『読書脳 ーぼくの深読み300冊の記録 』立花 隆 (著)
   * アメリカは、「キリスト教原理主義」の国
 ここで取上げている『神の国アメリカの論理』上坂昇著と、
アメリカは、キリスト教原理主義新保守主義に、いかに乗っ取られたのか?』
スーザン・ジョージ著を読むと、アメリカの占領政策下で、いかに洗脳されてきた
日本の立ち位置が見えてくる。イスラム原理主義と同じく、アメリカもキリスト
原理主義で世界を占拠している実態が浮かび上がって見えてくる。 同時に、
イスラム教国の意味あいもみえてくる。 ーその辺りからー
≪ ここで紹介されているアメリカ人の宗教観は信じがたいまでキリスト教原理
主義的。教派によって違いがあるが、アメリカ人の圧倒的多数が、神、イエス
信じており、地獄、悪魔の存在も信じている。原理主義者は世界で起きている
ことはすべて「神と悪魔の戦い」とみなす。「邪悪な人々」は「抹殺」される
べきと考え、神の教えに反する不道徳な制度・慣習は廃絶されるべきと考える。
それが政治にも直接反映、レーガン大統領は、ソ連は悪魔に導かれた「悪の帝国」
とみなしたし、中絶や同性愛を認める人々は神の教えに反しているとした。
 宗教右派の分析が面白い。そこで紹介されている有名テレビ説教師や、CNNに
次ぐネットワークカを持つCBN(宗教テレビネットワーク)の驚くべきパワーを
知らないと、アメリカの政治と社会を本当に理解できない。特に彼らの政治力が
存分に発揮されることでイスラエル全面支援の米外交戦略が維持されていること
がわからないと、中東問題は理解不可能。 今世界のユダヤ人は約1300万人。
うち4割がイスラエルに住み、4割はアメリカにいる。アメリカとイスラエル
切っても切れない関係だが、彼ら宗教右派の未来イメージが、悪魔と反キリスト
が起す最終戦争のハルマゲドンの戦いにあり、そのとき天の軍勢をひきいて
キリストが再臨してくると信じているなどと聞くと、なんともあきれ返る。 
(略)・・著者はパリ在住の著名な米布教活動家。ユニークなのは、キリスト教
原理主義ネオコンの思想を加えた右派の思想がなぜ近年のアメリカ言論界で
これほど圧倒的な影響力を持つにいたったかの分析。その背景には、資金潤沢で
よく組織された右派エリートたちによる論壇コントロール長期戦略があった。
その戦略下、過激な右派思想が「『思想を正統化する存在』として機能する
大学やシンクタンクや各種財団を制覇」した。 その結果、巨大な右派思想
ネットワークが、大学、シンクタンクだけでなく「個別問題の政策開発センター、
草の根組織、出版社」などまで乗っ取り、いまやアメリカ全体がそのネット
ワークにおおわれている。・・ ≫
▼ 上記からして、、現在のアメリカと世界の政治の大きな構図が見えてくる。
 欧米の考え方は、『白人をトップにした進化論主義で、その下に、赤、黄色、
黒色と、進化が遅れた人種が続き、黒の下には、類人猿がいる』という考え。 
白人にも細かいランク付けがある。 世界の1%が、世界の富の半分を保持。
 格差社会の扇方の骨格が軍隊と警察と、銀行と、司法になっており、
日本は、このキリスト教原理主義に間接統治をされている!のが実態。
・・・・・
4663, 2050年の世界 ー22
2013年12月22日(日)
 * 女性の職場進出と機会均質 
        「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」            
 女性の職場進出は結婚率を低下させる上に、離婚率も高める。今や婚外子
割合が欧米では3〜5割に至っている。そこに貧困が生まれる要素が大きくなる。
職場進出にはメリットと、デメリットが生じる。
  第三章のまとめ  ー経済成長がもたらす女性の機会
《 法の下の平等、教育経済成長がもたらす女性の機会の均等、家族計画、
 労働市場への自由な参入など、先進国における女性の地位は過去四十年で
著しく上昇した。それにともなって、女性は、キャリアのめどをつけて結婚出産
をするようになり、出生率は低下、かってのような大家族は過去のものになった。
一方で、アフガニスタンなどイスラム圏で宗教的な制約の強い国々では、
女性の選挙権すらまだない国も多く、その解消にはより時間がかかると思われる。
・ブラジル、ロシア、インド、中国のいわゆるBRICs新興国では、すでに教育の
 平等は制度として確立されており、それら知識層の女性たちが、経済の急成長
 から、今後、広く様々な分野で労働力として参入、経済成長をさらに促進する。
・富裕国でも少子化により、労働人口の減少が問題となり、技能と専門知識を
 必要}する職業では特に深刻化するため、女性たちはより多くの雇用機会を
 与えられ、より良い仕事に就けるようになるだろう。ただし、女性の早期退職
 慣行が段階的に廃止され、年金の支給開始年齢が男女を問わず引き上げられれば、
 女性は高齢まで働く必要に迫られる。
・先進国では、高齢化による介護の問題が、女性の職場進出に影を投げかける。
 出生率の回復を始めた一部の先進国では、育児と介護と労働のバランスを男女間、
 社会、企業でどうとっていくかが議論が行なわれ、様々な政策がとられる。
・製造業セクターの縮小と、サービス業の増大は、世界的傾向となる。
 サービス業は女性にとっては相性がよいが、しかし、雇用は非正規雇用
 有期雇用で不安定である。
・一九七〇年以降、OECD加盟国では結婚率がほぼ半減し、離婚率がほぼ倍増した。
 婚外子の割合は約三割から五割もある。未来においては、そうした傾向がさらに
 加速し、片親の女性は、育児と職業の負担のバランスにより苦闘することになる》
▼ 欧米の現在の社会現象が世界規模に広がり、女性の職場進出も後追いで多くなる。
 二次産業から三次産業に重心が移動していく環境は、女性にとって雇用機会が増加。
一強多弱の傾向が、より強くなる近未来では、大部分の弱者は、夫婦で家計を維持を
するしかないが、子供は一人しか持てなくなる。それなら現在の中国、日本と同じ。
それ以外の後進国が、後追いをしていく。家庭のあり方も、結婚という形が大きく
変化。一生の間に、複数回の結婚をする方が多くなるだろう。夫婦が頼りあうこと
より、個々が自立した共同生活といった家族になっていく。核家族から核個人家族、
各個人家族になっていく。これは情報機器がもたらす大きな変化。それぞれの
家庭空間より、個々の情報空間に関心が移行した結果生じる。楽しそうではない
情報社会の未来は、家族のあり方を根本から変えている。

・・・・・・
4298, 「国の借金」新常識
2012年12月22日(土)             
     「国の借金」新常識  "年金絶望世代"も元気が出る ー廣宮 孝信
 安部がインフレターゲット2%を目指すと宣言したが、こういう理論的?
背景があってのことだろう。タイミング的に今、読んでおくべき本。
日本も早々、破綻をして焼土の中から立ち上がった方がよいのかもしれない。
経済の主役はモノ、脇役はカネ。その基本をつかまえておかないと! 
それにしても狐に騙されたような妙な論理である。アメリカのヘリコプターベン?の
、「空から金を撒けば景気浮揚になる」という理屈に似ている。
   まずは ーアマゾンのレビューよりー
● ≪「政府の借金」=「銀行預金」という説が面白い。銀行預金は銀行に
 とっては預金者からの借金。これはいずれ、預金者に預金を返さなければ
ならないし、利息を支払わなければならない。これは国債と同じ。三菱東京UFJ
の銀行預金残高は2000年〜2010年の10年間で約100兆円増えている。つまり三菱
東京UFJの借金はこの10年で約100兆円増え、今現在も増え続けているこの状況でも
三菱東京UFJの借金が増え続けると銀行が破綻する〜!」とか誰も騒がないのは
何故だろうか。それはみんなが三菱東京UFJの銀行預金はあくまで「貯金」だと
思ってるからだ。(銀行側からみれば借金であるにもかかわらず)
「貯金がふえてるんでしょ、何か問題あるの?」というわけである。誰かの
借金は誰かにとっての資産である。これは方程式のように成り立つ法則なのだ。
つまり日本政府債務残高約1000兆円は日本国民が日本政府という銀行に預けている
預金にすぎないのだ。「国(政府)の借金が増えるというのは国民の政府に
預けているお金が増えている」というだけのことなのだ。 日本の場合、
結論的には国(政府)の借金がいくら増えても問題ないのだが、ただ一つ国(政府)
の借金が増え続けるとヤバイ場合がある。 それは「外貨建てで外国から借金
すること」である。 これの典型的例がギリシャだ ≫
● ≪「財政赤字額のGDP比は2倍と世界一、財政再建待ったなし」
 「IMFも日本の財政赤字を問題視している」「国債発行は子孫にツケを残す」
「家計貯蓄が減少傾向なので国債の買い手がいなくなる」「景気対策のための
財政出動の必要性はわかるが財源がない」「よって消費税増税は避けて通れない」
事業仕分けなどにより財政支出を削減せよ」といった発言が総理大臣を
はじめとする政界や言論界学界に溢れているが、これらはすべて誤りであり、
悪玉視されている。 財政赤字こそ日本経済をデフレから救う善玉だという。
また現下の日本の財政余裕度なら、余計な心配をせずに国債を発行して
公共投資や技術開発を促進することが可能という。
 * 財政赤字善玉論のポイントは
1.政府赤字が増減すれば民間(家計&企業)黒字が逆方向に増減し、
両者を併せた円立て金融資産の総和は常にゼロ、故に円立て政府赤字のみを
取り立てて心配しても無意味。 外貨を含む金融資産の総和(対外純資産)
は重要だが、日本は世界一の純資産と経常黒字を続けている。因みにIMF
外貨立て純債務と経常収支のみを注視している。
2.そもそもカネはいくらでも創出できるので本質的な存在ではない。
モノこそが重要であり、モノが不足すれば国民は 確実に困窮する。
デフレの時期には政府赤字(財政出動)を増やしてGDPを増大させ、現在の
所得を増大させる共に将来のモノ作りの準備に投資すべき。従ってデフレ時の
財政赤字は極めて重要であり、子孫にツケではなく資産を残すことになる。≫
▼ これでは、国内向け国債を無制限に発行し、節度ある投資を果敢に
 すべきであるというが、何か、変。しかし、著者は、その辺りの疑問を
 問いにたて、答えている。 お勧めの本である。
・・・・・・ 
3923, 閑話小題
2011年12月22日(木)
   * 北朝鮮のドン様が亡くなった
 北朝鮮の金主席が、お隠れになった。三男が後継者になって、当分は
内部把握に集中せざるを得ないか、早々のクーデターが起こるか。体制が
体制だけに、誰も今後の予測は不可能。 国家としての理想といえば、
若手軍部の蜂起が起きて、中国に類似した開放政策をとる集団指導体制
をつくりあげることだが、無理だろう。 このまま三代目への権力の移動が
順調にいって、今までの延長も考えにくい。中国にとって都合の良いのは何?
と考えると、リスクを負ったとしても若手軍部のクーデター。とすると数年後、
閉鎖的な老いた軍部が実権を持った後に、若手が金一家の追放というのが筋書き
として見えてくる。その意味で、安物の時代がかった物語が進行していく。
ドン様の御陰で、国民はたまったものではないが、軍部など、これまでの
体制の役人の利権は大きく、これを根底から潰すことは至難の技。
   * 歪んだ年寄りに近づくな! 歪むな!
 まさか自分が65歳になるとは!と、妙な感慨にふけることがある。 
そして、ふと自分を振り返ってみて、「自分が歪んだ年寄りになりかけている?」
と、疑念を持つことがある。 同年代の歪みが見えるからである。老化は心まで
歪んでくるというが成る程と思うことしきり。他者を見れば一目瞭然だが
自分には見えてない。法事などで年寄の愚痴を聞くと無上に悲しく思っていたが、
自分が、その年齢になってしまった。それは合わせ鏡で、自分で気づくしかない。 
教養とは、そのために必要な知識だが、年齢には叶わない。肉体と精神が相まって
人間性が作られるが、肉体が老い、病気がちになると精神も歪んでくるのが
自然の摂理。 その結果が老醜というやつ。 過去の仕事柄、色いろな人間の
内側が見える立ち位置に長年いた。そして40年近くの事業で因縁のあった
知人も私と同じように老いていく。「世界も、私も、同時に腐っていく」
という言葉があるが、まさに、それが人生でもある。老い、嫌われ、孤立し、
最後は独居老人になっていく。スポーツジムで、歪んだ人は直ぐに分かる。
健康を正す場だから始末が悪い。老化=歪みの進行となると気が滅入る。
人生には色いろな時節に絶え間なく難問が押し寄せる。 
その対処がマトモなうちはよいが、それに押しつぶされていく。 
自分の好きなことに熱中するのが対処になる。
・・・・・・
3558, 「プレイボーイの人生相談 1966-2006」 −1
2010年12月22日(水)
         「プレイボーイの人生相談 1966-2008)
まずアマゾンの内容紹介から :真の教養人による人生相談の最高傑作!
古くは柴田錬三郎今東光開高健、最近では松本人志リリー・フランキー
など錚々たるメンバーによる、時代は変わっても決して色あせない
珠玉の人生訓や哲学を集めた記念碑的1冊!
ーー
いや、面白い本を図書館で見つけた。どのページをランダムに開いて読んでも、
ニヤリとさせられる。やはり、まず見るのは今東光である。べランメイ調で
甘っちょろい若者の悩みを切って捨てている。
  * つまるものを探せばいい
● 質問≪厭世主義つていうのか、オレは人生っててちっとも面白いと感じた
 ことがないんだ。 よく「自殺は敗北だ」なんていうけど、つまらない映画
だったらさっさと途中で出ていっても敗北でもなんでもないと同じで、人生
だってつまらなかったらさっさと自殺していいと思うけど、これでもやっぱり
「人生に負けた」ことになるんですかね。≫ー死ぬのは平気なんだけど負ける
のは大嫌いな男より。≫
● 解答≪自殺より最初に人生についていうと、全部の人間に聞いてみな、
 「おまえの人生、つまってるか?」って。みんな「つまらねえよ」って言うよ。
そのつまらない中で、どうしたらつまるか、つまり、つまるものを見出していく
発見だ、この能力を養わなかったらどうにもならねえんだよ、人生は。
どこへ行ってもつまるものを発見するという能力をまず養う。
 能力というより、そういう努力をするということだ。織田信長がある日、
手をたたいて人を呼んだ。おそばの小姓が「ハイッ」と入ってきて、おじぎして
「ご用は?」「なんにもない。帰れ」。またポンポン……。
「ご用はっ?」、何人来てもみんな「帰れ」そして「帰れ」。そうしたら最後、
森蘭丸が入ってきた。信長がじっと見てたら、すっと来て、おじぎをする前に、
小さな糸くずが落ちているのに気づいた。 それを指でつまんでから
「何のご用でございますか?」。「呼んだのは、その糸くずを拾わせるためじゃ」
これで信長は「蘭丸というやつは注意深い、偉いやつじゃ」というんで登用した。
他のやつはみんな落第よ。信長ばかりじゃない。会社だって、学校だって上役、
先輩も全部、やはりそういう人間を要求してるんだ。それ考えりゃあ、つまらない
人生もつまるようにできる。オレも「坊主の世界はつまらん、つまらん」とも
言ってるけど、つまるようにいつでもやってるから、忙しくて面白くてな、
愉快でたまらんのだ。それでもつまらなかったら、さっさと死んでしまえばいい。
オレは別にとめやせん。生きてる意味を自分で放棄したんだから、勝手に
死にゃあいいさ。 ≫
 解)独り遊びが出来れば、人生は面白いはず。その代表的なのが読書。 
  最近はTV、パソコン、屋外スポーツがある。
・・・・・・・・
3183, つれづれに ー閑話小題 
 2009年12月22日(火)
 * 古町の老舗書店「北光社」の閉店
古町の大和の斜向かいにある「北光社」が来月で閉鎖をするという。
大和百貨店も春先に閉鎖するというから古町にとって大打撃。残るは
三越だけになってしまった。 ダウンタウン化が、さらに進むことになる。
大和が撤退したあとは、その客を取り込めるか、それとも、更なる地盤沈下
ダウンするかで、三越の存在も決まってくる。新潟駅の街中商店街の存在も大きい。
それにしても、小さな書店の閉鎖に新潟日報の反応が、あまりに大きい。
日曜日の朝刊の一面と社会面のトップ扱いである。それだけ象徴的な存在だった。
情報化社会で本を読む人が少なくなったことに加え、アマゾンなどの
ネットからの注文が増加していることもある。
 * 質素で退屈で憂鬱な時代
リーマンショック直後に、慶応の池尾和人教授が、2010年代は「質素で退屈で
憂鬱な時代」になる、といっていたという。なるほど、最近の時代風潮であり、
自分の気持ちでもある。 「空虚で回顧的で溜息の時代」ともいえる。それが、
一昨日のNHKのゴールデンタイムの「坂之上の雲」の明治時代の回顧と、
続いて放送された「マネー資本主義ウォール街の怪物復活である。 
再びアメリカのウォール街で、マネーゲームが復活はじめたレポート。
結局、その最大の被害者は、弱者で、強者は、直ぐに復活をしてくるのである。
で、質素は別に悪くないこと。退屈と憂鬱は気持ちの問題である。なら、それは、
それで、割り切ることも必要ではないか。「空虚で、回顧的で、溜息」よりは、
よい。人口減少も、世界の先進国に先駆け、見本を示すことになる。
・・・・・・・・・
2818, いやいや、驚いた
2008年12月22日(月)
 *娑婆は 色いろあるものだ。
 10日前に面白い?手紙が来た。 自宅前のアパートのオーナー?と名乗る
突然の手紙。十八年分のアパートの駐車場の電気代の割り当ての請求という。
18年×5300円=113万円分の向う三軒両隣の「融雪用電気料金」五軒分の分割、
24万円の徴収の願いという内容。(字数制限の関係でカット 09年12月22日)
・・・・・・・・・・
2007年12月22日(土)
2453, 歌舞伎町事変(1996〜2006)      ー読書日記
 「歌舞伎町事変」文ー李小牧・写真ー権 徹 
歌舞伎町案内人と呼ばれるこの街を知り尽くした中国人、李小牧
不夜城の暴力と欲望の全てを写し撮るため徘徊し続ける韓国人写真家、権徹。
歌舞伎町の生の姿を撮りつづけた10年分の記録である。殆どが白黒と、カラー
の写真で彩られている。いつの間にか新宿歌舞伎町の魔界のヤクザと警官と
不法滞在外人などの緊迫した世界に引き込まれてしまう。恐いもの見たさで
ついつい見ているうちに、カメラマンの目なってしまっている。歌舞伎町
裏社会の話が当事者から生の写真でレポートされているから迫真に迫っている。
新潟とはいえ飲食繁華街で商売をしているので、知っていた方がよい情報で
満ちている。韓国人、中国人の目で見ているのも切口を鋭くしていた。
これを読んでいると、あまり一見の店には行けなくなる。
ーーーーー
 P−44
2001年年9月11日が歴史の転換期であったように、03年4月年は、
2003年4月22日は、歌舞伎町にとって大きなターニングポイント。
(字数制限の関係でカット 10年12月22日)
 ・・・・・・・
2006年12月22日
2089, 道教儒教  <(_ _)><(_ _)> おはようございます!
 少し硬い一席を!        
昔から中国では二つの役割を儒教道教が果してきた。
中国人は長い歴史の中で、功なれば儒教の徒になり、失意の時や隠居の身
になった時は、道教を奉じるようになる。
儒教は、人間社会を構成していく基盤として男性原理的でありを説き、
 それぞれの分を戒め、それに忠実に従うことを求める。
・それに対し道教は、老荘の哲学が元になっている。無為自然を基本におき、
 人間の色いろな規則からなる社会の掟をことごとく否定。 
また儒教などを超越した世界に住むことが最上としており、女性原理に支えられる。
道教自然主義は傷ついた心を癒す力になるが、現実からの逃避主義ともいえる。
孔子は時の権力者に都合のよい思想をつくり上げ売り込んだという見方がある。
それは自分の思想で世の中を良くしたいという一心から出たものである。
どちらかというと窮屈な悲観的イメージがついてまわる。
「自省・反省」を常に自分に課す思想といえるが、その「自省・反省」という
裏には、常に「世間的に認められる人」になりたいという意味が隠されている。
その「認められる人」は社会的に偉い人ではなく「人間としてでき上った人」
の意味が強い。これに対して、老子孔子の世俗的なものを根本から否定する。
 山の中の一軒屋に住んで仙人的な生活を良しとするイメージがついてまわる。
 どうでもよいことに汲々とするな、無為自然に日々を生きよと説く。
老子の思想の中で「三宝」が説かれている。「慈」「倹」「先に立たず」である。
・「慈」は、万物を包容する広さ、
・「倹」は、自分の状況に応じて慎ましやかにしていられる心のゆとり、
・「先にたたず」は、名声を求めない心の落ちつきである。
 これを持つためには、私利・私欲を捨てさえすれば自然の中にいるような、
無心の気持ちになれると説く。常に大宇宙のような森のように大自然であれ。
人為的な差別や争いから一歩退いて水のように柔軟であれ。名利にとらわれない
で、自らを誇るな。 足るを知れ。 大自然の道に従え。 等々である。
ーー
以上であるが、学生時代に貝塚茂樹著「諸子百家」の中の『師徒行伝』と、
老子の哲学』『荘子の立場』を読んだ。その本が現在、手元にあるが、
学生時代の感想は、孔子に対しては「権力者に尾を振る人」、老子には
「山中の田畑を耕して隠れ住む人」、荘子は「農家で晴耕雨読をする人」。
今でも論語に対しては、「何で自分から首輪をつけなければならないのか?」
という気持ちは変わらない。あくまで教養の一端として把握しておけばよい、
というレベルしか理解していないということ? この思想を手っ取り早く
言えば、厳しい父親と、優しい母親ということ! 得意の時は心の中で父親と
酒を交わし、失意の時は母親とお茶でも飲んで社会を鳥瞰しているイメージか。
            ごきげんよう さようならm(__)m

つれづれに

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 今日のYoutube
  
あと10日で、今年も終わる。
あまり、変わりばえの年だったが、
ここまでくると、これが一番である。

 シネマは、一昨年が47回、去年が53回だったが、
今年は、今週行くとして、44回である。
 今年も、よく通ったことになる。
コスト対満足度からみて、価値はある。

 スポーツセンターも、休日とか、旅行以外は
週に五日、休んだ記憶がなく、皆勤。
ヨガが、途中か週二回から、三回になったが、
これも、ほぼ皆勤。 心身とも、これで助かっている。

 小、中、高、大学の同級会も、準備会を含めて皆勤。

 亡くなったのは、中学で比較的親しかった男がガンで急逝。

 4月から11月末までの早朝のミニサイクリングも、
雨以外は、ほぼ毎日、続けた。
 
 『随想日記』も、欠かすことなく続けた。
早朝4時から、就寝の20時まで、スケジュールとおり、
淡々と、予定をこなしてきたが、それが幸せということになる。

 大病もなく、ただひたすら、一週間を一括りとして、
ひたすら、修行僧のように、日程をこなす日々。
 日程の間のボ~ッとしているのが、最高の至福。
で、あと三週間で、古希を向かえることになる。

 


・・・・・・
2089, 道教儒教
2006年12月22日(金)
          <(_ _)><(_ _)>
          おはようございます!
少し硬い一席を!
          
    昔から中国では二つの役割を儒教道教が果してきた。
    中国人は長い歴史の中で、功なれば儒教の徒になり、
    失意の時や隠居の身になった時は、道教を奉じるようになる。

   ・儒教は、人間社会を構成していく基盤として男性原理的であり、
    礼を説き、それぞれの分を戒め、それに忠実に従うことを求める。
   ・それに対し道教は、老荘の哲学が元になっている。
    無為自然を基本におき、人間の色いろな規則からなる社会の掟をことごとく否定。 
    また儒教などを超越した世界に住むことが最上としており、女性原理に支えられる。
    道教自然主義は傷ついた心を癒す力になるが、現実からの逃避主義ともいえる。


孔子は時の権力者に都合のよい思想をつくり上げ売り込んだという見方がある。
それは自分の思想で世の中を良くしたいという一心から出たものである。
どちらかというと窮屈な悲観的イメージがついてまわる。
「自省・反省」を常に自分に課す思想といえるが、その「自省・反省」という裏には、
常に「世間的に認められる人」になりたいという意味が隠されている。
その「認められる人」は社会的に偉い人ではなく、
「人間としてできあがった人」の意味が強い。

    これに対して、老子孔子の世俗的なものを根本から否定する。
    山の中の一軒屋に住んで仙人的な生活を良しとするイメージがついてまわる。
    どうでもよいことに汲々とするな、
    無為自然に日々を生きよと説く。

    老子の思想の中で「三宝」が説かれている。
   「慈」と「倹」と「先に立たず」である。
   ・「慈」は、万物を包容する広さ、
   ・「倹」は、自分の状況に応じて慎ましやかにしていられる心のゆとり、
   ・「先にたたず」は、名声を求めない心の落ちつきである。
    これを持つためには、私利・私欲を捨てさえすれば自然の中にいるような、
    無心の気持ちになれると説く。 
    
    常に大宇宙のような森のように大自然であれ。
    人為的な差別や争いから一歩退いて水のように柔軟であれ。
    名利にとらわれないで、自らを誇るな。
    足るを知れ。
    大自然の道に従え。    等々である。
 
ーー
以上であるが、学生時代に貝塚茂樹著「諸子百家」の中の『師徒行伝』と、
老子の哲学』『荘子の立場』を読んだ。
その本が現在、手元にあるが、学生時代の感想は、
孔子に対しては「権力者に尾を振る人」、
老子には「山中の田畑を耕して隠れ住む人」、
荘子は「農家で晴耕雨読をする人」であった。

今でも論語に対しては、
「何で自分から首輪をつけなければならないのか?」という気持ちは変わらない。 
 0∧ ∧
 [^ェ^]
  ===  わん
000( ω ω ) 彡
    あくまで教養の一端として把握しておけばよい、
    というレベルしか理解していないということ?

    この思想を手っ取り早く言えば、
    厳しい父親と、優しい母親ということ!
    得意の時は心の中で父親と酒を交わし、
    失意の時は母親とお茶でも飲んで社会を鳥瞰しているイメージか。

            ごきげんよう さようならm(__)m
・・・・・・・・
2005年12月22日(木)
1724, なにを遺せるのだろうか
           ~~旦⊂(・∀・ )マァ チャ!
中野孝次
「何を遺せますか」という本がある。
 実際のところ我われは後世に一体何が遺せるのだろうか?
   この本に、人が死後に遺せそうなものについてあれこれ検討してみたが、
   結局最もたしかな後世に遺せるものは人間性である、というくだりがある。
   財産を残すことができるが、通常こだわっている目に見えるもの
   ー金、家、土地、遺言、宝物、宝石等は、いずれは消滅する。
   著者は後世に残せるものは唯一人間性であるという。
                            【゚Д゚】y─┛~~~
  遺すべき考えられるモノ・コトを目次にあげて
 それぞれを説明しているが、その幾つかをみると
成る程と考えさせられる。

以下は目次からひろってみた項目である。
ー?ー
勲章

お金                  
イィ!!
暮らしのなかの器と道具
コレクション
原稿・手紙
日記
寄付
臓器移植
墓〔ほか〕
ー?ー
木を遺す
会社

技と芸
酒造りの技術     ∪ヽ(●-`Д´-)ノ彡☆ 酒持ッテコーイ
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             (;`・ω・)ノ ---===≡【えぇ?!マジ?】
普段何げなく考えていることを、    ウソ! (^┰^;)ゞ
 整然と書かれているのを見ると考えさせられる。
  人は死んで何を遺すかというー生の結末から、
   いかに生きるべきかが逆に見えてくる。
   我われを成り立たせている物や事を取りあげ、
    死後に遺すに足るか否かを検討、
   「最もたしかな後世に遺せるものは人間性である」
   と結論づけている。
  子供達の残るものは親の性格の一部である。
 多くの姉と兄を見ていてつくづく感じることである。
 
 この時代の大激変の渦中、
 自分の残せるものを見つめ、
 逆算することこそ必要だろう。 
                 バイ!(。・o・。)ノ
 ・・・・・・・ 
2004年12月22日(水)
1359, 「23歳の日記」ー8
ー9月01日 1969年

新潟の六日町の雲屯庵にきている。
学生時代に司法試験のため一人勉強している三条の高橋さんがいた
新井石龍禅師と、早速話しをさせてもらう。

私「世の中こんなに厳しいとは思ってもいませんでした!
理屈と実社会との隔離に、ただただ驚いています」
禅師「世の中は、変わりはしない。世の中が厳しいのではなく、
あなたの理屈が甘かっただけの話です。」
私「・・・・・」

その夜、日本にきていた慶応卒で、ハーバード大ビジネス・スクールの
在学中の同じ歳の人と、高橋さんと、そこの雲水と話をする。
ところが、その雲水が博学で、高橋さんと私はダンマリ。
ハーバードと雲水の議論に全くついていけないのだ。
どうしたのだろう?

禅師に昼間真っ二つに甘さを指摘され、夜は夜で二人の議論について
いけない自分が、ここにいる。
何だろう、何だろう、何だろう!

実践としてスーパーに入ったが、何にもできない中途半端な自分が存在し、
現実として濁流の中で、もう溺れかけてアップアップしているだけの自分が、
神戸の垂水の地で一人呆然としているだけだ。
どうしたのだ、どうしたのだ。

適当に真面目に考えることもないが、
早くいま一度、ゼロから知識の再構築をしないと。
逃げ込んだところで、逆に叩きのめされてしまった。

・・・・・・・・
2003年12月22日(月)
992, クリスマス

 クリスマスといえば色いろ思い出がある。
子供の頃ツリーを買ってきて,電飾を姉たちと作った時のトキメキを,
クリスマスソングを聞くと思い出す。

 パリのシャンゼリデ通りの電飾の美しさも忘れられない。
またフィンランドヘルシンキのクリスマスイブの氷を張りつめたような
神聖な思い出がある。街全体が張り詰めた独特の雰囲気に包まれていた。
丁度、日本の年越しに似ている。

 会社でスペインに行ったときの帰りに立ち寄ったのだ。
その時、何かの時間待ちに会社の和田さんと二人で30分ばかり街を歩いたのが、
いやに記憶に残っている。昔の正月の街を歩いたような既視感が印象的であった。

 最近は不景気のせいか、あまりデコレーションスケーキの派手な販売は
殆ど見られなくなってしまった。

 昨日ダイエー光ファイバーで出来たツリーを買ってきた。
ふとレジの横を見ると半額セールで1500円。
糸状の先に小さな光が点滅する幻想的なものであった。
家で飾ったところ思ったよりずっと良かった。
ミニサンタなどと供にクリスマスの雰囲気がでてきた。

 インターネットでクリスマスと検索したら、
以下の内容が印象的であった。

・・・・・
 ークリスマスを楽しむ24の方法ー
クリスマス・グランデからちいさな提案です。
01:
 指折り数えて待つ。
   待つことで見えてくるものがあるはず。
02:書を捨てよ、街へ出よ。
   参考書はなし。肌で感じることからはじめましょう。
03:
 毎年、を持つ。
 プレートでもカードでも。積み重ねる月日の上にあなたがいます。
04:
 手紙を書いてみる。
 言うは易し書くは難し…僕は手紙というものが苦手です(^^;
05:
 今年あったいいことを書き出す。
 たぶん、今年会ったいい人のリストに?
06:
 三年後に残したいものは何か?
 三日後でも百年後でもなく、三年後を考えてみてください。
07:
 「特別な日」にしない。
 これは基本ですね?
08:
 ご近所をみなおす。
 300m四方にも輝きがあふれています。
09:
 腕によりをかける。
 いつもの食卓の方がいいに決まってる!
10:
 想像はパワー。
 サンタさんの12/26を想像できますか?
(Yesと答えた人、人類はまだいける)
11:
 庭木を飾ってみる。
 ベランダの鉢でも街路樹でもいい。最近、木と話してます?
12:
 去年と違うところはどこか?
 それは良い変化ですか?
13:
 背伸びをしない。
 精いっぱい背伸びをしたら、人は自分の丈に戻る。
14:
 昔読んだ本を読み返してみる。
 自分のパワーを感じるひととき。
15:
 ラッピングは気合!
 ご自分でやる。ぶさいくでもええやないですか!
16:
 街でいちばんの場所をさがせ!
 意外と悩むはず。あなたの大切な人はどこを選ぶでしょう?
17:
 目を閉じてとなえる。
 何をとなえるかはおまかせします。
18:
 あわてず、あせらず。
(ハーイヤ、イ-ヤサッサ!)
19:
 手作りを、ひとつ。
 できればパンなんかがよいのですが・・・
20:
 あなたがお父様より勝ってるところは?
 僕の場合、まだありませんが(^^;
21:
 ちいさな自然に会う。
 身近な地球と話せる人はおおきい。
22:
 鏡と仲良くする。
 恥ずかしがらずに笑顔の訓練をしてますか?
23:
 誰かのサンタをめざす。
 僕にもなれるでしょうか?
24:
 感謝する。
(ここまで読んでくださったあなたに!)

  -メリークリスマス!
  -------------------
 以上だが、
 何かブルークリスマス用の楽しみ方みたいだ。
 それでも、楽しむことは良い!
 最近は何でも意識的に楽しむことにしている。
 
 ーーーーーー
2002年12月22日(日)
618, パタゴニア旅行記ー5
 ー広尾のお犬様 ー

旅行をしていると、普段では会えない人といろいろ出会える。
今回は一人参加の東京の高級住宅地の広尾の奥様がいた。
犬の話から、愛犬の散歩の話題になった。
広尾の公園で朝のお散歩の話で大爆笑であった。

愛犬に衣装を着せて連れてくるが、そのファッションが面白いとか。
天使の翼をつけたお衣装だったり夏は浴衣であったりする。
冬は何と毛皮を着せた犬もいるという。
まあそういう人は水商売の人だとか。

犬にも公園デビューがあり、
数日は全ての犬が匂いをかきにやってくるという。
そして認知をされるという。まあ人間の世界と同じである。

犬好きの人は自分の犬の自慢がしたいらしい。
このあたりも人間と類似している。
まずは相手の犬を褒める。
そうすると互いの褒めあいの場になるという。
横で聞いていると馬鹿みたいだが、それがまた面白いとか。
聞いていても目に浮かぶようだ。

住人でもないのに遠くから車に乗せてその世界に来る人もいるとか。
人間の一番の悲しい?いや愛くるしい性が丸出しのところがよい。
愛犬は飼ってないが、散歩でその世界を毎朝近くの土手で見ているから
真実味がある。

・・・・・・・
2001年12月22日(土)
277、笑いについてー

私の最大の素質に気づいた!
腹から笑える事だ!
昔からいろいろあったが、これは子供の時からの特技だ!
それだけ激しい真ん中(商家)に生きていたからだろう。

笑っていなくては、やってられない!
TVの漫才をみて笑っていたら、親戚の叔母が見ていて不思議そうな顔をして
「どうしたらそうして笑えるの?」と、学生の時代に聞いたことがあった。

笑うとは何だろう?もちろん理屈はある程度解かっている。
でも実感としての(笑)とは何?と考えた事があるか?
人生から笑いをとったら、残るのは何だろう?
笑う為に生きてきたみたいなものだ。
それだけで人生元を取ったように思える。
いや感動・感激もいえるが。

笑いと感動は、魂の顕現化といっていい!
それでは落語家か、漫才家になればよい。
しかしそれは商品でしかない。

実際の(笑)は違う。
心、いや、魂の緩みだ!
どういうわけか、過去を振り返ってみて、笑いだけは常にあった。
笑えない時期でも、(笑い)は別腹であった。
その理由は今でも解かってないが、背後に豊かさがあった為だろう。

家内に言わせると、どんな時期でもTVの「落語や漫才」を見て、
大笑いをしていたらしい。
でも本当にそうかと自問してみると、そうでもないか!?
「凍りつくような時期」ではどうであっただろうか?
笑いはなっかった!
 
やはり結婚をして,家庭を持ってからは、
どんな時期にも笑いだけはあったようだ。
それが家庭の効用?か。

いや訓練と、習慣である!

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12月22日 土曜日
1968年

9時起床に後、食事。
土砂降りである。
千葉に住む、すぐ上の姉・礼子さん宅へ向かう。
しかし早速、二人でいがみあう。
あいも変わらず仲が良いのか悪いのか解らない。
彼女の悲観的な面から抜け切れてないのが気に入らない。
如何してマイナスマイナスに考えるのだろう。
夫婦仲が原因?。

15時に寮に向けて出発。
17時前に寮に到着。
瓜生君の部屋で、お茶を飲む。
その後部屋にいると、米林君が来て5日間の寮内の出来事を何気なく切り出す。
佐藤と駒村孝道がチョッとしたハプニングがあったという。
また一年先輩の留年組みで残っている佐々木さんが女性を連れ込んだとか。
今さら何もいうことがない。
あと二ヶ月で居なくなるのだから。
もういいだろう。

20時過ぎに飲みにでる。
まあ、面白い一日であった。