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2017-08-24 幸せの確率   −4

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         ー幸せの確率 あなたにもできる!  

               アーリーリタイアのすすめ ―内山直(著)

   * 地位財・非地位財

        〜幸せになる近道は「非地位財」の追求

 会社清算の結果、「地位財」を無くしたが、「非地位財」が行蔵として残った。 

この感覚は、解りやすくいうと、充実感、達成感の手ごたえで、第三者からは

窺い知れないこと。趣味で手造りのヨットを完成し、世界一周をすれば、目的は

プロセスと満足感。 最後に遭難をして全て失ったも、悔いがないのと同じ。

  〜その辺りの、簡潔な洞察面白い

≪ 幸福について、「持続性」という観点からもう少し考えてみましょう。

 経済学者のロバート・フランク

・周囲との比較で満足を得るものを「地位財」、

・他人との相対比較とは関係なく幸せが得られるものを「非地位財」と整理。

「地位財」の具体例は、所得や貯蓄、役職などの社会的地位、家やクルマなどの

物的財。一方の「非地位財」は、健康自由愛情などです。この2つの違いに

ついて、心理学者ダニエルネトルは著書『目からウロコの幸福学』で、

「幸福の持続性が異なる」と論じています。図では「結婚」が両者の間にある。

 これは「結婚」が、「他人に自慢できる配偶者」「家庭を持っているという

社会的ステータス」という意味では地位財であり、「パートナーとの絆」

家族への無償の愛、つながり」という意味では非地位財だからです。

重要なのは、地位財による幸福は長続きしないのに対し、非地位財による幸福

は長続きする、という点です。「少しでも年収を上げたい」は地位財の獲得を

目指す志向ですが、それでは幸福が持続しません。

それなのに、なぜ人はついつい地位財の獲得に走ってしまう。〔目の前に

ぶらさがった具体的な餌に飛びついてしまう〕のでしょうか。フランクは、

人間自然淘汰に勝ち残って進化してきた生物だから、と説明しました。

子孫を残すために重要なのは「競争に打ち勝つこと」。だから人間は、競争

勝つと嬉しくなるようにできている。そのため、他人との比較優位に立てる

「地位財の獲得」を目指してしまう。

しかし現代社会では、生存競争にそこまで躍起になる必要はありません。

平均年収を超える程度までは「地位財」を目指し、それ以降は幸福の持続性が

高い「非地位財」を追求するのが、幸福をつかむ近道かもしれません。 ≫

▼ とすると、本来は、地位財を非地位財に交換するのが目的だったため、

 結果は何であれ非地位財?を手に入れたため、サバサバできている。5年半に

かけ、アルツハイマー母親を看送った51歳から、還暦まで、好きなことを遣り

尽くすと決心、10年近く捨身で生きた。その時が、非地位財を、さらに昇華させ

消しさっていたことになる。その後、10年少し経ったが、地球生活がますます

面白くなっている。いい歳をして、意固地になり、肩肘を張り、比較地獄に汲々

としている「世間人」が可愛らしくもある。その最たる者が内なる化物だろうが… 

〜ところで、8年前に日本文理が、決勝戦に進出していた〜 

さらに、5年前にはトランプの本を読み書評までしていた。ったく!

 以下、参照… 

・・・ ――

3063,閑話小題 

2009年08月24日(月)

  * 日本文理高校が決勝だと 

日本文理高校が、あれよあれよという間に決勝戦まできた。

国体開催の一月前ということもあり是非とも優勝をしてほしいもの。

今日は県内は大きな盛り上がりになるはず。昨日は県岐阜には勝てないと

踏んでいたが、まさか勝つとは。過去に準々決勝が最高だったから、新潟県

にとっては大快挙である。地元の予選では対戦相手とは段違いの力だったが、

ここまで来るとは思ってもいなかった。彼らナインも監督も同じだろう。 

新潟県は、このところ二度の大地震が続き、景気も最悪の事態の上に、

この天候で稲作も期待できない。優勝でもしたら国体までのつなぎになる。

たまたま今日飲み会が入っているので、酒の味が美味くなる。

   * 新インフルエンザの恐怖

 商売が商売だけに、この新インフルエンザ日本中蔓延した最悪の事態も

考えなくてはならない。半年も客が誰も泊まらないこともありうること。

そうすると「  」 考えても仕方がないことだが、現実に有りえることである。 

この恐慌?の中で、更に日本経済は壊滅状態。特に地方経済は体力が消耗して

いるので深刻の事態になる。ビジネスホテルは直撃を受ける。新潟国体の特需

を計算に入れていたので、もし大幅の縮小となると大問題になる。困ったもの。

支配人の近所の親しくしている家の子息が新インフルエンザになったとか。

タミフルを飲んでホボ直ったというが、現実に身近に感染者が出てきたのである。

 お盆海外旅行から持ち帰った菌と、帰省などの国内旅行でばら撒かれた菌が、

10日の潜伏後で表面化する。更に来週から学校が始ると、密室教室内で大蔓延

するのは火を見るよりあきらか。一ヵ月後には、日本中が新インフルエンザ

大問題になっている可能性が大である。新潟国体の縮小も充分に有りうること。 

これからは一日一日が、スリルとサスペンスの日々になる!  

そうこう考えると、恐慌も重なった大津波本体が押し寄せてきたというのか。 

数ヶ月先も読めなくなってきたが、それが日本現実か。 高校野球の優勝か

どうかより、直撃を受ける本体、大問題である。不安と不機嫌の日々がつづく。 

・・・・・・

4168, あなたが大金持ちではない10の理由

2012年08月24日(金)

     「あなたが大金持ちではない10の理由」ドナルド・トランプ著 

 アマゾン内のネットサーフィンで見つけた不動産王ドナルド・トランプの著

「あなたが大金持ちではない10の理由」が面白い

耳が痛いが・・ まず基本的な考えは「お金持ちになりたいなら、

お金を持つ前からお金持ちのように思考しなくてはならない」である。

まず金持ちであるかのように考え振舞うことから始めよ、である。

そう振舞ってもダメなのはダメだが・・・

  ー「あなたが大金持ちではない10の理由」ーとは

? 休みをとらなくちゃいけない・・・と思っている

 「休みをとりたいなぁ」と思ったらその仕事はあなたに合っていない。 

  まず自分が好きになる仕事を選ばなくては!

? 睡眠とらなくちゃ・・・と思っている

 著者は一日4時間しか寝ない(午前1時〜午前5時)。

 寝る間を惜しむほど仕事に打ち込むことが基本。

? 集中力に欠けている

 「私は相手が二、三語話しただけで次に何を話すかがわかる。

  それが出来れば会話をリードできる」 相手に集中する能力

? テクノロジーに頼り過ぎ

 メールでは感情を伝えられない。電話したり、直接相手に会うこと。

? 相手の期待値考慮していない賞賛や驚きは相手の期待値により変わる。 

  相手の期待を知って初めて効果があがる。

? 仲間に頼りすぎている

 最後は一人。「どんなことでも自分でできる!」と思い、自分でやるべきこと

 をやらなくては何も進まない。人に頼りすぎると仕事遂行が遅くなってしまう。

? 成功グセをつけていない

 一つの成功は次の成功を呼び込む。まず実際に行動を起こし何かを成し遂げる。

 著者は「彼の触ったものは黄金に変わる」評判がある。

? 意思決定がいいかげん

 「意思決定恋人を決めるときと同じように」。 多くの人が意思決定

 「一目ぼれ」のように扱っていることを嘆く。会議で他人の意見を聞くのは

 「あの子のことをどう思う?」と聞いているのと同じ。意見を聞きつつ、

  注意深く意思決定を進めること。

? 家族とうまくいっていない。

 家族はもっとも重要。 家族と良い関係が、基本中の基本。

? 好奇心をもっていない

 成功者は何にでも興味を持つ。興味はイノベーションにつながり、

成功の鍵。起きていることすべてに興味を持つこと。

 ▼ 今さら金持ち云々など、関係ないが、それでも道理面白い

上手くいっている人は上記はクリアーしている。会社を創業し軌道に乗せるに、

ほぼ上記をカバーしないと不可能だが、それも震災ひとつで、パーである。

  お金は、お金を意識しないで済む程度が一番よいという。年齢にもよるが、

一般的に100万ドルか、一億円が目安。

・・・・・・

3803, 哲学人 ー?

2011年08月24日(水)

 ここでもテーマにした吉本隆明の「共同幻想」という言葉がある。

その典型が国家である。その元になっているのが、ウパニシャッドといわれる。 

また信長が好んで舞ったといわれる部分の敦盛の歌詞

《 思へばこの世は常の住み家にあらず 草葉に置く白露、水に宿る月よりなほ

 あやし 金谷に花を詠じ、栄花は先立つて無常の風に誘はるる 南楼の月を

弄ぶ輩も 月に先立つて有為の雲にかくれり 人間五十年、下天のうちを

比ぶれば、夢幻の如くなり  一度生を享け、滅せぬもののあるべきか

 これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ・・・》 

所詮は、幻想のようは儚い一生を鳥瞰した歌詞

   マギーは、ウパニシャッドを簡潔にまとめてあり、分かりやすい。

  * ウパニシャッドとは   ー「哲学人」ブライアン・マギー著より

【 15、6歳のころ、世界の偉大な宗教経典を集めた「世界聖典]という

 本を学校の図書館で見つけ、好奇心から読んでみた。この本の中で、唯一、

私の想像力を心底かき立てたのが『ウパニシャッド』だった。驚いたことに

次のような記述があった。「ー人間の知識と経験の全領域イメージだけで成り

立っており、そのイメージは流動的であって、永遠不変の存在を持たないのだが、

 それに対して実在する現実は、永遠存在するものであるけれども、我々は

直接それを知ることができず、それを明確に把握することもできないー」。 

私は自分の考えが目の前のページに、それも数千年前の昔の書物に載っている

のを見て愕然とした。そこには、さらに、私の思いもつかない説明まで書かれて

いた。それによれば、「私たちの心には無数の多様なイメージが浮かぶが、

そのイメージを去来させているのは、個々とのイメージと同数の、直接触れる

ことのできない対応物ではなく、あるひとつの大きなものである。

 私たちは個人として生まれたときから分化し、死ぬと再びそこにとけこむ。

突きつめると、実際には、その大きなものしかない。互いに相容れることなく

個々に分離しているのは、イメージだけである。また、イメージはあくまで

イメージであって、主観的ではかないものである以上、そしてとくに、人間には

生来イメージ独立して存在する事物と混同する傾向がある以上、イメージ

 幻想とみなすのは、しかるべき理由があることになる。分離した個々の事物、

人間を含む個々のあらゆる事物は、してみると現像ということになる。現実には

万物はひとつである。」… 私には、この見解は確認できないように感じられた

のである。たとえこれが真理であったとしても、そのことを知るすべが見当たら

なかった。 とはいえ、この見解は、ある重大な事実を痛感させてくれた。

私は自分でも気づかぬうちに、ー存在しているものは基本的に私たちの考えて

いることに「似ている」、すなわち多種多様なものが存在していると想定して

いたーのだが、この想定には根拠がないことが明らかになった。考えてみれば

確かに、現実の本当の姿はどういうものかをめぐるいかなる意見にも根拠が

ないように思われる。】

▼ 過去を振り返ると、実際あの時の経験記憶とていて残っている。

 その対象も物理的に残っているものもある。しかし時間は、記憶も、物理

残存しているものも、容赦なく変えてしまう。そうすると、残っているのは

イメージである。そうこう考えると、ブラフマン存在こそ、そこから発生し、

そこに戻っていくという考えに、ついつい・・・夢幻でしか!と。

恋愛など、性欲がつくりあげたイメージダンスでしかない。

ダンスが終わったら・・・ 類推は、いくらでも出てくる。

  ・・・・・・・

3438, 腰痛について

2010年08月24日(火)

 腰痛について何度か書いたことがある。《下にコピー》去年にも二回

書いている。そういえばこの一年、日常的な腰の重みはあっても、顔をしかめる

ほどの腰痛はない。一年間何もないのは近年には記憶がない。低反発マットと、

海老反りマシーンによる背筋伸ばしと、立振動のバイブレーション・マシーン効果

がでているようだ。四足だったサル祖先を持つ人間が、両足で立って歩くように

なったのが、腰痛の原因。特にディスクワークで椅子に座る時間が長い人とか、

立ち仕事の過剰が腰に負担をかけるのが原因。

  日常的に心がけることは、

・なるべく歩くように心がけること(一日1万歩を目安にする)、

・普段の姿勢で胸を広げアゴをひいて頭を背骨に上に置くようにし、

・前かがみの時は、屈まないようにして膝を曲げるように心がけ、

 ものを拾うときは、腰から上は立てたまま膝を曲げる。

・右手でものを拾うときは、反対の左足を必ず前にだすこと

電車の座席や、喫茶店居酒屋で座席に座る時に、足を組まないこと

・腰の冷えに充分気をつけること、また夏の冷い飲物の過剰摂取による

 内臓の冷えも危険

・常に自分腰痛持ちであることを意識をし、腰痛を目覚めさせないように、

 注意をすること

・季節の変わり目には、腰痛になる前から腰痛ベルトを事前にすること 

 などなど、ある。

腰痛と、嫁姑問題は、人類永遠テーマのようだが、予防の習慣で、

ある程度は押さえ込むことは可能。腰痛の御かげで、早朝の散歩の習慣を

25年間も続けることも出来たし、姿勢は良くなった。その結果、全身の血の

巡りは良くなった。 まずは嫌わないで腰痛と仲良くすること。

・・・・・・・・

2698, 閑話小題

2008年08月24日(日)

 *大曲花火

昨夜は、秋田大曲花火をNHkのハイビジョンでみた。

この数年の年中行事の一つになっている。電気を消した見ていると、自分

土手で見ている気分になる。プロ花火師評論面白い花火には「菊」と、

牡丹」の形があるとか。 丸い花火は割りものとか、云々。

大曲は、日本中プロ花火師が競う競技大会。 その結果が公表される。

開くタイミング 10点、 開き具合 30点  色彩および配色 30点  

技術 30点 の比率で評価される。

地元長岡花火も良いが、大曲の方が華やかで規模(数)が大きい。

 〜〜

 *日本野球がオリンピックで敗れた訳

日本が、良いところがないまま、敗退してしまった。結果論からいうと、

星野監督の選定ミスである現役を退いて何年もたった監督と、コーチでは勝負勘

が全く無くなっている。せめて副監督として古田ヤクルト監督をつけておく

べきで、御友達感覚監督コーチで勝てるわけがない。選手が、星野監督

コーチの前で、すくんでしまって実力を発揮できなかった、ということ。

更にG.G佐藤の二回の大エラーも、水を大きく指した。本人の一生の傷になる。

数年間は針の筵だろう。ニュースに流れた日本人の観客のヤジ

「御前ら、日本の野球はこんなものだったのか?」も厳しいが、それくらい星野

には良いだろう。 あまりにプロ野球の監督とし鮮やかな辞め方をしたのだから。

それより、あの二年前のワールド・ベースボール、あれは劇的過ぎただけ。

ただ星野は、酷かった。 人生は、こんなものだろう、 所詮は!+−ゼロ。

 〜〜

 *オリンピックが終わるか

これまでは、あまりオリンピックは見ないが、時差のあまりない北京で行われた

ことと、お盆を跨いでいたこともあり、これだけ見るのも珍しい。といって決勝

進出と、注目された試合だけだが。前回の三分の二の金メダルだったが、こんな

ものだろう。テロによる混乱も無く、まあ無事終了のようだが・・

中国にとっては大成功オリンピックとは言えないが、そこそこ(65点)だった。

独裁国家がオリンピックを開催すると、何年後かに独裁体制が崩壊するのは、

ナチドイツとソ連の崩壊から推測出来る。これから10年間は、大きな試練が

待っている。上海万博まで持つだろうが、火はついたことは間違い。

・・・・・・・・・・

2007年08月24日(金)

2334, 離人症体験       オハ…YΘ!!。_゜ヽ(*´∀`)ノ゜.:。+

ある本の中の「離人症」の経験者の話に目が釘付けになった。

私の最も好きな内容だからである。そこでネット辞書で調べてみた。

 ーー

離人症とは、自分自分精神過程または身体から離れて外部の観察者に

 なったかのような自己の知覚または体験の変化」と定義される。

離人感は深刻な感覚の歪みがあらわれる。例えば、世界が霧か煙を通すように

 ぼやけて見えるとか、声が遠方からのように聞こえます。ガラスの檻に閉じ

 込められ、それにより「現実の」世界から切り離されている感覚。具体的には、

 自分存在する実感がない、自分が見知らぬ人間であるように感じる、 

 自分が生きている感じがしない、などがある。

・身体に関する訴えとして、自分の体が死体ロボットのように感じる、

 自分の体の実感がない、自分の体が大きく・小さく感じる、などがある。

・また、行動する自我とそれを観察する自我の分離があり、自分の行動を

 離れたところから自分が観察するという感覚がしばしば起きる。このような

 分離は、心の中での果てしない自問自答、堂々めぐりと体験されたり、 

 自分の体から自分が抜け出す経験体外離脱体験)と感じられることもある。 

 トランス状態にあるような様相を呈することもある。

自分以外の人間自分の体験を真剣に取り上げてくれないと嘆き、これらは

 心的外傷に深い関連があり、自傷行為自殺企図もある。

 ーー

以上だが、その中で体外離脱体験もあるようだ。私自身、色いろな体外離脱

パニックに陥ったことが度々あった。この「離人症経験」とは違うプロセス

体外離脱体験になったのである。 人生の大きな変わり目とか、厳しい秘境旅行

の帰りの飛行機の中とか、大きなストレス状態の時などに生じるところが似ている。

過去の随想日記に、そのことを幾つか書いてきたが、離人体験とは少し違う。

(後記の数年前の文章を貼り付けた中に、偶然に夢について書いてあった。)

一番近いのが、ある旅行からの帰りの飛行機の中での恐怖パニック体験。

(何度か書いたことがあるが・・・)秘境旅行の帰り、ホッとして眠っていた

ところ夢をみた。自分が地上からフワフワと風船のように浮遊して、空に舞い

上がっていく。みるみる電信柱を越え、空に上がっていく。「これは危ない、

地上に戻らないと!」と、本能的に夢から我に帰ったところ、そこは地上では

なく空中を飛行中。戻るはずの地べたがないのである。

空中から地上に帰ったはずの自分が、逆に更に高い空中を飛んでいるのである。

それも自分が1000キロの速度で飛んでいる実感がしたのである。

飛行機も、周囲の人も消えて、独り空を超高速で飛んでいるのである。

恐怖で失神?なんてものではない! このような特異の恐怖体験をした人は世界

広といえ、殆どいないだろうと、パニックが収まった時に頭に浮かんだ。

(実際は多くいるだろうが、特異という意味で・・・)

バンジーで二回飛び降りているが、落下時の恐怖より恐ろしい?瞬間だった。

その落下としても垂直に空中を飛んだ経験があるから、実感できたのだろう。

数分は続いただろうから、よく心臓が止まらなかったものである。離人体験の

恐怖を語っているブログがあったが。その類の知識のない子供が、自分自分

から抜け出た感覚は本当に恐ろしいのは解るような気がする。 離人症という

病があるとは、知らなかったが、欝になり、落ち込んでいる心理状態は、正に

これじゃないか? 「ものみのとう」とかいう、あのカルト集団、あれも集団

離人症候群じゃないかい?

娑婆を「物見の塔」から見下して、あの集団で修行すれば、千年後に奇跡

あらわれ、キリスト様と出会い・・}それも、幸せな集団離人症ということ?           

2017-08-23 幸せの確率   −3

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         ー幸せの確率 あなたにもできる!  

             アーリーリタイアのすすめ ―内山直 (著)

   * 高い貯蓄率、ただその一言につきる

 『アーリーリタイアにとって必要なのは、高い貯蓄率、ただその一言につきる』

早期のリタイアだけでなく、誰にとっても、幸せの確率を高めるには、貯蓄率が

高いほど良いはず。ここで、著者は、トマ・ピケティ著『21世紀資本』を引き

合いに出して、「富める者はますます富み、そうでない人たちとの格差が開いて

いく一方であろう」というのを‘r>g’という不等式で表している。夢も希望

もなく、恐ろしい限りである。 私が何とか、会社清算を軟着陸で終えることが

出来たのは、家内名義の給与と、厚生2人の年金積立てがあればこそ。40年近くに

なれば、チリも積もれば小山。それは両親の方針の延長…中小企業の知恵である。

 (Amazonの内容紹介)

≪  r>g

資本収益率が産出と所得の成長率を上回るとき、資本主義は自動的に、

 恣意的で持続不可能な格差を生み出す」

 格差は長期的にはどのように変化してきたのか? 資本の蓄積と分配は何に

よって決定づけられているのか? 所得格差と経済成長は今後どうなるのか?

18世紀にまでさかのぼる詳細なデータと、明晰な理論によって、これらの

重要問題を解き明かす。格差をめぐる議論に大変革をもたらしつつある、

世界ベストセラー

 〜本文より〜

・「本書の答えは、これまでの研究者が使えたものよりもはるかに広範な、

 長期的で比較可能データに基づいた答えとなっている…格差の根底にある

仕組みについて、もっと深い理解を与えてくれるような、新しい理論的な枠組

に基づいたものでもある」

・「1970年代以来、所得格差は富裕国で大幅に増大した。特にこれは米国

 顕著だった。米国では、2000年代における所得の集中は、1910年代の水準に

戻ってしまった――それどころか、少し上回るほどになっている」

・ 「私の理論における格差拡大の主要な力は、市場の不完全性とは何

ら関係ない…その正反対だ。資本市場が完全になればなるほど、資本収益

「r」が経済成長率「g」を上回る可能性も高まる

・「格差の問題を経済分析の核心に戻して、19世紀に提起された問題を考え

 始める時期はとうに来ているのだ」

・「あらゆる市民たちは、お金やその計測、それを取り巻く事実とその歴史に、

 真剣な興味を抱くべきだと思える…数字との取り組みを拒絶したところで、

 それが最も恵まれない人の利益にかなうことなど、まずあり得ないのだ」 ≫

▼ 「恒産あって、恒心あり」である。ピケティのいう、今後、世界の成長率

 が1〜2%しか望めないなら、「若いうちから意識的に蓄財をして、さっさと

‘r’の側になってしまえば、後半の人生幸せに過ごすことが可能になる。

「第二の人生など、さほと大切?」「25%近くの預金も惨め」「若いうちに、

楽しめるだけ楽しんでおかないと…」 という常識的な考えもあるが、人生

全体を、二分する考えも必要では。仏教的な考えでは、「八正道」の道があって

欲望をコントロールする。 しかし、欧米的考え方には、幸せ状態

プラス3〜6に、マイナス1」にすべくプラスを追及する。問題人生観

著者は、医者になり、独立をして成功創業利益も背景にある。〜つづく

・・・・・・

5639,女はギャップ  〜?

2016年08月23日(火)

           <「女はギャップ名越康文 (著)>

   * 男の鎧とは

 図書館の返却コーナーで見つけた本。 著者のいう「男って愚かで臆病で

どうしようもなく勝手な生き物」、は本当。 一生、抱え込む可能性があれば、

臆病にもなって当然。 人によるが、8割は、そうだろう。 男女に関わらず、

不特定多数の男性に軽く声をかけた結果が、好かれ、モテるってこと。

 「まえがき」にある、<多くの女性がこう嘆きます。

「女から見るとブサイクアフォ女がモテたり超美人なのに彼氏がいない人

がいる。なぜ?」の疑問に、男は女を「顔がキレイだから」「洋服センス

よいから」「お金をもっているから」「セックスしたいから」好きになるわけ

ではない。声をかけられた相手にしか、反応できないため。

男は「臆病と気遣い」を、鎧に生きてます。この鎧をはがしてくれる女性たち

モテルわけ。独身時代の女の職場で知ったことは、自信があるのだろう、

美人系の2割が、何事にも積極的で、青春謳歌していたようだ。

 (内容紹介)

彼氏のいない性格もよい美人」と「アホでもモテるブサイク」。

この差はどうして生まれるのか? それは男の臆病と気遣いの鎧を上手にはがす

「女のギャップ」に答えがあった。人に愛されるためには、美貌もマナーも媚も

必要ありません。心が楽になる恋愛のカタチを、精神科医がレクチャーする。

▼ この本の冒頭で、図表で、男女別の250人に対するアンケートをある。

・男性250人に、あなたは「臆病な男」ですか?に対し、65%が「はい」と答え。

女性250人に「臆病は男」が、嫌いですか? に、64%が「はい」と答える。

臆病には、男からすると慎重が含まれ、女性からすれば「私を守ってくれない」

が含まれる。このミスマッチを早々、理解した女性に多くの福がくる。

「男の鎧の脱がし方」が、実際のテーマである。そのためは、笑い、質素に、

気楽に、カジュアルであること。 要するにコンビニファーストフード

店員マニュアルどおりであれば良いことになる。 手軽で気楽に、清潔感

あって、安価で、笑顔で・・ 大衆食堂よりは、若い男には遥かに良いはず。

・・・・・・

3802, 哲学人 ー�

2011年08月23日(火)

   * 驚きを忘れた人々  (P/29より)

【 あらゆる意味とあらゆる目的がこの世界のなかにあリ、価値道徳人間

よってつくられる、つまり、価値道徳社会的歴史的形成されるのである。

真実はミステリアスであるとの意見を『彼ら』は理解できず、それゆえ人間

経験意味するところは私たちの理解を超えているのかもしれなといった意見を、

まわりくどい戯れ言(その正体はやはり宗教的なもの)とみなした。

私にとってこの態度のどこがいちばんなじみにくく、理解しがたかったというと、

それは私たちが存在していることに、というより、なんらかのものが存在して

いることに驚異(あらゆるものが奇跡にほかならないということ)を感じる

感覚が欠けているという点である。 結局のところ、深く考えなくても、

子どもくらいの思考力さえあれば、私たちの経験のきわめて一般的かつ基本的

特徴すら私たちは自分では気づいて当然なのに、私がいま述べているような人々は

その点を見抜けなかったらしい。ある種の常識的なものの見方がほぼ正しいという

ことを自明だととらえているようだが、私にとって自明だったのは

常識は正しくない」ということだった。あっという間に不可解さと自己矛盾の

泥沼に嵌ってしまうからである。さらに正直に言うと、「『彼ら』は常識的

世界観否定することをばかげているとみなしたけれども、私からすれば、

それを容認することこそばかげていた。彼らの見解は、その基盤を顧みない

あいだしかもちこたえ代物だった。はなはだ浅薄であったばかりか、支えとなる

ものはなく、ぽっかりと宙に浮いていたのである。『彼ら』の見解根本

問いただしても、そうした疑問はことごとく退屈で的はずれなものとして

退けられた。世界経験のさまざまな基本的特徴は、人間推理力ではとうてい

理解できそうにないという事実に注意を向けようとすると、彼らはこの事実

逆手にとって、問題を提起することを封じこめた。彼らの望みは、理解できる

事物領域自分人生を閉じこめることだった。最初に挙げたクルーブと比べ

ると、わずかながら深遠で批判的でもあったが、結局、両者の態度には多くの

共通点があったのである。大人になるにつれて、世界にまつわる驚異の念にひたり、

世界が差し出す解決できそうにない問題(とくに、時間空間、物体の知覚、

物体の本質などに関する問題)にのめりこんでいったおかげで、私はまわりの

人たちからやや孤立することになった。こうした問題を語りあえる相手

見つからなかっただけではない。そんな問題をもち出せば変人扱いされかねない

ことを思い知らされたのである。人づきあいをしなかったわけではなく、

人生のほかの局面ではとても社交的な人間だった。昔から友人はいたし、

17歳になって恋愛もした。 パーティが大好きで、熱烈な音楽愛好家にして、

芝居通でもあった。それでも、経験のきわめて形而上学的な次元に心を奪われて

いることは、たとえ日々そうした問題に取リ岨んでいたとしても伏せておくべきだ

と知った。そんなふうに孤独感を覚えながらも、この問題に取り組んだのは、

なんといってもこの問題が圧倒的に重要であったからだ。私たちの本質や、

私たちが暮らしている世界本質にとって根本的であるのに、こうした問題

何故誰も魅了されないのか理解できなかった。頭の良い人なのに、何よりも

重大な問題に暗黙のうちに禁じられているには、何とも奇妙に思われた。 】

▼ ここで、マギーは「 私にとって自明だったのは、常識は正しくない

ということだった。あっという間に不可解さと自己矛盾の泥沼に嵌ってしまう

からである。さらに正直に言うと、彼らは常識的世界観否定することを

ばかげているとみなしたけれども、私からすれば、それを容認することこそ

ばかげていた。彼らの見解は、その基盤を顧みないあいだしかもちこたえ

代物だった。」と、述べている。常識は、殆ど正しくないことは、今さらだが、

あえて事を荒立てることもない。私も常識とやらは、ほぼ間違えていると、

この年齢で実感する。考えてみれば「あの人は常識人」ほど侮蔑言葉はない。

大部分である常識人のいうことを、まともに聞いてきた人生、何だったのだろう。

 ・・・・・・・

3437, 64歳の現時点で、感じること! ー2

2010年08月23日(月)

 * あと5ヶ月で65歳になるが

 65年の人生を振り返ると、月並みだが長いような短いような感じだが、

決して長くはない。アッという間である。家庭に恵まれていたし、時代背景にも

恵まれていた。 満足度は70、いや80点である。明日の金が無くて呆然とした

ことも無かったし、人間関係で悩むことも比較的少なかった。また事業を四十年

近く、やれたことが良かった。また装置産業選択したため、自由時間に恵まれた

のが良かった。好きな秘境ツアーも、私の環境=条件内では最大限に楽しむことが

できた。 好きな本も充分に読むことができた。 好きな箱物(ビル)造りも、

小規模だが増築を含めると8棟を立ち上げることができた。もっと事業を大きく

できたチャンスがあったが、恐慌になった現在、それが良かったかどうか。

 第二次世界大戦の終了から、米ソの対立、朝鮮戦争、ベトナム戦争、中国

文化革命、そして、ソ連と東欧崩壊日本の高度成長、バブルと、崩壊

そして失われた20年という長期停滞。ニューヨークの9・11テロと、

アフガン・イラク戦争。そして、極めつけがアメリカ発の大恐慌である。

それが今後、10〜20年と色いろなカタチで、20世紀的なものや、文化

破壊がすすむ。65年の人生で、半分以上は成長期の時代を味わってきた。

特に20代、30歳代は、高度成長期にあたっていた。もう日本が、これだけの

右上がりに成長を謳歌する時代は二度とこない。そうこう考えると本当に良い

時代背景だった。情報化社会の到来で、劇的変化を始めた時代の入口を生きている。

その変化は想像を遥かに超えている。毎日が驚きと、感動と、おののきの日々。

それにしても知らないことが多すぎる。

 ・・・・・・・

3062,階級社会だと! −2

2009年08月23日(日)

 上流階級?の人が落ちぶれた時に、階級存在シビアに知ることになる。

その時のハビトゥス(その人の習慣をつくりあげている文化構造)の崩壊

プロセスを身近で何人か見てきた。その崩壊人間性崩壊になる。

階級社会にとって必要なことは、その入れ替えの弾力性である。弾力性が

無くなれば階級社会が自滅することを経験的に知っているからである。 

時間軸の長短から考えれば誰もが成上がりでしかない。イギリス階級制度

のハッキリした国であるが、その入れ替わりには長年の経験上、当然のように

受け入れるシステムになっている。新しい価値をつくりあげれば、その価値

創造者として認める。日本でも明治時代伝統で、家柄より学歴を優先する

社会的システムができている。日本の最も優れた文化資産である。 

 (字数制限のためカット 2011年8月23日)

・・・・・・・・・

2697, 散歩について

 2008年08月23日(土)

散歩の習慣と効用については何度か書いてきた。1月から3月半ばを除けば

毎朝、豪雨でない限り歩いている。もう25年ほどになる。年々少しずつだが

歩数は減っているが、それでも毎朝一時間弱は歩く。 日本人の歩行は、

この三十年で激減しているという。30年前で7000歩が現在では

6000歩弱に、車通勤では、4000歩も歩かない。江戸時代には日本には

散歩という概念がなかった。車がないので、何処に行くのにも歩いていたから、

敢えて歩く必要も無かったようだ。それでも、現代人と比べると3倍から5倍は

歩いていたという。西欧人のように、「楽しみのための目的なしの歩き」に名前

散歩と名をつけたのは、勝海舟であった。氷川清話には、散歩の話がところ

どころ出てくる。散歩語源は、漢方言葉で、漢方の内服薬を飲んだあと、

その薬を早く吸収させるため歩くことを意味していた。勝海舟は、外国人

生活の中に散歩を取り入れているのを見て、心身の健康効用を看破した。

私にとって、散歩のない日々は考えられないほど、日常生活の一部になっている。

大雨で歩かなかった翌日など、身体から毒素(恐らく活性酸素だろう)が抜けて

いくのがわかる。それと、脳の活動が活発になるのも分かる。これを続けて

いると鬱病などなる訳がない。早朝に、陽光にあたりながら、鳥の声と、川の

せせらぎの音を聞きながら、深呼吸をして歩いていれば、マイナス思考など

出ようがない。最近はiPodでアルファー波のタップリ入った音楽聴く習慣も

取り入れた。哲学の小道が京都になるというが、決まった道を、他のことを意識

しないですむ道という。ソクラテスではないが、プラトンなどと問答しながら

歩いたのは、脳が活性化するためである。散歩健康のためとか、考えるため、

というのでは長続きはしない。あくまで楽しい日課の一つとして取り入れて、

スキップするような気持ちで歩くことだ。最近80歳過ぎの少し痴呆症の入った

年配の人が散歩をしている。道に立って、来る人来る人に手を上げて親しそうに

話しかけている。 (字数制限のためカット 2012年8月23日)

2017-08-22 閑話小題 〜カラスの話

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   * カラスの話

 これまで、何度かカラスについて話題にしてきた。早朝のポタリングで、

2つの大橋の手摺や、道すがら、電柱カラス毎日、御対面をしている。

一ヶ月前、自宅の2F玄関前にいたカラスを強く追い払ったところ、その場所と、

1Fの門の横にある電柱から、毎日のように大量のフン攻撃が続いている。

意図的か偶然か、判明できないが、掃除をしても、直ぐに汚してくる。

 10数年前になるが、近所を自転車で走っていた時、前方から低空で前車輪

にフンをかけていった。 その直後、新聞ラジオで、「カラスのフンかけは、

意図的かどうかを専門家が答える内容を報じていた。専門家は、「あくまで偶然。

とにかく、小出しで、回数が多いための偶然」と否定的。 散歩ポタリング

を含めて40年近く出歩いているため、一番、接触が多いのがカラス

得体のしれないカラス社会のごく一部は垣間見れるが、鳥類は「空飛ぶ恐竜

そのままの原型が一番多く残っている。

 〜以下がネット内検索の内容。日頃、余程、閑(時間持ち)のようだ!〜

――――

2014/07/24

閑話小題 ー最近、またカラスが・・

   * 最近、またカラスが・・

 このところ、若いカラス数羽が自宅の庭周辺のテリトリー争いで、威嚇の鳴声が

鳴響いている。 一年ほど前に以下の文章を書いていたが、現在も、その延長戦が

続いている。ポタリング毎日時間していて見かける動物は、ほとんどが鳥。

その中でカラスが目立って多い。その上、庭に雀の群れ、小さな地鳥、渡り鳥

次々とやってくる。  ー去年に書いた内容といえばー

≪ 4440, 閑話小題 ーカラスの糞かけ <2013年05月13日(月)>

 数年前になるが、自宅近くを自転車で走っていると、カラスが低空できて、二m先に

糞を落としていった。「これは果たして私を狙ったか、偶然か?毎朝近くを通る度に

考えていた。 ところが一昨日の朝日新聞コラムで、四コマ漫画「ののチャン」が、

専門家に質問する形式で、「カラスの糞かけは、意図したかどうか」を取り扱っていた。

よくあるので、取り上げたのだろう。 答え手は「あくまで偶然で、カラスにとって何ら

利益にならない」と、ゲーム説、カラカイ説には否定的専門家とはいえ、

私のように30年以上、毎朝、散歩やミニサイクリングでカラス観察をしていた訳でない。

で、私はゲーム説。 (中略)そういえば、散歩中の小型犬を、カラスが至近距離

威嚇し遊んでいるのを見たことがある。犬の飼主も、そのやり取りを面白がって

見ていたが、明らかにカラスが小犬をバカにし遊んでいた。 

 ところで昨日の午後、帰宅をすると、隣の空地で4羽のカラスが入り乱れての空中戦

よく見かけることだが昨日は違っていた。二組の激しい乱闘。初めは車内で見ていたが、

決着がつかないので、一度、車庫に車を入れて門の陰からみたが、その間7〜8分。

 鳴声を聞きつけた他のカラス数羽が駆けつけ、騒然とした中の乱闘は、見もの。

上下に体勢を入替わり互いの身体をワシヅカミの突つきあい。

4羽が無事に飛びたったのが不思議なほど。 最近、来ているのが、その一羽? ≫

▼ 今回は、他の小さな渡り鳥や、モズも入乱れて、カラス牽制しあっていたが、

どうも、我家のインコが 野鳥の興味を惹くようだ。で、「カラス除けグッズ」をネット

と思ったが、他の野鳥も来なくなる上、無粋。 

そういえば近所の土手も、信濃川河川敷も、野鳥絶対数が年々減っているのが

気がかり。 至近距離田畑20反も住宅地に変わってしまったがこれも小さな緑地の

我家の庭のテリトリー争いの激化の理由仕事から離れ、自然と向合う機会が

多くなると、今まで見ても見えなかった自然に触れあうことが多くなる。地方の良さは、

軽井沢那須などに行かなくとも触れ合える! ますます御隠居生活に慣れてきている。

――――

2013/03/27

閑話小題 −つれづれに

 * 一昨日、カラス交尾をみた。

ポタリングの何時ものコースの通りの脇の花壇にいたカラスに、小さなカラス

舞い降りてきて尾っぽを向けて羽根をそば立てて小さくうずくまった。そこに

オスが・・ メスからの求愛である。これで春の訪れを知るとは… 

――――

2011/11/11

閑話小題 〜〜

   * カラスの怒り

 一月ほど前の話になるが、信濃川大橋自転車で走っていると、橋の下から

飛んできて欄干にとまろうとしたカラスと50センチ位の間近かの鉢合わせをした。

カラスは不意をつかれヒックリ返って橋の下の方に落ちていったが、体制を立て直した

のだろう、30Mも行かないうちに自転車の数m先の欄干に止まって羽をいからせ威嚇

してきた。それを4度も繰返したことから、怒り心頭で怒っているのが分った。

カラスにも人間のような意地があるようだ。散歩などで時おり威嚇してくる。

黒色系の服装が刺激するのだろう。鳥は、人間が思っているより遥かに頭がよい。

それもカラスは、地元密着で多くの知識の蓄積がなされている。人間社会との微妙

距離を守り、共存している。土鳩カラス・雀は世界の街の何処にでもいる鳥

――――

2007/11/04

2406, カラスの話 −2

 「カラスの話」でもテーマにしようかと思いたった。

ところが、そういえば一年ほど前に書いたような気がしたので調べたら

(Hp内の検索)やはりあった! 一年近くに書いてあった。

先月の10月23日のこと、中越地震三周年の花火通勤の帰路に

(亡くなった人の数?)打ち上げられて、その音と地響きが聞こえてきた。 

その時、彼方此方からカラスの鳴き声が聞こえてきたが、

「恐怖の叫びと、互いに安全の確認」と推測できた。

カラス語」で検索してみたところ、仏の鳥類学者デュポンカラス研究

があった。彼の長年の研究の結果、カラス語が幾つか解るようになった。

カラス語は25の語数からなっていて、ほぼ全ての意思を伝えることでき、

・「クラ、クララ、クラオ、クラオ、クロア、クロネ・・・」とある。

 フランス人日本のように「カ〜カ〜」の音ではなく、「ク〜ク」の

「ク」の音階で聞こえるという。それぞれ ーここ、そこ、前、うしろ、

人間寒い、暖かい、というようなことを話しているという。

この数日のウォーキングの道すがらカラスの鳴き声に耳を澄ませているが、

成る程、意思交換をしている。 カ〜カ〜カ〜という長い声と、カッカッカッ

という短い声、音程の上下、回数、などが微妙に違っている。それと、朝晩

集会での意思交換をしている。

話は少し変わるが、先日のこと、カラスが宅上犬をからかっている場面に

出くわした。宅上犬の歩いている先の橋の欄干にとまって挑発をしていた。

その可愛いい犬が吠えても逃げようとしないでカ〜カ〜と鳴きかえしていた。

飼い主は面白がって、その犬とカラスの攻防をなすがままに任せていた。

それをまた、私も見ていたのだから・・・

カラスが子犬を馬鹿にし、からかっているのが何とも人間的であった。

 数分のやり取りの後に、電線に飛んでいった。

最近のカラスは、一番身近な野生?の動物である。

――――

2007/06/18

2267, 「遊び」

                (゜∇^*)オハヨ♪

 遊びの重要性は、両親をみていたり、学生時代などの経験から

「働き」と「学び」と同じくらい位置づけてきた。

その三つのバランスを如何に組み合わせるかが人生の豊かさと信じて、

年、月、週の計画に組み込んでいた。

人生で最後残るのは、特に「遊び」の中の充実感である。               

「遊び」については、今まで何回か取り上げてきた。

人は良く遊び、良く働き、良く学ぶことが、良く生きることを目ざすことだ。

そのどれも必要なことであり、それぞれにとって、背後に二つを必要とする。

何ごとも楽しみになるまで追求すれば、しめたものである。私の場合、ゲーム化

が楽しみへ持ち上げるポイントであった。

ゲーム化に対しては批判もあるだろうが、何ごともやりかたである。

到達地点を設定して、その間の障害を乗り越えながらプロセスを楽しめば、

遊びへ転換する。ゲームは、勝ち負けを争う遊戯競技もしくは賭博として

一般的に認められているが、日本では、「ゲーム」という言葉を使う場合、漠然

とした「遊び」と比べ、「パッケージ化された遊戯の一形態」という印象を与える。

 学び、働きに対して、遊びが一番充実していた!ようだ。

遊びは他の二つと違って、他者との対比の必要はない。

一番好き嫌い主観的要素が生かせるからよい。同じ人生、楽しまなくては!

何ごとも「遊び」まで持ち上がるまで集中すべし!ということか。

 … (略)

 ー以前、カラスの遊びについて書いた部分を抜粋してみるー

カラスは「羽の生えた類人猿」というほどの高い知能が、動物学者研究観察

から認められている。その一つに人間と同じような“遊び”の感覚があることである。

・目的もなく電線の巻いてあるテープをはがしたり、

・空中でゴルフボールや小枝を落として奪い合うラグビーのような行動で仲間と遊んだり、

・滑り台で、人間の子供のように滑り降りたり、

・くちばしでレールに小石を並べる行為も、電車が石をはじくのが面白くて始めた

 “遊び”といわれる。

 そのように無駄な行動を楽しむことをみても、彼らが知的動物であるといえる。

「無駄」なような行動も、「ラグビー行為は、オオタカなどの猛禽(もうきん)類に

襲われた場合に備えてのチームプレーの訓練」という見方もあるが、

それを遊びにすることが、高度な知的行為である。

 ーー 

イルカや、サルなど知的レベルの高い動物ほど日常の中に遊びが入っている

ところが、注目に値する。   d=(^_^)=b

 競争、偶然、模倣めまい、か〜〜〜!

何かの偶然の重なりで娑婆に生まれ、ママゴトのような人生の中で、

ワッペン取りや、かけっこ競争や、ブランコ遊びをして、

ふと、気づくと孫に囲まれ、遊びの手助け!、 これが人生

――――

2006/10/24

2030, カラスの話

           (*^○^*) ハ〜 ヨウ

20年間にわたり散歩の途上、色いろの鳥を観察してきたが、特にカラス面白い

低空で飛んできて糞を落とされることがあったが、あれは狙ったのではないか?と、

今でも思っている。時々からからかったりしていたからだ。

散歩の時は黒ずくめのためカラスは敵と見るらしく、近くを通るとき威嚇される。

雀や、セキレイや、百舌鳥などを襲っているのを何回か見かけたことがある。

日本カラスは生きた成鳥は襲わないと言われているが、時には襲うようだ。

ある日、思いもつかない不思議な場面に出会うことがあった。

小雨の中、近くの高校のグランドの地べたに数百羽のカラスが舞い降りて、

ただならぬ雰囲気情報交換しているような場景があった。

また電線に千羽以上もとまっていることもあった。

あれは何かの集会ではないだろうか?

カラスは「羽の生えた類人猿」というほどの高い知能が、

動物学者研究観察から認められている。

その一つに人間と同じような“遊び”の感覚があることである。

・目的もなく電線の巻いてあるテープをはがしたり、

・空中でゴルフボールや小枝を落として奪い合うラグビーのような行動で

 仲間と遊んだり、

・滑り台で、人間の子供のように滑り降りたり、

・くちばしでレールに小石を並べる行為も、電車が石をはじくのが面白くて

 始めた“遊び”といわれる。

 そのように無駄な行動を楽しむことをみても、彼らが知的動物であるといえる。

「無駄」なような行動も、「ラグビー行為は、オオタカなどの猛禽類に襲われた

場合に備えてのチームプレーの訓練」という見方もあるが、それを遊びに

することが、高度な知的行為である。

遊びのほかにも、驚くべき観察がされている。

取ってきた木の実を土に埋めて隠しても、その場所を正確に記憶している。

驚くべきことは「百箇所以上に埋めた場所と、それぞれの賞味期限も知って

いて丁度良い時期に掘り出して食べていた」という観察もある。

その瞬時に記憶する能力人間以上とさえいわれている。

イギリス動物学者のエメリーの研究によると、

一度隠した木の実を、別の場所に移し替えたので観察をしていたところ、

過去に自分が隠した木の実を盗られたカラスに見られたときだった、

というから人間並みの知能といえよう。ハイエナ自分の巣穴を覚られ

そうになった時に、子を違う巣穴に移すのに似ている。

他にも、銭箱から小銭を盗ってきて、鳩の餌を売っている自動販売機

その盗んだコインをくちばしで投入、餌を得たり、

また胡桃を空高くから落として割る行為もよく知られている。

街中で生きる内に知恵がついたのだろうが・・・

「羽の生えた類人猿」とは、言いえて妙である。逆のカラス立場から見れば、

人間は「羽の無いカラス」といえる。弱っている動物をみると、それだけで攻撃

する習性など、そっくりである。

  

 自然世界には、面白く不思議なことが満ちている。

ただ、見てないだけである。いや、見ても観えてないのだろう!

                    

                    \(^▽^*)バイ

2017-08-21 「死ぬまでは苦しまなくちゃ」の覚悟

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         ー 「世間の捨て方」ひろさちや著 ―

   *  死ぬまでは苦しまなくちゃ

 「身内の最期の悶絶を見て、早々の安楽死を望むが、それは現象の問題と

いうことを忘れているのかも」という問いが、内から浮かび上がってきた。

悶絶の末、「もう、いいや」という諦念へのプロセス最期最期にはと…

考えさせられる。還暦古希を過ぎた人には、その覚悟は出来ている?

≪ 森鴎外の次女の小堀杏奴が、こんなことを書いてました。

 鴎外の長女莉莉と次男不律が同時に百日咳にかかったときのことです。

生後半年の次男が死んで、長女も危篤になり高熱が出て、あまりに可哀そうで

見ていられないと言って、医者は「モルヒネを打ちましょうか」と提案をし、

安楽死をさせようとした。すると、医者であった鴎外は「自分もそう思う」と

同意し、奥さんも賛成、まさに注射を打とうとする時、奥さんの御父さんが

やってきて、その場面をみて、こう怒鳴ったという。

馬鹿もの!何をやってんだ。人間はそんなに苦しかって、死ぬまで苦しまな

ければいけないのだ」 その一言で長女の命が助かりました。

鴎外はお義父さんに完璧なまでにやられました。でも、「俺も医者として

言いたい」と思ったのでしょう。その数年後に、安楽死の問題を取扱った

高瀬舟』を書いてます。…≫

▼ ハッとする問題の提示である。私は常日頃から、<駄目だとしたら、

 早々に「モルヒネ」を打って安楽死をして欲しい>と家内に言っている。

子供のケースとは、前提が全く違う。しかし、「余命3ヶ月・半年」と宣言

され、死ぬまでの間、これまで生きてきたエネルギーを使って悶絶する?

のだろうが、鴎外の義父の言った「人間はどんなに苦したって、死ぬまでは

苦しまなければいけないのだ」の言葉が杖になる? 人生経験を味わった

老人なればこその言葉である。「どんなに苦しくとも生きろ」という人生

基本である。宗教心を持つ人間にとって当り前のことだが。神様に頂いた

命。苦しいときは苦しいまま生きるものだという真理を忘れて、どうしたら

楽になれるかを追求しがちなのが人間。しかし、「せっかく頂いた命を

面白おかしく生きる」のことも大事である。死んだ瞬間、元もと無かった

のと同じことになるのだから。

・・・・・・

5637, かわいい自分に旅させよ ー?

2016年08月21日(日)

            <『かわいい自分には旅させよ』浅田次郎著>

   * 芸術とは

 ここで著者は、芸術について簡潔に述べている。ツアーの行き帰りの

主要都市ロンドンパリ、フィレンチェ、マドリッド)にある、美術館

博物館で、世界的名画や美術品を見て周って、感動の蓄積が多く残っている。

それが自分を大きく変えていた。大自然の絶景の感動とは別に、美がその

まま表現された芸術作品同化しているうち、美への感動が、魂そのものを

高めてくれることを実感した。 芸術とは、本来、そういうものである。

≪ 美しいものを美しいままに表現することが芸術

 それを「言葉」でなそうというのが文学

さらに、それを「物語」という形式で表そうというものこそ、小説です。

理屈も何もいらない。そこに理屈を持ち込もうとしたから、芸術は退行した。

これは芸術の都に住むパリジャンの罪です。

 医学が肉体の病を癒すように、芸術は心の憂いを除くためのものであると、

僕は信じています。だからこそ芸術は尊い。

 芸術家がそうした本来の使命を忘れて芸術なるものを衒い始めたときから、

アニアックな、アカデミズムの一部に成り下がった。たとえば神が作り給う

た天然のように、誰がどう見ても理屈抜きに美しいものの存在を、僕らは

見失おうとしているのではないでしょうか。

 自然は美しい。もちろん、その自然中の人間の営みも、僕はそれらを

小説として表現するにあたり最も直截的な感情表現である「ユーモア」と

ペーソス」を用います。それが小説家としての僕の方法だと思うから。

 僕には夢があります。

バチカンで、ルーブルで、フィレンチェで、僕は奇跡を見ました。

ミケランジェロは明らかに、古代芸術家を超えた。文明の進化とともに

衰弱する芸術家宿命の中の、これは奇跡です。

 彼が一本の鑿で、一個の大理石の塊にうがち出した奇跡を、僕は一本の

筆で、一枚の紙に書き表したい。限りない感動を、かけがえのない美を。≫

 ▼ 美の中で、20歳前半の一瞬咲きほこった女性の美しさもナマモノ

  だからこその美しさがある。ただ、あまり話さない方が良いのが多いが。

 女性だけでない、動物の美しさもある。花の美しさもある。誰が、設計

したのだろうか。美はバランスというが、美そのものを感じ取る感覚

見る側に必要になる。これは質量を多くコナスことで磨かれ、高めることが

可能である。「人間は何のために生まれてきた?」の答えとは、

大自然と、人間がつくり出した創造物に触れ、感動するため、生まれて

きた!」である。心の憂いで覆われ濁った、「今、ここ、私」の目の汚れを

取り除くため芸術がある。セッカク貰った命、もっともっと、味わなくては!

・・・・・・

5272,「エリック・ホッファー自伝」〜? 『希望より勇気を』

2015年08月21日(金)

            「エリック・ホッファー自伝」中本義彦訳

   * ホッファーが生きた時代背景と、弱者

 ホッファーは、自分の生きた時代背景と、そこに適応出来ない人々の

精神状態が、いかなるものか?を、自身をそこに置くことで詳細に観察した。

当時は、現在の断絶の時代酷似しているようだ。情報機器を使いこなせない

中高年たちは、情報段差に呆然とするしかない。それでも、タブレット

スマホの普及がフォローをしてはいるが。物理的な金銭に加え、現在は

情報格差の問題が加わっている。  

≪ ホッファーが分析の対象としたのは、何よりも同時代の「気質」であり、

 そこに生きる人々の「精神状態」であった。近代人は、長きにわたって拘束

された神から逃れ、ようやく自由を手に入れたものの、今度は、

「かれ自身の魂の救済を、しかも四六時中、行なわねばならなくなった」。

自らに対して、そして社会に対して、自らの価値を日々証明し、自らの存在

理由づけなければならなくなった。 これは容易ではないし、絶え間なく変化

する社会に生きる一個の人間にとっては途轍もない重荷である。

われわれは、往々にして、自分自身に満足できず、「自己自身と異なったもの」

になりたいと熱望する。そして、「真に欲していて、それを持つことができない

ものの代用品」を追求して多忙をきわめる。好ましからざる自己から自分

引ぎ離し、文字通り「心を亡くそう」と試みる。かくて、「人生のあらゆる

部門熱狂の噴出がある」のであり、「社会組織そのものが、一般に、心の病

に冒されやすい、すぐ燃えやすい体質になってしまった」とホッファーは洞察

本書に鮮やかに描かれているように、この簡潔で力強い分析の源泉は、

彼自身の浮浪者としての原初的生活の中にあった。

「金がつきたらまた仕事に戻らなければならない」生活自殺未遂をするほど

うんざりしながらも、それを克服して「旅としての人生」を生き抜いていく

ホッファー、その彼は、季節労働者キャンプでのささいな出来事から、

自分も他ならぬその一員の「社会に適応しえぬ者たち」に興味を抱き始める。

そして、彼ら固有の自己嫌悪が放出する「生存競争よりもはるかに強い

エネルギー」こそが、人間運命を形作るうえで支配的な役割を果たしている

のであり、「弱者が生き残るだけでなく、時として強者に勝利する」ことが、

人間独自性であるという洞察に到達するのである。

 ここで本書の歴史的な背景に少し目を転じてみると、ホッファーは

路上にあった1930年カリフォルニアには、浮浪者がかなりたくさんいた。

F・L・アレンの『ジンス・イエズタディ』(1939年)が記している、その原因

のひとつは、テキサス州からカナダ国境から大平原地帯で起きた異常気象

1933年から二年余りにもわたって無数の嵐が起こり、過度の放牧で荒廃した

広大な地域で大量の砂が吹き上げられた。大恐慌ですでに苦境にあった。

この「黒い大吹雪」と大洪水によって、決定的な打撃を受ける。

 農業崩壊は、町を衰退させ、住民は、「約束の地」西部へと逃れる。

そして、ホッファーと同年生まれのスタインベックが『怒りのぶどう

(1939年)で鮮烈に描いたあの苦難を経験したのである。

「普通の安定した地位に留まることができず、社会の下水路へ押し流された人々」、

「居心地のよい家を捨てて荒野に向かった者たち」こうした人々の内面に欝屈する

「こんなはずではない」という不満と「別の人間になりたい」という変身願望を、

ホッファーは折に触れて感じていたのかもしれない。そして、自分内面

厳しく見つめ、自分存在する歴史的世界認識することによってこそ、

あの近代人の「情熱的な精神状態」を見抜くことができたのであろう。

 人間の抱く"情熱"の現実を見ようとしたホッファーは、常にその両面性を

指摘した思索者でもあった。われわれは、まずもって、情熱的な精神

創造の新秩序の発生」として見なければならない。情熱のない人間など、

その独自性放棄した存在に等しい。しかし、同時に、それが「退行化」

そして死をも辞さない狂信になることに絶えず警戒を怠ってはならない。

 この世の悪を絶滅しようとする宗教的民族的イデオロギー的な熱狂

罠に陥ってはならない。そもそも「山を動かす技術があるところでは、

山を動かす信仰は要らない」のである。

 情熱を飼いならし、加工し、創造的なカへと変容させること ーそれは、

きわめて困難な作業である。「抵抗しがたい渇望」は突然襲ってくるもの。

 しかし、われわれは、「希望」より「勇気」をもって、それをやり抜かねば

ならないのだとホッファーは訴える。自己欺隔なくして希望はないが、勇気は

理性的で、あるがままにものを見る。希望は損なわれやすいが、勇気の寿命

長い。希望に胸を膨らませて困難なことにとりかかるのはたやすいが、それを

やり遂げるには勇気がいる。闘いに勝ち、大陸を耕し、国を建設するには、

勇気が必要だ。絶望的な状況を勇気によって克服するとき、人間は最高の

存在になるのである。≫

▼ 考えさせられる内容である。時代に合わせ、自分を変えてるリスクと勇気

 こそが激動の世に求められる。それは常に不安定が伴うが、それを観察し、

楽しめる精神の強さが求められる。現在は、「情報革命による断絶の時代」。

『勇気』こそが、時代を切開くキーワード人生創造していく勇気!である。

・・・・・・

4907,ホントに大事お金の話 −5

2014年08月21日(木)

  * 真のお金持ちは紙袋を持つ

 元ネタは、プレジデントオンライン2010年8月頃の記事

              『なぜお金持ちは紙袋を持つのか?』

  ー面白いと思った部分の要約をするとー

◎ お金持ちはなぜ紙袋を好むのか? 彼らは紙袋で移動してもOKだからだ。

 運転手付きの車、タクシー移動とドアtoドアで雨にも濡れない。

 だから紙袋でも平気。必要なくなれば折りたたむことも、処分することも

 できる紙袋が、一番使い勝手がいい。

◎「海外ではいい時計や靴がセレブの証だ」というが、本当のお金持ちに

 とって、それも無意味。なぜなら予約の際すでに彼らの身分は割れている。

 お金持ちは決して粗雑に扱われないルートで予約するし、定宿は決まっている。

 一流ホテルとなれば、常連顧客の顔を覚えていないわけがない。安い時計

 スーパーで買ったシャツでも、彼が歓待されるのはそういうわけがある。

◎ ブランドショップにもいない。ものを買うなら知り合いから少しでも

 安いものを買うのが基本。

◎ さらにお金持ちは「ブラックカード」や「プラチナカード」も持たない。

「ゴールド」ですら必要ない。「年会費がバカ高くてもったいない、普通の

 カードで十分」。必要な局面ではコネがあるので優遇されるし、不必要な

 場所で自分お金持ちであることを、ことさら触れまわるのはリスクが大きい。

◎ また彼らは絶対に見栄を張らない。元もと、「お金持ち」であることを人に

 知らせる必要がない。ランチは1円まで割り勘。でも慈善事業に多額の寄付

 している。使い切れないお金を持てる人は、それに振りまわされない独自の

 価値観をしっかり持っている。見栄を張ると無駄な出費も多くなります。

 本当のお金持ちは絶対に見栄を張らない

▼ ここで著者がいう本当の金持ちは、上の上の人たち。百億以上の資産

持つ人たち。上の中といえば、純資産が10億以上。上の下が1〜2億。 

上の下から上の中ギリギリが、その嫌らしさが現れ出てくる。知識同様、

その辺りの「似非」が金持ちを演じたがる!金持ちのラインは10億の現金か、

純資産である。 47年前の学生時代に、一ヶ月間の大名旅行をした時、

ここでいう大金持ち?の子弟が多くいた。 身なりからして違う人種。しかし

お金には、非常に敏感で細かい。何気ないオシャレでブランド品をさり気なく

着こなしていた。見栄を張るのは一部の人たちのみで、開放的でフレンドリー

漂う空気からして、それまでの友人とは違っていた。周囲の思惑など気にしない

で、紙袋などを平気で、何処にでも持って行く。その紙袋が実にセンスが良いが。

こういう存在を身近で見る初めての機会だった。 当時、その段差を、さほど

意識はしなかったが、現在、考えると、上記の通り。

時おり海外ツアーで、それらしき人を見かけるが、まずユニクロを着ている

ことを隠さない。アンダーとして割切っている。元もと隠す必要がない。

ブランド品を着ること自体自分センスに自信がないため、ブランドで、

それを覆い隠すしかない。 TVドラマで、セレブ世界のドロドロした社会が

出てくるが、その世界を知らない人が演出したものとしか思えない。実際は、

あんなものではない。それぞれ独自の価値観を持って振り回されない人が殆ど。

この一連の経験から見えたのは、それぞれ独自の価値観の質の格差。 

その視点の質は、隠せないようだ。 

・・・・・・

4540, 「ひとり」には、覚悟から生まれた強さがある ー2

2013年08月21日(水)

  * TVが比較地獄をつくった  「ひとり達人のススメ」山折哲雄

 まずは、ひとりになれない人たち、B層の人たちの比較地獄の話。 

自分の頭で考えることが出来ず、マスコミに流されていること自体、気づかない

人たち。ファッション、化粧、車、スマートフォンなどメーカー比較戦略

術中に嵌ってしまう。人間の性としてのコンプレックスこそが狙い目で刺激する。

ファッションプロと称するオカマが、街頭で女性に声をかけ、服装のセンス

チェックするお笑いコーナーとか、健康チェック、英会話など番組が続く。

そのTVの弊害の結果、「ひとり」になれない比較、嫉妬地獄の罪人のような

群衆のひとりにされている。 ーその辺りを、抜粋するー

《 戦後の変化といえぽ、テレビ文化の波及もひとつ。家庭の娯楽の主役が

ラジオからテレビへと移り変わり、映像が強大な影響力を持つようになりました。

テレビというのは視覚を重規したメディアです。そして、現代人は視覚

重要視し、視覚に振りまわされるようになった。もちろん、人は基本的に、

朝起さてから夜寝るまで、目を開けています。たえず視覚を使い眼前にある

何ものかを見て、さまざま判断をしている。もし、ひとりが嫌いで、常に誰かと

一緒にいるとすると、どういうことが起きるのか。視覚人間比較に誘います。

この人は(自分より)いい服を着ている、あの人は(自分より)容姿が整っている… 

 視覚で判断すると、要望や才能、環境などの違いが歴然とします。そのことに

耐えられない人が多いはず。人間は平等、平等と教えられてきたにもかかわらず、

現実を見ると、何から何まで違う。だからひとりになれない人間、結局は比較

地獄に陥る。たえず他人と自分を比鮫せずにはいられない。比鮫して、自分

劣っていても、現実はどうすることもでません。すると恨みがつのって、

「嫉妬地獄」に移行してしまいます。さらに批難や中傷、陰口の井戸端会議で、

自分より優れていると判断した人を引きずり下ろそうとする。このような、

群れの関係がしばしば陥りがちな「嫉妬地献」から身を守るためにも、

ひとりの時間は大切だと思うのです。  》

▼ 私が地元に帰ってきて、まず決めたことは、学校関係以外の人間関係

 最小にすること。商業界とか、ライオンズとか銀行主催する「何何会」

とかは、まさに比較地獄世界。町内、寺の檀家衆、商店会とかには「ひとり」

になれないB層がC層を中心にした輪があって、住みやすい絆がある。

そう、NHK連続TV小説コメディ東北の、あの街の人たち。実態は、

あれは地獄針のむしろに座っているようなもの。都会人が思い抱いた地方の

理想郷妄想である。地方経済は疲労困憊の結果、若者は都会に出ていくしか

なくなっている。絆は、一人一人が確立されて出来るもの。その逆の弊害を

TVが数十年かけて作り上げてしまった。それから逃れるためには、

ライフワークを持つしかない! それがA層とB層の境目の目安である。

それさえ持っていれば、比較とか嫉妬に陥ることが少なく済む。TVも、

シネマも、ネット、面白くなっている。これでは、比較材料の垂れ流しで

「ひとり」になれない人たちの嫉妬地獄修羅場が、ますます拡大していく! 

和して同ぜず」なら良いが、「同じて、和せず」になる。アウトサイダーは、

「和せず同ぜず」になるが、インサイダーとして、何処かの高校の校是に

和して同ぜず」があるが、「ひとり」が鍵になる。

2017-08-20 「自己実現」と「自我実現」

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   * 「自己実現」と「自我実現」の違い

 自己実現を果たすべく生きてきたが、「自我実現」でしかなかったのか?

そういえば私も、40代後半から、事業面だけでなく、私的ライフワークに、

シフトを大きく変えていた。

  〜ネットに、理解し易い内容があった〜

≪・『「自己実現」は、スイス心理学者であるユングが考えたもので、

 彼は人生の前半は「自我実現」を目指し、後半に「自己実現」に取り組むのだ』

 と言いました。

 私がみなさんの相談にのっている感覚だと、30歳台〜40歳台頃に、この

自我実現」から「自己実現」へのコーナーを曲がる人が多いなと感じます。

 自我実現から、無意識と共に歩む「自己実現」に入ってきている人はたくさん

 いるはずです。

  ☆<その人生の前半に目指す「自我実現」と、

    人生の中盤から目指していく「自己実現」の違いは何でしょうか?>

 =ユングいわく「自我実現」とは、「社会的に評価されるようなこと」

  分かりやすく言うと、

【やると決めて、それができた!→みんながすごいと言ってくれたり、

 自分も達成感がある→自分を褒められる、認められる】

 そんな感じが、自我実現モード。

意識的理性的に予想していた(意図していた)成功や実現を得ていく」とか

「(目に見える形で)何かできたら、自分を認められる」というのは、自我実現

 的といえます。

=それに対し「自己」とは、意識だけでなく、無意識も含んだものを意味します。

 ですから、「自己実現」というのは、 潜在意識無意識という訳のわから

 ない要素が突入してきますので、思い通りにいかないことも増えます。

☆ <え?自己実現って、やりたいことを実現することではないの?>と思うかも

 しれませんが(それが普通の反応かもしれません)

 人生中盤以降で取り組む、ユングのいう「無意識と共に歩む自己実現」とは、

【どうなるかを決めて、その通りに実現させてナンボ】(自我ワールド)から

【どうなるかわからない世界も、自分の中に取り込んで統合していく】

 (自己ワールド)という世界になってくるという意味があります。

・でも・・・いままで、どうするか決めて、結果を出したら自分を認めてきた、

 コントロール好きの「自我」にとって、どうなるか分からず、訳も分からず、

 成果が見えないというのは、コントロール不可能ですから、ストレスフルで、

 怖いものです。そうなると、自我にとって、自己は脅威になり、必ず、自我

 抵抗します。

「わけのわからない事とか、どうなるかわからない世界を取り込むなんて、

 振り回されるし嫌!」

「そんなの不安で耐えられない」

「成果が見えなかったら、どうやって自分を評価するの?」

「成果がなければ、誰も認めてくれないんじゃないの」

このような思考の自分は、ヤング自我実現モード。 …  ≫

▼ 何気なく使っている、「自我」「自己」も、無意識が含まれるかどうかで、

 分かれてくるという。「自己ワールド」と、「自我ワールド」の境目を明確

にしておかないと、自己分裂に陥ることになる。そう、「他者の自我」に、

「自分の自己」が、押しつぶされる「群れの自己」いや「群れの中の自我」に

陥ることになる。それが「世間」という群れの正体、「劣化した自我ワールド」

の立派な一員の姿である。

オバマ前米国大統領と、トランプを、例えてみると、「劣化した自我ワールド」

は、明らかに? 腐った裸の王様シャッポを被ったアメリカの混乱、天罰と

言えば、それまでだが… 面白いことも確かである。

・・・・・・

5636,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー最悪の想定

2016年08月20日(土)

   * 最悪の想定

 新しい分野へ一歩踏みこむ場合、そこに不安と、苛立ちが立ちふさがる。

不安状態から、行動にうつるためにはどのようなステップを踏めばよいか。

カーネギーの『道は開ける』では、非常に簡潔な下記の3つのステップ

紹介している。

一、「起こりうる最悪の事態とは何か」と自問すること。

二、やむをえない場合には、最悪の事態を受け入れる覚悟をすること。

三、それから落ち着いて最悪状態を好転させるよう努力すること。

道は開ける』 〜悩みを解決するための魔術的公式 P.53〜

この道理を、学生時代に読んでいたお陰で、どれくらい難関で、助け

られたことか。特に、最悪を想定し、そこから、計画を設定していく。

創業では、事業失敗からくる自己崩壊の回避である。

 賭け事で、一番確率が良いのが『創業』という。それでも5〜6%の確率。

失敗の94〜95%の想定をして事前に手を打っておかなければ、踏み出せない。

事業整理を、まだ止めときでない時節に、決断を出来たのは、創業計画段階で、

最悪の想定をしていたため。そこが出発点のベースになる。その辺りを「畜群」

には知りようがない。長年かけた人生設計、事業設計など分かりはしない。

 事業の失敗を想定して

・息子も含めて、親戚縁者は会社に入れない

・15%は家内名義の給与を与え、別通帳にしておく

 当然、連帯保証に妻子はしない

・当月の20日締め、月末払い(実質的現金払い)を守る

・手形決済は、問題外

・合法的裏金を長年かけて準備する。例として(会社が私に掛けた生命保険

 掛金7〜8割が、契約解除と同時に戻ってくる契約で、その期ごとの経費で

 落ちて、その存在は、帳簿上から消える。しかし現在は禁止されている。)

(妻子への無税相続の贈与)などなど。これも長年かけなければ効果は少ない。

 だからこそ、畜群の視線の幼稚さが浮上がって見えてくる。まさかの最悪が

 起るのは事業であり、人生である。 当然、畜群に、その後、次々と酷い最悪

 が襲っているが、本人は、そのことに気づかないから始末が悪い。

『それにしても、まさか自分がネ!』は、同世代なら、全て人の問題である。

・・・・・・

5271,閑話小題 〜天津の大爆発 

2015年08月20日(木)

   * 天津の大爆発 

 〜まずは、この事件のニュースの一部から

【 爆発現場の空気中から高濃度の有毒な神経ガスが検出されていたと伝え

 爆発現場の倉庫には700トンのシアンナトリウムや、800トンの硝酸

アンモニウムなど、 40種類以上の危険化学物質計3千トンが保管されていた。

中央テレビによれば、専門家は「こうした物質が水と混ざったり、アルカリ

したりして神経ガスができるほか、 爆発の過程で化学反応を起こし、有毒性の

ガスが生じる」と 指摘した。 中央テレビでは「神経ガスを吸い込めば呼吸器

系統や心臓などが突然停止し、死亡に至る可能性がある」と紹介した。】

 テロではないと思うが、どうだろう。数百人が爆死をしたと思われるが、

実際の死者数は表立てないだろう。 もし危険物質の存在と、ずさんな管理の

隙をテロリストに狙われたなら、ことは深刻。この事故、中国政府にとって、

株価暴落、二度の人民元の引下げ直後であり、あまりにタイミングが悪い。

 ネット上の、この事件による影響についてのコメント

≪ 世界第四位の港、天津大爆発はタイミングが悪かった。

 輸出依存型経済モデルから内需主導の経済への戦略的転換点で、

この大事件が起こり、日本企業を巻き込み、サプライチェーンが破断された。

ときあたかも、目指す内需は不動産不況の余波で盛り上がらない。

大都市では不動産価格の上昇も見られるが、全体で見れば、まだ住宅過剰在庫

を持て余している。新規住宅建設が低調なので、そこで使用される素材である

鉄やセメントなどの需要も急減している。そうなると負の連鎖で、鉄やセメント

工場設備投資は増えない。更に、新たな経済を主導する産業セクターとして

期待されている医療教育、観光、情報産業などへの移行も遅々として進まない。

現状を放置すれば、世界的経済減速で旧経済モデルの輸出も盛り上がらず、かと

いって新経済モデルの産業も伸び悩む、経済構造変換の端境期にあるわけだ。

そこに天津大爆発の追い打ち。 既に、習政権は、人民元切り下げという

伝家の宝刀」を抜き、力づくで、中国製品の国際競争力を高め、他国の輸出

を奪う戦略に出ていた。今回の急激な人民元切下げは終息したようだが、また、

近い将来、その第二ラウンドが起こるだろう。通貨安競争は終わってない。≫

▼ この爆発は、世界第四位の港の保管庫で起こった事件。毒ガス化学兵器

 の保管庫?というのは明らか。あの穴の大きさからみて、ただならぬ爆発

だったことが分かる。共産党内部の権力闘争の真只中で起こった化学兵器倉庫内

の大爆発、単純な火災爆発でないと見るべきである。何か変だが、それを

隠すため、矛先が海洋への領土侵略に、より強く向かう可能性が高くなる?

・・・・・・

4906,世界の美しさをひとつでも多く見つけたい ー1

2014年08月20日(水)

     『世界の美しいさを一つでも多く見つけたい』石井光太

  * 小さな神様見つけ方  〜� 幻のプロ歌手への夢  

 前回取り上げたー『レンタルチャイルド』の著者、石井光太の最近の著書を

図書館から借りてきた。『世界の美しいさを一つでも多く見つけたい』である。 

その中にあった‘小さな神様の発見’が良い。

 まず、インドネシアのストリートチルドレンの「小さな神様」の話である。

≪ストリートチルドレンたちは常に飢餓伝染病の危険に瀕していますが、

 決して意気消沈しているわけでない。街角で友達と追いかけっこをしたり、

肩を組んで流行の歌をうたったりしています。私はそんな姿を見て、彼らの

精神力根本には何があるのかと不思議に思っていました。ある日、私は理由を

知ることになります。何人かの子供たちと話をしていたら、共通する逸話がある

ことに気づいたのです。それは彼らの希望ともいうべき話。次のようなものです。

 『この国は貧しいから、ストリートチルドレンとして育った子供は多いだろ。

だけど、歌さえうまくなればお金持ちになって楽しい暮らしができるようになる

んだ。昔、この町のストリートチルドレンに毎日歌をうたって上手になった人が

いた。彼は路上で歌をうたって施しを求めていたところ、音楽プロデューサー

スカウトされてプロの歌手に。瞬く間に有名になり大金持ちになった。

僕もそうなるんだ。毎日路上でうたいつづけているのは、これが僕にとって成功

する方法だからだ。僕は先ぱいのようにプロ歌手になって大金持ちになるんだ』 

 似たようなことを多くのストリートチルドレンが喜々として語っていました。

彼らによれば、ストリートチルドレン上がりの歌手は何人もいるそうです。

ストリートチルドレンにとってこういう歌手目標になっている。

彼らは学校教育を受けていないため大きくなってもまともな仕事に就けることは

ほとんどありません。だからこそ、プロの歌手になることを目指して毎日歌を

うたいつづけている。私は何人もの子供たちからこの話を聞くにつれ、

「プロの歌手」というのが誰だか気になりました。 ある日、レコード販売店

を訪れ、その歌について尋ねてみたら、店長はきっぱりと、

『そんな歌手はいないよ。ストリートチルドレンたちの妄想だろ。路上で育った

子供社会的な常識もなければ、麻薬で体はボロボロになってしまっている。』≫

▼ チャップリンが似た状況から、歴史的喜劇役者になった事例がある。

 しかし、そこは欧州の話。インドネシアでは不可能だろう。その中で、

小さな神様という共同幻想をつくり、信じることも必要だろう。

ムンバイギャングに売られたり浚われた子供たちは、その中で、マフィア

慕っている。彼らは、やさしくしてくれるからである。そして、それぞれが、

それぞれの「小さな神様」を見出している。 ところで私の小さな神様は何だろう。

ありきたりだが、私は両親。 母親が常日頃の口癖、

『私には、幼い頃に亡くなった父親の背後霊がいて、子供の頃から私を守って

いてくれていた!』 幸せな人と思っていたが、68年の人生を振り返ると、

極限になると両親から受継いだ体質が自分を守っていた。 

ただ末っ子のファザコンマザコンでしかないが・・ 有難いことである!

・・・・・・

4539, 閑話小題 ー新富裕層の出現と移住

2013年08月20日(火)

 一昨夜のNHKスペシャルで、日本アメリカなど新富裕層節税のため税率の

低い国への移住する人々を取り上げていた。株式の利益に対しては税金ゼロ。

所得税も、日本の4割未満とか。 ーNHK・HPの番組内容の説明によるとー 

《 世界中で巨額の資産をもつ新富裕層が増えている。経済のグローバル化

 金融の高度化により、短期間で富を築くことができるようになったためだ。

こうした新富裕層を自国に移住させ経済を活性化させようという国も増えている。 

所得や金融取引にかかる税金を安くすることで、やり手の起業家を呼び込む。

日本人新富裕層が向かうのが、シンガポール新富裕層の実態や各国の思惑を

取材し、世界経済に与える影響を探っていく。》とある。〜ネット検索によると

《 調査会社キャップジェミニロイヤルバンク・オブ・カナダが共同で

 調査した。 富裕層は、居住用不動産を除く金融資産を100万ドル(約9700万円)

以上持つ人と定義した。国別では米国が前年比12%増の343万人と圧倒的な首位を

キープした。米国のS&P500種 株価指数は昨年、13%上昇。米住宅市場の回復

もあり、富裕層の持つ資産がかさ上げされた。 米国では富裕層金融資産のうち

4割弱を株式が占める。リスク資産への投資比率が高いことが伸びに寄与した。

2位は同4%増の190万人となった日本。3位のドイツ(101万人)を含め、

上位3カ国で 世界の5割強を占めている。アジアでは中国(64万人)と韓国

(16万人)がそれぞれ14%、11%伸びた。 一方で、低迷 したのが中南米

景気の鈍化が深刻なブラジルは16万人と前年のほぼ横ばいにとどまった。

富裕層人口世界に1090万人存在し、その保有資産も約42兆7000億米ドル

(同9.7%増)と増加中。・・・ 》とあった。

▼ NHKのレポートで、シンガポールで「フェラーリを持っているのが参加資格

 のクラブ」の一人の日本人を取り上げていた。殆どが真っ赤なフェラーリ

スポーツシャツも同色で10数人が集っていた。可愛いいが、そこには金の情報

が集まる。国籍シンガポールなど税金の安い国に移すのは、財政危機の日本

では、自然の流れ。「富裕層=ミリオネア」(金融資産1億以上)の中に、

金融資産10億円を超す「超富裕層=ビリオネア」が存在、ビリオネアは日本

2万6千人存在している。  現在のところ表立った株式や国債の暴落は無いが、

ある日、何かの切っ掛けで爆発するのは時間の問題。私が審査基準の5億?以上

金融資産があれば、シンガポール辺りに。

・・・・・・・・

4164, 老年行動学 ー2

2012年08月20日(月)           

 * 自伝記憶       

     「ご老人は謎だらけ 老年行動学が解き明かす 」佐藤 眞一(著)

 最近、思い出す頻度が高いのは20〜25歳の頃のことが多い。当時の日記

残っているためと思っていたが、その年頃は強い感情が満ち、自由未来への

旅たちの時節。少しの決断が、人生を大きく左右に分けてしまい後悔も大きい。

多くの自伝記憶は、この頃がピークになる。あの極度の緊迫感のあった日々は

過酷だが懐かしさが残る。  ー次の部分は、理解しやすいー

≪ 日常のできごとの記憶である「エピソード記憶」のうち、自分の人生

 関する「自伝記憶」だけは、20代をピークに、10歳後半から30代前半まで

青春時代のできごとを、たくさん思い出すのです。なぜか青春時代よりも

今に近い、30代後半以降のことは、青春時代ほどには思い出しません。

この、青春時代記憶を突出してたくさん思い出す現象を、

「レミニッセンスバンプ」と呼びます。レミニッセンスバンプは、老人に

限ったことではありません。中年以降の人ならば、誰にでも起こります。 

では、いったいなぜ、青春時代記憶だけが突出しているのでしょうか? 

その理由の一つは、「強い感情を伴うできごとは、記憶しやすく思い出しやすい」

という、記憶の特徴が挙げられます。10代後半から30代前半にかけては、進学

したり就職したり、親元を離れたり、友と出会って友情を育んだり、けんかを

したり、恋愛をしたり結婚をしたりと、強い感情を伴うできごとが多くあります。

そのため、それらのできごとが、ことごとく心にしっかりと刻み込まれるのです。

また、親の監視下から離れ、なおかつ重要な仕事を任されることも、養うべき

家族もないといった、社会的責任のない青春時代は、人生いちばん自由かつ

可能性に満ちたた時代です。親や地域の抑圧から解放され、社会からの抑圧は

まだない。ほんのひととき。その、今は失ってしまった自由と可能性に満ちた

時代に、人はノスタルジアという感情を喚起され、好んで思い出すのです。≫

▼ 自伝記憶は、その時どきで再編成される。あらゆる可能性に満ちた青春

時代は、老いるほど懐かしいものとなる。俗世の縛りから解放され、そこはか

となく楽しい気分でいられる時間がある老人は、楽しいことを思い出しやすい。

人間は楽しい気分の時は楽しいことを、悲しい気分の時は悲しいことを思い出す

傾向にあるためである。人生のピークは、青春の真っ只中にあるため、その辺

記憶が鮮明に戻ってくる。 老年は、自分の人生という物語記憶校正

している。過去の日々を思い出し、「日々是好日」というより、過去の

「日々是口実」を都合良くすることになる。自伝記憶の再構成である。

 ・・・・・・・

3799, タブレットパソコン

2011年08月20日(土)

 そろそろタブレットパソコンを、と思っていた矢先に、この一連の騒動。 

ここで、少し落ち着いたので、家電メーカータブレットPCのコーナーに行って

驚いた。それより隣のモバイル携帯電話コーナーに驚いた。その内容は今度に

して、タブレット、ここで買うと二年間は縛られてしまうので慎重になる。  

売り場で感じたことは

ソニーアマゾン読書用専用の機種か、

ドコモの多機能のものか、

・MacのiPadか、

・家のパソコン無線ランをつけ、電波を飛ばして、

 家庭内の第二の携帯パソコンとして割り切ったものに、大方分類される。

その中で、どれを選ぶかである。 私の知人のように、両方選ぶというのも

あるが・・ 年金生活者として殆ど家にいる身として別に買わない選択もある。 

電話機能付かどうかは機種によるが、モバイル携帯が大きくなっただけ。

メーカーが数年後の主力商品を目指し機能の競争が始ったため、少しでも

後の方が良いものが出てくるはず。しかしデジタリアンとして、ここで我慢

するのも辛い。外的世界から、内的世界気持ちの重心を移動したので焦る

必要もない。ところで最近、モバイル携帯電話タブレット式PC用の直感的な

ブログが出始めてきた。写真と、映像が直感的に表現でき、かつ見やすく面白い。 

数年後には、これにデジタルTVかパソコンに連動するのだろう。 

 最近、目にする丸めることが可能なシート式モニターモバイル携帯を連動

するものが出てくるはず。こと、デジタル機器に関しては、想像を遥かにこえた

ものが次々と出てくることになる。手段=道具の方が、人間の進化を超えて

きている現実は、プラスにもマイナスにもなる。ますます、面白、怖い時代に

なっていく。とにかく、モバイル売り場へ遊びにいってみたら、今と未来

一部が垣間見れるはず。ランニングコストは、モバイル携帯が6千円、

タブレットが7千円。その中間的大きさの商品が初期投資0円になっていた。

その境目の基準が、大きさだけだと! 今日、明日、他の家電メーカーの店頭で、

説明を聞きにいくつもりだが、今のところ、あと数ヶ月は待つ方になるのでは? 

 ところで一年前に買いかえた多機能TV、面白過ぎてバカが増している。 

今さらか・・・

・・・・・・・

3434, 再び、死について考えてみる ー2

2010年08月20日(金)

 * 死に際の恐ろしさ

 家内が、近所に住む友人の通夜で聞いてきた話。肺が溶けていく病気

肺結核)、息の出来ない苦しさと痛みの果てに、最後には「オトウサン、

助けて!」と叫んでいたという。断末魔の苦しみは、近親者に一番辛いもの。

同級生の葬式で、衰弱しきった遺体を見て驚いたばかり。死に際の苦痛は避ける

ことが出来ないのだろうか。最後は独りで苦悩と苦痛の中で死を向かえると

思うと、何ともやりきれない。といって考えても考えなくとも結果は同じ。

なら考えない方がよい。年寄りは、そういう事例を多く見聞きしているから

「ぴんぴん・ころり」と死にたいと、願うのである。死を悲劇と考えるか、

生の成就と考えるかは難しい。最近、亡くなった友人の大部分は、苦痛と苦悩の

果てに亡くなっていった? 最期は、リンゲル(麻薬)の濃度を高め、苦痛を

緩和し、その果てに死を早めるしかない。そこではリンゲルによる極楽と、

肉体の苦痛の地獄が混濁する。父親も、手術後の数日間は苦痛の極みにあり、

「あんなに苦しむなら、手術などしなければ良かった!」と死ぬ数ヶ月前に

言っていた。 手術の一年後に亡くなったが、最期は病室で独りで頭を掻き

毟っている姿をみた。「死んでいいから、どんどんリンゲルを打ってくれ」と、

延命より、安楽死を望んだ。また、私の4番目の姉の旦那が亡くなった時の、

断末魔の苦しみの状況も、姉からリアルに聞いた。最期は苦痛で暴れるのを、

何人かで抑えて・・ 亡くなった。 数年に一度は、訳のわからない新聞記者

とか、検察が、断末魔の苦しみの末に、強いリンゲルとか何かで死期を早めた

のを聞き込んで、逮捕刑事告発をするケースがある。ガンだけではないが

死に際には苦しむ患者の息を止めてやるのが、医師の役割。誰が苦痛の際で

生きているより、早く解放された方が良いのは当たり前のこと。

死は誰にも平等に、思わぬ苦痛を伴いやってくる。人生は生きているうち!

美味い酒を飲んで、好きなことをして、後悔の残さないように生き、そして

最期は、のたうちまわって死ぬしかない。上手く死ぬのも芸のうち、など

言っていられない。ホテルバスにナミナミと水を張り、睡眠薬をタップリ

飲み、美味い日本酒を一升も飲めば楽に逝けそうだが。  

まだまだあるが、こういうジョークは止めておこう。