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2010-04-23

クリストファー・ブルックマイア『殺し屋の厄日』その1(執筆者・杉江松恋)

 史上最低最悪の殺人現場へようこそ!

 血まみれスプラッタ、バラバラ死体、セックス殺人などなど。どんな場面を想像しましたか。気の弱い人は、うわぁー、グロいのって苦手なんだ、と本を閉じかけているかもしれない。いや、あなたの想像はすべて外れています。そうではない、現場を彩るのは――

 ゲロ。

 しかも大量の。

 玄関にあったそれは死体の第一発見者である郵便配達夫が、やむにやまれぬ生理現象として撒き散らしたものなのだ(実は別の場所にもゲロがあるが)。彼を責めないでやってもらいたい。死体の方も凄惨なありさまだったのだから。詳しくはここでは触れないが、死体の最も印象的な箇所が「二本の切断された指」が「鼻の穴の残骸に突っこまれた」状態だといえば察していただけるでしょう。吐きたくもなるというものである。もっとも現場を彩る排泄物はそれだけではなかった。これも書くには忍びないのだが「さしずめココア・パウダーを混ぜすぎた巨大なラム入りトリュフ」というような代物が鎮座ましまして来訪者を待ち受けていたのである。こんな現場に乗りこまざるをえなかった捜査陣に、私は同情を禁じえない。

 本書はスコットランドが生んだ犯罪小説作家、クリストファー・ブルックマイアが一九九六年に発表したデビュー作、Quite Ugly One Morningの邦訳である。この小説は、年度内に刊行された最も優秀な犯罪小説のデビュー作に対し評論家サークルが授与する、First Blood Awardを受賞している。

 クリストファー・ブルックマイアの作品は一九九九年に本国で刊行された『楽園占拠』がすでに邦訳紹介されており、ご記憶の方も多いだろう(本書の登場人物であるヘクター・マグレガー警部も顔を出している)。スコットランド沖に浮かぶ石油掘削のための巨大な浮島がリゾートアイランドに改造され、事業の仕掛人が同窓会パーティを催す。ところがそこに謎の武装集団が襲来し、島を占拠してしまうのである。大雑把に言ってしまえば映画「ダイ・ハード」的状況だ。主人公アラエスタ・マクエードは、武装集団がパーティ会場を制圧したとき幸運にもテーブルクロスの下に隠れ、広間から脱出することに成功する。そして換気シャフトに潜りこみ、ジョン・マクレーン(いわずと知れた『ダイ・ハード』の主人公だ)よろしく現状打破の行動に移るのだが、なんと緊張のあまり「満ち潮のごとき勢い」でゲロを吐き、あっさりテロリストどもに見つかってしまうのだ。

 はあ?

 ちょっと変わったアクション小説、ぐらいに思って『楽園占拠』を読んでいた私は、この場面でのけぞった。なんだこれは。いや、この場面(三百十六頁)に至るまでも、アリーが映画オタクぶりを発揮して「弾丸致死率」なる理論を得々と開陳してみせたり、襲撃の演習中に誤って仲間をロケット弾で吹き飛ばしてしまったりといった間抜けな展開が延々と繰り広げられていたので、裏表紙にあった「イギリスの若手実力派がはなつアクション巨編」なんて綺麗事はまったく信用しなくなってはいたのだが。しかし、『楽園占拠』の飛び抜けぶりは、こちらの予想をはるかに超えていた。「ちょっと変」どころじゃない。こんな変てこな「アクション小説」は読んだことがない! 当時「ハヤカワ・ミステリ・マガジン」の新刊レビューに、私はこう書いている。「とにかく一ページに一つ以上は笑えるくだりがあるので、読むのに時間がかかる。アクション小説ではあるのだが、よくよく読んでみると、まっとうな善悪対決の活劇はごく一部。ほとんど仲間割れやら勘違いによるアクションばかり」――さよう「アクション小説ではあるのだが」それ以上に『楽園占拠』は、スラップスティックな笑いが優先されるコメディ小説であったのだ。素敵だ。


 そこで『殺人者の厄日』である。主人公は、事件記者ジャック・パーラベインだ。パーラベインは、冒頭で紹介した殺人現場のフラットの上階に「たまたま」住んでいた。その朝、ひどい二日酔いの真っ最中にいた彼は、ゲロの悪臭に気づいて起き出した。自分がどこに小間物屋を広げてしまったのかを探すためだ。うろうろと彷徨っている間に、彼は「パンツとよれよれのTシャツ」という情けない姿で、オートロックの部屋から自分を閉め出してしまう。なぜか死体が転がっていて至るところに排泄物がぶちまけられている階下の部屋の裏窓から自室に侵入しようとしているところを、刑事に発見されるのである。きみ、非常に怪しいぜ、パーラベイン。

 パーラベインは腕利きのジャーナリストだ。スコットランドの地方都市グラスゴーでキャリアを積み、ロンドンの大手紙に引き抜かれた。しかしそこで新聞社ぐるみの不正に気づいたパーラベインは、自分を騙した人間たちに強烈なしっぺ返しをくらわせ、大西洋を渡り、はるかアメリカは西海岸のLAで記者活動を再開した。ところがここでも急いで職を離れなければならない事態が出来し、つてをたどって故郷スコットランドの首都であるエディンバラへとやって来たのだった。その矢先の事件遭遇だったわけである。

 本書では事件に巻きこまれた形だが、パーラベインにとってはむしろ幸いだっただろう。何しろ彼は筋金入りのGONZO(無頼派)ジャーナリスト、事件取材にあたっては不法侵入やクラッキングなどの犯罪行為に手を染めてもまったく意に介さない、不逞の輩なのである。作者ブルックマイアはあるインタビューでパーラベインをこう評している。「彼は何事もあらかじめ決められた通りには進行させないジャーナリストだ。それが国の法であろうと、重力の法則であろうと」。してみると一階の他人の部屋から二階の自室に戻るなんてことは国法に逆らう(不法侵入)、重力の法則に逆らう(小柄な体格のパーラベインは、「スパイダーマンのように壁をよじ登れる」という)という両方の側面を見事に満たした行為になりますな。一階で殺害されていたのは、とある総合病院に勤務する医師だった。パーラベインはその背景に陰謀のにおいを嗅ぎつけ、医師の離婚した元妻のセーラと、刑事のディエルという二人の美女の手を借りながら、事件を解決していくのである。おっと。言い忘れたが、パーラベインの特長の一つに、美女にもてるというのもあるのだった。


 ところで、『楽園占拠』でブルックマイアが示したユーモアのセンスは本書にも如実に現われていることをお約束しておこう。いや、アクションの要素が少ない分、こちらの方が『楽園占拠』よりも笑える仕上がりになっているかもしれない。私が見たところ、ブルックマイアの書く「笑い」は、小説を支える三つの要素と不可分のものである。では、その要素とはいったいどのようなものか。

 まず挙げるべきは、イギリス人が好む悪趣味な笑いの要素である。「モンティ・パイソン空飛ぶ大サーカス」を例に出すのがもっとも手っ取り早いだろう。

 たとえばパーラベインとコンビを組むセーラは旧姓をスローターという。彼女は医師なので、正式な名乗りがドクター・大量殺人(スローター)になるわけだ。そういう駄洒落や、殺し屋ダレン・モートレイクが大家の犬を殺して戸棚に隠す残酷なギャグは「モンティ・パイソン」のままである(ちなみに大家の老婦人は犬の復讐のため思い切った逆襲をする。ここはぜひ故・グラハム・チャップマンに「女装して」演じてもらいたいところだ)。もちろん本書の至るところに登場するゲロ・エピソードは、モンティ・パイソン映画の最高傑作「人生狂想曲」における「ムッシュ・クレオソート」のコントを想起させる。

 しかし、パイソンよりもさらに直接的な影響を与えているのはダグラス・アダムズの『銀河ヒッチハイク・ガイド』(河出文庫)シリーズであるようだ。英国BBCが制作した同作ラジオドラマのサイトThe Hitchhiker’s Guide to the Galaxyを見ると、テリー・ジョーンズやサイモン・ブレットと並んでブルックマイアが登場し、パーラベインが『銀河ヒッチハイク・ガイド』に登場人物するフォード・プリーフェクトに着想を得たキャラクターであることを明かしている。フォード・プリーフェクトは、ベテルギウスから地球にやってきた事件記者なのである。『楽園占拠』を読んだ方は、文中で『銀河ヒッチハイク・ガイド』に言及した箇所があったことに気づかれたはずだ。


(つづく)

銀河ヒッチハイク・ガイド (河出文庫)

銀河ヒッチハイク・ガイド (河出文庫)

クリストファー・ブルックマイア『殺し屋の厄日』その2(執筆者・杉江松恋)

(承前)


 二つめは、アメリカ製のクライム・コメディの要素だ。特にカール・ハイアセン。突拍子もない奇人が物語の中をうろつきまわり(ヒーローさえも奇人だ)、真っ直ぐに進むべきプロットをねじ曲げていくというやり方は、明らかにハイアセンの影響を受けている。

 殺人事件の黒幕であるスティーヴン・ライムは、国家健康保険制度(NHS)を利用して財を成そうとする俗物だ。ハイアセン作品ではフロリダ州の自然を破壊して荒稼ぎする開発業者がしばしば悪玉扱いされるのだが、ライムからはそれと同じような悪臭がする。そして前述の殺し屋ダレン・モートレイク。モートレイクは、ライムの指示によって医師を「自殺に見せかけて」殺害しようとする。その穏やかな手口がどうして鼻に二本指が刺さった死体を製造してしまうような馬鹿げた事態に陥るのか。それはモートレイクが、現代に甦ったネアンデータル人のような、総身に知恵が回りかねた大男だからだ(こんな人間に繊細な犯罪を依頼する方が間違っている)。ハイアセン作品にもこうしたグロテスクな犯罪者がたびたび登場する。印象的なのは『珍獣遊園地』(角川文庫)に出てきた、ステロイドのやりすぎで睾丸がどんぐり大に縮んでしまったマッチョ男、ペドロ・ルツだ。モートレイクしかりルツしかり、規格外の人間からは規格外の発想が出てくるものである。それが事件を複雑怪奇な色に染め上げているのだ。

 余談ながら、本書の二百九十一ページでパーラベインが口ずさむ「命知らず」(原題Desperados Under The Eaves)は〈ロック界のサム・ペキンパー〉と称される孤高のミュージシャン、ウォーレン・ジヴォン(一九四七〜二〇〇三)のセカンドアルバム”Warren Zevon”に収録された曲である。乾いた言葉で死の匂いを感じさせる歌詞とストリングによるドラマティックな旋律のミスマッチぶりが美しい。この曲はジヴォンのファンの間で人気が高く、カリフォルニアを題材にとったという点の類似から「裏ホテル・カリフォルニア」と呼ばれることもあるという。ジヴォンは多くの小説家と交流があったことでも知られ、スティーヴン・キングやエイミー・タンらが結成したバンドに協力したり、『ラスベガスをやっつけろ!』(筑摩書房)の作者ハンター・S・トンプソンをアルバム作りに参加させたりといったことをしている。そうした共同作業でもっとも有名なのが、二〇〇二年のアルバム” My Ride's Here”に収録された”The Basket Case”である。この曲を共作したのはカール・ハイアセンで、なんと同年にハイアセンが発表した同題の長篇(未訳)に登場するバンドが演奏するテーマソングということになっているのだ(ハイアセンは一九九五年のアルバム” Mutineer ”にも参加している)。ハイアセンとこれだけ縁が深いことを思うと、ジヴォンの「命知らず」が文中に登場するのもむべなるかな。もちろん歌詞の方も場面にマッチしている。ブルックマイアはこういう遊びを好んでやる人なんですね。

 さて、三つ目だ。最後に挙げるのは、スコットランドのお土地柄という要素である。スコットランド出身のミステリー作家といえば、最近ではまずイアン・ランキンの名前が挙がるだろう。ランキンのリーバス警部シリーズは、本書と同じエディンバラが舞台だ。しかしイギリス文学全体を見渡して現代を代表するスコットランド作家を一人挙げるとするなら、やはりアーヴィン・ウェルシュを措いて他にない。エディンバラ出身のウェルシュは、一九九三年の長篇デビュー作『トレインスポッティング』(角川文庫)の成功で一躍スターダムにのしあがった作家である。彼が描くエディンバラは、スコットランドの州都であり、美しいエディンバラ城を頂いた歴史ある都市ではない。その郊外(サバービア)に住み失業保険を貰いながら暮らす貧困層が見たエディンバラなのである。そうした未来のない人々の、諦念と怒りが織り交ざった心境から湧いてくる乾いた笑いを、ウェルシュは作品中で描いた。

『殺し屋の厄日』の舞台となるのもエディンバラだが、主人公パーラベインの出身地はエディンバラを抑えてスコットランド第一の都市となっているグラスゴーである。グラスゴーはエディンバラと同様に歴史のある町だが、現在は工業都市としての性格が強い。またサッカー人気が高いことでも有名で、例のフーリガンが頻繁に暴れ回る場所でもあるのだ。パーラベインはそうした荒くれた土地の出身であることを内心誇っており、彼のたたく軽口にもそれが現われている。本書の文中でも『トレインスポッティング』に言及した箇所があるが、都市の底辺生活者の視点から反抗的に「お上」を見るというありようは、ウェルシュにも共通したものだ。

 スコットランドはかのアーサー・コナン・ドイルやジョン・バカンを輩出するなど、ミステリー界への貢献度が大である土地だが、スコットランド出身の作家にはウェルシュやイアン・バンクスなど、癖のある作家が多い。ストレートな警察小説と見せかけて、こっそりロック文化の符丁を作中に織り交ぜるイアン・ランキン(ローリング・ストーンズ・マニア)などもやはり曲者である。こうしたへそ曲がり気質は、英語とゲール語の二つを共用語にいただく二面性や、遡っては十八世紀にスコットランドがイングランドと合邦したことを併合ととって遺恨に思う歴史的背景に求められるだろう。ブルックマイアもスコットの系譜に連なる作家なのであり、作品の邦訳紹介が進めばそうした地域性についても理解が進むはずである。

 長くなってしまった。短くまとめて言えば、曲者の主人公が事態を掻き回す、油断のならないストーリー(ちょっとゲロつき)。『殺し屋の厄日』を楽しんでもらえれば幸いです。本書に対しては「タイムズ」紙より「才能ある作家のデビューであることは確信できる」との賛辞が寄せられた。また同紙はブルックマイアの第三作"Not the End of the World"に対し「ユーモアのセンスは五つ星。真の才能がいっぱい詰まっている」と、やはり絶賛しているのである。

 クリストファー・ブルックマイアは、本書のあとCountry of the Blind、Boiling a Frog、Be My Enemyと合計四冊のジャック・パーラベインものを書き、合間にノンシリーズ作品を発表している。二〇〇七年八月に刊行が予定されているAttack of the Unsinkable Rubber Ducksは、どうやらパーラベインものになるようだ。また、彼の書誌を見ると、前記のFirst Blood Awardのほか、一九九七年に短篇Bampot Centralが英国推理作家協会(CWA)のShort Story Daggerを(「ハヤカワ・ミステリ・マガジン」一九九八年六月号に「中央郵便局襲撃」として訳載)、二〇〇〇年にBoiling a Frogが犯罪小説雑誌Sherlock Magazineから贈られるSherlock Award for Best Comic Detectiveを、二〇〇六年にAll Fun and Games Until Somebody Loses an Eyeがコミック・ノヴェルの賞であるBollinger Everyman Wodehouse Prizeを、それぞれ受賞している。近況は、公式サイトなども参考にしてください。ブルックマイアの肖像写真が載っている。スキンヘッドのブルックマイアは、いかにもへそ曲がりな印象である。ちょっとエリック・アイドルにも似ているな。

■クリストファー・ブルックマイア長篇リスト(※はジャック・パーラベインもの)

※Quite Ugly One Morning (1996)『殺し屋の厄日』本書

※Country of the Build (1997)

Not the End of the World (1998)

One Fine Day in the Middle of the Night (1999)『楽園占拠』ヴィレッジブックス

※Boiling a Frog (2000)

A Big Boy Did it and Ran Away (2001)

The Sacred Art of Stealing (2002)

※Be My Enemy (2004)

All Fun and Games Until Somebody Loses an Eye (2005)

A Tale Etched in Blood and Hard Black Pencil (2006)

※Attack of the Unsinkable Rubber Ducks(2007)予定

(付記)ウォーレン・ジヴォンの楽曲については、ジヴォンのファンサイトを管理しているSF作家の上田早夕里さんから貴重なご教示をいただきました。また、川村恭子さんからは資料のご提供をいただきました。改めてお二人のご協力に感謝いたします。

 杉江松恋

トレインスポッティング (角川文庫)

トレインスポッティング (角川文庫)

Warren Zevon

Warren Zevon

My Ride's Here

My Ride's Here

Mutineer

Mutineer

2010-03-10

マイケル・バー=ゾウハー『影の兄弟』 その1(執筆者・吉野仁)


 ソ連邦崩壊によって米ソを中心とする東西の冷戦構造がなくなったことから、ひところ「スパイ・スリラーの危機」が盛んに言われていた。そのせいかどうかはわからないが、フレデリック・フォーサイスは『イコン』を最後に筆を折ってしまった。

 だが、この分野の第一人者であるジョン・ル・カレは、『ナイト・マネージャー』において兵器ディラーや麻薬業者を敵としたり、『われらのゲーム』で少数民族の闘いなどを題材にとったりするなど、あいかわらず力のこもった傑作を発表し続けている。また、ブライアン・フリーマントルによる窓際族スパイ、チャーリー・マフィンの活躍を描いた傑作シリーズも健在だ。そのほか、新たな世界構造の枠組みを舞台とした謀略物や過去の事件を題材にした歴史物などは、いまだ書き継がれている。決してスパイ小説が廃れてしまったわけではない。

 それでも、東西陣営にわかれてスパイたちが諜報戦を繰りひろげる、きわめて単純で明快な図式がなくなったために、このジャンルに関連する特有の面白さもまたいくつか消滅してしまったのは確かなことだろう。「鉄のカーテン」がおろされたソビエト連邦という強大な国家の不透明さはもちろん、ひとつの情報が場合によっては世界中を戦争に巻きこむ可能性があるなど、謎をふくらませ、物語を力強く押しすすめていく要素が失われてしまったのである。

 ともあれ、現代スパイ・スリラーの代表作家、マイケル・バー=ゾウハーによる本書『影の兄弟』(原題 Brothers )の時代背景は、まさに米ソが対立していた冷戦時代と重なりあう。スターリン時代末期からソ連崩壊前夜まで、ほぼ半世紀にわたる国際重大事件が物語に盛り込まれているのだ。そういう意味では、『パンドラ抹殺文書』『ファントム謀略ルート』『復讐のダブル・クロス』など、これまで作者が世におくりだしてきた傑作群にも増して、きわめてスケールの大きな作品に仕上がっている。いわば冷戦時代を総括した小説なのである。

 物語は、第二次大戦後のモスクワからはじまる。スターリンによるユダヤ民族主義の弾圧が激化していた一九五三年、反ファシズム作家委員会メンバーの女流詩人トーニャが逮捕された。彼女はユダヤ人だったのだ。トーニャにはふたりの子供がいた。ひとりは最愛の夫ヴィクトル・ヴォルフとの間に生まれたアレクサンドル。そしてもうひとりはやむなく再婚したKGB将校ボリス・モロゾフとの子供、ジミトリー。やがてトーニャは無残にも処刑され、ボリスもまた粛清の犠牲になり連れさられていく。だが、その前にボリスは、アレクサンドルをアメリカのブルックリンに住むトーニャの姉のもとに、ジミトリーをレニングラードの孤児院へと送っていた。

 こうしてふたりの兄弟は、かたやアメリカ、かたやロシアと、それぞれの人生を生きることになった。アメリカに住むアレクサンドルは、伯母ニーナの愛情に育まれ、生まれ故郷ロシアへの思いを抱きながら大人になっていった。一方のジミトリーは、ロシアの孤児院でひとり生き地獄のごとく過酷な環境を生きのび、ユダヤ人への憎悪を胸に成長していった……。

 血をわけた兄弟が、やがて思わぬ運命からそれぞれの国の情報機関員として対決するのである。こうした設定は、とりたててめずらしいものではなく、たとえば昨年話題になった国際謀略スリラーの傑作グレン・ミード『雪の狼』(二見文庫)などにも似たような形を見ることができる。だが本書では、ふたりの愛憎模様がさらに複雑に織り重ねられながら、じつに衝撃的な結末へと向かっていくのである。このあたり、作者のストーリーテリングの巧みさに驚かされるばかりだ。


(つづく)

マイケル・バー=ゾウハー『影の兄弟』 その2(執筆者・吉野仁)


 また、物語のなかでは、兄弟の成長とあわせて、ロシアとアメリカを中心にして、今世紀に起こったさまざまな歴史的大事件が描かれている。

 まず、冒頭からスターリンのユダヤ人粛清事件が、物語の重要な要素として、綿密に描写されている。バー=ゾウハーの作品は、いずれも導入部からすでに謎とサスペンスに満ちた展開ではじまり、たちまち物語世界に引き込まれてしまったものだが、本書もまた、兄弟の母親、トーニャの受ける残酷な運命の行方を追わずにはいられなくなるのだ。

 さらに、ポーランド人捕虜大虐殺事件、ニュルンベルク裁判、キューバ危機、そしてソ連のアフガニスタン介入、ゴルバチョフ政権のペレストロイカから、ソ連崩壊にいたるまでの国際的な事件が登場する。

 こうした出来事も、登場人物たちの視点に立って語られるせいか、無味乾燥な記述による歴史の教科書を読むより、はるかに分かりやすい。そしてそこには、これまで作者の作品を読んでこられた方ならばお分かりのように、ブルガリヤで生まれ、ナチの迫害を逃れてイスラエルで育ったユダヤ人、バー=ゾウハーならではの史観が、随所にあらわれているのである。

 そのほか、アメリカに住むアレクサンドルが思春期をむかえ、やがてロマンチックな恋におちる顛末やそれを心配しながら見守る伯母の心情などまでもが丹念に描かれており、ある種の青春小説風なおもむきが強く感じられる。こうした味わいも、大河小説のように主人公の成長が語られていく、本作ならではの特色かもしれない。

 そして、前半におけるふたりの少年期から青年に至るまでの展開を経て、物語は佳境へと向かっていく。やがて、それぞれの国の諜報部に加わり、燃えたぎるような復讐心を胸に、虚々実々の闘いを繰りひろげていくことになるのだ。

〈復讐〉こそは、バー=ゾウハー作品で、デビュー作『過去からの狙撃者』以来、ほぼ一貫して扱われているテーマである。

 愛する者を理不尽に殺された恨みを決して忘れないどころか、おのれの命をかけてでも追い続け、かならずやその償いを求める。ナチス・ドイツによる歴史上未曾有の大暴虐の犠牲となったユダヤ民族の血をひく作家ならではの主題といえる。

 本作では、主人公たちのきわめて個人的な愛憎が絡んでいるものの、やはり復讐にとり憑かれた男たちをめぐるドラマへと展開していくのだ。それが、つねに相手の裏をかきながら闘うスパイ・スリラーの醍醐味と重なりあい、より劇的なクライマックスへとつながっていくのである。

 さらに、諜報戦ものとしての面白さは、とりわけジミトリーがKGBに所属してから、秘密工作員としての訓練を受け、任務をこなしていくあたりにみられる。KGBの歴史と影の部分が克明に描かれているのだ。

 なにより、もうひとつ決して忘れてならないバー=ゾウハーの最大の魅力は、そのラストシーンの素晴らしさである。『パンドラ抹殺文書』で、光と影を劇的に反転させた、まったく見事としか言いようのない結末。もしくは『復讐のダブル・クロス』で、鮮やかな映像として目前に浮かんでくるほどの印象的な最後の場面。当然のことながら、本書でも驚愕と興奮が間違いなく味わえる。復讐に燃え反目しあう兄弟たちの憎悪とこれまでの人生とは、いったい何だったのか。まさに胸の奥をえぐられるような衝撃に襲われるラストが用意されているのだ。これこそが、バー=ゾウハーの真骨頂なのである。

 このように、半世紀にわたる冷戦時代の変遷を背景に、事実と虚構を巧みに織りまぜつつ、大河ドラマ仕立ての骨格とひねりの効いたプロットによって描かれた本書は、作者の持ち味がいたるところに含まれており、スパイ・スリラーの枠をこえた、極上のエンタテインメント作品となっているのだ。

 いわば作者の集大成的な作品である本書が出たのち、残念ながら新作は発表されていない。年齢的にみて、まだまだ引退してしまう歳ではないだけに、ぜひとも新たなスパイ・スリラーや国際謀略サスペンスを書いて欲しいものだ。東西の冷戦が終わったとしても、たとえばイスラエルをめぐる中東問題をはじめ、題材にはこと欠かないはずだ。マイケル・バー=ゾウハーならではの、現代の復讐譚を読みたいのである。


 吉野仁


(注:本文は1998年2月に書かれたものです)

2010-02-16

アガサ・クリスティー『謎のクィン氏』  トリックスターが演出する、愛と救いにみちた一夜の夢 その1(執筆者・川出正樹)


「我ら役者は影法師、

皆様方のお目がもし

お気に召さずばただ夢を

見たと思ってお許しを」

ウィリアム・シェークスピア「夏の夜の夢」小田島雄志訳



「ぼくは自動的なんだよ。周囲に異変を察知したときに、

浮かび上がってくるんだ」

上遠野浩平『ブギーポップは笑わない』


 

 これは、贖罪と救済とが通奏低音のように響き渡る十二の作品からなる、珠玉の連作短篇集です。愛ゆえに生じる哀しくも心温まる犯罪の謎を、人生の機微に通じた探偵が解きほぐす。美しく切ない大人の男女の愛の物語であると同時に、人生の厳しさ、残酷さを実感させられる小説であり、探偵の存在意義という、ちょっと堅い命題にまで思いをはせてしまう、そんなミステリでもあります。その訳は、実は探偵役の設定と密接に絡んでいるのです。


       一


 ポアロやマープルを筆頭に、トミー&タペンス、パーカー・パインといった、クリスティーが生んだ個性的な主人公たちはおろか、古今東西の名探偵と比べてみても一際異彩を放つ不思議な「探偵」、それがハーリ・クィンです。

 なぜか。それは彼がこの世の人ではないからです。といっても、幽霊や生き霊、ましてや異星人などではありません。そういうある意味で、わかりやすい存在ではないのです。長身痩躯。浅黒い肌に黒い髪が、やや外国人ぽい印象を与えますが、見た目はごく普通の英国人青年です。外見的にはなんら変わったところはありません。

 問題は中身。事件現場に、常に突然現われては、事態が収束するやいなや、唐突に退場してしまうのです。それも、海からあがってきたかのように断崖絶壁の端に立ったり(「海から来た男」)、つい今しがたまで誰も座っていなかったはずの椅子から立ち上がったり(「死んだ道化役者[ハーリクィン])というように、およそ物理的に不可能なはずの場所から現われ、消える。まさに時空を超越した超自然的存在。それが本書の「主人公」、ハーリ・クィンなのです。

 そんな不思議な存在ですから、彼には通常の意味での依頼人はいません。ではいったいどんな時に登場するのかというと、そこには明確な条件があります。それは、”愛し合うものたちが危機に陥り、ほっておけば破局が訪れることが避けられない場合”です。しかも、事件が発生する前に、舞台に登場することも珍しくありません。どう考えても、予知能力があるとしか思えない摩訶不思議な存在なのです。

 ここまで読んできて、なるほど、恋人たちが窮地に陥ると、どこからともなく現われて、見事な推理で快刀乱麻を断ち、真相解明して彼らを救う、愛の救済者的超人名探偵なのか、と思った方がいたとしたら、残念ですが間違い。なぜならハーリ・クィンは、推理ということをしないからです。それどころか、探偵ならば最低限すべき具体的な行動――証言を聞き、証拠を集め、真相を解明し、犯人を指摘する――を、まったくと言っていいほど行ないません。一体じゃあ何をするのか。彼が行なう唯一のこと、それは”示唆”です。


          二


 人生というドラマにおいて、舞台の隅から、俳優たちにあれこれと指図し、男女の愛憎劇を彼らにとって最善と思われるクライマックスへと導く、時空を超越した演出家。それこそが、ハーリ・クィンなのです。そして、その際、彼が自らの代理人として目を付けたのが、初老の英国紳士サタースウェイト氏でした。

 氏は、美術と演劇のパトロンであり、上流階級に顔が利き、英国のみならず欧州各国の社交界でも名の知られた一角の人物ですが、決して華やいだ存在ではありません。むしろ地味なタイプ。主立ったハウスパーティーの招待客リストに常に名前が載っているものの、最後の一行が指定席です(人気週刊誌の巻末広告みたいなものですね)。誰でも親しいけれども、ある限度を超えた深いつきあいには至らず、相手もそうなることを期待しない安全パイ。

 仮に神がいたとして、人間たちを使ったドラマを愉しもうと思ったときに、外すわけにいかないのでとりあえず登場させるけれども、決してスポットライトをあてることのない、いわば、永遠の脇役とでもいいましょうか。

 そんな目立たない氏に、一体なぜクィンは、探偵役をやらせようとするのか。それには、サタースウェイト氏の嗜好が大きく関係してきます。

 氏の一番の愉しみ、それは、人間ウォッチングです。自らが主役をはることはないと悟っている彼ですが、それ故に、他人の演じる悲喜劇に異様に興味を持ち、”人生というドラマの熱心な研究家”を持って任じています。

 有名人と知り合い、ともにリヴィエラで過ごすのが好きと認めているように、英国社会特有の所謂”俗物(スノッブ)”なのですが、その一方で、若い人たちに興味があり、恋に悩んだり、窮地に陥っている若者たちを見ると、なにかしてやりたくてたまらなくなります。

 長年、「面前にくりひろげられる、さまざまの人生ドラマを間近に見物して」きた、いわばプロの観客である氏は、”特別な勘”を持っていて、芝居の種になるもの、即ち、男女の愛憎劇が身近で進行していると、本能的にわかるのです。この特別な勘は、長い人生経験により培われた、人間性に対する鋭い判断力と観察力に根ざしたものです。その上、ミステリ愛好家でもある氏は、まさに、ハーリ・クィンにとって、うってつけの代弁者だったのです。


(つづく)

夏の夜の夢 (白水Uブックス (12))

夏の夜の夢 (白水Uブックス (12))

ブギーポップは笑わない (電撃文庫 (0231))

ブギーポップは笑わない (電撃文庫 (0231))

アガサ・クリスティー『謎のクィン氏』  トリックスターが演出する、愛と救いにみちた一夜の夢 その2(執筆者・川出正樹)

          三


 この二人が初めて出会ったのは、大晦日の晩(「クィン氏登場」)のことでした。ロイストンの友人宅でのパーティーに招待されたサタースウェイト氏。新年が間近に迫る中、やがて話題は、彼らの友人で、謎の拳銃自殺を遂げた館の前の持ち主へと移り、なにやら緊張した空気が漂い始めます。そんなおり、車が故障して立ち往生したハーリ・クィンが、一時の暖を求めて、屋敷を訪れました。たまたま話題の人物と知り合いだったクィンの示唆に従い、当時の状況を思い起こす招待客たちは、徐々に、前当主の謎めいた行動の理由を理解し、ついに事件の裏に隠された真相に行き当たります。

 この真相を解明するのがサタースウェイト氏です。前述したように、”特別な勘”を持っている氏は、



「クィン氏の到来は、けっして偶然ではなく、出番が来た役者が舞台に上がったようなものだった。今夜、ロイストン荘の大広間では、一幕の芝居が演じられていた(中略)これはクィン氏のしわざだ。彼がこの芝居を演出し――役者たちの出番の合図を出しているのだ。彼がこの謎の中心にいて、糸を引き、人形を操っている。彼はなにもかも知っている」(強調引用者)



というように、謎の人クィンの存在意義を的確に見抜き、また逆に、サタースウェイトが理解したことに満足したクィンは、彼を自らの代弁者と認め、氏に的確な示唆を与

えて、記憶を呼び起こし、推理力を活性化させて、真相を告げる役をあてがったのです。

 その瞬間のサタースウェイト氏の心境は想像に難くありません。それまでの人生で、常に他人の引き立て役に徹してきた人間が、遂に主役となったのです。まさに天にも昇る気持ちだったでしょう。

 以後、様々な場所で、サタースウェイト氏はハーリ・クィンと、都合十四回遭遇し、そのたびに不幸な恋愛絡みの犯罪の謎を解き、愛の奇蹟を起こします。

 その活躍の舞台は、イギリス国内に留まらず、無実の罪で死刑台に昇る若者を助けるためにカナダまで飛んだり(「空のしるし」)、冬のモンテ・カルロで、因縁深き女と男――公爵夫人とクルーピエ――が背負ってきた十字架を降ろすのを手助けしたり(「クルピエの真情」)、コルシカの断崖に立つ別荘で、不幸な三人の男女の誤解を解き、過去を精算したり(「海から来た男」)と、バラエティーに富んでます。

 もちろんミステリとしての趣向もないがしろにされてはいません。中でも、アリバイ崩しの決め手が秀逸な「空のしるし」、クィンやサタースウェイト氏らが観劇する、

レオンカヴァッロのオペラ〈道化師(パリアッチ)〉が、事件と二重写しとなる「ヘレンの顔」、当時としてはかなり先鋭的な動機が、異様な迫力で読者に迫る「翼の折れた鳥」は、ミステリの女王の名に相応しい優れた短篇ミステリです(余談ですが、「翼の折れた鳥」の犯人は、同時期にアメリカ人作家が書いた某有名作品の犯人と同じ実在の人物をモデルとしているに違いありません。当時の人々にとって、”彼”がいかに衝撃的であったかがうかがえます)。

 さらに本書未収録の「愛の探偵たち」(『愛の探偵たち』所収)では、後のクリスティーのある長篇の先駆けとなるトリックが見事に決まっています(再び余談になりますが、本短篇集が刊行される四年前の一九二六年に雑誌掲載されていた「愛の探偵たち」が、どうして本書に収録されなかったのかは謎です。これはわたしの想像ですが、前述した中心となるトリックの相似性に問題があるような気がします。二年後にミス・マーブルもの十三篇を収めた短篇集『火曜クラブ』を出したクリスティーが、まさか、十三という数を嫌った、などということがあるとは思えませんし……)。

 閑話休題。こうして、クィンと出会うたびに、ドラマの主役となり、探偵として心躍る経験をしてきたサタースウェイト氏ですが、最終的には真実の愛を追い求めるものがたどり着く究極の選択の前に、大きなダメージを受けることになります(「道化師の小径」)。

 それは、異性に対して一度として激しい感情を抱くことなく生きてきた身には、対処しようのない、あまりに残酷な現実でした。そしてまた、その瞬間、彼にかけられた魔法は解け、サタースウェイト氏は、舞台を降り、本来いるべき場所――平和で安定しているものの、冒険とは無縁の傍観者としての日常――に戻るのです。


          四


 クリスティー自身が、少女時代、クリスマス・シーズンになると夢中になって見たというパントマイム。その主役であるハーレクィンに触発されて生まれたハーリ・クィンは、本家同様その本質は、神話やおとぎ話の中で活躍するトリックスターです。

 この世とあの世、現実と空想、この二つの世界の境界線上にあって、両者の間を自由に行き来し、現世を活性化させて去っていく不思議な存在トリックスター。恋人たちの危機を救うために現われ消えるハーリ・クィンですが、このトリックスターによって最も救われたのは、永遠の脇役サタースウェイト氏だったのかも知れません。

 なぜならこれは、ドラマの主役、即ち探偵になりたいというワトスンの夢が現実となったおとぎ話なのですから。



・追記:「道化師の小道」のラストで、クィンと別れたサタースウェイト氏は、その後ポアロと出会い、『三幕の殺人』で、探偵であるポアロを食うほどの名脇役ぶりを発揮します。また「死人の鏡」にもちょい役で登場。あいかわらず人間ウォッチングにいそしんでいます。

 そして、本書刊行から四十年以上経った後、ついにクィンと再会を果たします。「クィン氏のティー・セット」(『マン島の黄金』所収)と名付けられたこの短篇は、サタースウェイト氏にとって、辛い体験となった「道化師の小径」とはうって変わって、希望と癒しに満ち、シリーズを締めくくるに相応しい未来を予感させる救済の物語です。

 自伝のなかで、ハーリ・クィンの物語について、

「これはわたしの大好きなものである。わたしはこんな短篇をそうしばしばでなく、三カ月か四カ月の間をおいて――もっと長いこともあるが――書く。雑誌でこういう短篇が好まれるらしいし、わたし自身好きだが、どんな定期刊行物からの連載申し入れもすべてお断わりしていた。クィン氏の連続物は書きたくない――ただ、これはわたしが書きたいと思った時だけに書きたいのである。クィン氏はわたしが若いときに書いた一連の “ハーレクィンとコロンバイン”の 詩から引き継いでいるものである」(乾真一郎訳)


 と、語るように、クリスティーは、このシリーズを特別なものと考えていました。

 精緻なミステリで読者を欺し続けた天才が最後に書いた短篇が、このシリーズのエピローグだったのは、決して偶然ではないのです。


川出正樹