* ステップファミリー
 先週末の報道特集で、「子連れ同士の再婚家族」のステップファミリー
特集のシリアスな内容に見入ってしまった。二組の子連れが同じ屋根の下に
住む秘訣は、シャアハウスのように、それぞれの子供部屋を別にするのが
ベストのようだ。 〜そのケースの一つが…
<夫婦ともに子連れで結婚して、旦那の子供と奥さんの子供は部屋が別、
夫は自分の子供の朝食、宿題なども見て、妻は自分の子供の世話をするが、
子供は何か気の毒。継子に嫉妬する継父。6年かかった、この到達例では
「親の違う連れ子は、別の部屋、実子以外の部屋には入らず、世話、食事、
教育も別」 もし、これから再婚される方がおられたら「それほど厳しい
ものなのだ!」と認識して幸せになってほしいと訴える。>
 3組に1組が離婚し、4組に1組が再婚するといわれ、子連れ再婚も増えている。
血のつながりの親子であった時代から、再婚による血縁のない親と子が家族に
なる“ ステップファミリー”の時代へ。「子どもがいても再婚したい」
「しかし、子どもにとって幸せ なのか」「それで、皆が幸せになれるのか」

『今のお母さんの事はどう思う?』
  子供『…こわい…でも、優しい…』
『今のお父さんの事はどう思う?』
  子供『…こわい。笑ってくれないから悲しい…』
何気ない母親の一言、「差別は悪いけど、区別は必要」も肯ける。
 ・相手の連れ子を愛せない。
 ・注意すると、再婚相手に子育て非難されていると思われる。
 ・連れ子の中に元の結婚相手を見てしまう。
 ・子連れ再婚数の国統計もない
虐待の加害者の3〜4割は養父や内縁。里親になるには、研修があるのに、
子連れ再婚には「研修がない」のが問題。理解をせずに躾に走ると、虐待に。
 母が3歳の時に、祖父が、3人の子供を残し亡くなった。八百屋だったことも
あり、祖母は男後家を後添えに入れた。その間に4人が生まれたため、3人は、
徹底的に虐められて育った苦労話を聞いて育ったこともあり、それぞれ個々人
の立場を、生々しく思い浮べてみていた。特に、母親と、その継子が不憫に…
これを見ると、『人生の半分はトラブルで、あとの半分は、それを乗越えるため
にある。』の道理も肯ける… 「親の因果が子に祟り」 運命は親の出来次第!
これは、宿命? 地球に遊びに来ているだけでなく、学びに来ていることを、
改めて教えられる。親には当ったが、フヤケテしまったか。残ったのは親の愛。

後記: 既に亡くなったが、哲学者で、教育者の森信三氏が、母親の苦労話を
 聞き及び、是非とも、主催する会で話をして欲しいと依頼されたことがあった。
痴呆症になりかけた母親を人前に出せるわけもなし、断ったが。それでも、
話をさせたかったのが後悔として残る。
ステップファミリーだったが故に、母親の温もりを知らずに育ったが故に、
長男、次男を若くして死なせ重度のノイローゼになり、死後に判明したのが
三分の二の心臓が壊死をしていた。そこから立ち直って40年を生きた生涯も
壮絶だった。それに感応したのだろう。

・・・・・・
4696, 悲観のプロセス12の段階
2014年01月22日(水)                     
 * 悲観のプロセス12の段階  『心を癒やす言葉の花束』デーケン著 
  ここで、死を覚悟するまでの悲観のプロセスを紹介している。
 挫折を一つの小さな死とすれば、この3年近くで、ほぼ同じ悲観のプロセスを
経験したため、以前読んだ時より深い実感がある。本物の死への予習? 
  ーまずはその辺りからー
《 デーケンは「この辛い12の段階を誰かが代わることはできない、
 自分の中で時間をかけ消化するより仕方がない 」と力説。この階段は個人差
 があり、順番に経験することもあれば入れ替わることも同時に経験することも
 順番を飛び越えることもある。
 1段階:精神的打撃と麻痺状態:  愛する人の死という衝撃によって、
    一時的に現実感覚が麻痺状態になる。心身のショックを少しでも
    和らげようとする本能的な働き、 つまり、防衛規制。
 2段階:否認 :感情、理性ともに相手の死という事実を否定する。
 3段階:パニック :身近な死に直面した恐怖による極度のパニックを起こす。
 4段階:怒りと不当感 :不当な苦しみを負わされたという感情から、強い怒り
    を感じる。「私だけがなぜ?」「神様はなぜ、ひどい運命を科すの?」
 5段階:敵意とルサンチマン(妬み):  周囲の人々や個人に対して、
    敵意という形で、やり場のない感情をぶつける
 6段階:罪意識:悲嘆の行為を代表する反応で、過去の行いを悔やみ自分を責める
 7段階:空想形成 :幻想ー空想の中で、故人がまだ生きているかのように思い
    込み、実生活でもそのように振る舞う
 8段階:孤独感と抑鬱 :健全な悲嘆のプロセスの一部分、
    早く乗り越えようとする努力と周囲の援助が重要
 9段階:精神的混乱とアパシー(無関心):日々の生活目標を見失った空虚
    さから、どうしていいかわからなくなる
10段階:あきらめ 受容 :自分の置かれた状況を「明らか」にみつめ、
    現実に勇気を持って直面しようとする
11段階:新しい希望 :ユーモアと笑いの再発見 :ユーモアと笑いは
    健康的な生活に欠かせない要素で、その復活は、悲嘆プロセスを
    乗り切りつつあるしるし
12段階:立ち直りの段階 :新しいアイデンティティの誕生:
    以前の自分に戻るのではなく、苦悩に満ちた悲嘆のプロセスを経て、
    より成熟した人格者として生まれ変わる 》
▼ 以前にも、ここで死の受容のプロセスーキューブラー=ロスが
  『死ぬ瞬間』の中で発表したものを取り扱った。
・否認: 自分が死ぬということは嘘ではないのかと疑う段階である。
・怒り: なぜ自分が死ななければならないかという怒りを周囲に向ける段階。
・取引: なんとか死なずにすむように取引をしようと試みる段階である。
 何かにすがろうという心理状態である。
抑うつ:なにもできなくなる段階である。
・受容: 最終的に自分が死に行くことを受け入れる段階である。
  これをベースに、書き加えたもののようだが、諦めから自分の状況を
「明らか」にして、受容することで心安らかになることが最終の段階。
その過程の心は暴風を突き抜けた中で、諦め、感謝に変わっていく。 
それを果たして楽しめる?
・・・・・・
5791,「自分」から自由になる沈黙入門
2017年01月22日(日)
       <「自分」から自由になる沈黙入門〜小池龍之介(著) >
   * 否定の魔力
 〜帯にある<五つの手習い>にひかれて手にした本〜
   現在の日常の態度のようでもある
【 その1.まったく何かにケチをつけずに1日を過ごしてみる
  その2.天皇陛下のようにスロウに、徹底的に自己を抑制して喋る 
 その3.正義で相手を論破することをやめる 
 その4.「買いたい」「食べたたい」欲望にかられたら、
     「ドウデモイイ」と念じる 
 その5.身近で大切に思う人に対してこそ、つねに幻滅しておく】
★ この随想日記を書き始めて、もう直ぐに17年目に入る。こうして公開する
 ことで、言いたいこと、聞いてほしいことも書いているので、沈黙と、ほど
遠い生活といっていいだろう。どうだろう? けっこうケチをつけ、否定する
ことで、間接的に自慢している自分がいるのでは? 御近所にも、知人にも、
「他人への否定の魔力」を売りにしている俗物が結構、存在をしている。
心の中の検事役が極端に勝っている人たち。「えっ、自分のこと?」と思う人
が多くいるはず。腐ったような女なら未だしも、大の男ときたら、笑って
済まされない。哲学は、問題の前提を疑うこと、否定することが、第一歩。
否定を否定したら、まず思考停止になる。
             〜「否定の魔力」(p71)より
≪ 批判にしろ、悪口にしろ、つまるところ何かを「否定」することには、
 怪しげなまりょくがあるのやもしれません。 すなわち、「否定」とは、
「私ってステキでしょうー! こんな私を見て」てふ呪文。
「あいつはダメだ」と否定すると、その「あいつ」と比べて自分が素晴ら
しい人間になったかのような魔力がかかるのであります。
多くの人は、自分を語りをしたい、自慢をしたい。だけれど、自分を
ストレートに自慢するのは恥ずかしい。それでも、人の心ってのはほって
おくと無駄に気持ちが良くなりたくなるゆえに、ついつい、「じゃあ、
ちょっとバレにくいやり方で自慢してみようかー」と、否定トリックの
魔術にはまってしまう。否定が自慢と気づかなかったとしても、残念ながら、
否定ばかりする人の周りにいると、良い気持ちがしない、そのトリックが
うすうす感じられるからこそ… ≫
▼ 6年前に事業整理をして以来、家内と僅かな知人以外に、ますます心を
 閉ざす 傾向にある。その分、ここで言いたい放題で、プラマイゼロだが。
ブログで書くことは、直接的、間接的に自慢話。16年間、自慢話をしてきた
ことになる。普段でも無意識で自慢のタネを探して、とうとうと内語で自慢
話をしている馬鹿さ加減に、驚くことがある。偽善を超えて、露悪、偽悪、
虚悪を演じている己がいる。事業清算のプロセスで、否定トリック魔術の丁度
よい酒のツマミにされているのだろうが… 半径1〜2キロmが全世界の正義が
あって然るべき。 サンフランシスコの中華街の正義というやつ。街を一歩
出れば何、これ…  否定の三倍の肯定の精神が必要になる。
 これを意識しておかないと、悪臭が漂ってくる。だから、ひたすら「沈黙」
をするしかないということ? スポーツジムで、ひたすら沈黙を保っているが、
これが面白い。無言も、一つの独特の態度。 そこには様々な態度がある。
・・・・・
3954, ファイナル・クラッシュ ー6
2012年01月22日(日)
 * 日本経済の行方 「ファイナル・クラッシュ 世界経済は
                  大破局に向かっている!」
≪ 著者ヒューゴはファイナル・クラッシの主因を大西洋両岸のイギリス、
 アメリカの浪費型経済システムと見ている。まずアメリカ、そしてイギリス
を含むヨーロヅパが完全な機能不全に陥って、日本を含むアジアも経済的な
破局に巻き込まれる見通し。しかし、日本経済を振り返れば、アメリカ以上に
借金頼みのいびつな形となっていることは疑いない。「アジアの成長が止まる
ことも、あるいは崖っぷちで踏みとどまっているアメリカとヨーロッパの
経済が足を滑らせて恐慌状態に転がり落ちることも世界経済全体がファイナル・
クラッシュを迎える引き金となるだろう。そして世界にはもう一つ大きな危険
要因が存在する。日本である。私の予想では日本政府はもう一段階の格下げに
あい、アメリカ政府に先駆けて財政破綻する。その後、日本に引きずられて
アメリカとヨーロッパ諸国も同じ道をたどることになる。アメリカ先行ではなく、
日本がアメリカを引きずり下ろすのだ。この点が著者ヒューゴと私の見解の相違
である。もっとも違いといってもシナリオが違うだけ、最終的な結末は大差ない。
日本経済の抱える問題を、世界では「ジャパン・プロブレム」と呼んでいる。
懸念されているのは、日本政府の財政状況。日本政府の負債は、財務省の発表
によれば二〇一〇年度末で九二四兆円。 OECD(経済協力開発機構)の推計では、
二〇一一年にも国内総生産比で二〇〇%を突破し、さらに今回の震災の復興費用
により二三五%になると言われている。また、政府の歳出が税収の二倍を上回る。
そういう国は長くは続かない。しかも日本政府はこれから震災復興を理由として、
今以上に支出を増やそうとしているのだ。日本では報道されていないが、
海外では今や日本政府の財政破綻こそ、世界経済の最大の懸念事項なのである。
IMFの発表を見ていても、東日本大震災は世界経済の撹乱要因、危険要因と
みなしている。ただでさえ弱っていた日本経済を震災が破錠させ、それがさらに
世界経済のメルトダウンの引き金を引くことを、欧米先進諸国は恐れている。
震災後に行われたG20の会合でも、その方向でミーティングが進行していた。
ジャパン・プロブレムの根本原因は、二〇年間にもわたる日本の民間経済の
不振を、政府が財政支出の増加でカパーしようとしたことだ。
これはコインの裏と表という両面がある。「失われ20年」と言いながら、
日本が生き残ってきたこと。それは政府の財政支出の拡大により支えられていた。
これがコインの表面である。コインの裏面は、その財政支出の拡大が日本経済を
破綻させ、世界経済のクラッシュの原因となりかねないという問題だ。 
なぜ日本経済は二〇年にもわたる不振に陥ったのか。これについては世上、
金融システム問題、中国の工業化などさまざま理由があげられている、
私見では少子高齢化である。日本は人口が減少している。とくに労働人口が減り、
老齢者が急速に増加、ものづくり人力も喪失している。大震災、原発事故という
のは想定外の問題なのだが、日本経済衰退の根本には少子高齢化があり、
これは変えられない。人口増を前提とした高度成長期型の経済モデルは、
もはや維持不可能なのだ。この根本的な問題がここ二〇年間、それほど表面化
せずにやってこれたのは、アジアの経済成長とアメリカの過剰消費という
外部要因のおかげである。だが、日本経済を支えていたこの二つのエンジンが
今、まさに止まろうとしている。 ≫
▼ 東北大震災も、国家財政からみたら大きな問題になってくる。
 前の事業を継続していたらと考えると背筋が寒くなる。それも電気料金の
値上げ、ボイラーの灯油の値上げ、客数の減少など、実際に成り立たない事態。
時流が先行して現れ出る仕事なので、沖合の津波の襲来が見えてしまうから、
毎日のように、ここで声高に喚いている。一年前の今時分になって、やっと
事の重大さを認識し、現実問題として事業の存続を考え出した。そして、
その僅か二ヶ月後に整理、倒産を決断をせざるを得なかった。
結局は、誰も助けてはくれない! 自分で見据え、判断し、決断するしかない。 
この国とギリシャ、イタリアと、どこが違うのだろう。
・・・・・・
5061,閑話小題 〜何を慌てている?
2015年01月22日(木)
   * 何を今さら
 イスラム国の脅しに、国家をあげての危機管理とか。生首を落とされるのが
世界中にネットで流されるのが拙いらしい。あの二人の御仁、他国の人たちの
首落としの刑からして、自分の危険を覚悟をして現地に行ったはず。たまたま、
展開が斬首となっても、いた仕方がない。何を今さらである。
 宗教戦争とは、そういうもの。 8千キロも離れた異教徒が戦争ビジネスを
画策して、そこに身を投じた結果でしかない。ツアーとはいえ、世界の秘境と
異郷で、危険な状況を体験したが、万一の場合、仕方がないと割切っていた。
 ここで御出ましになるのが人道主義者。その論理の筋たては、聞かなくとも
分かる・・ 政府としては、一応、最大限の誠意を見せるが、裏取引での妥協は
許せない。 他国のケースの身代金の相場が200万ドルというが、どうだろう、
この辺りで手を打つかどうか。今回は、安部がイスラエルの訪問のタイミングを
狙った芝居がかった大金。 暴力団の恐喝の場合、初めは法外の値を要求する
のが常套手段。部族長の仲介で、妥協するかどうか。 結果は、生首が落とされ、
映像が世界中を駆け巡り、平和な島国の危機意識の希薄さと、精神の甘さが
世界中に流される? これでは、エボラ出血熱などのリスクを考えると、中国、
東南アジア、韓国、アフリカ、中近東、欧州に、旅行する気が無くなってしまう。
 旅行代理店は、先行き真っ暗だろう。ところで、検索に『イスラム国 斬首』
と入れたところ、様々な打首が出てきた。ズラーッと並んだ刎ねられた胴体に、
生首が置かれた写真や、柵に置かれた生首とか・・ 深層は、人種間差別と、
世界的貧富の拡大が情報化で露出され、グローバル化で、いずれの国にも、
直接、影響をする時代になってしまったことと、情報端末の普及で、世論操作
が難しくなったことである。 アラブ世界には、凶暴な独裁者が必要悪として
必要とさえ思えるのが、この「イスラム国」の存在である。 
 それにしても、アブラハムは、厄介な神ヤフーをおつくりになった。
・・・・・・
4329, 財政恐慌 −5
2013年01月22日(火)                    
    * 死に至る無限ループ    『財政恐慌』浜矩子著 
 以下の抜粋部分は近未来の財政破綻と恐慌を明確に分析している。 
これは日本だけでなく、アメリカ、欧州も同じこと。最後のリンゲルをうち
終わった後の近未来の日本の惨状を考えると惨憺たる思いである。 
   ーまずは、その辺からー
≪ 恐慌とは何か。それは、要するに経済活動のシック死現象だ。
 劇的な形で、あっという間に経済活動がマヒ状態に陥る。そうなれば、
人々は恐れ慌てる。だから、恐慌という。このとてつもなく怖い現象を、財政が
引き起こす。そのようなとんでもないことが起こる世の中になった。それは、
なぜか。グローバル時代においては、ヒト・モノ・カネが国境を越える。
ところが、財政は国境を越えられない。国境を越えられない財政が、
国境を越えたヒト・モノ・カネの動きが引き起こす様々な大問題に対処
しなければならない。そのことが、いまだかってなく重い負担になっている。
その重みに耐えられなくなった時、起こってはならない財政恐慌が発生する。
 ご承知の通り、財政政策というものは、景気変動による経済活動の浮沈を
ならす機能を果たす。財政にそのような役割を付与すべしと唱えたのが、
かのケインズ。 経済活動が大膨張と大縮小の間を行ったり来たりし、その度
ごとに人々の生活を痛めつける。この極端な循環現象から経済社会を解放しよう。
そこに、財政政策のそもそもの眼目がある。
 その意味で、極めて雑駁に言えぱ、要するに財政政策というものは恐慌逃避
のために存在するということになる。恐慌は経済活動のショック死現象だが、
見方を変えれば洪水のようなもの。大河が溢れれば洪水になる。洪水はすべてを
流し、その過ぎ去りし後に新たな生命の循環が始まる。新たなスタートを切る
のは結構だが、その前に、あまりに悲惨な大清算の場面をどうしても経なければ
ならないのか。その衝撃をなんとか緩和できないものか。そのような発想の中から、
政策の関与によって経済的変動を微調整しようというケインズ的考え方が生まれた。
 かくして、ケインズ後の経済の世界は、恐慌というショック死現象に陥ること
を免れることになった。ただし、そのための代償として、常にインフレに陥り
やすい体質が世界的に根づくことになった。それはそうだろう。
経済活動のショック死を防ぐべく、政策が早め早めにカンフル剤を打つ。
その状態が続けば、経済活動は常にとってもハイになりやすい。欝状態に陥る
ことを避けるために、どうしても躁状態を慢性化する方向にバイアスがかかる。
要するに人類は慢性インフレという代償を払うことによって、繰り返し襲う
恐慌の洪水から解放された。それが従来型の基本認識だった。ところが、いまや
その認識とはあまりにも違う構図が我々の目の前に出現している。いまや、
内と外との関係は実に曖昧だ。国内から外に出て行き、外から内に流れ込む。
数多くの工場が丸ごと国境を超えて移転する。それに伴って雇用機会もかつて
ない勢いで内から外へ流れ出す。≫
▼ 問題は、大清算の国民の痛み。ギリシャが、いざ予算削減で国民の痛みに
 直面すると同時に拒否するパターンと同じことが、今までも、これからも
日本に起こる。目先の痛みを恐れ問題の先送りを続けてきたが、もう許されない。
しかし茹で蛙状態の日本人も同じこと。最後は金持ちは国外に移住。 
国内残留組は貧乏になるしかない。それを、国民は選んだ結果である。

・・・・・・
5425,閑話小題 〜年明け早々に何かが始った
2016年01月22日(金)
    * 年明け早々に何かが?
 4年前の同月同日のファイナル・クラッシュを読み返すと、極論と、
思われるが、これも今までリンゲルをうって、それを延期しただけ? 
 そのマグマが、さらに溜まっている。先日のTVのニュースで、
阿部首相と、麻生副首相と、黒田日銀総裁が、テーブルに並んでいたが、
麻生と、黒田が伏目顔で、何か重大な事態が、起きようとしているのを、
知っている素振りにみえた。 これだけ、金融緩和をして、年明けから3千円
の株価の下落である。〜ある経済ジャーナリストの、ブログのコメント
≪ NY株も上海株も小康状態の中で、日本株が急落している。
 日本株も「弱気相場圏」入りしたと思われる。
 投資家の心理的ダメージ修復には時間を要する。
日経平均1万6千円、円115円、原油25ドル近傍へ相場が一斉に
大きく揺れるときが、全員弱気による売りのクライマックスになりそうな展開。
それにしても、新年から日本株 2勝10敗 となると、未体験ゾーンである。
 米利上げと中国経済は、政策対応で、少なくとも止血剤的効果は見込める。
問題は、政策対応が効かず、制御不能に陥った原油相場だ。
 原油安は原油輸入国の日本にはプラスといったところで、投機主導の相場
には軽くスル―されてしまう。先物空売りが急増すれば買戻しが入るという
市況の法則も通用しない。下がったら、もっと売る、というモードに入っている。
俯瞰すれば、原油市場は、新常態の需給均衡価格を荒っぽく模索している。
20ドル台では、供給サイドの新規油田開発がストップするので、長期的に
需給は締まると分かっていても、相場は下方へオーバーシュートしてしまう。≫
 かなり、厳しい局面に入っているようだ。≫
▼ この文章は、数日前に書かれたが、あれよとというまに、
日経平均1万6千円、為替115円、原油25ドル」へ相場はふれている。
「前もって決断した5年前の事業清算は正解」と思わせる大津波の本格到来か。
 で、これも偶然、以下の2013年01月22日(火)、2012年01月22日(日)の
< * 死に至る無限ループ 『財政恐慌』浜矩子著 >
< * 日本経済の行方 「ファイナル・クラッシュ 世界経済は
   大破局に向かっている!」〜3954, ファイナル・クラッシュー6 >
 に、脈絡がつながっていく。 納得である。

つれづれに

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 今日のYoutube

 ペットのルリハ・インコも、7歳になる。
世界で一番小型のインコも、栄養がよいせいか大きくなった。
そろそろ寿命の7~8年だが、今では10年は生きるという。
とにかく、身体が小型二割には大食いである。以前の様に
唯一の芸、連続回転の枝回りも、あまりしなくなった。




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2849, 「ほめる」言葉  - 3
2009年01月22日(木)
  ネットで「褒め言葉」で検索をしたところー「二段ぼめ」が基本ーとあった。 
 一段目が、外見や仕事などに対する一般的なほめ方。二段目は、その長所から連想される内面をほめること。
 ただネクタイの色柄をほめられるよりも、それを選んだ感性がステキと言われるほうが数段も嬉しい。
 女性??が、ファッション服を買う時、彼女の頭には誰か友達に見せて褒められる場面を想定している。
 何気なく着ていて『素敵!』と言われる場面である。
 外国のブランドショップで買うときなど、そこで日本より安く、いち早く買ったことを自慢したいのである。
 ほめて欲しい方も、二段構造になっているのである。それなら二段ぼめをしないと。
 「いいわね~私も、その国に一度は言ってみたいの!」とか。 人間は優位に立ちたいのである。
 嬉しそうな顔をして家内が言うには、
 「ある店に行ったら偶然なのだろうが、女店員が持ってくる服が全て似合っているの。 
 女店員も調子に乗り次から次へと、試着させてくれた。外れは一着もなく至福の時間だった。」 
 幸せな人には幸せなことが起こるのである。買ってきたのを着てみせてくれたが似合っていた。
 褒めるとは、互いに呼吸を合わせるということである。
 ーーー
第二章 相手の言動に関心を持つ「ほめ言葉」
 ー相手をよく観察すれば、とっかかりの言葉は見つかるー

「さすがー」その場でほめる 56         「やるじゃないか」相手に関心を持って接する 58
「笑顔がいいね」観察していればほめる言葉は見つかる 60
「誰よりも早く出社するね」事実を伝えるだけでも「ほめ効果」は期待できる 62
「創業1OO年だそうですね。さすがに老舗の風格がありますね」 事実にプラスの評価を付け加える 63
「慎重なタイプだから安心だよ」 個性をほめる 「よく知つているね.感心させられるよ」 知識をほめる
「キミの報告書は、いつもデータがしっかりしているね」 具体的にほめる
「いつも一生懸命だね」 プロセスをほめる 70
「わかつていてもなかなかできないことだよ」 当たり前のことでもほめる
「キミならやれると思つていたよ」 相手のプラス面に目を向ける 「驚いたよ!」驚きと感動を伝えてほめる 
「感動したー」 揺り勤かされた気持ちを伝えてほめる
「さつきのプレゼン迫力がありました」 客観性のあるほめ方をする 80
「ひときわ目立つていたね」 人よりも優れているとほめる 82
「とてもよく似合うよ」ほめ言葉は自分に返ってくる   「恰幅がいいですね」 言葉を言い換えてほめる
「おれも鼻が高いよ」 言い回しを変えてほめる     「華があるね」表現の引出しを増やす
  ーーー
 子供の褒め方に理想的なほめ方があるという。
 「すごいね。どうやったらそんなふうにできるようになったの?」
 こう言えば、ほめられた人間に自己の行為を振り返らせることになる。
 ほめる目的と効果は、本人の行為を認識させ、次の活動への意欲を増大させることにあるからだ。
  そういえば、ほめた相手が嬉しそうな顔をした思い出が幾つかある。 それは次回 - つづく

  ・・・・・・・・・
2008年01月22日(火)
2484, 「世間体」の構造 -2

         ('-'*)オハヨ♪
 ーあるブログに、この本の要約があった。
以下は、それを更に簡略をした内容であるー これで、ほぼ概要を網羅している。
 --
 ”世間”とは個人からみれば、”準拠集団”=自分の行為・行動・態度・意見、
価値観にもっとも強く影響を与える集団と捉える著者は、 語源から”世間”の”世”は「時間」を意味し
”間”は「空間」を意味するとして、人々の”世間”に準拠して人々が行動するようになった世間観の原型を
江戸期時代として、井原西鶴世間胸算用』がその象徴とみた。

 村の「オキテ」、武士の「イエ」をその背景として、明治期に家族生活を統括する基準となる家制度
(共同体社会における和合価値と、武家社会における献身価値の融合)を明治民法で国策化し、
『「せまい世間」は「イエ」と対峙しながら、それに優先し、「ひろい世間」は「せまい世間」と対峙しながら、
それに優先した。「ひろい世間」はより「ひろい世間」と対峙しながら、それに優先する。
このように、同心円的に幾重にも重層化「世間」が国家を頂点に整序づけられた』と述べる。

 日本的集団は閉鎖性が強いと言われるのだが、著者はむしろ「ソト」(=外集団)としての”世間”に準拠して、
自己の行動を律し判断する事が多い事から、『自分だけがソトを見ていて、ソトからはひとに見られまいとする』
防衛傾向の特徴は ”ホンエ”と”タテマエ”の使い分けが余儀なくなされ、戦後、家族国家観は崩壊したものの、
ソト(世間)の価値に寄り添う事によってウチ(自己)を見つめると言う準拠集団の構造の本質は不変であるという。
今では、マスコミの発達により”世間”は拡大され『「タニン」ないし「ヨソノヒト」の世界がタニンのままに
とどまらないで、「セケン」となりうる機会が大はばにふえている』と。 体面・体裁を内面化する躾を通して、
「人に笑われないように」と育てられてきた事から、何事にも中庸=世間並みと言う適応基準を身にまとい、
個人と世間と言う矛盾的な関係を止揚するという。 著者は”世間体”を一方的に排斥し否定するものではなく、
”世間”に準拠し恥ずかしくない行動の良し悪しを評価し、”世間”とは何ぞやと問い、”恥”の文化の意義を
あらためて問いなおさなければならないと。
 --
以上だが、家内も世間に関心が無いほうだが、女性という面では世間を気にするのは仕方がない。
特に自分は見るが、見られたくないという意識が垣間見られる。 外と内という家族主義の島国なら世間体
を繕うのも仕方がない。現在の象徴としての天皇家は、ある意味で国民のペットという部分もある。
元々は朝鮮から渡ってきて馬を戦争の武器にして勢力をもった部族の末裔。
その後の彼らは、国家儀式の祭事をおこなう神主の親玉として存続してきた。
その外の価値の包みの頂点としての象徴が、現在の天皇制である。その意味で、世間体そのものといえる。
だから、何々様は世間体の重圧で重度のノイローゼになったのである。
                                 (。・_・。)ノ ホナ!
ーーー
2007年01月22日(月)
2120, 一度はやってみたかった!
           オッ(*^○^*) ハ~ヨウサン!
ー下品な人は誰のこと?ー
「品格のない男とはどういう品種」かと先日書いたが、酒を飲むと、その人間の品性が出るという悪い事例を
「自分にみた!」男なら一度女性の和服を脱がしてみたいものである!が、その願いが何と叶えたのである。

先日の中学校同期会の二次会で、午前の一時過ぎの帰る間じかに女性二人が、着物から洋服に着替えるので
席で帯を解くという。「じゃあ、私に解かせて!」と頼むと、「OK!」の返事。
スナックのボックスだが二人の着物を脱がせてもらった。  (^^*)
初めてで最後の経験だろうが、何か淫靡な面白い疑似体験?になった。
二人が「着物の似合う上品な艶かし女性」だから、リアルで切迫感があった。
もっと若ければ・・・、まあこのさい 贅沢は言わない。 (-^^-)うにゃ~
着物用の下着を着ていたが・・少し気があった人?だから、それを加味すれば差引ゼロか。   
   
「芸者ワルツ」と、「温泉芸者」のカラオケを聴きながら無言で、帯を外し、着物を一枚一枚脱がしていく
のだから! 妙な気持になる。『何もしてないのに、何か?しているような・・』長いボックスの一番奥
だったので、他の人はあまり気づかなかったようだが。いい歳をして何をしているのだろうか? 
こういうのを下品というのだろう。着替えたあと『貴方とは帯をとかれ、着物を脱がされた仲ね』と言われた。
罪のない余興だが! こういうのを「遊び」というのだろう             ヘ(ё)ヘ
もう直ぐ花婿の父をやらなけらばならないから・・ 品をよくしないと!本当に。
この文書を嫁になる人がみたらどう思うだろうか? まあ、可愛い酔っ払いの余興でしかないが・・!   
人生二度となし、一期一会で「いま、ここ」を大事にしただけだ!
それにしても、こんなこと書いてよいのだろうか!  今さらか! ウンマ! (m ̄ ̄m)
    ^^^^
『で、どうした!』 「ただ帯解きを手伝ったのを、‘かなり脚色をして’面白可笑しく書いただけ」
『で、・・』 「貴重な体験でした」 『ほれで?』 「少し興奮しました」 
『アフォ! 本気になって読んだじゃないか、 全くもう!』「話に引き込むために、オーバーに書いただけです」  
『何か、いやにリアルな内容じゃないか?それも品が無い!』「まだ、アルコールが残っているとき書いた
からじゃないですか」
                     (^_^)v バイ
ー『で、どうした!』以下は、 将来 嫁とか孫に見られたときのフォローのため書き足した文章です。はい!ー

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2006年01月22日(日)
1755, 道洲制度について
       |(*′口`)ノ||O | ☆.:゚+。おはょ゚+。:.☆

そろそろ道州制度が問題として浮かび上がってきた。全国を8~11道洲に分割して合衆国制度にすればよい。
これだけ情報化が進んでしまえば、県という存在は必要でなくなる。 イギリスのサッチャーが、首相になった
と同時に市のみにしたという。(;-”-))))さ 寒い・・・∵ゞ(>д<)ハックシュン!市町村の合併のあとには
県の廃止と洲の導入は必然である。そしてその中間の道洲制を取り入れて思い切った権限委譲をして、
ミニ国家的にすることだ。県は江戸時代の藩を元につくられたものでしかない。
道州制度には中央省庁は大反対をするだろう。中央官僚のタカリの種がなくなるからだ。
実現は今のところ空論でしかない雰囲気だが、情報化の進展が県という中二階の存在を消滅させるだろう。
                       フムフム(*゚Д゚)φ))ナルホド!!
合併による合理化と、思い切った地方への権限委譲が効率よく出来るようになる。
国の経費を三分の二に縮小するには、思い切った道州制度は避けて通れない。
大阪府京都府などあるのを疑問視していた。奇異と誰もが思っていたはずだ。京都・大阪・神戸
・和歌山・滋賀など合併しても当然と、遠くから見れば解ること。(c_,0*)(c_,-*)(c_,0*)(c_,-*)ゥンゥン♪
 新潟県は、それぞれの行政単位で中途半端の状態に置かれている。(関東甲信越北陸地方、東北地方)
この三案で全て違う組み合わせになっているが、道路と新幹線を基点に判断すると、関東甲信越の枠組みである。
 最悪は北陸地方としてくみこまれることだが、それはないだろう。
                                  [○´・ω・]ノ  ヂャァ
・・・・・・・
2005年01月22日(土)
1390, 迷ったときは運命を信じなさいー2      
                         読書日記
 第6章の「あなたの自身の『原型』を知る』の中の ー光の領域のレッスンーが面白い。 
寝る前に「光のイメージ」の実験をした。「アメリカの田舎の並木道から、一軒家に入り、廊下を通って、
部屋の衣装棚の奥へかき分けて入って、地下のトンネルを通って、大きな川辺に出て、船に乗り、
トンネルに入って、出て、船から降りて、光になって、そして、女神ヘラになり、老王リシになり、
救い人になり、救い人の母のデメテルになり、酒の女神のバアッカスになり、学問の女神アテナになり、
美の女神ビーナスになり、神の子になって,最後は宇宙の錬金術師のクリシュナになる」
以上を、ポストイットに書いて手帳に貼り付けて、酒を飲みながら見ていたら、2時間ほどで覚えてしまった。
そして2日間、ベッドで自分が「風になったイメージ」をして先ほどの「霊魂ー風」になったつもりで、
実験をしてみた。

そうして寝てみると「多くの夢をみる」のに驚いた。ユングの世界の被験者になっているようで面白い。
自分の内面の深層に、ドンドン降りていくような感じになった。ーいや実際降りていったのだろうー
そして、それぞれの女神や、救い主になった感覚が面白い。 一種の白昼夢か?この文章を読んでいる人は、
信じられないのではないだろうか?イメージで、かつ半覚醒で女神や神の錯覚状態をまともに書いてあるからだ。
神様と対話している感覚のようでもある。 ユングは、このような地下への階段をドンドン降りていったのだろう。
『その状態をもっと詳しく書いてみろ!』という声が聞こえてきそうだ。
今度、ミニミニ小説を書いてみようか?それとも、宗親日記に取り入れて書いてみようか。
あまり入り込むのは、この程度でやめておくが・・・。
 ーーー
驚いた!、去年の今日が『眠りについてのお話』のテーマであった。ここまでくると、気持ちが悪い!

・・・・・・・
2004年01月22日(木)
1023, 「眠りについてのお話」-2
「経験を盗め」読書日記-2

睡眠は8時間が理想と思い込まされてきた。しかし、これは統計上の話であって、生物学的な根拠は何も
ないという。一般的に、人間に必要な深い眠りは寝入りばなのノンレム睡眠時に集中して訪れるから、
長く眠ればよいというわけではない。睡眠は非常に多様性に富み、個性的なものである。
10時間続けて寝ればよい人もいれば、2~3時間づつ寝ればよい人もいる。
「いい眠り」というのは、それは「自分にとっての」ということでしかない。
自分が納得した眠りを見出せれば、それが本人にとってよい眠りである。
ようするに、眠りの唯我独尊を手にすればよいだけである。草食動物にとって寝ることは命がけである。
夜間に肉食動物に襲われる危険がつきまとっているからだ。また回遊性のイルカは左右の脳にかわるがわる
眠らせている。「入眠障害」「中途障害」「早朝障害」「熟眠障害」全てを経験をしたが、これで困ったこと
はない。ー困ったことがないということは障害とはいわないか?何度かの挫折で眠れない夜が数限り続いたが。
「寝れないことを苦痛にしないのが大事」と子供の頃から体験上知っていた。
「寝れない時は寝れなくって結構」と思っていればよいと。

私の寝れない時のコツは、顔、腕、足と力を意識して抜くことを繰り返していると、いつの間にか寝入って
しまう。寝れない時は知らないうちにどこか力が入っていることが多い。ある人から聞いたが「寝れない時は
直ぐ起きればよい」という至極単純な方法もある。寝ようとしないで、三日間ぐらいのスパンで睡眠をとり
かえせばよいという余裕を持てばよい。睡眠障害も一種の神経症だから、陥った人にとってどうにもならない
ことも解るが。セックスにしろ、食事にしても、本能的なものに神は快楽を与えた。快眠後の爽快感も、
その一つだという。そのためには、あまりの熟睡は寝たという充実感が少ないから逆に良くない。私の場合は、
現在は6時間半が平均である。特に寝入りっぱなは熟睡をする。誰もそうであろうが。その時々によって、
「中途障害」と「早朝障害」が三日に一度はくるが、別に苦痛ではないので障害にはならない。
また万年寝不足という経験も全くない。そういえば睡眠は一日単位の死であるという。
よく生きれば、良く死ぬことができる。良く一日を過ごせば、良く寝ることができる。
楽しい一日であれば寝れない夜はなお楽しい。そうそう良い一日が続かないのが人生だが。

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2003年01月22日(水)
658, 躁鬱について

人間は躁鬱質か分裂質かどちらかか、その中間を浮いている存在だ。
そのコントロールが利かなくなって第三者に迷惑をかけたり、抜け出れないのが精神病になる。束ねて
いる元が壊れてしまうと精神病か。北杜夫は躁鬱で有名だ。彼の随筆を読むと面白い。彼の場合鬱が長く、
躁は短いタイプという。自分のことを書ているから、彼の躁鬱の話が面白い。躁はある説によると、
子供に帰ってしまう事。そうー躁すると未来志向になってしまう。欝は逆に過去に向かって沈むことをいう。
大体沈んでいる時は、過去の嫌なことをや嫌な人間に囚われている時だ。うきうきしている時は、何か
明日や将来の楽しみを考えている状態だ。過去の楽しい状態を考えていることは少ない。
その意味で躁は未来志向の時で、鬱は過去に向かっている時というのは肯ける。身近に万年鬱が数人
いるが、急に20年前の恨みつらみの電話をする。電話を受けた人は、ただ驚愕をする。

万年躁の人もいる、躁仮面をかぶっているだけかも知れないが。ある自殺未遂三回の人は鬱の人だ。
悪臭が周辺に漂っている。自分に甘い人で、周辺に甘さからくる膿をばら撒いている。昔の日記を
面白がって随想日記に書いているが、一種の鬱かもしれない。楽しい鬱などないのだから違うか?
躁病7年説というのもあると書いてあったが、私の周波が7年であるのは躁質の体質なのかと考えて
しまった。三年躁で四年鬱あたりか。人間は創造をする時は「躁造」-造語ーといってよい。
準備を積み上げた上に「躁の状態」でなければ、そうそう創造は出来ない。
女性などは生理があるのだから多かれ少なかれ躁鬱だろう。誰でも精神質はある。

・・・・・・・・・
2002年01月22日(火)
308,人生の損益分岐点

人生の損益分岐点-とは人生で元はとったか?ということ。 何だろうか、そんなもの考えている暇が
あったらチャレンジするものを探せ!そんなものだ。おそらく人生にそれを見ること自体、おかしい
のかもしれない。しかし、言葉の遊びとしてスキップをしてみよう。 私の場合、51歳であった。
下の子供が大学入試に合格した瞬間であった。 今から5年前である。入学をしてしまえば、
後はアルバイトでもすれば卒業できる。事業で500室ーこれは新潟周辺の客室の最大数(300室)の1・7倍。 
母親を見送り、一応目安はたった。その時自分の一つのライン、その表現が人生の損益分岐点に達成した
である。人間としての一応のなすべき事の達成である。 これからは、純益のそれー自己達成とかいう
真にやりたい事の自己満足の追求だ。まずは家内に「私と結婚してよかったという」本心の満足感!
それは今更、無駄か!そして大好きな秘境ツアーの60歳までの50回達成である。

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1月22日ー水曜日 
1969年

10時に学校に到着。崎と会う。次に河村に帳面を返す。そして産関研究所に行きレポートの為の
資料を借りる。東武百貨店でコピーをとる。 昼過ぎに寮に帰る。市川さんが部屋に来る。会社が
平日だが休みのようだ。彼と話をする。何か私からゼミで得た知識を吸収しようといているようだ。
その後風呂に行き、読書をする。 22時から0時半まで勉強。 一時に寝る。




と手間が
あれば毎日だせるさ」と思った。それがメールにはまり込むキッカケだったという。多人数に軽く
文章を送れるからだ。そしてホームページを思い立った時、その転用として頭にうかんだという。
私の随想日記も似ている。10日に一回位書いていた随想日記を「これを機会に毎日書くことを
自身に強制する事で、頭の中を汲み出してしまおう」と試している。1~2年は尽きることはない
自信があった。カミサンとは毎日飽きずに何か話している。2~3日家をあけようものなら、
かなりのネタが幾らでも出てくる。30年近く経っても尽きないのだから、随想日記のネタが
尽きる訳がない。ということで、内面を気楽に、本音で、面白おかしく、ブツブツ書いている。