「ぼんやりの時間」辰濃 和男 (著) 
   *  「ぼんやり」と響き合う一文字 ー?
 響き合う一文字で、言葉の意味を考える方法もあるのだ。そして、以下の5文字がよい。
その最初が闇とは・・ 闇は人を思索の世界に誘う。「ぼんやり」とは、闇の世界で迷子になっている状態なのか。
その5文字は
1、「闇」―蛍と星とダークマター
2、「独」―独りでいること
3、「閑」―逆茂木に囲まれて
4、「怠」―「1日4時間労働」の夢
5、「懶」―心の余白 である。
   ☆ まずは「闇」から
《 消えてはまた光って飛びつづけている。お前さんは、眠るのを忘れてしまったのか、恋人が見つけられず、そうやって
 ふらふらしていたのか、いつまで舞いつづけるつもりなのか、とらちもないことを思って見守っているうちに、蛍の光
ふっと消えた。力を出し尽くしてくたびれてしまったのかもしれないし、劇的なめぐりあいがあったのかもしれない・・・
崖の上に何本かの椎の木が闇につつまれている。その梢の間に光るものがあり、一瞬、それもまた蛍かと思ったが、星だった。
蛍の光とは違って、星の光はずっと小さく、冷たい感じだった。 夜空の闇の広さを見ながら、宇宙ではやはり闇が主役なのだ
という思いがわいた。ごく感覚的にいえば、銀河の壮麗さは、澄みきった大気に包まれた闇があってはじめて私たちの視界に
入るのだろうし、月を見る楽しさも透明な闇の濃さに左右されるはずだ。花火の豪華けん麗さをひきたてるのも真の闇で、
真の闇を失えぱ、花火はいくら塀を競っても人をひきつけない。蛍だって、闇があるからこそ光を放つことの意味が出てくる。
夜の景色の基調は、なんといっても闇なのだ。 ・・ いや、本音をいえば、私は光より闇、陽より陰、実よりも虚、
緊より緩、作為より無為、色よりも空などが、よほど、この世の仕組みをつくっているのに大切な役割を果たしているはずと
思っている。・・・ 》
 ▼ ここで、宇宙を支配しているダークマターダークエネルギーを引合にだし、宇宙を本当の主役は暗黒物質とその 
  エネルギーとして、考えると闇の大切が、人生論で「ぼんやりのたいせつさが」が、重なりみえてくる。そうである、
 もっともっとボ〜っとするべきである。
・・・・・・
4404, 隠居大学ーよく遊びよく遊べ −4
2013年04月07日(日)
    * 第三時限 いい加減にしなさい   ー「隠居大学」天野祐吉、お相手 赤瀬川原平 
 「遠き日は 年とるごとに 近くなり」 という句があるが、最近、特に感じているのは私だけでないだろう。
御隠居は日々この感慨を持ちながら人生を振りかえ鳥瞰し、残された一日一日を噛み締め味わう楽しみがある。
隠居生活は娑婆(雑多な日常)から隠れることであって、人生からの御隠れではない。起承転結の「転結」を
「転々」に変え、転がりながら最期を迎えること。 それもこれも、どうでもよいこと! ーその辺りを抜粋ー
≪ 天野: 力を抜いて自分をコントロールする上で、老人力は非常に重要な要素じゃないですか。
  前回のゲストの外山滋比古さんは、忘れるということがいかに重要かという話をしてくれたんです。
 第二の人生で定年まで、一生懸命詰め込んだような知識は、第二の人生で自由に生きるというときには
 何の役にも立たない。そんなものは、思いっきりきれいに忘れてしまったほうがいい、というふうに。
赤瀬川: いらないものを捨てたら、キャパが広がりますしね。
天野: そう。頭の容積は決まっているわけだから、サラ地にして、新しい作物をつくりましょうという話をしていただいてね。
 そのときにも赤瀬川さんの『老人力』のお話を思い出していたんです。老人は忘れっぽいということで世の中はいけないことの
 ように思っているけれど、そうではないんだと。たとえば、若い人は失恋なんかしたら大変で、その苦しみや悲しみを忘れる
 ことができなくていつまでもメソメソ悩む。でも老人は「忘却力」を身につけているから、すぐに忘れてしまうことができる。
赤瀬川: ええ、強い忘却力を持っていますね。
天野: そう、これまでマイナスイメージでしかなかった「忘れっぽさ」をそんな悪いもんじゃない、というふうに書かれていた。 
 あの本は、ものすごいベストセラーになったけれども、どういうつもりで買ったのでしょうね。老人はまだ社会に役に立つと
 でも思ったのでしょうね。 実際は違うのに。・・・ ボケたとかモウロクしたのが、老人力がついたとかポジティブに
 書かれて悪い気がしないですよね。≫
▼ 「神様(自然)は、老いの苦悩苦痛を和らげるため、忘却と鈍感さを与えて下さった」という解釈がある。老いて
 今さら気ばんでも致しかたがないし、運命に従うしかない。忘却といえば、この随想日記。書き上げアップロードをした瞬間、
 内容は勿論、テーマすら綺麗さっぱり忘れて、頭は翌日のテーマと内容になる。直後から次回分の書き直しを始めるからだ。
 だから数時間後でも、その文に対し第三者になっている。 この最大の収穫は、過去に書いた同月同日分12年分の文章に出会う
 ことである。時空を超えた自分に毎朝出会うのも良いもの。また「(自)己の分」の限界も見えてくる。それを第三者に曝す
 のも自虐だが「所詮こんなもの」という諦観が出来る。「いい加減にしろ、先は短いのだから娑婆気を減らせ」ということ。
・・・・・・
4030, 一時停止  ー谷川俊太郎ー自選散文
2012年04月07日(土)
          「一時停止」 谷川俊太郎ー自選散文ー1955〜2010
 図書館で借りてきたが、直ぐにアマゾンで購入した。谷川俊太郎の詩集や特集の雑誌を何冊か、読んできた。
その散文集なら面白くないわけがない。谷川の詩も文章も、ストンと心に落ちて振動する。青年期に、谷川の著書を読んでいたら、
人生は変わってはず。 言葉を仕事にしている詩人の書いた文章は、分かりやすい。読み手の目線を常に意識しているためだ。
  * 「青年という獣」1957年 ーより
≪・・生きているということと、生活しているということとの相違をもっともてっと早やく云えば、前者を非人間的、後者を
人間的と云って 差しつかいないだろうとぼくは思う。生きるとは、コスモスの中に生きることだが、生活するとは、人間の
社会の中に生きることだ。現代ではこの違いを理解する人は少ない。下手をすると、コスモスなどという言葉は野暮な言葉で、
悪くすると危険な言葉にされかねない。青年は意識的、無意識的にかかわらず、これに抗議する。青年は生きようとするもので
あって、生活しようとするものではない。一見如何にソシアルに見える彼の行為も、その意味では本当にソシアルになり得ない
ものだとぼくは思う。何故なら、人間以外のものになることを、いやいやながらでもあきらめてこそ、始めて人は人間になれる
ものだからだ。人間は生活という唯一の現実によって人間になる。青年は生活以外のすべての夢によって青年になる。
青年は人間である必要はないのだ。彼は自分の夢を喰って生きる位の非人間的な強さをもつていなければならぬ。
倦怠はおそかれはやかれ彼を襲うのだ。その前に彼の肉体がまだ新しいうちに、青年は彼の役割を果さねばならぬ。
ビリイ・ザ・キッドは若かつた。彼は太陽や風や、残酷な青空や、愛らしい女を知つていた。彼はコスモスとその中の生命
とに気づいていた。彼は人間や、その生活などを知りはしなかった。彼が強かつたのはそのためだ。彼は死のもつ非人間的な
意味だけに気づいていた。死のもつ人間的な意味などに気をとられなかつた。彼の手が震えなかつたのはそのためだ。
そのためにこそ、彼は人間としても偉かつた。彼は人間を代表して、コスモスの真只中に立つてひるまなかつた。
彼は人聞を殺すことで、コスモスと戦つたのだ。≫
▼ 創業は、全く経験のない思い込みの未知の生命体を創り上げること。それは「生きる」分野にある。それは創業という
 獣的行為。生活のためであっても、それを創るには人間性を、普通の生活者の考えを、根こそぎ捨ててかからなければならない。 
ここで、「青年は生活以外のすべての夢によって青年になる。青年は人間である必要はないのだ。彼は自分の夢を喰って生きる
くらいの非人間的な強さをもつていなければならぬ。倦怠はおそかれはやかれ彼を襲うのだ。その前に彼の肉体がまだ新しいうちに、
青年は彼の役割を果さねばならぬ。」とある。新たな事業を始めよう決心した瞬間から、非人間的になる。獣にならなくては
創業など不可能。何時の間に獣から普通の生活者になっていた。地元の生活者の中の創業は獣の姿を曝すことになる。 
本当の生活者になるのは、これから。 
  ・・・・・・
3664, 閑話小題
2011年04月07日(木)
  * 駅やSC内のATMが閉鎖は
 今だに駅やSC内のATMが節電を名目に閉鎖されたままである。これは間接的、現金引き出しの窓口規制そのもの。
支店、営業所内のATMは開かれているが数は僅か、不便そのもの。経済的側面からみたら、大震災と原発事故全体を
地震とすると、大津波は本格的経済恐慌で襲いくる。電力と節約の呼びかけは、消費を冷やす効果は充分にある。
  * スポーツクラブだけは盛況
 家内がスポーツクラブに10年以上も行っているので、同行してみた。
驚いたのは平日の午前に関わらず、中高年の人たちで満杯だったこと。100人位に人たちがマシーンと共に
無言でひたすら運動していたことである。雰囲気は開放的で明るい。分かっていたら、前から通っていただろう。
「平日の10時から17時までの時間帯コース」の会費が大よそ6千円、10〜22時のフルコースだと8千円。 
週に4日×4=16日が平均とすると、一日400円〜500円。 施設からみてそう高い感じはしない。
それより、歩いて15分のところに、公営施設の中に、大きなジムがある。これは、一回300円、3月で1800円。
以前、入会しそうになったが、止めたことがあった。 早朝のウォーキングか、サイクリングをしていたが・・・ 
 ・・・・・・・
3299,金融世界大戦 という捉え方
 2010年04月07日(水)
 * 軍事戦争から金融戦争へ(兵器から債権へ)
 経済評論家の田中宇が「金融世界大戦」という造語で、現在の金融恐慌の本質を説明している。
さらに「金融兵器」という恐ろしい言葉が加わったのである。これをアメリカ国内だけでなく、世界中に時限爆弾入り兵器
という危ないやつである。 何処かで爆発をすると、それは繋がっていて連鎖爆発をする危険なシロモノ。
「世界的な軍事戦争が出来なくなった代わりに、金融による世界覇権をめざした米英が、破壊兵器=金融債権を武器に世界制覇を
狙ったが、それが敢え無く破綻し、世界を恐慌に導いてしまった。 一時、世界経済を米英を親とした「ねずみ講」をつくり上げ、
世界中のものを紙切れで買い漁っていた実態が崩壊した。 これで世界中の貨幣制度の根底に大きなヒビが入ってしまった、しかし
大元のアメリカは破壊した金融機関やGMなどを国有化し、何とか体裁を保っているドルを注入し、立ち直りを図っている。
詐欺師は元もとの金や資源を温存しているから、ドルや債権の価値を徹底的に下げてしまえば、傷は最小で済む。しかし被害者は
輪転機を持っているわけでない、その負債を負わされ国家破綻、すなわちハイパーインフレで国民の金融財産の大部分が消滅する。
 世界の国々はアメリカの、こうしたネズミ講の危なさを知らずにアメリカ国債や、アメリカの銀行が発行するCDOやCDS
見境なく買ってしまったのである。 現在、各国が何とか金融破壊兵器を爆発させないように必死に持ちこたえているが、
これも時間の問題。 ユーロ圏か、アメリカか、中国から、その爆発が始るのは防ぐことは不可能である。 破壊兵器(債権)は、
世界中にばら撒かれ、連鎖して世界中を破壊する。 それはデフレスパイラルから、ハイパーインフレへの転換期に始る。
日本はアメリカの金融占領国の悲哀を株価暴落か、(一時的な円高の後?に)円安という形で日本を襲ってくる。 
「気がつきゃホームでゴロ寝」で、IMFの管理国家として裸同然の国に落ちぶれることになる。アメリカは第二次大戦後、朝鮮戦争
ベトナム戦争、冷戦、そしてソ連の崩壊後は、アフガン、イラク戦争と戦い続けている。 
ところがソ連が弱体化を始めた1980年頃から、米英は軍事から金融戦争に軸を変え始めたのである。その一つがプラザ合意
から始る日本のバブルと、破綻である。  (字数制限のためカット 2012年4月7日)
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2924,中沢新一の『三位一体モデル』 −3
2009年04月07日(火)
          『三位一体モデル』中沢新一著   読書日記
 * 煉獄の発明
キリスト教の資本主義にとって、都合の良い「煉獄」を発明した。中世にこれを発明したのは、実に都合の良い大発明にある。
それまでは天国と地獄しかなかった。しかし、この発明で、いったん地獄に落ちた人が煉獄に地獄から這い上がれば、
上から天子がやってきて、天国にむかえてくれますよ、と、こんなことを言い出したのである。こういう経緯を経て、
資本主義が動き出したのである。これは恐らく商人のために考えられたもので、動物の殺生などに従事していた職人たちも、
その恩恵にあやかった。それまでは彼等には、まったく救済がなかった。だから、生前、極悪非道の金貸し商人だった人が、
死後に、煉獄の山を苦労して登り、天国に行ったという話しがでっちあげられるようになった。こうした経緯を経て、
西欧州の資本主義が動き出した。ガシャガシャと動き出したのが13〜14世紀。それから、16,17世紀を経て、
19世紀にフル活動をするようになった。もし煉獄とうの考え方がなかったら、今日の西欧資本主義はなかった、といえる。
ようするに一神教である限り、資本主義の潜在力は抑えられてしまう可能性があった。発達を可能にしたのは、それに加え、
増殖の原理を飲み込んでいたからである。キリスト教は、西と東に分裂したが、東のギリシャ、ロシア、東欧のキリスト教圏では
資本主義は実現できなかったのも「三位一体」の理解法にあったのである。1990年代まで続いた東西対立の、
いちばん深い根っこの部分にも「三位一体」は関係している。さらには、現在のロシアの経済が何故あんなに混乱しているのか、
また、70?80年前に。その地に何故社会主義なるものができたのか。これも、この三位一体の歴史問題と関わってくる。
 ▼ 煉獄という言葉を知ったのはロシアの文豪ソルジェニツゥインの『煉獄の中で』である。
地獄の一歩手前のところと解釈していたが・・・
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2560, ホモ・ルーデンス ー2
2008年04月07日(月)          (*´∀`)」" おはよう☆彡
子供の頃、無我夢中で遊んでいた頃の楽しさ、あの時の無我夢中の気持ちが人生の中で大きな位置を占めていたのである。
人生の要諦、「よく学び、よく遊び、よく働く」のうち、一番満足度が高いのは、「よく遊んだこと」である。 
 ただし「よく」である??。 まずは遊びの本質と定義について書いてある部分を抜粋してみよう。
 ー文化は遊びのなかにはじまるー
遊びは文化よりも古い。動物は人間とまったく同じように遊びをしている。遊びの基本的な要素のすべてが、
すでに動物の戯れのなかにはっきりとあらわれている。子犬が遊び戯れているところを観察してみさえすればよい。
子犬は一種の儀式めいた身振り、動作で、たがいに気を引きあったりする。相手の耳を血が出るほど噛んではいけないという
規則も守っている。まるで恐ろしく怒っているかのようなふりをして見せる。
もっとも重要なことは、子犬はこれらすぺてを明らかに嬉々として楽しんでやっているということである。
このように動物の場合と同様、人を夢中にさせる力、〈面白さ〉のなかに遊びの本質があり、〈面白さ〉こそ、人間にとって
 もっとも根源的なものである。人類が共同生活をはじめるようになったとき、その行動にはすべて最初から
遊びが織り交ぜられていた。 たとえば、人類の最初にして最高の道具である言語である。 
言語によってものごとを表現したり、伝えたりするという行為はいつも遊びながら行われるのである。 
どんな抽象の表現でも、その背後にあるのは比喩であり、いかなる比喩のなかにも言葉の遊びが隠されている。
 *遊びを定義すると
遊びとは、ある限定された時間および空間のなかで行われる、自発的な行為もしくは活動であり、自発的に受け容れられた、
絶対的な拘束力を持つ規則に従っている。遊びの目的は行為そのものにあり、それは、緊張と歓びの感情を伴い、
また〈これは日常生活とは別のものだ〉という意識に裏づけられた、何ものかをめぐる闘争ないし表現である。
このような遊びが地球上のあらゆる地域に同じような形式や観念のもとに存在することが確かめられているが、
このことは、人間に遊びという機能が先天的に与えられているということの何よりの証拠である。
 ▼ 日本文化の典型の、茶道とか、華道は、遊びなのか、それとも修養なのか? 前記の内容からしたら、遊びそのもの
ということが出来る。ひと時の安らぎの茶のひと時を、茶道という文化に高めたのだから粋である。パソコンのインターネットも、
携帯電話も子供や若者の遊び心から飛躍的に普及した。ホモ・ハーベン(働き蜂人間)だけでは人生はつまらないだろうが、
仕事を遊びまで昇華させれば、良いだろう。 死を直前にした人間で、もっと働いておけば良かったと後悔する御仁は少ない。
もっと色いろなことをして楽しみたかった!という人が大部分である。     。・∀・)ノ ホナ!
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2007年04月07日(土)
2195, ファンタジー文学の世界へ ー1    *^○^*)ハ?ヨウサン!
「ファンタジー文学の世界へ 」ー主観の哲学のためにー 工藤左千夫著 (成文社)  ー読書日記
 一般的にファンタジーとは、夢 のような空想を元にした小説のことをいい、現代社会から、かけ離れた人物、
 事実、世界観がテーマとなる。前回にも書いたが、ファンタジーには、二通りのジャンルがある。
ハイ・ファンタジー とロー・ファンタジーである。*ハイ・ファンタジーとは、社会構成・環境・文化など、世界観が
詳細に設定されたファンタジー小説のことです。 過去にも未来にも、世界のどこにも存在しない別世界を題材にしている。
*それに対しロー・ファンタジーは、現代を舞台にしたファンタジーで、ちょっとした不思議な世界を題材にする。
   情報社会の中で合理的世界観から一歩はなれて、非合理的な世界を持つことで合理的社会を鳥瞰することも必要となる。
この本はファンタジー感覚の発祥と変遷について書いている。初期ファンタジーは、強烈な目的性を志向し、その通過儀礼
特徴としている。 それに対し現代ファンタジーの傾向は、目的よりも存在論的視野を目指す傾向が強い、と論じている。
   この本の面白そうなところを、幾つか抜粋してみよう。   (字数制限のためカット 2010年4月7日)
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2006年04月07日(金)
1830, あちら側の世界 ー8        (’0’)d おっ w(゜Д゜)w ハァ?
ウェブ進化論」の中で、「グーグルアース」を紹介していた。地球地図・映像検索である。
早速、グーグルのHPよりソフトをダウンロードをして使ってみた。ただただ驚きである。
月の位置から地球に近づいて、見たい場所に降りていって、家や車や木まで見えるところまで接近できる。
(字数の関係でカット2008年04月07日)             (v^ー°)バイバイ!
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2005年04月07日(木)
1465, なんじゃい、こりゃ!
またかい!このホームページを見ている常連なら、オーバーな表現と思うだろう。
 ただ実感でいう正直な話で、その時書いた文章である。
   (字数制限のためカット 2012年4月7日)
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2004年04月07日(水)
 1100, 撃墜王の秘密
ある本の「撃墜王の戦法」がなかなか面白い。そのまま書き写してみる。ー第二次世界大戦で「独特の戦法をとった」
二人のパイロットは、ハルトマン少佐とその師であるロスマン軍曹。ハルトマンは確認されているだけで敵機352機、
ロスマンも80機以上も撃墜している。その戦法を最初に考案したのはロスマンである。彼はパイロットになりたての頃、
完治不能の傷を負った。
 (字数制限のためカット 2012年4月7日)
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2003年04月07日(月)
 733, 30年間着ている礼服
現在も着ている礼服は忘れもしない記憶がある。ちょうど30年前になる。父が「あと2週間の命」と医者に宣告された直後に
母にいわれて、「村田仕立て屋」に、父に解らないように出かけて、つくったものだ。
  (字数の関係でカット2011年04月07日)  
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2002年04月07日(日)
 369,植民地経営
西アフリカに行った時聞いた話しである。 文明国を統治する方法として、次の3つがある。
1、直接統治 2、間接統治でそこの王族と手を組み統治 3、隣国に間接統治の王国に攻めさせ統治
大体がこの3つである。 (字数の関係でカット2013年04月07日)

ノルウェー登山列車 ー2

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他のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/54909/
http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive



https://www.youtube.com/watch?v=76tiXrxjgbc
http://video.search.yahoo.co.jp/search?tt=c&ei=UTF-8&fr=sfp_as&aq=-1&oq=&p=%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B9%E6%BB%9D&meta=vc%3D

世界最高の眺め」と賞されるノルウェーのフロム鉄道。途中にあるショース滝駅では
数 分間停車し、ホームのすぐ脇にある滝を鑑賞することができます。滝のすぐ脇から
なぜか女の人が出てきて音楽に合わせて踊ったりとショー的な要素もあったりします



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2005年04月07日(木)
1465, なんじゃい、こりゃ!


またかい!このホームページを見ている常連なら、
オーバーな表現と思うだろう。
ただ実感でいう正直な話で、その時書いた文章である。
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たまたま日本酒を取引先から貰って飲んだ感想をそのまま書く。

「これは今までとは全く違うほど美味しい酒ですよ!」
といって置いていった酒である。
その人から、普段は飲まないような極上の酒を数回か貰っていたが。

そのことも忘れて口に含んだと同時に、その美味さにビックリ仰天。
新潟の土地柄もあり美味しい酒は数限り飲んできたが、これが特別なのである。

早くいえば、今まで飲んだ日本酒で一番美味しい。
「嘘だろう、今まで日本酒に関しては美味しい酒は飲んできたのに。
自分が変ではないだろうか」と、飲んで何回も口に含んでみた。
しかし美味しいのである。

日本酒に関しては、この随想日記にも書いたことがあるが、
美味しい酒が飲める環境にあった。
地元の人がみている前提で書いているが、美味しいものは美味しい。

そこで、その酒の箱を見てみたら、ヤッパリ仰々しい印刷があった。
「ロンドン開催ー第12回国際酒祭り酒類審査会ー世界第一位受賞」と書いてあった。
天領盃 大吟醸」が、酒の名前。
メーカーは佐渡の「佐渡吟醸株式会社」。
このラベルにつられて、美味しいと思ったのではない。

口に入れた瞬間、ただ水を飲んでいるようで何の味もしなかった。
そして二口目を口に入れたとき、何ともいえない香りと味がしてきた。
朝日山の久保田(万寿)や、吟醸古酒を少し薄口にした味というと、
かなり大雑把な表現になるが。

酒の世界の深さを殆ど知らないが、底の知れない世界があるのだろう。
そういえば先日TVで、メーカー名は忘れたが四号瓶で数万円もする日本酒を紹介していた。
数十年かけて醸造したものであった。
どんな味がするのだろうか。

ワインなどは、もっともっと深い世界があるのだろう。
ー酒通がこの文章を読んだら、この程度でと鼻先でわら笑うだろうがー

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2004年04月07日(水)
1100, 撃墜王の秘密

ある本の「撃墜王の戦法」がなかなか面白い。
そのまま書き写してみる。

第二次世界大戦で「独特の戦法をとった」二人のパイロットは、ハルトマン少佐と
その師であるロスマン軍曹。ハルトマンは確認されているだけで敵機352機、
ロスマンも80機以上も撃墜している。

その戦法を最初に考案したのはロスマンである。
彼はパイロットになりたての頃、完治不能の傷を負った。

普通、接近戦になると体力が勝っている方が有利であった。
そこで普通の戦法ではとうてい生き残れないと悟ったロスマンは、考えつくした末、
自分の体力を補うテクニックを編み出した。

彼は体力戦勝負の接近戦をやめて、計算しつくした戦法に切り換えた。
一つ一つの攻撃に、それぞれの計画を練り上げた。

敵に実際に銃弾を浴びせることを考えないで、どうチャンスものにするか、
さまさまな情況を分析することに多くの時間を費やしたのである。

彼が攻撃に出るのは確実に勝利が取れるポジションを取れたときだけだった。
理想的な標的となった相手にだけ、ありったけのエネルギーを使って
集中攻撃をしかけるのだ。

ハルトマンは、ロスマンの「相手をよく見極めてから集中砲火を浴びせる」
戦法が優れていることを、自らの戦果で証明をした。ー


ー以上のことより学ぶことは、
完治不能の腕を持ったことで、考えつくして全く違った戦法を自ら作った
ことである。色いろな情況の研究に全てのエネルギーを入れたことだ。
 孫子の兵法と同じである。

普通のパイロットは、接近戦の銃撃の手法を研究したのに対して、
確実に勝利の取れるポジションとりの研究をしていたのだ。
チャンスが来るまでエネルギーと知識の保存を充分に蓄積していたのだ。

過去に上手くいったケースを考えると、大体がそうである。
勝てるポジション取りであったのだ。
人の真似とか、表面を見て準備不足の事業は失敗をしてきた。

といって、この時代ジックリ準備といっている間にチャンスは一瞬で消え去る。
難しいところだ。

一病息災というが,一つ病気を持っていたほうが健康にとってよいのも
事実である。
 
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2003年04月07日(月)
733, 30年間着ている礼服

現在も着ている礼服は忘れもしない記憶がある。
ちょうど30年前になる。
父が「あと2週間の命」と医者に宣告された直後に母にいわれて、
「村田仕立て屋」に、父に解らないように出かけて、つくったものだ。
今でもしっかり冠婚葬祭に着ているが、全く古い感じがしない。
私が子供の頃に注文服も扱っていた頃から出入りしていた仕立て職人で、
腕がよい人だった。

 年に4回位、平均して着ているとしても、120回でしかない。
それも大体が半日だから、そういたむものではないが。
しかし身につけるもので30年も使っているものは勿論これだけある。
まだまだ十年以上は使えそうなので、一生ものである。
ということは体形が30年変わってないということだ。
当時は体重が56キロ、ウエストは76センチ。
現在は60キロ、ウエストは79センチだ。
ズボンの腰周りを20年前に直したが。こうなると愛着がわくものである。

 話は変わるが、
その時もしかしたら、「父は勘で注文にいっていることを知っていたので
はなかろうか?」とこの文章を書いていて気づいた。
何か生々しい話になったが、私が死んだ時にお棺に入れてもらおう。
嬉しいとき、悲しい時に着ていたものだからだ。

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2002年04月07日(日)
369,植民地経営

西アフリカに行った時聞いた話しである。

未文明国を統治する方法として、次の3つがある。

1、直接統治
2、間接統治でそこの王族と手を組み統治
3、隣国に間接統治の王国に攻めさせ統治

大体がこの3つである。
まずはフレンドリーに入って行き、徐々に統治していく。

その前にキリスト教の宣教者を派遣して、内側から攻めていくのが常套手段だ。
秀吉がそれに気づき、キリスト教禁止令を出したのは賢明だった。

戦後の日本も戦犯の天皇や官僚をそのまま温存させたのも、
王族の間接統治を狙った為だ。
今の日本は王族を飾り物に、戦後から続く官僚の支配がそのまま続いている。
そして悲しい事に、間接統治をされていることに全員満足している。

この不況は「1986年のアメリカのバブル押し付け政策」の結果である。
そして、直接支配に今露骨に入ってきたのは周知の事実だ。

今回の9・11テロは、
この間接支配の露骨のアメリカ世界戦略に対するテロである。

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[ターザンの最期]☆☆☆


ターザンが木から落ちて死んでいた。

土に書置きがしてあった。

「誰かがツタにー」

調べたら、いつも通るツタに油が塗ってあった。

   ---
  ーここで一句
 
 ターザン殺すに刃物は要らぬ ツタに油を塗ればいい