〜【中国とどう付き合うか】人類史上最大のバブルが弾ける時
            熊谷亮丸『大和総研』チーフエコノミスト
 アメリカ、欧州、日本、中国、そしてロシアも、政治経済の行き詰まりを
見せている。その中で、経済で中国が最も危ないことは誰の眼にも明らか。
短期的に力で押さえつけても、市場は中長期的には、何処かで火がつく。
  〜以下のレポートが解りやすい。
≪ 2015年の夏場以降、中国における“バブル”崩壊の懸念が急速に強まった。
 中国が突如、人民元の切り下げに踏み切ったことをきっかけに、グローバルな
金融市場は激震に見舞われた。我々は、中国経済が抱えるリスクをどのように
捉えればよいのだろうか?  筆者の中国に対する見方を一言で述べれば、
“短期=楽観”“中長期=悲観”である。中国は所詮“社会主義”の国なので、
公共投資を中心とするカンフル剤を打てば、問題を1〜2年程度先送りすることは
可能。しかし、向こう3〜5年程度の時間軸で見れば、中国では“バブル”崩壊の
リスクが高まると見ている。
 最初に、現在の中国には膨大な2つの過剰が存在することを指摘しておきたい。
・第1の過剰は、金融面での過剰融資である。中国における過剰融資の総額は
1000兆円以上と推定される。将来的に、 この内の何割かが焦げ付く場合、
数百兆円規模の不良債権が発生することが懸念される。我が国の“バブル”
崩壊に伴う不良債権額が100兆円規模であったことを勘案すると、文字通り
“人類史上最大のバブル”と言っても過言ではない。
・第2の過剰は、工場や機械といった所謂“資本ストック”の過剰である。
その総額は400兆円以上と推定される。外資自転車操業的に呼び込んで、
資本ストックを増やすことに依って成長する中国の経済成長モデルは、大きな
曲がり角に差し掛かっている。これに対し、中国の財政出動余地はどの程度か?
「中国が諸外国並みにストックベースの債務残高を拡大する」という前提の下
では、600兆〜800兆円規模の財政出動が可能だと推定される。つまり、現在の
中国経済を取り巻く状況を極めて単純化すれば、
「“1000兆円以上の過剰融資”“400兆円以上の過剰資本ストック”に対して、
中国政府が600兆〜800兆円規模の財政資金で立ち向かう」という構図である。
中長期的に見て、中国経済は決して楽観視できない。仮に、政府が大型の財政
出動を行ったとしても、中国が抱える本質的な構造問題は解決しないからだ。≫
▼ 中国の混乱の影響は、欧州に飛火、シリア・アフガン難民を抱えている
 欧州経済の混乱は計りしれない。そこで、日本は、表向きは目先のリオと、
4年後の東京オリンピックに向くが、その間に、世界情勢は一変している。
特に、中国の経済難民の問題が、今後、大問題として表立ってくる。

・・・・・・
5143,知の逆転 〜�
2015年04月14日(火)
             ー知の逆転ー
  * 5万年の間、人間の認識能力は進化してない
                 対談相手 〜ノーム。チョムスキー
 フランス、スペインに多くの洞窟壁画が、近年発見されたが、発見当時は、
プロの画家や学者は、3〜4万年前に、これほど高度技術の壁画の存在を認めず、
最近、いたずらで描かれたと譲らなかった。ラスコーの壁画は、霊媒師のような
存在の人が、百数十年にわたり書き加えていたという。
≪ ・わかっていることとしては、約五万年前、ごく小さなグループの人間が
 東アフリカを出て、急速に全世界に広がっていったということ。それ以来、
知る限りにおいて、認識能力の進化は起こっていない。 つまり、たとえば
アフリカを出てから全く他の人種との接触のなかったパプア・ニューギニア
アマゾンの原住民の子供たちと、われわれの子供たちとは、認識能力に全く差が
ないということです。当時の原住民の子供をボストンに連れてきて育てれば、
私の孫たちとなんら変わらないはず。種族間の遺伝的な差異は見つかりません。
同じ種族の中での差異はありますよ。たとえば、病理学上の違いとか。
でも基本的には認識能力に差はない。ですから、過去五万年の間に、進化上の
変化は全くなかったと言っていい。たとえば髪の毛の色といった表層的な
変化はありましたが、認識能力上の変化は起こっていない。
・考古学上の資料によれば、約5万年から10万年くらいの周期で、重要な
創造力の爆発があるといいます。ですからそれくらい前に人類学者が「大躍進」
と呼ぶような何かが起こったらしい。その頃、記号を使った行動や表記が始まり、
天体の記録や複雑な社会構造が生まれ、考古学上の記録だけでも、人間能力の
突然の進化や向上が見られるわけです。それ以前にも進化はあったけれども、
この頃に急激な変化が起った。 
カンブリア紀の生命爆発の頃に、生物の基本的なパターンというものが
整ってからは、生物の発達というのはみなほとんど同じなのです。
遺伝子の保存についても十分にわかってきている。多様な生物は、実は一種類が
非常に長い時間をかけてわずかずつ変化してきた結果であるとする論文も発表
されているくらいです。しかしそれらとは違って、言語を含む人間のさまざまな
能力は、非常にごく最近、突然現れたものなのです。・・ ≫
▼ 「5〜10万年の周期で、創造力の爆発がある」というが、まさに現在の
 ネットの世界的普及が、これに当る。認識能力が、このネットで飛躍的に
伸びることになる。ハッキリいえば、最近、同年代の人を二つに分けている。
「パソコンをどのように使ってますか?」「ネットサーフィンしてますか?」
 人類にとって、これは有益かどうか?など、考える必要はない。奈良時代
ヘリが空から舞降りてきて、誰でも使えるようになったようなもの。こんな
面白いものを使えないのは、知らないから。認識の飛躍的拡大が可能のマシーン
が、各自が手にしたのである。 人類にとって、断絶の時代である。
・・・・・・
4778,閑話小題 ー 二度のポタリングの試み
2014年04月14日(月)
  * 先週から、一日二回のポタリングを開始
 先週から、早朝に加え午後の一時間のポタリングを加えた。
午後はスポーツジムを早めに切上げ同じコースを走る。健康もあるが、
グライダーで空中遊泳をしているようで気持ちが晴れるからだ。
音楽を聴きながらの土手の時間は特上。
 NHK・BS/TVで、朝食時に日本各地を火野正平が撮影チーム4人と自転車で
駆け抜ける番組を放映している。数ヶ月先のコースを予告して、視聴者が、
どの道を走って欲しいかの便りを元に走る内容である。朝ドラの直後もあって
か、視聴率が高いという。平凡な毎朝の、私の定番だが、ツーリストの
自転車目線が好き。 その一つの便りに、「先年、亡くなった父親が生前、
行き先は何も言わないで早朝から夜遅くまで、出かけていた。ところが最近、
父親の日記帳を見たところ、自転車でお寺や名所廻りの行先の記録があった。
その一つの寺院のコースをまわって欲しい」とあり、そのコースを辿っていた。
「早朝から夜まで、自転車に乗って、独り、何処かに行っていた」という
言葉が妙に引っかかった。 私の自転車歴は4年半だが、その人は、一日中、
どんな気持ちで走っていた? チャリダー? ポタリスト? 私の命名は、
「一日ツーリスト」。 少なくとも、家でゴロゴロしているより遥かに良い。 
 そこで「現在、一時間のポタリングも、2〜3時間にしたら?」と思いたち、
先週から二回目を挑んでいる。で、私は、「一時間ポタリスト」というところ。 
ただ、自転車は危険なこと、この上ない。それもあって、土手と、バイパス
脇の道路以外は、避けている。最近、始めたのが、ある本をヒントに、
ベンチで「ぼんやり時間」を持つこと。これが、なかなか、難しい。
自転車があるので、道の傍のベンチに座るが、ウォーカーが通ると、
何か落ち着かない。ボ〜っとした自分の姿を他人に見られたくない気持ちが
動くのだ。 まだまだ「ぼんやり道」の初心者でしかない。
   * 面白い公園
 ツアーで、世界中を旅行していると、行先の都市の美術館、博物館、寺院
などの観光の中に、公園がある。公園は、その国の文化が、そのまま現れ出る。
その中に、ノルウェーオスロの彫刻家のヴィーゲランの作品をテーマにした
公園がある。 幼児期から老人期、そして死、愛、感情など、一生の出来事を
テーマに、人生を考えさせられる像が、様々なテーマごとに並んでいる哲学的
空間である。初めて、その空間に入った時の驚きは、今でも憶えている。
人生をテーマに国をあげて公園をつくる、そのセンスの奇抜さに・・
 一日がかりで、それぞれのコーナーで、自分の人生と重ね合わせると、
記憶が生々しく立ち上がるのだろう。
・・・・・・
4411, 隠居大学ーよく遊びよく遊べ −8
2013年04月14日(日)
   * 心清く、よく遊びよく遊べ ーつれづれに
 老後を考える上で、なかなか面白い本である。何事にも自然体で、拘りを
持たず、自由に気楽に生きることがベース。人間は、それぞれ固いバイアスに
囲われている。それを一枚一枚、そぎ落としていくのが人生。老いるにつれ
何事も面倒になり、過去に目を向けて、周囲の現象には上から目線になりがちに。
両親の晩期を供に生活をし、冷静に身辺整理をした父の姿を見ることが出来た。
母からは何事にもチャレンジする姿を見た。「始める前に、あるレベルまで
到達できるかどうか見極めること。決心をしたら、先生を見つけ集中すること。
ライバルを見つけること」と、教えてくれた。道を極めようと一心不乱で
日々過ごすと、心が純化されていく姿が見て取れた。「心の純化」こそ極意。 
以前「何かに集中していると、あるゾーンに入る瞬間がある」と書いたが、
それは心の純化の状態。 何事も純化の心から生まれ出てくる。「童心に帰り、
純化の心で、遊べ遊べ!」である。人生を振返ると、その時々、面白く遊んだ
ことが思い出される。 事業も、遊びも、何でも、遊びになるまで対象に入り
込まないと。それは楽しむことから始まる。楽しみになるまで対象に同化する
こと。「おもしろき こともなき世を おもしろく すみなしものは 心なりけり」 
これは高杉晋作の言葉だが、その心は純化した心。 論語の雍也第六に
『子曰。知之者不如好之者。好之者不如樂之者』がある。「師曰く、真理を
知る者は真理を好む者に及ばない。真理を好む者は真理を楽しむ者に及ばない」
という意味である。真面目に学べば「知ること」ができる。 しかし、知った
ことは、よく忘れる。だが、好きでやったことは身に付くから忘れることも
少ない。更に良いのは「楽しむ」こと。・・・更に、楽しみを遊びにしていく
ことである。遊びは、現代風にいうと、ゲーム化することになる。
ゲームは仮想世界の競争である。人生を夢幻として、難関を乗り越えて
いくことになる。人生のゲーム化。 夢幻の劇場で自作自演の役割を演じ、
それを味わい楽しむことである。心清く、遊んでいれば、その役をこなすこと
が出来る。 「うれし、たのし、おもしろし」の世界を、持つこと。ただし、
節度を持ってである。だから、そこに「良く」がなければならない。
その辺りに少し気を使いながら。
・・・・・・
4037, 閑話小題 
2012年04月14日(土)
  * スマトラ沖でM8・7クラスの大地震
 先日のスマトラ沖地震は、2004年のスマトラ沖大地震の余震とみられる。
前回のような断層の縦移動でなく、横に移動したもので、M8・7の大地震
しては大津波は発生しなかった。地震学者は、「これは東日本大震災震源地の
隣接地域で10年、20年単位で誘発地震が起きる可能性を示唆しているもので、
注意が必要。」と、忠告している。東海、東南海、南海地震と、首都圏直下型
地震の可能性を示している。 地球規模の地殻変動期の渦中にいるのである。 
日本は、その地震帯が重ねっている地震大国。 そこに原発が54もあれば、
危険極まりない事態。
  * ポタリングを再開
 早朝のミニ・サイクリング(ポタリング)を再開した。冬期間を除いた4
月〜11月の間、一時間かけ信濃川の二つの大橋を一周する。6時過ぎから
7時過ぎにかけての時間帯だが、何とも清々しい。電動アシスト自転車の効能で、
午後の二時間のスポーツジムを加えると、三時間も運動している。平坦な習慣の
組み合わせのためかアッという間に一週間が経ってしまう。電動アシスト自転車
の使用目安を5年と決めているので、半分使え終えたことになる。電動自転車は、
お薦めである。手段(自転車)が、目的(朝の運動)を変えてしまう
(ウォーキングからポタリングへ)典型的事例になる。これからはスマート
フォンとタブレットPCの普及が、ビジネスや生活パターンを根こそぎ変え
始めているが、手段の進化は、人間生活を間違いなく良くしてくれる。
  * チョッと騒ぎすぎでないのか?
 打上げ失敗で、よかったものの、北朝鮮のミサイルの打上げ少し騒ぎすぎ。
また、おどおどした防衛大臣の巡り合わせも悪い。北朝鮮の存在で一番、都合が
良いのは中国。極端に時代がかった漫画的国家を存在させておくのは、米国の
属国、日本と韓国の国境の緩衝地帯として地政学的に見ても必要である。 
まだ韓国が存在しているから他人事のように勘違いしているが、危険極まりない。
更に、やっかいなのは日本。充てがわれた憲法をたてに、軍隊の存在を認めず、
国境を侵犯されても他国への攻撃は相成らぬという、呪縛にとらわれている。 
その結果が、国家の体をなしてない有様。この十年で、残った体力を使い切る
ことになる。
  ・・・・・・・
3671, 節目どきに ー6
2011年04月14日(木)
  * 都知事選の結果をみて
 一度、不出馬を表明していた石原慎太郎が一転、出馬をして当選をした。
東国原とかいうお笑いタレントが石原が不出馬の場合に、当選する可能性が
あったからという。お笑いタレントを首都東京に選出するなど論外だが、
この国ではありうること。都民の大部分は以前、タレントの青島で大失敗を
したことを知らない。 この時期に人材が存在しないのは、悲しむこと。政治は
言葉で方向性を常に発し導くことである。石原を除いた他の候補は、論外も論外。
  * 本州壊滅は本当だったのだろうか?
 この原発事故が発生した数日後、あるところから、これは「本州壊滅の惨事」
と聞き及んでいた。ここでも何度か書いてきたが、その直後から外国人が列を
なして帰国をしていった。去年の三月にオープンした、東京駅に隣接している
シャンブリアホテルの支配人やシェフが、逃げ出して運営が出来なくなり、
事故後10日もしないうちに、休業に入ってしまった。(昨日に、営業再開の
ニュースがあったが・・)ところが数日前になって、チェルノブイリ級の最悪
レベル7に引き上げられた。事故直後は、危険レベルが4だったが、実際は7と
いうことを外国人は知っていたのである。知らないのは日本人だけだったのが、
ここで裏づけられたことになる。風評に気をつけろでなく、政府の発表と風評、
両方とも疑ってかからないと、大きなリスクを負う。
  * ホテル・飲食・サービス業界の悲鳴
 一足先に、事業を清算したが、同業の悲鳴がグッサと刺さってくる。
前年比で全国平均で三割減、首都圏で6割減、東北・北陸で八割減。それも、
リーマンショックで売上げが半減し体力を消耗した上で、これである。地元の
リゾート地や、佐渡など壊滅的と漏れ聞こえる。「過度の自粛を控えなさい」
というが、この世情の中で、生活防衛に入りざるを得ないのは当然のこと。
だから、あまり費用のかからないスポーツジムが大流行になる。
気の毒なのは料理屋、居酒屋である。 酒のツマミには魚料理である。
その魚に不信感を持ってしまえば、足が遠ざかる。最近、居酒屋の刺身が、
いやに美味しい。高級魚が売れないため、居酒屋に安く流れてくるためである。  
 ・・・・・・・
3306, 日本破綻 −1
 2010年04月14日(水)
 ー 「日本破綻ー株・債券・円のトリプル安が襲うー」藤巻 健史 (著)
 また恐慌本だが、近未来の津波のひとつの形が株・債券・円のトリプル安
と分かりやすい。現在の世界経済と国内経済も異常事態だが、何か茹で蛙
いうのか、諦めムードというか、危機感がいまひとつ。津波がきたところで、
今さら如何にもならないこともある。それに加えて政治の混乱である。 
最悪の政党がやっと瓦解し、溶解しかけているが、それに劣らない時代遅れ
社会主義政権になってしまい滅茶苦茶な空理空論の政策を始めた。
それが、とんでもない破滅型政策とくれば「株・債権・円」のトリプル安は
早まること必定。  まずはー 内容(amazn)から
《 バブル崩壊を上回る市場の反乱が日本を襲う財政の極度の悪化が招く
 「日本売り」が迫る。市場経済を無視し続けた代償として「トリプル安」
 による未曾有の大混乱が迫る。惨事を回避する策は果たしてあるのか?
 〜 本文の印象的な部分を抜粋しながら考えると、現状の深刻さに凍りつく。
*「市場の反乱」が起こると、人はそれを市場の暴力といいます。しかし、
 それは違います。日本でも株価が4000円を割り、円は200円まで
 暴落をし、失業率30パーセントが日本を襲う可能性がある。しかし、
 それは『市場』の自動調整機能を封印し、「計画経済」「管理経済」政策を
 長い間とってきたことの‘ツケ’なのです。
*2008年の54兆円の税収が、リーマンショックで44兆円まで
 落ち込んでしまった。この44兆円の内訳は、法人税が10兆円、所得税
 15兆円、消費税が10兆円、その他が9兆円。その結果、33兆円の赤字
 を出してしまった。法人税は、これで世界で一番高い税率である。ところが、
 2009年度では10兆円だった法人税が「5〜6兆円」に減ってしまった。
 それは民主党がいっていたマニフェスト子供手当て」とホボ同額。
 法人税は日本の三大税収のひとつだが、そのひとつ分を「子ども手当て」
 として、すべてばら撒こうという。その結果、53兆円の赤字国債を発行
 して、更に金を借りようとしているから驚きである。
ハイパーインフレは「合法的徳政令」= 以上のことから、過剰なトリプル
 安が起こった結果としてハイパーインフレになった結果としては、貨幣の
 価値が大幅に低下する。その結果、政府の872兆円の借入れは、どんどん
 小さくなる。国債も紙くずになるということ。こうなると政府も簡単に借金
 をへらすことができる。私が、これを「合法的徳政令」政策と呼ぶ理由はここ
 にあります。 ・・しかし、ハイパーインフレは大きな格差を生むことになる。
 株式や不動産を持っている人は良いが、持たざる人や、
 給料の低い経済弱者が酷いめにあう。
  〜〜
 結局、何時の世も弱者が最大の被害者に成りざるを得ないのである。 
 問題は、これが何時、始るかである。
 ・・・・・・・・
2931,わが人生最良の瞬間
2009年04月14日(火)
 ある雑誌に、「わが人生最良の瞬間」というテーマで各界30人の有名人が
寄稿していた。歓びと、悲しみ、そして出会いと別れが、その人をつくりあげた
ことを、それぞれが心を込めて書いている。なるほど、このテーマで自分の
思いを語ることは、自分自身を語ることでもある。それぞれの人が、自分の思い
入れがあり、その一番印象的な瞬間こそ、「わが人生最良の瞬間」になる。
その中で、印象に残ったものは、宗教学者ひろさちや「即今・当処・自己」。
【 華々しい賞を貰ったこともないし、逆に刑務所に入ったこともない。
それにかかわらず著作活動で500冊の本を書いた。何処をもって最高だったか?
・・と考えた瞬間にハッと閃きました。 そうだ〈いまが最高なんだ〉と。
ラテン語に「カルペ・デイム」という言葉があります。「いまを楽しめ」という
意味。BC1世紀のローマの風刺詩人のホラティウスの言葉です。 仏教では 
ー即今・当処・自己ー と、いっています。「いま、ここ、わたし」。 
もし、いまが苦しみの内にあるなら、わたしはその苦しみを味わって生きれば
よいのです。病気なら、その病人をしっかり生きればよいのです。病気でない
わたし、苦しみのないわたし、そんなわたしは存在してないのである。
あの頃は良かったといっても、それはもう存在してないのです。未来に求めても
存在してないのです。それゆえ、「人生の最良のとき」と問われれば、「いま」
になるのです。何か遺言みたいになったが。】 
▼ 以上だが、最良の瞬間には永遠という時間が縦に流れとすれば、彼の
 この言葉は当然のこと。私の「わが人生最良の瞬間」を、考えてみたことが
何度もある。 私もそれほど、華やかの経験もないし、実績もない。しかし
「わが人生最良の瞬間」という経験を数多くしてきた。多くの感動の積み重ね
が自分の中に沈殿し、それが磁力になって感動を引き寄せていったのだろう。 
その度に感受性が強くなってしまったのだろう。秘境で大自然の神秘的な光景
との思わない出会い、酒を飲んで騒ぎ、読書を通して時空を超えて多くの人と
出会い、それぞれの節目ごとに多くの人と邂逅し、多くの美術館で有名な絵画
などに出会うなどの集積が、多くの最良の瞬間を引き寄せてくれたのである。
小さな自己満足でしかないが。「いま、ここ、自分」を大事にしろ!
ということ。 そして、その場をつくる積極的な準備もである。
「ひとがみな われより偉くみゆる日に 花を買いきて独りでしたしむ」も、
人生最良の瞬間になりえる。
・・・・・・・
2567, 閑話小題
2008年04月14日(月)
  *桜咲く
 今日現在、桜が満開である。三分咲き、六分咲き、七分咲き、そして満開と
自分の人生を開花の中にみる。毎年、同じ桜でも気持ちが新たになる。短時間
に咲いて散るから心を打つのである。一日ごとに、それぞれの姿を見せてくれる。
そして今日あたりから一日一日と散っていく。通勤途中だから、それがよく
見える。散るのもまた良しの気持ちにはどうしてもなれない。 
*最近の身近な景気状況
 (字数の関係でカット ー2012年04月14日) 
*その後のipod
 (字数の関係でカット ー2012年04月14日)
*最後の叔父が亡くなる
 (字数の関係でカット ー2012年04月14日)

つれづれに

イメージ 1

他のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/54909/
http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive

今日のYoutube

 今朝、悠久山の花見、雨で行かなかったが、かなり散ったのだろう。
花絨毯が、絶品だが、どうだろう? 明朝は、どうなるか。
 花見も、考えてみたら、今までの酒量からみて、あと数回?しか、
見られない年齢になった。長岡花火もしかり。 「死んで三日もすれば、
300年前に死んだと同じになる!」と思えば、生きているうちだ。
 桜の花も、毎年、咲き、散り、翌年、また咲く。 生の循環を
咲く花と、散る桜の花に、見ることになる。
 

・・・・・・
2931,わが人生最良の瞬間
2009年04月14日(火)
 ある雑誌に、「わが人生最良の瞬間」というテーマで各界30人の有名人が
寄稿していた。歓びと、悲しみ、そして出会いと別れが、その人をつくりあげた
ことを、それぞれが心を込めて書いている。なるほど、このテーマで自分の
思いを語ることは、自分自身を語ることでもある。それぞれの人が、自分の思い
入れがあり、その一番印象的な瞬間こそ、「わが人生最良の瞬間」になる。
その中で、印象に残ったものは、宗教学者ひろさちや「即今・当処・自己」。
【華々しい賞を貰ったこともないし、逆に刑務所に入ったこともない。
それにかかわらず著作活動で500冊の本を書いた。何処をもって最高だったか?
・・と考えた瞬間にハッと閃きました。 そうだ〈いまが最高なんだ〉と。
ラテン語に「カルペ・デイム」という言葉があります。「いまを楽しめ」という
意味。BC1世紀のローマの風刺詩人のホラティウスの言葉です。 仏教では 
ー即今・当処・自己ー と、いっています。「いま、ここ、わたし」。 
もし、いまが苦しみの内にあるなら、わたしはその苦しみを味わって生きれば
よいのです。病気なら、その病人をしっかり生きればよいのです。病気でない
わたし、苦しみのないわたし、そんなわたしは存在してないのである。
あの頃は良かったといっても、それはもう存在してないのです。未来に求めても
存在してないのです。それゆえ、「人生の最良のとき」と問われれば、「いま」
になるのです。何か遺言みたいになったが。】 
▼ 以上だが、最良の瞬間には永遠という時間が縦に流れとすれば、彼の
 この言葉は当然のこと。私の「わが人生最良の瞬間」を、考えてみたことが
何度もある。 私もそれほど、華やかの経験もないし、実績もない。しかし
「わが人生最良の瞬間」という経験を数多くしてきた。多くの感動の積み重ね
が自分の中に沈殿し、それが磁力になって感動を引き寄せていったのだろう。 
その度に感受性が強くなってしまっていた。 秘境で大自然の神秘的な光景
との思わない出会い、酒を飲んで騒ぎ、読書を通して時空を超えて多くの人と
出会い、それぞれの節目ごとに多くの人と邂逅し、多くの美術館で有名な絵画
などに出会うなどの集積が、多くの最良の瞬間を引き寄せてくれていたのである。
 小さな自己満足でしかないが。「いま、ここ、自分」を大事にしろ!ということ。 
そして、その場をつくる積極的な準備もである。
「ひとがみな われより偉くみゆる日に 花を買いきて独りでしたしむ」も、
人生最良の瞬間になりえる。
・・・・・・・
2567, 閑話小題
2008年04月14日(月)
 
 *桜咲く
*今日現在、桜が満開である。
三分咲き、六分咲き、七分咲き、そして満開と自分の人生を開花の中にみる。
毎年、同じ桜でも気持ちが新たになる。 短時間に咲いて散るから心を打つのである。
一日ごとに、それぞれの姿を見せてくれる。そして今日あたりから一日一日と散っていく。
通勤途中だから、それがよく見える。散るのもまた良しの気持ちにはどうしてもなれない。 
 ~~
 *最近の身近な景気状況
取引先の都銀の担当の話だと、去年の秋口から小さな倒産が続いていて、ここに
きて更に景気の悪化が著しいという。税理士や知人の情報からも似たような話を聞く。
三月期末の結果の数字は1~2ヶ月後に出るので緊迫感がないが、厳しい事態が予測できる。 
特に建設と運輸関係の倒産が中心になるだろう。飲食・サービス関係もかなり切迫している。
 ところで、当方はどうかというと、団体が七ヶ月にかけて入っているが、これを除くと
やはり、二つの地元の地震による影響がある。 そう甘いものではないが、
駅前再開発がここにきて急ピッチになっている。 ここだけは別のようだ。
 ~~
 *その後のipod
日にちが経つほどipodの良さを実感している。本体が小さいのと、
操作が簡単なのが良い。通勤の車内では行き帰り、ほぼ聞いている。
それと就寝時は20分は聞く。それと昼休みの食事時も聞いている。
TPOSに合わせて選曲を気楽に出来るのがよい。
 ~~
 *最後の叔父が亡くなる
両親とも7人兄弟(姉妹)で連れ添いを含めると26人になるが、その最後の
一人が一昨夜亡くなった。89歳だったが、老衰だという。従兄弟の平均年齢が
70歳になるのだから、その時期なのだろう。昨夜が通夜で、今日は本葬。 
何か寂しい気がするが、叔父叔母全てが明治・大正生まれ。
その時節ということ。 後ろに感じていた死が、前に見えてきだしたきた?
父方の従兄弟(従姉妹)達は、既に三分の一以上亡くなっている。
平均年齢が70歳というから、叔父叔母全てが亡くなっても不思議ではない。
ご冥福を! これから葬式に十日町に出発。

・・・・・・・・・
2007年04月14日(土)
2202, 自殺について -1
      ~~ <(_ _)> ~~
                   おはようございます!
 自殺について、ここでは何回も書いてきた。書いても書いても尽きないのが自殺。
考えてみれば、自殺ほど考えさせられることはない。「死」が哲学(考えること)
の究極であるから、自分で死を実行する自殺は、深い意味があって当然である。
    
 歳を重ねれば重ねれば重ねるほど、生きていることの深さに気づくためか、
自殺に対して否定的になってきている。状況がそう言わせていることもある。
若かりし時に何度か挫折をするたびに、この世から消滅をしたいと心底思った。
しかし、今から考えてみても気もちの何処かに「今のこの気持ちは何時か変わり、
必ず素晴らしい未来ある」という楽観があった。それは未来という時間があったから。
この数年でも従兄弟や従妹の亭主やポン友が自殺をしたが、死にたくなるほど
苦しかったのだろう。

先進国の中で、日本が一番自殺率が高いと聞いてから10年近く経つ。
数年前に韓国が一番になったようだが、同じ位の数字である。
検索で『日本の自殺率』というキーワードで検索したが、1990年代後半から
異常に自殺率が跳ね上がり、7~8年間は先進国の中で一番になってしまった。

 以下は、幾つかのHPの自殺の現状をマトメタものである。
不景気と体制変換期には自殺が跳ね上がることからみて、
環境の変化と、その不適応と、自殺は大きく関連しているようだ。
ーー
 
日本は、人口10万人あたりの比率に換算する自殺率でみると世界第10位で、
旧ソ連・東欧圏を除く主要先進国の中では最も多い。
主要先進国の自殺率は、米国10.4人、英国7.5人、フランス17.5人、ドイツ13.5人、
に対し日本25.3人(平成16年)。日本の自殺率を押し上げている最大の要因は
「成人男性」の自殺だ。平成14年、15年ともに自殺者の72%は男性が占めている。
このうち、25歳~44歳までの男性の自殺率は42.3人と著しく高い(平成14年)。
100人の死者のうち、なんど24人は自殺!

 この年齢層はリストラ対象層。再就職しても、給与は落ちる。
家のローン、子供の教育費、親の介護の資金と、金はいくらあっても足りない。
生命保険の保険金目当てに自殺を企てる人間も多い。

この年代を含む30代~50代男性の自殺の動機は、1位が経済・生活問題である。
女性や他の世代では自殺の動機1位は健康問題だが、金の切れ目が人生の
切れ目とは、何とも哀しい。

 主な自殺のサインは、
うつ病にかかっている、
・周りの人とかかわりをもてない、
・身の回りの整理を考えている。
・ゆうううつな状況を不安な口調で訴える、
・アルコールや薬物に依存している、
・長期にわたる不眠を訴えている、
・人との接触がほとんどない、などがあげられる。
 
ー自殺予防としては、
 一人で悩まずに、妻、家族、親、友人に相談すること。
それができないときは、「命の電話」「自殺防止センター」などに
電話で相談するのがよい。相談することで、心が少しは軽くなる。

 ー日本における自殺の手段は、
・圧倒的に首吊り   20,669件(64.4%)、
・次がガスか排気ガス 3,538件(11%)、
・飛び降り      2,774件(8.6%)と続く。
・拳銃とライフル銃による自殺は、それぞれ13件、19件と少ない。
                    ーつづくー
以前書いた内容をコピーしておきます。
ーーーーー
2006/10/25  2031, 「私」のための現代思想  -15
       (+>∀<+)ノ おぁはは~ようさん!
      字数の関係でカットー2008年04月14日

・・・・・・・・
2006年04月14日(金)
1837, ローマから日本が見える-2
       才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)  ー読書日記

読めば読むほど、ローマ人のリーダーの面々に引き込まれていく。
彼らは自分達のありのままの姿を直視し、それを改善しようとする気概があった。
この書はローマ人が如何にして自己改革を行うことに成功したかの実例でもある。
それは、保守派と改革派の熾烈な戦い実例でもある。
改革が為されなければ、衰退か破滅の瀬戸際の中で行われるから引き込まれる。
そして、そこにリーダーとしての優劣が出てくる。 
  ーリーダーの本質についてー

イタリアの高校の教科書には次のように書かれているそうだ。
「指導者に求められる資質は、次ぎの五つである。
知力、説得力、肉体上の耐久力、自己制御の能力、持続する意志。
それをカエサルだけが、このすべてを持っていた」。
著者はリーダーについてもローマ人の指導者からみて重要な示唆をしている。

日本で指導者の資質として取り上げられる決断力、実行力、判断力、
ましてや「調整力」などということはまったく述べてない。
「経営者の決断力」などが課題になること自体が問題であると看破。
決断力のないリーダーが多すぎるのが問題であり、リーダーであれば当然、
決断力や実行力は持っていて当然のこと。
毎年一冊の割合で発表される「ローマ人の物語」は、その中に著される
多くのローマの興亡に携わった人物たちの生き生きとしたドラマとしての
歴史読み物としての面白さにある。

古くからローマの歴史を演繹することによって、有史以来の様々な国々の興亡
の要因を学び、又、自分達の生きている社会の問題点の解決方法を学んできた。
現代においても、ローマの歴史は現代の政治的、社会的な問題解決の糸口にも
なる上に、社会・文明批評の書ともなりうる。

巻末にはアレクサンダーから、ローマの英雄、皇帝たちを含む歴史上の
人物たちの通信簿が掲載されている。
     (*^ー^)/C□~~ コーヒーいかが?
 ーところでシーザーの『賽は投げられた』の詳細は、どういうことだったのか?ー
腐敗堕落した元老院政治打破を叫んで立ち上がったユリウス・カエサル
紀元前49年1月29日早朝、「賽は投げられた」と叫んでルビコン川を渡った。
ルビコン川はローマ本国と北イタリア属州との国境。
川岸に立った武将カエサルも幕僚も配下第13軍団兵士も身動き一つしなかった。
川幅は狭く渡るのは容易だ。 しかしこの川を渡るには勇気と決断が必要だった。
ルビコンを越え、本国に軍団を率いて入ることは「祖国への反逆」を意味していた。
クーデターと見なされ追討軍を差し向けられローマ人同士の内戦になる。
「ここを越えれば人間世界の悲惨さが待っている。
越えなければわが身の破滅」。カエサルは兵士を振り返り叫んだ。
進もう。神々の待っている所へ、我々を侮辱した敵の所へ。賽は投げられた。
次回からは、目次にそって印象深い部分を抜粋しながら考えてみる。  
                  (*^▽^*)/ バイ~
・・・・・・・
2005年04月14日(木) 1472, カリスマについて

先日、少女暴行で朝鮮人の変態牧師様?が捕まった。
キリスト教の普及手段として、音楽を取り入れたりして現代風にアレンジした
ファッションが売りのようだ。 しかし、見るからに怪しげな集団である。

宗教そのものも、本来怪しげなものであるが。
といって、30人以上の少女を毒牙にかけていながら問題にならないのもおかしい。
カルトもオットセイ的絶倫教祖様が異常なハーレム世界がいきつく先だ。
この手合いは、現在でも世界中に満ち溢れている。 ニーズがあるからである。
救いとしてのセックスもカリスマならストレートで効用があるのかもしれないが。
(もちろん皮肉である)

前に読書日記でカルトの教祖様について書いたことがあった。
コリン・ウイルソンの「カリスマへの階段」という本で、初めから終わりまで
息を詰めて読んだ。教祖様の描いた天国の世界に、教徒は洗脳され、そして・・
の世界である。 共同体は、カタチは変われど似た側面があるが。言葉を使った
教祖様/空想世界の夢商品の販売である。信じるものは救われるのだろう。

以下は、以前書いた読書日記のコピーである。
今度[カリスマへの階段]-2で、他にも幾つかの集団と教祖を紹介してみる。
ーーーーー
2003/05/08 「カリスマへの階段」

 いまマスコミで連日報道されている白装束の集団「パナウエーブ研究所」
を見ていて、誰もが「何故真っ当な大人?が、かくも幼稚な教祖様の御教えを
信じてしまうのだろ?」と首をひねる。マインドコントロールというヤツで
洗脳されてしまうのだ。

 7~8年前に『オウム真理教』が騒がれていた時に、図書館でコリンウイルソン
の「カリスマへの道」を借りてきて、あまりの面白さに蔵書として買ったのを
思い出して、また読み返した。何度読んでも面白いものは面白い。9年前に
スイスのカルト『太陽寺院』のメンバーの集団自殺がおき、その前後して麻原の
『オウム教』の問題が出てきた。彼らは決まって終末思想がある。
そして、その信者だけが救われるという教えを繰り返し教え込んでしまう。

オウム教のそれは『世界の終末は1997年に起き、オウム真理教
信者のみが救われる』と説いていた。 この白装束の主張は
・この5月15日に何処かの流星が地球に衝突する
・また共産ゲリラが彼らに電波で攻撃を仕掛けているという。
このような幼稚なカルトに何故ごく普通の人たちが、
 妄想にひた走る「メシア」様の命令を唯唯諾々と従うものか?
その原理を「カリスマへの道」では歴史を遡って書いている。
その中で一番面白く本質をついていると思われるところを以下に書き写した。
ーーー

西暦1666年の初頭、全欧州が人類の歴史上の最大イベントを待ち構えて
いた。ユダヤ民族を昔日の栄光に導くメシア登場である。この神の使者は
サバタイ・ゼビという40歳のユダヤ人で、今はスルミナに住んでいるが、
やがてトルコのスルタン(皇帝)を打倒し、龍に乗ってエルサレムに入城する
手筈になっている。そしてその後は戦いで次々と敵を倒して世界の王になる予定。
ユダヤ人が『我々が今にあなた方の主人になる」と言うと、キリスト教徒も
心配を始めてた。
・・・(中略) 大都市の多くではこの期待は早くも混乱を生みつつあった。
ユダヤ人社会が商売を止めて最後の審判の準備に入ったため、まず商業が機能
停止になった。ハンブルグでは人々は家と土地を売り至福千年期に備えた。
・・・・・・・・
だが年も押しつまる頃に信じがたい噂がながれ,歓喜は落胆に一変する。
イスラムにサバタンが改宗したという。
サバタンが若いメフメト4世の前に引きずり出され「イスラム教に改宗するか、
さもなくば生きたまま串刺し」と二者択一を迫られた。これに応じたメシアの
サバタイは直ちにユダヤ帽を地に投げ捨て唾を吐きかけ、これに変わって
白いターバンが頭に巻きつけられるに任せた。そしてスルタンー皇帝は
この改宗を優雅に受け入れと新しい名前と門番の職を与えた・・・

ーーー 
こういう新興宗教のメシア様の色いろな内容が次々と出てくるのだ。神の名で
の教祖様のハーレムがつくられ、組織内での多くの殺人が繰りひらかれるのだ。
宗教ごっこならよいが、セックスと殺人が終末思想の元で日常になって自己破滅
を始めて行くのである。オウムのようなことは、宗教の創立期にはどこでも
つきものである。
 
理想社会は教祖様にとっての意識下の世界でしかない。
95?の従順タイプの更なる他人志向を求めている人は、
その理想社会の空想社会の餌にごく簡単に飛びついてしまう。
そして全財産を剥ぎ取られてしまう。 世界中がそれに満ちているといってよい。
精神的に傷つき癒されたい人が、それだけ多いのだ。自分で本を読みつづける
中から癒されるのが、一番効果があるのに! それしかないのに!?
・・・・
「カリスマへの階段」
コリン ウィルソン (著) 青土社 (1996/03)

・・・・・・・・・
2004年04月14日(水)  1107, 大逆転ー2

昨夜の巨人戦が久々に面白い内容であった。
一昨夜は、世界ヘビー級の劇的逆転KOに驚いたが、昨夜は7対1で
負けていた巨人が8回の裏に9対9の同点に追いついた。たまたま逆転の
場面からTVを見たので,一番面白いところを見ることができた。

そのうち、安部が二本のホームランで6点の打点をあげた。
まさかと思っていたら、いまの巨人はそれをやってのけるから凄い。
最後は12回裏に阿部の押し出しでファーボールでサヨナラ勝ちをした。
その時は寝てしまっていたが。
あれだけのバッターを集めるのだから、こういうことがおこるのだろう。

昨夜の対戦相手が中日であるが、今年から監督になった落合監督が飄々
として面白い。長年の構想を練って監督になったのが見ていてよく解る。
長島元監督とは全く違うタイプである。阪神の岡田、中日の落合、
巨人の堀内という新しい監督の個性がこれからの試合で、出てくるだろう。
過去に蓄積されたものがどの程度であったか、あからさまになるのだから
監督業も大変な仕事である。

・・・・・・・・・・
2003年04月14日(月)
 740, 深夜特急

沢木耕太郎の「深夜特急」という小説がある。
彼が若い時にロンドンへ貧乏旅行をしたときの深夜に移動する
乗り継ぎバスからとった小説の題名である。 TVドラマにもなった。

昨夜の十時半に京都の桜見に出かけた。一万円パック・バスツアーで、
翌日の21時半に帰ってきた。天気が良かったが、先週に桜のピークは
過ぎていた。しかし、この桜の時期のパックのシステムが良い。

・朝6時に、京都の清水寺の開門に合わせて到着するコースが組んであった。
・その後7時に嵐山に行って、あとは解散してそれぞれが嵐山・嵯峨野
 めぐりをして11時に集合して、オプションの食事
・その後、一般公開の最終日の京都御所をみて14時半に帰ってくる
内容であった。

ハイライトは自転車を借りて周った、嵐山周辺のお寺周りであった。
印象順に書いてみると
愛宕念仏寺の羅漢仏の群れがよい。
 写真では何回もみたが、実際にみたのは始めてであった。
 人間臭い像が多くあちこちに郡をなして並んでいた。
・壇林寺の多くの仏像と仏画が印象的であった。
・祗王寺の小宇宙を思わせる庭とその中の家もすばらしい。

最近は殆ど国内旅行はしなくなったが、こういうパックシステムに
参加して、効率的に行ってくるのもよいことが解った。
こういうシステムに参加して嵐山だけに絞って周り最終地で待ち合わせて
帰りのバスに乗るいう方法もある。 43人の参加で添乗員がついていた。
新発田、新潟、三条、長岡と参加者を拾っていくのも効率的である。

深夜特急?が意外と疲れないのを知ったのも収穫であった。

・・・・・・・・・
2002年04月14日(日)  376,新潟駅前界隈

新潟の駅前で事業を始めて21年になる。場所柄、いろいろな商売をみてきた。
本当に商売の難しさを思い知らされる。意外と潰れてないのが驚きだ。
半分は生き残っている。しかし多くの潰れていく店も多い。数年たつと
いつの間にやめている。その共通点は私生活の乱れが多い。それといつの間に
「唯我独尊」になってしまうことだ。店が悪くなると、すぐ客単価を
上げようとする。

お客は「お値打ち」を求めて店に来ているのが解らなくなる。
こと値段に対して厳しい査定をしている事が見えなくなる。
そういう危なくなっている店が、ここにきて多い。
おかしくなる数年前に、何かその種をつくっている。
お客は一度離れたら二度と戻ってこない。

いろいろな事情と思惑で、商売を始めている。しかし原理原則が商売に
きっちりある。その原則がわかってない人が多い。大きい本屋を数軒回れば
幾らでもあるが、気がつかないのも仕方ない。他人事ではないが。

特に飲食店がよくない。原因は
・一人当たりの可処分所得と小遣いが減ったこと。
・出張と社交費が激減したこと。
・自宅近くのチェーン店に行くようになった。
・TV のハードとソフトがここにきて格段によくなった。
 その為、家でビールを飲みながら、TV を見ていたほうがずっと価値がある。
・そして最大の原因は不景気である。

デフレと売り上げが減っている為、客単価を下げる事が出来ない。
商品の質を一ランク上げ、価格を一ランクか二ランク下げなくてはならない。
客が来ないため鮮度と質が落ち、客単価を上げてくれば客は減って当然だ
お客は食べ物には敏感である。おまけにデフレの為スーパーやファーストフード
は合理化を進め、値段を下げてくる。「誰がそんな不味いものを高い金を
出して食べるか!」と黙って行かなくなる。

それでもまだ店を出したがる人がいるのだから。