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2017-01-25

特別突発任務:知事は無視しろ!〜C・J・ボックス『狼の領域』(執筆者・矢口誠)

 

D

 

 みなさんご存じかどうかは知らないが、私は結構なジジイである。ジジイであるから、当然のように懐古のヒトである。そしてもちろん、懐古のヒトの常として、なにかといえば「昔はよかった」と思う。「古いものは正義!」とさえ思う。

 そこで当然……昔の〈仮面ライダー〉はよかったよね、と思うわけだ。

 みなさんご存じかどうかは知らないが、昔の〈仮面ライダー〉は、オープニングに「仮面ライダー本郷猛は改造人間である。彼を改造したショッカーは世界制覇を企む悪の結社である。仮面ライダーは人間の自由のためにショッカーと戦うのだ」というナレーションが入っていた。ここで重要なのは、〈仮面ライダー〉という番組を見るにあたって、必要な情報はたったこれだけだったという点である。これだけわかっていれば、3話から見ようが38話から見ようが76話から見ようが問題はなかった。シリーズの途中から見ても、「なんか設定がよくわかんないんスけど」みたいなことは起こらなかった。

 ところが、である。平成に入ってからのライダーはどうだ。ちょっと気軽にチャンネルをひねると(←チャンネル“ひねる”はジジイの証し)、いきなり話が前回からの続きで何がなんだかよくわからない。しかも、ライダーが4人くらい出てきて、「こいつカッコいいから、主人公か?」とか思ってると悪玉だったりする。おいおい、誰が誰なんだよ。わかんねーよ。しかも、変身前のワカモノはどいつもこいつも“実写版ブラック・ジャック”みたいな髪型しやがって見分けがつかない。その髪型を維持するのに、おまえらいったい整髪料どんだけ使ってんだ? ってか、整髪したくてもすでに髪のないオトコの哀しみが、お、おまえらにはわかってんのかあぁぁぁぁ?

 

 で……えーと……いったい私は何の話をしていたのか? あ、そうそう、最近の〈仮面ライダー〉は最初から順番に見ていかないと話がわからない件だ。 そうだよそうだよ、それそれ。私はそれを憂えているのだ。ただしこれはなにも〈仮面ライダー〉に限った話ではない。映像ソフトや配信の存在が当たり前になった現在、映画もテレビも「予習」を前提に作品をつくってるので、シリーズ物の作品は「前作を見てない人」に対する配慮がほとんどなされていない。早い話、いちげんさんにひどく無愛想なのである。

 

 で、やたらと枕が長くなってしまったけれど、これは映画やテレビに限った話ではなく、ミステリー小説(とくに翻訳物)でも事情はおなじ。昔のミステリーはポアロ物でもエラリー・クイーン物でも基本は単発小説だったから、いくら長いシリーズでも、どこからでも読むことができた。しかし、現代のシリーズ物は主人公の人生をクロニクルに描いていく部分に重点を置いているため、そうはいかない。いきなりシリーズの4作目から読みはじめたりすると、「だからあんた誰?」みたいなやつがノコノコ出てきてハテナ感が炸裂するばかり。ってか、最近じゃシリーズの2作目で1作目の超絶意外な犯人を平気で明かしてたりするので、読者はどうしても1作目から順番に読んでいくしか手がなかったりする。

 

 そこで問題となってくるのが、今回ご紹介するC・J・ボックス『狼の領域』(野口百合子訳/講談社文庫)だ。じつはこれがスゲー面白いのである。「傑作」とか「必読の一作」とかいっても過言じゃないレベルの小説なのである。

 しかしだ、BUTだ、 HOWEVER。これはシリーズの10作目に当たる作品(ちなみに本シリーズの2作目は翻訳されていない)で、いちげんさんに気軽にオススメできる物件ではない。実際の話、シリーズを全作読んでいない私は、9作目を読みはじめたときには途中で人間関係がよくわからなくなって挫折してしまった経験がある。しかしそれは、いま考えれば些末な部分にこだわりすぎていたのだった。そこで今回は、「シリーズが中途半端にしかわかっていない人間だからこそ、素人にはわかりにくい部分がよくわかる」という特殊な立場を生かし、「いちげんさんでも楽しめるシリーズ第9作『狼の領域』攻略法」をご指南しようと思う。

 

 まずは、この作品を楽しむために押さえておきたいシリーズ・キャラ。

 これは3人いる。

 ひとり目は主人公のジョー・ピケット。ま、さすがにこいつは主人公だからね。どんな人物かは読めばわかる。ここでは「主人公ジョー・ピケットはワイオミング州の猟区管理官である。大自然の広がる山岳地帯の平和と正義を守るため、ジョーはきょうも犯罪事件と戦うのだ」と説明するにとどめよう。

 ふたり目はジョーの妻メアリーベス。小さなマネジメント会社を経営しており、インターネットを駆使してジョーのために情報収集をしたりもする。ちなみに、ジョーと彼女は深く深く愛し合っている。

 3人目はネイト・ロマノウスキという鷹匠。かつて特殊部隊に所属していた一匹狼で、政府を信用せず、いまは逃亡犯の身である。ひたすら強くて、やたらカッコいい。主人公のジョーとは立場が正反対だが、ふたりは深い信頼と友情に結ばれている。わかりやすくいえば、快傑ライオン丸〉におけるタイガージョーの役どころだ(←え、わかりやすくない? マジ?)。

 基本はこの3人。とにかくこの3人さえわかっていれば、本シリーズはクイクイ読んでいくことができる――

 

 のであるが……じつをいうと、問題なのは「重要キャラを把握しておくこと」ではなく、「べつにわかってなくてもいいキャラを把握しておくこと」なのだった。

 たとえば知事だ。

 私がシリーズ第9作『ゼロ以下の死』を読もうとして挫折した話はすでにしたが、じつはその原因がこの知事なのである。『ゼロ以下の死』には、作品の冒頭近くで主人公が「知事がどーのこーの」と考えるシーンがある。しかし、書き方が不親切なので、主人公と知事の関係がいまひとつ把握できない。知事当人が出てくるわけではないので、どういうキャラなのかもわかならい。このため、シリーズ愛読者ではない人間は、「え、なんかよくわかんないんスけど……なにがどーなってんスか?」というネガチブな気持ちになってしまい、読む気が半減してしまうのである。

 そこでわたしが、いまここで断言しておこう。知事は無視しろ!! この知事、今回の『狼の領域』でも冒頭に話が出てくるのだが、平たくいえば「主人公を陰で応援している政界の大物」みたいな存在で、今回の話の本筋にはとくに関係がない。わかんなくてもぜんぜんOKだ。っていうより、いちげんさんは断固として無視することが望ましい。

 あと、シリーズ愛読者以外には手ごわいのが、主人公の娘3人である。どうやらこの3人、シリーズ愛読者には人気があるらしく、今回は本筋には絡まないものの、冒頭のほうで顔見せだけの“サービズ出演”をしている。で、これがいちげんさんにはなかなかキビシイ。シリーズを通して成長を見守ってきたわけではないため、どういうキャラなのかイマイチわからないし、感情移入もしにくい。そこで、いちげんさんは「主人公にはまだ十代で“ムズカシイ年頃”の娘が3人いる」ことだけを押さえ、あとは無視するのがベスト。娘たちが出てくるシーンはテキトーに読み飛ばそう

 

 以上の点を把握すれば、いちげんさんでも『狼の領域』を問題なく楽しむことができるはずだ。「面白いらしいけど、いきなりシリーズ10作目から読むのはちょっと……」とか悩んだりせずに、ガンガン読んでいただきたい。

 ということで、これだけ指南すれば私の使命は終わりなのだが、最後に本書の読みどころを3つだけ挙げておこう。

 

【1】強大な敵がスゴイ

 今回の“敵役”は、文明社会とは縁を切って山奥で暮らす双子の兄弟なのだが、こいつらがデカくて不気味で強くてコワイ。読み終わってからゆっくり考えてみると、じつはこのふたり、登場シーンはあまり多くない。にもかかわらずこれだけ印象的なのは、著者ボックスの筆力のなせるわざだろう。ご存じの方もいると思うが、ジャック・ケッチャムという作家の作品に『オフ・シーズン』という鬼畜系凄惨ホラーがあって、そこに“現代でも生きつづけてる食人族”というのが出てくるんだけど、なんかあれに近い怖さがある。とにかく強くて、「勝てない感」が強烈。その敵に主人公ジョー・ピケットがどう挑むかが、今回の読みどころのひとつだ。

 

【2】初登場のサブキャラがサイコー過ぎる

 今回は私が惚れたのは、事件に巻きこまれる一般人のデイヴ。この男の性格描写の一節を読んで、私はシビれた。

「大人になってからのほとんどの人生を、デイヴ・ファーカスは骨の折れる仕事をしないために骨を折ってきた」

 いやー、ドキドキするほどの感動だ(笑)。しかも、この描写にウソはまったくない。この男、徹頭徹尾テキトーで自分本位で苦労嫌いなのである。じつをいうと、本書を読んでいるあいだじゅう、「こいつ、どこか既視感のあるヤツだな」と思っていたのだが、気づいてみたら〈ゲゲゲの鬼太郎〉に出てくるビビビのねずみ男にそっくりなのだった。いやホント、「こいつ、ねずみ男のパクリじゃね?」と思えるくらい似てるから、みなさんもぜひ読んで確かめてほしい。

 

【3】主人公が守るべき“モラル”を問われるラストが熱い。

 本書の主人公ジョー・ピケットは、不器用なくらい正義の人である。しかし、その正義はあくまで「体制側の正義」である。本書では、その主人公が「体制側の正義はほんとうに正義なのか」という問いを投げつけられる。そして、ラストの敵との対決は、この問いに主人公がどう答えるかという究極の選択と表裏一体になっている。果たして物語はどこに着地するのか? ここがじつにスリリング。ややネタバレになるが、このラストで重要な役割を果たすのが……ゲロ。いやー、ここには本当に感動した。

 

 ということで、長々と書いてきたわけだが、ここのまでの私の話を要約すれば、本書『狼の領域』は――

「主人公のジョー・ピケットが相棒タイガージョーとともに強大な敵である食人族を追跡、ビビビのねずみ男を巻きこんだ事件はやがてゲロへと収斂していく」

――小説だということになる。だがしかし……

 何かが違う。

 というより……ゼンゼン違う。『狼の領域』は断じてそんな小説ではない。

 なら、本当はいったいどんな作品なのか?

 それはみなさんが実際にお読みになり、ご自身で確認していただきたい。よろしく哀愁!!

  

矢口 誠 (やぐち まこと)

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1962年生まれ。翻訳家・特撮映画研究家。光文社「ジャーロ」にて海外ミステリの書評を3年間担当、また「本の雑誌」でも書評を連載していた。主訳書は『メイキング・オブ・マッドマックス 怒りのデス・ロード』(玄光社)、『レイ・ハリーハウゼン大全』(河出書房新社刊)。最新訳書はL・P・デイヴィス『虚構の男』(国書刊行会)。好きな色は赤。好きなタイプの女性は沢井桂子(←誰も訊いてねぇーよ)。

 

■翻訳者よりひとこと■

 

 いや〜、久しぶりの「敵状偵察隊」、突発特別任務のターゲットに選ばれるとは光栄の至りです

 とくに、サブキャラのデイヴ・ファーカスに注目された点、さすが矢口さんです。

 ボックスの作品には、毎回かならずこういう異色のサブキャラが登場して、それが魅力の一つなんですよ。

 そして、『狼の領域』はシリーズ未読の方がいきなり読まれてもまったくOKというのは仰る通りなんですが、本書を読まれてほかの作品にも興味を持たれた方には、ネイト・ロマノウスキが初登場する『凍れる森』、イエローストーン国立公園を舞台にした『フリーファイア』の2作をマストリードの傑作として、伏してお勧めさせていただきます。

   

(野口 百合子)   

 

沈黙の森 (講談社文庫)

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Savage Run (Joe Pickett series Book 2) (English Edition)

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神の獲物 (講談社文庫)

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震える山 (講談社文庫)

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裁きの曠野 (講談社文庫)

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オフシーズン (扶桑社ミステリー)

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【毎月更新】矢口誠の敵状偵察隊 バックナンバー一覧

2012-10-30

偵察任務#06:マシュー・クワーク『The 500』(執筆者・矢口誠)

 

今回とりあげる翻訳家は、はにかんだ笑顔が女性に人気の(とわたしがニラんでいる)田村義進である。このギシン(正しい読み方はヨシノブなのだが、業界の人は親しみをこめてギシンさんと呼ぶことが多い)に対して、わたしはいま大きなワダカマリをいだいている。なぜか?

じつは先日、わたしの愛する翻訳家“チヅリン”こと青木千鶴が、かつてギシンの弟子だったことが判明したのである。ということは、チヅリンに翻訳の心得や技術を教えたのは、ほかならぬギシンということになる。それって、もしかしたらもしかして……

手取り、足取り?

いやいや、チヅリンにかぎってマチガイはないと思う。しかし、女性はなぜか「先生」にヨワイ。しかも、師匠と弟子のように上下関係がある場合、どうしたってパワハラが発生する危険がある。

「千鶴クン、じつはね、こんどキミを独り立ちさせようと思ってるんだよ」「まあ、ギシン先生、ホントですか!? 嬉しい! チヅル頑張ります!!」「だけどそのまえに………………わかってるよね?」とか。

もちろんわたしはチヅリンを信じている。しかし……ギシンがあまりに強引で……いや、まさか……でも、もしかして……イヤンとか……ウフンとか……♪シャバダバダーなんてことが……

ということで、ここまで説明すれば、わたしがギシンにワダカマリを抱いている理由はご理解いただけたと思う。そう、わたしはいま、ひどくギシンアンキになっているのだ。

 


 

かくしてわたしは、今回の敵ギシンの身辺をコッソリ探ってみることにした。すると、驚くべき事実が浮上してきたのである。なんと、ギシンの弟子には、あの越前“ダ・ヴィンチ・コード”敏弥もいるのだという。なに?! 偵察隊がとりあげた数少ない翻訳者のうち、ふたりまでもがギシンの弟子? もしかして、ギシンってスーパー教え上手なのか?

そうとわかれば話は早い。有能で有名な翻訳家になりたければ、こんな敵状偵察なんかさっさとやめて、ギシンが教えている翻訳学校に行けばいいではないか!

なんだよ、カンタンな話だったのね。ふふ。

だがしかし、そこには思いもかけぬ壁が立ち塞がっていたのだった。翻訳学校に行くには、当然のことながら授業料が必要である。なのに、翻訳家として生計を立てているわたしには、そんなもの工面する余裕などどこにもないのだ。うーむ、翻訳者になると翻訳学校に行けなくなるというこの悲しきパラドックス(←え、それってオレだけ?)。やはりわたしには、地道な偵察しか道はないのか?

 


 

ということで、今回は田村義進の翻訳について語らなければならないのだが……わたしはここでハタと困ってしまった。じつをいうと、わたしは田村義進の翻訳作品を読んでいて「うーん、やっぱりこの人は翻訳がうまいよなぁ」と思ったことがあまりないのである。

たとえば、田村義進の訳したカール・ハイアセンの『復讐はお好き』を読んだとしよう。するとわたしは、「うーん、やっぱりハイアセンってうまいよなぁ」と思う。パーネル・ホール『探偵になりたい』を読めば、「うーん、やっぱりパーネル・ホールって面白いよなぁ」と思う。しかし、「翻訳がうまいよなぁ」とは思わない。

要するに、田村義進が訳した作品を読んでいるとき、わたしはそれが翻訳小説であることをついつい忘れてしまい、訳文に意識を向けていないのである。言い換えれば、田村義進の翻訳はそれくらい自然でうまいということだ。

 

人は翻訳小説を読んでいるとき、小説の内容ではなく、翻訳そのものを意識してしまう瞬間がある。詳しく説明すると長くなるので、ここではごく基本的な原因にだけ話を絞ろう。それは、(1)日本語がどこかヘンである、(2)訳文から原文が透けて見えている、のふたつだ。

 

(1)は「彼はつぎの角で道を曲がり、そのまままっすぐ歩いていくと、やがて科特隊基地が見えてきた」みたいな訳文である。もちろんこのままでも意味はわかる。しかし、日本語としては正しくない。ここでは「彼」が主語なのだから、「見えてきた」というのはおかしい。

(2)は「男は引き出しをあけると、表面が艶消しの黒の、樫材の握りに蛇の紋章が刻印された、いかにも禍々しい拳銃を取りだした」といった訳文だ。これは明らかに、「原文は a gun which〜 だな」と見当がつく。しかも、こういう文章は、最後まで読まないと男が引き出しから取りだしたものが何かわからないため、読んでいてストレスがたまってしまう。

 

おそらく、読者の多くは「それって翻訳の基本じゃん」と思うだろう。しかし、その基本がじつは非常にむずかしい。

翻訳家は誰しも、原文を読んでから訳文をつくる。当然、訳文をつくるまえに、文章の意味はすでに頭のなかに入っている。そのため、どうしても「つい原文に引っぱられる」「自分の書いた日本語の文章を客観的に読むことができない」という問題に直面することになる。

翻訳家がこの呪縛から逃れるのは、とてつもなくむずかしい。実際、翻訳小説を読んでいると、(1)や(2)に当たる文章は、思いかけないくらい結構な頻度で登場する。もちろん、わたしの訳した作品にも頻出しているはずだ。ここで怖いのは、「読者にはヘンだとすぐにわかっても、訳した当人にはなかなかわからない」ことなのである。

 

田村義進の翻訳がすごいのは、こうした「日本語として違和感のある文章」がほぼまったく見当たらないことだ。しかも、訳文から原文が透けて見えることはまずない。おそらく、この人の訳書を原書と照らし合わせていけば、すごく勉強になるだろう。とすれば……

田村義進の弟子に優秀な人材が多いのも、決して驚くには当たらない。

 


 

さて、その田村“訳文なめらかストレス・フリー”義進の最新訳書が、今回ご紹介する新人作家マシュー・クワークの『The 500』である。この作品、表紙デザインのリニューアル以来好調をつづけているハヤカワ・ミステリ(通称ポケミス)の一冊だが、いつものポケミス収録作品とはやや傾向が違い、新潮文庫とかで刊行されても違和感がないようなビジネス・サスペンス系のエンターテインメント。本国アメリカの書評ではグリシャムの『法律事務所』が引き合いに出されることが多いと聞けば、どんな作品かはおおよそ想像がつくと思う。

わたしがこの小説で面白かった点は三つある。

ひとつは、主人公の絶体絶命ぶりだ。本書にはプロローグがあって、そこでまず絶体絶命に陥った主人公の姿が描かれる。つづいて物語はそもそもの起点に立ち返り、そこから「絶体絶命」のクライマックスへと向かって進んでいく。要するに、読者は作品のラストに何が待ちうけているかを事前に知っているわけだ。

ところが、である。プロローグでさわりだけ描かれた主人公の絶体絶命状況というのが、物語を一から読んでいくと、これがもうマジで絶体絶命なのだ。○○は××だし、△△は※※で、□□は☆☆してくる。もう逃げ道なんてどこにもない。この状況を主人公がどう突破するか? このあたりのプロットの組み立て方には、新人作家とは思えない緻密さがある。

 

ふたつめは、その語り口である。

最近のミステリーは、クライトンやディーヴァーの作品のような「映画型」(もしくは「場面型」と呼ぶべきか)の小説が圧倒的に多い。これは、ひとつの章(もしくは、一行空きなどで区切られたひとかたまり)が、そのままひとつシーンになっているタイプの小説である。このタイプの書き方は、カットバックを使った強烈なサスペンスは演出しやすいが、一方で(場面の細かい部分まで書くことになるため)どうしても小説が長くなってしまう。

それに対し、本書は「叙述型」とでもいうべきタイプにあたる(ま、昔の小説はすべてこっちだったわけだが)。本書の2章目以降をパラパラめくって見ればわかるけれど、本書の前半にはセリフがほとんどない。これは、それぞれのシーンを細かく書かずに、何が起こってどうなったかを手際よく整理・圧縮して語っているためだ。このため、作品自体はコンパクト。それでいて長いスパンにわたる物語が展開し、小説自体にもコクがある。しかも、一人称の語りがじつになめらかで、読んでいて心地いい。このあたりは、ギシン節全開の感がある。

 

三つめは、著者の詐欺師ぶりである。

本書の主人公は詐欺師を父に持っており、自分も詐欺の基本に通じている。巨大な敵との戦いにおいて、この知識が大きな武器になる。一方で、著者のクワーク自身もかなりの詐欺師である。

本書はアメリカにおけるロビイスト活動の裏の裏を描いてみせるのだが、いわゆる情報小説ではない。実際には、ロビイスト活動に関する裏情報が満載されているわけではないのだ。ところが、この著者は情報の提示の仕方が抜群にうまい。要所要所で、揺るぎなき自信をこめて「ロビイストの世界はこんなふうになってるんだぜ」と極秘情報をちらつかせてみせる。そのため、読者は「この著者ってホント情報通だなぁ」と感心してしまう。

要するに、この作家は「説得力のある作品世界」を演出する手腕に長けているのだ。これはエンターテイメント作家にとって非常に重要な才能である。この才能があれば、どんな舞台・題材の小説でも巧みにこなせるはずだ。「次作はどんな小説を書いてくれるか楽しみである」というのは書評の決まり文句だけれど、この作家の場合にはほんとうに楽しみだ。

 


 

ということで、今回の偵察任務は終了である。先にも書いたが、わたしは田村翻訳作品を読むと、ついつい内容に没頭してしまう。今回の『The 500』でも、「翻訳テクニックを盗む」という目的を途中でうっかり忘れてしまった。これはイカン。じつに遺憾だ。

やっぱり、お金貯めてギシンに弟子入りするしかないのか?(←そりゃムリだって。年末にはビートルズのアナログBOXが出るんだぞ!!!!)

 

矢口 誠 (やぐち まこと)

1962年生まれ。翻訳家・特撮映画研究家。光文社「ジャーロ」にて海外ミステリの書評を3年間担当。主訳書はレイ・ハリーハウゼン大全』河出書房新社刊)。最新訳書はアダム・ファウアー『心理学的にありえない』文藝春秋)。好きな色は赤。好きなタイプの女性は沢井桂子(←誰も訊いてねぇーよ)。

 

復讐はお好き? (文春文庫)

復讐はお好き? (文春文庫)

迷惑なんだけど? (文春文庫)

迷惑なんだけど? (文春文庫)

アンダーワールドUSA 上

アンダーワールドUSA 上

アンダーワールドUSA 下

アンダーワールドUSA 下

法律事務所 (小学館文庫)

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ザ・ビートルズBOX [Analog]

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【毎月更新】矢口誠の敵状偵察隊 バックナンバー一覧

2012-10-03

偵察任務#05:アラン・グレン『鷲たちの盟約』(執筆者・矢口誠)

 

鷲たちの盟約〈上〉 (新潮文庫)

鷲たちの盟約〈上〉 (新潮文庫)

鷲たちの盟約〈下〉 (新潮文庫)

鷲たちの盟約〈下〉 (新潮文庫)

 

いま、わたしは震えている。なにせ、今回とりあげる翻訳家はあの佐々田雅子なのだ。佐々田雅子といえば、翻訳ミステリー界随一の「コワイ人」としてその名をトドロかせている超大物。呼び捨てにするだけでも危険きわまりないのに、その訳書を俎上に載せてアレコレ分析するなんて……これはもう、自殺行為以外のなにものでもない。

気は確かなのか?>オレ。

 

ただし、「コワイ」といっても、佐々田雅子がエルロイの『ホワイト・ジャズ』に出てくる悪徳警官みたいに暴力的というわけではない。この偵察隊でとりあげたからといって、「シンジケート事務局にビッグ・ササダ・Mから電話。ヤグッチ・“短小”・マコートの居場所は???? 安アパートの一室/監禁/ブラスナックル。『悪気はなかったんですけど……』たわごと。飛び散る脳漿/響きわたる哄笑/餃子は王将。なめるんじゃないわよ」みたいな事態には(おそらく)至らないだろうと思う。

 

なら、いったいどこがどう「コワイ」のか? ササダマさん(この愛称は名前の最後の文字を「ん」に置き替えただけであり、ビビって敬称をつけているわけではない)を実際に知らない人は、テレビのバラエティに出演しているときの加賀まりこを思い浮かべてほしい。早い話、美人なのだが(←ビビってヨイショしているわけではない)舌鋒がめっぽう鋭いのだ。じつを言うと、ササダマさんの翻訳をわたしごときが云々するのはあまりに畏れ多いと思い、今回にかぎってはご本人に登場いただいてインタビューを行なおうかとも考えた(←結局ビビってんじゃないかよ)。しかし、インタビューのなりゆきを想像すると……

 

マコト「ということで、今回は名翻訳家として名高い佐々田雅子先生をお招きいたしまして、先生ご自身の口から翻訳の極意を語っていただきたいと思います。では先生、まず……」

マサコ「なーにが“先生”よ。どうせ心んなかじゃ、『オレのほうがササダより翻訳うまいもんネ』とか思ってんじゃないの? あたしなんかの話より、まずは矢口センセーの“翻訳の極意”をご披露したらどう?」

マコト「あ、いや……その……」(←タジタジ)

マサコ「しかしアレね。あんた、しばらく見ないうちにすっかり頭がサビシくなっちゃったのね。でも似合ってるじゃない、その髪型。なんか虚無僧みたいで」

マコト「あ、いや……その……」(←脂汗)

マサコ「それよりあんた、ちゃんと食べていけてんのー? シンジケートに原稿なんか書いても、おカネ出ないんでしょ? 陰じゃみんなワルクチ言ってんのよ。『偵察なんかしてるヒマがあるなら、さっさと翻訳の仕事しろよ』って」

マコト「あ、いや……その……」(←すでにナミダ目)

マサコ「っていうか、こんなオバサンに話聞いても面白くないんじゃなーい? あんたも、ほんとは若くてピチピチした女の子のほうがいいんでしょ? 先月だって、ボクちゃんとチヅリンがどーしたとか書いてたじゃない。それにしても、シケた顔してるくせに、あんたもわりかしスケベなのね」

マコト「い……いや……」(←コテンパン)

マサコ「ちょっとあんた、さっきから『あ』とか『いや』しか言ってないじゃない。すこしはしゃべったらどーなのよ。ほら、矢口センセーの“翻訳の極意”を披露するんでしょ? さ、もったいぶってないでさっさとはじめなさいって、ほらほらほら」

マコト「…………」(←あえなく撃沈、よろしく哀愁

 

ああ、ダメだ。脳内シミュレーションの段階にして、すでに負けている。というか、勝てる気がゼンゼンしない。ここはやはり、独力で偵察をするしかないということか? うーん、なんだか気分はシオシオノパー。大魔神の爆破を命じられた雑兵にでもなったココロモチだが……よし、こうなったらとにかくGOだ!

ゴーゴー、ゴーゴー、レッツゴー、ひろみ!(←カラ元気)

 


 

では、まず結論からいってしまおう。佐々田雅子は基本的に「た」の人である。この連載の第1回で“語尾の魔術師”酒井昭伸を紹介し、地の文を訳すうえで豊かな語尾がいかに重要かを説明したが、佐々田雅子はその対極に位置する翻訳家である。『ホワイト・ジャズ』のように原文が非常に特殊な場合はべつだが、佐々田雅子が地の文で使う語尾は「だった」「いた」がほとんど。そのほかは「のだ」がたまにあるくらいで、「いる」「いない」「ある」といった現在形はほとんど使わない。しかし、その訳文は決して単調にはならない。なぜか?

 

理由はいくつもある。まず、「だった」「いた」がいくら続いても単調に感じさせないくらい、文章自体にリズム感があること。要所要所に体言止めや倒置を織りまぜることで、文章にメリハリをつけていること。そしてなにより、セリフの訳し方が非常にうまいこと。佐々田雅子はさまざまな口調を巧みに使い分け、ほんの端役に至るまで、登場人物の性格をしっかり際立たせていく。そうした表情豊かなセリフがあるからこそ、ある意味で淡々とした地の文がグッと生きてくるのである。

 

地の文の語尾に「だった」「いた」が続くと、文章は硬質になる。アンドリュー・ヴァクスの諸作などがいい例だが、佐々田雅子の得意とするハードボイルド系の小説にはこうした文体がよく似合う。また、ライフ・ラーセンの『T・S・スピヴェット君傑作集』のような少年小説でも、飾りのないその透徹した文章は、大きな効果を上げていた。

 

ただし、たんに「だった」「いた」といった語尾を使うだけでは、文章がほんとうの意味で硬質になるわけではないし、透明感を増していくこともない。ここで話は少々大げさになるけれど、重要なのは、文章を書くときの態度なのではないかと思う。

佐々田雅子の訳文には媚びがない。「これって、日本語としてこなれてるでしょ? どう?」といった、翻訳者の嫌らしい自意識がない。おそらく佐々田雅子には、「読者におもねろう」という気持ちが微塵もないのだ。そしてその態度こそが、硬質で透徹した文体へとつながっているのである。

佐々田雅子のような文体を身につけたいと思っても、それは文章修練でどうこうなるものではない。まさに「文は人なり」なのだ。

 

わたしは佐々田雅子の訳書を読むたびに、「背筋の伸びた文章だな」と思う。そして、その文章に淡い憧れを抱く。しかし同時に、ああいう文章が自分には決して書けないこともわかっている。残念だが、他人の翻訳を偵察・研究したくらいではとうてい越えられない壁というものが、この世には確実にあるのだ。

 


 

さてここで、ササダマさんの最新訳書『鷲たちの盟約』(新潮文庫)を簡単にご紹介しておこう。本書の舞台は1943年のアメリカ。ただし、「ニューディール政策で有名なあのルーズヴェルトは暗殺されてしまった」という設定になっており、この小説におけるアメリカは、独裁的な大統領が支配する全体主義的な社会と化している。要はこの作品、フィリップ・K・ディックの『高い城の男』やレン・デイトンの『SS−GB』などと同列の“歴史改変小説”なのである。

 

そう聞くと、「なんかコムズカシしいんじゃね?」とか「あたし、世界史の知識がないからチョットー」とかとか思われる方もいるかもしれない。しかし、心配は無用だ。上巻の終わりあたりで「陰謀」の全貌が明らかになる瞬間には、世界史の成績が1だったあなたも、「オオッ、そういう展開かぁー!!」と手に汗握ること間違いなし。本書は歴史的知識がなくても気軽に読める純粋なエンターテインメントなのである。

 

ちなみにこの作品、「ポーツマス市警の警部補になったばかりの主人公が、列車の線路で見つかった死体の謎を追っていく」という、いかにも地味な捜査が軸になっている。そのため、最初のうちはなんとなく話が辛気くさい。しかし、なんといってもそこは“歴史改変小説”なので、中盤から物語はどんどんスケールアップしていく。反対に、「え、こんなに大風呂敷広げちゃっていいの?」と心配になってくるほどだ。実際、わたしなどは「ここまで話が大きくなったら、オチをつけるの絶対ムリじゃん」と思っていた。しかしこれが、きれいにオチるんだよね、最後に。これには、誰しも思わず感心することだろう。

 

ただひとつ、わたしには主人公の性格が気に食わなかった。この男、実直なうえになまじ正義感があるもんだから、やらなくてもいいことまでついやってしまい、自分で自分を窮地に追いこんでしまうのだ。正直いって、こういうキャラはわたしの好みではない。

ところが、である。この主人公の性格にも、ラストできっちりオトシマエがつくのである。これには不覚にもちょっと感動した。しかも、ラストのラストのラストには(ちなみに、この小説は結末が二転三転するどころか、六転七転する)、「主人公の性格がこうでなければ、このラストはありえない」と思わせるだけの説得力がある。アラン・グレンというこの覆面作家、そこまで計算して主人公のキャラクターをつくったのか? だとしたら、恐るべき才能だと思う。

 


 

ということで、今回の偵察任務は終了である。ちなみに、この原稿を書き終わって仮眠をとっているときに、こんな夢を見た。頭に巨大なコブをふたつつくったわたしが、佐々田雅子に「もう二、三個つくったろか?」と凄まれ、「ふたつでじゅうぶんですよー。わかってくださいよー」と泣きを入れているのだ。

いまはただ、それが正夢にならないことを願うばかりである。

合掌。

 

矢口 誠 (やぐち まこと)

1962年生まれ。翻訳家・特撮映画研究家。光文社「ジャーロ」にて海外ミステリの書評を3年間担当。主訳書はレイ・ハリーハウゼン大全』河出書房新社刊)。最新訳書はアダム・ファウアー『心理学的にありえない』文藝春秋)。好きな色は赤。好きなタイプの女性は沢井桂子(←誰も訊いてねぇーよ)。

 

ホワイト・ジャズ (文春文庫)

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T・S・スピヴェット君 傑作集

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SS‐GB〈上〉 (ハヤカワ文庫NV)

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SS‐GB〈下〉 (ハヤカワ文庫NV)

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