* 人皆、基底欠損
 2年前にフーテンの寅の「基底欠損」について取上げた。この数日、
<人間それぞれの「基底欠損」があるのでは>と、考えついた。私の母親が、
明らかに基底欠損の要素を、ここで書いた。 が、これは母だけでない、
殆どの人にあるのではと…。 中学校の最終年の成績下位の家庭環境が、
悪いのを当時、垣間見て唖然としたことがあった。
・10坪ほどの居酒屋の店上の6畳ほどの部屋に母親と住んでいたとか、
戦災孤児?で寺に拾われ、作男のように扱われていたとか、
・継母と折合いが悪い無口のヒネタ男とか、
・親戚の店の2F倉庫の一角に母親と2人で住んでいる男とか、
・親父の手伝いで土日は、必ず土方仕事を終日していた等々…
当時の私も大家族下で、子供部屋もなく、居間で教科書を寝ころで読むぐらい。
急に成績が上がったキッカケが、部屋の一角に机を与えられたとか、姉の一人が、
結婚で出て行って空室を与えられたとか。
 あの環境下で、姉たちの成績が比較的良かったのは、如何していたのか?
彼女らはアンチョコという参考書を買い込み、試験の前夜、徹夜に近い勉強を
するのがノウハウで、それを代々、引継いでいた。大人数家族には、プラスも
マイナスの要素が混在していた。義務教育の分別前の中学校のクラスの上位二人
は、一人っ子と、二人兄弟で、母親は厳しい教育ママ。両親からして下位の子と
違っていた。 私の基底欠損は、8人兄姉の末っ子の立ち位置と、商家の階上で
10歳まで生活していたこと。街中の全てが同環境だから基底欠損とは言えない。
 勉学のベースの指導は誰一人もなし。あるのは試験前夜のアンチョクの集中
勉強では… 救いだったのが、父親が末っ子の私を溺愛してくれたこと。
私の家内といえば、兄が、出産直後に亡くなったため、この子は死なせては
ならないと、幼児頃から過保護に育てられた状況が、基底欠損? 基底肥大? 
『3・10・60・27の法則』の3のようで、幸せが身に付いていて、平然と、
『私は特別の存在』を確信している唯我独尊のお姫様。 若い盛りの娘は気の
迷いで一時的に誰もそうらしいが、容姿の変貌が、それを許さなくなる…
他人の基底欠損の歪みには敏感に気づき、陰口で指摘するが、丸出しの己の
変形には、まるで気づかない。で、世の中、世間が、修羅場に変容する。
 一神教は、まず絶対神を想定し、基底の岩盤を各自に与える役割をして、
基底欠損のカバーの役割を与える。日本では、それが曖昧な『世間様』という
から、「烏合の衆」の危険が満ちている。
 
次回は、島国日本そのものの基底欠損をテーマにしてみよう。面白そうだ!
とすると、トランプの政治家としての基底欠損が、直ぐに思い立ってくる。

・・・・・・
2016/06/04
フーテンの寅の、本質と家族の幸せとは 〜?
 
 最近になって、『男はつらいよ』のシリーズの再放送を見なくなったが、
以前は再放送の度、何度も観ていた。もちろん48作の全部を観ている。
TVの再放送を含め平均3回を観たとして、150回は観たことになる。
特に浅丘ルリ子の、リリー役ものは、5〜6回以上は観ていた。この映画が
始まった1969年は、新社会人として、四日市、神戸、桑名と、転勤生活の中で、
家族の温みを寅さんの実家の団子屋の中に温みに求めていたようだ。 
精神分析医と、『男はつらいよ』の山田洋次監督の対談が、なかなか面白い。
  * 寅は「基底欠損」   <山田洋次名越康文 対談>より
≪ ◉山田:寅は「人間というのはこんなにみっともないよね」という恥部も
 見せてくれる。自分が食る分のメロンがないというだけで、「どうせ俺はね、
 この家では勘定に入れてもらえない人間だからな」と言って大ゲンカしたり。
◉名越:有名なメロン騒動ですね(第15作『寅次郎相合い傘』)。『男はつらいよ
 を全作観て、僕は寅さんの中にとめどないブラツクホールのようなものを
 感じました。寅さんを心理分析すると、99%は温かいものでできているけれど、
 残りの1%に、ダークマダーのようなものがギューッと凝縮されている。
 それは下手したら温かい99%を無にしてしまうようなすごい闇です。
「俺の気持ちをわかってくれ!」という精神的な甘えも強烈で、カッとして暴れる
 こともしょっちゅう。じゃあなぜ寅さんにこのような攻撃的なエネルギーが
 生まれるのかと考えた時、「基底欠損」という精神分析用語がハッと頭に浮か
 びました。幼い頃、親に甘えても受け入れてもらえなかった。おっぽいが十分
 に吸えなかったとか、抱っこしてもらえなかったとか、満たされるべき欲求が
 満たされなかった。そういう根本的な愛情や安心感の欠如が、大人になって
 から甘えたり、無理を言うことにつながってしまう。寅さんもそうすることで、
 親に拒絶された「欠損」を埋めようとしているんじゃないかと解釈したんです。
◉山田:とても面白いですね。「基底欠損」という言葉を初めて聞いたし、そういう
 心理学的なことは何も知りませんでした。だけど、寅みたいな人間はどこか心
 の中に空洞があるんだろう、そういう人間って、赤ん坊の時がひどく不幸
 だったと考えて、寅が産みの母に捨てられたという設定にした。≫
▼ 私の母親が、世にも珍しい<ママ父>虐めの被害者。その恨み辛みを、
 ことあるごとに聞いていた。3人の子供を残して逝った父親の後添えに、
祖母は男後家と再婚、八百屋を維持した。その義父との間に4人の子供が
できたが、義父は徹底して3人を虐めたという。祖母も、男後家の関係上、
3人には冷たくせざるを得く、一番末の母は、幼児の頃から、両親の温みを
知らないで育った。その為、自分の子供に対して、どう愛情を与えて育てて
よいのか、知る由もなく、それが、母親の「基底欠損」である。当然、その
子供も、基底欠損になる。何れも多かれ少なかれ、それを持っている。
両親の温みの実感が無いのも辛いものがあるようだ。  〜つづく

・・・・・・
2016/06/05
フーテンの寅の、本質と家族の幸せとは 〜?
   * 強烈なミヤコ蝶々の母役   <山田洋次名越康文 対談>より
 なぜか、シリーズの中で印象に強く残っているのが、寅の母親。
ミヤコ蝶々が演じていたが、これがハマリ役。寅の『基低欠損』の原因である
関西のオバアチャン。 私事になるが、終戦直前に焼出された商家再建の中で、
産まれ育った。両親は商売に熱中、私を含めた8人の兄姉たちは、親の直の愛情
を受ける機会が少なかった。その中、末っ子もあって、兄、姉たちだけでなく、
多くの従業員の愛情を一身に受けたのが大きい。両親は、気が向いた時だけ
愛情を注いでくれていた。その代わり、美人の女店員に付いてまわっていた。
 ふと思いついた言葉が、私に関しては「基底肥大」。兄、姉は、終戦
最中の混乱で、『基低欠損』が大きくあったような。 
〜これは、何れの家庭にいえることだが。条件と原因は、ほぼ同じ働きをする。
≪山田:自覚はしていないけれど心の中に空洞を持っている人間、寂しさを抱えて
 いる人間は、そこを埋めたい埋めたいと意識の下で思っている。だから、時々、
 ヒステリカルに怒ったりしてみんなに嫌われたりするということでしょうか。
名越:寅さんは第二作で実の母親に会います。しかし京都でラブホテルを経営して
 いる母親役のミヤコ蝶々さんがこれまた強烈で、せっかく念願の親子再会を果た
 したのに、「今頃、何の用やねん。あっ、銭か、銭はあかんで」と、サラッと
 言われてしまう(笑)。
山田:撮影した後、そういう残酷な母親を演じさせた僕に、蝶々さんは
 「気にしなくてもいいんですよ」と言うんですよ。「わてはこういう汚い役は
 好きなんや。その奥に、人間のキラッとしたものが見えればそれでええんや」
 と言っていました。
名越:さすが蝶々さんですね。この第二作の中で、蝶々さんは「どの世界に、
 喜んで子供を捨てる親がいるんじゃ!」とズバッと言いす。-このセリフが心に
 残るんです。ぞしてラストシーンでは、橋の下で、寅さんが母を追いかけている。
 あの場面は本当に象徴的で、カウンセリングを山のようにやってきた人間から
 すると、「そうそう、これしかないんだよな」と思います。つまり、子供の方が
 一生懸命、親の「理想像」を作り、それをいつも追いかけているんです。≫
▼ 母親が亡くなった時、医師の依頼で、解剖をすることになった。
 兄二人が、たて続きに不幸な死に至った苦悩で極度のノイローゼに陥って、
数年間、心筋梗塞などで死線を彷徨った中で、心臓の4分1が壊死をしていた
ことがわかった。医師は、よく生き延びていたと、驚いていた。その中で、
生き残った6人に、深い『基底欠損』が、当然あった。青年期に至るまで、何度
も亡くなった兄二人が夢に出てきていた。その傷を抱え、膨大なエネルギーを
要する創業を、我ながら目指したもの。その経験があるため、第三者の批判の
軽さに心底から蔑視ができる。批判は自分の影に対する反映でしかないのが
自覚できない。影口の呟きで、自分の壁をつくっているのが、俗にいう世間人。
 〜で、また偶然だが、以下につづく!
・・・・・・
2016/06/06
フーテンの寅の、本質と家族の幸せとは 〜?
 「基底欠損」を、ネット検索すると
≪ ■概要
 基底欠損とはBasicFaultの日本語訳で、「基本的信頼感の欠如」を意味する。
基本的信頼感とは人間の根源的な信頼関係であり、お母さんと赤ちゃんのような
何物にも代えがたい関係を言います。この基本的信頼感がしっかり形成されて
いますと、精神的にも情緒的にも安定した状態でいられます。
 基底欠損はこの基本的信頼感がうまく形成できていない状態で、そのせいで、
世の中や他者に対して信頼をおくことが難しい状態をいう。言い換えれば、
世の中や他者に自分の身を預けて安心することがなかなかできません。
 パーソナリティ障害では、情緒不安定パーソナリティや境界性人格障害など、
この基底欠損がみられる。≫ とあった。 
――
名越が山田洋次との対話で、「寅さんのように幼少期に愛されずに育ったため、
恋愛などで相手と関係を構築できなくなることを基底欠損という」と述べ、
山田監督に、「もし僕が寅さんに『基底欠損ですよ』って言ったら、
『てめえさしずめインテリだな!』って返されますかね」と聞いたところ、
山田は「いや、『俺は基底欠損ってんだそうだ』って、自慢するんだろうね。」
と答えていた。 名越の一映画ファン兼心理学者のマドンナ=女優評も面白い。
吉永小百合「謙虚で清純で、優しくて気高い、でもどこまでも頑固で
 人から影響を受けない性質」
竹下景子「かわいらしいけれどもどこか野暮ったく、知的だけれども控えめな
 『ザ・日本女性』」
都はるみ「芸を売って生きる女の悲哀、色気、さすらう人生が匂ってくる」
マドンナ・リリー役を演じた浅丘ルリ子については、ない。
▼ さしずめ私は「基底肥大」と前回書いたが、基底欠損と、基底肥大が入り
乱れた歪な性格になる。親の愛情こそ必要なのが人間。その絶対量が、その人
の人生を決めることになる。 何故か、長女のA型の女性に引かれるのは、
優しさと、芯の強さを母親代わりに求めるためか。「この人の、基底欠損、
基底肥大は何か?」と知るだけで、その人となりを知ることができる。
 ところで、日本の基底欠損、基底肥大は何かを、今度、考えてみる。

つれづれに

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 今日のYoutube

昨日のシネマは、急遽、ラリー競技の若者向き映画を見ることにした。
以前から、この世界を覗いてみたくて、思いきいて… iPadで、
カーレースのアプリを見て、何時か、映画をみてみたいと思っていた
下地があったためか、すんなりと、別次元の世界に入ることが出来た。
入ってしまえば、何が面白いか? 運転席で感じるラリーの重厚な感覚。
これは、シネマ館で実感するしかない。 あの騒がしさ、ウルササが、
何とも…  こいつら、馬鹿か!の感覚が… さっそく、YouTube
みてみたが、映画をみたこともあり、今までと違った味わいを感じた。



  ~ストーリー

ラリー競技の最高峰とされるWRC世界ラリー選手権)の登竜門であるレースに挑む
スピカレーシングファクトリー。国内トップクラスのチームが火花を散らす中、
スピカの所属ドライバー檜山直純(新田真剣佑)は攻めの走りこそが勝利の決め手と
信じて無謀な走行を繰り返す。彼の兄でチーフメカニック兼エンジニアの篤洋(東出昌大
と直純は、ラウンドごとに衝突し、チームは険悪な空気に包まれる。
ある日、直純のマネジメントを務めることになったエージェントの遠藤ひかリがやってくる。
公道で展開する自動車競技「ラリー」を題材にしたヒューマンドラマ。
WRC世界ラリー選手権)への出場を目指す兄弟たちの姿を描く。




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5943,閑話小題 ~美しさとは何ですか
2017年06月23日(金)

 浜三枝の著書『孤独って素敵なこと』で、今は亡き「松本民芸家具」
 の創始者である池田三四郎先生の思いでを次のように述べている。
≪ 箱根の家が完成したときに、池田先生を招いた時の質問。「美しいという
 ことは、どういうことでしょうか?」に、
「一本のねぎにも、一本の大根にも、この世の自然の創造物のどんなものにも
 美があるんだ。問題は、人間がそれを美しいと感じる心を身体で会得している
 かどうかなんだ。私は毎日、散歩をしながら、道端の草や花や、すれ違う動物
 や昆虫とも話をしているんだよ。暮らしの身の回りにいる者たち、そこにある
 物の、あるがままの美しさを感じる心が大切なんだよ。」そして、
「ひたすら道具や器を、そして自然を見て学びなさい」と、
「民芸で一番大きいのが家だ」とも。
その池田先生より、届けられたのが朱色の根来塗の燭台と、小さなガラス絵。
囲炉裏の部屋にこの燭台を置くと、箱根の家の印象が明るくなりました。
ガラス絵を柱に飾ると、優しい雰囲気が家に加わりました。 こんなに家に
ぴったりするものをよく選んでくださったと、その審美眼に改めてほれぼれと
感動し、また美意識が一緒だと嬉しく思いました。≫
 また<浜美枝ダイアリー>の中で、
≪「人間が自己の力を過度に評価し、科学を過信し、一切を知性によって合理的
に究め得ると錯覚した時代は、その後の日本が歩いた道であった。自然に対する
人間の勝利とは虚妄の勝利であったのではないか。近代精神のもたらしたものは
人間の傲慢であった。その傲慢さの故に、自己の創った科学文明のために自分
自身が復讐されつつあるとは言えないか…」と。

▼ 「美とは何か?」を考えると、まずはバランス。それも、エネルギーの
 満ちたバランス。そして、それを感じとる感受性。その感受性は、感動、
感激の重なりから熟成していく。だから幼児の頃から、道具、器、自然の美に
ことあるごとに触れて、感受性を育む必要がある。それには、親が幼児期から、
それに触れる機会を与える義務がある。小学生までの学力は、家庭内の文化的
格差によって左右される。例えば、「読書好きの親を持つ子どもは、本が好きに
なりやすい」「親が医者だと子どもも医者になる確率が高い」とか、「茶道や
お花の先生をしている親の子は、礼儀作法が身についている。これらは家庭内
文化資本による。 ウィキペディアによると、文化資本とは、
「金銭によるもの以外の、学歴や文化的素養といった個人的資産を指す。」
要するに、血筋、家系が大きく人間の素質に左右される。そのカタチが、個性
ということになる。成るほど、そういうこと。無暗に人を評価しないことだ。
 で、いま思いついたのが、「民芸で一番面白いのが、生身の人の姿・形だ」

・・・・・・
5578,突然、余命宣告を受けました ー⑦
2016年06月23日(木)
            『あの世へ逝く力』小林玖仁男著
   * 死にゆくとき、心は不安から解き放たれる
 死に際も不安だが、死期を悟った後の心の葛藤と肉体的苦痛も最重大事。
それまで生きた分の人生を圧縮して生きるというから、生易しくはない。
<もう少し生きたい>のが、万人の願いだが、<もう、いい加減、死にたい>
人も当然いる。「死にたくない」には、人生に遣り残したことがあるため。
 充分に人生の元をとった実感があるだけ、救いがあるが、やはり長生きを
しなくては。歳を重ねるたび、『もの、金銭』より、『こと、行蔵』に、そうそう、
移動していたことに安堵する。 ~その辺りより~
≪ 以前、NHKスペシャル立花隆思索ドキュメント「臨死体験で死ぬとき心は
 どうなるのか」が放映されて話題になりました。死の最先端の研究をしている
世界中の学者を、立花隆が半年も取材してつくった番組で、「人類が答えを追い
求め続けてきた生と死にまつわる壮大な謎。その謎に挑む立花隆の思索の旅」
というものでした。七十三分にわたる難しい内容で、堅い番組にもかかわらず、
視聴率が11パーセントもあったといいます。
  番組のあと、立花隆は『文藝春秋』にこう書いています。
<『放送した番組を見ました』とか『面白かったです』という反応はあるのだが、
 今回は『有難うございました』と多くの人に言われた。こういう経験は初めて
だった。何故かと言えば、エンディング部分で『死はそれほど恐いことじゃない。
おそらく眠りにつくのと同じくらいの心の平静さをもって死ねるはずだ』という
ところに共感を持たれた人が多かったのではないか。年をとればとるほど誰しも、
自分が死ぬ時はどういう風に死ぬんだろうと気にかかる。しかし医療技術が
進んだ今日、お迎えが来るまで、けっこう時間がかかるものらしい。
 人間最晩年になると、もうこれ以上生きていなくてもいいやと思いつつ、
それでも自分から進んで最後の旅に出る気にもならない。ある種の優柔不断の
中に生き続ける。その根源にあるのは、最後の旅の中にどうしても残る一定の
未知の部分への不安だろうと思う。あれだけお礼をいう人が多かったのは、
未知なる部分への恐れをあの番組のエンディングがあらかた取り去ってくれた
ということを意味している>
 私は、立花氏のこの取材を、「膝を打つ」快挙と思いました。
私自身、死の恐怖が薄れていくのを実感しつつ、未知なる部分に向かう旅の道
のりを静思しながら、「死はそんなに怖くない」と同じことを思い、それを
大きな声で言う人がもっといるべきだと思っていたからです。
 立花氏は、その後もNHKに再登場したり、『文藝春秋』『週刊文春』へ、
「死ぬとき心はどうなるのか」のレポートを次々と掲載、話題になりました。
その『週刊文春』の中では、立花氏はこうも書いています。
「回復の望みがなく、あとに待つのはひどい苦痛ばかりということになったら、
そして本人の望みがそれしかないなら、安楽死は許されて然るべきだと思います」
こういう極論を有識者が言ってくれると気持ちがとてもラクになります。
「どうしても苦しくなったら安楽死を選んでもいい」と思ってもいいのだ。
もちろん外国で安楽死をするのは心情的に躊躇するものがありますが、
「伝家の宝刀」を抜いてもいいと後押ししてもらえるだけで、心強いです。≫
▼ 死ぬ原因は、生まれてきたため。死亡率100%である。当り前のことだが、
 生まれる前には存在してなかったし、死んだ後にも存在しない。宇宙時間
からすれば、平均寿命の80年は、一瞬である。その中にあって、そのことが
自覚できないで、蓄群の常識とやらに惑わされ一生を終える。それもこれも
妄想でしかない。同じ妄想なら、より鮮明にみたいもの。映画、TVで映像
による妄想を、書籍で文字を通した妄想を鮮明化してみれば良い。せっかく、
貰った人生、より広く、深く、味わって終えたいもの。 もっと、貪欲に!

・・・・・・
5213,閑話小題 ~私の高度成長時代
2015年06月23日(火)
   * 私の高度成長時代
 文藝春秋:2月号の特集に、『素晴らしき高度成長時代』の特集があり、
それぞれの高度成長時代の思い出の手記があった。1960、1970年代では、
今では想像を絶する右上がりの経済成長の時代で、各家庭には電気洗濯機、
テレビ、冷蔵庫が普及をはじめていた。昭和39年には東京オリンピック
開催され、私は団塊の世代の直前の生まれで、同期の競争という面では、
絶対数が少ないこともあって、競争意識が少なく恵まれた環境であった。
 10歳までは駅前の繁華街に、11歳~18歳までは長岡駅裏に住んでいた。
高校を卒業直後に駅より徒歩10分の今朝白に両親にとって終の住家として、
当時としては豪邸を建てていた。その直前に進学のため上京した学生寮に、
何かの縁で入ったが、そこが500坪の敷地内に馬小屋のような「くの字」の
平屋。土間の通路の片面に、4畳半と6畳の部屋が20室ほど並んでいた。
 そこは今でいうシェアハウスのような共同生活で、国内の様々な地方出身の
学生が住んでいた。 各部屋にはドアがあるが、誰かがノックをすれば、
入室拒否が出来ない不文律があった。それで、様々な赤裸々な私生活を知るが、
人間を知るにはプラスにもマイナスにも働いた。そこで教えられたのは、
まず文学など基礎教養の絶対量の必要性を実感する反面、剥き出しのエゴと
品位が、まる見えになること。各自の素性を聞くことも、話すこともタブーで、
一学生という身分で、分け隔てのないのが学生時代の特徴である。地方出身者
と、東京在住では、生活の質は大違い。炊事洗濯のエネルギーは思いのほか、
大変である。時代は高度成長時代の真只中、学生時代を満喫していた。
 学生時代を大雑把に分けると、
・1~2年が、クラブの合気道と合宿。 寮生活。
・2年の半ばから、軽井沢の山荘の手伝いと、夏休みの『人生設計』の構想。
・3年は欧州の一ヶ月の旅行と、そこで親しくなった友人たちのと交友。
・4年が武澤ゼミの入会と、そこでの卒論。 六日町の禅寺「雲頓庵」通い。
  3~4年を通して、合コンが7~8回はあった。 
現在から振り返ってみて、やはり、2年の夏休みの『キリスト教倫理』の教授
に出された宿題、『将来の人生設計案』の提出。この時に、人生で初めて、
自分の将来を真剣に考え、提出した。時は、日本経済の高度成長、真只中。

・・・・・・
4848、「事業人生を決心して45年」の語り直しー20
2014年06月23日(月)
    * 衣料品の季節物は投機商品
 秋物の後は、冬物、春物、夏物と一日一日が全く新しい経験。
新シーズンの商品に出会うのは、一周りする一年間は、何もかも初めて。
セーターを例にとると、その素材はウール100%とアクリルがあり、
その混毛もある。その裏を見ると、生産メーカーや、素材などが表示してある
ことすら知らない。それを地元問屋の専務から一つずつ教授して貰う日々。
ひたすら、その場、その場で憶えていくしかない。しかし、過去の勤務先では、
毎日が、高速配転という名の現場教育で、連日が未知との出合いは経験済み。
キャリアとは、各部所への配転で、多くの仕事をこなした職歴を持った総合職。 
仕事を身体で憶えるには、現場配転しかない。20歳の頃、「父のような
創業者を目指す」と決意したとき、それは、新規事業を立上げるキャリアを身に
つけるため、留まることない自己配転の人生を選択したことで、常に、その圧を
自分にかけ続けることになった。 新潟駅前のビジネスホテル事業シリーズが、
この結果に終わったのは、10年目か、少なくとも15年目で、その事業から身を
引くか、違う事業に転身出しなかったため! その善し悪しは別として、創業を
繰返す人生を、社会の出発点の構想が、ここでブレていた。 雪国の壁の中、
茹で蛙になってしまい、バブル崩壊とネット社会の到来がもたらす激変を読め
なかった。 「まさか、ここまでの激変が?」では、事業者は許されない!こと。
最後の結果は、時代の激変だけが原因でなく、私の時代感覚の鈍さであり、
「元は私、そのまま、結構」と、諦めがつく。話は戻る。現場に飛び込んでみて、
季節物衣料が投機商品ということを、直ぐに思い知った。一年を、春夏秋冬に
分け、それぞれを、導入、最盛、見切り期に、1ヶ月に分ける。とすると、
季節ものは月単位の、思いきった判断が求められる。それが商品毎に違うため、
年中、切った、貼ったの、投機商品の只中に身を置くことになる。ヤクザなら
「切った(殺傷)、張った(博打)」。衣料品なら、正札の「切った(値下)、
はった(正札上に値下値を貼ると、売れ筋に商品を集中)」になる。これには、
経験と、直感と、場数が必要になる。義兄にすれば、私が、出来よう筈がない
と確信するのも分かる。しかし幸運も重なり、店として一シーズンを大当てを
すると、その勢いが次に続く。 逆に外れると、逆回転をする。 これに、
エネルギーが加味され、結果がそのまま露呈する。生まれ育った10年間の
生活環境と、創業を決意しての10年間の自己配転の全てが、極限の中で、
プラスに働いていた。
・・・・・・
4481, 静かなる大恐慌 ー1
2013年06月23日(日)
     「静かなる大恐慌 」柴山 桂太 (著)
 リーマンショック以降、現在も静かに大恐慌は続いていると何度も
述べているが、マスコミはテーマにしない。タブーかどうか分からないが? 
地方もあってか周囲の状況は惨憺たるもの。私の年代がリタイアの時節もあるが、
私を含めて過半数以上が直撃を受けている。ただ、あまり表立って話題にしない
というより、明日は我身で黙るしかない。 その現状そのままを、ズバリ書いて
ある本があった。100年近く前の恐慌と二つの世界大戦を、現在の状況と重ね
合わせ、世界も日本も、静かだが既に世界恐慌に入っていると分析している。
  ー まずは、プロローグより ー
《 世界は「静かなる大恐慌」に突入した。危機的なのは経済だけではない。
 国際政治は一九二九年の世界大恐慌をはさんだ、ふたつの世界大戦の時代と
同じコースを歩み始めた。グローバル化が必然的に招く、社会の不安定化と経済
の脆弱化。それによって国内でも世代間、産業間、都市対地方などの対立が
激化している。この不安定性に耐えうるシステムは、通説とは逆に「大きな政府
の復活しかない。この歴史の趨勢に我々は逆らうことができないのだ。
グローバル化の行きづまり、そして「脱グローバル化」への急反転という
ショックを日本はいかに生き抜くかを問うている。》
  ーその幾つかを抜粋してみたー
☆ 20世紀を代表する歴史学者、フェルナン・ブローデルは「資本主義は、
 それが国家と一体化するとき、それが国家であるときにのみ、栄えると
(『歴史入門』)で述べた。この含意するところは大きい。資本主義という
 システムは、一見、アナーキーなものに見えるが、実は「国家」なしでは
 機能し得ない。それを「国家資本主義」という言葉で言い表せば、「自由資本
 主義とはいえ、一皮剥けば国家資本主義的な側面をかなりもっている」(p.95)
☆ 100年前も現代と同じくらいグローバル化(金融は除く)が進んでいた。
 資本主義は人々の欲望の塊が原動力。それを野放しにすれば必ず反動という
 自然の調整で大恐慌が生まれる。それが、1929年の大恐慌と、2回の大戦争
 現在の世界経済を1920年代の大恐慌になぞらえ、その類似性を説明していく。
 20世紀初頭の第一次グローバル化と、その結果とも言える二度の大戦と大恐慌
 そして、並行して進む脱グローバル化への揺り戻し。今は、その後1970年代の
 ブレトンウッズ体制の崩壊から続く第二次グローバル化の中にあると説く。
☆ グローバル化と民主主義と国家主権の3つは全部が成立することは不可能で、
 このうちどれか2つしか同時に成立しない。グローバル化と民主主義が成立
 すれば、EUのように国家が抑えられ、グローバル化と国家主権が強くなれば、
 日米のように国内の貧富の格差が大きくなる。日本は、グローバル化を抑えた
 国家主権と民主化を重点とした政策が必要。
▼ グローバル化が100年前もあって、その反動で恐慌が起こっていた。
 そして、現在も、酷似しているという。現在のネットが、当時としては電話の
普及に当たるとする。現在は、20ヶ国が一同に介して、恐慌が表立つのを抑えて
いるが、現実は既に恐慌が静かに進んでいるというのは正しい。特に日本は、その
先頭に立っている。著者は、日本にとって、3つの内、国家主義と民主主義に
重点を置くべきというが、国家主義グローバル化しか選択の余地はないのでは
と考えざるを得ない。アメリカの属国しか生きれない体質になっているからだ。
恐慌は、それほど生易しくはない。10年後もしないうちに、東北大震災が
消し飛ぶほどの何か、例えれば、1923年の関東大震災に対する世界恐慌
太平洋戦争のような。    -つづく