* 前期高齢者の会は、世知辛くなる!
 昨日の午後から、日本橋で毎年恒例の大学の同期会に参加。昨夜は最終列車で、
帰って、就寝したが午前様。 だが習慣の力で、5時半に起床これを書いている。
 〜あらましといえば
・毎年17〜8人が出席。
・この9年間、一度も欠かさず出席していて、
・同期の3割は「亡くなったか、介護状態」になり、小中高校同様「同級会から、
 同期会」に変化している。4〜5年前から 病気で倒れる人が続いている。
・幹事、副幹事が4年前にステージ3の?に… しかし顔色は艶々して元気。
 電話連絡で幹事が曰く、「今年は何故か出席率がよく、既に20名以上」
 だったが、3名がドタキャンで、20名。 
・来年は、10年単位の大学主催の同級会の時節。男たちにとって最期?の…

 ここ『魚久』の会長が同級生。通うたびに、甘粕料理の美味しさに嵌り、粕漬
を土産に帰るのが慣わしになっている…  土産文化を持たない私が土産を買う
のは、ここだけ。帰ってから一週間にわたって、2人で2つの粕漬けを半分に
分けて味わいながら食している。 20〜30店舗を首都圏中心に出店し、本店が
甘粕横丁。 近くに吉原があった関係で、今でも酒屋と、酒蔵、小料理屋が並ぶ。
江戸時代から数百年にわたる魚類の甘漬漬専門店なら美味しいわけである。
通い回数を重ねるほど、その味わいの深みに嵌るのは、長年の歴史のため。
 全国区の学生時代の顔ぶれと接するだけで心が、洗われる思い。年に一回、
リッチな世界に舞い戻れるのが学生時代の同級会。オーナー系が多いことで、
まだまだ現場にドップリ浸かっている人が多い。
 西武系の川奈ホテル社長をしていた人物が初めて、この会に出席。
山岳部のOBで、ヒマラヤ登山でマスコミで知られている人らしい。
自己紹介で、『社長在任中、天皇夫妻が二回、お忍び?で、来られた時に、
会社代表として御出向いと、見送りをしたという。蔭で支え仕切っているのが
美智子妃で… 様ざまな内部事情が…  …これ以上はタブー?  
 ところで、それぞれの5分ほど近況報告の「年寄りの愚痴」が、前期高齢者
なるが故に生々しいが、軽妙に笑い飛ばす話題のセンスはさすが都会人!
この会も、海外ツアー同様に、参加の度に、体力、知力、精神力の衰えを実感の
バロメータになる。間違いなく、一歩一歩落ちている。そのなかで、参加者の
一人が、『私は120歳まで生きる!』と明言していたのが印象的。
追文:7年前のいま時分に、書いてあった! 何か不思議な感覚になった! 
(2018年12月05日に見つけた内容)
・・・・・・
3906, 閑話小題
2011年12月05日(月)
   * 一昨日は大学の同級会。
 大学1・2年時の同級会が服部栄養料理学校の服部幸應さんを中心で
開かれている。首都圏に住むグループの会で、遠距離の地方出身には声が
かからない。その会の幹事が武澤ゼミ仲間だった縁で去年初めて参加してみた。
しかし春先に色いろあったので今年は不参加と決め込んでいた。ところが、
そのクラスで親しかった男が42年ぶりに参加と聞いて、急遽、出席すること
にした。彼は全国を転勤した後に、終の住まいを仙台空港近くにし、釣りと
ゴルフ三昧を決め込んでいた。ところが東北大震災の津波九死に一生を得て、
現在は実家のある前橋に戻り、新たに住居を購入した。私の大学で初めての友人
で、私が入っていたクラブに引き入れた経過がある。卒業後は全国の転勤もあり、
大学関係の会には一切、顔を出したことはなかった。 会った瞬間、私は
「おい変わったな!」で、相手は、「全然、変わってないな!」である。
今回の会の出席者は17人で、去年とほぼ同数。私も一応東北大震災の経済
被災者だが、彼と私の話に他の出席者は、目をパチクリ。 
その友人は明るく振舞っていたが、やはり痛手は隠せない。そういう私も、そう見えていた
のだろうか。 ところで、ゼミで一緒の人と、久しぶりの再会の友人が異口同音に、
「堀井のこと、絶対にリスク管理をしていたはず。学生時代から用心深かったので、会社と
個人は分けていたと思っていた」と言う。 地元の友人が、全く同じことを言っていたので、
逆に驚いてしまった。性格は昔も今も変わっていないということ。 
それをもって計画倒産と揶揄されるが、20年、30年の長期投資、リスク管理をして
おくのは当然である。家族を一切、会社に入れないとか、連帯保証をさせないとか。
破綻の恐ろしさの両親の教えもあるが。
  * 有楽町・東京駅の再開発
 最近、有楽町周辺に行って驚いたのがJR駅銀座口出口の変わりよう。
この10年で次々と大型ビルなどの再開発がオープン。ニュースで知っていたが、
実際に現場に立った実感は違うもの。 特に秋葉原や有楽町駅銀座口の雑然と
していた飲食街が一掃されて、近代ビル街が出来ると、その変わりように驚いてしまう。 
家内がJRの2〜3ヶ月に一度出す格安料金で、東京のスポットを回るのを楽しみに
しているが、何か分かるような気がする。 都会は、脳が外部化したものというが、
成るほど、そのとおりである。また東京駅の丸の内の再開発ビル群にも驚いてしまう。
丸ビル、新丸ビル、そしてオアゾも地下で通路が行き来できる。たまに行くには良いが、
都会暮らしは、私にはそぐわない。とはいえ、田舎の閉鎖性も、どんよりして好きでない。

・・・・・・
6110,閑話小題 〜腰痛の中、何とか上京してきたが
2017年12月05日(火)

   * 先週の土曜日は同級会で上京し… 
 先日、学生時代の同級会のため上京。一時間半ほど、上野の『西洋博物館』で、
北斎ジャポニズム’の美術展をみる。9月にはNHKで放送された「眩(くらら)
北斎の娘〜」のドラマを見ていたため、北斎の実物の版画と、それをマネた
有名画家の西欧絵画や、北斎漫画の挿絵・陶器を対比させ、並べてあった。
 そして、日本橋の『魚久』に30分前に到着。 10年近く前から、この会に
出席しているが、料理がさすがで、鰆の味噌漬けと、マグロの刺身が絶品… 
いつも、お土産に、ニシンと、鰆と、イカの西京漬けを買って帰る。成るほど、
ここは日本橋の甘粕横丁。吉原に近く、その流れの御客用に、酒蔵とか、魚屋、
それを使った西京漬けの店などが列をなしていた界隈。
 帰りは、20時52分の新幹線に乗って、帰ってみれば23時近く。それでも、
朝の6時前に起床し、8時前に「随想日記」を書上げ、アップ。これも習慣が
成せる業? 年一の上京が、岩場の魚には刺激的で面白い! ‘明治’から、
今度は‘昭和は遠くなりにけり’ですか。再来年に元号が変わると、更に実感
するのだろう。 私の両親は明治生まれ、家内の両親は大正生まれ… 
 〜参考のために〜
 平成元年は西暦1989年。現時点で、
 昭和にすると92年、
 大正は106年、
 明治は150年になる。
 明治元年は西暦1868年。
時代が激変するが、自分の意識は、さほど変わってないのは、これ如何に?
そう思っているだけで、実は様変わりをしている。知らずと、挑戦し、戦い、
変化し続けているのだろう。日本の歴史上、我々世代は、最善の時代環境の中、
最適な大波の上をサーフィンをしてきた。ここにきて、怪しげな大波が近づい
てきたような… 
追)去年も同じような文章が書いてあった。篭の中の回転車でハツカネズミが
 走り続けている世界だ! ネズミ:「じゃあ、どうする?」 「 … 」
https://matome.naver.jp/odai/2134658143035339801
https://www.youtube.com/watch?v=KRXaE7SwJp8

・・・・・・
5743,閑話小題 〜同級会 ①
2016年12月05日(月)
 一昨日、毎年行われる学生時代の同級会のため上京した。
今回の出席は12名。いつも、17〜8人で、3分の2で少な目。
会場は、同級生の『魚久』という甘粕の魚漬物店で、本店の
隣に料理店。百貨店地下に必ずある有名店で、同級生が、
社長、いや今では会長。 毎年、食べる度に、その美味さに、
惹かれていく。日本橋は昔、料亭とか、遊郭があり、酒造工場
とか、魚が集まったところ。今でも昔風の料理屋が多く並ぶ。
 この会は、教養課程で編成されたクラスの人を中心に集まった
忘年会である。学校の人間関係は、クラスのコンパや、クラスの
指定席の周囲が、まず顔見知りになり、友人になっていく。
そして3年、4年の専門課程の二年間は、クラブ、ゼミなどを
中心にした人間関係へと変わっていく。その変遷が学生時代の
醍味で、自分づくりである人間関係構築の機会になって、卒業と
同時に全国の「緑の原野(社会)」に散っていく。
 まず当初のグループは、大雑把にいうと、
・小中高の付属校からエスカレターで上がってきたグループ、
・東京在住の人たちが主のグループ、
・地方でのアパート暮らしのグループ、へと自然と分かれる。
そこから更に、クラブ、ゼミなどの選択で人間関係が深まっていく。
 私の住居は、早大の理事が私的に経営していた寮で、日常生活は、
そこの気の合った各大学の学生たち。5〜600坪ほどの角地に平屋の
L字型の建物に部屋が並んでいて、角の部分に共同炊事場、それぞれ
の端にトイレがあり、通路は土間。今風にいうと、シェアハウスの
要素が強く個々の絆は強かった。悪くいえば、牛小屋そのもの。
敷地の中央に大家の家族が住んでいて、その間には芝生の庭があった。
南早稲田の住宅地に、オアシスという風でもあった。 朝晩は自炊で、
昼は学食が中心であった。当初は小学校の家庭科の実習を思いだし、
カレーや水炊き風の鍋、野菜炒めをつくっていた。実家の送金は誰も
ギリギリ。実家の貧富など関係なく、資金的余裕など有ろうはずない。
学生とは、そういうものと上京組は思いこんでいた。その中で、彼女を
持ち、アルバイトをし、学業をこなす人もいれば、真面目に勉学を励む
生活をし、時々、安酒を買込み議論をしたり、人生を語る人たちもいる。
 7年前に、この首都圏在住のグループで、勤勉のグループの忘年会に
誘われ、参加するようになった。 各駅停車の鈍行列車のように、学び
あおうと、『鈍行』というグループをつくっていたのは、学生当時、
知っていた。その彼らが、卒業後もゴルフや、宴会を開いていた。
殆どが二代目でオットリ?した顔ぶれ。武澤ゼミ仲間の一員が幹事を
していた関係から、地方在住の私に声を掛けられ出席をするように
なって、はや8年になる。   〜つづく

・・・・・・
4643, 老後の生活破綻、そして死 ー2
2013年12月02日(月)
      「老後の生活破綻 - 身近に潜むリスクと解決策」西垣千春(著)
  * 経済面から見る、高齢社会の現実
バブル崩壊後、弱肉強食の傾向が強まり、高齢者の生活にシワ寄せが来ている。
四人に一人が「苦しい生活」を余儀なくされ、四割が平均年50万の持ち出し。
国民年金のみの収入だけなら、厳しいのは肯ける。二ヶ月に一度の年金支払い日
の午前中の銀行の殺気立った高齢者の姿から、ギリギリの生活が見てとれる。
ある2千円均一のスナックは午後からオープンしているが、年金支払い当日は、
二ヶ月に一度の楽しみのため、ほぼ満席? 世知辛さの一端である。 
  ーその辺りから抜粋ー
《  ☆ 貧困につながる格差
 最後に指標の三つ目である「経済」、すなわち家計や暮らし向きは
・高齢者単独世帯の平均年間総所得(家計調査2008年)は175万円。
・夫婦のみの世帯では409万円である。
・内訳を見ると、夫婦二人世帯で、所得に占める公的年金の割合が65%、
 単独世帯では74%であり、高齢者世帯の多くにとって公的年金は主な収入源。
 なお、単独世帯には女性が多く、遺族年金に頼っている人が多い。
 高齢者のみの世帯では、稼働所得(仕事で得る収入)が約二割、
 公的年金が約七割を占めている。 
・高齢者世帯には、一般世帯の平均所得を上回る、600万円以上の世帯が約8%
 存在する一方で、100万円以下という、非常に所得の少ない世帯が15%も存在。
 また、収入が100万円〜200万円の世帯が最も多く、全体のほぼ四分の一を
 占めている。高齢者の新たな就業機会は殆どないに等しく、所得の増加は
 見込めない。つまり経済的に厳しい状況は最後まで続く。
・「相対的貧困率」という言葉は、2009年に初めて広く報道された。
 OECDの定義では、等価可処分所得(世帯の可処分所得を世帯員数の平方根
 割った値)が全国民の等価可処分所得の中央値の半分に満たない国民の割合。
 2006年の時点で、日本人の相対的貧困率が15.7%という数値は衝撃であった。
 最大の理由は、ひとり親家庭、とくに母子家庭の収入の低さが挙げられるが、
 高齢者の貧困層の影響も大きい。高齢期に入ったばかりの「若い高齢者」は、
 人生で貧困を経験してこなかった人が多い。いざ仕事を辞めたとき、もし
 十分な貯蓄がない場合が悲惨である。
   ☆ 四人に一人が「苦しい生活」
・日本は国民皆年金・皆保険制度が整っている。生まれてから死ぬまで、
 心配なく過ごせるシステムのはずである。しかし先ほど見たように、
 高齢者によって、老後に費やせる生活費には大きな開きがある。40.4%の
 高齢者が、毎月または時々赤字になる状況で生活している。現在の暮らし
 向きが「大変苦しい」と答えている人が7.2%、「やや苦しい」が19.2%、
 ほぼ四人に一人が厳しい生活状況に置かれている。
・高齢者世帯のなかでも勤労者がいない世帯では赤字の割合がさらに高く、
 平均で毎月四万円余りの赤字となっている(総務省「家計調査」2008年)。
 一年間ではおおよそ50万円の赤字である。30年の余生とすると
 1千5百万が必要になる。
・65歳から69歳で就業していない人の割合は、男性で5割、女性で7割。
 年齢が高くなるほど割合は高く、収入も減る。つまり、歳をとるにあたり、
 経済的な不安をなくそうと思えば、勤労者である間に貯蓄が必要になる。》
▼「65歳から69歳で無就業は、男性で5割、女性で7割」とあるが、逆に、
 男半分、女3分の1近くが就業している。自営業や農林漁業がプラス
されても、やはり多い。市営住宅に入り、光熱費と食費を切り詰めても、
医療費などで15万円がギリギリ。4人に一人が「苦しい生活」のが現実。
核家族化で子供からの収入もあてにならず・・この厳しさは、日ごと増す。

・・・・・・
6107,閑話小題 〜再び「幸福アドバンテージ」について −2
2017年12月02日(土)
   * 青山学院・優勝の秘密
 ビジネスやスポーツのチームでも、「ポジティビティー比が高ければ高いほど
業績が良い」ことが知られている。その比が高いチームのいい例が、箱根駅伝
2015から3年連続優勝を決めた青山学院。以前、TVに青山学院の監督が出演し、
優勝に至った秘密を披露していた。チームに「走る笑顔」として、原監督が、
「わくわく大作戦」と称している。
【 •暗い学生を入部させない
  •叱らない指導
  •楽しい練習
  •笑顔で走ると、
選手たちのポジティビティー比を徹底的に上げていった結果、
予選通過すらなかった青学を3年連続優勝に導いた。
ポジティビティー比を高めるには、次の3つが効果的と。
 1.ポジティブ思考
 2.感謝
 3.運動
特に感謝である。増やすコツは「ありがたい」を増やすこと。
「今日も健康でありがたい」「3度の食事ができてありがたい」
このように、「当たり前」のことを「ありがたい」に変えていく 】

▼ 考えてみれば、「幸福優位性」の応用である。「旅行」と「旅」の違い
 と同じある。「旅行」は、行先に辿り着くことに重心を置くが、「旅」は
到達するまでの過程を含む。同じ人生なら笑って過ごした方が良い。7年近く
前のリタイア時に、心の危機対策に、内に押し寄せくる毒素の解毒に、まずは
精神にはストレスを溜めないこと。物理的解毒剤として運動量を増やすことに。
それを前提に、一日単位、週、月、年単位にスケジュールをたて、習慣化する
ことにした。 膿持ち人が、その毒気を傷口に塗りつけてくるところが娑婆。
己を衛るのは己のみ。マイナーの時節ほど、ポジティブ比を高める必要がある。
自分が自分であるためには、まず、自分の日々が楽しく、幸福感に満ちている
ことが、第一。この文章を書いている、この早朝の時間も、好きなことを、
自主的に過ごしているためか、アッという間に過ぎてしまう。そして、一日も。
 まあ、幸せなことで! 
追: 再び偶然だが、3年前の文章そのままが、丁度よい脈絡として続く。
 幸福になり、その幸福維持には、厳然たる法則が。そう軽く、甘くはない。

・・・・・・
5010,幸福優位7つの法則 −2
2014年12月02日(火)
      【幸福優位7つの法則ー幸福と成功の意外な関係】
                       ショーン・エイカー著
  * 幸福の概念と、幸せな人
 それぞれの内容一つ一つに含蓄があり、納得させられる。その法則とは・・ 
法則1 ハピネス・アドバンテージ〜幸福感は人間の脳と組織に競争優位をもたらす
法則2 心のレバレッジ化〜マインドセットを変えて仕事の成果を上げる
法則3 テトリス効果〜可能性を最大化するために脳を鍛える
法則4 再起力〜下降への勢いを利用して上昇に転じる
法則5 ゾロ・サークル〜小さなゴールに的を絞って少しずつ達成範囲を広げる
法則6 20秒ルール〜変化へのバリアを最小化して悪い習慣をよい習慣に変える
法則7 ソーシャルへの投資〜周囲からの支えを唯一最高の資産とする
  ー以上だが、再起力、20秒ルールには特に新鮮な驚きを感じる。
  ★ 法則1、「幸福感は人間の脳と組織に競争優位をもたらす」
 ごく身近に、幸せを絵に描いたような人がいる。その母親が、この数段も幸せ
そうな人だった。しかし唯我独尊、自分の周りに太陽がまわっていると信じて
疑ってない。観察すると、ポジティブ感情が異常に高く、≪私は特別の存在≫
とのたまう。誰の心の底には、近い感覚があるが、年齢とともに片隅に追い
やられるが、この感覚が衰えてない。『絶対幸福の人』というのだろう。 
  ー幸せの概念についての箇所を抜粋してみるー
≪・私にとって幸せとは、「自分の可能性を追求して努力するときに感じる
 喜び」である。幸せは主にポジティブ感情によってもたらされる。幸せ
というのは、条件でも状況でもなく「心で感じるもの」だからだ。研究者に
よっては、「幸せ」という言葉を避けて、基本的に同義の「ポジティブ感情」
とか「ポジティビティ」という言葉を使う人もいる。
ノースカロライナ大学のバーバラ・フレドリクソンはこの分野で、世界で
トップクラスの研究者。彼女は、「喜び」「感謝」「安らぎ」「興味」「希望」
「誇り」「愉快」「鼓舞」「畏敬」「愛」という最も一般的な10のポジティブ
感情について説明している。このリストを読んだだけで、幸せの豊かな
イメージがわいてくるだろう。・・(略)
ノートルダム教育修道女会に属する18O人の修道女(全員1917年以前生まれ)
の古い日記である。彼女たちは毎日、思ったことを自伝風に日記に書くように
言われていた。50年後、ある優れた研究者のグループが、この日記に含まれる
ポジティブ感情をコード化を思いついた。 20歳のときの幸福度が、修道女
たちのその後の人生にかかわりがあるかどうかを調べたのである。そして、
かかわりは大いにあった。楽しそうな内容を書きつけていた修道女たちは、
ネガティブな、普通の内容を書いていた修道女よりも10年近く長生きした。
修道女たちが85歳のとき、幸福度が高い方の25%に入っいた人たちの90%が
まだ存命だったのに対し、幸福度が低い方の25%に入っいた人たちは34%
しか残っていなかった。20歳のとき幸福度の高かった修道女は、自分が長生き
すると知っていたわけでない。彼女たちの長生きは幸福感がもたらしたもので、
その逆ではない。≫
・4歳の子供を2つのグループに分けて、同じような知的な作業をさせる。
 「積み木を組み合わせて別の形を作る」というようなことだ。その時、
片方のグループには作業開始前に「何か嬉しかったことを思い出そう」と
指示を出してから作業をスタートさせる。もう一方のグループには何も
指示しない。すると、明らかに「嬉しかったこと」を思い起してから作業を
スタートしたグループの子供達がスピード速く積み木を組み合わせることが
できるのだ。まだ4歳で、大きな幸福経験を積んでいないような小さな
子供達でも、このように差異が出る。
▼ 最後の挫折付きだったが、創業人生は「自分の可能性を追求して努力する
 ときに感じる喜び」の日々でもあった。それに10のポジティブ感情(「喜び」
「感謝」「安らぎ」「興味」「希望」「誇り」「愉快」「鼓舞」「畏敬」「愛」)
もあった。だから、挫折感とか、後悔は思いのほか少ない。それらは、数十年
の毎朝の読書習慣が培ったもの。で、日々是好日、いや日々是口実か。

・・・・・・
5740,大格差 〜書評
2016年12月02日(金)
       ー「大格差:機械の知能は仕事と所得をどう変えるか」                       
                       タイラー・コーエン (著)
  ⁑ 想像を絶する超越的知性が誕生
 一月ほど前に、<技術的特異点『人工超知能が人類を超える』台場時生著>
の書評、【2045年問題、汎用人工知能、あるいは「強い人工知能」や人間の
知能増幅が可能となったときに起こるとされる出来事であり、ひとたび優れた
知性が創造された後、再帰的に更に優れた知性が創造され、人間の想像力が
及ばない超越的な知性が誕生するという仮説。すなわちこのままの人工知能
進化し続けれると、2045年が『技術的特異点』の年になる。】を書いていた。
 この書は、この論の延長上にある。これらの周辺産業などに従事した人は、
よりリッチになるが、単純作業のワーカー層や中間層の仕事はロボットなどに
置換えられて、一部の人たちに総取りをされる時代の到来を論じている。
   〜まずは、Amazonの内容紹介〜
《 * テクノロジー失業に陥らないために何をなすべきか?
 近年の世界的富裕層と貧困層の格差拡大の根底には「経済のグローバル化
「テクノロジーの進化による生産性の向上」「停滞した産業と活力のある産業
の二極化」という抗うことのできない変化がある。
本書は、飛躍的な進化を遂げるテクノロジー=機械の知能に注目し、技術革新
が未来の雇用・所得・ワークスタイルに与える恐るべき影響を徹底検証する。〉
  〜書評書込みには、
《 チェスでコンピュータと協業できる人が最強になるという例えがきわめて
説得的な論理を展開している。そして、人々は、大きな政府福祉国家よりも、
自分の可処分な金を保持する生き方を好むという点も説得的である。
大きな政府が、人々の幸せに奉仕するためには、官僚機構が民主主義の原則
に従って多数の市民に奉仕する公僕で構成されなければ不可能である。現状は
原子力ムラ、土建ムラ、安保ムラなどの特定利権組織に国民の富が浪費される。
日本に多額の税金を市民の幸せのために使う官僚機構が実現できるとは思えない。
高福祉社会は北欧の市民社会・官僚機構だからこそ成功しているのだ)
《 60年代・70年代という中流層が厚かった時代が特異な時代であって、
中世のように格差が大きい時代に落ち着く(P.303)という説明も納得できる。
日本でも、第二次大戦以前は過半数の農業従事者の間に地主−小作関係、都市
でも少数の経営層(ホワイトカラー)と多数のブルーカラーがいた。
その階層が、生まれや幸運によって位置づけられていたのが、機会は均等に
与えられていて、あとは本人の集中意欲の有無によって成否が分けられる社会
になる、ということも納得できた。
その他、政府の財政不均衡も解決しないだろうという予測も説得力がある。
総じて、平易に洞察を説いているからこそ、力がある。現実を見るにつけ、
パンとサーカスの時代は古今東西不変なのかと思ってしまう。 》
――
▼ 『自動運転車』が、そう遠くない未来に可能とは今でも信じられない。
 これを世界中の大企業、政府が全力をあげ取組みだしたという。運転には
あらゆる情報判断が必要だが、それに向けた知能を開発するプロセスで想像
を絶するノウハウが開発される。その応用が、職場レベルに降りてくる。
コスト面からすると、明らかにロボットの方が効率が良くなる。とすると、
30年先でなく、年々、時代が激変することになる。そして、現にしている。
気づかないのは99・9%の人たち。その一人が「私!」今さら遅いか、ったく!

・・・・・・
5375、武器としての決断思考 ー?
2015年12月02日(水)
        ー武器としての決断思考〜 瀧本 哲史 (著)ー
 図書館で見つけた本で、京大の医学部で場違い?の『起業論』を教えている
内容に興味を引かれ借りてきた。医師の世界も、将来的に、そう甘くはない。
30年近く前に新潟で立ち上げた「木鶏クラブ」の会が、今も二ヶ月に一度、
開かれている。そのの例会に、年末か、年始に参加しているが、去年、
新大医学部の20歳の学生で、考えるところがあって、一年の休学をとって、
白紙で将来を考えたいという青年が、来ていた。『思い切った判断だね!』
と褒めると、『教養課程で、一年の休学は東大医学部の学生の一部で
受継がれてきたのを聞き、考えるところがあり真似ただけ!』という。
この「武器としての決断思考」が、そういう人たちのバイブル?かどうかは
不明だが、私が人生を通し、学んできた要点を、軽く一冊に凝縮してある。 
『青年は荒野を目指せ!』である。でないと、溝沼の腐った一員になっていく。
 人生からみたら、「事前の一策は、事後の百策に勝る」の、具体例。
「事前に学んでおくべき人生戦略本」で、さすが、東大、京大医学部。
20歳の白紙の状態の決断は人生を大きく左右する。〜アマゾンの内容紹介より
《 東大×京大×マッキンゼー式・決断の技術!
 本書は、著者がいま、京都大学で二十歳前後の学生に教えている
「意志決定の授業」を一冊に凝縮したもの。今後、カオスの時代を生きていく
若い世代にいちばん必要なのは、意思決定の方法を学ぶことであり、決断力を
身につけることです。もう過去のやり方は通用しないし、人生のレールみたい
なものもなくなってしまいました。「答え」は誰も教えてはくれません。
 となれば、自分の人生は、自分で考えて、自分で決めていくしかないのです。
仕事をどうするか、家庭をどうするか、人生をどうするか? この本で私と
一緒に「自分で答えを出すための思考法」を学んでいきましょう。
きっと、あなたの人生を変える授業になるはずです。》
  〜カスタマーレビューより〜
《 筆者は、東大→マッキンゼー→京大准教授というエリート。
人生において、自分で考え、行動ができる事の重要性を説き、その秘訣を
伝授するとの趣旨。出版社である星海社新書という会社は、「戦う事を選んだ
次世代の仲間たちに、武器としての教養を配る事」を目的として謳っています。
私は、本屋で初めて見つけた本を買って読む事は、めったにないのですが、
思わず買いました。 内容はと申しますと、ガイダンスまでは期待通りで、
これからの厳しい世界を生き抜いていくには、知識・判断力・行動力・修正力
をバランスよく身につけるべき! と実例を交えながら、うなずきの連続。
ただし、本章に入ってからは、ほとんどがディベートの基礎講座。
(大雑把に言うと)ロジカルに物事を考え、常に(正解ではなく)最善解を
導いて、行動を起そう。状況が変化すれば、適宜修正をしていこう。それが
決断思考であり、自分の頭で考えて、自分で決めて行くという事!という内容。
日ごろから、ある程度、まともに物事を考えている人からすると、
同意こそすれ、目から鱗とまではいかないでしょうか。》
▼ ーはじめにーの「武器としての教養」を身につけろーが、この書の要約。
 学生時代の教養課程から専門課程で、何を目指すかを課題を無い頭を絞って
考えて結論を出したが、正に、著者の、この要約を地でいっていたようだった。
50年前の当時は、「坂の上の雲」を目指す高度成長時代の真只中。で、結果は、
バブル崩壊への転換を甘くみて、この結果? しかし、面白く、充実していた。
 で、現在は低成長時代の真逆の環境。だからこそ、ゲリラとして、それぞれが
実学としての武器としての教養が必要になる。 既に時代は氷河期に入った。 
 その中で、久々に? 面白い戦略本に出会った。来週、この会の忘年会に
出席予定だが、この青年、来ているかどうか?   ーつづく

つれづれに

イメージ 1

 他のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/549/
http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive

 
 昨夜は、大学の同級会。今では同期会になるつつあるが…
前期高齢者も後半に入って、終活の時節。まあ、誰も、そう甘くない
現実が立ち塞がっている。 とにかく、明るいのが特徴。

 乗り遅れて最終列車で帰宅し、就寝したのが0時半。
それでも6時前の起床をして、パソコン前に座るのが習慣化のなせる業。




・・・・・・
・・・・・・

5375、武器としての決断思考 ー①
2015年12月02日(水)
        ー武器としての決断思考~ 瀧本 哲史 (著)ー
 図書館で見つけた本で、京大の医学部で場違い?の『起業論』を教えている
内容に興味を引かれ借りてきた。医師の世界も、将来的に、そう甘くはない。
30年近く前に新潟で立ち上げた「木鶏クラブ」の会が、今も二ヶ月に一度、
開かれている。そのの例会に、年末か、年始に参加しているが、去年、
新大医学部の20歳の学生で、考えるところがあって、一年の休学をとって、
白紙で将来を考えたいという青年が、来ていた。『思い切った判断だね!』
と褒めると、『教養課程で、一年の休学は東大医学部の学生の一部で
受継がれてきたのを聞き、考えるところがあり真似ただけ!』という。
この「武器としての決断思考」が、そういう人たちのバイブル?かどうかは
不明だが、私が人生を通し、学んできた要点を、軽く一冊に凝縮してある。 
『青年は荒野を目指せ!』である。でないと、溝沼の腐った一員になっていく。
 人生からみたら、「事前の一策は、事後の百策に勝る」の、具体例。
「事前に学んでおくべき人生戦略本」で、さすが、東大、京大医学部。
20歳の白紙の状態の決断は人生を大きく左右する。~アマゾンの内容紹介より
《 東大×京大×マッキンゼー式・決断の技術!
 本書は、著者がいま、京都大学で二十歳前後の学生に教えている
「意志決定の授業」を一冊に凝縮したもの。今後、カオスの時代を生きていく
若い世代にいちばん必要なのは、意思決定の方法を学ぶことであり、決断力を
身につけることです。もう過去のやり方は通用しないし、人生のレールみたい
なものもなくなってしまいました。「答え」は誰も教えてはくれません。
 となれば、自分の人生は、自分で考えて、自分で決めていくしかないのです。
仕事をどうするか、家庭をどうするか、人生をどうするか? この本で私と
一緒に「自分で答えを出すための思考法」を学んでいきましょう。
きっと、あなたの人生を変える授業になるはずです。》
  ~カスタマーレビューより~
《 筆者は、東大→マッキンゼー→京大准教授というエリート。
人生において、自分で考え、行動ができる事の重要性を説き、その秘訣を
伝授するとの趣旨。出版社である星海社新書という会社は、「戦う事を選んだ
次世代の仲間たちに、武器としての教養を配る事」を目的として謳っています。
私は、本屋で初めて見つけた本を買って読む事は、めったにないのですが、
思わず買いました。 内容はと申しますと、ガイダンスまでは期待通りで、
これからの厳しい世界を生き抜いていくには、知識・判断力・行動力・修正力
をバランスよく身につけるべき! と実例を交えながら、うなずきの連続。
ただし、本章に入ってからは、ほとんどがディベートの基礎講座。
(大雑把に言うと)ロジカルに物事を考え、常に(正解ではなく)最善解を
導いて、行動を起そう。状況が変化すれば、適宜修正をしていこう。それが
決断思考であり、自分の頭で考えて、自分で決めて行くという事!という内容。
日ごろから、ある程度、まともに物事を考えている人からすると、
同意こそすれ、目から鱗とまではいかないでしょうか。》
▼ ーはじめにーの「武器としての教養」を身につけろーが、この書の要約。
 学生時代の教養課程から専門課程で、何を目指すかを課題を無い頭を絞って
考えて結論を出したが、正に、著者の、この要約を地でいっていたようだった。
50年前の当時は、「坂の上の雲」を目指す高度成長時代の真只中。で、結果は、
バブル崩壊への転換を甘くみて、この結果? しかし、面白く、充実していた。
 で、現在は低成長時代の真逆の環境。だからこそ、ゲリラとして、それぞれが
実学としての武器としての教養が必要になる。 既に時代は氷河期に入った。 
 その中で、久々に? 面白い戦略本に出会った。来週、この会の忘年会に
出席予定だが、この青年、来ているかどうか?   ーつづく


・・・・・・
3903, 精神力ーその偉大な力  ー4
2011年12月02日(金)

 この年齢で昔読んだ本を読み返し、書評を書いていること自体が奇妙である。
精神論というと、現代では怪しげに思ってしまうが、
それを信念と置き換えて考えると、違ってくる。人は、それぞれの信念に従って生きている。
問題は、それを前向きの思考にするかどうかである。世の大部分が、後ろ向き人である中で、よほど強固な
ベースがないと大勢に流されてしまう。そこで、一歩二歩離れるか、孤独の時間を確保して自分の信念を
守らなければならない。 信念という言葉には語り尽くせないほど奥行がある。
  * 信じることの魔術
 信念を変えることで体験の世界が変わります。信念は本人の精神の一つのあり方です。大生命の力を
信じなさい。大生命を見ることが出来ないし、信念も見えないが、それを通して行うことは見えます。
確証を見ることは出来るのです。信じることを前向きなことに使うことこそ鍵がある。
  * 人生の四つの基本
・ 第一は、大生命力すなわち【神】の善さ、完全さ、信頼性、敏感さなどに積極的信念を置くことです。
 知性的で善良な愛の生命力が、あなたをこの世に送ったのです。大生命力は悪いのではなく善いということ
 に気づくべきです。
・ 最二に、自分が偉大な【人間】であることに気づくべきである。神性を持つ持つ大生命力が人間として
 個性化して、人格化して人間というものが出来たと認めるべきである。自分を下等と思えば下等に行動し、
 他人もあなたを下等と思うでしょう。しかし、自分が大生命の化身と気づけば、その能力が、あなたの
 自由になるのです。
・ 第三に、運不運という、あらゆる信仰を捨てて、大生命力の【法則】に従って行動すべきです。大生命力の
 流れの中に、みずから新たな原因を注入し、自分のために新しい思想を受け入れ、新しい体験を持つことを
 信じるべきです。
・ 第四に、人格の【不死】を信じなければならない。他界しても自分は生きていると信じなさい。
 これは実用的です。そう信じて行動すると、目の前の難問が何時か解決すべきことでなく、今すぐに解決
 すべきことになる。この四つの基本的なこと―神、人、法則、不死―に、積極的な信念を置けば、何に
 対しても否定的な信念を持つことがなくなります。
▼ 基本の一つの【法則】と中村天風の説と、ほぼ同じ。 積極一貫こそ、人間を宇宙の進化に従って生き、
 発展する術。積極的な前向きな信念に一つまとまり塊になって一つの方向に歩くことこそ、人間の健全な姿。
 精神力=信念を自分の帆にして人生に吹く風を利用し堅実に前に進めばよい。 当時これらの精神論が
 極限の中での道標となり心を支えていた。 現在は哲学?
 ・・・・・・・
3538, メビウスと、自・他
2010年12月02日(木)
  * 他人とは何か
 池田晶子の「自分の内側と、その対比としての他人」についての考察がよい。
 「14歳からの哲学」の『他人とは何か』で、以下のように述べている。
【「自分が存在しない」ということは「ない」ということも、先に気がついたことだったね。だから、
 やっぱりすべては存在するんだ。存在しないということはなくて、世界も他人も存在するんだ。すべてが
 自分として存在するんだ。なぜなら、自分でないものが存在するということはないからだ。「他人」なん
 てものは存在しないと最初に言ったのは、この意味だ。 他人の存在を認めないとか、世界には自分しか 
 存在しないとか、そんな子供じみたこと話をしているんじゃない。これは本当に深くて、本当に難しい話。
 これも、ここだけの話だけど、このレベルの議論についてこれるのは、本当に少数だから、君は、そういう
 大人を目指せばよい。 ・・・・  大きい自分に小さい他人同士がつながっているからだ。大きい自分
 のう~んと深いとろまで到達しているような人、たとえばお釈迦様とかキリストとか、そういう人なら、
 他入の痛みも他人の心も、自分の痛み自分の心として、きっと一瞬でわかってしまうに違いない。
 「メビウスの輪」を知ってるね。内側を辿って行ったら、そこは外側だったというあれだ。
 君は、「自分の内側」と言った時、体や心の内側のことを思うね。でも、その内側が、外側の自然法則に
 よって動いているのなら、その内側って、じつは外側のことじゃないだろうか。内って、外なんじゃない
 だろうか。「自分の内」「自分の外」なんて、よく考えれば、決して言うことはできないことなんだ。
 なぜなら、すべてである自分には、内も外もないからだ。
 じゃあ「自分の外に存在する他人」という言い方で、人は何を言っていることになるのだろうか。】
  ~~
「心の内側を辿ると、そこは外だった」は言いえて妙である。すべてが自分として存在すということを、
メビウスの輪から考えると、分かりやすい。世界の秘境や異郷に行った先は、自分の内になり、そして
外にもなる。行けばこそである。そして、それぞれの延長が、それぞれ続いている。記憶がメビウス
輪になり、それが大きくなリ続けている。帰ってきてからでも、そこの旅番組やネットを見たりしながら、
その旅行の延長線上に加わるからだ。家内が度々言うが、「行かなければ、他の番組を見ている」のである。
自分が存在してなければ、地球など知りえない。 死んでしまえば、地球が消滅したと同じことになる。
その己の存在にとって、他者も自分もないのである。
・・・・・・・
3163, 金本位制度が復活?
2009年12月02日(水)
 昨日、日経新聞を何気なくみていたら、以下のような記事があった。
  * 中国政府高官「金保有、10年以内に1万トン」ドル安で買い増し論
 30日付の中国紙、中国青年報によると、国務院(政府)国有重点大型企業監事会の季暁南主席は2兆ドル
を超す外貨準備の運用について「金の保有量を3~5年以内に6000トン、8~10年以内に1万トンまで増やす
べきだ」と指摘した。現在の保有量は約1000トンで、1万トンへの買い増しは実現可能か微妙だが、ドル安
が続くなかで政府内で金の買い増し論が勢いを増しつつあるもようだ。 中国の外貨準備高は9月末時点で
2兆2726億ドル。うち約7割をドル資産で運用し、金の比率は2%弱にとどまる。最近のドル安を受け、
政府内では外貨準備の運用をドル以外に振り向けるべきだとの議論が再燃しており、なかでも金は
「安全資産」として評価が高まっているとみられる。
 ワールド・ゴールド・カウンシルによると、金の保有量(今年9月時点)は米国が8134トンで世界一。
ドイツの3408トン、イタリアの2452トンが続く。季主席は外貨準備運用の直接の担当ではないが、
今回の発言は政府内の多数意見を反映しているとの見方が多い。(北京=高橋哲史) (11月30日 19:45)
 ――
 以上だが、最近になって、米国の金本位論が再燃し始めているようだ。  
   (字数制限のためカット 2011年12月日)
 ・・・・・・・・
2798.ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法の言葉・・7
2008年12月02日(火)
 ー失敗を恐れるな!
「自分のカでは どうにも ならないことは、心配するな」 という言葉、今度の恐慌で、
 心配の極みで読んでみて、ホッとした道理である。 まあ、仕方ないことは仕方がない。
【第6の法則】
  失敗を恐れるな。 しようともせずに 逃してしまうチャンスことこそ恐れるに値するのだ。
  ~~~
「人間ができる 唯一の独創的な行為こそ、間違えることなのである」     ービリー・ジ。エル
「人には正しいことだけでなく、間違ったことをする権利もあることに気づいたとき、子供は大人になる」
                                      ートマス・ザス
「意味のある努力は、やってみる前には 簡単には見えない。だが、実際にやってみて結果が良ければ、
 その時点から振り返ってみると、簡単であったように 思い返せるものである」ーエドワード・テラー
「自分のカでは どうにも ならないことは、心配するな」        ユダヤ人の友人のコトバ
「金をなくしても、何も失わない。 誇りをなくせば、多くを失う。勇気をなくせば、すべてを失う」
                                  ーユダヤ人の友人の言葉
「自分を破壊する 一歩手前の負荷が、自分を強くしてくれる」     ーニーチェ
「過去というものには、 常に馬鹿馬鹿しさが つきまとう」      ーマックス・ビアボーム
「人生では、時には愚か者を 演じなければならない 時がある」     東欧ユダヤ社会の諺
「夢も悪夢もみたけれどへ 夢があったからこそ、 悪夢を乗り越えられたのた」  ージョナス・ソーク
「そもそも人間という存在は、ものごとを完壁には理解することができない生き物である。
 このことに気づくと、間違えることは恥ずかしくなくなる。 恥じるべきは、過ちの修正を怠ったとき」      
                                       ージョージ・ソロス
悲観主義は、ユダヤ人が決して 手にすることができない 高級品なのです」  ーゴルダ・メイヤー
「たくさんの失敗を 重ねてみて、 はじめて真実の全体像に 出会えるのだ」 ージークムント・フロイト
「経験は、素晴らしい学校だ。 ただ、授業料が高いのが タマに傷だが」   ーヘンリッヒ・ハイネ
・・・・・・・・
2007年12月02日(日)
 2433, お茶ひき        (●っー3。○)・・・ハッ!(●`・v・´)オハヨサン♪
最近、長岡・殿町の小さな居酒屋とかスナックに行くと、不景気な話ばかりである。先週は二度も
「お茶をひいた」という話など決して珍しくない。歳のせいもあるが、最近はスナックで飲んでも
前ほど面白くなくなってきた。酒のツマミでも買って、家でTVを見ていた方がよほど刺激的である。
  (字数制限のためカット 09年12月2日)
・・・・・・・・・・
2006年12月02日(土)
2069, 書画骨董の話 -1               才八∋ウ_〆(∀`●) 
 戦後になって転業するまで、実家が何代か続いた骨董屋であった。そのため転業後も父は書画骨董を
趣味にしていて、常に居間には書画骨董があった。私が父の40歳を過ぎてからの子供のため、暇を
みつけては散歩代わりに、骨董店に何度も連れられていった記憶がある。門前の小僧の何とかで、真贋を
見分ける眼がついたようだ。さらに、海外旅行で有名な美術館に行く度に世界の名画を数知れず見てきた。
そのためだろう、書画骨董の真贋の鑑識眼がついてしまったようだ。贋物に騙され、それを糧に眼を肥した
プロには足元に及ばないが・・ TVの「お宝鑑定にでてくる真贋は、ある程度はわかる。(誰も解るか?)
書画骨董を自分で買ってまで欲しいと思わないのは、どういう理由か? 逆に人は何で自分の手元において
おかなくてはならないのか不思議でさえある。そんなもの、自分の倉庫や居間に置いておく必要はない、
美術館に置いて公開すべきである。死にかけて初めて、そのことに気づく耄碌が大部分だが。それが趣味
なら、他者の言うことではないが。名の残っている人の書画は、波動というか何ともいえない雰囲気が
漂っている。それと品格というか気品である。絶妙のバランスである。これは自然の中に多くみられる
から自然の中にこそバランスが存在している。そのバランスを表現するには、それなりの技法があるはず。
それを知りたいと思っていたら、ある本で偶然見つけた。中国の山水画の六技法である。
波動を出している本体の構造をつくりあげる技法とは・・・
 ーーー
以下はインターネットで調べた「画の六法」である。
1、気韻生動 ‐ 初期においては気と韻律、動勢と生命感ある絵画か。物質が保有する詳細から来る
  気韻を正確に掴み取って、その特色を描けるに到るか。実在物との正誤を欠かずに。かつ、自身の
  気韻もそこに同調するかどうかも重要になる。自身の気韻と、描画対象の気韻。
2、骨法用筆 ‐ 物の正確な形(骨法)は正確に取れている、技巧ある筆運びか。己が骨子が如くして大事
  に扱い、己が骨知る生活が如く、筆を良く知る。己が筆が如く用いる事で、筆や自身を大切に生活出来る。
3、応物象形 ‐ 媒質の形状個性を、いかんなく象徴化し、応用できるか。媒質に応じた象徴を塑写す。
  物質の詳細にまでいかんなく応え描にて象を描き成す。媒材詳細に正確に適応し、
  かつ緻密で正確な状態に更に実在性を加えた状態での象徴たらしめる。
4、髄類賦彩‐ 精髄究めるべくした具体性とかね合わせる。
5、経営位置 ‐ 構図は正確で、意味のある位置取りか。描くにおいては描画対象に対して意義を成し、
  自らの位置掴み取るにおいては描画に最も適した媒材や自身の位置取りであるか。
6、伝模移写 ‐ 模写力はある。以上は南斎の「謝赫」が、その著作『古画品録』の序において説いたもの。
 その第1、の「気韻生動 きいんせいどう」を「謝赫」が絵画の最高理想とした。
 ーまあ、そのままでは難しいから解りやすくいうと、
 1、「気韻生動」とは、直感的に感じとらせる、名伏しがたい迫ってくる躍動である。
   自分の気合いと韻律を、エネルギーを込めて対象物への投入すること。
 2、その絵には、しっかりした基礎となるデザインがある、それが「骨法用筆」。
 3、その対象を的確に描写しなくてはならない、それが「応用象形」。
 4、それに色づけをするのが、「髄類賦彩」である。
 5、さらに構図をきちんとまとめる「経営位置」。
 6、こうした技術を身につけるため、古人の名画に数多く接して、
   その作品に忠実に模写する修行をするのが「伝摸移写」である。
 (字数制限のためカット 2011年12月日)
・・・・・・・・
2005年12月02日(金)
 1704, 家訓づくりのすすめ -1  
「今さら家訓でもないだろう」と思いつつ、図書館から借りてきて読んでみたら、これが面白い。
個人の心得としても、そのまま通じる。近年、世間を騒がせているモラルの低下や犯罪の増加、
ニートやフリーターの大量出現も、家族のあり方と無縁でない。目の前で説教をしても、
今どきの子供は聞かないが、家訓として書いて貼っておけば必ずみるものだ?
                (;`・ω・)ノ ---===≡≡≡【えぇ?!マジ?】
著者は、この時代の家庭の危機を救う方策として「家訓づくり」を提唱している。
350の家訓サンプル付で、家訓を作る時の注意事項も具体的でよい。
 家訓とは、その家の中心人物が、一族や家臣のために自分の体験に基づいた教訓である。
 しかし、その言葉の多くは、現在の個人に対しての戒めにもなる。 
第二章「家訓の歴史」と「名家の家訓」がよい。
有名なものとして、徳川家康伊達政宗・岩崎家の家訓・遺訓は何度か目にした事があるが、
記録として今後目を通したいので写してみた。              φ(。。*)
 -徳川家康の家訓ー
一、人の一生は重き荷を負うて遠き道を行くが如し、必ず急ぐべからず。
一、不自由を常と思えば不足なし
一、心望み起こらば、困窮したる時を思ひ出すべし
一、堪忍は無事長久の基
一、怒りは敵と思え
一、物好きは末に歎くことありと知れ
一、勝つことばかり知りて負くることを知らねば、害その身に至る
一、唯だ己を責めて人を責むるな
一、何事も及ばざるは過ぎたるに勝れり           〆(´m`) ムフッ
ーーー
何度かわが家の家訓を書いたことがある。家訓というより、常々両親が言っていたことを
まとめたものだ。
・保証人になるな
・金の貸し借りは絶対にするな
・お金を決して粗末に扱わないこと お金を前にすると、人間は変身をす  ¬_¬)ちらっ   
・借金は極力しないこと   (`´ゞ
・親しき仲にも礼儀あり、誰とも同じ距離を保つべし
・私生活は、奇麗にしておくべし  特に男女間に関しては、家庭内に持ち込まないこと
・生活は質素倹約を基本とすべし
・政治には最小限の接点にすること
まあ、明治時代の人は大体こんな考え方が8~9割であっただろう。
これを土台に『わが家の家訓』を制作中だ。これをやりだしたら、面白くて面白くて!     
  φ(._. )カキカキ 3(-ω-。)クシャクシャ (。-ω-)ノ⌒゜□ ポイ 〆(。。)
夫婦で共同作業をしておけば離婚の確率は低くなるだろうに?        (^_^)/~~
・・・・・・・・・
2004年12月02日(木)
 1339, 「酒乱になる人、ならない人」  ー 読書日記 -1
男なら一生のうちに何度か酒で失敗したことがあるはずだ。私も酒大好き人間として、何度
失敗したことか。大失敗をしても、数年もしないうちにまた酒の失敗を繰り返す。一番の敵を、
平気で口から脳に送りこむのであるから人間は馬鹿の生きものだ。酒で家庭を壊し、職場を追われ、
最愛の人にも愛想をつかれる。
 (字数制限のためカット 09年12月2日)
 ・・・・・・・・
 2003年12月02日(火)
972, ナレッジマネジメントー3
 ー「ベンチマーキング」と「ベストプラクティス」
 ナレッジマネジメントといえば、その手法として「ベンチマーキング」と
「ベストプラクティス」が頭に浮かぶ。
・ベストプラクティスとはー自社に比べて、優れた業務方法のことをいう。 
 他業種のよりすぐれた業務手法に多くのヒントがある。
・ベンチマーキングとは,ーベストプラクティスに学ぶ経営変革手法のことをいう。
‘解りやすく’いえば、「他業種のベストのモデルを見つけて、徹底的に真似ることである。」
‘難しく’いえば「系統的且つ継続的な測定プロセス。ある組織が業績を改善する為に役立つ情報を得る
ために、組織のビジネスプロセスを継続的に測定し、世界のビジネスリーダーと比較するプロセス」
 業界の内外を問わずベストなものとの比較を行うことによってギャップを埋め、現状を改善する有効な
方法である。
前向きなプラス志向の経営手法といってよい。
    ー以下は字数の関係でカット (2007年12月02日)
 ・・・・・・・・・
598,八ちゃんの時代ー2
 2002年12月02日(月)
少年期までは今考えても、かなり刺激的な環境で育った。生後3ヵ月後に、長岡の東神田から大手通に帰って
きた記憶がある。もしかしたら父親の話の刷り込みかもしれないが。子宮の中の記憶のある人もいるとか。
お手伝いの背中におぶさっていたのも這い這いも憶えている。歩かされた時に面倒くさいと思った事も。
商売の真っ只中で育ったせいか、今も人ごみが好きである。スーパーや飲食店に行くのが異常に好きなのは
三つ子の魂百までだ。競合店がオープンすると偵察に行った、5歳の頃である。家族全員が毎日の売り上げに
一喜一憂をしていた。もう50年以上も昔のこと。今考えると当時は金色に輝いていた。
生きるのに必至の両親の姿がそのまま伝わってきていた。素晴らしい時を両親と共有できたのだ。兄二人の
死とその5~10年後の母の心筋梗塞の死線があった。これで母は死ぬんだと思った、しかし生き延びた!
2歳の頃に実家で更に新しい事業を始めた。その記憶が生々しい。ビル建設の完成まで住んでいた木造の家
の下に丸太を入れ、近くの公会堂の前の広場まで移動した。 完成するまでそこで店を開いていた。
建物の完成した引越しの日々が生々しい。コンクリトーと生壁の匂いと混乱の凄みを。
あの時代は皆が必死であった。
  1階は店,           2階が倉庫兼事務所、
  3階が自宅兼店の食堂と風呂、 4階が従業員の宿舎兼後方であった。
 毎日が戦争のような日々であった。