* つれづれに大相撲 〜?
 何を間違えたか、稀勢の里が優勝をして横綱になった。「実力だけでは
なれないのが横綱。その一番大切な何かが稀勢の里には欠けている」と横綱
白鵬に言わせた何かが、今場所には付いたのか。それとも実力が備わったのか。 
二人の横綱が途中休場をしたことも、プラスに働いた。 父親が、「息子が横綱
になるのが気の毒だ」と言わせしめた気の弱さ優しさ。 もう直ぐ31歳の遅咲き、
3年以上は綱を張りたいのだろうが、無理? 名大関で終わる典型的な力士に見え
たが。
 そろそろ不祥事が起きる時期に入った。丁髷姿で大柄で、目立つため、公共の
場で、派手に遊べない。「谷町」も、以前のように祝儀も貰えない時節、結局、
巧妙に近づいてくるヤクザや、芸能世界の玩具にされる状況は変わらない。
   * 名前の由来
 以前、書いたことがあるが、父方の法事の隣席に、「家老」という名の風格の
ある人がいた。市会議員に、その名の人がいたようだったが… 名前が名前だけ
に印象が残っていたが、当人?。 選挙のための源氏名としては非常に有効。 
酒を酌み交すうちに、「立派な名前ですね。元は何処のご家老様ですか?」と
話を向けると、慣れたもの。 <いや、そんな大それた由来ではなく、元もとは
「螻」で、オケラと馬鹿にされるので、改名を考えた時、せっかくなら「家老」
と思い立っただけ>とのこと。 小学校の4年時に「けら写真館」の娘さんが隣席
になったことがあったが、「オケラ」などの揶揄いはなかったようだ… 
学生時代に大恋愛をして結婚をしたが、早々にガンで亡くなったと聞いていた。
 大学生時代に「小作」「渥美清」という名がいたし… 確率からして、27人
集まると一組は同じ名がいるという。名前は、ミニ物語というが。

・・・・・・
5428,人生で最も大切な技術 ー? 幸福は可能か
2016年01月25日(月)
       『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
   * 幸福は可能か
 インド独立の父 マハトマ・ガソディの以下の言葉が良い。
< 手に入れられる外的自由の大きさは、ある瞬間の成長段階で獲得済の
 内的自由の大きさに比例している。それが自由についての正しい考え方なら、
 自己の内側を変革することにエネルギーのすべてを集中すべきである。>
外的自由から、逆に内的自由を得ることも、しばしばあったが、やはり、
内的自由から入るのが順当だろう。節目を打つというのは、挫折や、成功から、
これまでのステージから次の段階への変化にエネルギーを集中すること、
外的自由から、内的自由を得るための行為と思索をいう。読書で、著者の
世界にトリップするのは内的世界の自由を得る身近な手段。また、瞑想も
しかりである。今ではTVも、インターネットもある。 〜その辺りから〜
≪ 精神的な修行は、驚くほど多くの結果をもたらす。日々わずかの時間を
 瞑想に割くだけで、精神を鍛えることができる。想像以上に多くの人たちが
通常の家庭生活を営み、仕事に励みながらこうした訓練を続けている。
このような生活態度のプラス面は、煩わしい時間のやりくりといったマイナス
面をはるかに超えている。こうした訓練を続けることで、現実的な日常生活の
中で心の変革の旅に乗りだすことができるのである。パストゥール研究所で
研究に取り組みながら、パリの生活にどっぷり漬かっていた頃、数分しか実行
しなかったにもかかわらず、毎日の瞑想は非常に有益だった。
 日々の活動の中に、芳香が漂い、これまでにない価値を見出すことになった。
ここで言う瞑想とは、単なるリラクゼーションではなく、内面に目を転じる
ことである。思考がどのようにして生まれるのかを静観し、憂うつなものも
陽気なものも、すべての思考の裏に常に潜んでいる平安、静寂、純粋な心の
様相をじっくりと見つめる作業である。それは思ったほどに複雑で難しいこと
ではない。ほんのわずかな時間を割くだけで、瞑想がもたらす効果を実感し、
結果を認識するようになる。自分の中で起こっていることを内観する、その
経験を少しずつ身につけることで、思考経路をよりよく理解するようになる。
その結果、心の毒を洗い流すコツがつかめるようになる。
 心の平和を少しでも感じられるようになれば、生気溢れる感覚の維持と煩雑
な職業を両立することが難なくこなせるようになる。同様に、心身が不安定で
不安感の強い状態(過度の自己中心としばしば関連する)から自分を開放する
ことができたとき、恐怖心は弱まり、人に対して自然に心を開き、「人智
超えた存在の気まぐれ」と呼ばれる運命に翻弄されずに、それに直面できる
ようになる。国だろうが教会だろうが、あるいは専制君主でさえも、
人々に人間性向上を義務づける権力を持たない。これは本人の意思で選択する
しかない。統計遺伝学者のルカ・キャヴァリ・スフォルツァとその息子
フランチェスコが雄弁に述べている。
【心の自由は、自分が制限するか、制限することを許した他者が制限する場合
を除けば、限界がない。その自由は偉大な力をもっている。個人を変革させ、
その能力を最大限に伸ばし、人生のあらゆる瞬間に、完全な満足感をもたらす。
個人が意識を成熟させれば、世界も変わる。なぜなら世界は個人の集合体だから。】
▼ 私にとっての午前中の読書や、ネットや、寝室や居間でみるTVドラマと
 映画も、内的世界を自由に飛びまわっていることになる。それに比例して、
外的世界が広がっていることも確かだが、瞑想で、心の内から、広大な宇宙と
つながることは、外的自由より遥かに解放されることも確かである。
・・・・・・
5064,あわいの力 ー?
2015年01月25日(日)
         ーあわいの力 「心の時代」の次を生きるー安田登(著)
   * シテの「あわい」の役割
 夜八時に就寝し、午前一時には目が覚め、四時に起床するまでは朦朧とした
半睡状態。そこは無意識という異界と、現実の間を漂う「あわい」の世界。
そして起床、この随想日記の書上げをしている。 まずは〜アマゾンの案内〜
《 古代人には「心」がなかった―― 「心」が生まれて3000年。
「心の時代」と言われる現代、自殺や精神疾患の増加が象徴的に示すように、
人類は自らがつくり出した「心」の副作用に押し潰されようとしている。
そろそろ、「心」に代わる何かが生まれてくるのではないか?
 シュメール語、甲骨文字、聖書、短歌、俳句・・・。
古今東西の「身体知」を知りつくす能楽師・安田登氏が
「心」の文字の起源から次の時代のヒントを探る。
 あっちとこっちをつなぐ不思議な力!
異界と現実の間(あわい)の存在(能におけるワキ方)であり、
古代文字の研究も重ねる著者が、まったく新しい時代の姿を求め、
「あわい」の世界に飛び込んだ・・・! 可能性は、「日本人の身体」にあり!? ≫
▼ 先日書いた『中の人・外の人』で(一年の間、縫いぐるみを着て外出した
 経験を持つ筆者が、縫いぐるみの「うち」「そと」の『あわい』について
書いいた。 また彼が現在、住んでいる京都のひとは、「うち」と「そと」
の使い方が絶妙であると指摘。それは内面と外面が違うという単純なことでなく、
「うち」「そと」のあわい、中間領域を共有しながら京都の暮らしは営まれて
いることを指摘する。宇宙に漂う人間の心の背景の「間」にヒントが?
この時間も、毎日書いている、この文章も、「あわい」になる。
 とすると、現実と思っている日々そのものも、「あわい」。
・・・・・・
4699,末期がん、その日のための予習を ー2
2014年01月25日(土)
       ー「末期がん、その不安と怖れがなくなる日」樋野 興夫 (著)
 余命の期間を宣言された瞬間から奈落の底に突き落とされ、独り悶えること      
になる。そこで医師による患者に対する「心の処方箋」が、この第一章にある。
人は言葉によって救われる存在。その目次の小テーマそのものが、要約された
救いの言葉。知っているかどうかが大違い・・ 三冊の愛読書と、iPodと、
好きなDVDの用意か?  シリアス過ぎる? 
   第一章 がんとの賢い暮らし方 の目次より
・日本人の2人に1人がかかる国民病 
 ー「よりによって自分だけが!」でなく、丁反の確率と割り切るしかない!
・がんになっても天寿はまっとうできる ー「ガンで死なない時代」。
  遅らせ、天寿を全うすると割り切るべし!
・がんの不安とともに暮らす時間が増えていく 
 ー長生きの負の部分と割り切るしかない!
・人間関係の悩みは病人も健康な人も同じ 
 ー病気の悩み、家庭内・職場での偏見は、健康体でも同じと割り切るべし!
・10の悩みを0ではなく7に減らす ー所詮ゼロにするのは無理なら、
  少しでも減らす算段を!その差は大きい
・不安解消には「がんを忘れる」こと、「がん」の優先順位を下げる 
 ー好きな音楽を聴く、iPodなど準備をしておく
・柔軟性は強さ、頑固は脆さ ー泣いても笑っても同じ空と、心を柔軟に
・「目下の急務」がわかれば不安はなくなる ー言残すこと、書き上げるなど・・
・未来でも過去でもなく「いま」を生きる ー分からない未来より、
  目の前にある「いま」を大事に生きる
・いい思い出は、いまの活力 ー原点に帰ることで、今を整理する
・「今日が人生最後の日」と思えばいい ー健康人も、毎日を最後と
  生きれば、怖れは減る
・死ぬのは確実、いつ死ぬかは確率 あいまいなことは、あいまいに 
  罰が当たったと思う必要はない 
・罰は荷物として背負っていけばいい ー意外な落とし穴が、過去の後悔と自責
・発症するとはかぎらない「遺伝性のがん」 ー40歳前半で家系が全て死んで
  しまう人の話、ところが当人は!60過ぎ
・「がんの家系」にまつわる誤解ー食事など環境要因のガンが7割、その他3割
・がんも「個性」のひとつ ー 一律に考えないこと 自分自身の内と割り切る    
・不安や怒りは他人との比較から生まれるー自分一人の問題(人 *) 南無阿弥陀仏
・「看板かじり」は精神的に脆い 
  ー勤め先の肩書きだけに生きないこと。別のライフワークを持つべし
・衣食住が足りればそれで良しー勤めていたら閑職に甘んじるべし割切るべし
・顔を変えれば世界が変わる ー悲観した顔は他人に見せない。
               感謝の気持ちで第三者に接すれば顔は変わる
・「大好き」の気持ちは強い武器 ー医者や患者に、まず大好きという
  気持ちを持つこと、その前に現状の肯定を
・人間関係は鏡のようなもの ゴールまでが見通せないこともある
・ふまじめも、きまじめも「ほどほど」がいい ぁゎ(ω`;))((ノ;´・ω)ノぁゎ
・ネガティブな状態からいつ抜け出すか ー良かった思い出の領域にいるよう
  意図的にコントロールする
・人生いばらの道、にもかかわらず宴会 八方塞がりでも天は開いている 
  ー地球見学に来て、そろそろ元に帰還するだけ!
▼ いずれ誰にも訪れる死神、上記を心がけて、独り静かにプッツンと逝く。
 そして、生ゴミ。 さほど遠くない近未来にこれを真剣に読み返す時期が
来ると思うと凍りつくが、とはいえ、最優先すべき知識である。゚;Д;゚;カタカ㋟
・・・・・・
4332, 自己とつきあうということ −2
2013年01月25日(金)
        「自己の探究―自己とつきあうということ」和田 渡 (著)
 定年退職や失業などの節目で、戦略的引きこもり、良くいえば自己に沈潜
することが重要になる。現在の私が、そうである。枝葉を切って根を養う時。
特に老木は必要としない枝葉を思い切って落とさなければならない。
戦略的退却と判断したら、果敢に決断、実行すべきなのが人生である。
そして、人生を振り返り、己に沈潜すべきで、それから逃げては人生を狂わせる。
  * 自己への引きこもり ー人生の戦術的退却と沈潜ー
≪ スペインの哲学者オルテガ(1883〜1955)は、自己へと向かう姿勢を重視。
「自分自身への戦術的退却や慎重な思索なしに、人間的生は不可能である」。
彼は、人間は、しばしば自分から疎外されて、自分が信じているもの、
忌み嫌っているもの、大切なものがなにかを見失ってしまう危険にさらされて
いることを指摘した。 われわれひとりひとりは、唯一にして他に譲り渡す
ことのできないところの自分自身でなくなるという危険に常にさらされている。
オルテガは、そうした自己喪失から人間を救うのは戦略的に自己へと撤退
すことだと見なし、それを「注意力の転換」「内部への注目」「自己の内部に
引きこもること」といった言い方で示した。 しかし、彼が、「自己疎外」
との対比でくりかえし言及したのが「自己沈潜」である。
 それは「自己に沈潜する能力、われわれの朽ちることなき深みに静かに
ひきこもる能力」を意味する。とはいえ、自己の内部への沈潜、撤退によって、
他人や外界とのつながりを断ち切ってひきこもってしまうという姿勢が
強調されているわけではない。ひきこもるのは、「周囲についてのわれわれの
考えを検討し、そして戦術を練るために一時行動を中止」するためである。
われを忘れ、自己を疎外された人間のふるまいは、しばしば「ばかげた態度」
や「愚行」を招きやすく、「理にあわない別の態度」へと波及するがゆえに、
その連鎖を断ち切るためにこそ、沈潜が必要とされるのである。 
・・オルテガの言う、「自分自身の孤独の深みにひんぱんにひきこもらなければ
ならないという義務」はほとんどはたされていないであろう。戦略として内部に
向かう態度、自己に沈潜する態度を保持する人より、自分以外のものに拘束
され、外部へと結びつけられた態度の内で生きる人が圧倒的に多い現実のなかで、
両者の見解は時代錯誤的なものに見えないではない。しかし、生のさなかで、
生を感受し、生を考えて生きることの楽しさを味わうことを求めるとすれば、
この考え方から学ぶべきことは多いであろう。 ≫
▼ オルテガが「自己疎外」と「自己沈潜」と対比しているところが分かりやすい。
 自己疎外は自分と折り合いがつかない状態で、自己沈潜は自己疎外による愚行を
避けるために、戦略的に一時期に自分を閉じてしまうことである。そういえば、
 私の午前中の時間の使い方がそうだ。明らかに独りになり自分の世界に
沈潜している。午後からは、シネマやTVで映画をみたり、スポーツジムに
行ったり、SCで買い物をしたり、図書館で本を読んだりして、外界に触れる
ようにしている。砂時間沈潜でしかないが・・ 社会という森林の中の、
一本の木(事業)から離れ、自分自身に撤退し、自己沈潜をすることは、
人生の義務である、とすると、身に沁みて理解できる。成るほど、独り部屋で、
音楽を聴いたり、ネットサーフィンをしたり、随想日記の下書きをしている
時間が至福に思えるのは、その義務を楽しんでいるため。
社会から自分独りの世界への撤収、そして沈潜だが、浅い。
・・・・・・・
3957, 他人を責める「新型うつ」について ー3
2012年01月25日(水)
 * うつ病患者と自殺の異常増加の原因とは    
      ー日本の論点2012ー 他人を責める「新型うつ」片田珠美
 このレポートで「増加の一途のうつ病患者」について、次のようにある。
≪ 国内のうつ病の患者数は、1996年には43万人程度だったのが、2008年には
100万人を超え、いまや15人に1人が、生涯に一度はうつ病を経験するという。
うつ病の増加は、日本だけでなく世界的な傾向である。1970〜80年にかけて
おこなわれたコロンビア大学による世界各地の疫学調査では、北米.西欧州、
中東、アジアなどの各国すべてで、うつ病が増えているとの結果がでている。
アメリカでは年間2000万人がうつ病にかかり、全米保健統計センターの調査で、
1994年には2万人程度だった子どものうつ病が、03年には80万人と、なんと
40倍に増加したと報告されている。 ・・・≫
▼この異常の増加には、製薬会社の陰謀?があるようだ。DSMという米国流診断
基準が大きく影響しているという。「うつ病とは何か」を考えることをいったん
止めて、「うつ病とは、これこれといういうもののこと」と勝手に定義をして、
その基準にあわせて、それまで病気でないものを、どんどん、「うつ病」に
仕立て上げていった。要するに、うつ病の基準を広げ裾野が広まったための増加。 
それと時を同じくしてSSRIという抗鬱剤の新薬が販売された。ちょっとした
落ち込みでも「うつ」でないかと、直ぐに受診する人が増え、この薬を飲む人
が急増していった。「うつは心の風邪」というキャッチフレーズは、この新薬の
発売にあわせて広められたもの。しかし、この薬が普及するにつれ、自殺者の
数が爆発的に増えていった。実は、この薬は自殺念慮を惹起させる副作用
があるという。また、イライラや攻撃性が強くなる作用があるという。
ある温和な人が突然、狂ったように人の陰口をいっている現場を見たことが
あるが、あれは薬の作用だった?とすると、納得する。ハッピードラッグの
副作用も、一つ間違うと大きな挫折を伴うことになる。私も何人もの身近の人に、
気楽に通院を勧めていたが、ハッピードラッグの副作用までは知らなかった。
合法的とはいえ、ドラッグはドラッグ。 考えてみれば酒も一種の麻薬の類。
これもハッピーウォーターになる。疲れや心を癒すが、一つ間違えればアル中。 
うつを和らげるが、身体に蓄積していく。
 ・・・・・・・
3592,  閑話小題 
2011年01月25日(火)
  * ワールドカップとオリンピックの差
「日本人は、ワールドサッカーとオリンピックの差がわかってないのでは?」
と、塩野七生。オリンピックは建前としても、素人の戦い。それに対して
ワールドサッカーは、選ばれし金稼ぎのプロが国の名誉と、自分の商品価値を
上げるために死力を尽す。勝ち上がらなければ、何の価値もない。この辺の
ところが日本人には分かってないので、マスコミの報道に首を傾げるという。
見ている方は、それを肴に盛り上がりゲームを楽しむ。しかし日本のマスコミ
も国民もオリンピックの延長上で論じていているから、奇妙なことになる。
勝てば官軍、負ければ敗軍になって当然である。オリンピックも銀銅をなくし
金一個にしたら盛り上がりは違ってくる。それが出来ないところが、ワールド
カップとの差。 今夜は日韓戦があるが、何?は覚悟が違う。
  * ところ変われば、意味が違う
(字数制限のためカット 2012年1月25日)
 ・・・・・・・
3227, フリー −4
2010年01月25日(月)
「フリー <「無料」からお金を生みだす新戦略>」クリス・アンダーソン著  
 * 数百万点の中古品をタダで提供
  ー以下は、この本でフリーサイクルを紹介してある文章であるー(p249)
≪ すべては1台のベッドから始った。2003年の春にアリゾナ州トォーソンに
 住むデロン・ビールは、地元の慈善団体にベッドを寄付をしようとしたが、
衛生面で問題があるということで拒否をされた。そこで、彼はゴミを減らすため、
フリーサイクルを立ち上げた。 
・不用品を売ったり・ゴミ捨場まで持っていくのがいやの人と、
・物を欲しい人を結びつけるサイトである。このフリーサイクルのサイトは
 非営利で、グーグルによるスポンサーバーを僅か置いているだけの広告収入
 から、ささやかな予算で運営されている。(14万ドル)
 地元のヤフーグループの仲介者に自主的に組織されたヤフーグループによって
 運営されている。会員になりたい者は、200文字以内の会員になりたい動機を
 記さないと会員になれない。一たび会員になると、沢山の無料のモノが
 まっている。 革製のソファーとか、テレビ、バイクなど。
 贈与経済は以前からあったが、それを広めるためにウエブほど効果的な
 プラットフォームはない。2008年には590万の会員が一日2万点を寄付して、
 合計800万点になっている。≫(字数制限のためカット 2012年1月25日)
 

つれづれに

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  今日のYoutube

 相撲が終わり、淡々とした日々が始まった。 
二月に入ると、プロ野球高校野球の開幕に向けた練習試合のニュース
が入り始める。 この冬の雪も地元では小雪の部類。それにしても、
早朝は寒い! 



・・・・・・
3227, フリー -4
2010年01月25日(月)

「 フリー <「無料」からお金を生みだす新戦略> 」
                      クリス・アンダーソン著  
  * 数百万点の中古品をタダで提供
 ー以下は、この本でフリーサイクルを紹介してある文章であるー (p249)
≪ すべては1台のベッドから始った。2003年の春にアリゾナ州トォーソンに住むデロン・ビールは、
 地元の慈善団体にベッドを寄付をしようとしたが、衛生面で問題があるということで拒否をされた。
 そこで、彼はゴミを減らすために、フリーサイクルを立ち上げた。 
・不用品を売ったり・ゴミ捨場まで持っていくのがいやの人と、
・物を欲しい人を結びつけるサイトである。このフリーサイクルのサイトは非営利で、グーグルによる
 スポンサーバーを僅か置いているだけの広告収入から、ささやかな予算で運営されている。(14万ドル)
 地元のヤフーグループの仲介者に自主的に組織されたヤフーグループによって運営されている。
 会員になりたい者は、200文字以内の会員になりたい動機を記さないと会員になれない。
 一たび会員になると、沢山の無料のモノがまっている。 革製のソファーとか、テレビ、バイクなど。
 贈与経済は以前からあったが、それを広めるためにウエブほど効果的なプラットフォームはない。
 2008年には590万の会員が一日2万点を寄付して、合計800万点になっている。≫
ー以上だが、アメリカ的な素晴らしいシステムで面白い。こういうことがネット上だから成り立つ。
中古品のセリなら何も珍しくないが、贈与というところがミソ。 遅かれ早かれ日本にも出来てくるはず。
アマゾンで中古本を一円で何冊か買っている。宅配の送料340円のマージンで利益を確保するのだろう。
送料を入れても半値か三分の一になる。 フリーサイクルを宅配便会社がやれば、
宅配を自らの手で作りあげることになる。 フリーはネットによるデフレ原因の典型的事例になる。

 ・・・・・・・・
2852, チベット旅行記 -3
2009年01月25日(日)
 この旅行記の中では、仏教の真髄を説いている部分がある。
  究極のところで仏の教えを試される場面が何回も出てくる。 宗教は生きていく上で必要条件である。
* 白巌窟尊者との大問答
尊者「いろいろな困難をしてまで何でラサにいかれるのですか」
 慧海「仏道の修行をして一切衆生を済度しようというため来たのです」と実際的な問いをはずして
   形而上の仏教的な答えをした。すると
尊者「あなたは何の原因で済度するのですか」
 慧海「何も私には原因はない。衆生がいろいろ苦しみを受けているからです」
尊者「それではおまえは世の中の衆生というものを見ているのか」と言って、非常に理想的な問いを
  発したので、私も理想的なオウム返しをしてやった。
 慧海「我に我なくして、どうしてこの衆生を見ましょうか」と答えた。
  次に尊者はあの賊に会った時の私の気持ちを尋ねて、
尊者「盗人を憎いと思ったか・・・・、盗人が去った後で彼等を憎み、呪法でも唱えて仇を帰す
ようなをやったか」
 慧海「私に取られるべき原因があってあの盗人に取られたのですから、彼等を憎む必要はありません。
   私がこのような不幸な目に会う原因を持っていることこそ、むしろ憎むべきです。私は借金返しを
出来たことを喜んでいます。だから呪術をかける必要はありません。どうかあの男も私のものを
取ったのを因縁としてこの世で出来ないとしても、あの世で真の道に入って、立派な人間とも
菩薩ともなるように祈ったのです」と言うと、尊者「それはもっともだが、これから賊に会う
かもしれないから、ラサに行くのは止めておいた方がよい』と、言ったので、
 慧海「私はそんな曖昧なことはできません。目的のためにはどんな方法を執るべしという事には、
同意しかねます。大日経には方便すなち究境なりといいます。誠実なる方法を実行することで、
目的そのものとして一切万事誠実なる事のみを行う。その結果として目的が達せられるという
ことになるのです。」
尊者「どうも妙じゃ、必死の恐れがある道を選ぶより、安全なネパールへ帰るがよい。
お前が必ず死ぬことが見えている」
慧海「しかし私は死ぬことを知りません。生まれてくることも知りません。ただ誠実な方法を行う
ことを知っているだけです。」と答えると、尊者は俯いて考えていたが、たちまち話を変えた。
・・・・・・・
  ーー
  出立の時に、十分すぎるほどのお金と食料を尊者は慧海に与える。この問答で尊者と慧海の
底知れない大きさを感じ取ることが出来る。事上練磨で仏の教えが深まっていく一例である。 
・・・・・・・・
2008年01月25日(金)
2487, 不動産は値下がりする!
      オハ*ヨΘ!!。_゜ヽ(*´∀`)ノ゜.:。  ー読書日記
  『不動産は値下がりする!』 江副浩正著(中公新書
知人に借りて目を通して、直ぐにアマゾンで(中古本だが)発注した本である。地方にいると都
会の不動産の生の情報は殆ど入ってこないので、山の手線沿線の超高層ビル群の実情を興味深く
読むことが出来た。それもリクルート創始者江副浩正なら、一言一言が響いてくるのは当然のこと。
東京の不動産事情を江副というブランドの目を通した講義録とみれば、これほど面白いものはない。
私自身は、新築不動産を購入するならマンションより一戸建てを選ぶ。それぞれ価値観や事情が
あるだろうから、一概にどっちらがよいか括れないが、買った瞬間に、その価値は6~7掛になる。
3~4割が業者の荒利になるからだ。(ちなみに、ファッションや貴金属は三分の一、10分の一
もある?)一戸建ての場合は、ベースの土地は相場の値段として計算?されるので、売価対原価
の比率として、購入と同時の減額は少ないはずである。それだけではない。今後、総人口が減少に
転じ、総世帯数が減少する国で、不動産が高騰する訳がない。家は既に余り始めているのである。
この失われた10年で低迷がつづき、その対策として金利が長期間、史上最低にあり、土地、
戸建、分譲マンションの値上がりが続いてきた。首都圏の分譲マンションの年間適正供給量は
4万5千戸と言われてきたのが、10年以上も8万戸前後の供給が続き、それが順調に売れて
きたというから、その反動が来るのは至極当然のことである。アメリカのサブプライム問題が発生、
世界の金融機関をパニックにしているが、日本版のサブプライム問題になるのは時間の問題である。
この本の「まえがき」と内容が、少し違っている。「まえがき」では、不動産は値下がり間違い
ないと言いながら、「これからは都心、中でも港区、千代田区、渋谷区に人口が集中し、都心の
マンションは益々値上がりする」と述べている。利上げが供給過剰なバブルを破綻させるというが、
他の理由は殆ど書いてない。需給のバランスの供給を大きな理由にあげているが。
土地も関東・東海の一部地区を除けば、更に値下がりするのは、自然の流れである。               
 ´・ω・)ノ ホナ!
ーーーーーーーー
2007年01月25日(木)
2123, 階級社会ー不平等社会を考える
    オハ☆:*:・ ★(o≧□≦)o☆・*:..。o○☆*゚ オオオオォォォーーー!!
世界は不平等社会で成立している。今さらのことだが、これは何度も振り返って考える必要がある。
戦後日本は実質的には社会主義的な平等社会であったというが、本当だろうか?「自由、平等、博愛」
はEUの基本理念であるが、世界はその正反対から成り立っている。だからこそ、理想として基本理念
に掲げている。インドでは3000年前に白人系アーリア人がインド全土を支配。ヒンズー教をつくり
上げて500以上の階級を詳細につくりあげて、白、赤、黄色、土色の肌色をベースとして、その混血を
防止するため、この宗教をつくり上げた。それが宗教的効果も加わり現在まで全く変わることなく
続いてきた。インドでは交通事故で最下層の人を轢いても犬を轢いたのと同じように扱われる。
地方では最下層の村の襲撃事件が彼方此方にあり、虐殺は日常的であるが、警察は全く取りあわない。
去年の暮れにニューデリー近郊で起きた二十人以上の幼児や若い女性の猟奇殺人の容疑で二人が逮捕
されたが、これも下層階級の牛以下とみられた階級に対するアーリア系?による差別行為の一端と
マスコミは報じていた。我々が「娑婆を知る」「世間を知る」というと、「奇麗事の民主主義の中に
ある階級社会の不平等の現実を受け入れ、それぞれの立場で、自分を見つめること」をいう。
「何で皇族を養わなければならないのか?」と誰もが思うのは当然であり、何で朝鮮系の彼らを象徴
としなければならないのか?という根本的な疑問は誰も持っている。この疑問の拡大は、押し戻す
ことはできない。考えてみたら、実家にはお手伝いがいて、店には50~60人の従業員がいた。それが
当然のことであり、何も考えたことはなかった。ところが上京して、根こそぎ不平等社会に曝された。
大都会の中で、初めて自分の存在の小ささに直面した。
皇居に出入りする車の列をみて、「何でアイツラが税金で特別待遇を受けなければならないの?」
という原始的な疑問を持った。東大の安田講堂立て籠もり事件の頃のこともある。
・社会とは何だろうか?その中の小さな自分とは何だろうか?
・何故、社会は大金持ちと乞食が同じ街の中で暮らしているのだろうか?
・皇居に何で皇族がいて、税金でのうのうと暮らしているのか?
・山手線に下町地区があり、そして山の手地区があり、何も不思議と思わず、それを受け入れて
いるのだろうか?、と。
父親が日常の生活で質素を基本としていた。 明治生まれの価値観で、贅沢は身を滅ぼすと・・
送金は、殆ど最低の生活費と、馬小屋のような寮。三年次になっての一ヶ月の欧州旅行で知り合った
友人達の私生活の派手なのには驚いてしまった。 世の中には自分の知り得なった社会があり、
そこには社会格差が存在しているという現実を身近に初めてみた。そして就職。そこで一番下の
一平卒からみた地方名士様を目の当りに見て、自分もそこに育った環境を、つくづく客観視した。  
そして更に根本的な疑問を深く感じざるを得なかった。その中で、頼れるのは自分の勘と実力
だけで、一つ間違えば「舟板の下は地獄」の漁師と同じ世界を生きなければならないことを。 
バブルの崩壊後に一億総中流社会の所得分配が、年功序列の賃金制度の人事体系の崩壊や、
流通や金融業界の規制緩和による競争激化により、相対的な平等性が崩壊してしまった。
これまでの日本は欧米に比べて、所得格差が少なことが戦後体制の安定を作りだしてきた。
しかし時代は変わってしまったのである。「平等」は所得の多い少ないで判断できない。
しかし競争を通して下克上をしてきたことが日本社会を活性化してきた。不条理であるが、
それが現実の社会なのである。働かざるもの、食うべからず!である。働きは決して汗する働き
だけではない、それぞれの立場で「価値をつくりだす出すことが働き」である。
「価値を生み出すものが利益を多く得る」のは当然であり、それができない社会は衰退・滅ぶ
しかない。 平等と公平とは、の問題になってくる。情報化社会は、機会均等という素晴らしい
要素があるが、反面、一強多弱の世界を呼びこむ。それも、地球上の時空の垣根をこえてに
なるから、厳しい競争に曝されることになる。面白くなったが生き辛い世の中でもある。
                       *^ワ^*)i バイバイ 
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 2006年01月25日(水)
1758, 人生の贈り物  ohayou*・゜゚・*:.。..。.:*・(≧∀≦)                                         -読書                       読書日記            
(字数制限のためカット 2010年1月25日)
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2005年01月25日(火)
 1393, 600坪のネットカフェ
ネットカフェが面白い。前を通ってパンフレットは何回かもらったが、会員にまでなって
入る気がしなかった。現在の新しい業種、業態として見過ごすことはできない。ホテルの
機能に、何か重なるものがあるような気がしていた。当社のホテルの1Fにテナント(FC)
に、いかがなものかとも。去年の暮れの一ヶ月間、ネットカフェに毎日のように通ってみた。
特に最近できた「アイ・カフェ」に入って驚いた。600坪のネットカフェである。
ネットカフェのスーパー・センターである。ネット・カフェというより、ゴルフ場の
ロビーのような雰囲気だ。新潟バイパスの沿線のコジマ電気の撤退の後に、2億5千万の
投資をした店。若い人たちだけでなく、多種の人が入っていた。オバサンの連れから、
若い女性が一人でいたり、明らかに営業のサボリ、オジサン、子供づれの母親などなど。
情報センターなのか、それとも漫画喫茶なのか、インターネットカフェなのか、マッサージ
・センターなのか、はたまた個室ベッドルームなのか。何屋なのか私には解らないが、
個室喫茶店というのが原型だろう。とにかく、安いことが特徴である。一時間で、各種の
ドリンクが飲み放題で500円。時間帯で、おにぎりや、お粥、味噌汁が出る。新聞から、
雑誌、DVDなどが豊富な種類が揃っている。それと他の人との直接的接触が少ないのもよい。
これで本当に採算が取れているのかと思うほどだ。もちろん、24時間営業である。
金土曜日は人であふれているのだろう?。パソコンの「仮想ネットタウン」に入ったよう
感覚だった。ホテル内でのテナントか直営は「リスクが大きすぎる」との結論であったが、
資金的余裕が十分にあったら、遊び感覚で入れてみたい機能である。
(しかし際物?は、以前のカラオケの失敗で懲りている)時代はドンドン変化している。
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2004年01月25日(日)
 1026, 100円つめ放題
ーかたい話が続いたので、世間話をする。「プラント5」という最近出店してきたスーパー
センターでの「100円つめ放題」が面白い。チョコレートであったり、揚げ物であったり、
芋であったり、シシャモであったりする。先日は枝豆であったが、毎週変えているのがよい。 
自分も詰め込むので必死だが、他の客のテクニックが凄い。店サイドは絶対に文句は
言わないことを図々しいオバサンは知っている。それを解ってかどうか、お互いの顔を
見合わせながら詰め込むのが面白い。 大体がB級商品を裸に置いておくのだら、店も
客寄せとしてはよいし、客も良い。最近はSMのウオロクや原信も始めた。前から400円や
500円で揚げ物を数種類のつめ放題もあったが、100円というと気楽がよいのだろう。
100円ショップでやればよいだろうが、まだ気がついてないのだろう。商品の取り扱いが
広い上に、アイテム数が圧倒的に多いので見ているだけで楽しい。冬のせいもあるが、
一週おきの我家のレジャーになっている。米国から発したスーパーセンターも、日本の地方
から発しているのがよい。その業態をつくって日本に乗り込んできたウォルマートーが、
買収した西友のリストラを発表した。25?の人員整理。スーパーセンターを順次出していく
のだろうが、思ったより時間がかかりそうだ。
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2003年01月25日(土)
661,イチロウ-3
彼の話は過去に2回書いている。一つは、数字を書いたテニスボールをマシーンで2百数十?
で投げ込ませ見きわめる練習。いま一つは、小学生の時の日記だ。最近ある新聞のスポーツ欄
イチローが連載していた中で、印象的だった内容があった。
アメリカの?1のピッチャーと対戦した時の話だ。
「?1の投手のときは、決め球を避けて失投を待つ。自分は違う、彼の一番の決め球を待つ。
投手は決め球を投げるために投球を組み立ててくる。勿論バッターはそれを知っていて他の球
を打とうとする。自分はそんな球に興味はない。ただひたすら決め球を待った。そしてやっ
来た、そしてそれを打った。」 超一流の選手でなくてはいえない言葉である。具体的に1球目、
二球目と全てのボールを憶えていて書いていた。その球を打つために何回も投手のビデオを見て、
タイミングや組立てを熟知したうえに練習を重ねた言葉である。彼の言葉から感じるのは練習の
裏づけと情報とロジックである。その場面をきっちり理路整然と説明できて至極当たり前。
右脳ーイメージと左脳ー言語構造が両方交互に全開している状態。やはり天才であろう。
自分でも天才かもしれないと書いていた。あらゆる場面のことを明確に記憶をしていて、
イメージとしても脳に残っている。やはり集中力が異常に高いのだろう。柔道の山下の講演で
同じような事をいっていた。「相手の一瞬の動きに身体が瞬時に対応するまで練習をする。
考えてできるものではない。全ての行為は練習で完璧に出来上がっている。」天才いや超一流
の所以は、そこまで練習での基礎のレベルが高いという事だ。凡人はそこが見えない。
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2002年01月25日(金)
 311、パソコンの機能と実感-2
実感としてのパソコンを書いてみると
・発想機械として、もっともその機能が活用できる。 言葉の並び替えが簡単にできる。その
プロセスで発想が出てくる。言葉のKJ 法?が安易にできる。コピーも消去も一瞬にできる。
・インターネットを利用した情報収集に最もその特性を使える。
・計算は卓上電卓のほうが使いやすい。
・ホームページとは、自己公開の発信基地と、他のホームページの分類箱。
 ウエブ上の応接間兼事務所。
・パソコンを使える人間と,使えない人間の二種類に分けてもいい時代だ。ー奈良時代に最新の
 ヘリコプターが降りてきて、若い人と子供がすぐ群がっていく人種と、林に逃げ遠回りに
 見ている人種に分けられる。
・グローバルの情報をもっとも活用できる。
・パソコン等のデジタルの特性はコピーが無限に可能になることである。
・パソコンとは、超高性能の小型コンピューターであるー当たり前のことだが。
 それを何処まで自分に取り込めるかが、ポイントになる。特に私らの年代にパソコン
 アレルギーの人が殆どだ。地方のせいもあるだろうが。
・まだまだソフトの最適なものにあたってないが、必ずあるはずである。 
 毎日がその発見である。
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 1月25日 1969年
朝、千葉の甥っ子の「ムーちゃん」がTVに出るという。ロンパールームという番組で
30秒位話をする。物怖じしないところがよい。一年間、姉のところに居候をしていたので、
弟のような存在の子だ。午後、価格理論の補講に出席。解ったような解らないような
内容であった。帰寮後、22時から翌3時まで勉強。