閑話小題 〜火あぶりの処刑


   * 火あぶりの処刑
 イスラム国のヨルダン人パイロット兵の処刑の映像には驚いた。
ブログに掲載するかどうか迷ったが・・ 少し考えてみれば、ガンで死ぬ時は、
少しカタチが変わるだけ?いや、違うか? これ、殺伐とした時代の象徴である。
彼らはイスラム原理主義の名を借りた殺戮集団。世相が20世紀前半の第一次、
第二次世界大戦辺りの、ニヒリズム的様相になってきた。 ウネリの元は、
情報端末とネットの普及による情報革命。それはグローバル化と、一強多弱を
推し進め、弱者に格差と差別が曝け出され妬めと怒りが充満していく。
島国日本にとって、テロの不安は少ないが、今後は、そうはいかなくなる。
 初めてイスラム圏に入ったのがエジプト。深夜に入国し、数時間後に飛行機で
ルクソールに向かったが、早朝、街から聞こえてきた、アッラーの祈りの音声。
丁度、ラマダン(断食)の最終日で、ホテルの従業員が殺気だっていた。
 現地の日本人ガイドに、飛行場からホテルに向かうバスの注意。
『ここは、イスラム教の国。私たちは欧米文化の国。まず全ての常識を
横に置いて下さい。違うのです、全く違うことを忘れないで下さい!』と・・
「これだから、秘境・異郷は面白い!」と、思うようになるに、何度かの
経験を要した。世界は、それぞれ違うのである、全てが! 旅行は、日常生活
との差異を求めて外に出て、日常を外の目で見て、考える機会でもある。
原理主義者としても、誘拐、殺戮を容認する思想が現に存在している。そして、
それを脅しとして公開する。彼らにとって、テロも戦争の一つでしかない。
欧米が勝手につくったアラブの、いや世界の国家を否定し、イスラム原理
主義国家という共同幻想を優先し、地域を州と見なすとは、考えたもの。
共同幻想イスラム原理主義に感化され、『そこでテロで、戦闘に参加せよ!』
と煽られれば、誰にもチャンスがある。まさか、半年前まで、こんな現象が
出るとは誰も思ってもみなかった。 恐ろしい時代である。
 良い時代を、数限りない良い思いで過ごせたと、感謝する日々である! 
東京オリンピックに大きな不安要素が加わった!幻に終わらなければよいが。
・・・・・・
4711,閑話小題 ー最近、記憶術を少しずつ身につけている
2014年02月06日(木)
   * 夢に気づいた私は
 一昨夜になるが、夢の中で、これは夢?と気づいた。数年に一度はあるが、
何時も直ぐ夢から醒めてしまうが今回は違った。その物語こうだ。新潟駅前の
何処かの店に入って何か頼むが、忙しいのか取り合ってくれない。何か変だと、
店外に出ると、そこは目的先ではなく別の店。仕方がないと、他の店に入るが、
そこには誰もいない。そこで駅に向かうが、ポケットに長岡の帰りの切符がない。
もしかしたら車で来たのかと引き返し見渡すが自動車がない。また再び駅前の
広場に戻りながら、これは夢では?と気づくが現実感が強い。そこで、駅前の
広場を改めて見るが、嫌にリアルの光景。よく見ると、最近できた再開発ビルが、
見あたらない。これは、20〜30年前の駅前の光景! そう改めて見直すと、
鮮明な光景が急に曖昧になる。よくあるケース。せっかく夢なら、駅内の
店で美味しいものを食べてやれと階段を上がりかけたところで、目が醒めた。
  * 最近、記憶術を少しずつ身につけている
 このところ遊び気分で、長年、苦手にしていた記憶法を試している。
図書館から何回も『一年で全米記憶力チャンピオンに』を借りてきて、読み返し
ながら記憶訓練をしているが、これが段々、面白くなっている。基本は位置法で、
まず10ヶ所の家の中や、街中のイメージを焼き付け、そこに記憶すべきものを
置いていく。もう一つが、数字を4桁に区切り、身近なモノの値段にしてしまう。
9桁や13桁の最後の端数は、一円を+として、それに付け加える。
7桁の場合は、マイナス一円。39885269なら、3980円+8円の、
いま着ているジャケットに。ズボンが5260円+9円にする。問題は、
値札にその値段をすり込んでイメージする。意味付けをしていることになる。
もう一つは、よく通販のコマーシャルで数字をメロデーですること。
「三九八八♯の、五二六九♭〜〜」これを何度か繰り返すと良い。
遊びとしては手軽で面白い!次に思いついた7893の4251、確か憶えた
と思ったが・・ で、二回目に間違いなく憶えてしまった。
で、上記の二つは当然、脳に焼きついてしまった。
・・・・・・
4344, 感動すると疲れない
2013年02月06日(水)
「感動すると疲れない」何気なくネットで見つけた写真にあった言葉。
疲れないというより、疲れがとれる、という方が本当だろう? 事業の立ち
上げと清算を幾つか経験してきたが、創業を達成した感動は疲れの全てを
取りのぞいてくれた。希望を目的に即し目標をたて、具体的計画にし実行する。
自分の持っている全てを叩きつけたからこそ得ることが出来る心の奥の達成感。
成功すればこそだが何事にも変えがたい感動がある。それは創業だけでない。
今回の清算?も、淡々と終えることが出来たこともあり、厳しいが感動もの。
準備15年、創業以来30年の会社を潰すのも、事業の一環。愛した会社の
最期の看取りも、雲の上から見ている自分がいた。謹慎期間二年が近づいたが、
一連の疲れが取れたかというと、実感として半分。まだ45年分の疲れが
残っているようだ。ただ緊張感の蓄積からくる軽い神経失調症的な症状は、
ほぼ無くなった。これをとるには感動体験を更に積み上げること。
秘境旅行で大きな感動に出会うと、旅路の疲れが逆に、心地よいものに転換する。 
事業も同じ。立ち上げが上首尾に終わりホッとした時に起こる心の奥の感動で、
既に元を取っている。そのため事業清算をしても、後悔の念は全く生じようが
なかった。それは経験してみないと分からないこと。その辺の人が想像する
挫折感とは違う創業者の強みがある。感動と、その蓄積は、魂の財産になる。 
私の人生で、「感動」の場面には恵まれていた。感動は、求めれば与えられる。
絶望も感動も、多く味わった者が豊かな収穫を得ることが出来る。
 ーところで、感激と感動の違いを検索してみると、
【「感動」は、心が物事を受けとめて深く動かされること。多数の人が一度に
 感じるときに、「感動の名演技」のようにも使う。「感激」は、物事に触れて
激しく心が動かされ、なんらかの形で外に表われ出るような場合に多くいう。
かなり感情的で個人的な場面が多い。】とあった。私は、心が動かされることを
感激、魂が動かされることを感動と解釈していた。「感謝、感激、感動」 
体験には、人生の大きな秘儀がある。 同じ人生なら、可能な限り、これを
味わなければ生きている意味(価値)がない。味わった価値は、あの世に持って
いける唯一のもの。それも三日も経てば、全て同じこと。生きているうち感動を
積み味わうことしかない。手っ取り早いのが「シネマ」。そしてTVの映画などだが、
実際の経験には当然、劣る。が、それでも・・
・・・・・・
3969, 首都圏崩壊の可能性、7割 ー3
2012年02月06日(月)
    * 情報(言葉)の恐ろしさ
「7割の確率で首都圏直下型地震が4年以内に起こる」とうニュースが衝撃的
だったが、土曜日の朝、BS朝日で例の東大地震研究所の教授が、その首都直下
地震について話をしていた。「首都直下に7割起こるとはいっていない。
 南関東全域で7割の確率で、震源が首都直下の場合、死者1万1千人、
建物消失が85万棟になると算出したのであって、マスコミがそれを編集する
上で、南関東と都心直下の言葉が入れ替わった情報が一人歩きをした」。 
それも研究員個人の見解で、東大地震研究所が発表したのではない、という。 
記事の内容をよく読めば決して嘘ではない。見出しが誤解を生む内容で、
記事の内容も「都心が震源の場合」と書いてある。 情報とは、こんなもの。 
言葉の組み合わせで、受け止め方で、意味合いが違ってくる典型的事例である。
 見出しをそのまま、信じてしまう甘さに自分でも呆れている。 
マグネチュード7の地震は、3・11直後、何度も起こっている。それが南関東
起こって当然で、実際その地域で小さな地震が多く続いていることから、4年で
7割の可能性が出てきたようだ。東北の沖合で500年に一度の大地震が起こった
ため、周辺で大地震が起こる可能性が10倍になっていることからして、数年間は
特に厳重な注意が必要。 ニュースで早速、スーパーなどで、避難・災害用
グッズ売り場を二倍にしたと報じていた。多くの家庭で準備が始まったようだ。
世界的金融不安の上に、足元の地震の心配。ますます殺伐としてきた。
 とはいえ、首都圏崩壊の可能性?の備えは、充分にしておくべきである。 
・・・・・・
3604, 旅ばなし 小題 
2011年02月06日(日)
   * カナダ・ロッキー山脈の感動
 カナダのロッキーの懐に初めて入った時の感動で世界観が一変した。 
これが地球上に存在しているのか?と。バスの中で眠り込んでフッと
眼を覚ましたときに、「これは夢で現実とは違う」と思ってしまったほど。 
しかし現実と気づいてからは、見る一景色ごとに息を飲んでしまった。
「ロッキーの、この景色を見た前と後の間に一本の線がひかれたようだ!」
という言葉が、次々と展開していく景色を見るたびに浮かんできた。
タイミングとして初めて広大な大自然を見たのが良かった。グランド
キャニオンやスイスアルプスを先に見れば、同じように感じただろう。 
私にとってロッキーが秘境・異郷にのめり込むキッカケになった。
大自然の壮大なパノラマに対する感動が、自分の心に深い何かを与えられた
初めての経験であった。  
  * 秘境ほどトラブルが大きくなる
 あまり人が行かない秘境ほど、問題が次から次へと生じてくる。それも
慣れてくると、こういうものと腹が据わってくる。それを逆に楽しむのが通
というもの。トラブルと思わなければ、それはトラブルではない。人生も同じ、
受け止め方の問題になる。波乱万丈の人生とは、トラブルが多くて浮き沈みが
激しい人生をいう。しかし一つ間違えば破滅を何とか乗り切ってきたに過ぎない。
トラブルを旅行でこなしながら、秘境の自然から何かを頂くのが、その妙味。
良い旅行には、必ず同行者に恵まれる。(例外もあるが?)そして、遠く
離れた大自然の神秘の懐の中で、感動の響きを頂く。神とは宇宙の織り成して
いる力の総称というが、ロッキーを見ていると次々に現れてくるパノラマが
神の姿に思えてくる。
  * 323,ある時間の断片-1  2002年02月06日(水)
 モロッコマラケシュで、夜半ホテルより馬車に乗り中心街の
「ジャマ・エル・フナ広場」に行った時の話。4人のりの馬車に一緒に
のったのが、同じグループの母娘であった。母親は少し初老性のボケ?が入って
いたか、もしくは「元お姫様」ではという感じの品のよい人で、一人興奮してか
話しまくっていた。その話しが面白い!といって今回の観光のピークの場面。
その街の景色が素晴らしさと、どっちに気持ちを集中してよいのか迷っていた。
世界的に知られている「マラケシュの街並み」も素晴らしいが、その人の話しも
面白いのだ!私はマラケシュの街並みの方をとる。それは座る場所で決まる。
家内はその話の聞き役をとった為、街並みは殆ど見れなかったという。
 その内容とは
ー自分の亭主は日航の機長であった。以前羽田で精神症で大事故をおこした?
機長と同期。実を言うと自分の亭主が高所恐怖症。誰も知らない秘密を私だけが
しっていた。「屋根の修理で震えていた」のを見てしまった。本人に聞いたら
「実をいうとそうだ!」と答えた。こういう話がそのベストタイムに続くのだ、
よりにもよってその時間に!そのTPOSで聞くから、その話が更に面白い!
家内は笑いっぱなし!それに劣らず、その夜景が素晴らしい。
まさしく小説の世界、いや映画の世界といってよかった。同行の娘が傍でハラ
ハラしているのが手に取るようにわかる。母の世話に全神経を帰国するまで
使っていた。  ネタはツキマセン! このての話しなら!
・・・・・・・・
3239, 閑話小題
 2010年02月06日(土)
 * 朝青龍の引退
 朝青龍が引退をした。限界を遥かに超えた所業の数々、同情は少ない。
「一人横綱を4年続けたプレッシャーは想像を遥かに超える。それを一年経験
しただけでも押しつぶされそうだった」と、元横綱の曙が新聞で述べていた。 
解らないでもないが、それでも次から次へと問題を起こしてきた。優勝パレード
モンゴル国旗をかざすのを何回か見たが、「あれは変だ」とマスコミは口を
噤んでいたのは肯けなかった。私が見てきた歴代の横綱の中では、ずば抜けて
一番強い力士。あの全身から出ている気合も、これまで見てきた力士には無い。 
来場所から、彼の姿を見ることが出来ないが、もし残留しても同じような問題
を起こし続けるはず。引退をしてしまえば、ただの??な大男でしかない。
その段差に、数年は自分でも如何したらよいか悩むだろう。
  * ツイッター、その後
 ツイッターを初めて、一月以上になる。ブログが社会に与えた影響は計り
しれないが、それ以上に、この社会に与えるインパクトは大きくなる。要は
モバイル用ブログだが、知れば知るほど奥行きの深さには驚かされる。
 (字数の関係でカット 2012年02月06日)
 ・・・・・・・・・
2864, 「要約力」を要約する
2009年02月06日(金)
  「要約力」         ー読書日記
 あらためて「要約力」という視点でみると、この随想日記は要約日記と
言い換えることも出来る。毎日の学びや読書や思いなどの痕跡を文章で「要約」
して遺すことである。8年間、欠かさず書き続けたために「要約力」がついた
ことは間違いない。この「要約」の力を一般の人は持っていないようだ。 
決断の場面が少ないのだろう。決断をする時に、何度も、対象を要約して冷静に
見つめる作業の繰り返しが必要だからだ。ここで「情報の要点をつかんで手短に
集約し、かつ全体像をしっかり理解すること」「要約」という作業を
「正しく効率的にできる能力」と「要約力」と定義した上で、「要約力とは
情報を論理的に把握する能力であり、自分の考えや意見を論理的に構成し、
表現する能力」としている。−要約には1.ストックと2.フローと分け、
 1.は情報の圧縮。 2.が目的に応じて整理・統合され強化されたものと
  分類し、要約カプセルと名づけている。−要約力強化には要約メモの習慣を
  勧めている。「要約」のポイントとして 要約すべきところを箇条書にして
  (50字以下.箇条書 10項目以下)前後の因果関係・相互関係から全体の
  文脈が見えるようにするのが良いようだ。更に印象的部分を抜粋すると
 ・要点という「点」を、論理という「線」でつないで全体像を理解すること
 ・記録力には感想力と要約力があるが、どちらもバランスのとれた人間形成の為
  に必要な感想力は、自分の思いや情緒を表現する「個性を感情面で育てる力」。
 ・真の意味で要約力の高い人とは、必要なものを瞬時に抜き出し、
  統合することができる
 ・要約情報とは、連想や関連づけなど同時並行的な思考から生み出される情報
  のエッセンスとし
 ・要約思考を呼び起こすきっかけワードとは「なぜだろう?」「そういえば…」
  「とどのつまりは…」「でも、本当にそうなの?」「なるほど」
 ・ビジネスでは「起承転結」が「起結承転」になる
 ・共感意識は、要約に欠かせない「もう1つの視点」をつくる
 ・自分自身の感情にネーミングしてみる。 5分位の要点読みをして
  概略を把握、仮説要約をした上で、各論に入るのが速読法にあるが、これは
  訓練と習慣で身につけることが出来る。要約は「20対80の法則」ということ。
・・・・・・・・・
2008年02月06日(水)
 2499, 無くてはならぬもの −7
  − 一度だけの人生  ―どこに根を張るか−  〜2
 P−197  私たちは子供に向かって、「大きくなったら何になるか」と聞くが、
  それはよくない。「何をするか」ということを問題にすべきである。
  自分の職業を選ぶかということは、つまり自分の人生で何をするかを選ぶこと。
  自分は何をするかを選んでから、どういう学問をするかを選ぶべきである。 
  一流大学でなければいいところに就職できない、など寒々しい気持ちで進学
  をしてほしくない。自分が何かをしたいと決めて、そして、あの先生を決め、
  そして大学を決めてほしい。あなたの人生で何をするかということは、
  世間や親が決めてくれることではない。どこまでも貴方が決めることである。
 解)ここで著者は、意志、志をまず持ってから学問を目指すべきと言っている。
  学問は、その意志ー目指すべき人生を学ぶことでもあるから一概に言えない!
 それでも、目指すべき人生は何か?を学びたいという意志も、学問の効果になる。
 P−206
  *人生に意味をもて 
 生きることに希望を持ってない現代人は、また人生に意味を感じられなく
なっているように思われる。意味がないから、生きることがたいくつなんだ。
これほど忙しさを売物にしながら、これほど人間が生きることに退屈している
時代はなかった。人間が人間であるゆえんは意味のない生活には耐えることが
できないことにあるのではないか。耐えることができなくなると、それから
逃げ出したいという欲求にかりたてられるのである。・・・私もまたしばしば
現実のさまざまな苦しみにうちひしがれることがある。しかし、私はもはや
人生に絶望しないであろう。「生きよ」と私をうながしてやまない声があるのだ。
祈りを通して、答えてくれる声である。祈るとき私はイエス・キリストの前に立つ。
祈るときキリストは私の前に立ちたまう。私は独りではない。人生に意味を失って
いる友のうち、キリストが私に与えてくれるひとりの友のそばによって、
「生きよ」という力強い声を伝いたいのである。解)「生きよ」という言葉! 
それは知識を持ってしまった人間に対し、神を信じろという言葉に等しい。
その人によるのだろうが、やはり神しかないのだろうか?
40年近く前の文章だが、現在の社会に対する警告が深く含まれている。

つれづれに

イメージ 1

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 今日のYoutube

   http://wildcard-movie.com/
 今日は、シネマの日。 『ワイルドカード』を予定。

 どこかの閉店セールで買ったダウンジャケット。
羽根が詰まっていて、着ると達磨のよう。 これでは
外に着て出れるものじゃない。 で、何時も、
仏間の書斎コーナーに居る時の暖房にと着ていたが、
電気ストーブから50cmの為に、表面が熱でとけてしまい、
羽毛がボロボロと、家中に撒き散らしてしまった。
 いやに、羽毛が落ちているので、何だろうと、
ジャケットをみると、ベッターとして羽毛はみ出ていた。
化学繊維は、熱にイヤに弱い。ガムテープでも貼ろうとしたら、
家内に止めておきな!と、捨てられた。
 で、今は、10年前に来ていたキルティング風ジャケットを
羽織っている。 まるで、エスキモーの様である。

 

 
・・・・・・
2499, 無くてはならぬもの -7
2008年02月06日(水)

  ? 一度だけの人生
       ―どこに根を張るかー  ~2

P-197
私たちは子供に向かって、「大きくなったら何になるか」と聞くが、
それはよくない。「何をするか」ということを問題にすべきである。
自分の職業を選ぶかということは、つまり自分の人生で何をするかを
選ぶことである。自分は何をするかを選んでから、どういう学問を
するかを選ぶべきである。
一流大学でなければいいところに就職できない、など寒々しい
気持ちで進学をしてほしくない。自分が何かをしたいと決めて、
そして、あの先生を決め、そして大学を決めてほしい。
あなたの人生で何をするかということは、世間や親が決めて
くれることではない。どこまでも貴方が決めることである。

解)ここで著者は、意志、志をまず持ってから学問を
 目指すべきと言っている。 学問は、その意志ー目指すべき
人生を学ぶことでもあるから、一概には言えない!、
それでも、目指すべき人生は何か?
を学びたいという意志も、学問の効果になる。
 
 --
P-206
 *人生に意味をもて 
生きることに希望を持ってない現代人は、また人生に意味を
感じられなくなっているように思われる。意味がないから、
生きることがたいくつなんだ。これほど忙しさを売物にしながら、
これほど人間が生きることに退屈している時代はなかった。
人間が人間であるゆえんは意味のない生活には耐えることが
できないことにあるのではないか。耐えることができなくなると、
それから逃げ出したいという欲求にかりたてられるのである。
・・・私もまたしばしば現実のさまざまな苦しみにうちひしがれる
ことがある。しかし、私はもはや人生に絶望しないであろう。
「生きよ」と私をうながしてやまない声があるのだ。
祈りを通して、答えてくれる声である。祈るとき私は
イエス・キリストの前に立つ。祈るときキリストは私の前に
立ちたまう。私は独りではない。人生に意味を失っている
友のうち、キリストが私に与えてくれるひとりの友のそばに
よって、「生きよ」という力強い声を伝いたいのである。

解)「生きよ」という言葉! それは知識を持ってしまった
 人間に対し、神を信じろという言葉に等しい。
 その人によるのだろうが、やはり神しかないのだろうか?
 40年近く前の文章だが、現在の社会に対する警告が
 深く含まれている。

・・・・・・・・・・
2007年02月06日(火)
2135, 時間についての一考察 -2

        b(^o^)dおっ W(^O^)Wはようー♪
 前回につづき「今ここ」について、「哲学はこんなふうに」
 (スポン)の中の『第10章 時間』から更に書き出しながら
 考えてみよう。時間は「自分」を考える上で意味が深い。
 直感としての瞬間としての、「今ここ」の垂直に立ち上がる、
 永遠を考えると奥行が深い!
 ーーーー
 現在がすべてだというのに、我々は現在の外に出ることが
 出来るのだろうか?精神でさえも現在に属しているというのに、
 どうして我々がそんなことを望むのだろう?
 人生は、我われを脅かす運命や猛獣のように、未来の中に
 潜んでいるわけではない。天国や約束のように天空の中に
 隠されているわけでもなく、牢や檻の中にあるような過去の
 中に閉じ込められているわけではない。

 我われの人生はいまここにあるのであり、いま現にあなたが生き、
 おこなっている当のものであり、存在のただ中にー現実として
 生きていることの果てしない嵐の中にーあるのだ。
 セネカによれば、「生きることにとっての最大の障害は、
 期待を持つことだ。・・将来のことすべては、不確実の領分に
 属している。いますぐに生きるべきだ」

 今日を楽しめ!ということなのだろうか?それだけでは足りない。
 日々は過ぎていき、一日たりとも残りはしないのだから。
 むしろ現在を楽しむことだ。現在は変わりながらも連続して
 いるのだから。だから、永遠を楽しめ!それは瞬間を生きる
 ということなのか?そんなことはない。 瞬間のうちで、
 試験の準備をしたり、休日の計画をたてたり、約束を守ったり、
 友情や愛情を築きあげることはことなどできるわけがない。

 では、現在を生きるということなのか?それがただ一つの道なのだ。
 未来において、はたらいたり、楽しんだり、やりくりしたり、
 愛したりできるはずもない。現在だけが行為の唯一の場であり、
 思考の唯一の場であり、記憶と期待との唯一の場である。
 それがカイロス(好機、行為すべき時)であり、
 あるいはカイロスとしての世界である。

 存在が時間の中にあるのではない。存在が持続するからことが
 時間があるのだ。現在を生きるということは、どういうこと?
 たんに真実に生きるということだ。 我われはすでにその
 王国中にいる。 永遠、それがいまなのだ。
  ーー 
 「いま・ここ、それ以外何もない、そして、たんに現在を真実に
 生きること」ということだ。そうすると、誠実に純粋に生きると
 いうことが最も大事なことになる。それが永遠の命を得るということだ。
 「亡くなった人に会えなくなる!というが、それは未来の期待である。
 確かに会えなくなるのは事実だが、しかし亡くなる前よりいま・
 ここでは、自分の心の中では深くなっている」と、以前書いたが、
 いま・ここ、という時間を考えると、その意味が理解できるようだ。
 
 我われの生きている数十年など、宇宙時間から考えれば一瞬でしかない。
 それなら、50年前の一瞬と、いま・ここの一瞬と同じことではないか!
 もし30年前の「いま・ここ」に大きな感動をしていた時と、
 いま・現在にボ~ッとしていたら、どちらの時間として存在して
 いるのだろう。永遠へつながる瞬間をやはり求め続けなくては
 ならない!ということ。それがカラオケで遊んでいる瞬間としても!
 誠実にその時間を楽しんでいるという意味で、
 何ごとも一期一会である。それぞれの時が永遠である!

 「現在だけが、存在している」だから、その時間を濃くしなくては!
 現在は永遠の旅人である。
 で、出来ちゃった婚で、その結果  離婚?  アフォ!
 次元の低い事例を出すな、まったくもう!
                   
・・・・・・・・・
2006年02月06日(月)
1770, 閑話小題  才ノヽヨーφ(・ω・`)

ー倒産にみる地域性

倒産時の経営者に、それぞれ地域特徴があるという。
新潟県中越圏レベルの話になるが、
   長岡は倒産すると弁護士のところへ飛び込む、柏崎は夜逃げ、
   見附は銀行に融資を断られた帰りに首吊りか近くの川に投身自殺、
   三条・燕は昔から日常茶飯事で慣れたもの、平然となすがままという。
倒産は借金が絡むので、それぞれが生々しく生き死にの線上の
残酷な事態になる。身辺で何人も生々しいのを見ている。
問題に直面しないで、最後まで逃げ回るから傷口が深くなる。 ´・ω・`)_且~~茶 イカガ?

web2.0

最近のネット上のキーワードにWeb2.0がある。数年前からはっきりと兆候を見せ始めている、
「新世代のWeb上の環境のこと」である。
   この環境変化を呼び込んだのはBlogやSNSGoogleAmazon
   などの巨大ネット企業の数年来の行動の結果、でてきた環境である。
   大枠の意味合いとしては、Web1.0の静的なWebや、Web1.5のサイトの独立性が高い
   ダイナミックなWebとは異なり、サーバやコンテンツ同士がシームレスに連動され、
   インターネットが社会的なネットワークとして動作する環境をいう。
調べても、これがweb2.0と言い切っているものはないが。 私の解釈でいうと、
「住宅にたとえると、これまでは都市計画もなしにそれぞれが勝手に建てていたものが、
自然発生的に都市計画が作られつつあり、マンションや高級住宅になり、
それぞれ情報システムが整ってきた状態」という喩えは、どうだろう。

    問題意識を持ち、コンセプトを確立してキーワードを打ち込めば、
    一瞬にして膨大な情報が簡単に手に入る環境が整備されてきている。
    現在、薄型TVが家庭に雪崩れこんでいるが、
    これに光ファイバーが連結されると多様な情報が家庭から
    取り込むことが可能になってきた。 面白い時代になったものだ!
                  Byeヾ(;ω;)Bye
・・・・・・
2005年02月06日(日)
1405, まよったときは運命を信じなさいー3

 -三つの部屋の物語ー

寝る前に「迷ったときは運命を信じなさい」の光のトレーニングを
して半月以上になる。以来、夢が次から次に出てくる。現在抱えている
問題や過去が、夢の形で迫ってくる。心の奥に閉まってある問題が、
現在の問題と何らかの形で繋がって短編の物語になっている。

人生、59年も生きていれば、多くのことがある。今まで袋に入れて、
入り口を紐でしっかりと縛って出さないようにしてきたが、過去の日記を
書いたり、本を読み込むうちに溢れ出始めたのだろう。そして傷口が傷む。
怒りは見えない形での傷口の悲鳴の変形ではないだろうか。
怒りは、その傷口からの叫びなのか。潜在意識とは、つくづく
複雑で深いものである。心理療法の映画を見ていると、心理カウンセラー
が心の傷を探して、その傷口を治療するプロセスを面白おかしく
ストーリーにしてある。

「迷ったときは運命を信じなさい」の中のギリシャ神話の
神の「光りのイメージト・レーニング」は、自分の原型探しの他に、
自らが光りのイメージになることが、癒しにとってリアルで驚くほど
効果的である。ところで、私のストーリーをつくってみたくなった。
私の心象風景でもある。

 ーー
ー三つの部屋の物語ー

地下へのトンネルのあった家から一度出て、しばらく歩いていると、
古びたレンガつくりの田舎風なホテルがあった。
そこで、そのホテルに泊ることにした。何か魂が休まるような
感じのよいホテルである。案内されたホテルの部屋は思いのほか広い。
見渡すと隣の部屋へのドアがあった。
家族連れなど大人数の為に二室を使う時のドアである。

そのドアが半ば開いていた。中を見ると小さいスペースがあり、
光り輝いていた。一歩入ると、自らが光りになったような感じになった。
そして更に三室のドアがあり、それぞれの部屋の名前が書いてあった。
「未来の貴方の部屋」「亡くなった縁故者の部屋」「無限宇宙空間の部屋」

そこで先ず「未来の貴方の部屋」に入ってみた。
何と、 10年後の私と、20年後の私と、生まれる前から亡くなった
後も包み込んでいる私、が立っていた。先ず10年後の私が、肩に手を
かけてソファーに優しく導いてくれた。
そこで、緊張をしている私に向かって、にこやかに話し始めた。
彼は、「これから先の貴方の10年間を全て経験してきた」。
そして、慈愛の目で私の心の奥を覗き見るようにみて、
「私を知りたかったら、十年前の自分を見つめなおしている
今の貴方が、そのまま私である」と、語りかけてきた。
                 ー づづく
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2004年02月06日(金)
1038、「わたしは悪い不動産屋」-2

以下の内容は、この本の書評というより、仕事で不動産にかかわって
きた私の目から見た不動産業に対する批判と知識である。
この本を読む限り、不動産屋とかマンション屋は全て悪徳のように
思えるが、実際はそうではない。真面目な不動産屋が大部分である。
しかし、20??は悪徳に近い。80対20の法則がここでも当てはめる
ことができる。その20?が80?の悪さをする。しかし、それを素人は
見抜けるわけがない。80?の善良の不動産屋にも20?の悪徳要素が
含まれていると考えた方がよい。
完全な物件は無い、それをよい部分だけを誇張していまうのだ。

知り合いに面白い善意の不動産屋がいる。
自分は何も社会倫理に反する事をしていないが、彼は不動産屋の
習性で、物件に対する瑕疵を見つけて冷静な判断をする。
それが彼の仕事である。ところが、それを親しい人間にも、
それをしている。そのことを自分で全く解ってない。

純粋で、善意で、無意識で、人間の瑕疵をさがしてしまている自分
に気が付いてない。その瑕疵を純粋に相手を変えて言ってしまう。
悪意なしの無意識の世界の恐ろしさの深さがある。
ー商売性格形成論を今度かいてみよう。

不動産業の業よりも、誰もが持っている人間の業であるが。
人間は誰も善意の悪党の要素を多く含んでいる。
人間論になってしまった。まあ他人事でない。
違うカタチで自分の生き方で、同じことをしていたのだろう。
生きるということは、こういうことなのだろう。
純粋性の恐ろしさと、深さがある。不動産屋は、なるべく相場より
安く値づけをして早く商売を成立させたい。
その為に対象のケチとあら捜しをするのが習性になっている。

不動産取引は、情報の売り買いである。
長期物件の売買で生きていく糧を長年かけて網を張っていく世界だ。
蜘蛛の巣に情報がかかってくるのを待つ商売である。
少しマイナスの視点で書いているが、それだけ深い世界ということだ。
そして無くてはならないビジネスである。

不動産屋をみていると、それぞれの個性がある。
野球のバッターに例えると
・バント専門
・ヒットバッター
・ホームランバッター
・代打専門
と、それぞれの特性がある。
・バントは、アパートなどの仲介を中心に扱う
・ヒットは、マンションや住宅の売買を得意とする
・ホームランは億単位のビルの取引を狙う1発屋
・代打は、そういう情報を得て、長期物件に不得意の人に
 代わりに時間をかけて得点を得るために三割~半額を
 もらうことを裏契約をして共同作戦をする人
 
 等々、生臭い情報を探し求めて利益を探しだす世界である。
 自分を、その世界にサラシテ生きてきたからよく解るのだ。 
トンビという仕事もある。事務所を持たないで、情報を売り
買いしているハイエナ的な仕事。饅頭のアンコという言葉もある、
情報のやり取りで利益を分け合うのだ。   ー つづく
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2003年02月06日(木)
673, 笑点

毎日新聞で,毎週日曜日の夕方のTV演芸番組の「笑点
を特集していた。ー要点を書くと
・1966年から37年近い長寿番組である。
・16?の視聴率をコンスタントに上げ,時に20?を越す人気番組だ。
・過去に初代が立川談志、2代目が前田武彦、3代目が南伸介
 4代目が20年前から現在の三遊亭円楽である。
・この大喜利には9人の構成作家がいる。持ち寄った100問を
 2週分の収録として6問まで絞り込んむ。
 「旬の話題」と「同じ問題はやらない」がモットーだという。
 問題とその解答を同時に考えるという。
 軽妙に答えているが、全て作家の創ったものだ。
・映画の寅さんのマンネリズムを逆手に魅力にしているという。
・長寿の秘訣は「腹8分目の姿勢」である。

私が学生時代に始まった番組で当時から楽しみに見ていた。
立川談志が司会で、円楽や毒蝮三太夫歌丸小円遊がいたのを
はっきりと覚えている。特に歌丸小円遊の掛け合いが面白い間合い。
集団芸の古典落語というところか。この番組と映画「男はつらいよ
はいつの時代でも見ていた。やはりかなり練りこまれた質問と答えの
背景には、それなりの影武者がいたのだ。動機が浅いのが私でも
解るのに。本人は、その甘さを指摘されたことが気に障ったようだ。
8日に、再び会うことを約束をする。私の寮に来るという。
クラブで親しかったが、これも最後になるだろう。
親父が不動産屋で、取引の何かがあって刑務所に入っているとか。
どういうことか解らない。帰寮後、人事管理の試験勉強だ。
あまり集中ができない。
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2002年02月06日(水)
323,ある時間の断片-1

ロッコマラケシュで、
夜半ホテルより馬車に乗り中心街の「ジャマ・エル・フナ広場」の話。
4人のりの馬車に一緒にのったのが、同じグループの母娘であった。
母親は少し初老性のボケ?が入っていたか、もしくは「元お姫様」
ではという感じの品のよい人で、一人興奮してか話しまくっていた。

その話しが面白い!といって今回の観光のピークの場面。
その街の景色が素晴らしいのに、どっちに気持ちを集中してよいのか
迷ってしまった。世界的に知られている「マラケシュの街並み」
も素晴らしいが、その人の話しも面白い!
私はマラケシュの街並みの方をとる。それは座る場所で決まるのだ。
家内はその話の聞き役をとった為、街並みは殆ど見れなかったという。

その内容とは
ー自分の亭主は日航の機長であった。以前羽田で精神症で大事故を
おこした?機長と同期。実を言うと自分の亭主が高所恐怖症。
誰も知らない秘密を私だけがしっていた。「屋根の修理で震えていた」
のを見てしまった。本人に聞いたら「実をいうとそうだ!」と答えた。
こういう話がそのベストタイムに続くのだ、よりにもよってその時間に!
そのTPOSで聞くから、その話が更に面白い!家内は笑いっぱなし!
それに劣らず、その夜景が素晴らしい。
まさしく小説の世界、いや映画の世界といってよかった。

同行の娘が傍でハラハラしているのが、手に取るようにわかる。
母の世話に全神経を帰国するまで使っていた。
  ネタはツキマセン! このての話しなら!

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2月6日  1969年

産関論の試験は、まあまあよかった。
途中で、クラブの仲間の小林(仮名)とバッタリであう。
茶店で、彼と話す。何かチグハグでかみ合わない。
ここで司法試験に挑戦をすることにしたとか。
ここにきて、思いつきで受かるほど甘いものではない。
動機が浅いのが私でも解るのに。
本人は、その甘さを指摘されたことが気に障ったようだ。

8日に、再び会うことを約束をする。私の寮に来るという。
クラブで親しかったが、これも最後になるだろう。親父が不動産屋で、
取引の何かがあって刑務所に入っているとか。どういうことか解らない。
帰寮後、人事管理の試験勉強だ。あまり集中ができない。