* 羽生が劇的な優勝
 スポーツジムか、休んでフィギアスケートを見るか、迷った上に、
「この試合が、日本にとってピークの試合になるはずだから勝っても負けても
見逃せない」と判断してライブで見ることにした。プロ野球の大谷のような
風貌で、怪我を克服した劇的な結末。それも60数年ぶりの二大会連続優勝とは。
 こうなると、次のオリンピックで三試合連続優勝を狙いたいところだが、
ここで身を引くと、今後の人生にとってプラスになる筈だが…
  〜ネット・ニュースによると
≪ 羽生結弦「漫画の主人公にしても出来過ぎ」 読売新聞
 平昌五輪第9日17日、フィギュアスケート男子で連覇を果たした羽生結弦
記者会見した。昨年11月に右足首の靱帯損傷というけがを乗り越えて優勝した
ことについて次のように語った。
「開き直るしかないと思っていた。けががひどくて練習がなかなかできなかった。
漫画の主人公にしても出来過ぎなぐらい。でもこうやって金メダルを取って、
たくさんの方々に応援してもらって、色んな方々にスケートを見てもらって。
こんなに幸せなことはない。人生として考えたら、なんか変だな、と思う」
今後については、「次のオリンピックについては考えていない。もうちょっと
滑ると思うけど、みんなと一緒に滑りながら考えていけたら」と話すにとどめた
また仙台市出身の羽生は、被災地への思いを聞かれて、「自分が金メダルを
持って被災地の方々にあいさつをした時にたくさんの笑顔が見られた。今度は
ちょっと自信を持って、皆さんにまた笑顔になってもらえたらいい」と話した。≫

▼ 熊、寅、大家さんに御足労願って話してもらうことにした。
 神様: 今回、私も参加させてもらうかわりに、羽生君に憑依しますよ。
大家: 有難いことです。
熊: 10日も経った前日まで金メダルが取れなくて、シルバーコレクター
  揶揄されかけていた。いざとなると、欧米の連中、強いからね。
大家: 欧米社会は、目に見えない差別社会が厳然とあって、生活がかかってる
  からシリアスになるのさ。様々な格差の要素が絡んでね。酷いものだよ。
羽生: 人種差別は、シビアなもの。それも、金メダル保持が印籠になって、
  TV出演の値段が大きく違うんだ。これで更に?倍になるんだよ。
熊: 1〜2回の出演料が俺様の年収と同じもんね。選ばれしものだものだね。
大家: 御前は、直ぐに、その話になるけど、現実は現実。
寅: 二回ほど、手をつきそうな場面があったけど、危なかったね。
羽生: 今もそうだけど、神がかりの部分もあるけど、絶対量の練習があれば
  こそ、堪えられたんだ。誰かの話じゃないけど、『練習は嘘をつかない!』
熊: また、大家さんに叱られるが、これで一生、安泰だね。
羽生: そうでもないんだ。とにかく、不自由なんだ。外食も、シズラクテね。
  一瞬のすきに薬物を混入される可能性もあるし。
大家: まあ、まず一個、金が取れたんだから…良かった良かった。
  あと最低でも二つをとって3つを確保しないと、東京オリンピックへの
  弾みにならないし。 それを考えると、6個は必要だね。
羽生: こと、オリンピックに関しては、『金本位制』が現実ですよ。
  扱いが、全く違うもの。二連続の金メダルともなれば、何か恐ろしいよ。
寅: 妬みもあるし、デマもたてられるし、山高ければ谷深し、だよ。
羽生: 「こんなに幸せなことはないけど、人生として考えたら、なんか変だな、
  と思う」が本心。何が怖いかというと、世間の持ち上げと、自分の慢心。
大家: でも、この年齢で、この快挙は、御立派ですよ。素直に御目出とう!
  神さん有難うございます。
  
・・・・・・ 
5452,「楽しむ」を楽しんで哲学する
2016年02月18日(木)
      【アリストテレスの人生相談ー小林正弥著】の、
      ー幸福原理「美徳に基づく魂の活動」ーより
   * 「楽しむ」を哲学する
 母親からは、『仕事も、習い事も、それが楽しみになるまで努力すること!』
父親からは、『お金は事業と仕事を楽しんだカス。カスを稼ぐため努力する
のではなく、楽しめるまで苦労し熱中すること』と、聞いて育ってきた。
その背景には、仕事も、習い事も、膨大な努力があってこそ。それを続ける
には、楽しみまで引き上げればよい。古美術商時の上客から伝授して貰って
いたのだろう? 同じことを2千数百年前の哲学者がいっていた。
<「本物の音楽家とは音楽を楽しむ人のことであり、本物の政治家とは
 政治を楽しむ人のことである。そして、楽しむのは能力のある証拠だ」>
これは、アリストテレスによる洞察である。何をするにせよ、本物の上達は、
そこにどれだけの楽しみを得られるかによって図ることができるのだ、と。
アリストテレスの人生相談ー小林正弥著】の、幸福原理「美徳に基づく
魂の活動」から考えて、楽しむとは、美徳を実現させるため、の前提がいる。
ただ楽しければよいだけでは薄っぺら過ぎる。 〜その辺りから〜
≪ 言葉だけを見ると、誰にも存在する美徳を実現することが幸福をもたらす
 と見えるかもしれませんが、実際は、音楽の卓越した素質を持たない人は、
いくら努力をしてもプロの音楽家になるのは困難。アリストテレスは、個々人
に、その人の固有の素質が本性として備わっていると考えているのです。
ですから、この原理における「美徳」は、あくまでもその人の魂に内在する
卓越した素質のこと。つまり、これは「幸福を、その人の魂に内在する優れた
素質に基づく魂の活動」ということなのです。アリストテレスは、
「馬の愛好者にとっては馬が快いように、美徳を愛する人たちにとっては
美徳に基づく行為は本性的に快いものである」とします。ここで重要なのは、
彼は幸福を快楽とする考え方は否定しましたが、「美徳に基づく魂の活動と
しての幸福は、それ自体として快適である」としていることです。たとえば
賭博を快楽とする人がいても、それは真実の幸福ではありません。それは、
美徳に基づ魂の活動ではないから、これに対し、たとえば理性的な思考活動は、
美徳に基づく魂の活動なので、快いものです。 再び音楽家を例として考えて
みれば、その人の魂に内在する卓越した音楽的素質が開花し発揮されれば、
その人は優れた音楽を作曲したり演奏したりすることができるから、その人は
音楽の喜びを味わうことができる。その人にとって、それは本性的に快いもの。
逆に、音楽的素質のない人が無理に音楽を長時間習わされても、それは苦痛で
しかありません。このようにアリストテレスは、「本来の善なる活動としての
幸福は、魂に内在する卓越した素質に基づくがゆえに、その人にとっては
不愉快で面倒なものではなく、本性的に快いものだ」と考えました。
しかも彼は、それは美しく、善き行為であると考えます。アテレーは一般的
には「徳」と訳されていますが、美しいものでもあるので、私はそれを「美」
と訳しています。≫
▼ 「幸福の状態」を、「楽しみ」に重ねてみた解釈だが、最も濃いのを
 至高体験、薄めなのが「楽しみ」と、普通は「何となく幸せ」という実感。
オリンピックの選手が、『勝負を楽しみたい』とは、極限状態の現場で本性的
から出てくる実感の言葉だからこそ価値がある。それも勝ったか負けたかでも
意味合いが違ってくる。 濃い目の「楽しむ」とは、美徳に基ずく魂の活動
なればこそ、その味が濃くなろうというもの。まあ、美徳でなくとも、大自然
との邂逅でも、至高体験は可能・・ で、三桁の至高体験と、濃い目も
「楽しみ」が沈殿した池、いや風呂が心の底にあって、何時でも入浴可能。
で、落ちがつく。それが慢性したのがボケ状態の天国? 傍は、地獄に化す。
 で、以下が、ちょうど良い塩梅につづく。
   ・・・・・・
4723,哲学はなぜ必要か?
2014年02月18日(火)
  * なぜ人生に、哲学が必要なのか?(今更だが、あえて!)   
         もう少し おまえσ(=゚ω゚=;)考えろよ ったく!
 40歳を過ぎた頃から、哲学に興味を持ち始め、初心者用の本を中心に読み
続けてきた。知れば知るほど、奥行は深い。知人の叩き上げ?で一財を築いた?
男が、茶器造くりを趣味にしていると聞き、自宅に行き、一つ貰ってきたことが
あった。その少し前に「スランプ気味」と話していたので、お礼にと初心者向け
池田晶子哲学書を贈呈した。そこまでは良いが、私の一連の件で会う度に、
逆手に『俺は哲学書など読まないが、上手くいっている』と嬉しそうな嫌味。
 これは、イギリスの哲学者で経済学者でもあるジョン・スチュアート・ミルが、
著書「功利主義」で唱えた【満足した豚よりも不満足な人間である方が、また
満足した愚か者よりも不満足なソクラテスである方がよい】の知識があったら
言えない言葉。「ものを考えず現状に満足して動物のように生きるな。やせても
かれても思考する人間らしく生きよ」ということ。その男に何度か言われるうち、
酒も入っていたこともあって『茶器造くりでスランプというから哲学入門書を
あげた。茶器とは作者の魂そのままが、表出するもの。スランプを乗越えるには、
魂とは何か?魂を入れるとは何か?を知らなければなるまい。作品に打込んだ
魂とは全身全霊を作品に叩きつけてこそ入るもの!それなくしてスランプを
乗り越えることなど出来ないはず!』と、怒り気味に話したが、この人には? 
近くの社長をしている二人も、その男の嫌味に対し、私の理屈に同調?したよう
だったが・・┃¨━(σ-`д・´)━╋┓
 魂といえば、ゴッホの「ひまわり」や、ピカソの「ゲルニカ」を前にし、
その波動が伝わって立ち竦んだことがある。茶器づくりも、茶道も、花道も、
コンピユータにたとえれば「エクセル」「ワード」などの「アプリケーショ
ンソフト」に過ぎない。「ウィンドウズ」や「リナックス」といった
「OS(基本ソフト)」がなければパソコンのアプリが動かない。
 何事も、そのOSとなる「ものの考え方」や「もののとらえ方」の基礎を
学ぶ必要がある。行詰ったら、「知のOS」を、グレードアップした上で、茶碗
造りなどのアプリを作り替える必要がある。その「知のOS」が "哲学"などの
教養にあたる。これからして、正解のない人生の課題に対処するにも哲学が
必要になる。人生の難問は生きている限り次々と生じてくる。
対処するには自頭で考えて乗り越えるしかない。その自頭のベースは教養から
生じてくる知恵、すなわち哲学になる。「哲学」(フィロソフィー)という
言葉は、古代ギリシャ語「フィロソフィア」(知恵を愛する)が語源。 
この言葉は、哲学が「いかに知るか」「いかに学ぶか」を学ぶための学問で
あることを教えている。知恵を愛するから、知恵が生まれる。反面教師
なら幾らでもいるが、相手から見れば、自分が最たる反面教師だろう・・ 
人は己が知っていることしか知らない!
(゚∀゚). (ノ・人・`)??はて? ドォスル?? (*・д・)ノ(・д・`*)ドォシヨッヵ
o( ̄ー ̄;)ゞううむ  o(´^`)o  ウーr(-◎ω◎-) 考え中..... 
σ( ̄、 ̄=)ンート・・・σ(゚・゚*)ンート・・・ウーン  (Θ_Θうーん・・(〃 ̄ω ̄〃ゞ
・・・・・
4356, 閑話小題 ー因果一如
2013年02月18日(月)
   * 因果一如
 白隠禅師の坐禅和讃の中に、「因果一如の門ひらけ」と云う一節がある。 
「因果一如」は、因果応報に近い言葉。原因と結果は一緒という意味で、
原因を作ったときには、結果も同時に生まれるということ。結果はいつも
原因の中にある。 原因から出て行って、また原因へ帰る。 過去と未来に
とらわれることなく今のその瞬間を大事に生きることにつながる。
なぜ人は死ぬか? 生まれてきたからだ。病気は、きっかけでしかない。
善悪、それは誰かが決めた基準で裏表同じこと。事業の倒産、それは創業を
したため。きっかけは事業年齢がきて寿命が尽きたため。そうこう考えると
納得できる。現在のアベノミクス、これを因果一如で考えると、ハイパー
インフレへの最終到達点。一度、清算した方が良いのかも。
  * ヨガ・エアロの場にて
 週に二回、スポーツジムの「ヨガ」に参加しているが、あと一月で一年。
欠席は4〜5回で、ほぼ皆勤に近い。週に三回、行われているが、火曜日と
木曜日に参加している。50人定員だが、毎回、ほぼ満員。幅60センチ、
縦120センチのヨガマットを縦にして、その中で先生の指導の下、50分間、
マントラなどの音楽を聴きながら、色いろなポーズをとる。室内はカーテンで
暗く、大人数のヨガは何とも不思議な気持ちになる。
「マット内は、自分の宇宙で、周囲を無視してください。」と何度も繰り返す。
9割は女性で、時間からして主婦が大部分。一年近く続けていたため、関節の
硬さは、かなり取れてきた。「スローヨガ」と名うっているが、だんだん
ハードになっていく。私にとって、医院での腰痛治療のようで、背骨、足腰
の骨の矯正をしていることになる。ヨガは、元もと座禅など瞑想をしている
合間に、足腰の矯正をするためのもの。とはいえ、これで腰痛が良くなった
というより、悪化防止という感覚。終わると、脳と身体がスッキリ
した感覚になる。で、先日、私の近くでプッという音。ガス抜きのポーズで、
誰かが思わず・・ そこに、男は私ひとり。誰がみても・・ 
まあ、いいかで時間が過ぎていった。 
・・・・・・
5818,緩和小題 〜しまった!  ートランプ大統領選出は?ー 6
2017年02月18日(土)      
       < しまった! 「失敗の心理」を科学する
                  ジョゼフ・T・ハリナン (著) > 
   * トランプ大統領選出は凶か吉か?
 既に失権をした韓国大統領と、アメリカの新たなトランプ大統領の選出。
誰の目にも「選定の失敗」は明らか。判断するには少し尚早だが、その辺を
考え読みとってみる。
・韓国の場合、怪しげな新興宗教の教祖が、元大統領の娘に目をつけ、大統領
に祭り上げて黒幕になろうと画策し、自分の娘を同じ学校に入学させ近づけ、
大統領の階段の誘導に成功し、大統領にさせた。その結果、教祖の娘が陰の
大統領になり好き放題。 韓国映画並みの劇場型コミック物語そのもの。 
トランプ大統領も然り。黒人大統領と、元大統領夫人の金髪白人女候補の
世襲に不満を持つ中下層の白人層に狙いをつけ、ロシアの後方援助を得て当選。
全くの素人が絶大権力を持つと、こうなるという珍現象が日々、ニュースで
話題になっている。 二流役者から成り上がったレーガン元大統領でさえ、
カリフォルニア州知事の実績があった。それも俳優で、蔭のシナリオ作家?が
書いた大統領役を忠実に演じればことが済んだ。しかし暗殺されかけたが… 
 それに比べて、この御人、あまりに粗末な裸の王様。TVや、ネットが、
政治的に軽いオツムを、そのまま公開することになる。気づいていないのは、
大統領本人だけ。落目のアメリカの拍車をかけることになる。
どの切口をとっても、あまりに隙だらけ。弾劾裁判の可能性を排除できない。
軽いオツムの公開といえば、「このブログも?」と、斜め後から聞こえてくる… 
・・・・・・
5088,タガメ女の正体 ー�
2015年02月18日(水)
   * 某メガバンクの必殺カニばさみ ータガメ女の正体〜深尾 葉子(著)
 とっておきの逸話が紹介されている。できちゃった婚の「ちゃった」が、
この恐ろしい女の謀略を隠しているが、相手も然るもの! とにかく危ない!
誰にでも‘持て期’があるが、ひ弱なカエルに対し、「カニばさみ」は必殺技。
 神様は、男の生理を、この技に耐えられないよう御つくりになった。
≪ 「“カニばさみ”されないように気をつけろ!」 (p103〜戦略的妊娠)
 某メガバンクの独身寮には近年、先輩から後輩へ語り継がれるこんな“警告”
があるという。「カニばさみ」とはいったい何か。入行6年目のAさん(28)が
実体験を語る。一般職の女子行員(32)にいまの部署に移ってから先輩として
いろいろ教わっていて、部署の飲み会の後、酔いの勢いでラブホに入ったんです。
いざ行為を始めようと避妊具をつけようとしたら、彼女が『今日は大丈夫』って」
そのまま言葉に甘えてノーガードで始めたAさん。だが、もう限界だと思って
腰を後ろに引こうとしたその時、信じられないことが起こる。「彼女の両脚が
僕の胴回りを挟み込み、ガッチリとホールドされた。振りほどくのも変だし、
『まあ大丈夫だって言っていたしな』と……」 流れに任せたAさん。
この時は、職場の上司に「出来ちゃった婚」を報告するはめになろうとは
夢にも思っていなかった─。 これが、いま独身のアラサー女性たちの間で
にわかに急増する“カニばさみ”の実態。「独身のアラサー女性たちは、
とにかく若い社員を捕まえたい。だから、避妊をさせない。しかも、男の側も
上司や周囲から『早く身を固めろ』と圧力をかけられたりするから、結局
従ってしまいやすい」(ベテラン銀行員) 冗談と思われるかもしれないが、
バンクの男性社員間では、「お前もやられたか」「あの娘は‘カニばさみ’
をするように見えなかったけどな。」なんて日常茶飯で語られている。 ≫
▼ 以前、名古屋の花嫁学校の授業の一部を紹介していたが、料理・洗濯・
 行儀見習いなどを教えていると思いきや、何と、〈 男の誘い方、魅力的
化粧と、ファッション、魚(男)の釣り方、漁り方、魚場の在り処 〉が要だった。
この書からみれば、ダカメ女に徹し、少しでも大きく、美味い魚の漁り方。
必殺カニばさみの戦略的妊娠は、逆に女子行員の中で、引継がれている? 
タガメも女道がある!これで一生が決まる幻想があれば、一生懸命になるは!

つれづれに

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  今日のYoutube

 昨日の天候は一日、大荒れだったが、今日は少し落ち着いている。
早朝の寒さは格別だが… 何とか起きて、パソコンの前に座っている。




  ・・・・・・・・・

3616, 忘却の整理学 ー2
2011年02月18日(金)
       「 忘却の整理学 」外山滋比著
この随想日記は、私の「忘却のための整理法」である。 本来、ノートやメモを取るのは忘却をした後に
再び思い出すため。これを書きアップすると、次に出あうのは翌年の同月同日になる。一度記録としてまとめると、
毎年必ず出会うことができる。もう一つの分類コーナーの検索で、思い出したいキーワードを入力すると、過去の
記録が羅列して出てくるから電脳そのもの。そのためアップした文章は、その瞬間には綺麗さっぱり忘れてしまう。 
誰かと雑談をしていて、読み手が書いた内容を憶えいて、書いたばかりの話をすると「そのことは、先日、書いて
ありましたよ」と不思議そうな顔をする。忘却は知的メタボリック症候の回避に有効になる? 一度まとめ、
そして忘却の過程を踏む繰り返しは、新鮮な情報、知識に対する感度は高めてくれる。 起承転結の文章として
書き上げることは、電脳としてのパッケージ化になり、安心して忘却が出来る。
-P31の部分が、忘却と記憶の関係を分かりやすく説明している。―
≪ 記憶はなにもかもすべて覚えようとする。それに対して、忘却は、成功したところ、よいところだけをのこし、
よくないところ、失敗したことが、後に尾をひいて繰り返されないように、取り払ってくれるのである。もし、
失敗した経験がいつまでも生きていれば、何度も同じミスを繰り返すことになって進歩は望めない。よいところだけ
残し、悪いところは廃棄してしまう忘却は、進歩、上達、学習の重要な原則のはずである。 学習においても、
記憶ばかり問題にするのは適当でない。 上達、進歩を支えるのは、後退、失敗の部分を除去する忘却のはたらきは
きわめて大きい。これまでほとんど注目されることもなく、わけもなく、忘れるな、よく覚えておけなどと言われて
きたのは不当である。実に長い間、というより、歴史のはじめからずっと、忘却は故なくして汚名を受けて泣いて
いたと言ってもよい。 記憶が陽であれば、忘却は陰である。陰がなくては陽は陽たることができないはずである。
記憶が活動し成果をあげるには、陰の存在、忘却が不可欠である。両者が協同してはじめて健全な学習、習得ができる。≫
ー忘却の前に、しっかりした記憶こそ大事。人生の前半に職業の変転で、多くの経験をしてきたが、その都度、総括
をして、その記憶を革の袋に入れるイメージにして置いた。だから、あまり人生を振り返ることは最近までなかった。
しかし、数年前から、その革袋から、思わぬ記憶がフラッシュのように飛び出てくる。それも悪くはないが、
後ろ向きである。忘却の彼方の記憶も、何とも抽象的で味わいがある。 ボロボロで途方にくれていた、
あの時の記憶が光り輝いてよぎる。
・・・・・・・
3251, 新・マネー敗戦 -2
 2010年02月18日(木)
  * ドル一極の世界通貨システムの崩壊
「既存の赤字を埋めるには更なる借金をしなければならない米国は、特に90年代以後、製造業を切り捨て
金融大国に変貌し、借金をし続けた結果、米国の公的債務残高はいまや64兆ドル(6000兆円)とも言われている。
現段階ですでに支払い不能は明らか。 米国にとっては、都合のいいときにドルの価値を高め、各国から投資
資金を呼び込み、ある程度借金が膨らんだところでバブルで弾けさせドルの価値を下げ、借金を実質損として
計上できれば、最も少ない金額を支払えば済む。借金体質の米国にとって最も必要なものは、ドルの価値の
大きな継続的な上下である。だが、1971年にドルと金との交換を中止して以来、これを利用した米国の資金集めと
借金棒引きシステムも限界にきた。 金の裏付けをなくしても、これまでは原油という枯渇燃料で価値を保って
きたドルだが、それも各国の原油決済通貨のシフトがユーロなどで行われる現在、米ドル需要減退は時間の問題。
現存する借金をなるべく多く踏み倒すために、米国は同じようにドル暴落を図るしかない」 
ーー
世界の国々は長年、汗水流して貯めた資金の価値を一方的に減額されるのだから変になるが、紙切れしか
発行してないアメリカ本体は、何の問題はない。 そこで金本位制度に戻るか、何割かの金の交換を約束する
部分金本位制度にすればよい。それを見越して、彼等は大量の金を持ち続けていた。しかし日本政府には強力
な圧力で最小の金保有しか認めなかった。 現在でも、アメリカの10分の1以下である。 2001年の9.11テロ
の数ヶ月前に、スイスフランが事前に予知した??が大量に買いに入っていたと著者の岩本は書いている。
 陰謀説は、その辺から出ている。 テロ筋が、スイスフランを買っていたのを察知した金融筋が、それに便乗
したか、それとも為替差損の利益を狙った金融筋がテロを動かしたのか?得体の知れない魑魅魍魎の世界である。 
アメリカの経済学者が公然と、「アメリカの一極支配はソ連・東欧の崩壊と同時に始ったが、まだ序盤である。
金融恐慌とはいえ、圧倒的な海軍を持つアメリカの軍事力がある限り牙城が崩れることなどない!」と断言して
いたのには驚いた。 いまなお、世界はアメリカの手中にあるのだろうか? 
それとも、リーマンショック世界恐慌を引き起こしとことで、大きく弱体化したのだろうか?
これでは、紙切れで原油をかすみとられるアラブの怒りも分からないでもない。イラク戦争も、
ドル一極体制を守るためだった。 今回も、アメリカを除く世界中がマネー敗戦になる。 そう考えると
アメリカこそが諸悪の根源?ではないか。ゴールドマンサックスなど焼け太り.北朝鮮など可愛いもの?
・・・・・・・・
2876, オバマはグランドキャニオンを直視できるか
2009年02月18日(水)
現代思想」ー金融恐慌特集ー の中の「オバマはグランドキャニオンを直視できるか」
 マイク デイヴィス著  の例えが奇抜だが分かりやすい。
 ーまずは、その概要からー
1540年、初めてグランドキャニオンを見下ろした欧州人のカルデナスが、その景眺望に恐れをなして
後ずさりをして、逃げ帰ったという。その三世紀後に、次に見たアメリカ陸軍のイヴスも二回遠征して、
「殆ど凝視に堪えないほどの恐怖」という報告をしている。要は二人とも自分たちが観たものを理解でき
なかった。その後の南北戦争の英雄と地質学者や画家のチームが、コロラド川に取りつかれるが、
その時に初めて、グランドキャニオンは的確に描写されるようになった。数年かけた調査によって、
グランドキャニオンを受け容れる概念が出来たのである。遠く隔たった時間をかけて、想像を絶する
景色を受け入れることが出来たのである。現在の金融恐慌をグランドキャニオンを探検した人々のように、
我われが今回の金融危機を、これまで持っていた理解力を乗り越えることが出来るだろうかと、問題提起。
そしてオバマが今回の危機を直視が出来るのだろうか?と・・
オバマのプランといえば、「社会主義」ではなく、「超資本主義」であり、その中味は、
「少数の巨大銀行に信用を集中して、その大部分を政府系ファンドによって、制御するもの」である。
オバマは、知的にも政治的にも、クリントン主義の気乗り薄な継承者でしかない。
イラクの撤退の替わりにアフガンとパキスタンでの部族戦争を加速する抵当権を設定しただけである。
そして、彼の理想主義が失敗すれば、チェイニーやカール・ロープ、あるいはもっと邪悪な権化が舞い
戻る可能性がある。
 -以上だが、
アメリカの商務大臣を一度受け入れた二人が、たて続きに就任直前に急遽辞退した。 恐らくグランド
キャニオンを、この経済危機の中に見たのだろう。 人類が過って経験をしたことのない、深刻な広さと
深さを見れば誰も後ずさりをする。今度の恐慌は直視しても対策が限られているために、その火の手は
簡単に消すことが出来ない。今年から3~5年間は、深刻な大火災が世界中を燃え上がることになる。
その火は、世界中の国家権力を総動員をしても消し去ることは不可能。
燃え尽きるまで待つしかないから深刻なのである。肌の色?だけでは、消火は無理である。 
自業自得と他山の石として眺めている場合ではない。歴史的日々が続く。
・・・・・・・・・
2008年02月18日(月)
 2511, 黒柳徹子 -2              。・∀・)ノ゛おっは~
 誰でも黒柳徹子のように「好きなことだけをして生きたいが、それが出来ないから苦労するじゃないか?」
という声が聞こえてきそうである。で、どうだろうか?これは自分のこれから自問自答の死ぬまでの問い
かけとして、付きまとう人生に対する影の声になる。「上を見ればきりがない。下を見れば底がない、
横を見れば情けない」という内語と同じ内容である。仕事でも趣味にでも好きなことを見つけただろうか?
見つけたなら、他人のことを羨むこと比較することはないはず。彼女の次の問いかけは人生の先輩として
の真実の声として、よい指標になる。
 --
 胃腸が人一番強かったのが、幸運だった。いつも食べることを考えてきた。いま考えているのは、
足を、どうしたら、今のままで、百歳まで、保てるのか、ということ。これは、ジャイアント馬場さん
亡くなる前に、『徹子の部屋』で、「あなたは百歳まで生きたい
 (字数制限のためカット 2010年2月18日)
・・・・・・・・・
2007年02月18日(日)
2147, 白い雲に乗って ー2       b(^o^)dおっ W(^O^)Wはー♪
先日のつづきの夢をみた。半分は覚醒をしていたのかもしれない。前回の夢が契機になって当時の
イメージが出てくる。如何いうことなのだろうか? それは57年前の世界そのものである。 その世界
から此方をみている感覚と、此方の世界の感覚の間の塀の上での微妙な世界に立っているようである。    
 ーー
白い雲に乗って再び、その世界(4歳)へ行ってきた。そこは前回よりリアルな当時の世界があった。
中央保育園の面接があるというので、目新しい服を着せられて、母の手に引かれて「同じぐらいの小さい子
が多くいるところ」に行った。そこは家から10分ほど歩いた小さな小路にあった。面接のオジサンが
ニコニコしながら色々なことを聞いてきた。母に前もって聞いていたので、驚くほど上手く答えた。
恐らく入れるだろうと思った。家(店)に帰った後、三輪車に乗って前の安栄館というビルの同じくらい
の友達のところに行った。やはり最近できた大きなビルのところの子だ。 何か遊んでいると楽しい!
その数日後に場面が変わり、幼稚園の合格のしらせがきた。手紙を待っていたが、何時までたっても
こないので、お母さんが「落第したのかもしれないけれど、そんなことがないはずだが・・」と言う。
ガッカリしていたところ、合格の葉書がやっと届いたが、凄く嬉しい。クリスマスの飾り付けのため、
二番目の姉の恭子と近くにツリーの飾りを買いに二人で行った。 大きな雪がフワフワと降っている。
ツリーに吊るす色いろなものを二人で選んだ。小さな家とか、星とか、動物とか、人形などがあった。
それを袋一杯に買って家に帰って3Fの食堂で飾り付けをした。ラジオのクリスマスの音楽を聴きながら、
それを他の姉たちと飾りつけた。 ツリーの電飾がいやに奇麗だ!こんな楽しい気持ちは初めてと喜んで
いる自分を誰かがみている。 あれは誰だろう? 翌日の朝、枕元に箱に入ったサンタの贈り物があった。
雪が、ドンドン降っていて窓の下は雪で埋まりそうだ。 突如、周りを見渡すと誰もいない空間に
なってしまった。何処に行ったのだろう、皆は!白い靄がかかり、の中で恐ろしさが襲ってきた。
目をつぶって白い布団を被った。        (o ・д・)ツ  バイ!
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2006年02月18日(土)
 1782, ウオーキング・シューズの話
(字数制限のためカット 2010年2月18日)
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2005年02月18日(金)
 1417, 新シルクロード
 数年前のツアーで、北京からウルムチに飛行機で飛び、そこからタクマカラン砂漠を眼下にみて、ホータン
に渡った。 ホータンからはバスに乗り換えて、シルクロード南道を一路カジュカルに数百キロ走った。右に
タクマラン砂漠を見ながら何処までも続く道は、25年前にNHKが放送をした時に見たシルクロードの景色が続いた。
荷車を牽いたロバと老人の姿が印象的である。1980年に放送され、大ブームを呼んだNHKの大型紀行番組
シルクロード」が、25年ぶりによみがえった。前作では平均視聴率20%を超え、喜多郎のテーマ曲も話題
を呼びシルクロードブームを起こした。当時は遠い遠い異国のイメージであった。25年後の中国の民主化と、
経済発展と 西域での遺跡発掘の進んでいること、などから新シリーズが企画された。日中共同制作の
新シルクロード」(中国編全10回)として、この1月から1年間にわたって放送を始めた。
既に二回放送されたが、見ごたえのある内容であった。 
 (字数制限のためカット 2011年2月18日)
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2004年02月18日(水)
1050, 客観性ってのは何?
金沢にいた頃(25歳の頃)の話になるが、「客観的に」という言葉を、よく使っていたところ
「客観的というが、客観的と勝手に思っているお前の主観ではないか?俺は客観という言葉が嫌いだ」と言われて、
ドキリとした思い出がある。親しかった金沢大学を出たばかりの寡黙の哲学的な男であったから、なお答えに窮した。
それから客観的という言葉を控えるようになった。 「事実」は「客観的事実」と「自己ー主観」にわけることが
できる?が、その「客観的事実」も突きつめれば、あくまでも「主観」でしかない。主観と客観の違いは、あくまでも
情報量の比較の世界でしかない。または自分を隠す手法になるケースが多い。(多いほど客観的といっているにすぎない)
真理を追究する科学者は、その目指すところは「客観的事実である」それも、次の真理へのステップでしかない。
この随想日記も、「自己の主観」を第三者の目に曝けだして客観性を鍛えていることになるが。
今まで書いてきた文章を読みかえして、支離滅裂の内容は自分自身でも妥協できないものだ。「自己主張ー主観」
が客観的?に充分耐えられことがまず重要になる。その意味で、常に内省を繰りかえさなくてはならない。
文章化は自己客観化への一歩といってよい。テーマの内容を起承転結の筋道をつけることは脳の機能を有効に使う
ことになる。「万物の霊長類である人間の最大の特質は言葉を持った」ことである。この随想日記を書くように
なって、自分の考えをより客観視出来るようになった。それも55歳過ぎてからのこの三年間である。書き手と
しての視点を外と内に向けざるを得なくなったからだ。 随想日記というからには「起承転結]をハッキリさせ
なくてはならない。これが思考能力を飛躍的に伸ばしてくれている。特にインターネットの検索が使えることが
最大の武器になった。テーマさえ決まれば情報はいくらでも取れる。 今まで、社内報の原稿や手紙を書くときは、
メモ用紙に下書きして、書き足しや書き直しをした後に、清書をしていた。ところが現在はパソコンに思いついた
ことを随時書いた後に文章化と添削をするようになった。これで書く量が飛躍的に増えた。 
またパソコンを開けば、そこが書斎になってしまうことで、隙間時間に気楽に書き込めるようになった。
文章が(紙という物質を媒体をしていたものが)パソコンの画面という非物質の媒体になってしまった。
気楽に他の文章をコピーをして貼り付けて加工さえ可能になった。紙から開放されたのだ。これは書き手にとって
革命的な大事件である。文章化が客観性への第一歩なら、ここで飛躍的に変化したことになる。
紙に書くこととワープロでは、自転車と飛行機の差以上であろう。だから毎日こういう随想日記も書けるのだ。
ここにきて当初の五分の一のエネルギーで済むようになった。 本を出すことを考えている訳でもないし、
興味本位で書いているだけでもない。自転車から飛行機に乗りかえて、今までとは違った視野ができたことの
自由さと一日単位の達成感が味わえるから書いているのだ。自己慰安が最大の動機かもしれないが。
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2003年02月18日(火)
685, 値段のカラク
ダイヤモンド価格の話である。世界で一般にダイヤと金は物質的な価値基準になる。動乱で最後もって
逃げる物質として、コンパクトで便利な塊である。どこの世界でも通用する。買った宝石を高価と思って
いたが質屋に持っていったら、ぜんぜん値段がつかないことはよくあることだ。じつは、宝石の原価には、
面白い原則があるという。 全体の値段が高いものほど、原価の占める割合が大きいのだ。たとえば、100万
クラスの指輪だと、原価が20~30万。ところが、20万だと、原価は1~2万いやそれより以下だ。宝石は買った
と同時に10分の以下になると考えてよい。数ヶ月に一回位、5~8割引の宝石などのチラシが入ることがあるが、
あれはゴミ?である。それで満足するのもそれでよいが。規格外の小さいゴミを飾り立てているのだから、
面白い。20万クラスの宝石が売れた場合、原価が10%だが、
・メーカーが15パー  ・卸商が25パー  ・最終の販売店が50パー
三越伊勢丹や阪急などの百貨店は、地下の食品で釣って、1~2Fの宝石・装飾品売り場で、無知の客を吊り
上げ詐欺師商法に近い事をしている。詐欺?を自覚しているから、詐欺るためにあらゆる仕掛けをつくってある。
50?のいや80?の利益を得る為にあらゆる手段を使うのだ。これしつこくいうが、三越高島屋が実際やっている!
老人を集めて、飯を食べさせて、詐欺同然の商法を今も実際やっているのだ。十数年前にハワイの飛行場の
免税店のテナント料が、売り上げの70数?が報道された事があった。売れ残りのブランド物を10~20倍の価格
をつけて売っているのがばれてしまった。JTBとか日本旅行が安いツアーで、詐欺同然の店に連れて行って
騙して、原価10%の商品を売りつけていた。無知という事は、本当にかわいそうなことだ!
今の日本のデフレも、こういう仕掛けが壊れているだけでしかない。これはデフレというのだろうか?
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2002年02月18日(月)
 335,読書について
・大学にいってよかったのは、「都会の人は本を読んでいる」ことを知ったことだ。
  ー読書の必要性を学生生活を通して実感
・特に基礎教養としての読書の必要性、しかしノウハウ書の重要性も馬鹿にできない
・知識・情報を得る手段として、人間と本そしてラジオ・TV、今はパソコンのインターネットである。 
 その価格や内容からみて、まだまだ書物を超えるものは無い。 「おおよそ500円から5000円」
   の間でこれだけの情報が詰まっていて、手軽にあつかえるのは今のところ他に無い。
・時空を超えていろいろな人と邂逅できる。 頭の中のバーチャルの世界の触発をしてくれる。
・よい本は自身の中の悪い情報を、どんどん弾き出す働きを持つ。
・特に学校を出てからの読書が大事である。
・学歴でなく、学力が最も重要である。その力を効率良くつけるのが読書だ。
 他人の話を聞けない人の特性が「読書の重要性」のわからない人だ。
・一般に言う「井戸端会議のおばちゃん」は、本を読まない人の別称と言える。いや蔑称か。
・卒業をしてから大体平均2~3時間は読んできて、この程度の学力だ。
‘子狐’の中に「もしかして全く読んでない自分の姿」をみた時、背筋の寒さを覚えた。
   世間には凄い人が多い、それも過去の人の中に無限に存在している。