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2008-02-09 2503, 閑話小題
■[読書日記・映画感想] 
「体験と偏見による養生の実技100」の例が、主観的だが面白い。
その中で6項目を書き出し、考えてみた。
13、中心は辺境に支えられる。心臓や脳を気遣うなら、手足の末端を大切に。
指先、掌、足裏など。
解)フランスの、あの「成り上がり大統領」に聞かせてやりたいものだ。
35、人生50年というのは正しい。それ以降はオマケと考えて感謝の日々を送る。
朝、目が覚めたときには、胸の上で手を合わせて、
「きょう一日の命を、ありがとうございます」と言う。
眠りにつく前には、同じく「きょう一日の命を、ありがとうございました」と言う。
解)もともと、おまけと考えればよい。 死を悟ったときに気づくことだが。
50、仏教では「われありて、かれあり」という。
笑うことは心身によいが、泣くことも同じ。
涙は魂を浄化する。
解)泣き笑いか、人生は!
73、人は過去を清算できない。それを背負って生きる。
手術をして治ったということは、元に復したということではない。
解)ただし、管理はできる!
90、こんな時代に毎日、明るく爽やかに生きていける人は、病気である。
解)明るいふりでも、した方がよいのが人間の心じゃないですか!
著者が言っているように他人に効果があるものが必ず自分にも効果が出るとは限らない。
自然体で生きるべきということ。しかし、その自然体というのが難しいのである。
いずれにしても、生まれてきただけで、生きているだけで良いじゃないですか。
それが解ってないから苦労するんじゃないですか、人間は!
・・・・・・・・・
■[読書日記・映画感想] 
2007年02月09日(金)
2138, 中年の心象風景
オッ(*^○^*) ハ〜ヨウサン!
−読書日記
この本の中に、中年期の心象風景を見事に書き出した文章を見つけた。
よくぞこれだけ巧く表現できるのか感心する。
中年期も終わり、そろそろ熟年ー初老期に入りかけてきて、
人生を振り返ることが多くなってきた。
今まで振り返らないように意識的に前向きに生きてきたが、
最近は、「ここまで来れば、振り返るのもよし、一日一日を一期一会として生き、
日々・現在を充実するもよし」の心境になりかけている。
私は(いや誰もが?)現在でも、この心象風景はつづいている。
いずれにしても、夢と現実の段差と隔離を心の中に抱えて日々を、
ただ精一杯生きるしかない、色で例えれば紫色かダークブルーの時期である。
青年期に抱いたあるべき理想の自分とはかけ離れた自分を、
青年期の残像としての自分が見つめる屈折した時期である。
(大部分がと!あえて言っておこう)
まずは、その一文を書き写してみよう!
−−
青春が夢みる時代であるとすれば、つづく中年は夢の実現の時代ではない。
わたしたちのほとんどにとってそれは、夢の不可能を知り、夢という言葉さえ
忘れて生きる苛酷な時代である。
夢みることが、「現状の否定」に発するとすれば、その不可能の自覚は
屈折した「現状の肯定」になりざるを得ない。
楽天的な「現状肯定」ではなく、「現状の否定」が不可能であることを知った者の
「現状の肯定」になるからだ。
しかし、このときわたしたちは、はじめて「現状」というものと直面している、
といってよいだろう。
それは否定しようもなく、わたしたち個々人の思いを越えて、たしかにここにある。
現状のおもさをうけとめたとき、わたしたちはようやく性急さから解放される。
現状とむきあい、性急な夢に逃避することなく、ねばりつよく生きることを
選ぶしかないのである。
そして、性急な夢から解放されたとき、わたしたちは、ねばりつよく生きることに
見合う、ながく、しずかな「夢」をいだきうるのだろう。
夢みる青春からみれば、それは夢でないかもしれない。
たしかに、この「夢」は、青春の夢の廃墟からはじまるがゆえに、
夢をこえた夢なのだ。
現状否定から現状肯定へと移行するように見えて、その逃れえぬ環境で
ねばりづよく生きることで、わたしたちはしずかに、だが着実に現状を変更し、
わたしたちじしんを変更していく。
ここには、現実の大きな力によって押され退きつづけながら、ここからは
もう退けないという思いがあり、生きつづけることでいっそうふくれあがる
破壊衝動があり、家庭の中の男と女の従来のあり方への不満があり、
見方を変えることで生にあらたな実感を導きいれようとする試みがあり、
生活の細部でつながる、切れそうで切れない人と人の関係があり、そして、
情痴のさらにその奥のさらにその奥の情痴へとつきすすむ紛れのない
生の暗い輝きがある。
ーー
〜 以上だが、何とも中年の風景をそのまま見事に描き出している。
この内容は、決して中年期だけでなく、
いや、青年期の挫折の中で何度も何度も味わった心象風景である。
挫折の底で味わう屈折感は、現状否定した自分が最悪の状況の中で自分の棚卸を
しながら、歪んだ自己肯定をせざるを得ない何ともいえない味がある。
この屈折した味わいこそ人生の一番の味わいでもある。
そう考えなければ、どうして耐えることができようか?
何故、粗大ゴミと言われなければならないのか?
そして、それをそのまま受けとめてしまうのだろうか。
分別すれば宝の山なのです!
ただ、その時その時に垂直に立ち上がって分別していればの話だが!
次回は、藤沢周一の「海鳴り」の一節を取り上げながら、
歪んだ切ない中年男の心象風景を考えてみる。
それさえ、ふり返る歳か〜!
ギャーテイ、ギャーテイ、ハラ、ギャーテイ
ハラ、ソウギャーテイ か〜
(゚∇^*)ホンジャ、バイバイ! ♪〜
・・・・・・・・・
■[人間と社会のウォッチング] 
2006年02月09日(木)
1773, 年金の話 −2
('-'&)オハヨ♪
60歳になって、前倒しにすれば年金が貰える年齢になった。
私には一言もなかったが、それが今年から70歳まで落ちるという。
自動的に簡保に毎年積み上げる仕組みになっていて、
70歳からの年金になるという。
それを種銭にして旅行でもと思ったが、そうもいかないようだ。
それをさらに積み立てるとは凄いシステムだ!
二人で月々?0万が入れば、普通の生活は保障される?が、
ハイパーインフレが起これば、お終いである。
そして、その可能性が大ときているからやはり使ったほうがよいのか?
コーヒーまあ(@゜▽゜)_且~~どうぞ w
2500万の貯金を持ち、
夫婦で月額30万円の年金収入があり、
その30?を預金にまわすという。
国が存在して初めて個人の存在がある。
国を持たないジプシーやクルド人の悲惨さをみると、解ることだ。
ところで昨日、「中小企業経営者の年金ガイド・セミナー」にいってきた。
次回のテーマになるが、
このセミナーで感じ取ったことは、
減額分を会社の損金で落ちる生命保険をかけて、停年時に返金して
退職金にまわすのが現時点で一番得になるという。
ー つづく
(●≧з≦)!⌒〔゚.+ バイバイ ゚+.゚〕
ーーーーーー
■[人間と社会のウォッチング] 
2004/06/04
1158, 年金の話 −1
これだけ不景気になってくると気になるのが老後である。
そこで年金がここにきてクローズアップされてきているという。
今年から、58歳を過ぎると年金の予測の数字を希望者に郵送される。
半月前にその内容が送ってきた。
こういう時代、明日何がおきても不思議ではない。
とくに事業をしている立場上、不安の要素があまりにも多い。
ある日、ハイパーインフレがおきて金利が2倍にあがる可能性がある。
(新潟駅の新幹線のホームでは、各階段に警察官が二人ずつ合計10人
近く張り付いている)
新潟にアルカイダーの幹部が一年半潜伏していたとかいう情報があったことと
関係しているのだろう。
ハイパーインフレやテロで、会社は一瞬で倒産してしまう可能性を含んでいる。
経営者は何も保証されてない立場にあるから、万一のことがあれば明日からの
生活に事欠くことになる。倒産をした最悪の人を何人も現に見てきているから、
時々凍りつくような不安に落ちいることがある。それが逆にエネルギー源にもなっているが。
社会保険センターから送ってきた年金の数字を見て少しホッとした事も事実である。
年金支給が63歳と思っていたが、今回の郵送で60からでももらえることを初めて知った。
・1年7ヶ月経つと(60歳)全く他に収入がない場合で、190万円の年金支給。
・4年7ヶ月で(63歳)で、260万円。
・6年経つと、家内の分を加算すると360万位という。
ー何とか人並みに生きていけそうな金額である。
家内に説明をすると、「丁度よいようになっているのね!」
セフティーネットとして、あるとないとでは全く違う。
こういう年齢になったのだ。
・・・・・・・
■[読書日記・映画感想] 
2005年02月09日(水)
1408, LOVE&FREE
ー世界の路上に落ちていた言葉−1 ー読書日記ー
図書館で何気なく借りてきたら、読むほどに面白い本である。
著者は32歳だが、思い切った生き方をしている。
アウトローはアウトローでしかないが、
バナナ(皮は黄色で中が白)にドンドンなっている典型である。
ーはじめにー から引きつけられた。
1998年11月から2000年7月にかけて、約1年8ヶ月間。
結婚したばかりの妻と二人で、気の向くまま世界数十ヶ月の路上を歩いた。
自分は、三年間続けた会社を離れフリーになったばかりだったし、
長いたびに出るのは「今しかない」という絶好のタイミングであった。
旅のコースも、期間も、特に決めなかった。
まあ、金がなくなったら帰ろう」それだけを決めて出発をした。
世界中の路上で、カフェで、ビーチで、バス停で、安宿のベッドで、・・・
自分の「ココロの井戸」を掘るようにして、いくつもの詩を書いた。
「いいじゃん!」と感じる場面に出逢うたびに、ポケットから
帰国後、旅中に残した詩と写真の中から、特に気に入ったものを
選んで、一冊にまとめたら、この本が出来上がった。
世界の路上の片隅で、さまざまな人々が僕にくれた
「LOVE&FREE]のカケラを、あなたに贈ります。
ーー
以上であるが、路上で書いた内容であればこその、ココロに打つ内容が
次から次へと出てくる。言葉だけではない、デジカメで撮った何げない写真が素晴らしい。
二人は、各地で「ホリデーアパートメント」に一週間ずつ泊まって旅を続けていた。
お金には制約あるが、時間だけは無限にある旅。本当にうらやましい限りである。
胸に突きさすような言葉を幾つかをランダムに紹介してみよう。
ージブラルタル海峡ー
ジブラルタル海峡を越える船の甲板。
ある船乗りのオジサンが言っていた。
「おれは20年間、世界中をずっと航海してきた。繰り返される日々が嫌いだったからな。
でも、愛する女性を見つけた日から、俺は変わった。
今は、愛する妻と子供達と一緒に暮らすためにこのジブラルタル海峡を、
一日2往復するだけの繰り返される毎日を過ごしている。
でも、神に誓って言う。 今が一番幸せだ。
俺の冒険は彼女という宝を見つけることによって終わったのだ」
そして、キザでかっこいい船乗りは、最後にオレに聞いた。
「オマエは、愛する女性という宝を既に見つけている。
いったい、他にどんな宝を探して旅をしているんだい?」
ー核ー
たくさん食べることはない。
一匹の魚を骨まで味わってごらん。
そのほうが、本当の「おいしさ」がわかるから。
たくさん読む必要はない。
一冊の本を文字が溶けるまで味わってごらん。
そのほうが、本当の「おもしろさ」がわかるから。
たくさん愛する必要はない。
ひとりの人を心ゆくまで愛してごらん。
そのほうが、本当の「愛」がわかるから。
貧しい国の豊かな人々が、
オレに、そう笑いかけている。
−−−ー
「LOVE&FREE
ー世界の路上に落ちていた言葉」
.........
■[人間と社会のウォッチング] 
2004年02月09日(月)
1041, 職業性格形成論
条件と原因とは同義語である。職業は人間の性格まで決定をしてしまう。
先日書いた「わたしは悪い不動産屋」の中で、「不動産業者は瑕疵を
探してしまう癖が人間性までも出てしまう」と書いた。
その時に以前から書いてみようと思っていた「職業性格形成論」をまとめて
みたくなり、早速書いている。
・サラリーマンに嫁いだ姉をみていて驚いたのが、ミスに対して異常に
神経をつかっていることである。
対象のプラスではなく、マイナスのミスだけ眼がいってしまう性格に
変ってしまったのだ。 組織人だった旦那の影響である。
・母がそうである。いつも話が1・5倍から2倍に膨らむ。
すぐ上の姉にいわせると、値入れを1・5から2倍にするのが原因だという。
そのシビアな指摘に驚いた。
・代議士ならサシズメ数十倍のハッタリが性格になってしまう。
それと虚言癖だ。
・作家も虚言癖の傾向になるか、観察眼で物事をみる性癖になる。
・警官は、全て犯罪捜査の視点でみてしまうようだ。
警官という職業自体、必要悪の部分がある。国家内の法律遵守の暴力装置だからだ。
・先生は、常に教えたくて仕方がないとか、生徒を比較するように社会も
比較順序をつけてしまうという。
・私の仕事は装置産業、一度投資をすると15年〜20年はどうしようもない。
あとは社会情勢次第。そうすると、マクロ的な世界や社会に興味を持ってしまう。
面白いものである。
そう考えてみると、誰もが自分で思いあたるだろう。
常に話しまくっているかパフォーマンスをしてないと不安になるといっていた。
TVタレントや俳優は、私生活のすべてが演技の勉強になっている。
そして演技と実生活が混同してしまうという。
そこまでいかないとプロとはいえないのだろうが。
職業は生きていく上で重要な位置を占めているものだ。
但し、何事も例外の人はいる。
当たり前のことだが、泥棒や犯罪も職業にすべきで無い。
人間性まで泥棒になってしまうからだ。いや、泥棒の性格の奴がなってしまうのだ。
中・高校の時、粋がって他人の小物を盗みまわっていた人がいた。
泥棒にはならなかったが、結果は似たような人生を過ごしていた?
これは「三つ子の魂 百までも」か。
・・・・・・・・・
■[読書日記・映画感想] 
2003年02月09日(日)
ー偽善論
この偽善論がなかなか面白い。
偽善者以前ということだ。
善を隠れ蓑にしながら、相手を実害を与え、自分は実利を取ろうとする奴だ。
「不幸の事件を逆手に使い、自分はあたかも最大の同情者のように振る舞い、
実利を得ようという輩」だ。
これは汚い欺瞞者であり、詐欺者である。
身辺に幾らでもいる?!
不可避的な偽善には、少なくとも善がある。真実の善など本当にあるのか。
どこでどうやって見分ける事が出来るのか。
偽善をなせ。それを、あるかないかわからない真善に次ぐ、次善となせ。
一生偽善をなせば、それが真善である。
偽善でいいと思う、「偽善」でしかなしえない「善」がこの世の中にある。
私は「偽善」を憎むほど、善を成すものでない。
ー以上が著者の言わんとするところだ。
「真善などあろうか?それなら偽善を次善としてなせ!」とは思い切った事を
いう。所詮、善悪とは個人、社会、宗教が創りあげた価値観でしかない。
その基準が、どれほどの価値があるものか?偽善いや善悪という言葉そのものが怪しいのだ。
「人を殺すのは悪でないというのか?」
もちろん悪いが、戦争で相手国の非戦闘員を殺してしまったとして、
それもどこまで悪と言えるだろか?全てが状況だ。
その為に初めて旧約聖書が善悪の基準を創った。
孟子の性善説と荀子の性悪説があるが、これも何を基準に善悪といっている
のだろうか。あくまで両面を言っているだけだ。
それなら、手っ取り早い「偽善とやらから、世間体のいう善と思える奴を、
仮面を被って次善と割り切る」という著者の論法も肯ける。
偽悪の方がまだましと思っていたが、偽善も必要か?
偽悪の背後にあるのは善ではない?
偽善の背後は悪じゃない? 次善論じゃないか?
よっしゃ、早速褒める訓練本でも買ってきて、カミサンや居酒屋やスナックの
褒めるのは偽善でなく、義務か!
・・・・・・・・
■[人間と社会のウォッチング] 
2002年02月09日(土)
326,イルカのような人
イルカはどんな状況でも楽しみを見つけ遊ぶという。
私の身辺にイルカのような人がいる。
「今日如何して一日を楽しむか」それしか頭に無い。
オリンピックといえば、一月前からそれを楽しみに待っている。
始まれば夜半でも寝ずに見る。ウインブルドンのテニスが始まれば、これも然り。
毎日のTVも当然いくつか楽しみの番組がある。
一日が楽しむ為にフルに使われるのだ。
昼は誰か友達と安くて美味しいランチを探し食べている。
その為か顔までがイルカのようになってしまっている。
笑い顔なのである。必ず笑いのネタを何処からか見つけてきている。
働くことは大嫌い! 遊びならどんなハードな事でも平気、
仕事は少しやると顔がはれ寝込んでしまう。
2〜3人のグループで常に群れているところが、更にイルカに似ているところだ。
そういう人は今でいう癒しを周囲に与える。それが唯一のの社会的貢献だ。
こういう人は西欧系の人では当たり前のタイプかもしれない。
我々の年代の日本ではすくないが、若い人ではいくらでもいるのだろう。
社会学で人間には二タイプに分けられるという。仕事タイプの人と、遊びタイプの人とに。
難しくいうと
「仕事タイプをホモ・ハーベン」「遊び人タイプをホモ・ルーベン」という。
いるかのような人は「遊びタイプ」の典型である。
これで一生終えるだろう。
母親がこれに劣らず、一生を楽しんでいる。家系からきているから間違いない。
人生とは、このような人には幾らでも楽しみを与える。
反対の人には、いくらでも苦しみを与えるものである。
何か法則があるのだろう。この視点でみると私はシャチというところ?
いや、オットセイか!
・・・・・・・
■[ある時間の断片ー22〜24歳の日記] 
2月09日 1969年
昨夜も一昨夜もショックが続く。
留年をして、もう一度やり直そうかと言う気持ちが出る。
といって今更躊躇するのはオカシイのではないか。
客観的に耐えられないとしても、一応卒論を書き終えたことは間違いない。
いろいろあって動揺をしているのは解っているが。
真面目に考えすぎである。
気持ちがボロボロなだけだ。
もっと冷静にならなくてはなるまい。
■[つれづれにー日常のチョッとしたこと] 
*長岡の呑み助から見た夜の世界
毎週のように不景気の実態の話をしているが、地方経済の衰弱ぶりは生々しい。
一昨夜は、中学の同期の女性のスナックに入ったら、今月で27年間の店を閉店するとか。
スナックの中では名前は知れわたっている店で、2年に一度位、合計7〜8回はいっていた。
あまり詳しい話は聞けなかったが、営業不振であろう。
その一番影響を受けるのが夜の世界である。
行くたびに、何処かが閉店したという話ばかりである。
昨夜も散歩をしていたら、何度か入ったことのある居酒屋が店を閉じていた。
*大相撲の国技の意味
「大相撲の『国技』は、何となく言っているだけで実際の法律があるわけではない」
という。ただ厚生省の何とかで税金が取られない特典があるようだが。
昔ながらの体質が残っており、あくまで部屋単位が独立しているため、
それぞれの部屋内の暴力沙汰まで責任を問うこと自体が無理がある。
大鵬が日経新聞の「私の履歴書」に書いていたシゴキは、リンチそのものであった。
そこまでしなければ、強くはなれないのだろう。
格闘技にシゴキがつきもの。それに耐えたのが親方とか、上昇していくのだから
「弱い者の立場は否定され、リンチの何が悪い!」という論理がまかり通るのである。
格闘技を見て楽しむのは、古代ローマ時代に奴隷同士やライオンとの殺し合いを見て
楽しんだのと同じではないか。
*セミナーの受け方
宅建と、防火責任者と、自動車の免許書き換えのため、講習会に二年に一度は出ている。
おそらく海外旅行のエコノミー・クラスに乗りつづけて、席に束縛された状態の対処の
コツを掴んだ為だろう、殆どストレスはない。 それを楽しめば良いのである。
ほぼ教科書は「ガソリンスタンド向け」で、聞いていても、他山の石の話。
しかし、コツがある。私の事業と同じ部分を探せばよい。
そして、隣の家を覗き込むような気持ちで聞くと俄然、面白くなる。
・まずは、装置産業で、
・客商売で、
・客単価はほぼ同じで、
・立地産業で、
・規模の大きい方が有利で、
・現金商売、
・頭を下げるなら売価を下げろ!
などなど、探せばいくらでもある。
・・・・・・・・・
■[こころ・魂] 
2007年02月10日(土)
2139, 白い雲に乗って
夜半に幻想的な夢をみた。 小さな白い雲があった。
それに乗ると、ふかふか浮いて異次元の世界に引き込まれてしまった。
そこは4歳の頃の世界におりたようだ。
すべてが鮮明な蘇った当時の世界が浮かび上がってきた。
両親がいて、兄達と姉達、そして多くの従業員がいた。
そこは越後長岡の十字路のど真ん中にある当時の私にとって大きなビルの中。
一階が店、二階に事務所と倉庫があり、三階に家族の住まいと台所、
四階には従業員と姉達の部屋があった。白銀に輝くファンタジーの中に包まれていた。
三階の住まいに猿のタロー、そしてタマという茶色の猫がいて、
店には若い女店員が多くいて、ぼくを「ハッちゃん」と頭を撫ぜてくれている、
正に当時の真っ只中にいた。
コロという生まれたばかりの白黒の小犬を運一・兄が拾ってきた。
そして三毛猫のタマとコロがジャレている。
その空間には何時も緊張感がただよっていた。
燕が飛んできて窓に当たって死んでしまった。
初めて死をみた瞬間だ。いやに首の下の赤い色が印象的だ。
そこを出たところには大きな通りがあり、多くの人が歩いている。
小さな三輪車で駅の方に行くと右手に小さな公園があり、
その脇に池があり小さなスイッカスが水上を泳いでいた。
そうだ、ここは公会堂の裏にある小さな山の上に神社が祭ってある公園である。
周りを見渡すと植木の展示会が開かれていた、多く鉢がところ狭しと並んでいる。
その先に大きい広場があった。それは阪之上学校の運動場。
何時も遊んでいる近所の子がいたので声をかけると、スーと消えた。
夢をみているのだろうか?いや、夢のはずがない。
ぼくは間違いなく、ここにいる!
ズットここにいるのだ。何で、ぼくは、ズ~ットここにいるのだろうか?
忘れたが何か遠い遠い旅をしてきたようだ。
何の旅だったのだろうか、僕はどこにいってきたのだろうか?
そこで、無性に悲しくなり大声で泣いてしまった。
泣いても泣いても、あの遠くのズット向こうの世界は戻れない!
ぼくはもう、あの遠い世界には返れないのだろうか?
ふと脇をみると小さなコロが悲しそうな顔をして、ぼくをみていた。
でも、コロがいたので安心をして三輪車を引っ張りながら家路についた。
両親は忙しそうに働いている。
その横で姉達は今度法事で着る洋服を試着して笑っている。
その後に夕飯の時間がきて、丁度みんなで食べようとしていた。
父チャンがいて、ぼくもふくめて子供達が8人が勢揃いをしてご飯を食べた。
外がいやに賑わしいのでみると、長岡祭りの山車が次々と通っている。
三階の窓から手を振ると、屋台の上から男の人が笑いながら手を振り返した。
何かそれをみていたら、嬉しくてケラケラ笑ってしまった。
しばらくすると父親が今日の売り上げを持って、下にある店から上がってきた。
札を十枚ずつ数えて束にまとめて小さな金庫に入れている。嬉しそうな顔をしている。
何か自分が白い雲の中で浮いているような感じがしている。
ふと目が醒めると、隣に両親が寝ていた。
あ〜ぼくは、一人ではないんだ!よかったと独り言をいっていた。
ここは間違いなく大手通の世界である。どうして、ぼくはここにいるのだろう!
それにしても、それにしても、どうして浮いているのだろうか?
というところで、目が覚めてしまった。
・・・・・・・・
■[潮流、世界は今] 
2006年02月10日(金)
1774, 年金の話ー3
(o´・ェ・`o)♪。o.+゜。 *ぉはょぅ
一昨日、
「60代前半のオーナーの中小企業経営者のための在職老齢年金活用法」
というセミナーが、新潟商工会議所でおこなわれた。(アクサ生命主催)
年ごとに損金で落として、
定年時に返金をして退職金にすれば
税金の退職金特典で非常に有利になる。
が、このセミナーの要点であった。
ε=ε=ε=(。・ω・)_旦~~ オマタセー
私も一昨年から始めていたが、
もっと前から始めておけばよかったと、後悔している。
在職30年で、3000万退職金のケースで税金が6?、5000万で11?、
1500万でゼロというから、給与を10万〜半額にして減らした分を
生命保険の掛け金にしたほうが有利である!
という理屈が成り立つ。
強調していたが、その通りである。
損金で落とせるのは会社に利益が出ているのが前提。
しかしセミナーでは、それには触れてなかった。
(つД`)もぉネムイ
このセミナーで特徴的なのは、
それも、黒字という前提が必要である。
また30人限定も、過去の経験則があるのだろう。
その名簿を何処で集めたのか?恐らく商工会議所の名簿から調べたのだろうが。
モデルが60歳で、私の年齢と同じ、収入もほぼ同じであったから、非常に参考になった。
私の場合、あと三年経ったら給与を10万円まで落として、
厚生年金を眼一杯貰うのが最も合理的のようだ。
そして可能な限り保険にはいるのがよいが、 ただ・・
ヾ[・c_,-●]バィ
・・・・・・・
■[趣味ー旅行・パソコン・ETC] 
2005年02月10日(木)
昨夜の北朝鮮戦を私が書くと・・
チームプレーに勝る北朝鮮に対して、国内だけでなく、世界で戦い
抜いてきたスターの臨時編成外人部隊の、全く違った個性の、ぶつかり
合いの試合になった。サッカーとはいえチームプレーである。
そのチームプレーでは、当然のこと北朝鮮が数段勝っていた。
サッカーでは、パスが重要になる。
スピードと、正確さ、そして一人当たりの球の持ち時間の短さと、
隙を狙った位置へのパスが重要になる。その点では、北朝鮮が日本より優れていた。
あとは、勝機にいかに集中するか、勝ちにつなげるかがポイントになる。
その一瞬の間が見ていて面白い。その点では、多くの修羅場を経験している
選手が多い日本のほうが絶対有利のはずだった。
勝負は終了間際、ロスタイムのシュートで辛うじて日本が勝つことができた。
北朝鮮が勝ってもおかしくない試合で、勝負に対する執念がチーム全体から出ていた。
拉致問題が背後にあるため、代理戦争という緊迫感が試合を盛り上げた。
Wカップは国の威信をかけた闘いのため、国民感情が露出される。
「ワールドカップは90分の愛国心の発揚の場」というが、ゴールの一瞬、
日本中がわきあがっただろう。
反面、軍人がサッカーを通して闘った北朝鮮は、個々人にとってもチームに
とっても、絶対に負けられない試合だった。勝つと負けると大違いである。
あのボールが地球儀に見えてきた。 次は、イランだ。三月は色いろ面白い!
・・・・・・・・
■[読書日記・映画感想] 
2004年02月10日(火)
1042, 随筆はプロが書くもの! −2
この要点を目次に書き込みながらまとめてみる。
品格もあるようだから、心して文章を書かなくてはならない。
(ー>が要約である)
序ー文字を惜しめ
−>お金と文章はケチなほど良い.その為には最小限に書く心がけが必要だ。
書き直しと添削を繰り返すことが重要である。
文章は明らかに芸術的な営為である。 簡単なデッサンではない。
1−文章の第一要件は[客観性」にありー
ー>客観的な「批判」というプロセスを通過したものでないと、他人が読む場合には
耐えられない。エッセイは常に書こうとする「外」にいて、外からこの「世界」を
描写するのをエッセイとはいわない。
エッセイは一度内側から書いて、それを外側の眼で眺めかえさなくてはならない。
エッセイ(随想)と随筆は、明らかに違う。
見てきたこと、生きてきていてこう思うとか、文化論だとか、
「随筆ってものは素人が書くものではないと思います。」
「これが天下の真実というもので、功なり名を遂げたプロの作家が、
趣味で書くものです。あるいは松平定信のようなお殿様が、日ごろの生活の中で
心に浮かぶ『よしなごと』をぼつぼつと書き付けたというものが随筆であって、
これはよほど文章力があるとか、その人の人生が面白いとか、
その人の観察力が鋭いとか、描写力が秀逸だとか、そういう経験と筆力が
物を言う世界なんです、随筆は。」
随筆は論理性より、プロがつれずれに書くもので論理性は逆に求められない。
2−エッセイと観察ー
そのテーマをどういうふうに論理を展開するかがエッセイの一番の醍醐味になる。
エッセイは「あ、おもしろい」と思う切り口が必要である。
我々は多くのものを雑にしか見ていない。団子だったら団子という概念でしか見ていない。
その団子を取り上げて面白おかしく描写をするのがエッセイである。
人が見ないところまでよく観察して、人が読んでくれるような文章にするのがエッセイ。
3−論旨の方法ー
結論をまず出して、その要素を面白おかしく書く演繹法的手法と、
謎を残しながらプロセスで引っ張りながら、最後にひねった内容にする手法がある。
私の場合は両方を使うことを心がけているが。最後にヒネリを入れたニヤと笑わす手法。
これは自然に出てくる? いや性格か?
4−文体の問題ー
文体には敬体と常体とある。
敬体とは「です・ます」調と言われています。
常体とは「だ・である」調と言われている。
何もいわないと男性は常体で書く。
敬体は形容詞がつかいにくくなる。
従ってエッセイは常体で書くのは当然のことである。
5−テーマと寸法ー
テーマが小さければサイズを小さくしなくてはならない。
大きなテーマは長い文章になってしまう。
小さなテーマを小粋にまとめるのが随想の醍醐味である。
ー続く
・・・・・・・・・
■[読書日記・映画感想] 
2003年02月10日(月)
677, イヤなやつ
面白いだろうと調べたら有った有ったーサブテーマだが。
河盛好蔵が昭和33年に週間朝日にかいた「人とつき合う法」の第一章に
かいてあった「イヤなやつ」という文章があった。一部を書き写してみる。
ーー「私自身のことを考えてみると、私まず人に快感を与える容貌の持ち主で
ない。性質についていえば、他人の幸福より不幸を喜ぶ感情の悪さがある。
自分ではできるだけ怠けて、人をはたらかせ、その功を自分だけで独り占め
をしたいというズルさと、欲の深さがある。権力者にはなるべく逆らわないで、
進んでその権力に媚びようとする卑しさがある。・・・・・
自分に寛大で、他人には厳しくって、エゴイストの部分が非常に多い。
ケチで、感情高くって、他人の不幸にそ知らぬ顔をし、・・・・
考えてみると「イヤなやつ」要素・条件をことごとく持っている。
そしてそんな事を、あけすけに書いたほうが、かえって得になると
ひそかに計算しているのであるから、われながら謙悪にたえない」
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以上であるが、読んだ人はドキッとするはずだ、自分の事だからだ!
私など更に弱い相手には威張り、こすっからいし、馬鹿なくせに
より馬鹿が大嫌いで、酒癖が悪いし、書いていてイヤになる。
しかし「人間はイヤな奴の程度が高いか低いかの差」の存在でしかないのも知っている。
仏教でいう四苦八苦の中にも「怨憎会苦(おんぞうえく)」
:怨み憎む人と出会わなければならない苦ーがある。
人間誰でも持っている要素で、かつ何処かでいつも気にしている言葉
でもある。男は一歩外に出れば7人の敵がいるというがー8人の味方もいるが、敵から見たら
「イヤなやつ」になる。私などいつも言われてきたし、特にイヤなやつである。
ところでそれが如何したという開き直りがある。
私など言葉という凶器?があるから、いらない敵までつくってしまう。
ところで「いい人」とはどういう人か考えた事があった。
ある純朴な?居酒屋のママさんが人の好き嫌いがハッキリしていた。
あの人はいい人だ、いやな人だと明け透けにいっていた。
よく聞いているとー自分では気がついてないが、自分にとって今その時
都合のよい人が「よい人」、不快の人や都合の悪い人が「イヤなやつ」であった。
単純明快のところが大変面白いが、度が過ぎると問題だ。
彼女いつもストレスの塊になっていた。
人間という奴は本当に面白い!「イヤなやつ」をやったり、「よい人」をやったりしながら
色いろ人生を過ごしていく。夫婦なんて、この両方の織りなす柄を創っていくようなものだ。
嫁姑の関係も、その際にある。
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■[行蔵ーこんな経験をしてみた] 
2002年02月10日(日)
327,新幹線の乗り越しー4回!
通勤22年間に乗り過ごしの経験が4回ある。それぞれに思い出がある。
たて続きに3回乗り過ごした。いまから10〜15年前で一番酒を飲んでいた時期であった。
初めは湯沢で泊まった。
飲んでいた勢いで、ビジネスホテルの近くのスナックに飲みに出た。
10時半過ぎであった。大きい猫がいて手を噛まれた!中年のママさんがいた。
湯沢の情緒が漂っていた!
その次は浦佐駅であった。やはり乗り過ごした2人と話し合い「割りかん」で帰ってきた。
長岡駅と思い歩いていて,何かが違うのでよく駅名を見ると[浦佐]であった。
3回目は本を読んでいて、夢中になりすぎて乗り過ごした。
折り返しの新幹線で帰ってきた。
5年位前の乗り過ごしが面白かった。ウソみたいな本当の話である。
正月の3日か4日であった。乗り過ごした私と同年代の人と駅の改札で話し合い、
どこかのホテルのツインを割り勘で泊まることにした。
そして近くのビジネスホテルで、乗り過ごしの事情をいい「値引を交渉!」
「自分には値引きの権限が無い,駄目!」
酔っていて滅茶苦茶!面白くないので、そのまま出て歩いていた。
たまたま向こうから60歳すぎのの人と、40歳後半の男の人が歩いてきた。
事情を話し、「もっと安いホテルが無いか?」と聞いたら、
ちょっと待てと電話をしてくれた。そして安くしてくれるホテルがあるといいう。
助かったと思い感謝しつつ後をついていくと、何と初め値段交渉をしたホテルであった。
そしてその若い方がその社長であった。
そして飲みに行こうという。
それならばこちらも乗りかかった船、その連れと付き合うこととなった。
但し値引いた分の金額を出せという。それは当然のこと二人で出した。
その後、湯沢で一番の高級のクラブで2時間、正月という事もあって
大騒ぎ。ー後で知人に話したら、そのスナックを知っていたー
次の日4時間だけ寝て一番の新幹線で帰ってきた。
だんだん恥のさらけ出し?「気違い水ー酒」を飲んだドラマがいろいろある。
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■[ある時間の断片ー22〜24歳の日記] 
2月10日 1969年
昨夜のショックで、助手の横浜さんと会って話をする。
自分の底の浅さを赤裸々に話すが、普段は厳しい事をいう人が優しいのだ。
誰もが持っている底を曝け出したことに理解をしたのだろう。
たまたま会った深井にも話すが彼も同じ反応だ。
この時期に誰もが持っていることでしかないのか。
動揺をしているだけだ。それぞれが、この時期精一杯なのだ。
得たことより、得れなかったことに眼がいっているだけだ。
今日池袋駅で見た出来事が印象的であった。
階段を手探りをしながら上っていた盲人に女の人が手助けをしようとするが、
拒否をしたのだ。見ていると、誰の手も借りずに歩くことを自分に課しているようだ。
その内面がそのまま出ているようだった。いまの自分に、あの姿が必要である。









