Hatena::ブログ(Diary)

ホーガの日記

2018-06-14 AIを超えた一手

先日、藤井聡太七段が公式の対局で指した一手が「AIを超えた一手」として話題になっています。


AIも、他のプロ棋士も悪手と評価した一手を藤井七段が指したとき、インターネットTVを観戦していたのですが、「それにしても藤井七段は、ずいぶんと涼しい表情をされているなあ」と思っていました。なぜ、動揺していないのかが不思議だったのですが、その一手を指したとき、どうやら藤井七段はその後の勝ち筋が見えていたそうです。


「AIを超えた一手」について質問されたときの藤井七段のコメントです。

「最近の将棋ソフトが大変強いのは言うまでもないことですが、部分的には人間のほうが深く読める局面もあると思っていました」


同じ人間として、非常に希望の持てるコメントだなと思いました。AIをうまく取り入れつつ、なおかつ人間の強みを引き出していく将来像が、うっすらと見えてくる一手でした。

2018-06-07 ブログを書く効用

ブログを書くことで、自分自身を見直すことができます。感情的になってしまったり、落ち込んでしまったりしたときでも、ブログを書く作業を通して、そのような状況すら自らの肥やしにすることができます。


もちろん、頭の中を整理し、反省しようとしても、すぐに冷静な自分自身を取り戻せるわけではありませんが、前向きに自分自身と向き合うきっかけになっていると思います。


本来であれば、弱い自分やダメな自分は、自分の中だけに収めておくべきなのかもしれませんが、正直にそのような自分自身と向き合うことで、一歩前に進んでいけるような気がします。


ブログを書いていて、最近そのように思います。

2018-05-31 本当は誰を応援すべきか

昨日は羽生竜王名人戦があったり、錦織選手の全仏オープンの試合があったりして、いろいろな人を応援する一日となりました。応援している人が勝てば嬉しいし、負ければ悔しくなり、感情が激しく揺さぶられます。


あとから冷静になって振り返ると、「その人の力になれるわけでもないのに、どうしてあんなに一所懸命応援したくなるのだろう」と不思議に思います。実際に試合会場へ行って大きな声で応援すれば、多少はその人の気持ちを後押しすることができるかもしれませんが…。


人を応援したくなる理由を考えてみたのですが、応援する人の姿を通して、自分自身のことに置き換えようとする無意識の動機があるのではないかと思いました。応援している人が勝って喜べば、自分のことのように嬉しいし、応援している人が素晴らしいプレーをすると、自分自身が素晴らしいプレーをしたかのような満足感があります。そのような前向きな気持ち、高揚感のようなものを得たくなって、知らず知らず一所懸命応援しているのかもしれません。


私自身の意識によって変えることができるのは、私自身の行動です。自分自身が応援しがいのあるプレイヤーとなれるよう、葛藤しつつも普段から自らの意識を反省し、よりよい行動に結びつけていければと思います。

2018-05-24 勝負が決したとき

将棋インターネットテレビで見る面白さは、勝敗が決まるまでの過程を観察することにあります。もちろん素人の私からすれば、一手一手の意味合いは解説者に委ねなければなりませんが、さまざまな変化がある中でどのような選択をするのか、その一手一手に興味が尽きません。


最近では、棋士の「勝負めし」も話題となっており、どのような食事を摂って長い頭脳戦に挑んでいるのかを知ることも楽しめる要素となっているのでしょう。


先日、羽生竜王が「負けました」と言って投了したあとの姿が、非常に印象的でした。もちろん、目の前の棋士やインタビュアーに対して失礼のないように対応されていましたが、体中から悔しさが滲み出ていて、抑えきれそうにない感情を必死で抑えている様子が痛いほど伝わってきました。


やっぱり羽生竜王は、今でも負けることが嫌なのだろうな、ということを理解しました。「将棋の可能性を広げるために、目の前の一局を落とすことはそれほど苦にならない」といった主旨のことを仰っていたかと思いますが、逆に言うと、自らのミスで勝てた一局を落とすとなると、「悔しくてたまらない」ということなのでしょう。


「負けたくない」というよりも、「自らのミスで負けたくない」ということは、すべてのプロに共通する感情なのかもしれまん。自分自身、「自らの弱さによって、悪い状況をつくり出したくない」という意識は、常に持っておく必要があるのではないかと反省しました。

2018-05-23 名古屋駅付近の看板

新幹線東京駅から名古屋駅まで定期的に行っています。そのため、最近では新幹線から見える景色にあまり注目していませんでした。


「まもなく名古屋駅です」というアナウンスが流れ、降りる準備をしながら何気なく窓外の景色を見ていたところ、将棋の駒を大きく映し出した企業の広告看板が目に入りました。


名古屋における藤井七段の人気は、ひときわ高いことが容易に想像できます。そもそも将棋の駒を大きく映し出しているだけで、藤井七段のことには一切触れられていませんでした。それでも、「名古屋将棋の駒」というだけで、すぐに藤井七段を連想させてしまうのは、やっぱりすごい影響力なのだということがわかります。


先日、八段に昇段するための規定が改訂されることがニュースとなっていました。「竜王位1期獲得」「順位戦A級昇級」「七段昇段後公式戦190勝」というそれまでの昇段規定に、「タイトル2期獲得」という規定が追加されたということです。日本将棋連盟は、藤井聡太棋士の七段昇段とは一切関係ないとコメントしているそうです。


もちろん、藤井七段という一棋士のために、歴史ある連盟の規定が易々と変更されることはあり得ないことでしょう。でも、「規定改訂」という発表自体が藤井七段を連想させ、「規定改訂」という地味な内容の記事が大きく取り上げられるのも、やはり藤井七段の影響力あってのことなのでしょう。


藤井七段の3倍以上生きている者の立場として発言させていただくとするなら、今後の藤井七段の大きな課題はたった一つのことに尽きると思います。それは、羽生竜王のように、長く第一線で活躍し続けることができるかどうか、言い方を変えれば、現在の将棋に対する愛着、「好きと思える素直な気持ち」を持ち続けることができるかどうかにあるということです。


羽生竜王をはじめ、将棋のトップ棋士から見てもすでに実力は相当高いとされていますので、あとは「継続力」さえあれば、自然と「タイトル2期獲得」という結果はあとからついてくることでしょう。もとより、藤井七段本人からすれば、昇段に対するこだわりは、周りの大人が話題にするほど強くはないのでしょう。


今後もぜひ、目の前の一局に集中して、将棋を楽しみつつ、継続して将棋に打ち込んでいただきたいと思います。名古屋駅を降りつつ、自分自身も「目の前の一局」に集中せねば、と反省しました。