YJなどについて思うこと

田口くんがソロデビュー曲を披露しているのを見た。辞めてったひとが「失ってないさ誰も」「繋がってたんだ僕ら」と歌い踊ることに若干の奇妙さを感じながら、この人はこういうスタイルの音楽や服装が好きな人なんだなーそりゃカツンじゃないよなーとしみじみ思った。
こうして一人また一人と姿を消すたびに思い知らされるのは、YJ全員の貴重な人生がホントに数奇な運命で重なり合っていたのがまじでヤバイ奇跡だったんだということだ。あれはあまりにも若くて、美しい、刹那的な蜜月であって、持続不可能な日々だったのだなと思う。

ついに、というやっと?活動休止することができたKAT-TUNには、とにかくお疲れさまという気持ちでいっぱいだ。今思うと、誰よりもはやく10代のうちにジャニーズのすべてを背負う道を選んだ亀梨が、ワンマンで5人を引っ張っていくには、ちょっと綻びが大きくなってしまっていたのかもなーと感じる。ヤンキーって抜け駆けに厳しそうだし……。
ひと足早くデビューしたことや、謎の責任感や自信満々感たっぷりの姿は、まだ二十代前半の他のメンバーにとって重かったんじゃないかなあと私は思う。全然見当違いな事言ってるかもしれないけど......。

若さと美しさと寂しさがイメージさせる、ちょっとした危うさみたいなのがYJの魅力だったと今でも思うし、その中でも、危うさの星の貴公子みたいな赤西がパッとたった一人の相手を見つけて一番に抜けたのが、あの世界の終着点だったんだと思う。美少年たちの楽園の崩壊だ。

さて、若くて寂しい男が求めるものは仲間と女である(と仮定して)。
そう考えると、エイトは、ヤンキーの美少年たちが身を寄せ合って若い頃から支え合って生きてきた感が魅力のキモで、それこそ「ホットロード」とかの世界観と相性がいいと思う。
「ヤンキー」の魅力とジャニーズらしさって昔から関係が深い。まともに中学通わない、みたいなのってそういうのの始まりだし、ビジュアル的なものもまさにである。
そういう、若いヤンキーがもつ「さみしさ」とか「やさしさ」とか「仲間を思う気持ち」ってめちゃくちゃかっこよくて、いつの時代も心に響いてしまうのではないだろうか。

なんか、そうやって考えると、J-popの定石って、人間が生まれながらに持つさみしさ的なものをうまいこと肯定して優しく前を向かせる、ってのがひとつあるのかもしれない、と思う。「なぜ生まれたの なぜ出会ったの」と大勢で歌う金髪の彼らが脳裏に浮かぶ(KinKi Kids「FRIENDS」http://www.kasi-time.com/item-1197.html)。

エイトってその辺の共鳴の仕方が若干厨二っぽくて、未だに若々しい。思春期苦労したからかな、と思う。メンバー内でラッ◯ウィンプスとかめっちゃハマってた時期があったと思うんだけど(「413man」なんかは曲のテイストも◯ッドっぽい)、あのハンパない厨二パワーを分かち合う成人男性集団、ほんとにすごい。若くして東京で消費されて、大阪でゼロから頑張ってきて、みたいなのって私はほんとにグッと来ますね……。

じゃあ最近のジュニアってどうだろうか、と少クラを見ていて一番思うのは「みんな、なんか、いいとこの子そう」。苦労してる子もたくさんいるとはわかってても、YJのときの華やかさとはまた少し違った、ロイヤルな香りがするのである。
特に、今をときめくセクシーゾーンは貧困とか犯罪みたいな匂いを全く感じさせないからすごい。万引きとか絶対に加わらなさそう。誕生日はケーキとプレゼントちゃんともらってそう。もらった新幹線の切符を換金とかしなそう。ちゃんとお金を持っていそう(YJとかも貰えるぶんはもらってたはずなんだけどね!)。そういう、たっぷりとした愛情を注がれた大切なお子さんたちって感じがする。JUMPもこっちだなあ。

「貧困と犯罪」という言葉が出てきてなるほどなあ、と自分でも思っているんだけど、誤解を恐れず言うと初期NEWSの「貧困と犯罪」感は常軌を逸してる。当時、母が「山下くんはIWGPの印象が強すぎて見てて不安になる」と言っていたのを思い出す。あのギャル男軍団は、どう考えても警察のお世話になるストーリーと整合性がありすぎてまずい。
いや…罪は犯してないのにね……。めっちゃ悪いことしてそう、っていうイメージの話で、、、(でも、そういう危うさとか、物語にみんなヒヤヒヤしつつ魅せられていたんじゃないですかね?!)
「処女100人斬り」とか「ヤラカシに飛び蹴り」とか「ケータイ逆パカ」みたいな……そういう「悪いお兄さん」像にちょっとドキドキワクワクしながら恋してたし、自ユニが一番強いわ!!!って気持ちをヲタ同士で競わせていたような気がする。

多分だけど、あんくらいの時って嵐もYJもジャンプもJr.もみんな競い合ってた(でなければ、「赤西軍団」や「平成処女軍団」などといった言葉は出てこないだろう)。
自分の大好きな人がもっともっと、誰よりもかっこよくなってほしい、みんなにわかってほしい、わたしが一番好きな彼の話をしたい!!みたいな、欲望とか祈りのような、素直な感情を持つブログが多かったように思う。

きっと、嵐はそのへんからの転換に成功したから国民的アイドルになったんだな。ピカンチとかの、若くて美しくて寂しい子たちの危うさみたいな時代を経て、今や誰も「貧困と犯罪」感をまとっていない。あの人たちはちゃんと大人になれたんだ。
エイトも最近になって国の仕事やってたけど、そのへんの折り合いをちゃんとつけて「僕たち結構ちゃんとしてます、もう大人です」っていう姿勢がようやく認められた結果かなあと思うとなんだか面白い。

じゃあKAT-TUNやNEWSはどうやって大人になればいいの?ということを、ここ一年ほどはずっと考えている。