宝くじには全く興味がなかった。一度、一枚だけ話の種に買ったことがある。
SCなどの店先の宝くじ売場で買っている人を見かける度、「夢を買っているんだ!」と思っていた。
   ー 教えて!Goo 、によると ー
【 問い=  例えば、以下のような宝くじは当選確率はどのくらいのものなのでしょうか。
  1等 1億円  20名  2等 1千万円 20名
  3等 百万円 200名  4等 5万円 30000名  例えば、1億円当たる確立は百万人に一人とか…
【 答え=
 ○ あなたが、宝くじの1等に当る確率は、1等の当選番号が、「11組111111番」になるのと同じです
 ○ 一般的な宝くじは、100kgの米の中からある1粒の米粒を探し出すのと同じくらいの確率だそうです。
 ○ 売り上げ枚数を調べれば簡単に分かりますよ 7億6千万枚ほど売れているようですから、完全ランダムで
   3800万枚に1枚ほど入っているかと
 ○ 年末ジャンボの場合、1ユニットで1000万枚発売されているそうです。
  1等は1ユニットあたり1本ですから、単純に1000万分の1ということになります。
 ○ 当選番号が 123456番だとした場合 最初のくらいの1番はどのくじにも着いているわけで,
  あとは1の位から万の位までの5つの数字の組み合わせは 10×10×10×10×10で10万分の1となりますよね
  ただし,これは一枚 買った場合で 連番で10枚買ってると 確率は その10分の1で 1万分の1ですね
  一等は宝くじでは この組の数が二桁あるので、その10×10の100倍 つまり、一枚 買って一等に当たるのは 
  千万分の1となりますよね
 ○ ちなみに東京ドームの敷地に新聞紙を敷き詰め、天井から針を落として新聞の一番小さい1文字に当たる確率と
  同じくらいとか聞きました。
 ▼ 一等、二等で合計500万分1の確率で、当たる分けがない。買う当人にとっては千分一の気持ち。
  アメリカなどで数十億円が当たるケースがあるが、それが元で不幸のどん底に落ちるケースが殆どという。
  悪銭身につかずである。それなら毎日、何とか5百円預金をすれば一年で18万円、10年で180万円、30年で金利
  含め1千万になり、遥かに効率が良い。 が、そうはいかないのが人間。生を受け、今、存在していること自体が
  奇跡なのに、それを生き切らなくて何が宝くじ。せめて、当たった夢をみたいのは分かるが。
  1億当たったところで、したいこと、買いたい物など、何も無いのも面白くないが。
・・・・・・
4101、私は完全な本 "日本の自殺 'ー5を作った
2012年6月17日(日)
   * 日本が直面する困難
 ここで書かれていた直面する困難の延長上に、現在がある。 現在の危機は文明がもたらしたもの。 
人間は歴史から何も学んでいないのである。その知恵の浅さに驚きざるをえない。自分を振り返れば分かることだが。
   ーまずは、要点の抜粋からー
【 まさに巨大化した世界国家(ローマ帝国)がその心臓部(ローマ)の繁栄をもたらし、そして実に皮肉なことに、
 この繁栄こそがめぐりめぐってやがては、世界国家(ローマ帝国)の心臓部(ローマ)を衰弱させることになっているのである。
 この意味では、没落は繁栄の代償であり、滅亡は巨大化の代償であったのだ。 現在(1975年)、日本経済はその処理を
 ひとつ誤ると日本を没落に追いやりかねないいくつかの重大な困難に直面しているといわれている。
◇ その第一は、資源・エネルギーのきびしい制約である。
 海外依存度の高いわが国にとって資源問題は明治維新以降の近代日本のアキレス腱であり、第二次世界大戦そのものが
 資源をめぐる国家間の衝突であったはずだが、 七〇年代の日本はこの歴史的経験から中途半端な教訓しか学ばなかった。 
 資源・エネルギーの長期安定供給の確保はすでに困難となってきており、抜本的な総合対策が講じられない限り、
 この面から日本経済はフィジカルな破局を迎える瀬戸際に立っている。
◇ その第二は、環境コストの急上昇である。
 環境コストの増加は他の諸条件との均衡を失することなく、長期的、総合的視野に立って進められるべきであった。なぜなら、
 環境コストの上昇は、企業収益の低下と価格上昇をもたらす可能性があり、まず輸出競争力の低下を通じて貿易にも影響をもたらす。 
 公害防止の大義名分のもとに長期的、総合的配慮を欠いたきびしい規制のごり押しを続けることにより、日本の企業がつぶれ、
 経済が破滅に陥るようでは、それこそ環境改善コストの源泉そのものが失われてしまうことになることは明らか。
◇ 第三は、労働力需要のひっ迫と賃金コストの急上昇である。・・・生産性を上回る大幅な賃金上昇は、物価に転嫁されるしかなく、
 かくして賃金・物価の悪循環によるインフレ要因は、前述の資源コストなかんずく石油価格の高騰によるインフレ要因と結びついて
 事態を深刻なものにしている。】
 ▼ 上記の3つの問題 ?資源問題、?環境問題、?賃金と物価の悪環境問題は、日本にとっても、世界にとっても待った無し。
  これは文明規模の問題になっている。20年前のソ連・東欧・中国の計画経済の放棄により自由主義圏が拡大、更に問題が
  大きくなっている。その意味では21世紀は、世界的混迷が拡大していくが、その先端にあるのが日本。 情報化による
  知識の平準化が進む半面、その最先端の情報を握ったグループの独裁も懸念される。直面する問題の肥大化は避けられない。
 ・・・・・・・
3735, 自分の居場所のみつけかた
2011年06月17日(金)
                    「自分の居場所のみつけかた」 ー 斉藤学
 ‘まえがき’の『 私の毎日は診察室という穴蔵にこもって、「生きていてしょうがない」「死にたいというより消えたい」
 などという人々の声に耳を傾けることですが、それらの訴えが母との居場所を求める仔の叫び声に聞こえることがあります。
 他人にそれを求めなくても、自分の心の中ですでに母がいることに気づけば楽だろうと思うのですが、それがうまくいってない。
 彼らが意識している心の中の母はほとんどの場合、彼らを責め、叱咤激励する母だからです。
  どうしたらこの「心の中の母子関係」を改善できるのかと迷う毎日なのです。が、その中から突然元気になる人々が少なからずいて、
 びっくりさせられます。どこがどう変わったというのでもなく、「まあ、このままの自分でいいや」と言い出すのです。
 居直るというか、「人として生きるのは苦しいが、その苦しいところが楽しい」といった心境のようです。 
 こうした人々についていつか書いてみたいと思っていました。』が、この本のアラスジになる。 どうも人は自分の安心できる
 居場所がないのが悩みのようだ。 過って、「自分の居場所」のテーマで書いたことがあった。
  9年前に<2002年06月07日(金) 430,自分の居場所 >を書いていた。  まず、その内容から・・
【 誰もが自分の居場所を持っている。逆に居場所がないということは、非常に厳しい状態の時である。
 自宅の自分の場所、会社の自分の場所、通勤の自分の場所、日祭日の自分の居場所、全て時間と同時に変わっていく。
 20代のある時、ある姉にいわれた。「あなたはすぐ自分の居場所を作り始める。まず部屋に椅子と机に本棚に本と手帳を配置する。
 それで、あなたの居場所ができあがる。あなたが座ると何気なく自分の物を机の上などに配置し、いつの間にあなたの場所ができている。」
 犬のマーキングのようなものか。 私だけでなく人間は同じようことをしているはずだが、少し過剰?
 《居場所とは、・自分が一人でいても寂しくないところ ・何かをしていて自分が生き生きしてるところ ・すわり心地の良いところ》
 そうすると趣味に没頭している時と場所が心の居場所だ。 毎朝あげるお経もそうかもしれない。 引っ越したら、別に住まいだけでなく、
 まずは居酒屋、そして昼飯を食べる店と自分の座る席。 猫もそれを本能的にしているはずだ、テリトリーとして。 】
 ▼ 私の場合、大人数の家族の末っ子ということで、あまり母は叱咤激励をしなかった。目が行き届かなかったのだろう。
  著者は精神的に心の奥底で母親の影響が大きく、目の前に居なくとも自分の安心できる場所を確保できない人を患者にした先生だ。。
  現在、会社を倒産で失った事態である。 会社は当然、居場所の大きな部分を占めていた。 が、あまり喪失感はない。
  つきつめると、生前の両親との関係が良好だったことにあるのか?。喪失に伴う痛みが、心の奥では何とか吸収してくれるのも、
  自分との折り合いが比較的うまくいっているためなのか。 会社の事務所に座っていた居場所が、ほぼ同じ感覚で、仏間の一角の
  書斎コーナーに移動できたこともある。そこに座っていると、本当に落ち着く。毎日が日曜日になった現在、家内と居間で対峙していて、
  互いにイライラしてくると、家内が寝室のTVの前に行くか、私が仏間に行くかで、住み分けが可能である。 その意味で、本拠地が
  出来てホッとしている。それとも、このHPが自分の居場所? 毎朝、10年分を読み返している時が、居場所に居る! 感がする。
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3370, デジカメを買えかえた!
 2010年06月17日(木)
 私はパソコン、デジカメ、iPodiPhoneデジタル一眼レフ、デジタル・ビデオ、そしてフォトストレージ(デジカメ写真の蓄積端末)
などの情報端末を持っている。 ベジタリアンを捩ってデジタリアンを自称しているが、今では大部分の人が、この程度なら持っているか?。 
毎日のブログの書き込みや、ウォーキング、サイクリングの際の必需品である。(TVとビデオ機器とステレオもあるが・・・) 
その中でデジカメとiPodiPhoneは肌身はなさず常時持ち歩いている。ブログの読書日記を書くさい本の文章の取り込みにも、
デジカメを使っている。
  ( 字数制限のためカット 2011年6月17日 )
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2995、ピーク・エンドの法則
2009年06月17日(水)
 ピーク・エンドの法則とは、ダニエル・カーネマンが1999年に発表した、「あらゆる経験の快苦の記憶は、ほぼ完全にピーク時と
終了時の快苦の度合いで決まる」という法則である。映画で、強く記憶に残るのは、最高の見せ場のシーンと最後のラストシーンになる。 
「終わりよければすべてよし」 というのも当てはまる。経験の記憶は主観によって変えられ、その出来事の長さには関係ない特徴がある。
人間の記憶は、自分で都合の良いように捏造するところがある。人間は全てを逐一記憶できないので、ピーク時と最後あたりの記憶が、
その経験の快苦を決めてしまう性格を持っているのである。家内と30数回の秘境を中心にして旅行に出ているが、後半になるほどに、
この旅行は良かったと互いに阿吽の呼吸で言うことにしている。 間違っても良くない話はしない。帰ってきてからも、同じこと。
せっかく行ったのだから、楽しい思い出にしてしまう。どちらにしても、それがよいのである。自分の人生のあらゆる場面でも、
そうすればよい。学生時代、色いろな事業の立ち上げ、そして人間関係もである。エンドも同じこと。人生も晩節を汚さずで、最後が重要。
しかし、その最後が難しいのである。人生では死に際になる。情けない姿を身近で多く見せつけられてきたが、他人事ではない。
人間は歳をとると、肉体だけでなく、精神も老いて晩節を汚してしまうのである。大手の代理店のツアーで、最後の宿泊日には、
その中では一番良いホテルに泊めるケースが多い。また、文章でも同じことである。最後の一行が肝心。で、いつも落ちに気を使う。
 落ちがつかないと、何か落ちつかない? 短いほど起承転結、そして落ちが必要となるが・・・。
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2631, 無法バブルマネー終わりの始まり −1
2008年06月17日(火)
                 「無法バブルマネー終わりの始まり」 松藤民輔:著
この本は「世界バブル経済終わりの始まり」の続編である。これによると、「日本の金融機関は労せずして、欧米の金融機関に《不戦勝》
してしまったに等しい。」という。なるほど、そういう見方ができる。どこもかしこも、毒饅頭をタップリ抱え込んでいるが、日本は、
その余裕がなかったことが幸いして、最小の傷で済んだのである。さらに、資源のない国だから、1974年、1978年のオイルショック
経験してきた御蔭で、日本は世界で一番エネルギー効率の良い国になっていたのである。 それは、政治家ではなく、国民一人ひとりが、
そして企業が生き残りをかけて闘ってきた結果である。この本には、エネルギー効率国際比較表がある。弱みを克服しているうちに
強みをつくってしまったのである。それによると、EUの1・7倍、アメリカの2倍、韓国の3・2倍、中国の8.7倍、ロシアの18倍である。
ロシアや中東のような、資源大国が使い放題の浪費経済から抜け出れないうちに、とうの昔に省エネルギー、「省資源型経済」を
実現していたのである。 また東京から大阪までの新幹線の二時間半の間に、本社が8割も集中した国を創りあげてしまったのである。
( 字数制限のためカット 2012年6月17日 )
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2007年06月17日 
2266, 欧米のビール圏とワイン圏      * ̄0 ̄)ノ[才八∃一]     
 ヨーロッパの国々や、その植民地に行って気づいたことは、ビール圏とワイン圏が大まかだが分かれていることである。 
ドイツやベルギー、イギリスはビール圏。^_^)/q□☆□p\(^_^ ) フランスやスペイン、イタリアはワイン圏。 
ドイツでも南はワインで、北はビール圏になるが・・・ビール圏は工業国が多く、勤勉で真面目なタイプで食事の時間が早い。
ワイン圏は農業国が多く、人生は楽しむものという国民性で、自分のプライベート・タイムや家族との交流を大切にし
飲食の時間が長い。料理はワイン圏の方が圧倒的に美味しいものが多く、ビール圏はそこに比べるとかなり落ちるようである。
日本はドイツの教育制度を取り入れたことと、武家社会だったこともあり、ビール圏に近いが、最近になってワイン圏の考え方が
急速に入ってきている。アメリカもイギリス系植民地だったこともあり、ビール圏である。アル中はワイン圏の方が多く、
人生は楽しむものという考え方が、酒量を多くさせてしまうようだ。 ∪ヽ(●-`Д´-)ノ彡☆ 酒持ッテコーヽ(#`Д´)ノ┌┛〃
とはいえ、日本のサラリーマンのように仕事仲間内で飲む習慣は少ない。□p\(^_^ ) カンパァーイ (  ゜Д゜もう一杯酒飲め !
美味しい世界各地の酒と肴を飲んできた。 中国には紹興酒、ロシアにはウォッカ、メキシコにはテキーラ、イギリスには
スコッチなど、世界にはその風土から生まれてきた酒があり、酒の肴を合せて飲むのが楽しみだ。その中でやはり日本人のためか
日本酒が一番好きである。 その中でも新潟の吟醸酒が最上である。それも駅のメーカー直販の店で、ワンカップ
280~500円位で売っているのが美味い。酒メーカーは戦略上、駅への酒の出荷は車内販売も含めて良い酒を出すからだ。
ビールは最近になって、好みもあるが日本のものが一番といってよいほど美味しい。40年前に初めて欧州に行ったときの
ビールとワインの美味しさをハッキリ憶えている。ワインなどポートワイン以外飲んだことも無かったこともあるが・・               
           (´・з・`)グッ。・:*:☆w(´・з・`)バァイ    
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2006年06月17日(土)
1901, 半年の総括              才八∋ウ_〆(∀`●)
 少し早いが「今年の半年の総括」をしてみる。
・まずは読書で印象に残ったのは、
 *「ウェブ進化論」               *「グーグル Google
 *「ズットやりたかったことを、やりなさい」   *「ローマから日本が見える」
 *「ジム・ロジャーズ世界を行く」どの一冊をとっても、衝撃的な内容であった。
 ( 字数制限のためカット 2011年6月17日 )
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2005年06月17日(金)
 1536, 「これから5年・地価は半値になる」  −読書日記ー
数日前から書店で立ち読みをしていたが、少し眉唾の「売らんかな」の題名の本と疑心暗鬼であった。
しかし、気になったので買って読んでみた。東京の不動産・事務所ビル・マンション事情が解りやすく、三人の対談方式なので
読みやすい。内容は業界関係なら周知している事実であろうが、地方では疎い情報を具体的に教えてくれている。
「都内の勝ち組立地の大型の物件以外は5年後に半値」というのも決してオーバーではないようだ。
現在、高層の億ションのいくつかの売れ残りが始まっているとか。大都市圏の一部での地価下げ止まりと上昇は、
海外有力ブランドの出店ラッシュと都市基盤整備による一時的カンフル剤をうったにすぎない。
・既に高級マンションの値引き合戦がおきていること、
・都心以外はビル賃料のダンピングで地価が下落していること、
・5年後の半値は銀座や青山ではなく、東京の十字架ゾーンを外れた場所とか、地方の値崩れが激しく総体では半値になるだろう
・十字架ゾーンから外れた郊外住宅やマンション、ニュータウンは既に暴落している。
・千葉の某団地は、都心マンションの頭金ほどの価格で購入できる。
・右肩上がり時代ではなく何時リストラされるか分からない時代はムリしてローンを組むと破産者になるだけと警告している。
・さらに日本人の「持家信仰」からの脱却を奨めている。
段の下がりきったマンションを娘のために買った」といっていた。
−以下、要点を抜粋してみるー
 ( 字数制限のためカット 2011年6月17日 )
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2004年06月17日(木)
1171, 哲学についてー5
  ー合理主義ー 
 近代科学と同時に、近代哲学の芽吹きが始まってきた。「世界は理性で理解できる」という「合理主義」の考え方である。
初めて合理主義哲学を提唱したのはデカルトである。16世紀末にフランスに生まれた聡明な学者だった彼は、志願将校として
ヨーロッパを見てまわって、人間の世界が書物の世界より多様性に富んでいることに気がつく。
そして次第に、「人間が芯に確信できるもの、確実に知ることができることがあるのだろうか」と思うようになる。
人間の思考というものを、哲学、数学、科学の分野から研究を始めた。出発点に戻って思考する「私は何を知ることができるか」
である。そしてかの有名な「われ思う、ゆえにわれ在り」という結論に達する。彼は「人間の究極は精神である」という結論から
現実世界は精神と物質という二つの要素から構成されるという考え方を導き出した。このように自然界を精神と物質、
主体と客体、観察する人される人の2種類に分ける考え方は、西洋人の考え方に組み込まれていく。今日まで哲学者の間で
デカルト的二元論」といわれてきた。デカルトは、このシリーズで取り上げなくてはならない一人である。
その時は、より詳しくその思想の内容をマトメテみたい。彼から後、多くの合理主義哲学の一派があらわれる。
彼らの基本理念は「現実世界の知識は理性をとおして得られるのである、知覚することによって得られた情報は本質的に
信頼できず、知識になるどころか、間違いの原因になる」というものである。デカルトの後にはスピノザライプニッツなどが出てくる。
デカルトスピノザは天才的な数学者であり、この二人にとって数学は「真に確実な知識を手に入れるための理想的な手本」であった。 
彼らは数学者が使っている手法を、現実世界を理解する為に利用できるなら、あらゆることが解明できると考えた。
我々が何気なく考えていることや、言葉などが先人によって考え出された上のことでしかない。
そう考えると、自分とは何ぞやと考えること自体ばかばかしくなってくる。   −つづく
・・・・・・・・・・
2003年06月17日(火)
804, 50歳の頃ー2
 ー50歳といえば1996年、平成8年である。今から見れば、まだ景気の先行きに明るさがあった。
・村山から橋本に首相が変わり。
狂牛病の0−157が社会的な大問題になっていた。
・携帯電話やパソコン・インターネットがが普及を始め
・この頃から『援助交際』とか『ルーズソックス』が流行りだした。
アトランタオリンピックが開かれ、マラソンでは有本が銅、柔道では野村、恵本が金、田村が銅メダルをとった。
・ロシアではエリツィンアメリカではクリントンが大統領に再選された。
・国内のベストセラーでは春山茂雄『脳内革命』野口悠紀雄の『超勉強法』がベストセラーになっていた。
個人的には
・母が亡くなった年である。海外旅行はエジプト、インカ・ペルーと南アフリカに行った。
 会社のほうは第三の増築をして、客室が合計500室になった。こう当時を振り返ってみると、時代背景が個人も
会社にも大きく関わっていることが解る。また刻一刻と時代が変化している。 個人的にも色いろの出来事があった。
その殆んどが忘却のかなたになっているが、それだかこそ生きていけるのだろう。
これからは60,70,80歳の坂を乗り越えていかなくてはならない。 現在とは過去から見たら最長老であり、
未来から見たら最年少といえる。 こうして文章を書いているとつくづく実感する。
・・・・・・・
2002年06月17日(月)
 440,自己不一致の人
誰でも持っている要素である。組織も対象の人とも合わない、突き詰めてみると自分と合わない人だ。自分の事といってよい。
・今所属している組織か職業と自己一致しているかである。・夫婦間の問題 ・両親の仲が良かったか
中学時の問題児は両親の不一致である場合が多い。不幸にしているのは本人にその意識がないことだ。あと舅・姑の関係も絡んでくる。
家庭内が安定しているかどうかであるし、やはり家系も関係している。夫婦間を見ていると、いろいろな問題がある。それがそのまま
子供に反映してくる。あるいは自分に反映する。   ( 字数制限のためカット 2011年6月17日 )
・・・・・・・・・
2001年06月17日(日)
[55] ジョーク集について
 ≪字数制限のためカット2010年6月17日≫

つれづれに

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他のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/54909/
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今日のYoutube
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 まあ、一週間の経つことの早いこと。あっという間である。
一日単位では充実しているが、一週間単位では短い。
変わり栄えのしないことの繰り返しだからだろう。

・・・・・・
1171, 哲学についてー5
2004年06月17日(木)
ー合理主義ー 
近代科学と同時に、近代哲学の芽吹きが始まってきた。
「世界は理性で理解できる」という「合理主義」の考え方である。
初めて合理主義哲学を提唱したのはデカルトである。
16世紀末にフランスに生まれた聡明な学者だった彼は、志願将校としてヨーロッパを見てまわって、
人間の世界が書物の世界より多様性に富んでいることに気がつく。 そして次第に、
「人間が芯に確信できるもの、確実に知ることができることがあるのだろうか」と思うようになる。
人間の思考というものを、哲学、数学、科学の分野から研究を始めた。
出発点に戻って思考する「私は何を知ることができるか」である。
そしてかの有名な「われ思う、ゆえにわれ在り」という結論に達する。
彼は「人間の究極は精神である」という結論から現実世界は精神と物質という二つの要素から
構成されるという考え方を導き出した。このように自然界を精神と物質、主体と客体、観察する人
される人の2種類に分ける考え方は、西洋人の考え方に組み込まれていく。今日まで哲学者の間で
デカルト的二元論」といわれてきた。
デカルトは、このシリーズで取り上げなくてはならない一人である。
その時は、より詳しくその思想の内容をマトメテみたい。
彼から後、多くの合理主義哲学の一派があらわれる。
彼らの基本理念は「現実世界の知識は理性をとおして得られるのである、知覚することによって
得られた情報は本質的に信頼できず、知識になるどころか、間違いの原因になる」というものである。
デカルトの後にはスピノザライプニッツのなどが出てくる。
デカルトスピノザは天才的な数学者であり、この二人にとって数学は「真に確実な知識を
手に入れるための理想的な手本」であった。彼らは数学者が使っている手法を、現実世界を
理解する為に利用できるなら、あらゆることが解明できると考えた。
我々が何気なく考えていることや、言葉などが殆どすべてが先人によって考え出された上のことでしかない。
そう考えると、自分とは何ぞやと考えること自体ばかばかしくなってくる。   -つづく