* 3Dシネマの凄み
 「アバター」でシネマの3D映像の体験をして、その迫力に想像を絶する思いだったが、ここで、「ハリー・ポッター」と、
トランスフォーマー」をみて、更に進化した映像の異世界に入りこんでしまった。 ストーリーより、その異世界の世界を
楽しもうと期待していたが、次から次への息をつかせない立体空間のド迫力の世界に、我ながら驚いてしまった。
子供騙しのようなロボットのような姿の宇宙からの飛来者が繰り広げる勧善懲悪的闘いが圧巻。
巨大なロボット風の無機質の風体が、人間の想像を遥かにこえた映像に抵抗感を少なくするように計算してある。
 要は、デジタルを使い、私たちが経験したことがない世界を3Dで引き込んでくれるのである。薬や音楽で脳を麻痺をさせ、
普段味わえないサイケの世界にトリップさせるのと似ている。 それはそれで、その世界を垣間見るのも悪くはない。
 天才という人種は、トリップしたあちら側の視線で、芸術作品を通して表現した人をいうのである。
それと、3Dのシネマと結びつけるのに、少し無理は無くはないが、実際のところ、当たらずとも遠からじである。
せっかく、平均滞在80年の娑婆への宇宙旅行を与えられた人としては、やはり、既成概念内の現象だけを見て、
宇宙の彼方に帰還するには勿体ない。 これもデジタル化のなせる技である。実際にTVもデジタル化と大型化で変わってきた。
 数年前までは、面白そうなTV番組は週に数本しかなかったが、現在では一日に数本はある。その上に録画が数百本は
ブルーレイデスクに入っている。 なるほど、TVは人をバカにする。
  * ここの円高は厳しい
 あれよあれよと円高が進んでいる。リーマンショック津波の一波だろうが、東北大震災に、この円高は日本経済にとって大打撃。
アメリカが国債の発行限度の引き上げで議会が対立が起因だが、万一、アメリカが国債のデフォルトを宣言でもしたら、
世界経済は大混乱に陥ること必定。その中で、特に日本はアメリカの国債を大量に持たされているため国家破綻になる可能性がある。
来年にかけ世界は大混乱になるのは分かっていたことだが、欧州とアメリカと日本が、同時に本格的恐慌が発生する序曲になる?
現実に、私の事業で起こったことが前ぶれとすると、当然の現象とみるべきか。新潟県は、この時期の大雨と洪水は、農業と観光に
とって非常に厳しい事態。 輸出駄目、農業駄目、観光駄目、公共事業駄目ときたら、お先真っ暗になる。 ユングの布置ではないが、
悪いことは重なってくる。こういう時期は、大人しくジッとしているしかない。 75円で頭を打つだろうが。それでも厳しい!
・・・・・・・
3415, 売国者たちの末路
 2010年08月01日(日)
 「売国者たちの末路 」副島 隆彦 , 植草 一秀 (著)
   ーまずは、アマゾン・内容紹介ー
 リーマン・ショックを的中させた副島隆彦植草一秀の対面が実現。国民を不幸にする国家権力に対し「共闘宣言」を叩きつける。
植草は1990年代、日本を代表するエコノミストとして華々しく活躍していた。しかし2001年4月の小泉純一郎政権誕生後、
その経済政策(すなわち竹中平蔵氏主導の『構造改革』路線)に異を唱えつづけたところ2度にわたって「痴漢事件」の犯人となり、
公的な職を失った。 2004年の事件は罰金刑が確定したが、2006年の事件は最高裁で係争中である。 
現在はブログで政治・経済分析を中心とする言論を発信している。 副島は早くから「植草氏は冤罪。売国者・小泉=竹中政治の
謀略に嵌められた」と指摘。 同時に植草氏の言論活動を高く評価してきた。 両氏が相見える本書では、小泉=竹中政策の糾弾は
もとより、民主党小沢一郎代表への国策捜査、「かんぽの宿」問題に象徴される郵政民営化の闇、世界金融危機の行方まで、
新聞やテレビでは触れることのできない「真実の言論」を展開する。
 ▼ このところ読み続けている林秀彦氏の著書の叫びと相通じるところが多い。官僚、政治家、マスコミがアメリカの隠れた
コントロールに入っており、それに歯向かう者たちを謀略に嵌めてしまう。アメリカの新自由主義の誤りを今さらではないが、
それに踊った小泉、竹中は万死に値することは事実。私も数年前に、やっと気づいたのだから遅い。しかし大手銀行の
財務内容が改善されたことも事実。 冷戦では西側として、アメリカの傘の中で共産主義から国を守らなければならなかったが、
それが終わった現在では、その構造が変わるのが当然のはず。それを自民と官僚が売国的行為を続けてきた結果と二人は主張。
植草は【一般国民の大多数は、観念的に「警察、検察、裁判所は中立公正であって、正義の味方」という考え方しか持ってなかった。
しかし一部の人たちから「いや、そうではない」という考え方が広がってきた。】という。 高橋洋一の万引き事件は、明らかに
検察官僚の捏造事件と疑ってきたが、植草の痴漢事件も冷静に考えると、やはり冤罪と見ると、辻褄があう。一度、解体的混乱を
通ってしか日本は改革できないのか。 頭と尻尾をみると、つくづく絶望的になる!
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3040,卒業40年周年か〜 −4
 2009年08月01日(土)
 昨日届いた、この手紙を本人の了解無しに公開すべきかどうか一日かけて考えた上で判断をした。
私の40年ぶりの問いかけに充分に答えてくれた手紙で、自分の人生を心を込めたダイジェストとして
書かれた手紙を貰うのは初めて。私一人の心におくより、ここに記しておく方が良いだろうと
勝手に判断させて貰った。  ‘学生時代の卒業間近に真剣に対話した延長線上’の手紙上の対話
だから魂が入ったのだろう。それとキャリアの転勤生活で鍛えられた人生の極みの経験の積重ねがある。 
学生時代の友人との対話というより、高潔な精神と魂の対話をさせて貰ったような気持ちである。 
 私にとって一期一会の対話になった。 それだけ良い学生時代を過ごしてきた証明にもなる。  
  ーー
* 奥野君からの手紙
お懐かしい堀井さんのお便りを頂戴し学生時代の記憶が一気に甦りました、本当にお久しぶりでございます。
合気道の道場、同志社学習院への合同稽古、合宿打上げ時の泥酔・不味い学食・ご自宅に泊めていただいての
佐渡旅行等々、四十年前の皆さんのお顔と行状のあれこれが懐かしく浮かんで来ました。
 堀井さんは当時から将来は事業家の道を目指して行くのだろうなと私なりに思っていました。
どうして?と問われれば・同僚に比べて社会経済の出来事への関心が強かったとお答えします。
その方向に真直ぐに進まれたのですね。しかも大成功されて本当にすばらしいですね。
プログも拝見させていただき堀井さんの人生の一端を垣間見ました。暖かな生活が伝わってきました。
 その後の小生ですが資生堂に入社し最初の赴任地名古屋をスダートし所沢、福岡、東京、札幌、仙台、
名古屋、広島、東京、仙台と転勤族の暮らしを送り、56歳時に早期退職をして現在地に居を構えました。
最終の役職は支店の責任者でした。50歳台に入ると親しかった先輩、同僚、後輩等が次々と鬼籍に入られるようになりその方々の
浬繋のお顔を拝む都度、 一度の人生を思うように生きられましたか、満足されていますか という思考が強くなってきました。
仕事は化粧品の製造、販売業務なので二十歳前後の若い女性が多く気持は若く、楽しく送れた自負しています、が人生の残り時間が
あとわずかになってきたと感じ始めると、時が無性に愛おしくなり、100%の自分の自由時間をはやく手に入れ、
日ごろより感じていた、生物として本来の姿、自然の中で自然と共に暮らそうと決めた次第です。
 日常生活は太平洋の日の出をワンちゃんと一緒に拝み作った野菜を食し蔵王連峰に沈む夕陽に1日の健康を感謝する毎日です。
趣味は海釣りとゴルフです。自宅のすぐ目の前が海です。阿武隈川下流域にて魚影が濃く、黒鯛、サヨリ、ヒラメ、カレイ、
海タナゴ、アイナメ、スズキ、ハゼ、イシモチ、アナゴ等々を釣ってきては命をいただく感謝をしながら食しています。
季節とともに変わり行く波と風と海水の濃淡をみて釣り時をきめます。時の刻みが止まっているように思える一時です。
ゴルフはシーズン30-40回といったところです。自己目標が年1回以上30台のスコアーをだすということでやってます。
ちなみに今季は5月に38が出て満足しています。家族状況ですが29歳の時妻を娶り子供は息子が一人です。 
妻は若かりし時準ミス瀬戸で容姿はそれなりだったのですが 6年前に○○○○を発症し・・・。
最新治療を受診しているのですが○○疾患の為大変厄介な病気です。 現在私のサポートが少々必要な状態です。
 そんな事情で立教会や同窓会といった宿泊のともなう集いは参加を断念しています。息子は堀井さんの八と同じように
名を新八といいます。丸の内の○○生命国際投資部で海外債権の売買業務に携わっています。平均睡眠時間は4・5時間との事。
親より出来がよかったのはカミサンの弟が岐阜大の教授をやっているのでそのようなDNAをすこしばかりひきついでくれたのかなと
おもってしまう親馬鹿です。ざっとした近況ですが一献傾けながら積もる話をしたいと思いつつ先の事情でそれもかなわず
拙文とあいなりました。状況が好転したらぜひお会いしたいですね。  堀井さんとご家族のご健康をお祈りいたします。
              7月28日       奥野和男
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* 奥野君への手紙        
                                2009年07月22日 
                   (今日、本人の手元に届く)
 学卒40周年記念に参加をしてクラスの名簿に貴君の名前をみて懐かしく、手紙を書いています。 
卒業前の半年間(S43・9〜44・2)日記をつけており、それを20数年前に倉庫の隅から見つけ出しました。 
  《字数制限のためカット、 2010年8月1日》
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2675, 東西が逆転を始めた! だと
 2008年08月01日(金)
  十年前、いや数年前まで、「東西逆転」という言葉など思いもよらなかった。この随想日記で書いたことがあるが、
  重心は地球を周る。「モンゴル、トルコ、欧州、そして現在はアメリカのエネルギーが、次は中国、インドになる」と。
  紆余曲折があろうとも、その流れになりそうである。アメリカの大統領の、あの男と、その背後のユダヤの諸々の事情、
  そう「9・11事件」で、事態は根こそぎ動き始めたのである。 情報化もあるが。アジアには地球の半分の人口が存在。
  その中国と、インド、そしてロシア(シベリア)に重心が移動始めたのである。これで俄然、娑婆が面白くなってはきたが、
  そのハザマにある日本は人口減という均衡縮小で対応するしかないのか? それもいいだう。
 〜〜〜〜
「東西逆転―アジア・30億人の資本主義者たち」ークライド・プレストウィッツ著
 《字数制限のためカット、 2010年8月1日》
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2007年08月01日(水)
2311, カント ー世界の限界は経験可能か?−1  (*´・ω・)ノはよー  
  『カントー世界の限界を経験することは可能かー」熊野純彦
                                   ー読書日記ー
 カントは難しい。ここでも何回か書いてきたが・・・
トルストイをして「何度読んでみても、サッパリ解らない」と言わせしめるほどである。
「それまでの哲学をカントで哲学を収れんし、その後の哲学は、カントから始まる」と言われている。
亀のようでも良いから少しずつでも理解してやろうと5年ほど前に決意。ことあるごとに、噛み砕いてあるカントの本や、
各種の哲学書の中のカントの章を読んでいるが、それでもサッパリ解らない。私が、カントの属性
(クル病とか、生活の規則正しさとか・・)でなく、哲学のエッセンスで解りえたのは、
・合理主義を経験主義を統合したこと
・「し・な・の」と憶え、『人は何処まで‘知り’えるのか』『人は‘何を成すべき’か』
  『何処まで‘望みえる’のか』  という人間の根本を追及していた。
・カントを説明する上で、ある哲学書が一枚の絵を紹介していた。
 −雨上がりの草原に小さな二人の姉妹がいて、マンドリンのような楽器を盲目の一人が弾いている。
 その逆側の娘が盲目の娘の肩越しに、雨上がりの草原の虹の景色をみているー
 この絵は、雨上がりの草原で若草の匂いの中、好きな楽器を弾いているが、眼がみえないため虹と草原の美しさを
 知ることができない。 人間は、その機能の範囲でしか対象を認識できない!ということである。
 世界の限界を経験しても、その限界を超えることは出来ないということだ。
・現象は、それぞれカラーのサングラスをかけてしか見えないし、その色に限定されるということである。
 −−−等々である
 以上の簡単なことを知るのに、悪い脳で必死に取り組んだ結果である。
 先日借りてきた『カントー世界の限界を経験することは可能かー」熊野純彦著ーNHK出版ーが、シンプルにカントの
 エッセンスを抜き出してあった。110頁ほどの本だが、視覚的にスウ~ッと入っていける?読んでいると、何か何面体かの
 球状鏡に色いろな意味が照り返しているような気持ちになる内容である。一度借りてきたことがあったが殆ど読まないで
 返してしまった。今回が、もう一つカントを理解するうえで、丁度良いタイミングなのだろう。 
 それとノロマながら、先ほどのことを、さらに一歩解りかけてきた。
 次回から、少し手間がかかるが、私の知的レベルに下げて、這いずりながらも意味を掘り下げてみたい。その為に、
 中古本だが注文をして読み始めた。 何度も何度も繰り返し書き込みを入れないと、とうてい歯が立たない。
 哲学は、脳の中枢の情報えり分けや、吸収の根幹に関わるので、避けて通ることはできない。 考えること、それが哲学である。 
 そして考えること、それが人間としての姿だからだ。「なに考えてんだ?自分は!」「なに考えてるんだ?あなたは!」と、
 何時も自分に、他人に問いかけているわりに考えるということを考えてない。そして、晩期になって、
「自分は何をしてきたのだろうか?」と、悶絶をする。 もう始めている? 本当にご苦労様です。 ホナナァ☆ |・∀・`@)ノ|Ю  
 ・・・・・・・・・
 2006年08月01日(火)
  1946, 満水の阿賀野川河口でカヌーに乗る−2      Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning
その日(7月29日)の夜、松下さんと長岡市の駅近くの「一心堂」というスナックで飲んだ。
そこで、「阿賀野川の河口で帆付きのカヌーで向う岸に渡ってきた」と、酔っ払いの自慢話。ところが、マスターとスタッフが、
そこをよく知っていて、「大きな川の河口は恐ろしいところで、あそこではエンジン付きの舟以外は誰も乗らない。
知らないだけで、とんでもないこと。何も知らない子供が、寝ている虎の背中に乗って遊んでいるようなもの。
少しでも川の流れが変化したら、どうなったことか・・・」と、呆れていた。翌日、会社で近くに住む人に話たところ更に厳しい指摘。
「あそこは海の波と川の波がぶつかり合っていて、いつどういう波が来るか分らないところ。 毎年何人か死んでいる。
そのため誰も泳ぐ人もいない危険地帯。この豪雨の翌日にカヌー遊びなど危険とかいう問題ではない。」
流木が多く流れていて危なそうだと思ったが。誰も泳いだり、ボートなどに乗ってないはずである。
松下さんは海が主流で川では乗らないといっていた。さらに大きな川や、その河口も初めてと言っていた。
知らぬが仏だったのか。 たまたま、そのような幸運なTPOSを遭遇したのか。 カヌーも経験すればするほど深い世界であり、
のめり込んでしまうという。一人でカヌーを持って海・川に行き、組み立て、そこで遊び、また解体して車に積み込み、一人で
帰ってくるのが良いという。 こういう趣味を持っているのは羨ましい限りである。おまけに、河口湖に別荘を持っていて、
そこでカヌー遊びなど・・・ 人は人、我は我だが・・・  こういう人の趣味などで羨ましいと思った時、
自分の趣味を持っていると余裕を持てるからよい・・・
「趣味は、その人をそのまま現す」というが、そのとおりである。
永年かけて一人で自分の世界を作り上げていくプロセスを楽しむもの・・人がとやかくいう世界とは別物。
*(ところで、一心堂というスナック開業70年という店。 私の母とマスターの母が同級生。
  その上、私の兄とマスターも同級生ときている。こういう老舗が地方都市には多いが、最近どんどん廃業している。
  このテーマと関係ないが)                 バイヾ( ̄ー ̄ヾ))))
・・・・・・・・
2005年08月01日(月)
 1581, 「これから5年・地価は半値になる」−4
この本に、「都心の大型マンションの暴落が引き金になって土地の下落は更に進む」と、あった。
そのままの記事が、五月号の「ヨミウリウィークリー」にあった。(昨日、図書館でみつけたものだが)いま人気の「品川」に、
価格破壊タワーマンションが1〜2年先に売り出されるとか。70年の定期借地権つき高層マンションで、80平米が3600万という。
《字数制限のためカット、 2010年8月1日》
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2004年08月01日(日)
 1216, 直立して歩くサル
先日のニュースで、ある動物園で直立をして歩くサルを報じていた。人間のように背筋を伸ばして歩いていた。
インフルエンザで高熱を出した後、直立で歩きだしたという。何かサルの惑星の世界のような不思議な感覚に陥ってしまった。
・風邪で脳の何処かをやられてしまったのか。・サルの歴史の中で直立で歩いていた時期があったのか。
・人間が歩き出したのは、脳をやられたサルが歩き出したのかもしれない。 等、考えてみたが。
一般にはサルが木にブラ下っているうちに背筋が伸びて、直立の骨型ができた。その後に、草原に獲物を獲るために出て行くうちに、
直立歩行になっていったと、信じていたが、サル学者はこの現象を如何みるのだろう?進化論で「脳内突然変異作用」の説が
あっただろうか。人間でも老人性痴呆症になった人が抑制がとれて突然、絵画の特殊才能が出たという例もあるという。
脳はまだまだ未知の領域である。それが注目をされた時は、悪化をしている時である。そう考えると、脳が最近になって
注目をされているというのは人類は少し脳がおかしくなってきているせいだ。それとも電脳といわれるコンピューターのせいだろうか。
・・・・・・・・・
2003年08月01日(金)
 849, ありがとうの話ー7
《字数制限のためカット、 2010年8月1日》
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2002年08月01日(木)
 474, ある小学6年生の作文
[僕の夢は一流のプロ野球選手になることです。 そのためには中学、高校と全国たいかいに出て活躍しなくては
なりません。活躍できるようになるためには練習が必要です。僕は三歳のときから練習を始めています。
三歳から七歳までは半年くらいはやっていましたが、三年生の時から今までは365日中360日は激しい練習をやってます。 
だから、一週間で友達と遊べる時間は5~6時間です。そんなに練習をやっているのだから、必ずプロ野球の選手になれると思います。
その球団は中日ドラゴンズか、西武ライオンズです。ドラフト入団で契約金は一億円以上が目標です。
僕が自信があるのは投手か打撃です。去年の夏、僕たちは全国大会に行きました。そして、ほとんどの投手を見てきましたが自分が
大会のナンバーワン。 選手と確信でき、打撃では県大会四試合のうちホームラン3本を打ちました。
そして全体を通した打率は5割8分3厘でした。このように自分でも納得いく成績でした。そして自分たちは一年間負けを知らずに
野球ができました。だから、この調子でこれからも頑張ります。そして、僕が一流の選手になって試合に出られるようになったら、
お世話になった人に招待券を配って応援してもらうのも夢のひとつです。とにかく一番大きな夢は野球選手になることです」
この文章はイチロウの子供時代の作文である。−「致知」という雑誌より「夢」と「意思」と
「実績からくる自信」が現れている。それと父親の指導がこの作文の文章からうかがいしれる。
・・・・・・・・・
2001年08月01日(水)
[94] 倒影について−1
投影といえば対象の中に自身の姿を見るとか,自身を相手に映し出すときにつかわれる。これに対し私が創ったか実際あった言葉か
忘れてたが、‘倒影’という心理がある。これが人間にとって曲者!ずるい批評家とかコンサルタント新興宗教の教祖が多用する。
他人の悪口はこの心理より発せられる。‘心の中の影’を自身の中より、対象の中に見てけだし否定する。
ずる賢いやつはそういう対象に近づき、否定すべきことを探しある時期がきたら手の裏を返す。誰もが持っている哀れな姿である。
新興宗教の教祖がそれをやる。 ダライラマとかに500万とか1000万の金を献金。会見したようにして会い、あたかも
同格のように写真をとる。そのうちいつのまに教徒にそれ以上と洗脳をする道具に使う。オウム教とかこの前詐欺でつかっまった
足もみの教団はその典型だ。女子短大レベルの若い女が表面的知識を得た時、まずおぼえるのがこの否定である。
それであとは何にも見えなくなってしまう。それで同格かそれ以上と錯覚してしまう。
何事も三分一は影があるが、その影探しだけに精を出す。

つれづれに

イメージ 1

イメージ 2

 今日のYoutube

http://www.youtube.com/watch?v=QXC9fgGYWf0&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=4UAnTBdD19E&NR=1

http://www.youtube.com/watch?v=a8U0HxhR2Bc&feature=related

 今朝、信濃川に行ったが、もう水量は普段より少し多めだが、濁水。
何とか?明日の大花火は開催されそうだが、天気予報は雨。
これでは、いずれにしても盛り上がりはないだろう。

 あまり刺激のない日々だが、慣れてくれば、これはこれで充実している。
午前中に、運動時間3時間では健康そのもの。4時半から昼間では息つく暇はない。

 ところで、濁水を見て思い出したのが、5年前の阿賀野川での河口の満水のカヌー、
刺激的だったが。
  ・・・・・
2006年07月31日(月)
 1945, 満水の阿賀野川河口でカヌーに乗る       (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ? ヨウ
豪雨で満水の阿賀野川河口でヨットカヌーに乗った。大学時代のゼミの後輩Mさんが、最近ヨットカヌーに凝っていて、
「今度、是非カヌーを乗ってみませんか」と誘われていた。先日行われた「新潟県活性化の会」を仕掛けている人だ。
来県の前日の27日に電話があり、「車の上にカヌーを乗せて東京の自宅から来たい」という。
天気予報では豪雨注意報が出ていたので「カヌーなど絶対に無理」と言ったが、それでも車の上にカヌーを乗せてやってきた。
「出来ないとしても、帰りの道すがら何処かの河で浮かばせるから!」という。 好きな人はそういうものだ。
天気予報では豪雨、絶対にこんな時にカヌーなど不可能と、服装などの準備は全くしていなかった。
一昨日の29日の朝、どういうわけか打って変わった穏やかな天候になった。(前夜半はかなり降ったようだが)
前回にMさんが来て一緒に飛行場周辺を見て回った時に、阿賀野川の河口がカヌーの最適の場所と目を付けていた。
当日そこに行ってみると、数日の豪雨のため河は溢れていた。しかし、Mさん「平気で大丈夫です、乗りましょう」という。    
この玩具みたいなカヌーでこの数百m、いや1キロ以上?もある河口を乗りまわるなど、とんでもないと思ったが、
本人は「平気、平気、何でもないですよ」という。 そして、ドンドンカヌーを組み立て始めた。 岸沿いを漕ぐのかと思いきや、
どんどん河の真ん中の主流に出て、そして対岸まで行ったしまった。\(゜ロ\) 当然この満水の中、他のボートは1隻も見当たらない。
沿岸にはモーター・ボートが20艘ほどあったが、この洪水一歩手前の中、誰も乗るはずがない。 (///>_<;////)ノ
始めは少し恐怖があったが乗っているうちに、恐ろしさが全くなくなってきた。地元の人からみたらとんでもことであろうが、
それにしても、面白い!豪雨のため大きな流木が彼方此方流れてくるが、それを避けながらボートを操るのだ。
ふと気づくと2時間近くたっていた。そして、午後は寺泊の海岸に移動、再びカヌーを浮かべた。また河とは違ったスリルがある。
風が不意に舞うのと、海流の動きをみながら操る。河とは全く違う面白さがある。Mさん、「このカヌーあげましょうか」というが、
私が乗りこなせるものではない。丁重にお断りをした。Mさん、ヨット歴をいれると30年は舟に乗っているという。
そりゃそうだろう。あの川幅のある阿賀野川の満水の中、流木を避けながらヨットカヌーを乗りこなすには長年の経験が必要だ。
Mさん、その日は遅くなったので急遽、長岡に宿泊。殿町を深夜まで飲み歩いた。そして、翌日の15時過ぎまで、再び寺泊で、
午前・午後にわたりカヌーをして、16時に東京にある自宅に帰っていった。 やってくる前日、知人の通夜があり、
数時間しか寝ないで新潟にきたというから、凄いエネルギーである。こういうのも、能力というのだろう。 
28日の活性化の会を含めて、この三日間は、刺激的であった。 ー阿賀野川の満水の河渡りは、一生ものの思い出になった!