* 4ヶ国5人のプロゲーマー達のリアルなドキュメンタリー
 何気なくWoWoWの番組表を見て、私の知らない世界に惹かれてみた。
これも21世紀の世界? ゲーマー同士の闘いを会場にある大画面のモニターで
公開。数百人のギャラリーが、一対一のロボットの格闘技を息をのみながらみる。
入場料が1500円というが、ゲーム好きギャラリーは安いぐらいという。ここで、
ラスベガスの大ホールでの格闘ゲームを紹介していたが、アメリカではプロが多く、
それぞれのスポンサーがつき、強ければ豊かな生活が可能という。
  〜ネットの紹介文より〜
≪ WOWOWドキュメンタリー番組『格闘ゲームに生きる』は、
 4ヶ国5人のプロゲーマー達のリアルなドキュメンタリー。
 2016年5月2日にWOWOW制作のドキュメンタリー番組
「国際共同制作プロジェクト格闘ゲームに生きる」の完成披露試写会が渋谷
の「Red Bull Studio Tokyo Hall」にて行われました。このドキュメンタリー
番組では、『ストリートファイターシリーズ』の競技シーンで活躍する4ヶ国
5人のプロゲーマー達の2014年から2015年の1年間にわたって戦い続ける生き様を
収めたものです。今回のドキュメンタリーでは、各選手の歩んできた道のりや
現在の心境などが本人から語られています。
”遊び”として一般的に捉えられているゲームを職業としているプロゲーマー
ですが、現在に至るまでのストーリーや苦労は人それぞれでプロゲーマーの真に
迫る人間ドラマになっていると感じました。
更には、主役となるEvil Geniuses所属のももち選手には24時間密着の期間や
1回の電話では2時間も話すという熱心な取材がなされ、非常に”濃い”内容の
ドキュメンタリー番組となっています。試写会の司会を行った格闘ゲーム実況の
アール氏によると、業界にいる人間も聞いたことが無いようなトッププレイヤー
達の裏側が語られていたとのこと。
 また、本編中では、プロゲーマーの道を切り開いてきた梅原大吾選手と
アメリカのジャスティン・ウォン選手による伝説の1戦も紹介されています。≫
――
▼ ラスベガスでは1000人以上のゲーマーが集まり、優勝に向け競う。
 そして、決勝戦が、ゲーマーとギャラリーの前で、モニターを通した
闘いに会場が沸き上がる。それが何とも奇妙に思えるが、ゲーム好きの人に
とって、たまらなく面白いのだろう。ロボット同士の闘いだけでなく、戦場での
殺戮のゲームも当然、多くある。 アイドル仮想歌手の初音ミクに5千人熱狂
ライブの様子をニュースで見たが、これに匹敵する驚き。
 ゲームの意味を調べると、
〖「特定の規則の上で行われる参加型の娯楽・競技」を意味する 英単語。
 主に「遊戯」「遊び」「試合」などと訳される。〗とある。これにバーチャル
が絡むから尚のこと面白い。自分を現実世界で、コマにして楽しめれば、尚の
こと面白い。 『人生ゲーム』というのもあるが…
 今度、地球の光を観てあるく、『ツアーゲーム(秘異境ツアーゲーム)』
をテーマにして書く予定。 重なる文章は多く書いてあるが。

・・・・・・
5437,人生で最も大切な技術 ー? 感情の川
2016年02月03日(水)
      『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
  * 感情の川
 感情といえば喜怒哀楽を思いつくが、そこに感激、感動、感謝という
「魂の感情」を加えることができる。人生は、その質量で大方決まるが、
これも本人しだい。人の心の内側は、他者からはハカリ知ることはできない。
「感情の川」とは、言いえて妙。淀んだり、激流だったり、穏やかだったり。
≪・情念が心の最大のドラマであるなら、それを演じる役者は感情ということ
 になる。人生の最初から最後まで、さかまく激流のように心の中を駆け抜け、
無限に近い数の幸福と不幸の状況を決定する。この激流をなだめる必要がある
だろうか。そして、それは可能だろうか。可能ならどのようにすべきだろうか。
ある感情は、生気で一杯に満たしてくれるし、別の感情は、しばしば神的健全
性を損なわせたり、萎ませたりする。
 エウダイモニアというギリシャ語がある。これは「幸福」と訳され、生気に
溢れ、満足し、達成する、などを意味する。他者の幸せに向けられる愛、他者の
苦しみに関心を示す思いやり等の思考と行為は、幸福を生みだす滋養のある感情
の例である。極端な要求、貧欲、憎悪などは人を消耗させる感情の例である。
破壊的な感情を払いのけて、建設的な感情を強める方法はあるのか。・・(略)
・仏教には、多種多様な精神的事象を表現する用語が実に豊富に存在する。
にかかわらず、古来より仏教語には感情そのものを表現する言葉が一つもない。
それはおそらく、あらゆる種類の精神的活動(合理的な思考を含む)は、快楽、
苦痛、無関心などの感覚と結びついている、という仏教的考え方に起因して
いるものと考えられる。愛とか憎悪などの最も感情性の強い状態は、破壊的な
思考と一緒に生じる。
 感情という言葉は、ラテン語の「動く」を語源としており、有害、
どちらでもない、ポジティブな思考等、心を動かすあらゆる感情を含む。
感情は、心を条件づけ、特定の見方を採用するように心を促す。・・(略)
・感情分析の最善の方法は、内省と自己観察である。
分析の第一段階は、感情がどのようにして生じたかを突き止めることである。
ここでは、精神がどのように活動するかを注意深く見つめること、破壊的な
感情と幸福を育む感情とを区別すること等が要点となる。この分析を繰り返し
実行することは、精神障害の状態を好転させる、最も重要な準備作業である。
仏教徒は、この作業を遂行する方法として、厳格な内観を行うことが要求
される。具体的には、精神を集中し、思考の透明性を高めるための修行である。
このアプローチは、近代心理学の草分け的存在であるウィリアム・ジェームズ
が開発した「持続的で自律的な集中力」に似ている。ジェームズは、自律的な
集中力を数分以上維持することが可能かについては疑問視していたが、仏教の
瞑想者たちによって、この能力が大幅に改善できる。・・(略)
・仏教では、感情処理の唯一の目的は、人間に根源的に備わった苦しみの原因
から自らを解放すること、と教えている。特定の精神的な出来事は、いかに
強いものであろうが、どのような状況で生成されたか、などとは関係なしに、
常に苦痛を伴うという原則に出発点を置いている。特に、欲望(渇望やひどい
苦痛を伴う貧欲の意味での)、憎悪(害を加える意思)、妄想(現実を歪めた見方)
など、基本的に「心の毒」となる三つの精神的プロセスにこの原則は該当する。
仏教では、自惚れ、羨望もこれに加えられる。これら五つの心の毒は、六十余の
ネガティブな心の状態に結びついている。仏教では、その他に「八万四千の
ネガティブな感情(煩悩)」があると説いている。・・ ≫
▼ どうも歳を重ねると、否定的な人の感情に引き込まれるケースが
 多くなる。そういう私も、その自覚がない。この夜半にみた夢が、これ。
<刑事と、知人と、何処かの軒先で、近くでおきた事件の話をしていると、
 若いお母さんが来て、「内容がまる聞こえで、子供が怯えているので、
遠くで話をして下さい」と悪そうにいう>目が覚めて、「ここで好き放題に
語っている内容の自己批判?」と思ったが、全身全霊で内観した目で社会批判
をすれば、何処かで人を傷つけて当然だろう。しかし、基本的な心の毒の、
欲望、憎悪、妄想の垂れ流しの怖いものみたさもある? で、偶然だが、
去年の以下の恐ろしい夢が、これ。 得体の知れない自分の心の底が、垣間
みれる。内観そのものである。 この偶然の脈絡の繋がりに驚かされる。
当時、感情の激流が渦巻いていて、その激情は、今でも深く渦巻いている?
〜読返してみて、そこにも生身の自分がいて、現在に繋がっている。
傷が深いほど、人は癒され、恩寵を受けるようである。 
・・・・・・
5073,閑話小題 〜夜明けのスキャット 
2015年02月03日(火)
   * 夜明けのスキャット 
――前日の夜半(2時半位)、半睡状態の中、淡い金色の球体を思い浮かべ、
その中に入り横たわるイメージを持ったいた。暫くすると、何と20歳代
半ばの金沢時代にスリップをしていた。何故か、金沢時代の写真が一枚も
残ってなかった。境遇的には、どん底だったが、そこは金沢。人間関係も、
華やかで、職場も美人が多く、楽しい面白い時間を過ごしていた。
夢の中の人達は、さらに光り輝いていた。一番辛い時ほど、裏腹に楽しい
ことが張り付いている。それから40数年後に、こんな夢を見るとは、
そろそろ危なくなってきたか? 当時は、「嫌なこと3つに良かったこと、
1つ」だったが、だから、輝くのだろう。それにしても、ほぼ忘れていた
当時の人たちの姿形が、映像として輝き現れ出るとは、脳は不思議である。
――で、今朝方の夢は恐ろしい物語。半睡の中、同じように金色の球体に
入って暫くすると、丸の内の大きなオフィスビルのロビーに、誰か二人と
居た。ところが、トイレに行きたくなって、外に出たが、見つからないため、
戻ってきたが、二人が見つからない。そこでビル内を探していると、
小さな部屋がある。そこに一人の男が居て、『何で自分が、こんな部屋に
居なければならないのだ!』と叫びながら出て行った。どうも、閑職に
追いやられたようだ。そこで、再び探し回ると、違った部屋に入った。
そこに10人位の人が、ノウネクタイのYシャツで、並んで立っている。
机は有るが、椅子がない。そこは退職を促すタコ部屋。
 その内の一人が突然、『謝って元に戻してもらいたい!』と叫び、
入口にいくと、自動的にドアが開き、出て行った。監視カメラがあって、
外出を認めれば出れるようだ。その後、数人が出て行った。
そこに、昼休時に数人の女性がジャケットを持ってきた。寒いらしい。
オフィスビルを探しまわった結果、そこで、サラリーマン残酷物語を
垣間見たみた夢だった。
――何ゆえに、こんな夢を見たのか? その直後、考えてみたがサッパリ
分からない。あの10人がうな垂れた暗い部屋!何だった? それぞれ、
色いろあったのだろうし、辞められないのだ。実際は、これより酷いはず! 
――今になって気づいたが、前日の夢と関連付ければ、当時の私のドン底の
心象風景が、この10人と同じ? 夢は結構、複雑な己を自分に提示する。
夢分析とは、成るほどこれか!前段(前日分)が、光、輝き。後段が、
その背景の暗闇の物語。ビル内を探し回って見たものは、当時の自分の姿。
とすると、あのジャケットを差し入れしてくれたのは? 辛いほど、
人には優しくなる。 同時に、人から優しくされる。これが娑婆!
・・・・・・
4708,末期がん、その日のための予習を ー4
2014年02月03日(月)
      「末期がん、その不安と怖れがなくなる日」樋野 興夫 (著)
   * 第三章 がん細胞が教えてくれること
 ・顕微鏡の下のがん細胞
 ・がんは「身の内のもの」
 ・見た目は悪いが生命力は旺盛
 ・コピーミスは細胞分裂につきもの 
 ・がんは「不良息子」
 ・ギブ・アンド・テイクで水車のように生きる
 ・コントロールからはずれて自由に
 ・がん細胞の驚くべき柔軟性
 ・「尺取虫運動」の着実な歩み
 がん細胞は、みずから生まれ育った場所から、新しい場所位に移動する
 能力を持っている。転移である。
 転移は、播種と、血行性・リンパ行性の二つに分けられる。
  ☆ 播種は、種が飛ぶようにして、広がっていく。
  ☆ 血行性・リンパ行性は、血管やリンパ菅を通って運ばれる転移。
 転移は何故起こるかは分かってないが、それが、彼らの生存理由に
 なっている。がんは転移がなければ、さほど恐くはない。
▼「がんは不良息子」は、言い得て妙。その扱いは、まず理解し、なだめ
 すかし、暴れないよう扱うしかない。不良になるには長年の生活習慣が
 起因していて、頑固で、性格が歪んでしまっている。だから、早めに歪み
 を取り除くことが重要。生活習慣による身から出た錆の要素が大きい。
 不良息子には、多方が良性と悪性の二種類がいること。悪性は、どのみち
 助からない。反面、良性はがんもどきである。がんの成長は、意外と
 ゆっくりしている。1センチのがんは、まず治るサイズだが、その大きさ
 になるに30回の細胞分裂が必要で数年〜十年はかかる「尺取虫運動」。
・・・・・・
4341, イタリア人と日本人、どっちがバカ?
2013年02月03日(日)
「イタリア人と日本人、どっちがバカ? 」ファブリツィオ・グラッセッリ(著)
   * 「南イタリア人と、日本の地方人、どっちがバカ?」
 日本在住のイタリア人が書いた本だが、なかなか面白い。イタリアは、北と南
では民度が大きく違っていて、著者も、その一人だが、北イタリアはドイツを
しのぐといも言われる。 南イタリアは北の植民地的存在で・・ 首都圏と、
他の地方とかいう日本の感覚に似ている。最近の日本は欧州のPIIGSと同じ
レベルか、その下にまで成り下がってきた。まず、ーアマゾン〜内容紹介ーより
《 アメリカ型経済を真似て、私の国はメチャクチャです」。在日20年以上の
イタリア人建築家ファブリツィオ・グラッセッリは、こう語ります。 敗戦後
の奇跡的な復興から、近年の政治・経済・社会の劣化、教育制度の危機、
アメリカ主導のグローバリゼーションまで長い歴史を誇りながらも、今では
「立派な」借金大国である日伊両国には多くの共通点が存在します。国家破産
に向かう今日のイタリアは、明日の日本の姿なのでしょうか。架空のイタリア人
一家(ビアンキ一家)。ミラノの工場で働き、賃金カットの危機にある
ビアンキ氏と憧れの国日本にやって来るニートでオタクの息子。彼らを主人公
にストーリーが展開し、かの国で今、何が起きているかを描くとともに、日本
を少しでも良い国にするための、ウィットに富んだ提言を行っている。》  
 ー 要所を抜粋してみる ー
・「北イタリアだけを取り出してみれば、その経済の成長力や生産性の
 高さは、ドイツよりも上で、事実上「ヨーロッパ随一」であることが、
 よく言われます」(30頁)。
・「お互いがギブ・アンド・テイクの関係で成り立つこうした縁故関係を、
 イタリアでは「クリエンテリズモ」と言います。そしてイタリア人の
 社会は、この縁故関係をもとにした、無数のいわば「利権集団」の集まり
 から成り立っています」(38頁)。
・「イタリアは、近代国家建設の時点で、南イタリアを「絶対に」必要
 としていました。・・・ それは、一種の「コロニアリズム」=植民地主義
 だったと言って良いでしょう」(70頁)。
・「今もなお、イタリア人が「あまり働かない」国民であるというイメージが
 根強く残っているのは、はっきり言って「偏見」でしかありません。それは、
 ヨーロッパの労働者について調べた具体的な統計にも、はっきり表れている」
・「ベルルスコーニは ・・・ イタリアの政治の仕組みを、アメリカ型の
 「新自由主義」に変えること、そして、イタリアの経済を本格的に
 「グローバル化」するという使命を帯びて首相官邸に乗り込んで行ったわけ。 
 ・・ にもかかわらず、その政策遂行に当たって、ローマ政界の政治システム
 に頼らざるを得なかったのです。・・ 結果、ベルルスコーニは、彼のバック
 についていた勢力から見限られ、首相の座を降りることになった」(178頁)。
・「彼らにとって、プライオリティーの最上位にあるのは、
 「国際金融システムを、健全に保つこと」です」(189頁)。
・「バブル経済の興隆と崩壊、そしてその後の「空白の20年」と言われる
 時代に、一番大きく変わってしまったものは、日本人のメンタリティー
 だと私は思います」(207〜8頁)。
▼ 青の洞窟内でイタリアの船頭が、カンツォーネの歌の合間に、
「がんばれ日本」と言っているのをTVでみた。北が南を植民地化しているのを、
この本で初めて知った。その視点からみて、日本も首都圏が日本を支配している。
ということは「地方は首都圏の御荷物」であり、「南イタリア人と、日本の地方人、
どっちがバカ?」の質問になる。その首都圏も8年以内に100%、直下型地震がある
・・「人からコンクリート」は、埼玉周辺の副都心造りが最重要になる。
何がオリンピックか! まだ高度成長期のバイアスが罹っている石原。 
戦後日本のバイアス(偏見)そのもの。
・・・・・・
3966, 首都圏崩壊の可能性、7割 ー2
2012年02月03日(金)
 京都大の地震研究機関の発表では「5年以内に3割の確率」と東大より
緩めの発表をしている。二つを合わせると、「4〜5年以内に5割前後の確率で
直下型地震が起こる」ことになる。 災害の場合は、厳しい東大の確率に標準を
合わせるべきである。それに東海・東南海・南海地震の可能性は含まれてない。 
それに3・11直後の3月15日に起きた富士山の地震による噴火の可能性もある。
それらを考え合わせると関東・東海地区は何時、何が起きても不思議でない事態。
 前回、「一年以内に9割の確率」に時間を短縮し、確率を高めた仮説を立てた。 
まず何をすべきかの対策が見えてくるからだ。大企業は、その情報は数ヶ月前から
入っていたはず。 スマトラ沖地震に、中国・四川の地震、ペルー地震
ニュージーランド地震、そして東北大地震は、太平洋を挟んだ地球規模の地殻
変動であり、東北大震災は、東北から千葉にかけての沿岸ぞいに幅200キロ、
長さ500キロにわたる震度7、M9の400〜500年に一度の歴史的大地震である。 
この規模の地震は、近くの地震帯や火山に大きな影響を与え、数年以内に新たな
地震や噴火を誘発する。 3・11以降に関東の地震帯に異常な動きが見られ、
直下型地震の可能性が7割という予測。ことの重大さは分かっても、職を辞して、
一家で地方に移住できる人は限られる。座して地震を待つしかないのが殆ど。
しかし、東北大震災の惨状を連日ニュースなどで見ているため、出来る範囲の
準備に取り掛かるから、それぞれの静かな疎開が始まる?新潟などは移住に、
もってこい?である。米と、水と、魚があれば何とかなる。それに酒?
 首都圏崩壊の事態にでもなったら、バブル崩壊、そして経済震災二つ、
東北大震災に引き続いて大打撃。国家破綻となり非常事態。
第二次世界大戦の敗戦直後の日本に逆戻り。 銀行閉鎖や通貨切替で、国民は
丸裸にされる。それが7割の確率としたら・・ 外国への疎開も資産家にとって
現実問題になる。他人事ではない、現に私が3つの震災を受け、一歩先んじた。 
 布置という言葉がある。 大きな変わり目に、思いもよらない大きな出来事が
次々に引き寄せられ重なる、という意味。表向きは違う体裁をとった非常事態
政府が出来るはず。首都圏の問題であり石原都知事が首班になるのが自然。 
まともならだが!
 ・・・・・・・
3601,  旅ばなし 小題
2011年02月03日(木)
 * カラコルムハイウェーの旅が一番過酷
トルコ旅行とかイスラエルとか、あらたまって構えてしまうと書くのが
億劫になる。しかし頭にはフラッシュのように色いろのことがよぎってくる。
「閑話小題」を書く時は手抜きか、テーマが浮かばない時の苦し紛れで、
小題として幾つか書いていた。しかし、その方が面白いと指摘され、読み
返してみて成程と思った。何も浮かばない時に書く文章ほど本音がでるから、 
読み手は共感する。そこで、これを旅行雑記としてフラッシュを気楽に書けば、
せっかく脳が呼び出してくる面白い逸話が残せる。この小題を幾つか書き
続ければ、あとで一冊の面白いコラム集になるのでは?と、思いたった。 
47回の旅行には感動の他にも多くの材料がいくらでもある。 現在、
「お絵かき転換ソフト」を使かって過去の写真をブログに思いのまま乗っけて
いるが、ネタは当分?は尽きない。これのコラム版ということになる。
まずの口切は、一番に肉体的に厳しかったカラコルム・ハイウェー。
5年前に書いた私のベスト・ランキングで、一番にあげてあった。  
 ー まずは、その箇所をコピーしてみる。
【《 2005/11/26  辺境へ−2 》ー私が行った辺境を印象深い順にあげる。 
1、やはり一番は中国ウィグル地区のタクマカラン沙漠のホータン〜カジュカル
 〜パキスタン国境のクンジュラフ峠〜カラコルムハイウエー〜フンザ
 アフガン国境のペシャワールイスラマバードである。
2、アルゼンチンとチリーパタゴニア地方 3、南米のベネゼイラのギアナ高地 
4、タンザニア 5、イスラエル 6、北インド 7、アイスランド 
8、ケニアのヌーの河渡り 9、ネパール 10、シリア・レバノン・ヨルダン 
11、エジプト・・・・   】
 カラコルムハイウェーに入って、その苛酷さに、添乗員と現地のガイドが、
倒れてしまった。 カラコルム・ハイウェーの土砂崩れと、その手配と、難問が
次と襲ってきたからである。同行の人たちもベテラン揃いで、それを責める人は
誰も居なかった。ある箇所で、大きい土砂崩れで中型バスが、その先に行けなく
なり、土砂崩れの向こう側に急遽、地元の10数人乗りのマイクロバスに乗り換え。 
そして土砂崩れの場所を、地元の人を急遽雇い一人ずつ手をつないで、数百m
走って渡った。上から落ちてくる小さな石が鉄砲の弾と同じ原理で、数百mの
勢いで、帽子の上からでも負傷してしまう。その現場ではなかったが同行の一人
が、小さな石に係わらず、頭から血を流してしまった。しかし、面白いといえば
面白い15日間であった。また同行のメンバーが得体の知れないほど教養のある人
ばかりである。

つれづれに

他のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/54909/
http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive

 

  今日のYoutube

 そういえば、今日は金曜日、シネマに行く予定日。
一月は二度。これまでなかったこと。 今月は三度? あたりか。

 「無事、是、幸運」が、古希を過ぎてからの実感すること。
まさか、ここまで生きれるとは思ってみなかったが、生きていればこそ
の面白さ、楽しさがある。辛さ一に、楽しさ面白さ三である。
 楽しさは幾らでも頭に浮かぶが、辛さって何だろう。考えないように
しているだけかもしれない。




・・・・・・
3601,  旅ばなし 小題
2011年02月03日(木)

  * カラコルムハイウェーの旅が一番過酷
 トルコ旅行とかイスラエルとか、あらたまって構えてしまうと書くのが億劫になる。
しかし頭にはフラッシュのように色いろのことがよぎってくる。「閑話小題」を書く時は手抜きか、
テーマが浮かばない時の苦し紛れで、小題として幾つか書いていた。しかし、その方が面白いと
指摘され、読み返してみて成程と思った。 何も浮かばない時に書く文章ほど本音がでるから、 
読み手は共感する。そこで、これを旅行雑記としてフラッシュを気楽に書けば、せっかく脳が呼び
出してくる面白い逸話が残せる。この小題を幾つか書き続ければ、あとで一冊の面白いコラム集に
なるのでは?と、思いたった。 47回の旅行には感動の他にも多くの材料がいくらでもある。  
現在、「お絵かき転換ソフト」を使かって過去の写真をブログに思いのまま乗っけているが、
ネタは当分?は尽きない。これのコラム版ということになる。
 まずの口切は、一番に肉体的に厳しかったカラコルム・ハイウェー。
5年前に書いた私のベスト・ランキングで、一番にあげてあった。  
ー まずは、その箇所をコピーしてみる。
 【 《 2005/11/26  辺境へ -2 》 ー 私が行った辺境を印象深い順にあげてみる。 
1、やはり一番は中国ウィグル地区のタクマカラン沙漠のホータン~カジュカル~パキスタン国境
のクンジュラフ峠 ~カラコルムハイウエー~フンザ~アフガン国境のペシャワールイスラマバード
2、アルゼンチンとチリーパタゴニア地方  3、南米のベネゼイラのギアナ高地 4、タンザニア 
5、イスラエル 6、北インド 7、アイスランド 8、ケニアのヌーの河渡り 9、ネパール 
10、シリア・レバノン・ヨルダン 11、エジプト・・】
 カラコルムハイウェーに入ってから、その苛酷さに、添乗員と現地のガイドが倒れてしまった。 
カラコルム・ハイウェーの土砂崩れと、その手配と、難問が地祇次と襲ってきたからである。
同行の人たちもベテラン揃いで、そのことを責める人は誰も居なかった。ある箇所で、大きい土砂
崩れで中型バスが、その先に行けなくなり、土砂崩れの向こう側に急遽、地元の10数人乗りの
マイクロバスの乗り換えた。そして土砂崩れの場所を、地元の人を急遽雇い一人ずつ手をつないで、
数百メートル走って渡った。上から落ちてくる小さな石が鉄砲の弾と同じ原理で、数百メートルの
勢いで、帽子の上からでも負傷してしまう。その現場ではなかったが同行の一人が、小さな石に
係わらず、頭から血を流してしまった。 しかし、面白いといえば面白い15日間であった。
また同行のメンバーが得体の知れないほど教養のある人ばかりである。
・・・・・・・・
3236, マックファン
2010年02月03日(水)
 二年前にパソコンを、その半年後に携帯電話を、思い切ってMacにかえた。どうも以前から
携帯電話を使うのが苦手でiPhoneも同じ。しかしパソコンは非常に気に入っている。
しかしTwitterに、iPhoneが端末として最適というから、これを機会に慣れるようにする。
とにかく、電話以外に使うに小さいのが欠点。 ところが、これの4倍の大きさのタブレット
のパソコンがMacより発表された。 これは、Twitter同様に、大きな社会的変化を
もたらす可能性がある。
 * iPadについて 
マックが発表したタブレットの端末機のiPadは、iPhone,iPod,のように
ブレイクをするだろうか? 私の結論は、ブレイクするである。 オプションにキーボード
があり、二台目の小型パソコン代わりに使われるか、これまでパソコンに挫折した中高年に受け
容れられる可能性がある。 画面が4倍になればゲームも使い勝手がよいし、ビデオも、
アルバムも、書籍も、新聞も、これを通してみることになる。ノートにもコピーも可能にもなる。
で、モバイルパソコンと何処が違うか? ノートや書籍と同じように一面というところ。
さらにタッチパネルで、モバイル携帯電話の数倍の画面のところである。 仰向けでタッチ方式
で見れるのが良い。更にiPhoeを使っていたソフトが横滑りに使えることが大きい。
iPhone,iPodと同列に位置づけられるはず。 考えてみたら、これはツイッターにも
ブログにも使える。 リビングにも寝室用にもなる。更に外出先でも使える。これにはオプション
のキーボードあり、それを付けると普通のパソコンになる。iPhoneが、いま一つ使いづらい
のは、携帯電話の縛りがあり小さいからである。それから開放されるのが、一番である。 
まずはゲームや、読書に、映画鑑賞などの映像を見ることから始る。何処でも気楽に持っていける
のが大きな要素になる。ツイッターやブログの写真や録画を、場所を選ばす大きな画面で見れる
のも魅力である。 等々、考えると1~2年後には、大ブレークする。 その前に、
iPhoneがブレイク始めたようだが。
・・・・・・・・
2861, 不況景色  -9
2009年02月03日(火)
 果たして「世界恐慌の一丁目一番地」に入ったのだろうか? 1929年より数段大きな恐慌とは
いっているが・・・。で、どうか?といえば、既に「世界恐慌の一丁目一番地」に入ってしまっている。
それは想像を絶する規模であり、10年近い期間は続くことになる。それも歴史上最大の規模であり、
人類のありようも変える転換期である。世界GDPの八割を占める20Gサミットの国が世界非常
事態宣言をして、銀行閉鎖、全ての資産を差し押さえなど、国家管理をする位の可能性もある。
新たな新札に切り替えて裏づけは金と原油と幾つかの穀物などにして、それに応じて国家が
為替を決める方法などが考えられる。 しかし現実に可能かというと疑問だが、非常事態には
非常手段もあり?。この月末・月初の大きな倒産は無かったが、今年からは数年にわたり本格的
な倒産が起こる。失業率は十数パーセント、失業者が数百万~一千万人という数字が踊る日々に
なると覚悟をしていた方がよい。他人事ではない、全ての人が、ホボ全員が何らかの形で影響する
異常事態である。昨年の10・11・12月の三ヶ月の日本のGDPが昨年対比が11・4パーセント減
とあったが、これは世界恐慌に入ったというサインである。日曜日の夜にTVで派遣社員の厳しい
現状をレポートしていた。人間にとして自分の仕事があることが基本。それが無くなり、収入と
ストックが無くなると、気持ちが荒んでくる。 一度、ルートから離れると、二度と元には戻れ
ないのが現実。 先週の月曜日に録画をしていたNHKスペシャルの派遣の現状のレポートを昨日
見たが、一つの派遣の仕事を椅子取りゲーム的に狙う現実は、あまりに寒々しい。今週の週末の
土・日のNHKの夜のゴールデンタイムに二日続けて、不況と失業の問題を放映するようだ。 
毎日暗い話しばかりで少しは楽しい話?をしろよ!だって? それなら・・ アメリカの金融崩壊と、
日本の勝ち組と称してきた連中の惨状を見ているだけで楽しくて楽しくて!大雪崩に巻き込まれて
全てを失う可能性があるのは分かっていても、楽しい! ザマ~ミロが裏腹の気持。特に地方から
みれば尚のことだ。段差は全く違うからである。そうとも思わないと暗くなってしまう。 
ネロによって焼きうちにあって炎上しているローマと我が家を、丘の上から興奮して見ている
小市民の気持ちである。20世紀末にソ連を初めとした社会主義という幻想が崩壊、そして解体。
21世紀初めには、アメリカを代表とした資本主義、新自由主義の崩壊を見れたのは最上の幸せ
かもしれない。ただし日本も私たちも全て失ってしまうが、それもまた仕方が無い。
この年になれば古米とミソ汁だけで充分。もちろん、これはブラックジョークだが・・本音半分である。
それとネット社会を代表とした情報社会を見れたことも大きい。この20年間で、数百年の歴史を
パノラマのように観ているようだ。

・・・・・・・・・
2008年02月03日(日)
2496,  無くてはならぬもの ー?       YΘ!!。_゜ヽ(*´∀`)ノ
「無くてはならぬもの」 佐古純一郎著
  孤独に対峙する自己 -自分と他者との支柱ー
 P-114 人と人との間柄のなかで生きるという存在のありかたがこわれてくると、人間は人間
でなくなるのである。人と人との真実なる間柄、それを私は交わりと呼ぶが、交わりのなかで生きる
ことこそが、実は人間の条件。人間形成とは、この私が自己の内に自我を追求することではなくて、
真実が形成されることである。それが人間の形がなるという意味である。
P-119  現代を生きる人間の悲劇は、孤独に耐えられなくなっていることではあるまいか。
たとえば、読書という身近なことがらについて考えてみよう。 深夜、自分の部屋で、その静けさ
のなかで、独りしんみりと古典を読みながら人生を思索するような生活の喜びを本当に見出して
いるだろうか。むしろ、そういう静かさの孤独の時間が、なにか恐ろしい、耐えられないといった
苛立ちがあなた方を捉えていないだろうか。デモに参加したり音楽喫茶で歌って解放感にひたる、
そういう孤独からの脱出が、大きな誘惑になる。孤独のなかの自分をほんとうにいとおしみ愛する
ことができるような、人生を生きてほしい。
 P-126  私たちは極めて重要な問いの前に立たされているのである。人は孤独な存在である
ことを知るゆえに、孤独を大切にしなければならない。が、孤独を大切にしながらも、孤立しないで、
人と人との力強い連帯を創造するというようなことが果たして可能かどうかである。・・・・
ドフトエスキーの「地下生活者の手記」に考察されたような、全世界が崩壊しようが、自分が
いっぱいのお茶をすすめられたらいい、というような、そういう個の尊厳が、私たちの実存の深み
にひそんでいるのである。自分は自分であって、絶対に代用品は使えないのだという、個の尊厳を
一方において大切にしながら、しかも、私たちは他者との間に、生き生きとした連帯をつくり出して
いかなければならないのだとしたら、それは極めて困難な課題の前に立たされることになる。
 ・・・・~~孤独に耐えられない自己が、群集の雑踏のなかに自己からの逃避をこころみて、
しかもそこにも生の孤立化が厳しく横たわっているとしたら、そして、そのような群集のざわめき
に耐えられない生が、もう一度孤独の世界に帰っていこうとしたら、それは徹底的な人間嫌いの底に
沈んでいくしかあるまい。それは、やがて生そのものからの逃避として、私たちの生を自滅に追い込んで
いくかもしれない。そのような状況では、私生活の尊重というようなことすら、もはや意味を失って
しまうであろう。人生の危機に立つということは、そのような状況のことである。 
P-137 イスラエルに旅行したとき、いたるところで、多くの人から
「どうして日本の青少年は、そんなに自殺するのですか」と質問を受けた。もし、あなたが
「それは日本が悪いからです」と答えたら、「社会が悪いから自殺するほど、日本の若者は弱虫か」
と不思議におもうだろう。自殺する多くの人々が、遺書や手記を残しているが、ほとんどの手記には
「俺は社会が悪いから死ぬ」とは書いてない。‘おれはひとりぼっち’‘私はひとりぼっち’と他者
から孤立してしまった寂しさを表白している。このことを私は「生の弧絶化」というふうに呼びたい
と思う。要は誰もが独りぼっちでしか生きてないのである。
 ーーーーーーー
以上だが、この言葉の一言一言が当時の自分にストレートに響いたことを、記憶の底から木霊の
ように甦ってきている。孤独の、いや孤立の自分に徹してこそ、本の中の見知らない魂の言葉は
伝わらってくるのである。この時にこそ初めて魂と魂が出会えるのである。 
そして出会ったとき、孤独は孤独でなくなるのである。
・・・・・・・・
2007年02月03日(土)
 2132, ああ~勝ち組か~         才八∋ウ_〆(∀`●)
「勝ち組」「負け組」という言葉を聞かない日が無いほど語られている。
・男なら、東大か慶応を出て、高級役人か外資に入り、コンピューターを片手に、30歳そこそこで
1千万近くの年収を得て、白百合か、日本女子大出の金持ちのお嬢様を嫁にもらい、六本木辺りの
マンション住まい。・女の方は、お嬢様大學を出身で、勝ち組の男を紹介してもらうか、合コンで
キャッチ、そして結婚。 できたら専業主婦として幸せを一生保障された人生を歩むのを「勝ち組」
とかいうのだろう。『白馬の騎士』と『お姫様』との物語の通り生きること、これが勝ち組の人生と
誰も信じて疑わない。その化かし合いの結果の破綻が、先日のセレブ?バラバラ殺人事件だった。
それに似たのが何処にでもありそうなカップルだが・・ 最近の離婚率は30?を越えようとする
勢いらしい。家庭内の破綻を入れると50?というから、恐ろしい。子供の半分が不幸を背負い込む
ことになるから問題は深くなる。なぜ破綻するか?不幸の結婚のカタチは半分以上だから事例は
山ほど周辺に転がっている。
      (字数制限のためカット2011年2月3日) 
ーーーーーー
2006年02月03日(金)
 1767, 依存症について      おはよう (*´・ω・)ノはよー                  
依存症は英語でいうとアディクション。「嗜壁(しへき)」や「依存症」と訳されることが多い。
依存症は、ある習慣への脅迫的な執着と言い替えることができる。人間は、生きていくうえで、
さまざまな習慣づけで生活している。習慣の重なりが、その人を構成している。したがって、如何に
良い習慣を多く身につけるかが人生の課題といってよいだろう。良い習慣とは、結果として生活を
よくするものであり、悪い習慣とは、存在や生命を危険にするものである。            
   (字数制限のためカット2011年2月3日)
・・・・・・
2005年02月03日(木)
1402, きっと、よくなる! ー読まない読書日記ー
 読売新聞の広告欄に「きっと、よくなる!」ー人生はよくなるようにできているー
という広告が目に入った。発売2週間で、20万部突破!、全国の書店でトップテン入り!
紀伊国屋文教堂、蔦やチェーンで売り上げ一位!とあれば買いたくなるが、何か子供向けの
ようである。でも見出しの文章の語りかけがよい!    
・5分以内に願い事のリストをつくれますか?・10年後の自分からアドバイスをもらう  
・いちばん恐れ

つれづれに

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  今日のYoutube

 今年になって三回目のシネマをみる予定。
去年までは必ず行く前提だったが、最近、少し変わってきた。
 気分転換と、週に節目をつくるには非常に良いが。



・・・・・・
3601,  旅ばなし 小題
2011年02月03日(木)

  * カラコルムハイウェーの旅が一番過酷
 トルコ旅行とかイスラエルとか、あらたまって構えてしまうと書くのが億劫になる。
しかし頭にはフラッシュのように色いろのことがよぎってくる。「閑話小題」を書く時は手抜きか、
テーマが浮かばない時の苦し紛れで、小題として幾つか書いていた。しかし、その方が面白いと
指摘され、読み返してみて成程と思った。 何も浮かばない時に書く文章ほど本音がでるから、 
読み手は共感する。そこで、これを旅行雑記としてフラッシュを気楽に書けば、せっかく脳が呼び
出してくる面白い逸話が残せる。この小題を幾つか書き続ければ、あとで一冊の面白いコラム集に
なるのでは?と、思いたった。 47回の旅行には感動の他にも多くの材料がいくらでもある。  
現在、「お絵かき転換ソフト」を使かって過去の写真をブログに思いのまま乗っけているが、
ネタは当分?は尽きない。これのコラム版ということになる。
 まずの口切は、一番に肉体的に厳しかったカラコルム・ハイウェー。
5年前に書いた私のベスト・ランキングで、一番にあげてあった。  
ー まずは、その箇所をコピーしてみる。
 【 《 2005/11/26  辺境へ -2 》 ー 私が行った辺境を印象深い順にあげてみる。 
1、やはり一番は中国ウィグル地区のタクマカラン沙漠のホータン~カジュカル~パキスタン国境
のクンジュラフ峠 ~カラコルムハイウエー~フンザ~アフガン国境のペシャワールイスラマバード
2、アルゼンチンとチリーパタゴニア地方  3、南米のベネゼイラのギアナ高地 4、タンザニア 
5、イスラエル 6、北インド 7、アイスランド 8、ケニアのヌーの河渡り 9、ネパール 
10、シリア・レバノン・ヨルダン 11、エジプト・・】
 カラコルムハイウェーに入ってから、その苛酷さに、添乗員と現地のガイドが倒れてしまった。 
カラコルム・ハイウェーの土砂崩れと、その手配と、難問が地祇次と襲ってきたからである。
同行の人たちもベテラン揃いで、そのことを責める人は誰も居なかった。ある箇所で、大きい土砂
崩れで中型バスが、その先に行けなくなり、土砂崩れの向こう側に急遽、地元の10数人乗りの
マイクロバスの乗り換えた。そして土砂崩れの場所を、地元の人を急遽雇い一人ずつ手をつないで、
数百メートル走って渡った。上から落ちてくる小さな石が鉄砲の弾と同じ原理で、数百メートルの
勢いで、帽子の上からでも負傷してしまう。その現場ではなかったが同行の一人が、小さな石に
係わらず、頭から血を流してしまった。 しかし、面白いといえば面白い15日間であった。
また同行のメンバーが得体の知れないほど教養のある人ばかりである。
・・・・・・・・
3236, マックファン
2010年02月03日(水)
 二年前にパソコンを、その半年後に携帯電話を、思い切ってMacにかえた。どうも以前から
携帯電話を使うのが苦手でiPhoneも同じ。しかしパソコンは非常に気に入っている。
しかしTwitterに、iPhoneが端末として最適というから、これを機会に慣れるようにする。
とにかく、電話以外に使うに小さいのが欠点。 ところが、これの4倍の大きさのタブレット
のパソコンがMacより発表された。 これは、Twitter同様に、大きな社会的変化を
もたらす可能性がある。
 * iPadについて 
マックが発表したタブレットの端末機のiPadは、iPhone,iPod,のように
ブレイクをするだろうか? 私の結論は、ブレイクするである。 オプションにキーボード
があり、二台目の小型パソコン代わりに使われるか、これまでパソコンに挫折した中高年に受け
容れられる可能性がある。 画面が4倍になればゲームも使い勝手がよいし、ビデオも、
アルバムも、書籍も、新聞も、これを通してみることになる。ノートにもコピーも可能にもなる。
で、モバイルパソコンと何処が違うか? ノートや書籍と同じように一面というところ。
さらにタッチパネルで、モバイル携帯電話の数倍の画面のところである。 仰向けでタッチ方式
で見れるのが良い。更にiPhoeを使っていたソフトが横滑りに使えることが大きい。
iPhone,iPodと同列に位置づけられるはず。 考えてみたら、これはツイッターにも
ブログにも使える。 リビングにも寝室用にもなる。更に外出先でも使える。これにはオプション
のキーボードあり、それを付けると普通のパソコンになる。iPhoneが、いま一つ使いづらい
のは、携帯電話の縛りがあり小さいからである。それから開放されるのが、一番である。 
まずはゲームや、読書に、映画鑑賞などの映像を見ることから始る。何処でも気楽に持っていける
のが大きな要素になる。ツイッターやブログの写真や録画を、場所を選ばす大きな画面で見れる
のも魅力である。 等々、考えると1~2年後には、大ブレークする。 その前に、
iPhoneがブレイク始めたようだが。
・・・・・・・・
2861, 不況景色  -9
2009年02月03日(火)
 果たして「世界恐慌の一丁目一番地」に入ったのだろうか? 1929年より数段大きな恐慌とは
いっているが・・・。で、どうか?といえば、既に「世界恐慌の一丁目一番地」に入ってしまっている。
それは想像を絶する規模であり、10年近い期間は続くことになる。それも歴史上最大の規模であり、
人類のありようも変える転換期である。世界GDPの八割を占める20Gサミットの国が世界非常
事態宣言をして、銀行閉鎖、全ての資産を差し押さえなど、国家管理をする位の可能性もある。
新たな新札に切り替えて裏づけは金と原油と幾つかの穀物などにして、それに応じて国家が
為替を決める方法などが考えられる。 しかし現実に可能かというと疑問だが、非常事態には
非常手段もあり?。この月末・月初の大きな倒産は無かったが、今年からは数年にわたり本格的
な倒産が起こる。失業率は十数パーセント、失業者が数百万~一千万人という数字が踊る日々に
なると覚悟をしていた方がよい。他人事ではない、全ての人が、ホボ全員が何らかの形で影響する
異常事態である。昨年の10・11・12月の三ヶ月の日本のGDPが昨年対比が11・4パーセント減
とあったが、これは世界恐慌に入ったというサインである。日曜日の夜にTVで派遣社員の厳しい
現状をレポートしていた。人間にとして自分の仕事があることが基本。それが無くなり、収入と
ストックが無くなると、気持ちが荒んでくる。 一度、ルートから離れると、二度と元には戻れ
ないのが現実。 先週の月曜日に録画をしていたNHKスペシャルの派遣の現状のレポートを昨日
見たが、一つの派遣の仕事を椅子取りゲーム的に狙う現実は、あまりに寒々しい。今週の週末の
土・日のNHKの夜のゴールデンタイムに二日続けて、不況と失業の問題を放映するようだ。 
毎日暗い話しばかりで少しは楽しい話?をしろよ!だって? それなら・・ アメリカの金融崩壊と、
日本の勝ち組と称してきた連中の惨状を見ているだけで楽しくて楽しくて!大雪崩に巻き込まれて
全てを失う可能性があるのは分かっていても、楽しい! ザマ~ミロが裏腹の気持。特に地方から
みれば尚のことだ。段差は全く違うからである。そうとも思わないと暗くなってしまう。 
ネロによって焼きうちにあって炎上しているローマと我が家を、丘の上から興奮して見ている
小市民の気持ちである。20世紀末にソ連を初めとした社会主義という幻想が崩壊、そして解体。
21世紀初めには、アメリカを代表とした資本主義、新自由主義の崩壊を見れたのは最上の幸せ
かもしれない。ただし日本も私たちも全て失ってしまうが、それもまた仕方が無い。
この年になれば古米とミソ汁だけで充分。もちろん、これはブラックジョークだが・・本音半分である。
それとネット社会を代表とした情報社会を見れたことも大きい。この20年間で、数百年の歴史を
パノラマのように観ているようだ。

・・・・・・・・・
2008年02月03日(日)
2496,  無くてはならぬもの ー?       YΘ!!。_゜ヽ(*´∀`)ノ
「無くてはならぬもの」 佐古純一郎著
  孤独に対峙する自己 -自分と他者との支柱ー
 P-114 人と人との間柄のなかで生きるという存在のありかたがこわれてくると、人間は人間
でなくなるのである。人と人との真実なる間柄、それを私は交わりと呼ぶが、交わりのなかで生きる
ことこそが、実は人間の条件。人間形成とは、この私が自己の内に自我を追求することではなくて、
真実が形成されることである。それが人間の形がなるという意味である。
P-119  現代を生きる人間の悲劇は、孤独に耐えられなくなっていることではあるまいか。
たとえば、読書という身近なことがらについて考えてみよう。 深夜、自分の部屋で、その静けさ
のなかで、独りしんみりと古典を読みながら人生を思索するような生活の喜びを本当に見出して
いるだろうか。むしろ、そういう静かさの孤独の時間が、なにか恐ろしい、耐えられないといった
苛立ちがあなた方を捉えていないだろうか。デモに参加したり音楽喫茶で歌って解放感にひたる、
そういう孤独からの脱出が、大きな誘惑になる。孤独のなかの自分をほんとうにいとおしみ愛する
ことができるような、人生を生きてほしい。
 P-126  私たちは極めて重要な問いの前に立たされているのである。人は孤独な存在である
ことを知るゆえに、孤独を大切にしなければならない。が、孤独を大切にしながらも、孤立しないで、
人と人との力強い連帯を創造するというようなことが果たして可能かどうかである。・・・・
ドフトエスキーの「地下生活者の手記」に考察されたような、全世界が崩壊しようが、自分が
いっぱいのお茶をすすめられたらいい、というような、そういう個の尊厳が、私たちの実存の深み
にひそんでいるのである。自分は自分であって、絶対に代用品は使えないのだという、個の尊厳を
一方において大切にしながら、しかも、私たちは他者との間に、生き生きとした連帯をつくり出して
いかなければならないのだとしたら、それは極めて困難な課題の前に立たされることになる。
 ・・・・~~孤独に耐えられない自己が、群集の雑踏のなかに自己からの逃避をこころみて、
しかもそこにも生の孤立化が厳しく横たわっているとしたら、そして、そのような群集のざわめき
に耐えられない生が、もう一度孤独の世界に帰っていこうとしたら、それは徹底的な人間嫌いの底に
沈んでいくしかあるまい。それは、やがて生そのものからの逃避として、私たちの生を自滅に追い込んで
いくかもしれない。そのような状況では、私生活の尊重というようなことすら、もはや意味を失って
しまうであろう。人生の危機に立つということは、そのような状況のことである。 
P-137 イスラエルに旅行したとき、いたるところで、多くの人から
「どうして日本の青少年は、そんなに自殺するのですか」と質問を受けた。もし、あなたが
「それは日本が悪いからです」と答えたら、「社会が悪いから自殺するほど、日本の若者は弱虫か」
と不思議におもうだろう。自殺する多くの人々が、遺書や手記を残しているが、ほとんどの手記には
「俺は社会が悪いから死ぬ」とは書いてない。‘おれはひとりぼっち’‘私はひとりぼっち’と他者
から孤立してしまった寂しさを表白している。このことを私は「生の弧絶化」というふうに呼びたい
と思う。要は誰もが独りぼっちでしか生きてないのである。
 ーーーーーーー
以上だが、この言葉の一言一言が当時の自分にストレートに響いたことを、記憶の底から木霊の
ように甦ってきている。孤独の、いや孤立の自分に徹してこそ、本の中の見知らない魂の言葉は
伝わらってくるのである。この時にこそ初めて魂と魂が出会えるのである。 
そして出会ったとき、孤独は孤独でなくなるのである。
・・・・・・・・
2007年02月03日(土)
 2132, ああ~勝ち組か~         才八∋ウ_〆(∀`●)
「勝ち組」「負け組」という言葉を聞かない日が無いほど語られている。
・男なら、東大か慶応を出て、高級役人か外資に入り、コンピューターを片手に、30歳そこそこで
1千万近くの年収を得て、白百合か、日本女子大出の金持ちのお嬢様を嫁にもらい、六本木辺りの
マンション住まい。・女の方は、お嬢様大學を出身で、勝ち組の男を紹介してもらうか、合コンで
キャッチ、そして結婚。 できたら専業主婦として幸せを一生保障された人生を歩むのを「勝ち組」
とかいうのだろう。『白馬の騎士』と『お姫様』との物語の通り生きること、これが勝ち組の人生と
誰も信じて疑わない。その化かし合いの結果の破綻が、先日のセレブ?バラバラ殺人事件だった。
それに似たのが何処にでもありそうなカップルだが・・ 最近の離婚率は30?を越えようとする
勢いらしい。家庭内の破綻を入れると50?というから、恐ろしい。子供の半分が不幸を背負い込む
ことになるから問題は深くなる。なぜ破綻するか?不幸の結婚のカタチは半分以上だから事例は
山ほど周辺に転がっている。
      (字