* 遊びをせんと生まれけむ!
 人間の価値は、それぞれ重複するが、遊び、働き、学び、と分けて考えると
理解しやすい。何処に重きを置くかになる。それも時節により変化する。
幸福を目指すか、充実した人生を目指すかにより大きく左右される。世の中
には生れつき幸福な人がいる。波乱万丈としても、加山雄三は、その部類に
含まれる。その趣味がヨットであることは、よく知られている。
 そのヨットが全焼したというニュースが流れ、加山が涙を流した映像が映し
出されていた。 問題は、保険に入っていたかどうか。入ってないとしても、
80歳の年齢からして、そう遠くない旅立ちの未練が少なくなり、むしろ幸い、
穿った見方も出来る。

《 西伊豆町の港で、俳優で歌手の加山雄三が事実上のオーナーのプレジャー
 ボート「光進丸」が炎上した火災で、出火当日に船内でエアコンなどの点検が
行われていたことが2日、下田署への取材で分かった。同署は出火との関連の
有無を調べる。同署によると、船を管理する地元の船舶修繕会社の従業員が1日
午後1時ごろから約1 時間、船内で作業した。エアコンは、カビの発生を防ぐ
ため常時稼働しており、点検でも異常はなかったという。火災は1日午後に発生。
出火当時、船は無人でけが人はない… 》

「遊びをせんとや生まれけむ 戯(たわぬ)れせんとや生まれけん
遊ぶ子供の声きけば 我が身さえこそ動( ゆる)がるれ」

▼ このヨットは、27歳の時に自ら設計に加わり建造した中型クルーズ船「光進丸
の3代目。値段は4〜5億。趣味として、自ら設計に加わったヨットの航海は最高の
贅沢な遊びになる。幸福を絵に描いたような男の一人である。
 幸せな男としてと絞ると、は、植木等(タレント)、赤塚藤雄(漫画家)、
関野吉晴(探検家・人類学者・外科医)、数年前に亡くなった鳩山邦夫などが
あげられる。逆に野球一つに絞った長嶋茂雄のようなの幸せがある。 関野は、
アフリカからユーラシア大陸を経て、 広大な無人の新大陸(南北アメリカ大陸)
へと旅した。グレート・ジャニーなどの旅をするために医師になった冒険家。
加山雄三に似て趣味を貫徹するために職業を選択している。
 7年前に事業整理を決断したが、その時に思ったのが、このヨットのこと。
ホテルとヨットを類推して、<彼がヨットを失っても、設計段階から参加した
ヨットの創造の喜びと、航海を楽しんだ行蔵は酷似している。元は、そこで既に
取ってあることを当事者以外は知り得ない!> と、思っていた。 1〜2年も
しないうちに、彼も諦めがつく? まさか、その心の内を吐露するわけがない。
しかし、悔いは少ないはず。
 わたし個人として、遊びの切口では、9割方は満足しているが、まだまで遊び
足りなかったという悔いは少しかない。加山と比べようがないが、羨ましい限り!
 そこで… 「上を見れば、キリがない、下を見れば底がない、横をみれば
情けない!」の言葉が浮かぶが。これも元もと少ない。 人生、こんなもの!

・・・・・・
4401,フランクル ーつれづれに
2013年04月04日(木)
   * フランクル
 昨日、何気なく昼、NHK/Eテレをまわすと、≪フランクル“夜と霧”
−終−第4回「苦悩の先にこそ光がある」≫を放送していた。フランクル
著書は何冊か読できたが、いずれも大きな感銘を受けた。 
  ーNHKのブログによると、
【 フランクルは、生きる意味は自ら発見するものであり、苦しみは真実への
 案内役だと説いた。最終回では、フランクルの言葉に支えられながら生きて
きたという、姜尚中さんをスペシャルゲストとして招く。姜さんは「与えられた
運命を引き受け、それをバネにすることで成長が生まれる」と言う。先行きの
見えない不安が広がっている今、わたしたちは生きる希望をどのように見いだす
べきなのだろうか。「夜と霧」から考える。】とあった。
メモを取ってなかったので、少し文言は変わるが、
《 ◎ 成功、失敗は左右の水平軸に分けられるが、縦線の上に意味、
  下には絶望・苦悩を置いて縦横の立体で捉えるべき。
 ◎ 砂時計で上の砂が真ん中の細い管を通って落ちて、下に溜まる。
  上の部分が未来、細い管の部分が現在、下が過去になる。私たちは
  下の過去に重きをおかないが、苦悩などを含め必死に生きた管(現在)
  を過ごした過去は、充分に価値があり、その人そのものになる。 
 ◎ 苦悩とは、人間を成熟させて真実の自分を呼び覚まし、
  生きる意味を成就させるチャンスそのものになる。
 ◎ 人生に期待するのでなく、人生の方が私たちに期待している。》が印象的。
 フランクルといえばー自己超越のための3つの意味(価値)ーが、挙げられる。
1・創造価値: 創造行為を通して得られる意味 =仕事・子育て・学問・芸術
2・体験価値: 体験を通して得られる価値・意味 =自然・芸術・愛
3・態度価値: 運命に対し模範的な態度を取ることで得られる価値・意味=
  極限状況の中での尊厳ある態度。また、ー人生には発見されるべき価値や
  意味があるーとして
1・意志への自由 (いかなる境遇でも自由意志を持つことができる)
2・意味への意志 (意味と目的を発見し充足するのは人間の努力である)
3・人生の意味  (創造・体験・態度など生きる姿勢の中に意味を見出す) 
 の3つを上げている。フランクルは、「生きるとは価値判断(学習)と選択の
連続である」という信念が一貫してある。よく遊び、よく学び、よく働くことだ。
それに私の考えを加えれば、喜怒哀楽を開放してやることだ。
・・・・・・・
3661, 9・11、9・15、それをしのぐか3・11
2011年04月04日(月)
 この3・11災害は、2001年のイスラム教徒によるテロの9・11、そして現在も
進行中の2008年の9・15をしのぐ歴史的出来事である。地球温暖化の中で原子力
発電が容認され、世界中が原発建設を競争するように計画・建設されている潮流
での惨事である。思いもよらない「震度7、マグネチュード9の大地震と大津波
そして原発事故と放射能汚染」である。リーマンショックで既に日本経済は
崩壊を始めていた上に、これ。今年から来年にかけて経済動乱が予測されたが、
3・11の衝撃で、日本の存続の根底を揺るがすだけでなく、地球規模の危機に
なってしまった。 10年前の9・11事件は、欧米とアラブの文明の衝突が露出し、
それ以降、世界が変わっていった。そして2008年9月15日のリーマンショックは、
米英の金融支配の構図を根本から破壊してしまった。今年から来年にかけて、
世界規模の経済動乱に入りかけていた矢先に、こともあろうか、日本発の歴史的
大惨事である。 これは人類史上に残る歴史的大事件であり、これまで人類が
営々と積み重ねてきた文明を否定する象徴的事態である。それも66年前に
日米戦争で原爆を二回も落とされた国で起こった惨事である。20年前に経済
バブルがはじけ、右下がりが続いて、去年になて経済力を中国に抜かれ世界
第三位に落ちてしまった。 今世紀に入って僅か10年の間で大事件が三回も
起こっている。9・11、9・15、そして3・11の惨事である。これは9・11、
9・15の歴史的大事件をしのぐ大惨事が日本で起ったのである。
当然ながら国内は情報コントロールをされているが、日本人は無防備に、
そのコントロール下にある。入手できる範囲の情報で、あとは自分の勘を頼る
しかない。そして、その勘にしたがって、判断をするしかない。原発事故と
放射能汚染は、日々一刻と進んでいる。その結果は? この国は大震災の日
をもって、それ以前、以降といわれるほど、根底が変わってしまったのである。
被災民は、全国民!
・・・・・・
4768,ぼんやりの時間 ー2
2014年04月04日(金)
     * 「ぼんやり」礼讃    『ぼんやりの時間』辰濃 和男 (著) 
 受験期に「ぼんやり」していたら、一生を棒にふることになるし、弱肉強食の
世界では生きていけない。逆に、ひたすら人生を戦いにくれるのも、問題が残る。
時代が世界的大不況に入って、ひと握りの人たち以外は、決して物質的に豊かに
なれない時代。だからこそ大部分の者にとっては、「のんびり」生きる方が良い。 
ここで、リタイアーを向かえた人は、思い切って舵を変えなければならない。
これまで否定的だった「のんびり」こそ礼讃するに値する時節到来ということ。
 ーその辺りから
《 ・・なにはともあれ、自分でぼんやりしてみるのがいちばんだと思う。
 小さな公園のベンチでもいい。コーヒー店でもいい。鎮守の杜の木洩れ日の
なかでもいい。外に出るのが面倒なら、家のなかでもいい。とにかく、ぼんやり
を体験してみること、まずはそこから始めたい。一番いいのは風の吹き抜ける
静かな場所に坐り、背を伸ばし、肩の力を抜いてみることだろう。
深呼吸をする。坐っていても、立っていても、深呼吸のやり方は変わらない。
深呼吸は息を吐くことに重きをおく。吐いて、吐いて、さらに吐く。細く長く
吐ききるまで吐く。あなたのからだはまだまだ硬い。ゆったりした気分になり、
さらに肩の力を抜いてみる。下腹たんでんの丹田を意識する。
 深い呼吸をしながらぼんやりしていることが、あなたにとって快い状態に
なればしめたものだ。ときには、静寂が皮膚にしみこむのを体感することが
できるかもしれない。静寂のなかでぼんやりするとの気持ちよさを味わう
ことができれば、それは至福への道の一歩になる。近所に、緑のゆたかな
大きな公園があれば、なおさらいい。そういうところは、きっとあなたの好き
な木が何本かあるはずで、好きな木の前に立ってぼんやりする時間をもちたい。
「ぼんやり」という言葉と「貴い」という言葉は、ふつうあまり結びつかない。
しかし串田は、それを手品師のように鮮やかに結びつけている。
その結びつけ方があまりにも鮮やかで、あまりにも自然なので、私はすんなり
と合点した。よく考えてみれば「ぼんやり」と「貴い」を結びつけるのは、
相当の力技かもしれない。串田の数々の文章を読み、それらはみな、長い黙想の
なかで湧き水のように流れでてきたもの、という感じを私はもっている・・ 》
▼ ヤフーのブログに、現在、ネットで拾ったフィジーの写真を載せている。 
 地域柄、何ごともおおらか。挨拶がハワイの『アロハ』のように『ポレポレ』。
こんちは、さよなら、ありがとうなど、全て、この一言で済む。大柄で、スロー
テンポで、陽気で、こころ優しくぼんやりしている。先進国が優れている!が、
戯言と、直ぐに教えてくれる。自然の豊かさと思いやりが人間の貴品をつくる。
3月半ばの15時からポタリングを再開した。途中で5分ほど信濃川の土手で
休憩しているが、早速、10分間に延長、「ぼんやり」してみたが、なるほど、
気分は良い。が、5分過ぎると、そわそわ、その後の5分が長く感じた。
今度は、バスタオルを持って、ベンチで延び延び寝てみたい。信濃川の土手で
春うららの中の転寝は、気持ちが良い。他人様の転寝を見ていたが、自分に
置き換える知恵が全く無かっただけ。 スポーツジムのマッサージルームで毎日、
20分間、ボッケっとしているが、確かにリラックスする。生きているうち、
元気なうち、ぼんやりできるうち、である。 最後は、痴呆症でぼんやり?
・・・・・・
5863,在宅医療の現実 〜こんなはずじゃなかった
2017年04月04日(火)
  * こんなはずじゃなかった〜医師・早川一光
多くの死を見送り、在宅医療を患者の立場になって推し進めてきた老医師が、
いざ自ら癌になり、在宅医療の患者になった時、出てきた言葉だからこそ重い。
去年、近くの従兄が亡くなったが、家人の挨拶で、『最期の入院をした時に、
家で死にたいと強く言われたが、出来なかったのが心残り!』と語っていた。
 しかし、在宅医療にも限界がある上に、死を目の前にした恐怖と苦痛緩和
のための設備は、病院の方が良い。その判断は本人より、医師に委ねられても?
その難しい問いかけを、真正面から取り上げている。
♦ まずは、京都新聞で2016年1月から週に1度連載された、早川一光さんの
 聞き書き「こんなはずじゃなかった」より。 (2016年5月26日放送)
≪ 地域医療のパイオニアとして知られ、NHK連続ドラマのモデルにも
 なった老医師が、がんになりました。自宅で、自らが作り上げた手厚い
在宅医療、在宅介護に支えられながら、医師は、「こんなはずじゃなかった」
と語り、それを名にした新聞連載を始めました。医師の名は、早川一光、92歳。
 戦後、京都市西陣で住民立の堀川病院を作り、「在宅医療」という言葉も制度
もなかった時期に積極的に地域に出る活動を展開。「西陣の路地は病院の廊下や」
を合言葉に、病院を出ても安心して医療を受けられる体制を整えました。
「わらじ医者」の愛称で親しまれる老医師が、自ら患者になり、死を見つめた時、
現在の医療や介護について何を感じ、何を伝えようとしているのでしょうか?
「こんなはずじゃなかった」とは何を指しているのか?
 番組は、自宅のリビングに置かれたベッドで一日の大半を過ごしつつ発信を
続ける早川医師の暮らしを描き、未来に向けたメッセージを聞き取ります。≫
♦ 次は、NHKスペシャルのHPより
≪ 医師 早川一光さん 人生のしめくくりを支える“在宅医療”の草分け
 3年前から自宅で療養生活に 口から出たのは「こんなはずじゃなかった」
自らの死を見つめる医師 医療の未来に向けたメッセージ。
 ただ命を長くするだけで人は幸せになるだろうか?
1950年 京都 西陣の人がお金を出し合って作った診療所。所長は当時26歳の
早川一光さん 。目指したのは「在宅医療」と「訪問看護」精力的に続けた
活動はやがて国の制度に取り入れられた。早川さんはいま93歳
「俺は何をしてきたんやろう。今が天国かと思うと、かえって地獄じゃないか」
「早川先生が死ぬのを怖がってる姿はものすごく意味があると思います」
と看取りを託す根津医師。
「人を看取る時、医師にはなにができるのか?」と、ベッドの中から問い続ける
現在、自宅で亡くなる人の割合は全国で1割ほど。
【心に残った言葉は?】に、 「生きて、生きて、生きとってや。

▼ そう遠くない近将来に、私にも間違いなく直面する問題。
「出来ることなら 自宅で」という思いは誰にでもあるのだろうが… 
この番組を見て、これでキッパリ、病院で死ぬと思い定めることが出来た。 
その後は、早川医師、持ち直し?現在も御存命のようだ。 当人と在宅医療
医師、そして老妻と語る言葉の一言一言が非常に重く響いてくる。 老いれば
老いるほど、心の奥から沸き上がってくる「こんなはずじゃなかった」の思い。
「私の人生、こんなものか」なら、まだしも。 特に私には? いや、万人か!
・・・・・・
5133,知の逆転 〜?
2015年04月04日(土)
   「知の逆転」〜ジャレド・ダイアモンド , ノーム・チョムスキー&他
 * まずは概要から
                〜 内容(アマゾンより)
< 「二重らせん」構造を解明したワトソン、「普遍文法」を提唱し言語学
革命をもたらしたチョムスキー…限りなく真実を追い求め、学問の常識を逆転
させた叡智6人。彼らはいま、人類の未来をどう予見しているのか。
「科学に何ができる?」「人工知能の可能性は?」「情報社会のゆくえは?」
 ―現代最高の知性が最も知りたいテーマについて語る興奮の書。>
  〜ビュアーの書込みが、概要を簡潔に言い表している。
《 本書は、元NHKのディレクターのサイエンスライターによる、知の巨人たち
への質の高いインタビュー集だが、ピックアップされた知の巨人たちが豪華。 
・名著『銃・病原菌・鉄』の著者ジャレド・ダイアモンド
生成文法理論で言語学・哲学にパラダイムシフトを起したノーム・チョムスキー
・映画にもなった『レナードの朝』の著者・神経学者のオリバー・サックス
人工知能の父と称されるマービン・ミンスキー
・アカマイ創業者・数学者のトム・レイトン、
・DNAの二重らせん構造を明らかにしたノーベル賞のジェームズ・ワトソン。
 インタビュー集なので、個々の情報はそれほど深くはないが、それでも、
知の巨人たちによるこの世界の解釈には、何度もうならされました。・・(略)
 文学も音楽も芸術も、思い込みと想像と誤解に支えられてきたけれど、
たくさんの情報がそれぞれ本来の姿をよく映し出すようになると、思い込みと
想像と誤解が減った分、それらの世界が必要以上に大きく見えることもなく
なってしまった。中東紛争はじめ、インターネットを通して世界中の様々な
人間の生きざまを目のあたりにすると、この生は仮のもの、この世にあるもの
全ては悲しいものという、『方丈記』の意識が、時代精神となってくる。
いきおい深いかかわりを避け、食べるものも着るものも住む処も、そして人に
さえ、こだわりを持つことを避けるようになる。生物として自分をアピールする
ために、他の人間と少しは違っていたいけれど、こだわるほどの、つきつめる
ほどのことはない、とー。潤沢な情報は、かくしてロマンを奪い去りつつある。
唯一ロマンが残っているとすれば、それは人と人・人と物・人と雰囲気との
ケミストリー、波長と言ってもいいかもしれない。波長が合うかどうか、人は
まだほとんど制御できないものだから。人生は出会いが全てかもしれない。
人や動物や物との出会い、色彩音楽や一文との出会い。この世で生きるのは難儀
だが、わずかでも強く心に残る出会いがあれば、それでけっこうやっていける。》
▼ インタビュアーの質問が、鋭く、その返答そのままが、読者にとって
 理解しやすい。特に私が知りたかった、「情報社会のゆくえは?」は、面白い。
学問の常識を逆転させた彼らの視線は、私の常識を根こそぎ破壊してくれる。
この年齢での常識の破壊こそが日々を面白くする! 我が内なる常識の壁。
「あとがき」の6人に対する評がよい。 「ダイヤモンドは静謐にして鋭い室内楽
チョムスキーは鮮明にして華やかなオペラ序曲、サックスはカラフルで心地よい
ジャズ、ミンスキーは一つのテーマにクールに焦点を当てたソナタ、レイトンは
ドキドキするほど生きのいいロック、そしてワトソンはサイエンスを基にした
コンチェルト、といった感じでしょう。」  私には書けない言い得て妙の評。

・・・・・・
5498,閑話小題 〜『男って、定年になったらいらないのよね!』〜?
2016年04月04日(月)
           『老いかたレッスン』渡辺淳一著 より
   * 産業廃棄物の末路
 第二の人生の準備のない人の末路は哀れである。
この言葉は、著者の淳一が、老後の生き方の講演で、聞こえてきた言葉。
リタイア後、邪魔者扱いされている団塊世代の夫に対する、奥方の、
『男って、定年になったらいらないのよね!』が、耳に聞こえてくるようだ。
私自身が、その一人だからこそ身にしみる。ただ、少し離れた仏間に、書斎・
兼パソコン・コーナーをつくって棲み分けて、何とかバランスがとれている。 
また日中は、互いに違ったスポーツ・ジムや図書館に行ったり、別行動が多く、
それで丁度良い間隔が出来ている。 一般的に、夫は妻より7〜8年も早死に
するが、これも長年の仕事からくる磨耗の結果。
 雄ライオンも、支配下の群れを、何時か、より強いのに敗れて乗っ取られた
後は、離れライオンとしての野垂れ死が待っている。先日、旅行帰り立寄った
居酒屋で、何処かのOBらしきグループ7〜8人が、不在の元同僚の悪口が、
襖を隔て聞こえてきた。退職後も、会社の首輪と紐を付けたまま集まって、
昔の傷口を舐めあっている姿が、痛ましい、というより何とも哀れ。
定年後の寂しさを紛らしているようだが、せっかく解放されて、自由を謳歌
できるのに、今さら何だろう? 飼い主の家が全世界で、それも仕方がない
といえば、ないが。 こういう人が、四六時中、家でゴロゴロしていたら
連れあいは、地獄。そういう私も大同小異。 それでも一日単位では、
スポーツジム、図書館、早朝の一時間のミニ・サイクリングに。週単位で、
シネマと、月単位では、何処かの飲み会に。年単位は、家内の鞄持ちの旅行と、
何とかバランスを保っているだけ。
 一般的に、夫が驚くのが妻の外出の多様さという。何せ、長年の主婦歴と、
横に繋がる人間関係が幅が違う。『あの人は、息子の小学校時代の友達の母親
で気が合うの』とか、『今日は大学の同郷OB会の幹事の打ち合わせ』とか、
地元密着型。 ところが、男は縦社会の他動型ロボットで、指示をされないと、
動けない。 「自由の不自由」で、自失呆然。 家に篭るが、妻から家から、
追い出されて、午前は図書館か、公設のSJ辺り。午後からはSCのベンチで、
人通りを眺める日々。これが慣れると悪くないらしい。
そこで、小遣い格差と教養格差がシリアスに出てくる。   ーつづく
・・・・・・
4027, シングルイン、31年間の総括 ー7
2012年04月04日(水)
   * デフレの直撃
 ホテル物件は直ぐに相場の半値八掛で買い手が現れ、ホテル名をそのまま
引き継ぎたいというので快諾した。せめて名前が残れば有難いこと。結果と
してはオーナーのリストラ。 ある人が、「ホテルの買い手がいるんですか?」
と聞いてきたので、「‘やれる’と、‘やれると思う’は別物」と答えた。 
「この30年の数字と経験から無借金でプラマイゼロ」と思っても、「やれる!」
と思う人が現に出てきた。三年間持ちこたえるかが目安だが、道路買収の時期
が問題。無借金なら、面白い?私なら絶対に手がけない。これも「私の思い」。 
経営環境が厳しくなると長所にも想えた4棟分割が合理化の妨げになっていた。 
分かれている長所は、在庫過剰になった時に棟ごとの業態変更が可能。
現に長期滞在型への業態変更と、二棟の1F部分のテナント化は思惑どうり。
しかし棟が分かれ中途半端の規模は、総人件費の削減と、諸経費削減に不利に
なっていた。 デフレも、資産デフレの直撃が大きい。土地の相場が、30年前
の3分の一以下、土地購入値の3〜4分の一は、厳しい。インフレであれば、
半分も返せば8割以上返済したようなもの。今回の資産暴落は、返済総額より
遥かに実質借入が増加の結果となった。この物件を半値八掛で買った新しい
事業者が更に絞り込んだコストで、既存のホテルに対抗するために更に価格を
下げて、市場に挑んでくれば、一段のデフレが進む。資産も半値八掛で資産
デフレの材料になる上に、価格の下げ圧力になる。デフレスパイラルである。
しかし光熱費は原油高で二倍、人件費も高騰、金利高なら、スタグフレーション
になりざるを得ない。 恐ろしい限りである。何度も書いているが、本当に
恐ろしいのは,その後のハイパーインフレ。これが恐慌の本体である。
その境目が、今年になる。

つれづれに

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 今日のYoutube


今朝の朝チャリで、信濃川土手への道すがら、福島江の桜並木を
見てきたが4分咲。明日から明後日が、見どころになる。

自宅の梅も満開。


・・・・・・
・・・・・・

5498,閑話小題 ~『男って、定年になったらいらないのよね!』~①
2016年04月04日(月)
           『老いかたレッスン』渡辺淳一著 より
   * 産業廃棄物の末路
 第二の人生の準備のない人の末路は哀れである。
この言葉は、著者の淳一が、老後の生き方の講演で、聞こえてきた言葉。
リタイア後、邪魔者扱いされている団塊世代の夫に対する、奥方の、
『男って、定年になったらいらないのよね!』が、耳に聞こえてくるようだ。
私自身が、その一人だからこそ身にしみる。ただ、少し離れた仏間に、書斎・
兼パソコン・コーナーをつくって棲み分けて、何とかバランスがとれている。 
また日中は、互いに違ったスポーツ・ジムや図書館に行ったり、別行動が多く、
それで丁度良い間隔が出来ている。 一般的に、夫は妻より7~8年も早死に
するが、これも長年の仕事からくる磨耗の結果。
 雄ライオンも、支配下の群れを、何時か、より強いのに敗れて乗っ取られた
後は、離れライオンとしての野垂れ死が待っている。先日、旅行帰り立寄った
居酒屋で、何処かのOBらしきグループ7~8人が、不在の元同僚の悪口が、
襖を隔て聞こえてきた。退職後も、会社の首輪と紐を付けたまま集まって、
昔の傷口を舐めあっている姿が、痛ましい、というより何とも哀れ。
定年後の寂しさを紛らしているようだが、せっかく解放されて、自由を謳歌
できるのに、今さら何だろう? 飼い主の家が全世界で、それも仕方がない
といえば、ないが。 こういう人が、四六時中、家でゴロゴロしていたら
連れあいは、地獄。そういう私も大同小異。 それでも一日単位では、
スポーツジム、図書館、早朝の一時間のミニ・サイクリングに。週単位で、
シネマと、月単位では、何処かの飲み会に。年単位は、家内の鞄持ちの旅行と、
何とかバランスを保っているだけ。
 一般的に、夫が驚くのが妻の外出の多様さという。何せ、長年の主婦歴と、
横に繋がる人間関係が幅が違う。『あの人は、息子の小学校時代の友達の母親
で気が合うの』とか、『今日は大学の同郷OB会の幹事の打ち合わせ』とか、
地元密着型。 ところが、男は縦社会の他動型ロボットで、指示をされないと、
動けない。 「自由の不自由」で、自失呆然。 家に篭るが、妻から家から、
追い出されて、午前は図書館か、公設のSJ辺り。午後からはSCのベンチで、
人通りを眺める日々。これが慣れると悪くないらしい。
そこで、小遣い格差と教養格差がシリアスに出てくる。   ーつづく
・・・・・・
4027, シングルイン、31年間の総括 ー7
2012年04月04日(水)
   * デフレの直撃
 ホテル物件は直ぐに相場の半値八掛で買い手が現れ、ホテル名をそのまま
引き継ぎたいというので快諾した。せめて名前が残れば有難いこと。結果と
してはオーナーのリストラ。 ある人が、「ホテルの買い手がいるんですか?」
と聞いてきたので、「‘やれる’と、‘やれると思う’は別物」と答えた。 
「この30年の数字と経験から無借金でプラマイゼロ」と思っても、「やれる!」
と思う人が現に出てきた。三年間持ちこたえるかが目安だが、道路買収の時期
が問題。無借金なら、面白い?私なら絶対に手がけない。これも「私の思い」。 
経営環境が厳しくなると長所にも想えた4棟分割が合理化の妨げになっていた。 
分かれている長所は、在庫過剰になった時に棟ごとの業態変更が可能。
現に長期滞在型への業態変更と、二棟の1F部分のテナント化は思惑どうり。
しかし棟が分かれ中途半端の規模は、総人件費の削減と、諸経費削減に不利に
なっていた。 デフレも、資産デフレの直撃が大きい。土地の相場が、30年前
の3分の一以下、土地購入値の3~4分の一は、厳しい。インフレであれば、
半分も返せば8割以上返済したようなもの。今回の資産暴落は、返済総額より
遥かに実質借入が増加の結果となった。この物件を半値八掛で買った新しい
事業者が更に絞り込んだコストで、既存のホテルに対抗するために更に価格を
下げて、市場に挑んでくれば、一段のデフレが進む。資産も半値八掛で資産
デフレの材料になる上に、価格の下げ圧力になる。デフレスパイラルである。
しかし光熱費は原油高で二倍、人件費も高騰、金利高なら、スタグフレーション
になりざるを得ない。 恐ろしい限りである。何度も書いているが、本当に
恐ろしいのは,その後のハイパーインフレ。これが恐慌の本体である。
その境目が、今年になる。


・・・・・・
2921,不況景色 ー10
2009年04月04日(土)

 * 上野動物園が入園300万人を切る
一昨日のニュースで、上野動物園の入園者が60年ぶりに300万人を割ったと報じていた。
前年より妬く60万人減というから20パーセント減になる。
パンダが死んで居なくなったことと、この不況が直撃という。
9月半ばから4~5割減ということになる。 家計面で節約対象になったようだ。
また、オーケストラの公演が個人や一般企業の寄付の激減で大赤字に転じていると報じていた。
恐慌状況の中、なかなかオーケストラを聴こうという気になれないのも分かる。
 ーー
 * 金融サミットで
金融サミット「20G」が開催され、首脳宣言が採択されたが、何か首を傾げてしまった。
公式とは違う決定もなされたのだろうが・・・
  ー金融サミットで合意した主な項目ーは、以下の通りで。
 ▽2010年末までに計5兆ドル(約500兆円)の財政出動により経済成長率を4%押し上げる
 ▽各国中央銀行は、非伝統的手段を含むあらゆる金融政策手段を活用
 ▽為替の切り下げ競争は行わない。2010年末まで新しい保護主義的な措置は取らない
 ▽ヘッジファンドを金融規制・監督の対象とする。タックスヘイブン租税回避地)の規制強化
 ▽IMFの資金基盤を7500億ドルまで増強する
 ー 世界のGDPは5000兆円というから、その一割を緊急に財政投資をしたところで、
 何処まで効果があるか、非常に疑問を感じる。 世界恐慌は3~4割のGDPが失われるから、
 年間1500~2000兆円が失われる。そこに3分の1位を投入しても焼け石に水
 しかし20Gで世界のGDPの8割を占めるというから、半年に一度、一堂に会して即断することは
 世界的経済の大惨事を避けることが可能という面では、非常に有効がある。
 ーー
 * 4月に入って、更に悪化
去年の11月後半から、金融危機の影響が経済の現場に深刻に現われてきた。今回の経済危機の第二波である。
そして第三波が、この4月に入って襲い始めてきた。 予測はしてが、やはり現象として直面すると凍りつく。
ただし政府が、三月決算を乗り切るため思い切った緊急融資を上から押し込んだために、とにもかく平穏を
保っている。しかし、決算の結果が表面化する5月になると一挙に現象に現れてくることになる。

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2557, 印度放浪 ー2
2008年04月04日(金)

この本に著者・藤原新也の《語録》というコーナーがあるが、深い言葉が次々と出てくる。
40年前の25歳の言葉だから恐れ入る。 印度という国が、彼の精神を育てたのか、元々持っていた素養
なのか。読んでいるうちに、いつの間にか自分と比べている。そして、小さな世界の中で、小さな習慣に
甘んじている自分が浮かび上がってくる。比べること自体がおかしいが。 その一部を抜粋してみる。
 ーーインドへの準備はとういうものだったんですかーー
二つある。捨てること。それに準備しないこと。僕の場合はね。学校。アパート。
家具。本。捨てて支障のないものは全部捨てたり、売り払ったりしたんだけど、そうしてみると、
案外ほとんど自分の身の回りのものに切実に必要なものは、歯ブラシぐらいのものってことがわかる。 
さっぱりしたよ。 準備しないってのはね。情報を一切入れなかったことだね。旅の目的地に関する。
情報を入れれば入れるほど安心はふくらむけど、実像は遠ざかるよ。
十人の人が同じ情報を頭にぶち込んで「自由の女神」を見た場合、皆同じようにしか見えないんだね。
今の情報化社会の旅はこの病が恐ろしく深い。 むしろ実像を見るのが怖いってことなのかな。
実像が自分を侵さないように情報によって保護膜を作ってるのかも知れないね。
 解)初めて欧州に行ったときの感激は、一切情報を入れてなかったのが良かった。
  当時は、旅行のショックで精神を病む人が多かった。
  現在は、あまりに前知識が多く、感動の幅が小さくなってしまう。
 ーー
物ができあがって滅びて死んで行って土に戻り、また別の何かの型をとって再生するという大きなサイクル
があるでしょう。それはやはり自然物でないと表現されないわけですね。そういう環境を目の前に持て
なければ やはり彼岸とかあの世、この世といった感性は生まれにくいんですね。
 解) 現在の情報社会の一番の欠陥であろう。若者の質の劣化も、こういう部分がある。
 ーー
インドだかといって聖人.善人、素朴な人ばかりってわけじゃない。
悪人、俗人が入り乱れて人間博覧会みたいだね。日本はその幅が平均的だけど、
インドの場合は聖と俗の幅が驚くほどかけ離れている。カーストが百くらいあるとすると、それほど
人間の格=聖と俗のパリエーションがある。どのバリエーションの格でつきあうかで自分の格が見えるんだね。
類は類を呼ぶって言うでしょ。旅はまさにこれだね。くだらない旅をしてる時は、くだらない奴とつきあってる。
ふっきれたいい旅をしてる時は、百の中の八十とか九十あたりの高い人間ととつきあっている。
しかし、高い人格の人間と出会う旅=いい旅、ということでもない。どうにもならない奴から、次元の高い
奴まで、どれだけバリエーションが旅の中に展開されたかだね。それが旅の豊かさだと思う。
 解)インドは、人間博覧会が露出されているから、面白い。建前も本音もない。そのまま。
   それが日本と対照的である。島国と大陸という環境の差もある。
 ーー
インドでのカーストというのは肌の色でもあるわけです。
(字数制限の関係でカット2009年04月4日)
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2007年04月04日(水)
2192, 人生とナメクジの線
              オッ(*^○^*)ハ?ヨウ!
「キャリア」の語源は、ナメクジが這った後に残る線という。思わず噴出してしまったが、
人生もナメクジの這った跡の線と思えば、何も深刻ぶることはない。這っていく前には線は見えないが、
後ろにはまるで道のように跡が残り、その跡が進むべき方向を示しているようでもある。我われが、
明日を考える時に、やはりナメクジの跡の線と同じように歩んできた自分だけの線を振り返る必要がある。
ナメクジの優劣や跡の線など、それが如何したとみれば、悩みの殆どは消える。そういう喩えをみると、
さらに展開をしたくなる。そこで思いつくのが、家付きのナメクジ?、そうカタツムリである。
家が無いカタツムリをナメクジとみれば、我われの持ち家など持つことはない。
これでは話が面白くないので、「塩という世間を這いまわり自分の身体を溶かしながら生きるのが人生」
と考えると尤もらしい言葉になる。
ひろ さちや著のー「狂い」のすすめーの中にあった一節を思い出した。
 *そこを抜粋すると*
「カタツムリが旅に出て、ナメクジになって帰ってくる」
私たちは常識や既成概念、世間の物差しを持っています。
そういう殻を背負ったカタツムリが旅をするのは、そうした殻を捨てるためです。
殻を捨ててナメクジになって帰ってくる。そうした気持ちの旅こそ、最高の旅である。
たとえば、インドの貧困だって、貧困を悪いものだとみるカタツムリでなく、
貧困もよいものじゃないかというナメクジの目でみることができれば、素晴らしい旅になるはずです。
 インドの子供の裸足を見て「かわいそうに・・」と思うかもしれませんが、
「裸足のどこが悪いんだ、上等の靴を履かされて、重い鞄を持って塾通いと、
裸足でのびのびと遊んでいるインドの子供と、どちらが幸福なんだ・・・?」とね。
ーー
土手を歩いていると、よくカタツムリが道を横断している。しっかりと、跡がついているのだが彼らとて大変
である。雀とカラスの丁度良い餌になったり歩行者に踏むつぶされ、線が横断途中で途切れているのを見かける。
お悩みの諸君!悩んでいる自分をナメクジと鳥瞰した喩えで笑えるなら、もう半分は悩みは解決しています。
                  (⌒▽⌒)/"”さいなら!
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2006年04月04日(火)
1827, 日本一短い手紙「私へ」    才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)
                 ?読書日記 
                 
「私へ」の手紙}といえば哲学的にいえば、{即自から対自への手紙}ということになる。
だから万人に共通する言葉であり、一言一言が響いてくる!
あの歳の、あの場所で、あのケースで、呟いていた自問自答の言葉がある。
これほど奇麗事の言葉ではなかった。ふて寝をしながら、涙を溢しながら、時間の過ぎるのを待つしかなかった。
こんな言葉が心の奥から聞こえてきたら、あれだけ傷はつかなかっただろう。
この本の中で「私にしかできないことがある。きっとある。今は分からない。」という言葉がある。 
この言葉には、希望と明るさがある。 絶望の海に溺れてしまった息苦しさの上の言葉には聞こえない。
「私へ」という自分が、そこにある! それだけで、明るさがある!
それでよいが。私の自分への言葉を、いま思いついたまま書いてみる。
 ーー
 まあ、いいじゃないか!
 それで、いいじゃないか!
 これしか、なかったじゃないか!
 それも、これも、 どうでも、いいじゃないか!
 ほんとうに、これでよかったのか?
 ほんとうに、あれでよかったというのか?
 まあ、いいじゃないか! これで!
 他に、しかたなかったじゃないか!
 ー
 歳を重ねると、こういう自問自答が多くなるのだろう。
 それが老いるということである。 気持ちは青年のままでいたいものだ!
 せめて年寄り臭い奴の傍には近寄らないことである。そのためには常に感動、感激を求めることだ。               
           お茶どうぞ 且_(゚◇゚ )ノ゙
ーー
日本一短い手紙「私へ」
 一筆啓上賞

おいおい そんなに落ち込むなって 人生少しわかりかけてきたじゃないか。 浅原昭子 青森県黒石市 40歳

お前の大きな財産の一つは、いじめの痛みを知ってることだ。     荒平翔太 熊本県菊池郡合志町 17歳

コノセカイニ アタシハヒトリダケ ソレハアタシヲ ツヨクスル   道志寿佳 福井県坂井郡丸岡町 18歳

ずっと“いい子”の私。やめたいのに本当の私を忘れてしまった。私は何がしたいの?金島道子 広島県庄原市17歳

私にしかできないことがある。きっとある。今は分からない。でもある。きっとある。
                                  黒木かつよ 宮崎県児湯郡都農町19歳

あなたの心の悲鳴。聞きとれるのは私だけ。私とあなたの寂しい関係。     竹田飛鳥 東京都江東区 15歳

お願い、黙って、私が努力している綺麗な夢の孵化を、手伝って… 陳許玉蘭 台湾 72歳 主婦

一人で来たブラジルだけど、今は五人。俺が我家のル?ツとはくすぐったくなるな。 堤剛太 ブラジル 52歳 会社員

アホでいるこっちゃ。オサキにやるこっちゃ。エライこといわんこっちゃ。根市政志 青森県三戸郡福地村 65歳無職

過去の僕よ、犬を飼わないほうがいい、別れる時が、辛いから。    野村朋史 神奈川県藤沢市 14歳 中学3年生
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他にも、多くの印象的な言葉があった! その一つが以下の言葉である。自分に壁を作るのはやめよう。
見えるものも見えなくなるから。自分の可能性は限りないから。
ー自分の現在の壁に気がついているのだろうか?タダ、その気持ちはだいじだが。
次は、これ以外の響いた幾つかを抜粋してみる。
    ε(´',_c')зβyё☆βyёε('c_,'`)з゛
        
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2005年04月04日(月)
1462, 永遠に生きるように学べ

学生時代に、「永遠に生きるように学べ、そして明日死ぬかのように生きろ」という言葉に出あった。
最近、再びある本で出会ったが、年齢を重ねたためか、この言葉の重さ・深さを改めて実感する。
母親が向学心が強い人で、その後姿を見ていたので死ぬまで勉強の必要性は感じていた。
その都度、自分も社会も変化していくのだから、基盤も変えていかなくてはならないのは至極当然のことである。
年齢を重ねるほど、経験の裏づけが多くあるので吸収度が高くなる。せっかく地球に生まれてきて、
80年の時間を貰ったのだから、地球のこと、宇宙のこと、そして人間が長年かけて積み上げてきた知識・文化を
可能な限り見て・知って・経験するのが、人間の生きる最大の目的になる。
自分で意識をしてこの言葉を自問していないと、虚脱感の強い・虚無的な人になってしまう。
「もう歳だから何で勉強をする必要があろうか」
「まあ世間様と同じように何事なく生きていれば良い」と何もしない生き方になってしまう。
それならまだしも、真っ当に生きている人に対して批判をするのが趣味になってしまうから、
自分に対して更に害を及ぼすのを自覚できない。90?以上?が、私の見る限りそうである。 いや、もっと多いか。
その辺で老人同士が、いい歳をして人の悪口を言っているのをみると、思わず顔をそむけてしまう。
それまで生きてきたようにしか歳をとれないのはわかるが。「永遠に生きるように学べ」は「死ぬまで勉強」と
同義語であるが、響きが明るいのが良い。「明日死ぬかのように生きろ」は人生のコツである。
明日死ぬかもしれないのが人生である。だから「いま、ここ」を大事に生きなくてはならない。
一期一会である。 いま、ここの一瞬は永遠である。生きているとつくづく、このことを実感する。
この随想日記も、そう思って気持ちを集中している。何十年後に子供が読んでも、
この今の一瞬の集中の閃きは、そのまま言葉の中に永遠に篭っているはずである。
若き老人達よ,この言葉を自分の手帳に書いて、繰り返し読むことを勧める。
最低千回は口ばんでみるべし。「15歳で自分の人生を投げ出してしまった貴方のこと!」
「自分のこと!?」 「そう!」
 
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2004年04月04日(日)
1097, 落し物

 散歩をしていたら熱くなってきたので、ベストジャケットを脱いだ。
持っていた折りたたみ傘をそのジャケットに入れたところ、いつの間にか無くなっていた。
傘はどういうわけか愛着がある。散歩道で15分前にジャケットを脱いだのでその時落としたのだろうと、
その道を取って返した。ほとんど誰も歩いてなかったので、そのまま落ちているだろうと下を向いて
道を探したが見当たらない。いま時、傘を拾う人もいないだろうにと思い拾った人は如何するだろうかと考えた。
「おそらく目立つところに置くのでは?」と思い浮かんだ。橋の欄干ではないか。
今度は下でなく、目立つところ見て歩いたら、やはり橋の欄干に置いてあった。
拾った人が分かるようにそうしたのだろう。いまの日本人にはそういうところが残っている。
 傘は平均2年に一度は無くすが、後味の悪さがどうしても残る。
新幹線通勤で降りた瞬間、気がついて何度か引き返したことがある。
15年前、生の現金を封筒に入れたまま、数万円を落としたことがある。
泥酔をしての事だ。長岡駅の交番にいったところ、うけあってもらえなかった。
「奥さんに言えない金を使ってしまって、狂言ではないか」と言われた。
怒りさえでなかった。「なるほど、そういう見方もあるんだ!」と驚いてしまった。
じつをいうと、数万入った財布をいま一度落としたことがある。この時も出てこなかった。
学生時代に5000円の入った財布を落としたことがあった。それは警察に届いていた。
500円のお菓子を持ってお礼に行ったことがあった。明日は、拾い物について書いてみる。
拾い物は以外と少ないものだ。落し物は数知れずだが、記憶に残るものはこんなものだろう。
 
・・・・・・・
2003年04月04日(金)
730, 「ほめ芸王」ー読書日記

ー褒め上手は芸のうち
営業を何年もやっているうちに身につける芸である。口先だけの営業手段として、ただで一番効果の
  有る手段だ。十年以上営業をしていれば、営業術から営業芸にランクアップしてしまっている。
キーマンに会ったときの枕詞として、「さて今日は何の褒めネタでいくか?」
と考える。それが営業の第一歩であり、まずは切り口となる。
今日の芸はどの程度であったかを日記に克明につけたらプロであろうが。
「どっこいしょ」と持ちあげて、次に相手を落とすのだ。
「どっこいしょ日記」に、おだて上げと落としの日記を克明に書けば
いかに人間は幼いものと解ってくるだろう。 人間は誰も褒めて欲しいのだ!

ー「ほめ芸王」の内容の一部を抜粋する
・わたしはほめない、ほめちぎるのだ。ほめるのでは足りない、ほめちぎらなと、ほめたうちにならない。
・「ほめ下手の人は、ほめているものの、相手を見下げている。ほめるということは、見上げる事である」
 これは言いえて妙である。「このことに関しては全然あなたの方が上ですね」という言い方にすれば、
   相手も受け入れる。
・「ほめることは簡単だ。しかしほめ続けることはむずかしい」という。
・「感嘆」に勝るほめ言葉はない。
・ほめるとは相手を語ることではない、自分を語ることである。自分のほめ方は自分にしかできない。
・相手をほめることで、自分自身の存在を確認する事ができるのだ。
   神様の心にならなくては、ほめることができない。
 ほめることで神様の心になれるのだ。 怒った顔で、ほめる人はいない。
 ほめる時、人は誰でも、神様になれるのだ。
 ほめるとは、感動である。
 ほめるとは、感謝である。
 ほめるとは、感激である。
 ほめることで、二人の人が幸せになる。
 一人は相手。そしてもう一人は、あなた自身なのだ。
感想ーどうもほめる事は難しい。自信がないのだろか。やはり営業でそうせざるを得ない立場の人は身に
  ついている。私がほめると効果てき面だが、軽々しくほめたくはない。まずは顔色からほめるのもよいが。
家内を実験台に少し始めてみるか! 少なくとも貶すのはやめよう!

・・・・・・・
2002年04月04日(木)
366, 速読法

先回も書いたが、速読法という本を読んでいて吃驚した。
一つ一つの語句に目を合わせるのでなくて、一度にページ全体を眺め、フォトフォカス状態で
文書を眺める。意識下でなく、無意識下でその文書を取り入れてしまうものだ。
初め読んだ時、本当かと疑ったが、実際やってみて驚いた。見開きの2ペジの中央に目を合わせ、
それを4つかどの隅に全体の視野を広げていき、ジッと10秒ぐらい見続ける。そして再び、一ページ
  単位で中央に目を持っていき、それをまた意識をそのページの隅に持っていき10秒ぐらい見続ける。
そして文章を読むと、通常の数倍の感覚で文章がスラスラ読めるのだ。
目そのものがスキャンの能力をもっているのだ。もし疑うなら実際やってみればいい。
人間の脳力の凄さの一端をみたおもいだ。一回めくる度に4秒をかければ、
250ページなら20分かかるが、かなりの情報が脳に記憶されるという。