛着があるらしく、映画化に際してのシナリオをみずから執筆しています。まだ本格的なことはほとんど決まっていないようですが、6作のなかではまちがいなく最も映画向きの作品でもあるので、期待はいや増します。


 ところで、新作の『インフェルノ』については、上記の5つの要素はどの程度期待できるのか。独断で採点させてもらえれば、(1) が○、(2) が◎、(3)と(4) が△、(5) が◎といったところでしょう。今回は比較的仕掛けが地味ではないかという印象で静かにはじまりますが、後半になると、奇想天外な大仕掛けの連続となります。そして、読み返してみると、その伏線が冒頭部分からいつにも増して多く仕込まれているのがわかります。

 最新作『インフェルノ』は、過去の5作のどれにも似ていない、ダン・ブラウンの新境地と呼ぶべき作品です。そして、禁断の結末は、まちがいなく賛否両論を呼び起こすでしょう。もう少しくわしく内容を知りたい人のために、今週から全国の書店に10ページ程度のこんなフリーペーパーを置いてあるので、見つけたらご自由にお持ちください。

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 ところで、これまでシンジケート後援の読書会で、課題書としてダン・ブラウンの作品を採りあげたことは一度もありません。最も課題書向きなのもこの『デセプション・ポイント』にちがいないので、これをやろうという読書会があったら、教えてください。全国津々浦々、どこへでも参上しますよ。


 次回はダン・ブラウン作品にまつわる翻訳上の四方山話などを紹介する予定です。


「その2」はこちら

「その3」はこちら 

越前敏弥

(えちぜんとしや)。1961年生。おもな訳書に『解錠師』『夜の真義を』『Yの悲劇』『ダ・ヴィンチ・コード』など。趣味は映画館めぐり、ラーメン屋めぐり、マッサージ屋めぐり、スカートめくり。ツイッターアカウント@t_echizen。公式ブログ「翻訳百景


月替わり翻訳者エッセイ バックナンバー 

インフェルノ (上)  (海外文学)

インフェルノ (上) (海外文学)

インフェルノ (下) (海外文学)

インフェルノ (下) (海外文学)

ダ・ヴィンチ・コード(上) (角川文庫)

ダ・ヴィンチ・コード(上) (角川文庫)

ダ・ヴィンチ・コード(中) (角川文庫)

ダ・ヴィンチ・コード(中) (角川文庫)

ダ・ヴィンチ・コード(下) (角川文庫)

ダ・ヴィンチ・コード(下) (角川文庫)

天使と悪魔 (上) (角川文庫)

天使と悪魔 (上) (角川文庫)

天使と悪魔 (中) (角川文庫)

天使と悪魔 (中) (角川文庫)

天使と悪魔 (下) (角川文庫)

天使と悪魔 (下) (角川文庫)

百番目の男 (文春文庫)

百番目の男 (文春文庫)