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2018-06-13 読書日記 〜『こんな長寿に誰がした!』 〜2

[] 05:25 読書日記 〜『こんな長寿に誰がした!』 〜2 - 堀井の「居間 客室 読書室」 を含むブックマーク

f:id:horii888888:20180613052535j:image

             『こんな長寿に誰がした!』ひろさちや(著) 

   * 「超高齢社会」の病巣

 100歳以上の老人が増加している。しかし、寝たきりにしろ、元気なら尚のこと

周囲は大変である。私の兄・姉が私を含めて9人いた。 そのうち存命が5名。

相方の存命が3名。存命平均年齢が80歳と相成った。末っ子の私も、あと2年半で

後期高齢者の仲間入り。私の鬼門が、この辺りと想定しているが…。

 ライフワークの海外ツアーも、70歳が大きな関所。体力の限界である。

私の弱点は腰痛だが、先回のツアーで限界を実感した。

この年齢で驚いたのが、好奇心が全く衰えないこと。見聞きする何もかもが

面白くて面白くて… 。のんびり、ゆっくり、退屈など、ほど遠い日々。

これを書き続けてきた効用だろう。私たちは老いるにつれ、周囲に迷惑をかける。

それと「しょぼくれ」が、日々増していくことを自ら知る必要がある。我身を

整えるため、少しキツメな日程を組み、フル回転?の日々を過ごしているが、

このまま続けると「死ねない病」に陥る可能性がある。

 もう健康年齢の平均値に到達した。何時、寝込んでも不思議でないが、相方は? 

甲斐甲斐しく介護をするタイプでないから、明るい未来は待ってない。逆も有り

うることを微塵だに考えられない。とはいえ、残された健康年齢のうち、生き

きることしかない。

 週5日のスポーツジム通いも、週3〜4回にし、遠くない日に、止めないと、

「死ねない病」になる可能性がある。「死ねない病」の老人が「散歩好きが

悪かった!」と、後悔する話から、底知れない老いの恐ろしさが垣間見た。

死ぬことは恐ろしいが、老いて生きることは更に恐ろしい。 としても、生きて

いる限り、良いこと3.良くないこと1 のバランスの維持は可能だ。

私には、6300の書連ねたブログと、ネット写真集と、4000曲の入ったiPadがある。

それと面白可笑しい笑い経験と、感動体験の行蔵が… 

  ったく、最期は自画自賛かい!

 誰が自分を肯定してくれますか。 孤独は最高の友人。私は、過去に書連ねた

文章が、その時々の永遠に垂直に立っていた心情が…。老いるほど、過去という

友人が増えていく。それにしても、悪い実例が多い。私も含めてだが、好い加減に

生きてきたからだ。その「好い加減」が大事のこともあるから一概に言えないが。

 10年前から、歯医者を除いて、一切、行かなくなった。そこから見ると、血圧が

幾つとか、血糖値が幾つとかの雑談から、何だろう?この人達と… 未病まで

わざわざ穿りかえして。毒(薬)を飲まされてと。そうでしょう。「老いたら、

さっさと死んだら!」とも言えないか。日本だけだよ、一般の人まで一般検診

するなんて国は! チューブに繫がれて、薬づけにされ、死ぬに死ねなくなるよ。

何が「百歳、おめでとう」ですか。「90歳過ぎたら死に損ない」が、現実と、

著者が言いたかったことは! 辛いけど、これが現実。あのトランプを見れば

分かるでしょう。老害では済まされないでしょ。側近も含めて。先が無いのが、

世界政治の決定権を持つなど、もってのほか。本人たち以外に気づいているが、

当人たちは、微塵の自覚無し。60歳過ぎたら、未来を託す政治から排除するのが

自然でしょうが。他人事でなかったから言えること。

 

・・・・・・

5203,人間だけが、教育されなければならない動物

2015年06月13日(土)

       『人はなぜ、同じ過ちを繰り返すのか』堤未果:佐治晴夫対談

 「大地震で森からサバンナに追いやられたサルが四足か二足歩行に進化。

その結果、産道が狭くなり、未熟児の状態で出産。外敵から身を守るための

教育をしなければならなくなった。」という、論旨が面白い。

  * 人間だけが、教育されなければならない動物

≪ 佐治: あるとき、いまのアフリカあたりに、これまでなかったほどの

 大地震が起きました。いまもその痕跡が残っていて、隆起した山のあいだが

陥没して平原になっています。山に吹きつける風は上昇気流になり、雨が降って

山の森は豊かに保たれました。一方、陥没した部分には雨が降らしてカラカラの

サバンナになった。そこにいたサルさんたちは、さあ困った。いままでは木に

登って、遠くを見渡しながら、おいしいものがないか、危険な動物が来ないか

見ていられたのに、カラカラの草原になってそれができなくなってしまった。

 その結果、いつしか、遠くが見通せるように四本足から二本足になって立ち

上がりました。すると身体の背骨の上に頭がのる形になりますから、重くて

大きい脳を獲得できるようになり、人間になったのです。(註)

 ところが、二本足で立ち上がったことから骨盤の広さが70%ト狭くなった。

頭の大きい赤ちゃんを産めなくなり、自然分娩ができなくなります。

そこで人間は、未熟児のまま子どもを産まざるをえない宿命を背負う。

サルは生まれたばかりの赤ちゃんでも、自分で立ち上がって、お母さんの

おっぽいを飲めるけれど、人間の赤ちゃんはお母さんのサポートなしでは

何もできません。つまり、カントがいうように「すべての哺乳類のなかで、

教育されねば一人前になれないのが人間である」ということになります。

だから学校がある。小学生には「それが、君たちが学校で勉強しなくては

いけない理由です」としめくくりました。

<(註)アフリカで、800-1,000万年前に大地溝帯の活動が始まり、周辺に高地や

山脈を含む隆起帯が形成されたことにより、大西洋側から大陸東部に湿った空気

を運んでいた赤道西風がさえぎられると、大地溝帯の東側は徐々に乾燥して森林

が衰退し、やがて草原に変わっていった。森林に住んでいた多くの類人猿は、

この環境の変化に適応できずに絶滅したが、ヒトの祖先は樹上から地上に降りて、

直立二足歩行に移行した。すなわち、乾燥化によって木と木の間隔が広がった

ことにより、木から木への移動を行う際に地面に降りる必要が生じ、ついに

直立二足歩行を獲得した、とするものである。>

▼ 現在では、専門学校・大学を含めると8割が20歳過ぎまで親の庇護が

 必要となる。乳ばなれが出来れば目出度いが、そうはいかないのが人間様。

担任の先生が定年の年のクラス会の二次会で、この歳で、両親が90過ぎても

矍鑠として、自分を見守っている。これほど辛いものはない」とノイローゼ

気味に語っていたが・・ 趣味の世界があれば悩みが半減したのだろうが。

20歳頃に、自分の人生デザインを持てたかどうかが豊饒の人生か、そうで

ないかの大きな分れ目になる。今はネットがあり、情報は手軽に入るし、

趣味の道を深耕するのが比較的恵まれている。要は、意思するかしないか。

・・・・・・

4838,Quirt <内向型人間の時代> ー5

2014年06月13日(金)

              <内向型人間の時代> スーザン・ケイン著

   * ソフトパワー

 国にも、個人にも、内向型、外交型がある。さしずめ、江戸時代は内向型

国家の典型。そのため、鎖国の時代は、江戸文化という円熟した時代でもあった。

そこに外交型国家・米国の到来で大きは節目を迎え、近代国家へと歩み始める。

アメリカカレッジで、白人系と東洋系の学生の差異に、そのまま見てとれる、と。

東洋系の持っている内なるパワーを「ソフトパワー」と、捉えている。  

   ーそこで、「ソフトパワー」をネットで検索するとー

《 ソフト・パワーとは、国家が軍事力や経済力などの対外的な強制力によらず、

 その国の有する文化や政治的価値観、政策の魅力などに対する支持や理解、

共感を得ることにより、国際社会からの信頼や、発言力を獲得し得る力。

対義語はハード・パワー。 ・・・ジョセフ・ナイはこのソフト・パワーによる

対外政策の重要性を説く上でブッシュ政権や、その中枢を占めたネオコンという

勢力に対し、客観的に評価または批判をし、軍事力や経済力など強制力の伴う

ハード・パワーにのみ依存するのではなく、アメリカの有するソフト・パワー

を活かすことの重要性を唱えた。  ・・ナイは、ソフト・パワーを構成する

要素を掲げている。ひとつは、その国の有する文化である。その具体的な例と

して文学や美術、高等教育などのエリートを対象とする高級文化や大衆の娯楽

などの大衆文化が挙げられる。ナイはその国が有する文化の価値観に世界共通

の普遍性があり、その国が他国と共通する利益や価値を追求する政策を

とれば、自国が望む結果を獲得することが容易となるとし、一方で偏狭な

価値観に基づく文化では、ソフト・パワーが生まれにくいとする。・・ 》

  ーこの著書のソフトパワーの説明箇所から抜粋ー

《「ソフトパワー」、教授はそれを「火ではなく水によるリーダシップ」

 と呼んだ・・ 「アジア文化では、自分が欲しいものを得るために、しばしば

微妙な方法を使います。それはつねに攻撃的とはかぎらないが、けっして

ぶれない巧みな方法です。 最終的には、それによって多くを達成します。

アグレッシップパワーは相手を打ちのめすけれど、ソフトパワーは相手を

納得させて味方にしまいます」・・ ソフトパワーの実例とはどんなものかと

尋ねると、彼は目を輝かせて、アイデアと心をパネにしている人々のことを

話しだした。たとえば、各種の雇用者団体のまとめ役をしている人々―彼らを

達成するために、力学ではなく信念によって人々を結集してきた。

また、飲酒運転根絶をめさす母親の会は、カリスマ性ではなく思いやりの

パワーで世の中を変えようとする人々の集まりー そうした人々は自分の

メッセージを伝えるのに十分なコミニケーションスキルを備えているが、

本当の強さはメッセージの内容にある。 》

▼ この図式は、都会と、地方の関係と同じ。しかしアメリカを例にとれば、

 そのソフトパワーは、ハードパワーと同じぐらいに、充実していることは、

インターネット先進国ということからも垣間見ることが出来る。現役の時代は、

 パワーソフトの占める割合が高く、御隠居は、ソフトパワーに比重が移動する。

そのソフトは、長年の蓄積が必要。そのためにはハードパワーも必要である。

私のソフトパワーの蓄積は、数十年続けてきた、一日2〜5時間の読書。

 最近は、読書からネットとパソコンに比重が移動しているが・・ 

この二年間、スポーツジムのヨガに週二回、参加しているが、これは、

ソフトパワーそのもの。

・・・・・・

5933,閑話小題 〜三種類のアラブ人

2017年06月13日(火)  

       <「人間の目利き」 曽野綾子吉村作治

          〜アラブから学ぶ「人生の読み手」になる方法〜

  * 三種類のアラブ人

 先週のシネマが、数年前にあったテロを扱った <パトリオット・ディ>。

キリスト教圏のアメリカ社会のイスラム教徒によるテロ事件の実録的物語だが、

アメリカの白人社会は、思いの外、深いプロテスタントの国。黒人だけでなく、

アラブ人は、最下層の人たちと蔑まされている。アラブ人が、欧米社会内で

不平を持つのは当然で、前提が違うのである。、

≪ 吉村: アラブに住む人間には大きく分けて、

 ・アラブ人と、

 ・まったくアラブ人じゃない人と、

 ・アラブの人じゃないけれどアラブに入った人の三種類がいる。

アラブじゃないけど、アラブ人になるためイスラム教を信仰し、同じ

アラブ語を使って人間は、アラブ人同士より、少し信頼度が低いが、

仲間に入れてもらえる。

 アラブの社会では同胞、同法に準じる者、異邦人の3種類しかいません。

異邦人には厳しいルールをつくって対処するのです。それは敵として見て

いるのです。かといって、敵だから殺すというのではなく、敵の中でも、

こっちよりと、全くの敵と区別をしてつきあう多角的な対応です。

しかし真の情報を流すのは同胞に準じる者までで、あとは偽情報だったり、

ブラフだったり、反対情報だったりします。すなわち、情報こそが生きる

術なんです。

・曽野:テントに立ち寄ってみたら、ベトウィンたちが甘い飲み水を

御馳走をしてくれたので、2〜3ヶ月後に、お礼に行こうとしたら、運転手が

真っ青な顔をしていやだという。あなたは外国人だからいいが、僕が二度

同じテントに行くと、女か家畜をとりに来たと思われる、って。≫

▼ 20数年前になるが、イスラエルで、ユダヤ教徒も同じように

 ユダヤ人を3分類していると聞いていた。国を持たなかった流浪の民は、

各地で迫害にあって、頼れるのは金銀宝石と思われるようになっていたが、

実は、厳しい戒律の厳守が、キリスト教社会と、そぐわなかったのである。

そしてナチによる虐殺に至る。それがイスラム原理主義の聖戦を唱えるISと

なれば、ことは簡単に収まるわけがない。キリスト教原理主義と、ユダヤ教

原理主義と、イスラム原理主義者のシーア派と、スンニ派の入り乱れた

聖戦である。とすると、日本は島国の地勢の優位性を利用するためにも、

移民の受け入れは、最小にしておくべきというのも理解できる。

この分類は、地域社会にも存在する。例えば… 江戸時代からの老舗の家系。

戦後からの成金。ユータン組。旅の人と警戒される新参者。 …等々。

 これが医師、銀行員、事業の大小とかで、石ころの大小とか、カタチで

ランク付けをされている漫画的コスプレである。で、私だけは違うと、変な

確信を全員持っている。 それも有かと思うが… まあ、ここで止めておく。

 イスラムもユダヤもキリスト教徒も、「復讐するは我にあり」と、殺戮し

あって。 で、なぜか、以下に続いていく。

・・・・・・

5568,「復讐するは我にあり

2016年06月13日(月)

 時どき、「到底信じがたい偶然」とか、「第六感」とか、「布置」とか、

私の理解外のことに行き当る。倒産となれば、当事者にとっての大惨事。

しかし、他人の不幸は蜜の味。特にリスクを侵さない人生を過ごしたものに

とって、その人生に対しての自己正当化の丁度よい標的にになる。飽きずに

何度も取上げるが、思い込みもあるが、直接的行為をしてきた当人か、家族に

事故か大病が起こることが多い。50歳も過ぎれば何処の家庭内にも、問題が

鬱積しているとしても・・ で浮かんだのが「復讐するは我にあり」の言葉。 

映画の題材にもなった。これは元々、キリスト教の聖書から引用された言葉。 

 〜「復讐するは我にあり」を検索すると〜

《 <18 できれば、せめてあなたがたは、すべての人と平和に暮らしなさい。

 19 愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。

  「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」と

   書いてあります。

 20 「あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。

   そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる。」

 21 悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい。

          <ローマの信徒への手紙12章18節〜21節(新共同訳) 》

  〜より分かりやすく解釈すると

【この中の主は、神様のことを言っています。つまり、「誰かから悪いことを

 されても、悪で返さず善い行いで報いなさい。その代わりに私(神様)が代わり

に報復するから、あらゆる人達と平和な関係を作りなさい。】の意味。

キリスト教では、全ての人は死んだ後に裁きを受けて、天国に行くか地獄に行く

かが決まります。悪人は裁きの時に必ず地獄に行くのだから、復讐は神様に

お任せしなさいということなのです。> 

▼ 遥か以前に、相手に放った矢が、回りまわって自分を突き刺す諺に

 <返り矢に当たる>と、<因果応報}がある。三つのブラックスワン

(9・11テロ、 リーマンショック、3・11災害)の直撃だけでなく、

明治維新、太平洋戦争敗戦、そしてアメリカによる強要されたバブルと、

崩壊対する衝撃の認識度が、あまりに甘かった。そのことが、ハードラン

ディングの結果になっていた。新潟駅前に500室を集中させたこともあるが。

 神様を因果応報という自然の摂理とみれば、「復讐するは我にあり」と、

敢えて取りだてることもなし。それぞれの怒りを、ミニ物語として創作し、

時間の経過を待っていれば当面の毒消しになる。<されど、神様!>ですか。

――――

2011/07/12

ユング ー 3

 ユングといえば、「布置」と「共時性」である。 

妻とか恋人の関係がうまくいってない時、家庭内に大きな問題が重なった時に、

職場の上司や異性とトラブルを起こしたり、勤務していた会社が倒産した時に、

大病や大事故が重なったりする。 これらは、何とか原因を特定することも

出来るが(離婚と前後して交通事故にあった場合や、倒産時の関係者の事故率が

異常に高いのは、心が注意散慢になっていたとかで説明出来るかもしれないが)、

因果関係だけで説明できないことが多い。 私の倒産の場合、倒産したのが

30年前の開業前日。1981年3月31日開業、会社消滅が2011年3月30日。

全くの偶然の一致である。幾つかの事業や、幾つかののホテルの立ち上げを

始めると同時に、必ず身近に普段起きそうもない問題が起きる。

回数を重ねると慣れたもので、今度は、これか!と、冷静なもの。

他にも、色いろある・・。

 このことを「図解ーユング心理学」福島哲夫著、で、説明してある。

【  ◆ 布置と共時性について

* 一見別々に起きたことでも、その人にとっては非常に大きな意味を持って

 いる出来事の巡り合わせを、ユングは「布置(コンステレーション)」と

 呼んだ。コンステレーションとは元々は「星座」の意味である。つまり、

 広い宇宙に別々に存在している星が、ある人にはそれらが白鳥の影や竪琴の

 形に見えて、大事な意味を持っているように、個人を取り巻く事象の巡り

 合わせも、大きな意味を持つことがあるということ。 長く会っていない

 友達の名前を思いだしたとたんに、その人から電話がかかってきたようなこと

 なども、布置の一つである。その意味を深く考えなければ、それで終わって

 しまうからだ。

* 共時性(シンクロニシティー)と布置との違いは、共時性は、布置よりも

 さらに物理的に簡単には起こりにくい偶然の一致をいう。共時性の有名な事例

 で、ユングが若い女性の心理療法を行っているときに、その女性が黄金の

 コガネムシを夢で見たと語った瞬間、コガネムシが部屋の窓にぶつかってきた

 という逸話があります。ユングによれば、この女性患者は、非常に固い合理

 主義者で、自分自身の現実感に堅くしがみついていて、治療にまったく進展が

 なかったのが、この不合理な出来事によって、彼女の変容のプロセスが動き

 始めたという。ユングによれば、このような出来事は、元型の力がはたらいて

 生じるとしている。つまり、人間や、動植物までも含めた存在を支えている

 共通の基盤となるような領域における力が働いて起こった現象だというのだ 】

▼長い間、会ってなかった友人のことを考えていた丁度その時に、その本人から

 電話があったりなど因果関係で説明できないことがあまりにも多い。日本にも

 古来から「虫の知らせ」という言葉がある、とおりである。こういうのは

 科学者は、正面から取り組むことを避けてきた。しかし、ユングは幼年の頃

 から、おかしな感覚を持っていたこともあり、人間の持っている5つの

 感覚外の、シックスセンスの研究に踏み込んだのである。再びユングを

 再読を始めたためか連日、奇妙な夢の連続である。

・・・・・

4471, 一日5分「簡単ヨーガ」健康法 ー6

2013年06月13日(木)                      

             『一日5分「簡単ヨーガ」健康法』ー番場浩之著

   * 3日目 身体の前後両面と、手指を開く ー?

A・ 胸と背中を開き、膝裏を伸ばす体位 ーP66  

 基本体位= 金剛座(足を重ねない正座)をして、尻を浮かす

 ようにつま先だって、脚の前で手の平をつく(四つんばい)。

1、「静かな呼吸」→「軽い呼吸」→「深い呼吸」を入れながら、

 「天のプラーナ気」を引き入れ、天井を見上げるように顎を上げ、

  舌を巻き上げて胸を開き、背骨を反らして腰を入れる。

2、手の位置を動かさないで、肘を伸ばして息を出しながら、両膝を合わせた

  まま、かかとを床につけるようにして背中を開き、「大地のアパーナ」

  を引き上げるようにして、背中を充分に開く。

3、緩めて、少し息を入れながら、基本体位に戻す。そこで、「軽く一息」。

4、もう一度、1〜2を繰り返す。そして軽い一息を入れながら、膝裏を

  伸ばして、手に体重をかけるようにして、尻を持ち上げてつま先で

  立上がる。膝裏は充分に伸ばす。

5、息を出しきりながら、かかとに体重をかけ、肘と膝を伸ばした状態で腰を

  入れ、眉間を見上げるようにして顎を上げる。「軽く一息」入れていったん

  緩め、さらに出息とともに、かかとに体重をかけて「膝裏→腰→胸→顎」

  の順で背骨を反らせ、「大地のアパーナ気」を引き上げる。

6、「軽く一息」入れて緩めたら、ゆっくりと息を出しながら、膝をつき、

  [基本体位]に戻す。最後に、「軽く一息」→「静かな一息」→各自の呼吸」

  で、息を調えて金剛座に戻す。

 ▼ 犬猫が時々行う、横から見たら腰を頂点とした三角形の姿勢。前者は、

  座ったまま、後者は、後ろ脚を立てた姿。これもSJのヨガ教室で、

  必ず毎回、行っているポーズ。 

B・ 手の指を開く体位 ー P72

 [基本体位] 金剛座(P・69)になり・親指と人差し指をつけて手印を結び、

  肘を直角に曲げて前腕は床と水平に、手のひらを上向きにする。  

 ★立位でも、椅子に座った姿勢でもかまわない。

1,「静かな一息」→「軽く一息」の後、「深く一息」で息を満たしながら、

 手指が反るくらい充分に開き(パアの状態)、息を止めて少し保つ。

 ここで、肩に力が入らないよう注意。

2,ゆっくり息を出しながら[基本体位]に戻って「息」したら、もう1回??を行う。

3,さらに、?を行った後手指を開いたまま、息を止めて少し静止。息を止めた

 まま、ゆっくり親指から順に小指まで一本ずつ、指のつけ根から手前側に

 引き寄せるように折り込んでいく。このとき、指の緊張を緩めないように注意。

 最後に、親指を握り込むように「グー」でしっかり握る。★指を折り込むとき、

 開いているほうの指の関節が綾まないように、伸ばした状慧を保つ。

4,さらに、息を止めたまま、小指から親指まで順に指関節を伸ばした状態で

 開いていく。最後にしっかり開ききり、ゆっくり息を出しながら[基本体位]

 の手印に戻って「軽く・一息」。

5,再度、?、?、?を行う。計2回。

  [ポイント] どの姿勢の場合でも、背筋をピンと伸ばして行ってください。

 自分で開いたと思った状態から、さらにあと少し努力して・表面が「ジーン」

 と感じるくらい開きます。手のひらのみの実修と思わず、腕、肩、首、胸など

 上半身全体にかかわるものと思って、呼吸とともに全身的に行う。

▼ スローヨガでは、片方の手を上向きに開いて、もう一方の手で深呼吸を

 しながら反り返す。

・・・・・・・

4097, 予言の書「日本の自殺」 ー3

2012年06月13日(水)

2018-06-10 映画鑑賞 〜『万引き家族』

[] 05:25 映画鑑賞 〜『万引き家族』 - 堀井の「居間 客室 読書室」 を含むブックマーク

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   * 『万引き家族

 カンヌ受賞作に魅かれて見てきたが。成るほど、それだけの内容。

「疑似家族物語」とも言えるが… 駄菓子屋の親父が少年に、「妹まで万引きを

させるなよ!」と諭すが、そこでハッとする。そして、わざと、万引きをして

捕まる。訳ありの幼女を住まわせて全国的誘拐事件になり、それが発覚。

 静かで穏やかな日々の中に、恐ろしいほどの緊張感が漂う。

《 〜あらすじ〜 高層マンションの谷間にポツンと取り残された今にも壊れ

そうな平屋に、治と信代の夫婦、息子の祥太、信代の妹の亜紀の4人が転がり

込んで暮らしている。彼らの目当ては、この家の持ち主である初枝の年金だ。

足りない生活費は、万引きで稼いでいた。社会という海の底を這うような家族

だが、なぜかいつも笑いが絶えず、互いに口は悪いが仲よく暮らしていた。

冬のある日、近隣の団地の廊下で震えていた幼い女の子を、見かねた治が家に

連れ帰る。体中傷だらけの彼女の境遇を思いやり、信代は娘として育てることに。

だが、ある事件をきっかけに家族はバラバラに引き裂かれ、それぞれが抱える

秘密と切なる願いが次々と明らかになっていく──。》 

▼ 「離婚率が、日本で35%、アメリカ50%、ベルギーオランダなどは7割辺り。

 家庭内離婚?を含めると、8割超が崩壊!」が家庭内の実態である。訳ありの

御婆さんの家に、年金目当てに、訳ありの人達がシェアハウスのように寄宿する。

外目で見れば、祖母と、両親と、3人の子供が家族の体裁。その疑似家族が、実際

の家族以上に寄添い暮らす。万引きで生計を補填しているため、危うさが逆に、

生々しく温かい生活感を醸し出す。   評価:90点

――

――

   * 県知事選、誰を入れる? まさか落下傘男? 

今日は県知事選。 迷うことなく原発の再開反対派の女性候補

悪さ比べの感が強い選挙だが、副知事経験者としても、パラシュート候補の

軽さは否めない。当り前だろう、二度も大地震があったのに再稼働賛成が見え

みえの男に誰がいれますか。原発の直下に二つの活断層があるし… 

元もと知っていて強引に誘致したのでは? 前県知事の下ネタにしても、

何処か?のマワシモノがリークしたと仮説をたてると、合点がいく…。

 私の人生にそう先がないとしても、若者を考えれば、反対は当然のこと! 

前の県知事選で保守系を入れたが、今から思い返せば、間違い。再稼働など

とんでもない。 北朝鮮問題は、そう簡単に終わりませんよ。北朝鮮より、

アメリカが問題。旧式兵器の在庫処分の必要性があるし。そう簡単な問題でない。

8割の確率、いや9割の確率で… 勝負はついている。

 としても、県の経済を考えると… だが。騙されていたのは地元民。

しかし、利益を得たのも既成事実。毒喰えば皿まで… もあるが。 でも駄目!

・・・・・・

4468, 99・9%は仮説、ですか〜 −6

2013年06月10日(月)

    「99・9%は仮説 ー思いこみで判断しないための考え方」竹内薫著

  * 第5章 「大仮説ー知的設計説」はありえる世界

 宇宙・世界・人間の存在を考えるほど不思議なものはない。特に自然界には

驚くようなことばかり。極楽鳥や孔雀の美しい姿が、デザイン無くして、進化

だけで表現出来るのだろうか。地球という惑星もしかり。これらは知的設計者が

存在すると考えると一挙に解決する。進化論だけでは解決できない疑問があり過ぎ。

そこで神様を、そこに持ち出しても埋めることができない。所詮は、人間が創り

出した絶対者の主役でしかない。我々の住む宇宙以外に10の5百乗の数も

存在し、ループ状の管で繋がっている可能性があるというのだから、何があって

も不思議ではない。いや10の5百乗の宇宙の存在の方が、この大仮説より

遥かに衝撃的である。 ーその辺りを抜粋してみるー   

≪ もしかして、この宇宙は、どこかの実験室で創られたものなのかもしれない…。 

 こういった突飛な考え方を、頭ごなしに否定してはいけません。科学では、

どんな発想もアリなのです。前例がないから、常識からはずれているからと

いって否定するのは、まったく科学的な態度ではないのです。・・「大仮説」と

呼ばれる仮説があります。現在の常識から考えると、ちょっと疑わしい仮説のこと。

でも、そんな「黒い(まちがっているように思える)仮説」であっても、

頭ごなしに否定することではできません。もしかしたら近い将来、大発見で

これまでの常識がひっくりかえって、大仮説こそが「白い(正しいと思える)

仮説になっているかもしれない。現在、進化論を信じている人が、たった

37%。 いまのアメリカで物議をかもしだしている科学論争に、

インテリジェント・デザイン説」というものがあります。直訳すると

「知的設計説」ですね。人類の起源の話です。むかしは、聖書の記述通り、

約6千年前に人類は神によって創られたという「創造者説」が一般的でした。

それに対して、すごく原始的な生物から40億年という時間をかけて少しずつ

進化していったものが人類であるとしたのが、ダーウィン(1809〜1882)。

 ひとことでいうなら、知的設計者説というのは、このダーウィンの「進化論」

に対する対立仮説なんです。これは、カリフォルニアサンディエゴ校で

1999年に作られた仮説です。宇宙のどこかに知的設計者がいて、その知的

設計者がDNAを設計して、生物を創りだしたという説なんですね。だからこれは、

形を変えた創造説といえなくない。ただし、聖書に書かれているような神様で

はなく、あくまで知的設計者という言い方をします。 さて、この説を高校や

大学で教えていいのかどうかという議論が、いまアメリカで盛んに行われている

のです。「進化論は正しい、検証された仮説なんです」というように教える

べきか、あるいは「進化論はたくさんある仮説のうちにすぎず、対立する仮説と

してはたとえば知的設計者説というものがあります」というように教えるべきか。 

そういう論争なんです。日本では、まだこの問題は論じられていませんが。 

それでブッシュ大統領が、この問題に関して、後者(知的設計者説)の

ようにしたほうがいいだろうみたいなことを公の場でいって、一気に大騒ぎに

なっているんです。 ・・13歳から17歳までのアメリカの若者に、

ダーウィンの進化論についてアンケートをとった結果があります

それによると、ダーウィンの進化論は証拠によって支持された、検証済みの

科学理論であると思っている人は37%。たくさんある仮説のうちのひとつに

すぎず、それなりに検証されているが確定的ではないと思っている人は30%。

残り33%の人は「わからない」という結果です。これから、若者のあいだ

では進化論が揺らいでいることがわかります。・・ ≫

▼ 実際に我われは三次元の世界しか知ることが出来ないが、

 4次元〜10次元の世界があるという。その次元の存在が三次元の我々の

世界を操作しているとしても、我々には認識しようもない。一神教はアッラー

の神が、それにあたると主張するだろう。最後は宗教問題に行き当たる。

宇宙や世界の存在の不思議が深まるにつれ、認識と判断は困難になっていく。

・・・・・・

4835,「出羽の守」の功罪

2014年06月10日(火)

  ー(耕論)「出羽の守」の功罪ーより 

 新鮮な海の魚貝などの港で、レポーターが、軽いのりで、

『これって、東京では、高くて・・』などを聞くと、またか〜何様じゃ御前は。 

東京は東京、産地は産地だろうに!と。高校を卒業し上京した時、注意された

のが、私の口癖、『いわゆる○○』。無意識で、『私の言葉では○○』の置換え。

小さな厚い殻から、社会や知識を置換えていた、自身の出羽の守を指摘された

のである。 朝日新聞の文化欄のー「耕論」「出羽の守」の功罪ーが面白い。

  ーまずは、その一つからー

《 あなたの周りにもいませんか。「アメリカでは」「ネットでは」を連発する

 「出羽の守(かみ)」。うんざりすることもあるけれど、聞けばもっともな

 こともある。その弊害と効用とは。

   * ペンギンに飛べと言うな   野島博之さん(予備校講師)

出羽の守」を抜きにして、日本史は語れません。「中国では」という形で、

実に多様なものを取り入れてきた。古代なら律令と仏教、中世は禅宗、近世は

朱子学がその代表例です。日本の「出羽の守」には二つの特徴があります。

・一つは、「出羽の守」ならではの吸収力を生かして、

 ときどきの文明を高次化してきたこと。

・もう一つは、最初は「出羽の守」で始まったものの多くが、

 やがて日本化・独自化したことです。

日本のものすごい模倣力を示す好例が古代の都です。7世紀の終わり、日本は

中国の古典に学んで、宮城が都の中央に位置する藤原京という壮大な都を築いた。

ただこれは、当時の唐の都とは異なっていました。8世紀初頭の遣唐使が唐の

最新情報をもたらすと、日本は藤原京をあっさり捨て、今度は長安城にならって

宮城を都の北端におく平城京の建設開始。東京スカイツリーを3基も建てた

国家的プロジェクトの直後に、「あれ、ちょっと違うぞ」ということになって、

また3基、別の場所に建て直した感じです。 日本化・独自化という点では、

茶の湯や枯山水がわかりやすい。いずれも禅宗に起源をもち、やがて、追随

しがたい小宇宙とでもいうべき日本独特の様式を作りだしていきました。

よく知られているように、幕末以降、西洋文明の導入にも日本社会は異常な

エネルギーを発揮しています。この過程で、帝国主義的な態度や行動も身に

つけた。欧米諸国は第1次世界大戦のもたらした悲劇を背景にして、そうした

行動様式を転換していくのですが、大国意識を強めた日本は、第1次大戦の

教訓を真剣に学ぼうとはしなかった。そこには仕方のない面もありましたが、

ただこの「出羽の守」精神の決定的な欠如は、後に日本がみじめな敗北を喫する。

 現在の日本は、キャッチアップ型の社会を終え、あらゆるところで「今度は

自分で飛べ」とけしかけられています。でも、日本は飛んだことのないペンギン

のようなもの。突然変異は容易じゃない。夢をあきらめる必要はないけれど、

ペンギンペンギンらしく、まずは自分の得意技を、とことん磨くべきです。

・・(中略) イノベーションと「模倣の果て」はほとんど同義です。

ぶれずに考えて考えて、また考える。細部にこだわって工夫して工夫して、

また工夫する。この精神が必ずブレークスルーをもたらしてくれます。 

ペンギンは空は飛べないけれど、水中なら自在に動ける鳥類ですから。

                      (聞き手・尾沢智史) 》

▼ 高校を卒業後10年あまり経った後、Uターンで地元に帰って驚いたのが、

「長岡出羽守」の世界。実は現在も驚きは同時進行。 その違和感が強く、

同窓関係と、一部の人以外、殆ど付合いがない。それぞれの地区の出羽守には、

プラス・マイナスの両面がある。 私自身は、さしずめ「堀井誠作(父の名)

出羽守八郎」。流通先進国の米国出羽守で、何時の間にか、流通で米国に追い

ついたら、こんどはネットで、アメリカに先をこされた。ネットは、デジタル

の世界。果てることのない『出羽の守』が出現してきて、その功罪は大きく

なっていく。

・・・・・・

5930,閑話小題 〜褒められることと、貶されること

2017年06月10日(土)

    * 褒められること、貶されること

 人とは貶されたことは直ぐに忘れるが、褒められることは、いつまでも

憶えているもの。若いうちは逆だったが… これは生きていく上の知恵で、

褒められたことを何度も思い返し、嫌なことは隅に追いやるためである。

だからこそ、人は生きていけるのだが。

 作家の渡辺淳一が、「女性に持てたいなら、心を込めずに褒めなさい」と

述べていたが、正に、女心のアヤをついている。何気なく、思いのままフッ

と褒めた言葉が、いつまでも心に残るもの。貶すも、褒めるのも、たった一言

で済むのならば褒めるが勝ちである。女性の多い職場に長くいて感じることは、

思いの外、美人は持てないということ。そしてナルシストのこと。視線は感じ

ても、直(じか)に、褒められる機会が少なく、褒め慣れていないのである。 

だから、下心を?持たないで、さりげなく褒められるのに弱い。逆に貶される

ことに、人は、意外と強いのである。 何故に、こうなるのだろう? 

褒められると、全人格まで肯定された錯覚に陥るからである。営業専門職は、

「褒め殺し戦術」を身に着けることが第一歩とあいなる。一番、巧妙なのが、

「教えを乞う」のである。そして、教え頂いたことに過剰反応を示すのだ。

有能な営業マンは、それ故に、相手以上に、相手の知識、ノウハウを身に

着けていき、芸術的技術となっている。 当然、女性にも向けられるが、逆に

警戒されて門前払いされるケースが多いようだ。

 20、30歳代の頃、「三度褒め」を若い美人に限って、心がけていた。

より効果があるのは、内語として繰返し思っている方が、より相手に伝わる? 

で、持てていたかといえば… そうでもないのは如何なることか。

この「三度褒め」、全ての人に実施していたら、人生、変わっていたのだろう。 

・・・・・・

5565,閑話小題 〜にほん縦断こころ旅 〜?

2016年06月10日(金)

  * 世の中にはこんなに面白い人たちがいるんだ!  火野正平

 この番組で立寄る道路沿いの食堂の場面がよい。家内は、その場面になると、

台所からやってくる。食堂の御上さんの、さり気ない人柄に味わいが滲み出る。

番組は、この3月で六年目。去年の秋に通算五百日を突破したから、一年で

百日は自転車に乗っている。 私はまる7年間、一年230日間として、

1600日、一日、12キロMとして、大よそ、1万7千キロになる。ただし、

私の場合は、同じ道を一周して帰ってくる散歩かわりのポタリング。一度、

雨道でスリップをして地面に叩きつけられたことがあるが、転倒は、一度だけ。 

  〜後半からコピー

【 この番組のいいところは、手紙に書かれている風景が見えなくても、

それで終わりにすること。例えばタ焼けって、天気が悪かったら見えないけど、

それはそれ。「見えないからごめん」って。静岡に二週間いても富士山が一回

も見えなかったり、富山に行っても全然立山が顔出さなかったり。

あとは「心の目」で見てください、と。

 よく「人との触れ合いが面白い」と言われるけど、そこまで意識はない。

番組だから地元の人に声をかけているだけで。もちろんべっぴんは好きだよ。

遠くにいても、可愛いと直ぐわかる。後で番組を見直しても、こんなきれいな

人をよう見つけたなと思うことも多い。でもそれ以上に「世の中にはこんなに

面白い人たちがいるんだ」と気がついた。いい子、可愛いおばちゃん、おもろい

爺ちゃん。そういった人たちに、俺は嫌われていなかった、というのも驚いた。

自分でもあまり良いイメージはないだろうなと思っていたから。

これは発見やった。休みのときも、街でよう声かけられるもの。

 五年もやっていると、体がしんどくなることもある。前期高齢者だから。

基本的には日曜に集合して、月曜から木曜まで走って、金・土が休み。

監督もカメラマンも音声もローテーションで交替していくけど、俺だけは

出ずっぱり。だからギャラが一番高いんだと思うけどさ。また冬は放送が

なくて三カ月ぐらい休むから、春は旅に出て最初の一、二週はしんどい

「今回は大丈夫か?」ってなるけど、三、四週とやるうちに「行けるん違うか」

ってなる。体が順応できるようになっているんだね。これまでトレーニングも、

体調管理なんてしたこともない。検査も行ったことないし。きっと管理なんか

したちストレスがかかって逆におかしなると思うね。野放しで行けるところ

まで行きたい。そうしたらこの前テレビに養老孟司さんが出ていて、78歳で

タバコは吸うし、酒も飲むし、検査も絶対に行かないって言っていた。

解剖医なのに(笑)。それを見て新しい目標が出来たなと思ったよ。最後の最後に

密かに行きたいと考えている自分の「こころの風景」はある。カウァイ島なんだ

けど、本当に涙が出てくるような風景なんだ。いつかご褒美で行かせてくれへん

かなと思っているけど、ど、うやろう。『にっぽん縦断』やから難しいかもな。】

▼ 前期高齢者の火野は、雨天の時は、結構しんどそうだ。通りすがりの人や、

 乗用車から、『いつも、見てますよ』の声が、視聴者全員の声を代弁する。

7年間の毎朝のミニサイクリングで、平日の信濃川の長岡大橋と大手大橋を、

iPodで音楽を聴きながら、鳥の声と、爽やかな空気と陽光を受け走っていると、

『早起きと、一寸した工夫で、毎日、夢のような快適な時間を過ごせるのに、

何故、誰も気づかないのだろう?』と思うこと度々。この閉ざされた時空の中

では、毎朝、毒出しをしないと、精神のバランスが保てないこともあるが。

・・・・・・

5200,ライフステージより、ライフコースへ 〜2

2015年06月10日(水)

      『社会学〜フシギなくらい見えてくる!』現代位相研究所(著) 

  * 個人の活動領域が重視されるライフコース

 ライフサイクル論では、家族を中心に捉えられているが、ライフコースは、

個人が中心に据えられている。戦前まで平均寿命が50歳だったが、今では80歳。

それぞれの第二、第三の人生のコースが自ずと多様に分かれてくる。

≪・・植物は種から芽を出し、花を咲かせ、実をつけ、また種をつくり、枯れる。

 同じように動物もまた、親から生まれ、成長し、子をつくり、死んでいく。

このように、一つの生命の始まりから終わりまでに着目すると、それは循環して

いることがわかる。人間もまた、一つの生命で、動物であることを考えると、

他の動植物よりも複雑ではあるものの、それは循環しているように見える。

 すなわち、親から生まれ、成長し、家族をつくり、子供を育て、歳を取り、

そして死んでいくというわけだ。こうした、出生、成長、成熟、老衰、死亡という、

一生の中の規則的な過程を「ライフサイクル」という。とはいえ人間の場合は、

いうまでもなく、たんなる循環ではない。私たちは、たいていの場合、自分の

平均寿命(日本人の場合、およそ八○歳)を知っているので、自分が歳を取って

死ぬまでの人生を漠然と思い描いているかもしれない。けれども、たとえば、

乳幼児の死亡率の高さを考慮しなくてはならないものの、平均寿命が五〇歳を

超えたのは、実は戦後のことなのだ。さらに、人類の歴史を振り返ってみれば、

その大半は一〇代で亡くなっていたと考えられる。つまり、私たちが老いること

と死ぬこととを結び付けて考えること自体が、それほど自明なことではないのだ。

したがって、私たちの人生は、単に生物学的に捉えるのではなく、社会的・歴史的

影響と結び付けて考えられなくてはならない。こうして、「ライフコース」という

概念が必要となる。ライフコースとは、グレン.H.エルダーによれば、個人が年齢

別の役割や出来事を経ながら辿っていく人生の経路である。ライフサイクル論では、

生物学的な加齢が重視され、また、個人が家族の中で成長し、家族を形成し、家族

の中で人生を終えることが前提とされていたために、家族それ自体が注目される。

これに対してライフコース論では、家族の内部だけでなく、学歴や職歴、場合に

よっては兵歴など、社会変化の影響を受けやすい個人のさまざまな活動領域

重視され、その経歴の複数の束として多様な人生が想定されている。そこでは、

個人は社会変化の影響を受けると同時に、社会変化をつくり出す存在でもある。≫

▼ 三組に一組は離婚する時代。これも一つの選択のコースである。一生未婚の

 ケースもあるし、離婚再婚を繰返すケースもある。事業創業人生を目指した

私のケースも、特殊なライフコースである。時代の社会変化が直撃し翻弄され、

その束が人生になる。元もと覚悟の上のため、最後の結果をスンナリ受け入れる

ことができた。この辺りは経験しないと分からないこと。 空虚しか残らない、

薄笑いを浮かべたライフサイクル論のドブネズミに到底理解など出来ようがない。

2018-05-27 読書日記 生きることへの冒瀆とは!

[] 05:51 読書日記 生きることへの冒瀆とは! - 堀井の「居間 客室 読書室」 を含むブックマーク

f:id:horii888888:20180527055134j:image

          『旅人よ どの街で死ぬか。〜「男の美眺」』

                   (伊集院静 2017年)から。

   * 旅、あるいは人生について

 私の人生を振返って、一番良かったことは世界中を旅してきたこと。

それも8割かたは家内同伴である。その良さは秘・異郷世界の非日常に、

家庭の日常を持ち込むこと。 日常そのままを、非日常の世界を持ち

込む奇妙な感覚は絶妙。エンジェルフォールの滝への大きはテント場

に次男と、家内と共にハンモックで泊まった、あの奇妙な経験… 

  ところで、こんな有様でも、私は自分の人生を気にいっている。

・まずは経済成長の真只中の昭和40年代と20歳代が重なり、些細だが

 アップスケールできたこと。

・次は、45年の「起承転結」の結が、最後はアンハッピー?としても、

 充実した手応えがあり『ご覧のとおり、そのまま結構!』で…

・45年モノの事業人生も然り、(果たして、これが事業か否かもある)

・趣味では、30年にわたるロングランの世界秘異郷ツアー。

・40年モノで、早朝のウォーキング+ポタリング(チャリ散歩)の継続。

・50年モノでは、居酒屋+カラオケスナック+宴会遊びの行蔵。

 そして、読書… 

・シネマ館や、自宅での映画・ドラマ数千分の観賞… これは40年モノ。

  ◉ 何はともあれ、質量的に秘異郷旅行が特に … 

どれもこれも、充分に満足しているが、アマチュアというより素人レベル。

これらを光とすれば、その背後には、その時々に「生老病死」の大きな

闇が口を広げていた。不幸、絶望、涙あればこそ、幸福感が光り輝くもの。

世界の光景の感動は、魂に刻印されて、永遠に残す力を持つ。

 プロローグの「旅人よ、旅人よ、至福あらんことを」の冒頭がよい。

≪ ◉ あなたが何歳かわかりませんが、私たちはこの世に生れてきて、

 やってみなくてはならないことが幾つかあるとおもってます。

少しオーバーかもしれませんが、それをせずして死ぬということは、

生きることの冒瀆ではないかと思います。

 それを‘恋愛と言うロマンチストもいるでしょうし… 

 素晴らしい音楽を聞くことであると…

 美味しいワインを飲むことだという人も…

 人生の伴侶を見つけることという人だと言い切る人もいる。

そして、私にとって、この世に生まれれてきて、これをしなくてはならない

と思えるのは、断然、旅です。>

<◉ 近世のヨーロッパで、グランドツアーという名称がつけられた旅が流行

したとき、その謳い文句は「人間として生まれてきて、もっとも至福なことは、

旅をすることである」とありました。…それでも私は旅をしたことで私の体に、

記憶に、今もきちんと埋めこまれている旅の日々が他の行動では決して得る

ことのできなかったことを、確信できます。出来ることなら、生涯旅を続ける

ことができたなら、と今でも思ってます。         24-25p

◉ 私の旅の基本とはどんなものか。…すべてを実感だけで捉るのが私のやり方。

 〜そのいい例が第五章のポーランドアウシュビッツの旅です。 …

その街に足を踏み入れ、あてどなく彷徨すれば、皆さんの身体のなかに、

その街は生き続けます。それが旅の至福を得るということです。 30p

◉ なぜ軟弱なのか?それは連るむからである。一人で歩かないからである。

 ”弧”となりえないからである。〜”弧”を知るにはどうすればいいか。

さまようことである。旅をすることである。    34p

◉ 想定する生には限界がある。所詮、人が頭で考えるものには限界がある。

 想定を超えるものは、予期せぬことに出逢うことからしか生まれない。43p>

▼ 旅好きが、旅好きの人のために書いた本。何度も何度も、ここでテーマと

 してきた。その感動は、それぞれ年代の人生の横糸として織り込まれている。

――――

2016/08/01

かわいい自分に旅させよ ー?

         <『かわいい自分には旅させよ』浅田次郎著>

   * かわいい自分に旅させよ 〜B

 40歳代に入って直ぐの頃、『年一回の海外に出ること』を決めた。

そして、半ばも過ぎた頃、それを年二回に切り替えた。20歳から20数年間、

ストレスの多い「創業」の為の転進を繰り返してきた。何事も現実に直面

すると、火事場のバカ力が生じてくる。その奇跡に近い偶然を拾い上げて、

その場を切り抜ける。しかしストレスは並大抵ではない。その沈殿がピーク

になっていった頃である。その解消剤にツアーのストレスと感動が、合理的で

あることに気づいた。早朝の読書習慣と、散歩、そして、海外ツアーが、

何とか、自分を支えてくれた。 半年単位、一年単位で、そのストレスを、

払い落とすしかない。そこで、「秘境・異郷ツアー」のストレスで、それを

削ぎとるしかなかった。それが、結果として、心の、いや魂の財産になった。

 〜以下の部分は、「苦労でなくなった旅を、自分に与えよ」と勧める。

 ≪ 「かわいい子には旅をさせよ」という格言は、今や死語であろう。

 かつては苦労の代名詞であった旅行も、世の中がすっかり便利になった今日

では娯楽の王者となってしまった。もしかしたら今の若者たちは、この言葉の

意味を「かわいい子には娯楽を与えよ」と曲解しているかもしれぬ。

 たしかに旅は苦労ではなくなった。ただし、経験としての価値が損われた

わけではない。人間は経験によってたゆまぬ成長をとげるものであるから、

苦労を伴わずに経験を得ることのできる今日の旅は、子供よりもむしろ大人に

とっても好ましいかたちになったと言える。この福音に甘んじぬ手はあるまい。

「かわいい自分には旅をさせよ」である。金だの時間だの手間だのと、旅に

出かけぬ理由を思いつくのは簡単だが、よく考えてみれぽ金は貯めるものでは

なく使うものであり、時間はあるなしではなく作るものであり、手間を惜しむ

は怠惰の異名に過ぎない。つまり旅に出てはならぬ合理的な理由は、実は何も

ないのである。 ≫

▼ 秘境への旅の決断と実行は、非常に抵抗が生じる。まず、家内が、激しく

 抵抗する。そこで一人参加を決意すると、家内も渋々、決意するパターンの

繰り返し。で、抵抗感が強いほど、その内容は、濃厚で味わい深い物語になる。

しかし、極限を超えた経験のオンパレード、可愛い自分へのプレゼントになる。

――――

2016/05/02

若者よ、外に出よ! ー ? 世界の祭り             

   * 祭りから世界を知る

『若者よ、まず楽しさを経験しろ!』である。「嬉しい、楽しい」という

感情が、人間を突き動かすことになる。ゲームでも、ミニ祭りの飲み会でもよい。

その極地が街レベルで行われる祭り、それも世界的祭りの楽しさを知ること。

 世界最大の祭りといえばクリスマスだが、ど派手な祭りの、ブラジル

の「リオのカーニバル」と、北スペイン「牛追い祭り」を体験してみた。

その熱狂の渦が全ての人を恍惚に誘う。この2週間の北スペインバスツアー

は、これまでのツアーのベスト5に入れることが出来る。祭りは、原始人の頃

から営なわれていたことは壁絵から推察される。生き抜く苦労と、その憂さ

晴らしは、古代も現代も同じ。祭りには時代の文化が現れ出る。

 大相撲も神事で行われていたのが始りだった。 祭りは実に楽しい! 

が、その背後には、普段の地道な生活が必要である。

≪ ☆ パンプローナの牛追い祭り(2002/09/07 記)

 今朝9時半より、衛星TVで今年のサン・フェルミン祭を放映していた。

もし神様が一日だけもう一度同じ日を与えてくれるといったら、4年前の

この祭りの最終日を間違いなく選ぶだろう。今年は例年になく多くの負傷者

が出たようだ。今日の番組は毎朝の牛追いに絞った8日間の内容の為、毎年

放映される中でも特に迫力があった。初めから最後まで手に汗を握る内容だ。

 この祭りはヘミングウエーの「日はまた昇る」で舞台になり世界に一躍

知られるようになった。

 この期間ー7月上旬の8日間、町中の人が白い服に赤の腰巻の布を巻き、

赤いネッカチーフをつける。パンプローナの出身者の多くが帰ってくる。

毎朝6頭の闘牛とそれを先導する虚勢牛6頭の合計12頭が闘牛場に向かう

街の道路に放たれる。毎日異なるドラマを生みながら熱狂を8日間重ねる。

その6頭の闘牛が毎日おこなわれる。4年前その最終日の闘牛をみたが、

会場が異様な熱狂に包まれていた。 その牛の前を走るエニシエロが、勇気

試しになる。19世紀半ばからこの祭りが始まり、闘牛とか牛追いは途中

からその祭りに加わった。

 ーユーラシア旅行社でいくと、市役所広場の前の4階の部屋から

  最終日のエンデングと牛追いが見れる。

――――

4年前の「北スペインの旅」−より抜粋ー  

 …この中で一番のハイライトパンプローナの“牛追い祭り”であった。

延々8日間にわたって毎夜、闘牛が行われる。その牛を毎朝、市役所から

闘牛場へ、町中を追い上げる。その前を街の若者が走って、度胸試しをする。

死人が出ることがあるという。我々が着いたその日が最終日の為、最高の盛り

上がりであった。夜の闘牛もその為か異常な熱狂を会場にただよわせていた。

これこそ正しくスペインと思われた。

 深夜の十二時に向けたファイナルギャザリングが、一生の思い出になる

感動的場面であった。市役所前に数千の群集がロウソクを手に持って集まり、

ロウソクをかざしながら歌い踊るのだ。 彼らが心の底からパンプローナ

愛しているのがよくわかる。民家の4Fの一室を借りて見たのだが、光の海を

見ているようであった。トランペットバイオリン・タイコの楽団の演奏に

あわせて歌を全員が歌っている。

 キリスト教で祭りを集団で祝うのはスペインだけといわれている。

イスラムキリスト教が融合して、神聖かつ感動的・熱狂的なお祭り騒ぎ

なのである。このような宗教的感動的場面に出会ったのは初めての経験。

この場面に出会っただけでもこの旅行は充分の価値があった。

一生の心の財産になった。 ≫

――――

≪ ☆ リオのカーニバル(2003/04/23)

 この時期になると例年、NHKハイビジョンでその内容が放映される。

毎年三月の初旬に開かれ,約一月後に放映されている。

何とも派手で陽気で豪華で楽しい!

8年前にいって、その雰囲気を知っているから、観ていても楽しいのだろう。

違うのは音量の大きさと、会場の熱気が直接伝わっていることだ。

 TVを観ていると、会場に行っているような錯覚をしてしまう。

以前にも書いたものを後でコピーしておくが、なかなか奥行きが深い。

ブラジルではTVなどで生中継される全国的な行事なっている。

今回、あるチームの準備などの内幕をドキュメント風に紹介していた。

80分の持ち時間の演技のために一年間の準備をする。

 審査項目が10項目あり、それを細かく説明していた。

テーマ曲の良し悪し

・打楽器ーバテリアの内容

・テーマの紹介のパフォーマンス

・同じ衣装のダンス隊のダンス

・山車の美しさ、テーマの解りやすさ、迫力

・チームの旗手の踊り

・そのチームの女王の観客へのアピールと反応等々ある。

プロの演出者を雇い、その年のテーマにそって

カーニバルとサンバと山車や音楽や衣装が組み合わされる。

今年もなかなかの出来であった。

数回再放送でやるから、何回もみるつもりである。

ーー以前書いた文章をコピーしておきますーー

H0703  ブラジル旅行記

 “行って吃驚!玉手箱”主観をこめて現地の実感を書いてみる。

カーニバルはリオディジャネロだけでなく、全国津々浦々の都市で

行われており、四日間全国がお祭りの為休みとなる。

その最も有名で世界的に知られているのがリオのそれなのである。

リオのカーニバルのランクがA・B・CとなっておりAランクが9チーム、

Bランクが15〜16チーム、Cランクは数十チームとなっている。

AとBチームが特設スタジオのメーン、ストリー800mを80分の

持時間で踊りながら行進する。そこは六万人の観客席があり、審判席で

厳格に審査され、その年の優勝等順位があらそわれる。

 そのチケットは一般の人はほとんど入手不可能である。我々のTV

新聞等で目にするのはCチームが街頭で行進するものでしかなかった。

チームは四千名が1チームで構成されており、それが約500名×8チームに

細分化され統一のコンセプトのもとに仮装が華やかにつくられている。

音楽も各チームごとに毎年新しいコンセプトのもとに有名作曲家が名誉を

かけてつくる。その作曲も採点の大きなポイントになるという。

一日6〜8チームが夜の七時より翌朝の七時まで延々と踊りの行進が続く。

観客席もその行進曲にあわせて半数以上が踊っている。

音響もすさまじく隣の人の声は全く聞こえない。

 上位数チームが翌週の土曜日に優勝をかけて再び行進がおこなわれて優勝

チームは10億以上の賞金がつき、かつ翌年に向けよいスポンサーが約束される。

その年の山車とか衣装は翌年に持ちこさずすべて破棄するという。

カーニバルをみていて“気”とか“色即是空”とか“禅の悟り”がすべて含まれ

ており、東洋的なこのような言葉が小さくみすばらしくさえ思えるくらいだ。

ブラジルの印象として残ったイメージとしてのキーワードを書くと“サッカー

“サンバ”(カーニバル)と“森林”と“イグアスの滝”そして

“汚職まみれの国”である。さらに加えるなら“まずしさ”である。≫

――――

▼ 祭りは、普段の質素倹約した単調な生活の憂さ晴らしのための爆発の

『晴れ』を集団で楽しむ娯楽。特に、イタリアスペインラテン系の国の

祭りは歴史があって、ど派手。日常からの集団トリップの一端に触れるだけで

充分に価値がある。そこには、セックスと血と死の匂いが、漂っていた。

 リオのカーニバルには、「カーニバル・チルドレン」が、結果として誕生し、

捨てられ、ストリート・チルドレンになるという。

――――

2016/03/22

閑話小題 〜51回の海外ツアーで ー?

   * 世界の絵画

 ベルギーフランドル地方の古都ゲントの大聖堂にある

フランドルの祭壇画』を、以前にみてきたが、立花隆が、死ぬ前にみて

おきたいと、わざわざみにいった絵画。この絵画はスペイン圏では、非常に

有名で、スペインから毎日、特急が出ているという。教会の定位置には、模写

の絵画飾られていて、特別のコーナーに本物が防弾ガラスの中に、監視の中で

飾られていた。模写のコーナーでは写真撮影はオッケーだが、本物のコーナー

では不可。少女が賛美歌を歌っている表情に、それぞれの内面が出ていてよい。

 ルーベンスの『夜景』と、エル・グレコの『オルガス伯爵の埋葬』、

ダビンチの『モナリザ』、ベラスケスの『ラス・メニーナス』、

ボッチィチェリの『春』、ゴッホの『ひまわり』、ピカソの『ゲルニカ』と、

このファン・エイクの『フランドルの祭壇画』を見れたのだから、これで良し

としなければ。 絵画といえば、スペイン、英国、オランダベルギー

イタリアである。 一枚の絵画の中に、さまざまな思惑、情報が詰込まれている。

ひとつ『夜景』を取上げると、ここに出てくる人たちは、自分の姿を後世に

残すため、この絵画を特注したという。 〜『夜景』をネット検索すると

《 レンブラントに発注した18人の名は中央右後方の盾に描かれている。

 その他、鼓手、少女、少年などが絵の中には描かれたほか、左側には絵が

切り詰められる前はあと2人ほどの傍観者が描かれていた。この時の支払いや

受注の記録は全く残っていないが、発注者たちの記録によれば各人が

100ギルダー、計1,600ギルダーレンブラントに払われた。これは当時の

肖像画の報酬としては大きな額である。

 絵画は次の三つの要素のために有名である。

・まずその巨大さ(縦3メートル63センチ、横4メートル37センチ)、

・次に光と影の効果的な使用、

・そして当時は不動の姿勢で描かれた軍隊や自警団の集団肖像画に

 動きの要素を取り入れたことである。

『夜警』はオランダ黄金時代の絶頂期であった1642年に完成した。

この絵は題名となった(火縄銃手組合による)市民自警団)が出動する瞬間

を描いている。・・一斉に人々が動き始めたため、その下では犬が吠えたて、

左には少年が走り回っている。各隊員はそれぞれ異なった方向に体を向け、

多様な表情を見せて、隊員の動きが交錯して画面に興奮を生み出している。

いずれも体の一部分しか画面に映されておらず、全身が描かれているのは

3人のみ。》とある。 絵画を描かれる背景の意味などを知るか知らないかで、

捉え方が全く違ってくる。芸術とは、そういうことである。

――――

2016/03/20

閑話小題 〜51回の海外ツアーで

   * 海外ツアーのテーマの棚卸

 51回の海外ツアーに参加してきたが、その行蔵は何ものにも代え難い財産。

知れば知るほど、世界は広く深いことが解る。10回目辺りから秘境・異郷ツアー

に重心移動をしたが、10年ほど前からは欧州中心になっている。リタイアー後、

諸事情で家内の鞄持ち?のカタチだが、何はともあれ、行けるだけで充分。

「行けるうちに、行けるところに、行っていて良かった」と実感する。

・大陸別では、アメリカ大陸オーストラリア大陸ユーラシア大陸、インド

 大陸、アフリカ大陸があるが、万遍なく行くのと、一つに絞り込む選択がある。

・他に、テーマを、文明、文化、山脈、滝、氷河、平原、クルーズ、お祭り、

 有名ホテル巡りなどのテーマを決めて周る人がいる。 〜テーマとして・・

☆ まずは文化。 ツアーの過半数以上は、何処かの首都を経由地として一泊。

 そこには、名だたる美術館や・博物館のコースが組み込まれていて、その国の

名画や工芸品、遺跡などで発掘された国宝クラスの古美術品が展示されている。

それらを、み続けているうちに、門前の小僧、その魅力に取込まれてしまった。 

上野界隈の美術館で、その数点の展示で長蛇の列になる名画などが、数多く

展示されて、間近で見られるのが良い。 文化の一つに、各地の料理がある。

それぞれ各地の特色ある味が、そのまま染み出ていて実に美味しい。と同時に、

日本料理の美味しさに改めて気づくことになる。 文化といえば、お祭り。

スペインパンプローナの牛追い祭りと、リオのカーニバルの熱狂がよい。

☆ 次に文明。古代の遺跡の7割がエジプトのナイル流域にあるというが、

 これには圧倒される。他にアフリカ、中東の遺跡郡、中南米の遺跡群もよい。

圧倒的なのが、古代エジプトと、ポンペイと、シリアの遺跡群。そこには数百年、

数千の時空を超えた当時の人たちの息づかいが聞こえてくるようである。

石文明は、それが、そのまま残している。

☆ 何といっても大自然の景観! アフリカ、インド、北米、南米、北欧、

 アルプス連峰、ヒマラヤ連峰などの大自然の景観も圧倒的である。そこは、

文化・文明の数千年の時間とは違う、数万、数百万、数億単位の時間がある。

 行蔵とは、よくいったもの。 以下は12年前のテーマだから、51回と

すると、3年分、行ってないことになる。 世界的パンデミック騒ぎとか、

5年前の節目時などの件で、行けなかったが、それより、年齢からくる気力、

体力、金力?などの衰え。外側(辺境)から、内側(欧米圏)になっているが、

これはこれで、面白い! ライフワークとしての世界観光も、限界点になって

きたが、移動が動くホテルのクルーズ・ツアーがある。しかし年金暮らしには

チトきつい。「生きているうち、元気なうち」と思って、はや、20年、いや

25年になる。なら、あと5年を貫き通せば満点のライフワークになるが。

・・・・・

2004/11/19

ーー地域別分類ーー

アメリカ大陸

ー中南米

「18」ブラジルリオのカーニバルイグアスの滝)    −1995・02  

「22」ペルー・(マチュピチ・チチカカ湖)         ー1996・06  

「23」べネゼイラ・(ギアナ高地)            ー1997・08

「34」メキシコ                     ー2001.01

「39」パタゴニア                    ー2002・12

ー北米

「2」アメリカ・商業界                  ー1976・07

「7」カナダ・ナイアガラの旅 ー個人           ー1987・08

「8」アメリカ西海岸SC・ペガサス            ー1987・06

「11」アメリカペガサスボストンアトランタ)     −1989・04 

「13」カナダ・ロッキーの旅 ー会社           −1990・05

「40」アラスカ                     ー2003・07

ーーーーー

『欧州』

ーーーーー

「1」欧州30日一周                    ー1967・07

「10」スペインイタリア・パリ・ヘルシンキの旅     ー1989・12

「14」スペイン1周の旅 

   (アンダルシアアルハンブラ宮殿・闘牛)       ー1991・08 

「16」ドイツ・パリ(ライン川下り・ロマンチック街道)  ー1993・12

「25」北スペイン パンプローナ              ー1998・07 

「30」ノルウエー・トロムソ               ー1999・12 

「35」北欧ーロシア-スカンジナビァ            ー2001・06

「38」スイス                      ー2002・07

「41」アイスランド                   ー2003・10

「42」オーストリア                   ー2004・08


ーーーーーーーーー

アフリカ・中近東』

ーーーーーーーーー

アフリカ

「17」ケニヤ(ナクル湖・マサイマラ・アンボセリ )     ー1994・06

「20] 南アフリカビクトリアの滝・チョベ国立公園・喜望峰)ー1995・10 

「21」エジプト・トルコ(カルナック神殿・ ピラミット)   −1996・02  

「24」タンザニア(ウンゴロウンゴロ・セレゲッテイ高原)  ー1997・12  

「29」ケニア・ヌー                        ・08 

「33]モッロコ                      ー2000.11 

「37」西アフリカーコート−ジボアール

    ・ガーナ・ベナン・トーゴ              ー2002・03

ー中近東

                   

「31」シリア・ヨルダンレバノン             ー2000・04 

「28」イスラエル                    ー1999・04 


ーーーーーーーーー

『アジア・オセアニア

ーーーーーーーーー

ーアジア

「6」香港の旅                      ー1986・10  

「9」中国(北京・けいりん・上海)            ー1988.09  

「12」香港クルージング                 ー1990・07 

「26」北インド                     ー1998・10 

「27」ネパール                     ー1998・02

「32」パキスタン・中国                 ー2000・06 

「36」ベトナム                     ー2001・11

オセアニア

「3」ハワイの旅                     ー1978・08 

「4」ハワイの旅                     ー1980・08 

「5」ハワイの旅                     ー1983・08

「15」フィジー(コマ島・ )              ー1992・11  

「19」ニュージーランド(クウィーンズタウン・

  バンジージャンップ・ミルフォードサウンド)      −1995・05  


・・・・・・

・・・・・・

2004/11/01

海外旅行ー履歴

「42」オーストリア                    2004・08

「41」アイスランド                   ー2003・10

「40」アラスカ                      2003・07

「39」パタゴニア                    ー2002・12

「38」スイス                       2002・07

「37」西アフリカーコート−ジボアール

     ・ガーナ・ベナン・トーゴ              2002・03

「36」ベトナム                     ー2001・11

「35」北欧ーロシア-スカンジナビァ             2001・06

「34」メキシコ                      2001.01

「33]モッロコ                      ー2000.11 

「32」パキスタン・中国                   2000・06  

「31」シリア・ヨルダンレバノン              2000・04  

「30」ノルウエー                    ー1999・12 

「29」ケニア・ヌー                        ・08 

「28」イスラエル                         ・04 

「27」ネパール                          ・02

「26」北インド                    ー1998・10   

「25」 北スペイン                        ・07  

「24」タンザニア(ウンゴロウンゴロ・セレゲッテイ高原)ー1997・12  

「23」 べネゼイラ・(ギアナ高地)                ・08

「22」 ペルー・(マチュピチ・チチカカ湖)       ー1996・06   

「21」エジプト・トルコ(カルナック神殿・ ピラミット)      ・02   

「20] 南アフリカビクトリアの滝・チョベ国立公園・喜望峰)ー1995・10  

「19」ニュージイランド

  (クウィーンズタウン・ バンジージャンップ・ミルフォードサウン)                                                        ・05  

「18」ブラジルリオのカーニバルイグアスの滝)        ・

「17」ケニヤ(ナクル湖・マサイマラ・アンボセリ )     ー1994・06 

「16」ドイツ・パリ(ライン川下り・ロマンチック街道)  ー1993・12 

「15」フィジー(コマ島・ )              ー1992・11

「14」スペイン1周の旅 

   (アンダルシアアルハンブラ宮殿・闘牛)      ー1991・08  

「13」カナダ・ロッキーの旅                  ・05

「12」香港クルージング                 ー1990・07 

「11」アメリカペガサスボストンアトランタ)        ・04     

「10」スペインイタリア・パリ・ヘルシンキの旅    ー1989・12   

「9」 中国(北京・けいりん・上海)          ー1988.09   

「8」アメリカ西海岸SC・ペガサス                ・06

「7」カナダ・ナイアガラの旅              ー1987・08    

「6」香港の旅                      ー1986・10          

「5」ハワイの旅                     ー1983・08

「4」ハワイの旅                     ー1980・08 

「3」ハワイの旅                     ー1978・08  

「2」アメリカ・商業界                  ー1976・07

「1」欧州30日一周                    ー1967・07

2018-05-24 閑話小題 〜ビデオ撮影の恐ろしさ ー3

[] 05:49  閑話小題 〜ビデオ撮影の恐ろしさ ー3 - 堀井の「居間 客室 読書室」 を含むブックマーク

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   * 日大にとって最悪の会見

 「何でまあ、こんな酷い会見になってしまったの?」

「誰かインテリジェンス(地頭)のある人が存在しないの?」と、

寝室で、21時と23時過ぎのニュースを、寝ぼけ眼で見た感想である。

  お二人の誤算は…

・ビデオ撮影の録画がネットで炎上してしまったこと

・選手が違法タックル直後、ことの重大さを察知、それを周辺に知らしめ

・早々に自分の姿を晒し、記者クラブで単独会見をして暴露したこと

などなど先手先手を打ったことで、対応が遅れてしまった。

まさか、名門のアメフト部の存続の危機まで、そして、日大の学生やOB全体

だけでなく、スポーツ界全体、国民全体から怒りを買うとは… 

その上に、このシドロモドロの会見。 今朝のネットニュースから

――

《 23日放送のテレビ朝日系「羽鳥慎一モーニングショー」で、

 宮川選手の親友でかつて日大アメフト部に在籍していた同級生を取材。

試合前日には井上コーチを通じ、内田前監督から「相手のQBを1プレー目で

潰せば(試合に)出してやる」と伝えられたと説明。「潰せ」は「けがをさせろ

という意味」で捉えたとした。これに 日大は22日、会見後にファクスで

コメントを発表。「QBを潰せ」という言葉があったことは事実と認めたが、

内田正人前監督(62)の指示との見解は否定した。

こうした状況に同級生の男性は「日大アメフト部は、そんな生やさしい教え方

はしなくて。壊せって言ったら、完全にケガをさせろっていう。一時期、高校

3年生の時に相手の体の壊し方を教わったことがあった」と明かした。

番組は一方で現役コーチも取材し「感じ取り方だと思うんですよ。

指示があったかなかったと言われたら、ないです」と断言していた。》

――

《 日大は大学アメフト界において強豪であり、「異質」な存在だった。

 各大学は昨年から安全対策に積極的に取り組み、医療機関との連携や練習方法

などを定期的に話し合う「監督会」を定期的に開いてきた。だが、その「監督会」

に内田前監督は一度も現れたことはなく、コーチが代理出席してきた。

日大幹部が「日大には日大のやり方がある」と一部大学に対し、あからさまな

不快感を示していたのも事実だ。

 昨年、現場復帰した内田前監督は深夜に及ぶ猛練習を選手に課し、精神的にも

肉体的にも追い込んだ。20人以上の退部者を出しても、昨年の甲子園ボウルで

優勝したことで「勝利至上主義」に一層の拍車がかかった。

 日大は2019年に創立130周年を迎え、大学幹部からはアメフト部の連覇

を期待する声もあった。学内からの期待、それに応えようとした内田氏を含めた

指導者。ゆがんだ組織の一部が最悪の形で表面化してしまった。》

▼ 颯太: 鉄砲玉の選手とコーチと監督の3人とも気の毒だね。

   でも、あの会見はないよ。只管、我が保身しかないのが…

 ポン太: 俺の名前がポン太だろう。ポン大とは何か嫌な気分だね。   

   何でまた、最悪の司会と、監督と、コーチの言訳。

颯太: これではコーチが自殺に追い込まれるよ。確か自殺予防協会?とかが

   コンタクトをとった方がよいよ。監督もああ見えて、内心は大揺れさ。

  恰好をつければ、裁判で不利になるしさ。それでも恰好はつけないとさ!

ポン督(監督): ここまで、追込まないと優勝できなかったが、予測外が

  重なってしまってね。とにかく自前の病院に雲隠れで、座禅でも組むさ。

ボンコチ(コーチ): 尻尾の鉄砲玉が、私に回ったが、後は一切を背負って

  自殺がある。本当に死にたいよ。でも、ポン監の下での私の役割を果たし、

  良い思いをしたのだから…この風雪に耐えるしか方法がないか。

鉄砲玉(選手): 自分の記者会見、拙かったかなと揺れていたが、司会と二人

  のやり取りをみて、会見がベストと確信しました。

   でも死にたい! 消え去りたいたい! 父がジェリー藤尾の

  「遠くに行きたい」好きだったが。 あの気分。

ポン督: 初めて知ったが、俺って、こんなにダラシない男なの。

ポンタ: 俺、元もとダラシないから、この辺のことは分かる。

颯太: 御前が言うよ、いやに説得力があるな。ところで、一年後に日大の

  アメフト部って存続しているだろうか。昨日の記者会見前なら5分5分だが、   

  これで、7〜8割に上がったね。

ポンコチ: そういえば、このブログに自殺の仕方とかいうテーマが?

颯太: あんたの役割は、自分とポン督を有罪にし、入牢して、アメフト部

  を守ること。 そう覚悟をして一つずつ、判断していくことさ。

ポン太: この二人に、そんな覚悟も頭もないさ。ボン大の常務理事だもの。

 

 で、この事件が起こったのは安倍疑惑の真っだ中。何かしら末恐ろしくなる。

さらに 5年前の文章も、脈絡として続く。

――――

5913, 「純粋な悪」を、日本にみる

2017年05月24日(水)

    * 「純粋な悪」を、日本にみる

 書くのが、少し気が重いが。 三本の矢で、経済を元のような成長経済に

戻しましょうというアベノミクス。人口減が本格化を始めた日本に経済成長

など無理の話。女性の経済学者が、<萎んだ気球を再び膨らませるのではなく、

その横に気球をつけて引っ張り上げようとする馬鹿な試み>と切り捨てて

いる。高度成長期に育った世代の元首相二人が、現首相と副首相ともなれば、

当然の政策だが、現在の日本の財政は重大な岐路に立っている。

 国家収入の二倍の国家予算のどこが悪いかと、開き直っている。

そう遠くない近未来に、そのツケが回ってくるが、その日までは大丈夫と

大盤振る舞い。日本憲法も、アメリカに押し付けれたまま、改憲もしないで、

ここまできた。与えられた民主主義の甘さを抱え、ひたすら護憲を唱え、

戦争反対と、平和を唱えているうちに、海を隔てた隣国の北朝鮮が、東京

まで射程の核弾頭ミサイルを持ち、それで恐喝をしだした。「純粋な悪」の

妄想ほど始末が悪いことが、これだけで分かるはず。

 もう一つ、日本経済の成長を誘導してきた、中間層が痛んできた。

右上りの高度成長期には、その存在が有効に働いたが、今では、ネット、

パソコン機器の進化で、中間層の役割が大きく変わってしまった。

純粋悪の対象が、様変わりをしたのである。知識、情報が最優先され、

現実社会を逆支配してしまった。世界と同じくして、日本にもカオスが

覆うようになってきた。都会にエネルギーが集中、地方は今や虫の息状態。

 結局、大きな痛みを伴っても普通の国に戻ればよい。

・・・・・・

4451, しまった! ー1

2013年05月24日(金)

    ーしまった! 「失敗の心理」を科学するージョゼフ・T・ハリナン(著)

 人間の認識の甘さは今さらいうまでもない。カントのコペルニクス的転換、

「人の認識は対象に従うのではなく、認識が対象を決める」。それを知識として

知らないため、思い込みに縛られ、人は多くの失敗を重ねてきた。

更に失敗から学ぼうとしないから始末が悪い。その上、失敗に対して

意識的にも無意識的にも話を作りかえる。  

 まずはー内容紹介ーより人間はなぜ、まちがうのか」というテーマについて、

面白くてネタになるトピックを「これでもか」というぐらい集めて分析した本。

たとえば・・・・・・

★ レントゲン技師は、画像に写っていた悪性腫瘍の9割を見落とす?

★ トップレスダンサーの収入は、彼女の月経サイクルに左右されている?

★ 黒いユニフォームのチームは、ペナルティーをとられる可能性が高くなる?

★ 人間は、誤りを犯しそうなときは、むしろ「行動を起こさない」

  という誤りを犯すほうを選ぶ?

★「セックスした相手の数」を、男は女の四倍も多めに答えたがる?

★ 医師の八四%は、同業者がメーカーからの贈与に影響されていると考える。

  だが、自分が影響されていると考える医師はわずか一六%しかいない。

★ 人はなんらかの形で自分が不正をしていないことを証明すると、

  その後の作業でもっと不正をしやすくなる。

★ 映画を「あとで見る」人は高尚な作品を、「いま見たい」人は

  大衆的な作品を選ぶ。

★ キャッシュローンを勧める通知書に女性の写真を載せるだけで、

  利率を五ポイント下げたのと同じ効果が期待できる。

★ 予備選名簿の一番目に載った候補者は、得票に三ポイント上乗せできる。

★ 投資家は、金曜日の経済記事には月曜日の記事ほど注意を向けない。

★ 人間は、印象の操作など特定の目的のためには平気で話をつくり変える。

★ 無意識につくり変えた話でも、二度三度と繰り返すうちに、

  いつしか「記憶」そのものになってしまうことがある。

★ 一般的に、男は自分を持ち上げるために、女は他人を持ち上げるために

  嘘をつくことが多い。

★ 社会的地位や学歴、収入は、全体の幸福度にわずか三%しか占めていない。

★ 人を単純作業に従事させるためには、お金の力がものを言う。

  だが、たいていの行動では、人間は総じて金銭的動機には左右されない。

 (ゆえに、行動経済学はあまり役に立たない?)など、興味深い話がてんこ盛り。

▼ 人は思うほど完全な存在でないが、しかし周囲は人が完全であるかのような

 前提で動いている。私が学生時代のゼミで多くのことを学んだ中の一つに

「会社組織は完全な存在でなく、個人の将来まで考えてくれない。

独自で学び続けなければ知識や能力は得ることが出来ない」ということ。 

キャリアは自身でつくり上げるもので、与えられるものでない。実際のところ、

成功の背後には失敗の累積がある。問題は致命的な失敗をしないこと。

そして、失敗から学び取ること。人生を振り返って、今になって真の失敗は

何だったか気づくことが、あまりに多い。

・・・・・・

4077, 哲学で自分をつくる ー4 (ソクラテス)

2012年05月24日(木)

     「哲学で自分をつくるー 19人の哲学者の方法 」瀧本 往人(著)  

 * 魂に磨きをかける    

   第一章 しったかぶりはもうたくさん 〜ソクラテス ー�

≪ 死刑を宣言された際、つまり自分の死に対し、「死を恐れることは、

 死のことがよく分かってないのに分かった気になる」に等しいと、ソクラテス

は考えた。死について何も分かってないのに「死を恐れる」などということは

愚かしい、誰も死を知っている者はいないのに、なぜ恐れるのかと問いを発する。

命がけで期待された弁明の機会もアテネ市民の将来を憂いる。そして死刑判決を

受ける。 ・・無知をハッキリさせることは「汝自身を知れ」に通じる。

自分が何も知らないことを自覚し、より一層真理を追究する態度は、単に、

汝自身を「知る」ことでなく、魂の鍛錬という「実践」であり、自分がよく

生きるための問いである。魂を磨くことは、ただ漠然と、自問自答するので

はなく、他者にかかわる中で、他者に問いかける中で磨かれるものである。 

ソクラテスが探そうとしたのは「真理」であって、ソクラテスらしさでない。

探し出すには、相当の鍛錬、実践が必要とされた。自分の魂を磨くには、

命をかけて真理を追究しなくてはならない。他者が嫌がることでも、問いかけ

を行わなければならない。この対話、営みは「パレーシア」(真実を語ること)

と呼ばれている。彼の対話術は、自らの主張を他者に受け入れてもらうための

技術ではなく、「相手に問いかけること」そして相手の主張を「聞くこと」

に主眼があった。そもそもこの「無知の知」の重要性は、この「聞くこと」

のための手法にあった。何かを知っているから語るのではなく、何も知らない

から、分かってないからこそ、相手から引き出そうとする。

 パレーシアの原点は、そこにある。それゆえ、その原点は、密接な一対一の

関係が必要である。この対話は、自分が主役として振舞うのでなく、相手の話を

引き出すように行われる。それゆえ相手はソクラテスに導かれながら自分に

ついて語ることになる。重要なのは、自分が語ることができる「ロゴス」(論法

と言葉)が、自分の生き方と確固たるつながりがあることなのである・・ ≫

▼「吟味されることのない人生など生きるに値しない」というソクラテスの

 言葉が好きである。要は、味わい尽くしてこそ人生である。対話は他者だけ

でない、自分の経験に対してもおこなうべきである。そのため老後という期間が

人生に与えられている。老後を如何に過ごすか?と問われれば、「それまでの

人生に対しての自己問答を通して、魂に磨きをかけること」が答えになる。

それは死を間近にした真剣勝負である。だから面白いのである。

魂に磨きをかけるとは、そう甘いものではない。

・・・・・・

5548,閑話小題 〜都知事の変節

2016年05月24日(火)

   * 都知事の変節

 都知事、公私混同で窮地にたっているが、知事以前の過去分を含めて、

ここまで表だってしまい延命が可能かどうかの瀬戸際まできたようだ。 

バラエティーで、司会が、「たけし」に、<都知事になりませんか>と、

ふると、<俺がなったら、汚職のやり放題> と、両手で懐に向けて放り

込む身振りのジョークが真に迫っていた。 やり直しをしても、たけしの

弟子の、元宮崎県知事が出てきて、間違えなったりするよりマシだが。 

石原慎太郎にしろ、猪瀬にしろ、都知事の絶大な権力は、我身の分際を見失う

力があるようだ。

   * 思いのままに

 大相撲も終わって、今週末から、伊勢志摩サミットが始まる。

オバマ大統領の送別会的サミットだが、オバマを二期させたのが間違い

だと悟ったアメリカ国民は、トランプを、大統領に選ぶ可能性がある。

<世界は既に「大恐慌」と、「欧米キリスト教と、ISなどイスラムとの

宗教戦争」に既に入ってしまった> と仮説をたてると、アメリカは、

強硬派のトランプを選択、という流れが起きる可能性がある。

 アジアは、<天気晴朗なれど、波高し!> だが。

   * 何かお店が大変みたい!

  家内が言うに、「スーパーとか、ショッピングセンターで、日々、

不況が深刻なっているのを感じる!」という。 今朝の、朝刊の地元版に、

新潟に本社を置く「ウオロク」の社長が心筋梗塞で急死、との記事があった。 

長岡の「原信」と一騎討ちだが、規模、システムから見て、「ウオロク」は、

不利に見えていた。 その中での急死、正しく戦死になる。

 リタイア前から、年金暮らしになると、経済の動きに対して疎くなると、

聞いていた。そして、その立場になって、まる5年になるが、まさに、そう。 

気楽で良いが、週に一度、酒と肴をスーパーで買う以外に、世間との接触が

無い上に、他の買物はネット上で済ませてしまう。 老兵は、静かに、

ひっそり生きるべし! ということか。 それも慣れれば、それでよい。

・・・・・・

5183,TPPを考えるに

2015年05月24日(日)

                『読書脳』立花隆著   

  * TPPは、アメリカが世界の富を吸い上げる戦略の要!

 ここで、反対の立場からのTPP入門書を紹介している。

「TPPこそ、アメリカ主導の、アメリカンルールで囲いこんだ地域経済を

太平洋周辺に作らんとする、ブロック経済そのものの発想。」と談じている。

日本国家として、それを分かっていても、中国との地政学上、その枠外に

出ることは不可能。その上に、現政権は、保守本流で、アメリカのポチなら・・ 

日本は70年前にアメリカに敗戦、現在に至るまで、軍事、経済と間接支配を

されており、そのブロックからの脱出は不可能! =アマゾンの紹介より

≪ 世の中、TPPへの参加をめぐって賛否両論がわきたっているが、もうひとつ

 議論の焦点がよくわからんと思っている人への、最良の入門書が、E・トッド

他十一人の著者による論集『自由貿易という幻想』。 これは賛否両論を要領

よくまとめたどっちつかずの入門書ではなく、「反対」の立場から、なぜ反対

すべきかを、多くの論者がさまざまの論拠から明らかにした党派性ある入門書。

非常に説得力がある。TPP参加を「第三の開国」と唱える人々は、自由貿易を

アプリオリに善とし、保護貿易をアプリオリに悪とする考えにとらわれ、

保護貿易は世界経済をブロック経済化し、世界恐慌に通じる道だとするようだが

それは正しくない。TPPこそ、アメリカ主導の、アメリカンルールで囲いこんだ

地域経済を太平洋周辺に作らんとする、ブロック経済そのものの発想。

その目的は、双児の赤字に悩みつづけ、ドル価値を落してきたアメリカが、

その囲い込みをテコに再浮上をはかろうとすることにある。

 年の大統領一般教書演説で明らかにされたように、「アメリカは、2014年

までに輸出を二倍にし、もって自国の雇用を増やすという戦略」を持つ。

「そのための戦術は、第1に為替の誘導であり、第二に非関税障壁の破壊である。

いずれも、八○年代のプラザ合意や日米構造協議以来、アメリカの伝統的な

経済戦術」。考えてみれば、ドルと金の交換停止(ニクソン・ショック)は、

「史上最大のアメリカによる債務不履行宣言」といってよい。

 その後、世界の通貨制度は、「ドル"準金本位制からドル基軸.変動相場制

に移行した」が、それは、金の裏付けを失ったドルを、「超大国アメリカ

軍事力と消費市場の巨大さを背景に流通させる」というシステム。それに

よって「アメリカは一種の中央銀行としてドルの発行で特権的な利益を享受し、

貿易赤字を気にする必要がなくなったばかりか世界経済を通貨と金融の面で

自由に操作」できるようになった。その後のアメリカは、実体経済の弱さを

「自国に残された唯一最強の商品であるドルを駆使して打開しようとする国」

になってしまった。その結果招かれたものは、「世界経済の金融化」と、金融

資本を国家の壁を越えてスムースに動かすことを可能にする「グローバリ

ゼーション」。その果てに出てきたTPPの推進は、「吸血鬼よろしく、アメリカ

ができる限り世界の富を吸上げて瀕死のドルに輸血するための策」と見てよい≫

▼ 欧州経済共同体(EEC)をなぞった「太平洋経済共同構想」の通貨統一を

 除いた経済圏なら、日本の農林業や、金融業は、更にアメリカ支配が強まる。

 特に、日本の金融資産は骨の髄まで毟り取られることになる。

 韓国の現状が近未来の日本である。国民の7割が国外移住希望という国に!

・・・・・・

4818,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー1

2014年05月24日(土)

 自分史的物語など、都合の要素だけを切り取り、繋げあわせた絵柄。

私の場合、こういう結果だからこそ、歩んできた道筋の要所要所の現象、決断

などの語り直しの絵柄も面白くなる? 実感としては、「この結果こそベスト?」

と、「そう都合良く思うしかない詭弁?」という気持ちを含め、断片的に語って

きた物語の「語り直し」になる。 傍から見れば珍妙な己の姿を、この結果

なればこそ、自覚できる。隠れテーマは「この喜劇の創りかた」あたり。 

ここで書く内容は、今まで書いてきた断片的な事象、内的体験の再編になるが、

視点が変わると新たな記憶が蘇ってくる。そのため殆ど書いてないことに

気づいてきた。語り直しは、あまり気持ちの良くないが、書き続けるうちに、

新しい視点が多く出てきている。自分とは、それぞれの記憶の総合体だが、

その記憶そのものを変える作業は、極度の神経の集中が必要になる。

 < 「事業人生を決心して45年」の語り直し >    

   * 学生時代編 ー前編 

? 事業創業の人生を目指そうと決心し、準備15年、創業から30年の独り

 語りを始める。漠然と自分の将来は、流通業と漠然と考えていた20歳の時、

キリスト教倫理」の夏休みに、『これからの人生設計』のテーマのレポートが

 宿題に出された。そこで、それまで真剣に考えたことがなかった自分の将来に

 ついて考えてみた。 その内容といえば、『 父親のような創業を幾つか挑戦

 してみたい、過酷としても、事業創業の人生を生きたい! 』と。 

 その時から、人生が変わっていった。そこで当時の授業カリキュラムの内容を

 改めて見直すと、前半二年の教養課程が、人生の土台になる学問。後半二年が、

 そこから選択できる専門課程が整然と組込まれており、これから生きていくため

 のカリキュラムが合理的に組まれていたことを知る。 哲学者エリクソンは、

 学生時代や、病気療養の期間を、「心理・社会的な猶予期間」とし、より自分

 らしい人生を選ぶために必要な時間として前向きにとらえている。

 人生を振り返ってみて、大学の4年間や、その後の放浪が、自分の生きる

 目標を明確にするため必要であったことは、体験上、充分に理解出来る。 

 そのレポート作成で、漫然と生きてきた自分に気づくことになる。

 その時、真剣の考えた分、ノンビリしている同期生より、二年早く将来設計

 に気づいたことになる。卒業半年前になって、慌てている人が過半数?はいた。 

 それから読書も、友達付き合いも全く変わっていった。

 自然と、クラブの合気道と、寮生との距離が離れていった。 

? その頃から、遊び半分、アルバイト半分で、学生寮の先輩が鳩山一族

 の政治団体「友愛」が経営する『友愛山荘』を任されていた軽井沢の山荘に

 手伝いに行くようになっていた。先輩の寮生と二人、そこの手伝いに誘われて

 掃除とか、料理をしながら連休とか夏休みなどに、山荘生活と、軽井沢の世界

 を楽しむようになった。そこは、鬱蒼とした森林の中の別荘地。その世界を

 憧れる若い女性と、金持ちが集まる別天地である。こういう世界の住人になる

 には、それなりの力を持たなければと実感することになる。それにしても、

 早朝の朝靄の小道の散歩は格別! 世界には一部の裕福層と、その他が存在

 することを肌身で知ることになる。それより何が楽しいかといえば、夕食後の

 ミニ・パーティ。紅茶と御菓子で、フォークソングを歌い、踊る。

 それも御客は若い女性ばかり・・

2018-05-16 閑話小題 〜情報の階層化について −3

[] 05:59 閑話小題 〜情報の階層化について −3 - 堀井の「居間 客室 読書室」 を含むブックマーク

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      〜NHK:BS1【三和:人材市場〜中国・日給1500 円の若者たち〜】

   * 弾け出された中国の若者

 あるのは小さなカバンと、着たきりのTシャツと、ズボンと小銭。

月給制の職場に堪えられず日雇い仕事で日々を暮らす若者。寝ぐらは、

ゲーセン。その実態は、現代社会の蔭を象徴している。日本のホームレスの

中国・深セン・バージョンというところか。大陸なればこそ、深刻度は深い。

これなら犯罪を犯しかねない状況である。

   〜NHK・HPより〜

《 中国・深センにある職業斡旋場・三和人材市場。

 工場労働からはじき出され、1日働いて3日遊んで暮らす「三和ゴッド」

と呼ばれる中国の若者を、何が追い詰めているのか。

 総資産が1億7000万円以上の富裕層が7万人に達する深セン。

格差社会の底辺から脱出できずもがく若者たちの間に不満が高まっている。

豊かになる夢を持ってやって来た出稼ぎ労働者の希望は、失望と不満に変わる。

三和市場で日雇いの暮らしを3か月送った男性は、深センを離れることを決めた。

中国の繁栄を謳歌する最先端都市・深セン。その発展を支えてきた人々。

しかし急成長がもたらした貧富の格差と負の連鎖によって、若者たちの夢は

更に手の届かないところに行こうとしている 。》

▼ 月給制は縛られ窮屈と、日給の働きを求め、ゲーセンで過ごす若者達。

情報化がもたらした原子化した流砂の民の象徴。誰が悪いのではない…

思わず魅入ってしまったのは、彼らの姿の中に、何やら、老い先短い?

我が身の姿「俺たちには明日がない」に重なる部分があったからか。

ネットサーフィン、TVドラマ、TV]映画、シネマ館の仮想の世界に日々、

逃避しているような? としても、それで充実するから不思議だが。

 

熊: カミさんとガキがいる以外、俺と大して変わりはしないよ。 

寅: 俺もだがね。原子化さえしてない俺たちは、良い悪いかは別として

 少しましかい。でも、砂粒がネットで強固に繋がるのも問題だね。

 それとゲーセンでネット仮想世界の逃避ね。八つぁんと大して変わりはしない。

熊: インドの人力車の車夫と似ているね。俺たちの寝泊りは、人力車のかわり

  に長屋の部屋だけど。でも、老い先短くなれば、何もかも同じよ。

大家: 私に対する嫌味かい。確かに死んで三日もすれば3百年前と同じさ。

 情報社会のグローバル化ってのは、誰もが一瞬で底なしになる可能性があるね。

寅: 豊かさで恩恵を受けるのは衣食住を除けば、情報の質量の差だろう。

 それが両親の質と、本人の才覚で変わる。確かに出発点で殆どが決まるね。

熊: 俺なんて、貧しさしか知らないだろう。豊かさの恩恵を一度でもよいから

 受けてみたいね。良いことなかったもの。バブルで阿波踊りしたかったね。

 大家さんは経験したというじゃないですか。

大家: ああしたよ。20年、いや40年は、そりゃ天国さ。良い時代に良い思い

 をさせてもらいましたよ。それがあったから、老いても心だけは豊かさね。

寅: 行蔵内の御宝が無いと、人間、老いてからの歪みが大きくなるの。

 それが顔に出るから、恐ろしいね。他人事じゃないがね。

熊: 何で今、俺の顔を見るんだよ。貧乏も馴染むと、けっこう面白いんだ。

寅: でも、傍で見ていて、「天気晴朗なれど波高し」がピッタシだね。

 舟は大揺れでさ。特に月末は、ウドンばかりじゃないか。

熊: 御前も同じようなモノじゃないか。御前のように宝籤など俺、買わない。

大家: 御前らが話すと、折角の社会問題も卑しい話になってしまう。

・・・・・・

4443, ヨガと座禅の違い

2013年05月16日(木)

 毎週二回、スポーツジムの「ヨガ」に参加して14ヶ月、百回はゆうに

超えているが、回数を重ねるたび、身体も、気持ちも解れていく。学生時代に

野狐禅だが、六日町の雲頓庵で持ち込んだ卒論の種本を読みながら、合間に

広い禅室で独り座禅を組んだことがあった。ただシーンとした中、

「直ぐにでも止めようか」という気持ちと戦いながらのたった独りの座禅は、

永平寺での一瞬気持ちを緩めれば、禅僧に叩かれる状況より辛い。誰もいない

ため、直ぐ止めたい誘惑との闘いになる。ヨガで仰向けになり全身を弛緩する

「死者のポーズ」があるが、これは座禅の禅定に似ている。飛行機内の座席で、

耳栓をして姿勢を正し、次々出てくる思いを泡のように流していると、何かの

ゾーンに入ってしまい、10時間以上の時間がアッという間に過ぎてしまう。

ヨガは、瞑想で心を解すのが目的で、禅は、その状況から仏の悟りに近づく

ことにある。

ーヨガと座禅の違いをネットで調ベた、納得した3つをコピーしてみるー

《 人は疲れたときに目をつぶる事がある。そこで何かを思い浮かべながら

 瞑想にふける。この繰返しがヨガという。 このヨガはもともと

「軛(くびき)」ということで、牛に車を曳かせる腕木を指した。これが

次第に神の力に人間を結びつけることを意味するようになり、その修行法と

して智慧、愛、行、瞑想が重視された。一般にヨガと呼んでいるのは、

このうちの瞑想による神人合一の方法である。このヨガは紀元5世紀ごろ

には「ヨーガ・スートラ」を根本経典としたヨーガ派が独立してさかえ、

完全性をそなえたひとつの霊魂を最高神としてあがめた。このヨガの修行法

が仏教にも広く取り入れられてきた。それが坐禅につながっていく。 》

《 ヨガと坐禅は、まず姿勢を正して、呼吸や五感(眼、耳、鼻、舌、身)

 を整え、誘惑をさけ、精神統一するのはどちらも同じ。ヨガは、これに

よって初めて超自然的な力が得られ、対して禅は「禅定」に深くかかわり、

静けさを求める。禅とは(ジャーナ、禅那)という梵語の音写で、釈尊の

悟りを追体験して”身心脱落”し仏の境地になりきり坐禅をすること。

禅は「無」を標誘し功徳や利益を求めない。ひたすら足を組んで坐禅をする。

ヨガは神人合一して身心の健康を増進させる。 》

《 ヨガは、インドに古くからあり、ウパニシャッドと言われる古代インドの

 哲学書にも出てくるもので、瞑想や呼吸法、座法などによって心身を鍛える

事で、心の動きを抑制する方法として古くから用いられた。後に、ヨーガ学派

という哲学集団によって、解脱への実践方法として体系化されていったと

言われています。そして仏教においても、このヨガは悟りへの実践方法として

用いられ、釈尊も、瞑想によって真理を悟ったと言われますし、「瑜伽行」

という修行法として確立されました。現代のヨガも、もともとはそのインド

独特の修行法をアレンジしたものですから、仏教の修行とヨガとは、出発点は

同じであると言えるでしょう。違いと言えば、仏教における修行は、さとりを

目指す為の方法であり、現代のヨガは、心身の健康維持のためのもの、という

点でしょうか。座禅とヨガとの関係についてですが、ヨガは、座法や呼吸法を

盛り込んだ、精神統一の方法でありますし、「禅」といいますのは、「禅定」

つまり精神統一をし、真理を観察することであって、「座禅」は座法や呼吸法を

用いた「禅定」一つの方法ですから、根本的な部分で同じ要素を持つ。 》

▼ ヨガは座禅と出発点が同じ「座法」「呼吸」を盛り込んだ精神統一の方法に

 対し、座禅は精神統一を通して真理を観察するもので、少し意味合いが違う。

腰痛持ちの私にとって、週二回のヨガは腰痛緩和の自己マッサージ治療。

私の腰痛は完治はないが、仲良くするのは可能。その方法がヨガに多くある。

手軽なベストの場が見つかったもの。たまたまー「早朝座禅」山折哲雄著ー

を見つけ読んでいるが、数日前から、30分早く起き、早朝座禅を取り始めたが、

これが良い。4時から7時までは、正にゴールデンタイム。

60年以上溜まった毒出し、矯正の時間でもある。

・・・・・・

5175,人生相談という気晴らし! 〜?

2015年05月16日(土)

           『人生、しょせん気晴らし』中島義道著

  * 老いた人の絶対的孤独との向き合い方は

 ここで、自分のしたいことを誠実に熱心に追及している限り、理解者は

出てくるというが、どうだろう? 今では、ブログなど、ネットで繋がることが

可能なので、ある程度の他者と繋がることが可能だが。

≪ Q: 〜年齢とともに肥大する孤独との向き合い方〜

 六十五歳の男性です。人間、歳を取るとだんだん孤独になるものだとつくづく

実感しています。若い頃は学才に恵まれていた男が、いつのまにか「俺は文化

なんてものには興味はねえ」と野卑な口調で本性をあらわしたり、デリカシーに

欠けていた男の品性がますますひどくなったり。さらには盟友が亡くなったり…。

そんなこんなで、私はこの七〜八年ほどの間に若い頃からの友人をあらかた

失くしてしまいました。孤独であることにもそれなりの味わいはありますが、

しかし、人生、いや歳を取るということは、かくも無漸なものなのでしょうか。

歳を取ることによって生じる、どうしようもない孤独にどう対応したらいいのか?

適切なるご教示をお願いします。

  A: 〜わずかでも心の通じ合える人がいれば絶対的孤独は避けられる〜

 私は「孤独」がそれほど嫌いではなく、「それなりの味わいがある」と思って

いますので、「どう対応したらいいか」に対する直接のお答えにはならないかも

しれません。あなたの問題にされているのは、主に「他人との関係」でしょう。

それにも二つあって、1つは、人間、歳を取ると「品性」がますますひどくなる

こと、そしてもう1つは、親しい他人や愛する他人が次第に自分より先に死んで

いって、だんだん心細くなること。前者については、私も同じ印象を持ってます。

私が同年齢の男女との付き合いをかなり切っているのは、―自分はともかく―

一般的に言って中高年の「醜さ」に耐え難いからかもしれません。それに加えて、

私は「哲学」なんぞに首を突っ込んでしまったので、50や60の「普通に出来

あがった」男たちと話すことは何もないと確信しているせいでしょう。

 この歳で、妙に哲学に擦り寄ってくる老人も嫌いです。大学の教師や研究者、

あるいは物書きをしていて気が晴れることは、若い学生たちや若い研究者たちや

若い編集者たちや若い読者たちとの「交流」が、適当にあることです。

もちろん、彼らの中にも「心の醜い」輩はいますが、私の周りには総じて

「心のきれいな」人が集まります。そう自分が厳選しているからなのですが。

このことは、第二の孤独にも通底しています。私の場合、特殊とも思いますが、

自分と同世代の男女との付き合いをほとんど完全に絶っていますから、という

ことは、小学校から大学までの同級生などとの交際はないので、誰が生き残って

いるのか、誰が死んでいるかさえ(連絡がないので)わかりません。それに、

私は目上の人との付き合いは(どんな恩人でも)苦手で、これもほぼ完全に切り

捨てていますので、目下、誰が死んでもいっさい葬式に行く義務はないのです。

別に老後の孤独に備えてこう準備したわけではありませんが、私はその時々で

一緒にいて心の通じ合える人がわずかにいればそれでいい、という「刹那主義」

に徹しています。どんなに歳を取っても、自分のしたいことを誠実にかつ熱心に

追求している限り、理解者は出てきますし、その限り絶対的孤独は避けられると

思いますが……。≫

▼ 著者から肩書をとったら、「醜悪なクレーマー」と思われる。

 これまでの著書を読んでいると、クレーマーとしての信じがたい内容が

リアルに書いてある。それはそれは・・ 特に街中や電車などの騒音に敏感。

それと、著書を出し、思いを表現していると、孤独感は半減する。中島の口癖、

「いずれ直ぐ死んでしまう!」は、亡くなった友人を自分に置換えると分かる。

『死んでしまえば、それまでよ! そんなことなど死んで3日も経てば・・』

・・・・・・

4810,Quirt <内向型人間の時代> ー1

2014年05月16日(金)

              <内向型人間の時代> スーザン・ケイン著

   * 内向型人間かどうかのチェックリスト

 私は、あまり外交的ではない。だから、事業創業の人生を選んだのである。

この書の冒頭にあった内向型リストで、○✖▽で、チェックしてみた結果、

20のうち、13が○、✖が3、どうだろう?▽が4で、明らかに内向的

人間である。家内は明らかに外交的人間と思っていたが、○が15に、✖が3、

▽が2で内向的人間には驚いた。専業主婦ということもあるが、驚きである。  

 ー以下、左が私、( )が私から見た家内である。

  ーまずはチェックリストからー 

           日本人、特に地方、北国は8〜9割は内向的人間? 

○グループよりも一対一の会話を好む      ○  (▽)

○文章のほうが自分を表現しやすい       ○  (✖)

○ひとりでいる時間を楽しめる         ○  (○)

○周りの人にくらべて、他人の財産や名声や地位にそれほど興味がないほうだ

                       ○  (○)

○内容のない世間話は好きではないが、関心のある話題について深く話合う

 のが好きだ。                ○ (○)

○聞き上手だと言われる            ○   (▽)

○大きなリスクは冒さない           ✖   (○)

○邪魔されずに「没頭できる」仕事が好きだ   ○   (○)

○誕生日はごく親しい友人一人か二人や、家族だけで祝いたい ○(○)

○物静かだ」「落ち着いている」と言われる       ○ (○)

○仕事や作品が完成するまで、他人に見せたり意見を求めない。▽(○)

○他人と衝突するのは嫌いだ              ▽  (○)

○独力での作業で最大限の実力を発揮する        ○  (○)

○考えてから話す傾向がある              ○  (○)

○外出して活動したあとは、たとえそれが楽しい体験であっても消耗したと

 感じる。                      ✖ (✖)

○かかってきた電話をボイスメールに回すことがある。  ✖ (✖)

○忙しすぎる週末よりも、なにもすることがない週末を選ぶ ○ (○)

○一度に複数のことをするのは楽しめない         ▽ (○)

○集中するのは簡単だ。                 ○ (○)

○授業を受けるとき、セミナーよりも講義形式の方が好きだ。▽ (○)

▼ 意外なことに、アメリカ人でさえ、2〜3人に1人は、内向的人間という。

 事業人生を30年以上、たずさわり、人との接触が多い仕事もあって、外交的

部分も多かった?反面、嫌な場面へ行かないで済む、自由もあった。逆に仕事上、

内向的姿勢も求められたこともあった。家内の友人に、極度の内向型人間がいて、

その話を度々、聞くことがあった。内向的にも、暗いのと、明るいのがいる。

冷たいのも、温みがあるのもいる。携帯パソコンが一般に普及した中、情報選択

と決断が重要になっているが、この時代だからこそ内向型人間の時代というのも、

説得力がある。ヨガブームというが、週二回、26ヶ月、参加して、成るほど、

内向き、精神性の時代が、実感できる。 高齢者は、どうであれ、内向きに

なりざるをえない。 ーつづく

・・・・・・

5905,閑話小題 〜映画評:『スプリット』

2017年05月16日(火)

   * 『スプリット』〜映画評

 先々週末は行かなかったが、先週は『スプリット』をみてきた。評価:85点。

一人の男に24人の人格が宿って、監禁した3人の少女の前に次々に現れる。

恐いが、これが面白い。16年にわたり、随想日記を書き続けながら、同月同日分

を読み返していると、自分の中に、何人もの違った人格をみている心持ちになる。

人は毎日、進歩と後退をしながら変化しているのである。 その中で、50年近く

前の日記の内容に驚いてしまう。社会人になる前の使用前、リタイアの使用後

なら違って当然。「気持ちは大して変わってない」と思うのは、そう思いこんで

いるだけ? 読み返す度に、若い時分に戻りたいとも思わない… 

 ≪ 〜『スプリット』 あらすじ

級友のバースデーパーティの帰り、車に乗った3人の女子高生。見知らぬ男が

乗り込んできて、3人は眠らされ拉致監禁される。目を覚ますとそこは殺風景な

密室…彼女たちはその後、信じがたい事実を知る。ドアを開けて入ってきた男

はさっきとは違う異様な雰囲気で、姿を現す度に異なる人物に変わっていた―

なんと彼には23もの人格が宿っていたのだ! そして、さらに恐るべき24番目

の人格が誕生すると、3人は恐怖のどん底に。≫

▼ 内なる他者?が存在して、どれが主体人格かさえ分からない人が、世の中

 に現に存在している? 政治家など、理想の政治的リーダーを演じて票に

する日常。頭にあるのは、票とお金のことばかり。集金の主体は、汚職ぎりぎり

の塀の上の美味しい取引しかない。 で、主体人格が、まず歪む。

 演じる理想的政治たる表の顔と、それを演じる主体人格の間の皮膜の中に

自分の個性をつくるしかない政治屋タレント。心の底に、多重の人格が育つのも

解らないでもない。 24人目の人格が、人間の奥底に潜む、モンスターのような

強固の人格がオチとして現れ出てくる。 映画は面白い!

 多重人格を検索したが、これが面白い。 近くテーマにする。

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5540,ドーキングスのセックス機械論

2016年05月16日(月)

 カントを頂点とした欧米の哲学の世で、< 生物の身体は遺伝子(DNA)を

運ぶ箱である>などと主張すれば、袋叩きになって当然の事。人は神様が

おつくりになったと信じて疑わない国柄の米国だから顰蹙をかって当然だが、

ドーキングは、「セックス機械同士が交わった結果、子供が生まれ、子々孫々、

遺伝子が生き繋いでいく」と言い切る。この論からすると、死後の世界とか、

生まれ変わりや、「自己存在とは何だろう?」など、考えることが馬鹿くさく

なる。 たまたま、やばい我々?の身体に、遺伝子が取りついただけ?

         ーエピソードで読む西欧哲学史:堀川哲著ー より

≪ ☆ 利己的遺伝子

1976年、オックスフォード大学の動物行動学の教師、リチャード・ドーキンス

(1941〜)が『利己的な遺伝子』という本を出した。ドーキンス、35歳であった。

この本は現代のダーウィン主義を要約したものであるが、ドーキンスの文才も

あって、センセーショナルな反響を呼び起こした。

 彼は、「神も仏もあるもんか、生物はセックス機械にすぎない」という。

ドーキンスは特に宗教を攻撃して罵倒するものだから、特にアメリカでは

超顰蹙であった。ドーキンスがアメリカで講演しようとすると大変である。

硬派のキリスト教徒たちが「くたばれドーキンス!」と叫んで押し寄せる。

彼の理論自体は単純・明快である。「この本の主張するところは、われわれ

および、その他のあらゆる動物が遺伝子によって創り出された機械にほかなら

ないというものである」。 こうドーキンスは書いている。

生物の身体は遺伝子(DNA)を運ぶ箱である。よーく考えてみよう。

人間は、最初は一個の細胞である。お母さんのお腹の中に、微小な卵として

誕生するのである。 学校の生物の時間に教わったでしょう。

 細胞の核にはDNAという二本鎖がある。DNAは四種の塩基物質で構成される。

四つの記号でプログラムが書かれていると考えればいい。コンピユータ時代

にはそのほうがわかりやすい。DNAはA、T、G、C(塩基物質の名前の頭文字)と

いう四種の記号でプログラムが書かれるのである。

 人間には人間のプログラムがあり、ブタやダニにはそれなりのプログラムが

ある。私が何ものであるかは、このプログラムによって決定されるわけである。

 DNAのプログラムは自分が生き延びるように動く、そういうようにできている。

サバイバルの方法はといえば、それは自己の複製(コピ!)を作り出すこと。

私たち人間は有性生殖の生き物であるから、コピーの作業は異性との性交と

いう行為を通じて実現される。できるだけ多くのコピーを製造すること、これが

DNAの基本的機能である。DNAはそうするように作られている。雨が降るのと同じ。

 そのために、DNAのプログラムは私たちの身体を適当なときに発情させ、複製の

行為と駆り立てるのである。こうしで私たちは異性を追いかけ回すようになる。

人間誰でも年頃になれば、発情するようにプログラムされているということになる。

 ☆ 遺伝子は永遠だ

間違いなくいえることだが、私はいつか死ぬ。私の身体はやがて滅び去る。

しかし、私が子どもを製造する限り、私を製造しているDNAプログラムは

少し書き換えられて、子どもにコピー(複製)される。個体としての私は死ぬが、

私のDNAプログラムは、私の子どもがまた複製を作れば、永遠である。

私にとってはうれしくも悲しくもないけれど、そういうことになっている。

遺伝子DNAは利己的である。だから「利己的遺伝子」である。その意味は、

DNAは自己の複製を極大化するように行為する、そういうようにプログラム

されているということである。≫

▼ 30数年前になるが、犬のブリーダーが、生まれたばかり犬の子、7〜8匹の

 写真を見せてもらった時、それぞれの個性的な顔と姿を見た瞬間、「この子犬

たちは、以前存在した犬の遺伝子が、改めて、この世に現れ出てきた」と、

直感したことを憶えている。 もしかして、分霊の正体は遺伝子? たまたま、

自分とは、それに触媒の積み重ねでカタチつくられた存在に過ぎないのだ。

これを知っておくと、死に際の絶対孤独が和らぐのではなかろうか。同じか?