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2018-05-21 閑話小題 〜老いるに従い、サイコパス化する?

[] 05:24 閑話小題 〜老いるに従い、サイコパス化する? - 堀井の「居間 客室 読書室」 を含むブックマーク

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   * 陰口好きは軽いサイコパス

 先日読んだ本に「内幕情報屋は、軽度のサイコという精神病」とあった。

そこで直に思い浮ぶのが、何人かの面々。特に営業屋のトップセールスへの

前フリネタの有効なエサとして最も有効なればこそ、知らずに自らが毒されて

いることに気づかない。成るほど、あの人がサイコと思うと合点がいく。

人の不幸は蜜の味だが、悪口、噂話は気をつけるべし。問題は程度になるが… 

男の風上に置けない腐った女のような一群の人たち。 そう書いている私も? 

「老いるとは、サイコパス化していくこと。変化出来なくなるからだ」とすると、

先々が恐ろしい。

 

  〜ウィキペデアによるサイコを特徴とは〜

【 犯罪心理学者のロバート・D・ヘアは以下のように定義している。

 ・良心が異常に欠如している

 ・他者に冷淡で共感しない

 ・慢性的に平然と嘘をつく

 ・行動に対する責任が全く取れない

 ・罪悪感が皆無

 ・自尊心が過大で自己中心的

 ・口が達者で表面は魅力的

 極端な冷酷さ・無慈悲エゴイズム・感情の欠如・結果至上主義である。】

▼ 5人に1人に、この傾向が強いという。

 株屋、商品取引など金融系の末端?の人たちに端的に現れ出る軽い職業病

それが今ではトップの金融庁の事務次官、国税庁長官がコテコテのサイコ?。

 ところで、最もサイコパス的なのが、政治家じゃないですか!

陰口を陰口で書くなど、自虐そのものじゃないですかい。 ったく!

 「自分は違うって?」 

「魂のシリアルキラーじゃないですか?」 ただし、すべからく、だが。

● シリアルキラーとは、快楽殺人鬼のこと。大部分の人達が、日ごと

 万引きより遥かに重い、魂の快楽殺人のミニ版を行っている。 

なら以下のことが分かるはず。馬鹿にバカというのが、一番バカか。

何かサイコ独り言のような。 老いるに従いサイコ化する?というが、

 …成るほど。

――――

5544,閑話小題 〜悪口は泥棒より悪いって知っていた?

2016年05月20日(金)

      

      ー「泥棒と悪口と、どちらが悪いか」三浦 綾子(作家

                  『人間学入門』(致知出版社)より

  * 軽度のサイコパスだとさ

 以前、この道理を知ったとき、そこまで悪口が罪悪とは思ってなかったこと

もあって、驚いてしまった。大家族の中で育ったためか、本能的に、悪口や、

他人の誹謗中傷を言うことがタブーか知っていた。一番立場の弱い末っ子が、

まず身につけるしかない自己防御のなせる業である。それが、進級、進学に

つれて、育った環境などにより、弱者に対する虐めや、悪口を言う人の比率が

増えていった。 学校、職場、一般社会も、階層があって、そのコントロール

として、誹謗中傷と悪口が、大きな働きをしていた。 それを筆者がズバリ、

泥棒より悪口が、悪いと断じるから・・  〜その辺から

≪・時折、講演で話すんですが、「泥棒と悪口を言うのと、どちらが悪いか」。

私の教会の牧師は「悪口のほうが罪が深い」と言われました。

大事にしていたものや、高価なものを取られても、生活を根底から覆される

ような被害でない限り、いつかは忘れます。少しは傷つくかもしれませんが、

泥棒に入られたために自殺した話はあまり聞かない。だけど、人に悪口を

言われて死んだ老人の話や少年少女の話は、時折、聞きます。

「うちのおばあさんたら、食いしんぼうで、あんな年をしてても三杯も食べる

のよ」と陰で言った嫁の悪口に憤慨し、その後一切、食べ物を拒否して死んだ、

という話があります。

・それと、精神薄弱児の三割は妊婦が三か月以内に強烈なショックを受けた時

に生れる確率が高いと聞いたことがありますが、ある妻は小姑に夫の独身時代

の素行を聞き、 さらに現在愛人のいることを知らされた。

それは幸せいっぱいの兄嫁への嫉妬から、そういうことを言ったのです。

この小姑の話にちょうど妊娠したばかりの妻は大きなショックを受け、

生まれたのは精神薄弱児だったそうです。 恐ろしい話です。私たちの何気なく

言う悪口は人を死に追いやり、生まれてくる子を精神薄弱児にする力がある。

泥棒のような単純な罪とは違うんです。 それなのに、私たちはいとも楽しげに

人の悪口を言い、 また、聞いています。 そしてああきょうは楽しかった、

と帰っていく。 人の悪口が楽しい。これが人間の悲しい性です。

・もし自分が悪口を言われたら夜も眠れないくらい、怒ったり、くやしがったり、

泣いたりする。 自分の陰口をきいた人を憎み、顔を合わせても口をきかなくなる

のではないでしょうか。 自分がそれほど腹が立つことなら、他の人も同様に腹が

立つはずです。そのはずなのに、それほど人を傷つける噂話をいとも楽しげに語る。

私たちは自分を罪人だとは思っていない。 罪深いなどと考えたりしない。

「私は、人さまに指一本さされることもしていません」。 私たちはたいてい

そう思っています。 それは私たちは常に、二つの尺度を持っているからです。≫

▼ これを読んだのは、20年前になる。元もと、噂話や、他人の中傷誹謗に

 興味がなかったが、大家族の中では、第三者の話題はタブーに近かった。

学生時代も、殆ど、批評はすれど、批判をしないのが通り相場。いい大人が、

悪口など、男が廃るという空気があった。しかし、自分が人を使う立場になると、

飴と鞭のムチを、知らず知らず使いだしていた。知人に噂話を売りにした人が

何人か存在するが、耳を塞ぎたくなるほど聞くに堪えない。長年、かかって顔が

暗く澱み、声まで変質している。あれ、万引き常習者になるが、これも悪口か・・ 

――――

2016/04/07

愛と孤独 ―池田晶子の言葉 〜?

     『幸福に死ぬための哲学 ―池田晶子の言葉 ー』池田 晶子(著)

   < 孤独の味わい方 >

  * 他人の悪口が気になる人へ

《 人間には、自分の中の気になるものを、自分の外に見つけ出すという妙な

 癖があります。自分の中のそれが気になるからこそ、他人の中のそれが気に

なるのですね。 よくあるでしょう、誰かの悪口を言っているその人が、

自分が悪口を言っているその人にそっくりだということが。つまり、人間は、

自分の中にあるものだけを他人の中に見る。裏返せば、人間は、自分の中にない

ものを、他人の中に見ることはできない。当然ですよね、だって、ないものは、

ないんだから。ないものは、気になるはずがないんだから。 》〜『人生は愉快』

 ☆ 時間薬の効果で言えることだが、5年前の会社清算の一連が、当事者

しての内なる記者の目線でみえた現象の面白さは格別であった。

 プラモデルの趣味の人に、それが壊れたとて、喪失感は少ない。それは、

楽しんだ結果でしかないから。所詮、悪口とは、その人間そのものの影!

――――

2003/11/25

965, 悪口についての一考察

 悪口については、随想日記の中では何回も書いている。

しかしテーマしたことは無い、一番イヤなテーマであるからだ。

昨日、新聞を見ていたら‘メジャー’ヤンキ−スの松井は中学校二年生以来、

悪口を言ったことがないという。(所詮は勝ち組が言っているから注目

している部分もあるが)

それでは「私の場合は如何だろうか?」と考えてみた。

本音でいうと

 可能な限り言わないようにしている。その為には嫌いな人のいる場には

 極力行かないようにしている。例えば、ライオンズとか商工会議所などである。

 痴呆名士志向の子狐的人間である。  地方で頑張っている人はこういう

 傾向が強いから始末が悪い。自分より肩書きや収入が多い人間には媚び

へつらい、下の人間には尊大な人だ。 仕方ないのは解っているが。

「お前の姿でもある」といえば、そうかもしれない

  人間にとって自分は善人であり他人は悪人なのである。

 自分を理解しろと必死になるが、嫌な人を理解しようとはしない。

 それは、怠惰という無精者に過ぎないことに気づいていないからだ。

  〜辞典には

 ー悪口は「他人について、劣っていると(事実に反し、また実際以上に)

 いう言葉」とある。

 ー陰口は「その人のいないところで、いう悪口」と書いている。

 悪口とは事実に反してと書いている。

 

 週刊誌などは、それで持っているいるようなものだ。

 大衆の一番弱いところを狙っているのだ。

 辞書のとおりならば、悪口の経験のある人は虚言罪で天国の門は間違っても

 叩かれないことになる。

  ☆ 思いつくまま「悪口」について頭に浮かんだことを書いてみる。

・「悪口はドロボーより悪い!」と曽野綾子の本にあったが、まったく

 曽野(その)とおりである。ドロボーは人を殺さない、しかし悪口は時に

 人を殺す。

・悪口は結局は、自分の事をいっているに過ぎない。

 したがって根は深い。ただ自分で気がついてないのだ。

 悪口はその人の歪んだ心象風景といってよい。

・悪口にも色いろある。

 本人に面と向かっていう悪口と

 陰でいう悪口がある。

・宗親(居酒屋おやじ)「馬鹿野郎!これで俺等居酒屋が、

 商売でもっているんだ!でも酷いもんだよ!

 サラリーマンの悪口は耳を塞ぎたくなるより、

 『その対象の奴より、言っている本人を張り倒したくなるよ!! 

 まあ、そうでもしなくては精神のバランスが保てないのだろうがね』            

                         ー続く

ーーーー

2003/11/26

966, 悪口についての一考察 −2

 どんなに憎んでも、面と向かって言ってはいけない言葉があると。

しかし、悪口は楽しいのである。これが人間の悲しい性である。

4~5年前にある泥酔の高校の同級生二人に呼び出されたことがあった。

片っ端から知人の悪口を言っていたが、私を呼び出す前までは私の悪口を

言っていたのがミエミエであった。そして「人の悪口は楽しい!」といって

いる姿に唖然とした。そう、こう書いているこの文章も、彼らの悪口だが。

 私の場合、こと人間の真髄に関しては何を話しても悪口になってしまう。

虚飾などどうでもよい?見えるのは裸の猿の狂った姿である。

大学のたまたま入った学部が社会学部であった。早くいえば人間学である。

人間関係の網の構造を瞬時に洞察する訓練を受けているから始末が悪い。

さらに、こういう社会学的な本が好きで40年近く読み続けているから

知らないうちに外部化しているのだろう。

表面的な付き合いの人間には、全てが悪口に聞こえるはずだ。

同級生のスナックのママ説教をされたが、その道の専門家いやアマチュア

ということは知らないようだ。

 ところで悪口という概念は、なんの思想も持ち得ない。

ー怒れば、ストレス解消・精神衛生などという隠れみので、自己のプライド

 など微塵もみせず?に罵詈雑言をいい続ける。

ー気分の良い時は調子よく聖句などを持ち出してきて、

「悪口はいけません」とのたまう。

この二面性を持っているのが人間の姿である。

悪口の後で「仕方ないさ、人間だもの」と繰りかえす。

ー悪口をいま思い出せる言葉を羅列してみるとー

「服のセンスが悪い」「だらしがない」「カスが人間をまとっていうような奴」

「子狐のような奴」「屑どもめ」「仕事が出来ない」「気がきかない」

痴呆迷死」「ミス何々ー失敗ばかりする女」「ダニ」「自民党のような奴」

「たかり」「くそったれ」「共同便所のような女」「東京ガス

 悪口はまるで無尽蔵である。

嫉妬心・怒り・敵意・ねたみ・憎しみ・優越感・軽薄など心の底に

渦巻いているドブから発するガスである。

 

 ー インターネットで調べた内容をコピー ー

  「悪口をやめよ 」

 ヤコブ4:11〜12

 箴言26:17〜28

 マタイ5:21〜24

  ー皆川尚一牧師ー

 悪口をやめよ!

兄弟たちよ。互に悪口を言い合ってはならない。兄弟の悪口を言ったり、

自分の兄弟をさばいたりする者は、律法をそしり、律法をさばくやからである。

もしあなたが律法をさばくなら、律法の実行者ではなくて、その審判者である。

しかし、立法者であり審判者であるかたは、ただひとりであって、

救うことも滅ぼすこともできるのである。しかるに、隣り人をさばくあなたは、

いったい、何者であるか(ヤコブ4章11〜12節)。

 「兄弟たちよ。互に悪口を言い合ってはならない」(11節)。

 ここで「悪口を言う」(カタラロー)というギリシャ語は「逆らう」(カタ)

という語と「言う」(ラロー)という語が合わさって出来た合成語で、

「逆らって言う」とか「反対して言う」という意味です。

しかし、この語の使い方は、面と向かって相手に逆らって言うのではなくて、

今そこにいない人の悪口を言う場合に使われます。

だから日本語では「陰口をきく」とか「中傷する」とか「ざんげんする」とか

言います。顔と顔を合わせて相手に反対したり、悪口を言ったりする場合には、

相手の人は自分の考えを説明したり、自分のやり方を弁明したり、相手に

反論したりできますから、ある程度公平だと言えるでしょう。しかし、今そこ

にいない人のことを悪く言う場合には、言われる人は弁明できず、反論も

出来ませんから、悪いうわさは毒ガスのように人から人へと伝わります。

二、三人のヒソヒソばなしやいわゆる井戸端会議からゴシップが流され、

話に尾ひれがついて、あること無いことが発展して人の名誉が汚され、信用が

失われ、せっかく築かれかけた良い人間関係が壊れていくのです。だから陰口

ほど質(たち)の悪いものはありません。

  しかし、クリスチャンになってもこの悪い行いは、なかなか改まらない

人が多く、このために教会の親しい交わりが汚されるので、使徒ヤコブは、

特にクリスチャンお互い同士が陰口をきかないで、愛の交わりを育てるのに

心を配って行こうと呼びかけているのです。そこで大切なことは陰口をきく

のは恐ろしい罪だということを認識する必要があります。

それは「神の律法に違反する罪」と「神の大権を犯す罪」の二つです。

2018-05-19 閑話小題 〜誕生日大全

[] 06:43 閑話小題 〜誕生日大全 - 堀井の「居間 客室 読書室」 を含むブックマーク

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         <「誕生日大全―補強版」サっフィ・クロフィード著>

 図書館の「返却コーナー」の棚にあった本で、その場で私の誕生日

1月15日を見ると、非常に納得する内容。そこで、15日の前後の14日と、

16日を見ると半分、一月前と半年前は4分1が思い当たるため、借りてきた。

 まず冒頭から「1月15日生まれの人は、起業家精神の持ち主」と…。

「長所、短所」「性格と運命」「仕事と適正」は、起業を目指すと自ずと

生じること。とはいえ、起業家精神や、特性を論理的に言い表していると

みると、これはこれで納得できる。ネット検索に、「誕生日大全 1月15日」

と入れると、本と同じ内容が出てきた。

――――

   ★1月15日生まれ

1月15日生まれの人は、「起業家精神の持ち主」

   ー長所は?ー

自発的 ●気前がいい ●信頼できる ●優しい ●協調性がある

●価値を見極めることができる ●独創的なアイディアを持っている

  ―短所は?―

●秩序を乱す ●落ち着きがない ●無責任 ●自己中心的 

●自信を失いやすい ●心配性

――    

   ー性格と運命―

●内なる情熱と持ち前の指導力目標に向かって粘り強く献身的

 取り組み、高い地位に上りつめることができるでしょう。

現実的ではっきりとものを言いますが、生まれつき人づき合いの

 才能があるので、社会的にはうまくやっていけます。

 ただし、物質主義にとらわれすぎるのが玉にきず。

 あなたの素晴らしい可能性を実現する妨げとなるので注意しましょう。

●何でもはっきりさせようとする性格は、問題解決やビジネスセンス

 高めるためには好都合です。

●勝ち気頑固で活動的で、組織をまとめたり人を触発したりする力を

 持っています。

6歳〜35歳⇒グループ活動を重視し、肩の力が抜けて自由を愛する

        ようになります。

36歳を過ぎると⇒感受性や精神面が強化されmこれは未来への

           展望、夢、理想となって表れてくるでしょう。

――

   ―仕事と適性―

●高い理想と確固たる信念を持ち、お金儲けの才能にも優れて

 いるあなたは、大きな事業を起こすことに成功するでしょう。

●創造力や前衛的ひらめきがあるので、美術商、学芸員、美術品

 の管理者などもおすすめ

●表現力が豊かで、人を感動させることができるので、演劇

 オペラ音楽の分野にも向いています。

――

   ー恋愛人間関係

●社交的で自己表現の場を強く求めるあなたは、活動的な

 社会生活を送ること間違いなし。

●この日生まれの女性は、スリルに満ちた生活を好む豪快

 な男性に惹かれる傾向があります。

 また、知性を刺激してくれる頭のよい人に魅力を感じます。

 しかし、親しい間柄で疑念が生じると不安や失望の原因

 となるので、常に明るく信頼される態度を心がけましょう。

――

  運の良い誕生日 .... 150位 1月15日

▼ 40歳後半頃か、夕刻早々、新潟の古町を、既に亡くなった不動産会社

 の社長と小料理屋で芸者をあげ、御大臣遊びをした後に、次の店に歩いて

いると、和服姿のクラブママさんらしき人が飲食ビルに入ろうとしていた。

  早速、連れが「あんたの店、ついて行ってイイですか」に、

「うちは運勢占いが売り。パソコン誕生日を聞いて、直ぐに結果が

出るソフトが一げんの客には大受けで… 是非どうぞ」と。

 それまで星占いとか、運勢占いは殆ど無かった。店に入って落ちついた

後に、誕生日を聞かれパソコンに入力した結果の内容の適格さに内心、

仰天していた。 詳細は忘れていたが、ほぼ同じだったような。占い

など全く信じてなかったこともあり… 創業人生を経験したこともあり、

冒頭のように、起業家以外は、その特性を述べているに過ぎないことを

察知できるが。もし大都会に住んでいたら、一人ぐらいは、馴染みの

占い師を知っておくのも良いのかも? それには、使い分けられる知性

がないとね! 最後は、そこに落ち着くが… 

< 考え尽くした後に、あとは、おまかせ! > 紆余曲折があっても、

それしかないでしょうが… 

誕生日大全 ?月??日】と入力してみたら。今月いっぱいは、隣人

スマートフォンを使い、調べ上げて、驚きの反応を共に楽しんだら… 

ところで思いたって調べた家内誕生日の入力の結果は、その前日が

完璧に合致するが、当日分は真逆。そうそう当たってたまるか!ですか。

・・・・・・

4446, 屋根裏に誰かいるんですよ

2013年05月19日(日)

   「屋根裏に誰かいるんですよ 

             ―都市伝説精神病理」春日 武彦著

数年前になるが、既に亡くなった知人の奥さんが会社の事務所に訪ねてきて

言うに、「誰かが留守に家に入りこみ、困っている」と切り出してきた。それも

会話の中で何気なくである。「ちょっと、待ってください。聞き捨てにならない話

で、もう一度、本当に侵入していたのですか」と聞きなおすと、現在も屋根裏

隠れていると、写真を数枚だし、ここですと言う。

私の目には見えなかったが、本人には見えるという。「警官に来てもらい見たが、

何も見つからなかった。が、私には隠れているのが分かる。ところで、うちの主人

が生前、そういう話をしてませんでしたか? 貴方にはシックスセンスがあると

聞いてましたが、この現象をどう思いますか?」と真剣な眼差し。

「恐らく貴女は、魔界とか何か違う世界に取りつかれたと考えるしかありません。

そういう話は一度も本人から聞いたこともありません」と答えた。その話を、

その人の共通の知人に話すと、「実は私の家に訪ねてきて、全く同じ話をし写真

を見せてくれたが、私も何も見えなかった。他にも訪ねてまわっている」とか。

本人は60歳前後で、老女というには、まだ若い。 

  ーアマゾンの内容説明

精神科医である著者が、現代社会におけるさまざまな精神病理を、きわめて

冷静に考察したものである。ある日、ひとりの老女が、「自分の部屋に勝手に

人が入ってきて困る」と訴える。その侵入者は、彼女の部屋にある日用品などを

盗んでいったり、ちょっとだけ位置をずらしていったりするという。

しかし、姿は見えない。まるで、「座敷わらし」などの妖怪のしわざとしか

言いようがない不可解な話を、老女は真剣に語る。表題となっているこの症例は、

「幻の同居人」と呼ばれる。このような症例は、多数報告例があるらしい。

患者たちは、脳に器質的な異常が認められるわけではなく、精神的にも問題ない

場合が多い。「妄想の突飛さと当人の穏やかな常識人ぶりとのあいだに乖離が

生じているときには、精神医学はたちどころに歯切れが悪くなってしまう」と

著者は言う。それがこの症例の複雑さと奇妙さとを物語っている。

▼ 当時は、この本の存在を知らなかった。子供達の巣立った家で、当人は深夜

 怯えているのだろうが・・ 想像しただけで、背筋が寒くなる。当人にとって

感じるのだから! 私も一時期、女性の幽霊?を見たり、幽体離脱をしたり、

面白い経験をしたことがあるので、当人が真剣になるのは分かる。

・・・・・・

4813,閑話小題 ー高齢者の三割が認知症とは

2014年05月19日(月)

   * 高齢者の三割が認知症とは

 先日の朝日新聞社会面に「認知症徘徊 不明届け一万人」の記事があった。

その中で「65歳以上の高齢者のうち462万人が認知症で、軽度認知障害

400万人もいると推計される」とあった。高齢者が人口に占める割合が

23〜4%からすると、高齢者が3000万人。その中の862万とすると、

三割が軽度を含めた痴呆症になる。前期と後期高齢者では、二倍以上は違って

くるから、80歳までに4分の1、それを超えると、過半数認知症になる。 

そして徘徊で不明になるのが年に一万人というから、深刻な問題である。

 それからして、長寿を願うのは実は考えもの。独り住まい高齢者が増加

している中、本人も周囲も深刻な問題である。「健康診断などしないで自然死も

選択の一つ」も、理解出来る。胃瘻で一度、管につながれると、簡単に取り払う

ことが出来ない。生かして拷問しているようでもある。 死ぬも地獄、生き延びる

地獄。老いて死ぬのも大仕事である。これを書いたためか、自分が認知症

なって呆然と佇んでいる夢をみた。脳は面白いものである。その夢とは、

<店頭で、ハンバーガーコーヒーを注文するが、商品がなかなか来ない。

それを(どういう訳か中年男)の店員に言うが、何も答えない。ところが後で

入ってきた若い男が目の前のチケットを取って、カウンターに並んでいる。

私が店のシステムの要領を得ないで財布を持って勝手に立っていたようだ。

仕方がないので、店から出て、他のテイクオフの店に行くが、店内の座席は、

二人以上でないと座れないという。どうも自分が認知症で、街を彷徨っている

ことに気づいた>ところで、目がさめる。何か恐ろしい夢だが、認知症とは、

こんなものと自分自身に知らしめる内容である。そうこう考えると、可能な

限り医者に行かないで、自然にまかせることも選択の一つである。いざ、余命

一年、半年と告げられると、その恐怖は、はかり知れないのは父親の姿で知った。

傍らに一年いて、その恐怖感が直に伝わってきた。それも、激痛が死にたくなる

ほど激しくなっていく。死にいくのは、簡単なことではない。そのため認知症

神様が与えた自然の業わいとも言える。マダラボケになるから、本人も、周囲も

地獄になる。 生きているうち、元気なうちである。以下の内容も、その類?

・・・・・・

5908、閑話小題 〜多重人格について

2017年05月19日(金)

 先日みたシネマの「スプリット」が、24の多重人格を持つ精神病者と3人の

被害者の恐怖の物語。 これが、面白い多重人格には、精神には多数の人格的

な意識が、多重人格者の個人差に関係なく、人格には共通した特徴があるという。

≪ * 多重人格に多くみられる人格とその他の特殊な人格

・基本人格:重大なストレスの体験を発端として、最初に別人格が分離した

後に生じる、多重人格の核となる人格。受身的で控えめな性格の傾向がある。

幼少時から眠っていたり、非活動的な状態になっていることも多い。

基本人格に関しては、出生時からの本来の人格の状態という捉え方もあります。

・主人格:その時々で最も多くの時間、体を支配している人格。DIDの治療

求める人格はたいてい主人格。典型的な主人格は、不安が強く、良心的であり、

頭痛に悩まされている。

・交代人格:交代人格は、主人格と基本人格以外の人格を指す場合が多い。

あるいは、主人格は交代人格に含まれるという解釈もある。あるいは、人格交代

して体を支配して行動出来る人格を交代人格とする解釈もある。あるいは、機能

や感情反応や生活史がしっかりとあることが交代人格の条件とする解釈もある。

・準(准)主人格:主人格の次に主人格のような役割を果たす人格で、

体を支配する時間や頻度が多い。

子供人格:多重人格に必ず存在する子供の人格。子供の人格は時間が凍結

されていて、早期の心的外傷体験の記憶や感情を保持する役割を担っている。

甘えられる状況の時や自傷行為の後などに意識上に出現する場合が多い。

・異性人格:肉体の性別と異なる人格を指す。女性の男性人格は保護する役目

を持つことが多い。男性の女性人格は体を支配することが少なく、主に意識

内部で活動する。中性のような性別の人格や性別がない人格の存在もあり、

その場合も分類上は異性人格になる。

・救済人格:良心が具現化したような人格。人格達の状況を全体的に把握して

いて、危険を回避したり、適切に生きていけるように影響を与える。

理性的だが感情の起伏があまり無い。

・記録人格:生活史についておおむね完全な記憶をもっている。

過去の出来事や他の人格の行動についての情報を与えてくれる。記録人格が

複数存在するケースでは、一部の記憶だけを管理している人格もいる。

・統括人格:意識内部ではリーダー格の人格。人格達を統括する立場で、

誰を人格交代させるか決める権限を持っている場合もある。統括人格が複数

存在するケースでは、状況に合わせて別の人格が統括したり、一部の人

だけを纏めている人格もいる。冷静で厳格な傾向がある

・保安人格:意識内部で、人格システム維持の為の任務を請け負う。

意識内部の領域を守る、問題をおこす人格に対して監視したり行動を抑制

したり活動を停止させる、その他の意識内部の管理など。

・人格断片:人格の断片のような意識で、一つの情動による感情表現や、

決まった行動をする機能を持っている。人格断片は多重人格者に数多く

内在し、融合や分離を繰り返す。

・人外(じんがい)人格:人間以外の生命体を象徴する人格状態全般を指す。

ペットになるような哺乳類動物が主で、特に猫人格が多い。半人半獣や生物

の形態をなしていないなどの現実には有り得ないものもいる。大体は人間の

言葉を理解し喋ることが出来るが、動物の場合は動物の仕草をしたり鳴き声を

出す時もある。人外人格の多くは、しっかりとした自我を持っていない人格

断片のような存在。

・憑依人格:憑依して人格交代する霊的存在による人格状態。悪魔憑きや聖霊

に満ちているような状態でも、憑依による人格的な存在が意識上に出現したら

憑依人格に分類される。たとえ霊的存在が憑いていたとしても、人格交代

しなければ憑依人格ではない。≫

▼ 上記をよく読むと、「性格分類」そのもの。それぞれの性格として

 現われでている。幼児性そのままを残した性格、優しさを持った救済人格、

傷つくことを異常に恐れる保安人格とか、人様々である。問題は、憑依するか

しないかの問題。職場や、勤め先を転々としていると、今度は、優しさを

前面に出してやろうとか、厳しさを前面にしてやろうとか、その都度、イメージ

を持って自己演出をしてきた。基本人格の上に、交代人格を付け加えてきた。

偽善、偽悪、露悪、露善の顔色である。これが、面白いほど、社会には通る。

詐欺師には、実際に騙すというより、様々な人に成りきっているため、罪の

意識は少ないのだろう。少し誇張しているうちに本当のように、思うように

なってしまったとか。これも多重人格の要素が現われ出てきたということか。

・・・・・・

5543,閑話小題 〜お金に窮したことは一度もなかった

2016年05月19日(木)

 * そういえば、お金に窮したことは一度もなかった!

          〜お金についての考えは人生に対する考えと同じ〜

 用心深い性格もあるが、事業人生の中で、お金に窮したことは一度もない。

両親、特に父親は、お金に対して厳しい人で、見栄や、無駄金、死に金、

小銭の扱いに常に目を光らせていた。普段の生活は徹して節約をし、外食や、

ブランド物趣味には、極端に厳しい姿勢であった。しかし、書籍の購入には、

一切、何もいうことがなかった。 

 学生時代、上京をして寮に住んでいた時の仕送りも、ギリギリの生活費しか

送ってくれなかったが、ヒモジイ思いをすることが無かったのは、節約

身に付いていたため。当時の学生時代は、家庭環境に関係なく、殆どの人が、

似たようなギリギリの送金。カナダ学生は、それが首相の子供であっても、

アルバイト生活費を稼ぐのが暗黙の習性という。

 その節約も、21歳の「欧州一周旅行」で、全てパーに。

「使ってこそお金の価値が現出する」と信じるようになっていた。

父が、末期ガンで死期を悟った時に、身近で実感したことは、「お金は、持って

旅たつことが出来ないこと」。 結婚直後からは、「稼いだときに、1〜2割を

別立てをして、残りは、使い切る」と、方針を変えた。それもあって、より遊ん

でおけば良かった、という後悔はない。死んだ瞬間、お金は一切、必要なくなる。

 また、お金が無くて呆然とした経験が一度も無かったことが良いのかどうか。 

健康面を除いた娑婆の苦しみの中で、「金の不自由」が、一番、辛いという。

現在、家内名義の家では少し肩の狭い思いをしているが・・

 他人事ではないが、一般的に、熾烈な事業の中で、万一の場合の用心深さが

あまりに無さ過ぎるのではと思うのは、老いのなせる業か。

お金について> を書くと、あまりにシリアスになるが、なればこそ、

自分を見つめる合せ鏡になる。そこには、欲が、そのまま露出している。

 それは健康に対していえることだが、70歳を過ぎたから、死を従容と

受け入れたいものだが、現実となると? 

―――ー

面白いもので、偶然だが,9年前に「お金」について書いてあった。

・・・・・・

2237, お金の正体 −1

2007年05月19日(土)

      「お金の正体」 ー日下公人

              (((。・-・)从(・-・。)・゜

「生・死」と「金」の話題は尽きることは無い。

特に「金」に関してはもういいや!と思うが、それでも次々面白い道理に出あう。

しかし、どれを読んでも面白いのは、金が欲の集約でもあるからである。

この本を図書館で手に取ったときは、あまり内容のない本に思えたが、

実際読んでみると、面白い本である。

お金の正体」はつきつめると

「その人が求めている幸せは何ですか?」ということになる。

幸せとは何ですか?は、これも単純で解りきったように思えるが、実は深い問題である。

私が好きな「幸せアルコールのようなもの」とか、軽く扱われない大きな問題である。

以前にも何度か書いてきたことたが、

父が死を覚悟した時にジッと私の顔をみて、数千万円の数字を紙に書いて

「この数字と銀行預金の同じ数字と何処が違うのだ?」

と深刻な顔をして私に問いかけた。

「事業という楽しみの後に残ったカスがお金である!」が父の口ぐせだったが、

それでは、そのカスも紙に書いた数字でしかないことに気づいたのだ。

「実際に使えないなら現状なら、無いに等しい」といいう言葉を加えた。

しかし両親は、そのカスを更に楽しんで使っていた。

それ以上を求めること自体は、少し求めすぎのように思えたが、

それでも逝く直前に割り切れない何かが心が残った。

その時、何かを伝授してもらった。

仕事を遊びまで高めること、そして、そのカスとしてのお金を、

仕事とは別の趣味を見つけ楽しむこと。それも楽しんだら、

大らかな気持ちで余韻を楽しむこと」である。

金を哲学的に考察すると、交換手段としてのルール(価値尺度)でしかない。

それでは目的はというと「魂の充足と自由」である。

「金」を通して(物や事で)魂の充足をしているうちに、目的と手段が混同し、

その混同が生き方を誤らせてしまっているのが現代の傾向である。

金という手段で「魂の充足と自由」をやり取りしているうちに、

金が魂と同類に思えてしまったのである。

だから価値尺度の通帳を見てニヤニヤしているうちに死に直面してしまい、

「金」が果して何だったのだろうかと錯乱してしまうのである。

ところで私の父親の迷いは何だったのだろうか?

その謎解きをしてみよう!

事業を楽しんで当時として、地方では財をなした。

そして、以前の家業の骨董屋の因縁で「骨董」の収集と、「国内旅行」を楽しんだ。

更に豪邸をつくった、そしてその8年後のある日突然死を宣告された。

目の前には、当時の数千万の預金と、幾つかの土地屋敷がある。

「それでも残ったこれは(資産)自分にとって何だろうか?」という疑問である。

死を直面して、混乱をしたのである。

父は事業も趣味も充分に楽しんだ。

そう、魂の充足はしたのである。

ところが、何かが欠けていたのである。

それは哲学的思考である。それも、難しい哲学ではない。

それで充分幸せであった!という心の安定を裏づける確信ができなかったのである。

「それでは完全燃焼などあり得るというのか?」という哲学的な答いが

出来なかったのである。

父の姿をみていて「哲学の基礎だけは教養として身につけておかなければならない」

ことを教えてもらったのである。

ー以前、書いた一部を紹介してみるー

ーーーーーーー

H0903  お金について

 誤解を恐れずに、いや覚悟の上に書いてみる。

これほど重要なモノについて誰も直視しない。

触れたがらないのはその本質があまりにも“現金”だからである!。

ズバリお金は“自由の塊”である。

世界の大部分のモノが引換に手に入る!人の心さえも。

それほど強力な魔物である。

それに支配された時、その人の奴隷使いにも変身してしまう。

反対に上手に使えば従順な召使いになる。

父がよくいっていた

お金がないのは首のないのと同じ位つらい、

その苦労はこの世で一番の苦労だ!。”

お金で奇麗事を言う奴が一番お金に汚い人だ!”

“生き金は使え、死に金は使うな!”

お金の楽しみの(うまくいった仕事の)結果のもの。”

“それは使わなくては紙に書いた絵でしかない。”

“金・金・金!!とどのつまるところ、それだ、それ位重要である。

お金に窮してはじめてそれと気ずく。

それを誰も直視しようとしない。

世の中その為に首を吊り、人を殺しもする、盗みもする。

それを認めた上で、それにとらわれるな!

とらわれない為にはお金を貯めろ!”。

父の考え方は決して間違っていないと思うし一つの見方だ。

でもお金に対して奇麗な人であった!

 ーーーーー

ヾ(´Д`、)マタネ

・・・・・・

5178,閑話小題 〜日本の将来に疑問

2015年05月19日(火)

   * 後世への恥さらし 〜歴史的汚点の結果に

大阪都構想は、僅差で否決され、これで維新の党は消滅をする。

 これは既存政党丸がかりで「維新の党」を潰したと同じ。後々、

この否決は、日本の没落の象徴として位置づけられる。大阪市民がノー

という選択をしたことは、間違いなく、日本の将来に暗雲をもたらす。

本気になって日本を変える気持ちが無いという選択である。

・ある批評家が、ブログで、「大阪市政廃止は、何の合理化にはならない」

と、したり顔で論じていたが、この問題は、「日本を本気で変えていく気が

ありやなしか」の突破口の杭になるかどうかだった。東京オリンピック開催を

選択した上に、この有様。これが日本の現状である。それにしても、日本

既成政党が、こぞって、反対したとは、何をか言わんである。この結果の、

マイナス効果は、大阪だけでなく日本を痛めつけるだろう。

・私が橋下を代弁すると、『仕方がない、この結果の評価は歴史が証明する。

それにしても、この既成政党の全てが総がかりで反対とは、世も末。

これだけ、内側の市長と、県知事の立場で内部告発をしても、市民、府民が

理解できないとは思いもよらなかった。何が地方再生だ。その前に、大阪

まな板に上げ、徹底的に合理化をすべきだろうに。 これでは、生活保護

対象者大阪に殺到する。彼らは、この甘さを享受したいからだ。

無念だが、仕方がない!』 

・これもそうだが、気持ちの悪い空気が覆い始めている。 こういう時に、

大地震と噴火が得てして起きる。バブル崩壊の数年後に淡路神戸大地震が、

リーマンショックの4年後に東北震災が起きた。恐らく近い将来に経済の

クラッシュが起き、その数年後に大震災の可能性が・・(逆もあるが)

 何か、自分の死の不安を重ねている? ようだが。

2018-05-08 閑話小題 〜世間話のでき方 −2

[] 05:39 閑話小題 〜世間話のでき方 −2 - 堀井の「居間 客室 読書室」 を含むブックマーク

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   * 世間教のおバカは自分のこと

 先回に、「世間話のでき方」のテーマを思い立ち書いた。また「世間様」の

批判だが、前回の文脈からして如何に、風評が言い伝わるうちに、歪められるか、

物語として書換えられるかの恰好の事例になった。

・まず自分の話からして、都合よく脚色をつける。

 <修理後に、カツ屋に行こうと信号を渡って店に入いろうとしたらパトカーの

サイレンが聞こえてきた。まさか違うだろうと思いつつ、カツ丼を注文したが、

何か気になるため、帰り道は、万一と考え、大通りを避けて帰ってきた。帰りの

道すがら、万引きをして追われる男の気持ちとは、こんなものか?」が修正がある。

少し難しい話になるが、カントの「もの自体」の説明になる。主観が入るため、

描写そのものが無理。主観という歪みが入るのである。世間話なら、ほぼ嘘が

拡大する。この文章も私の歪んだ主観で折角の情報を面白おかしく歪んでいる。

その歪みを上から、下から目線で楽しんでこそ、面白みが倍増する。

家内の一時停止違反の話を聞いて、脚色して話を面白くしたのを、家内

間抜けな亭主がパトカーに追われてカツ屋に逃げ込んだ話に脚色。それが伝わる

うちに、警察に捕まり、連行されミッチリ絞られ…に発展していく。世間様とは、

そういう世界の人達をいう。これが世間教徒の姿と私の歪みを白状する。

幼児の頃から、両親の会話の中に、その正体「全部、嘘かデマカシ」を知って

いたが、黙るしかなかった。(実はこれも脚色)。18歳から30歳近くまで地元を

離れ、34歳から新潟駅前で事業を始めて31年、職住を分けて、可能な限り同級生

以外に近づかないことを旨にしていた。これも歪み。先年に亡くなった親戚に、

半径500m、直径1kの人(世界各地のほぼ大部分になるが)、小さな小池の現実

に嵌って?生涯独身だった(これも私の歪み)。それぞれの歪みが自分になる。

カントではないが、それぞれが分厚い色付きの歪んだサングラスをかけて、身近

な人の風評をなぞって一生を終えるのが人生。 その歪みを少しでも自覚する

ため人は旅をし、読書をし、自然に接し続けなければ生きている甲斐がない。

・・・・・・

5532,若者よ、外に出よ! ー? 天空のショー

2016年05月08日(日)

                『人生の教科書』なかにし礼著

   * 天空のショー

 人間わざ、大自然、そして宇宙へと、対象が一つずつ、ランクアップする。

自然現象、宇宙のテーマは、『人生の教科書』にはない、私の経験の話題になる。

 オーロラは太陽系の天空のショーで、地球上の自然現象ではない。だから、

その神秘な輝きに何か得体の知れない現象が感動を呼ぶ。テーマが、

「地球は」から、「宇宙は」に変る。 〜ネット検索によると〜

《 天体の無数の星星の間に輝くオーロラは、太陽から大気圏内へ、光や熱

 だけでなく、太陽風を降り注いでいる現象。この太陽風は、太陽の表面の

爆発によって放出されるプラズマ状の電気を帯びた小さな粒でできている。

この太陽風の粒は、地球の磁場を横切ることができない特性を持っていて、

地球の側面からは入ってくることはできない。それに対し、地球の北極や南極

の辺りの磁力線は地球に対して垂直になっているため、太陽風の粒は、地球に

入ることができる。こうして地球に入ってきた太陽風の粒が、オーロラを発生

させることになる。この極地方から入ってきた太陽風の粒が、地球から100〜

400Kmのところで、酸素原子や窒素分子などと衝突すると、光を出す。

これがオーロラの正体である。》 

 北極近くの天空をキャンパスにした神秘的な光のウネリは、気ままに姿を

現したり、消えたりする。その魅力は、映像では知ることは出来ない。

外に出続けた結果、出会えたのが、これである。〜10数年前の文章をコピー

――――

2003/10/14

923, アイスランド旅行記ー3

   2003年10月14日(火)

ーオーロラハントー

 数年前に、ノルウエーのトロムソにオーロラハントに行ったことがあった。

その時は「何だこんなものか」という程度で、期待とは全く違うものであった。

薄い雲がスジ状に光っているだけであった。だだ行きの飛行機から見たオーロラ

がカーテン状に広く光っていたが。今回も5日間で一日しか見えるチャンスが

無かった。夜になると寒くなる為か曇ってしまうのだ。

感動するような大きなオーロラのはそうそう見ることができないのだ。

 そしてたった一回だけの私にとって一生もののオーロラが出たのだ。

天空に展開した時の感激は、想像をしていたより遙かに神秘的かつ荘厳であった。

写真など撮っている余裕など無く、ただ呆然と見とれるだけであった。

これをどう言葉で表現したらよいのだろうかと考えていた。

 天空の黒をキャンパスに、滝が降るように頭上の両側に壁になり揺らぐ青白光の

波がこの世のものと思えない、神秘的なものであった。。

あとは「 ・・・・・  」である。

 取材できていた共同通信社のカメラマンが、

「このオーロラをどう東京の友人に説明したらよいか解らない」話しかけてきた。

「これは実際、この目で見るしか理解はできないでしょうね」と答えるしかなかった。

その時、涙が出そうになっていた。

 以前ツアー仲間から、この体験談を聞いたことが何回もあったが。

「もういつ死んでもよいと思った!」

「聞くと見ると大違い、実際見なくては!言葉で表現できない」

――――

H1201自然の神秘

−オーロラ−

旅行に行く度にツアー仲間よりオーロラのすばらしさを聞いて、機会を待って

いた。「この冬が十一年に一回のあたり年で五泊六日・三食付、十四万九千円」

新聞広告に引きつけられ、ノルウェーのトロムソのオーロラ・ツアーに参加。

スカンジナビア半島の北極圏に位置した、北海道を思わせる質素だが、

豊かな上品な街というのが第一印象であった。丁度クリスマスのシーズンに入り、

それぞれの家が電飾で飾られておりお伽噺に出てくるような街並みであった。

トナカイにソリとサンタクロースがぴったりマッチするような絵画的景色であった。

帰りに一泊二日でデンマークのコペンハーゲンに立ち寄ったが、街中がネオンで

飾りたてられており、ディズニーランドを思わせるこの世とは思われない

“夢の国”という印象であった。特にチボリ公園の電飾が印象的であった。

トロムソに近づいた機中より見た、天空を背景にしたカーテン状の白いオーロラが

一番初めに見たそれであった。最終日の夜半三時よりみたオーロラも青色、ミカン色

と自然がおりなす天空色彩ショーであった。オーロラも必ず見れるという訳にいかず、

3〜4回来ても見れない人もいるという。一生に一回は見ておくべき自然のパノラマ

であった。             (H11.12.10〜12.15)

・・・・・・

写真

https://retrip.jp/articles/10962/

http://keiki-porori.com/archives/7892

http://4travel.jp/travelogue/10633722

録画

https://www.youtube.com/watch?v=lBiB6a9ERa0

・・・・・・

4435, 「死ぬのが怖い」とはどういうことか −5

2013年05月08日(水)

 * ルート4:主観的時間は幻想だと理解する道    

      ー「死ぬのが怖い」とはどういうことかー 前野 隆司著

   ーまずは、この概要を主観的にまとめてみる。ー

≪ 客観的な「今」と主観的な「今」の違いからみると、客観的時間は、時間が

 一定速度で進むという前提に基づいている。 時間を秒、分、時間、日、月、

年、10年、世紀といった絶対尺度で捉えるから、そのような結論になる。

客観時間は、一定速度で進む。それは、人がそのように定義したからに過ぎない。

しかし、主観時間は、そのように捉えるべきものでない。主観的時間を考えるに、

「今」を考えてみよう。「今」は、客観的には時間軸のある一点である。

客観的な今は時間の幅を持たない。どんなに短くても、時間が幅を持ってたら、

それは今でなく、過去と未来になってしまう。今とは、それが千分の一秒前と、

千分の一秒後の間が、今になってしまう。 千分の一などどうでもよいと思い

がちだが、数学や物理の世界ではそれを認めない。ということは客観的今とは

時間幅を持たない。 では、主観的な今とは何か。「クオリアとして知情意を

感じている、この今とは何か?」と問う以上、主観的な今は時間の幅を持って

いると考えるべきだ。ここに、時間的幅を持たない客観的な今と、時間幅を持つ

主観的今。両者の定義は異なる・・ 私たちの心は、「今」しか考えられない。

過去を思い出したり、未来を想像できるが、それらを行うのも「今」だ。

私たち人間には、過去も未来もない。実は現在もない。過去を思い出せるが、

エピソード記憶に残っていることを思い出しているに過ぎない。過去はクオリア

ではない。単なる記憶だ。その過去の体験のクオリアに戻ることは出来ない。

人間には「今」しかないのだ。・・・ 僕たちは「今しか感じられない機械」。

今と、生まれてから今までと、今から死ぬまでが、あなたにとってのすべての

時間なのだ。それだけだ。 主観的時間には、「死」なんてない。死ぬ瞬間は、

もはや主観的な「今」はない。死の直前には「今」を感じられるが、それは

死の瞬間ではない。主観的には死はないのだ。生まれる前は主観的には生まれて

いなかったのだから当然、時間は流れていなかったのだ。主観的な過去の時間は

過去にさかのぼるほど圧縮され、ついには物心ついたとき以前の時間は完全に

つぶれゼロになると考えるべきだ。未来も、先に行くほど圧縮される。

物心ついたときより前の時間がぺしゃんこにつぶれてゼロだったように、いつか

死んだ後の時間もぺしゃんこのゼロだ。・・ つまり自分が死んだ後の無限の

時間、という想定も、過去と同様、見直すべきだ。そんなのは無いのである。≫

▼ 当たり前のことを論じているが、これが自覚できないのが人間。

 過去も未来もゼロ、現在も幻想。ただクオリアがあるだけ。「自分が死んだ

後も世界は無限に続く」ということが、間違いである。死ぬと同時に今も、過去

未来も、ゼロに潰れる。「今」しかないのに、過去や未来にこだわる人間は

奇妙な生きもの。過去は記憶に過ぎなく、未来は予測に過ぎない。ならば可能な

限り、嫌なことを忘れ、良いことを繰り返して思い出すよう努め、今だけを

考えること。所詮、未来も、過去もない。それで良いのだと。亡くなった両親を

考えてみると、その道理が理解できる。死んだ後の時間はペチャンコに潰れている。

クオリヤを感じている今こそ、生きているのである。だったら、私たちも、

この「今」を生きるべきである。主観的時間が幻想としてもである。今しか

活き活き生きることが出来ないのである。ケセラセラと今を活き切るしかない。

・・・・・・

4061, 我事に於て後悔せず

2012年05月08日(火)

 * 我事に於て後悔せず。  宮本武蔵「五輪書』より   

         ー「人生を励ます黄金の言葉」中野孝次著 より 

この本で著者は、五輪書の武蔵の「我事に於いて後悔せず」を取り上げている。

一流のプロなら、引退後の後悔などせぬはず。 後悔するのは腐った?

のような人物がするもの。 ー以下の部分は、その辺りを微妙に書いてある。

≪ これをふつうは「われ事に於て後悔せず」と読む。 小林秀雄は「わが事に

於て」と読むほうがよかろうと言っていて、その意は、「その日その日が自己

批判に暮れる様な道を何処まで歩いても、批判する主体の姿に出会ふ事はない。

別な道が吃度あるのだ、自分といふ本体に出会ふ道があるのだ。後悔などといふ

お目出度い手段で、自分をごまかさぬと決心してみろ、さういふ確信を武蔵は

語ってゐるのである」(小林秀雄『私の人生観』)と説明している。自分の過去の

行動についてあとから、あれは間違っていた、などとそのたびに後悔するよう

では、後悔というものを受け入れるようでは、ひとは本当の自己に出会うことは

できぬ、というのだ。 小林秀雄は武蔵の言葉をかりてつまりはそれが言いた

かったのだが、このことは今ぼくらの考えている「自己への忠誠」にあてはまる。

◎『自己に対する何という無礼だ、その決心をした時より今の自分の方が利ロ

だと、どうして思うのか。』スタンダール「パルムの僧院」これぞ言葉の中の

言葉だ、これほどにひとを励まし、自己への忠誠を元気づける言葉を、ぼくは

ほかに知らない。武蔵の箴言はいささか道学者くさいが、ここには自己であること

の純粋なよろこびがある。・・これはスタンダールの全作品に鳴りわたる言葉。

◎ ースタンダールはそのすぐ前で公爵夫人の性格についてもこう言っている。

 公爵夫人の性格には二つの特徴があった。彼女は一度欲したこと

 あくまでも欲した。また一度きめたことはけっして論議しなかった。

◎ ー彼女は偶然にまかせ、そのときどきの快楽のために行動してきた。

 しかしどんな行動に身を委ねる場合でも、断乎として行なった。あとで冷静に

 返っても、けっして自分を非難しなかった。まして後悔しなかった。自己に

 たいする忠誠とはかくのごときものであるかと若い日に讃嘆させられて以来、

 これらの言葉はそのときどきにつねにある内耳器官のごときものとなって、

 ぼくを導いてきた小説の主人公ではないか、とバカにしてはいけない。 ≫ 

▼ 小林秀雄に「無私の精神」という文章がある。実践家は、自我を押し通す人

 と思いがちだが、実は無私の人である。彼は無私に徹しなければ物事は成就

しないことを知っている。極限に立ってきた人は後悔などしない。そこで自分を

押し殺し、己を抑えるほど物事は大きく成就してきたことを知っているからだ。  

後悔は、実践の中では後々、害になることもである。

・・・・・・

5167,閑話小題 〜心は科学者か弁護士か 〜�

2015年05月08日(金)

  * 私たちの心は「判事」や「科学者」ではなく「弁護士」を雇っている

 ネット検索で、「科学者」「弁護士」と入力したら、以下の内容が出てきた。

心の内なる弁護士は、時にご主人様のため、盲目になってしまい暴走、歯止め

がきかなくなる。そこで、科学者や判事も同じ力量を置かないと、極端の個人

主義者になってしまう。 〜まずは、その辺りを抜粋〜

≪ この世に産れ落ちるあなたに、神様から

「二つの人生のどちらかを選択しなさい」と言われる。どちらを選ぶ?

 �生涯究極の正直者を貫き通すが、ならず者だと思われる。

 �常習的な嘘つきなのに、模範的な人物と見なされる。

「徳が高く見えるか?」「実際そうであるか?」は、このように大きな違いだ。

現実として、皆、どちらを選んで生まれただろう? 哲学者グラウコンのように、

大抵「人々は現実よりも見かけや評判に、より大きな注意を払う」 これは長い

歴史の中で、私たち先祖が生存競争に勝利するにあたり、真実と名声のどちら

が重要だったと考えたかを表している。人は人の見えないところでは、正直

とは言えない。少数の腐ったリンゴが倫理社会をダメにしているわけではなく、

人々の大多数がほんの少しずつズルをするからこそ、この世界は危いと言える。

おまけに、始末が悪いというか、ほとんどの人が自分の誠実さを疑わない。

つまり、自分がした行為の正当化に恐ろしく長けているのだ。

 私たちは心に「判事」や「科学者」を雇っているのではない。

 私たちは心に「弁護士」を雇っているというのが、本当のところだ。

だからこそ、グラウゴンは言う。倫理的な社会を築くためには何が重要か? 

「あらゆる人々の評判がつねに皆の目に入るようにし、不正な行為がつねに

悪い結果を生むようにすることだ」と。心の「弁護士」とは「思考」のこと。

思考の中心的な役割は、他人に対して説得的な理由や、いい訳を提示するための

準備を整え、振る舞えるようにすることだ。事実自分がした選択を正当化しよう

とするプロセスはきわめて強力なので、意思決定者は、何かを決めるに際して、

他人の説得のみならず、正しい選択をしたと自分を納得させるためにも有力な

理由を探そうとする。つまり私たちの中の優秀な弁護士は「自分自身をも説得

しようとする」のだ。道徳的な思考は科学者のような真理の探究より、政治家

の票集めにはるかに近いと言える。たとえば、人は論争になると、ほとんど

考えを変えようとしなくなる。心は論争相手から遠ざかろうとし、挑戦を

むきになって論駁しとうとするのだ。とは言え、心は絶対的な独裁者でもない。

もし相手に愛情や敬意を抱いていれば、心はその相手に歩み寄るし、理性は

相手の主張に真理を見いだそうと務めるだろう。・・ ≫

▼ ここで、弁護士とは「思考」というが、判事、科学者、弁護士との

 裁判のやり取りが「思考」だろう。それと、傍聴席の視線の想定も重要。

日本では、�の人を極端に嫌う。尻尾を出していても、�の人を好む。

一神教なら、規範が明示されているが、訳の分からない世間教徒の日本人は、

あいまいな�になるしかない。で、殆どは? 人生の最終晩年に我にかえる。

人生の節目に常習的嘘が暴発し、「まさか、あの人が!」と、正体を現す。

・・・・・・

5897,閑話小題〜30年以上、毎日使ったコーヒーカップが

2017年05月08日(月)[

   * フランスと韓国の、大統領選挙

 昨日、フランス大統領選挙が行われ、明後日には韓国大統領選挙が行われる。

いずれも重要な選挙だが、フランスは、アメリカと違って歴史も、教養もある

文化国家、極右の大統領を選択する間違いはしなかった。

 〜今朝方のネットニュースによると、

【 仏紙ルモンドの出口調査結果では、得票率はマクロン氏が約65%で、

 約35%のルペン氏を上回り、当選を確実にした。7日午後7時15分現在の

暫定投票率は74.7%で、第1回投票を下回る見通し。】と、波乱は無かった。

 問題は韓国大統領選挙。結果によって北への服従政権の可能性が非常に強い。

瀕すれば貪するを地でいっている韓国。火の海になるなら、少しの妥協も厭わ

ないと考えても、不思議ではないが… それだけ深刻な事態ということか?

――

   * 30年以上、毎日使ったコーヒーカップが

 先日、注いだばかりのコーヒーが、カップの受皿に漏れていた。それを

家内がみつけ、『また〜あ』と、嫌味を言われたが、溢した覚えがない。

よく見ると、手もと部分にヒビが入っていた。30年以上も毎日使い続ければ、

当然だが、飽きもせず、よくぞ使い続けたもの。私を馬鹿にするに絶好な小話。 

どうぞ御使い下さいませ。 旅行先で、コーヒーカップを幾つも買って、飾り

だなに並んでいるが、たまに使うと、下々の者が贅沢なという嫌な顔をする。

コーヒーカップは眺めるものでなく、時どき使って楽しむもの。地震で破損

すれば、ただのゴミ。』と、いっても納得しない。で、二回の地元の大地震で、

三分の一は破損しても、その後も、同じスタンス。その結果、一つのコーヒー

カップを30年も使うことに相成った。 気に入っていたカップだったので、

30年も使っていたのだろうが。 

  〜20年以上前になるが、もっと面白い逸話… 

 私としては少し値がはったが、気に入ったウォーキング・シューズ。

早朝の散歩や、海外旅行などに年中使って10数年。結果的は如何なることに。

靴底が磨り減って亀裂をし、水漏れのため使用不可能。

この手の話は尽きない。決して自慢できる話ではないが… 

・・・・・・

4802,年金破綻報道の罠 ー�

2014年05月08日(木)

  <世界で一番わかりやすい、年金「安心」理論> 

              ー細野真紘(2014年の論点100)

  * 年金は安心!を、まとめると

 年金は、あくまでも老後生活の補助金。あまり知られてないが、現役世代が

圧倒的に多かった数十年間で、積立金が120兆円もあり、それを取り崩せばよい。 

現在の年金の支払いは、現役世代の年金収入以外にも、税金からも支払われる。

巷で言われている、1970年の20〜65歳年齢対65歳年齢が8・5人対1で、2050年に

1・2人対1としても、今まで計画的に積み立てられてきた年金基金と、税金を

加えればよいことになる。楽観的だが、一理はある。正社員の比率が減る中で、

厚生年金に加入できる人が減っていることが大問題。今後、高度成長も望めず、

国家の体力が弱っていく中で、楽観視は出来ない。しかし、この年金制度が

無かったとしたら、10年、20年先の若者は、大変。最悪の想定で、両親2人と、

その両親の親4人、合計6人の面倒を見るケースも、ありえる。多くの紆余屈折

を経て、それなりのカタチになっていくが、悲観だけをしても何も得ることは

出来ない。ここで取り上げてきた基本的知識を、国民は、あまり知られていない

ようで、より丁寧な教えが必要のようだ。40年以上の厚生年金を夫婦してかけて

きて、手取り25万では、何か釈然としないが、それでも大きは生活の柱である。

逆に、夫婦二人で、国民年金だけの収入で手取り11〜2万では、生活保護にも

満たない。 核家族化の中で、子供からの援助も当にできず、ハイパーインフレ

にでもなれば、アメリカの貧困層のように救済センターに食事のための行列も

現実になりかねない。私も、半年前までは、倒産など、思いもよらなかった。

家内も、私の実家も、堅実な家柄だったので、厚生年金や、万一の備えをして

いたので、何とか生活の質を落とさないでいるが、一つ間違えれば、大変の事態

になるところ。生きていく上で、お金健康とともに大切である。それから

自由になるには、長年の時間をかけての準備と、蓄積が必要。老いれば尚の事、

たかが年金、されど年金。たかがお金、されどお金。それ以前の知識も・・

 で、120兆の年金基金も、日本国債とアメリカ国債に化けているとしたら、

どうなる? 国家あってこその個人である。

2018-05-07 閑話小題 〜一日だけのスポット

[] 06:08 閑話小題 〜一日だけのスポット - 堀井の「居間 客室 読書室」 を含むブックマーク

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   * つれづれに 〜アクセスが4000近くに

 やはり、ブログのアクセス数は気になるもの。去年の初めが大よそ350だった

のが、春口から400、夏に450、470とじわじわ増え、今はこの辺りで落ち着いた。

昨年で2度ほど、1300、1600が1週間ほど増加した後に、元に戻っていった。

二度とも何故か力の入った内容だったため、何処かの「ブログの推奨サイト」

でもあるのだろうと思っていた。しかし、先日の10倍近い4000のアクセスに

驚いた。時どきテーマが思い浮ばないスランプに陥るが、その時ほど地頭が働く

ためか面白い内容になることが多い。

 500のアクセス数は、17年の成果で妥当だが… 4000はあくまでスポットで、

続くわけがない。一昨日は500に、今朝は400になっていた。ここにアクセスして

くる人は中高年が中心だろう。社会経験が少ない若い人なら、せいぜい2〜3度、

覗くといやになるはず。アクセスを増やそうと積極的に売込めば、1000はいき

そうだが… 無理すると <熊、寅、八、大家の掛合い漫談>も気楽に書けなく

なる。

 シリアスに、上から目線と下から目線を別々に意識して書いてるが、人に

よれば尊大に思える内容だろう。学生時代の最終年のゼミで、「企業内トラブル

人間関係や、社会現象の現状分析」を週2回、2時間、集団で議論をしていた

学生時代の気分の延長が今でも続いている。それと、日々の記憶の道標として、

ネットにアップをして公開することで、内容の維持を目的にしてきた結果、

生前の墓参にもなる。死んだ後の墓参りより、ズ〜っと有難い。

数万、数十万のアクセスより…? 負け惜しみですか! それとも…

 真面目過ぎだよ、オットツァンですか!

 家内の知人の娘婿のアクセスが、4万とか聞くと何をか言わんだが。

「娘と戦う受験日記」だと思い出し、検索をしても見当たらなかった。

そこで、「面白いブログの探し方」で検索すると、<「お金」「社長」で、

検索すると、シリアスなサイトに当ります>よ とあった。 成るほど!

・・・・・・

4434, サードマン現象とは

2013年05月07日(火)

 母親が晩年になってから、たびたび「私には守護霊がいる。それは子供の頃

に亡くなった父親。何時も私を見守ってくれ、いざ何かあると、私を良い方向

に導いてくれる」といっていたが、気持ちの問題だろうと聞き流していた。

また先日亡くなった将棋の米長邦雄が講演で、「何時も父親の位牌を布団に

持ち込み、父に話かけていた」というのを聞いたことがある。 

 先日のNHK教育(PM7:00〜7:40地球ドラマチック)で、サードマン現象を

再放映していた 。これはジョン・ガイガー著「奇跡の生還へ導く人ー極限状況

のサードマン現象)をインタビューなどで編集したもの。で、その概要とは・・

◎ 9・11の世界同時多発テロで、ニューヨークのワールドトレードセンター

ビルに旅客機が二機衝突した事故で、最後に脱出した1人は、煙が立ちこめ

瓦礫に阻まれた階段を下りられず、もうダメだと諦めかけた時、どこからとも

なく聞こえた声に従い、突き進んで命を救われたとか。

◎ 多くの登山者を飲み込んできたヒマラヤのナンガパルバットに初めて

 登頂したヘルマン・ブールを危機の中、励ました声。

◎ アメリカ大陸からヨーロッパ大陸へ、人類初めての単独飛行をした

 リンドバーグを支えた声。

◎ アメリカの宇宙士が極度の緊張の合間の休みに神のような何かの存在

 を感じたとか。生命の危険にさらされた苛烈な環境の時、自分を奮い立たせる

 声を聞く能力が備わっているというのが「サードマン現象」といわれ、その

「第三の人物」は、その極限状況を克服するために精神的な助けをしてくれる。 

 この現象は、かつて神や守護天使とか守護霊として受け止められることも

 多かったが、現在、それを人間の生理的・心理的機構が生み出した幻だとも

 いわれる。過酷な極限状態において発動する右脳の原始的?スイッチの感じ。

 知らない誰かや父親、自分自身、守護天使、などがそこに存在する感覚という。

 脳は危機的な状態や生命の危機が起きたり、体験すると「潜在的脳力」が働く。

 私たち人類の先祖は過酷な自然の中で、獲物を狩ったり果実を採取してきた。

 20万年前の人類の先祖は「サバイバル」の極限の中で、恒に「サードマン現象」

 が起きていて、これらの遺伝子が先祖代々受け繋がられ、現代人にも存在して

 いると、考えられる。以前は450年前の先祖の堀井宗親という仮身を、現在は

「地球の中心点」を擬人化した「球芯様」と、両親の霊を話し相手にしている。

 それは自分の魂の仮身である。 この「球芯様」、最近は、ヨガの最中とか、

 夜半のベッドで囁きかけてくる。それが、思いもよらない問いかけをするから、

 面白い。 また、幾つかの創業の時など、極限の状態に自分を置くと、何故か

 異常な力が湧き出てくる。火事場の馬鹿力というか、底知れない力が自分の

 中心から立ち現れくる。原始的、動物的知恵と力で身体も心も浮いたように

 勝手に動き出す。誰にも経験があるはずだ。 以前、家内が世田谷と同じ面積

 のある、ポンペイの遺跡で、迷子になってしまった。それも日が暮れる直前。

 警察は来るは、遺跡のスタッフが総出で捜索に当たるは、現地ガイドと添乗員

 は、青くなって駈けずりまわった中、色々あって本人は一時間先にあるホテル

 に何とか帰りついていた。何かの折に書くが、いざとなると、異常な力が

 湧き出るということ。 サードマンを創って話相手も面白い、是非お勧め!

――――

5166,閑話小題 〜心は科学者か弁護士か 〜?

2015年05月07日(木)

   * 心は科学者か弁護士か

 心理学者いわく、《 真理にたどり着く方法は二つある。科学者の方法と、

弁護士の方法だ。科学者は証拠を集め、規則性を探し観察結果を説明できる理論

をつくって、それを検証する。弁護士は、ほかの人たちに納得させたい結論から

スタートし、それを裏づける証拠を探すとともに、それに反する証拠を斥けよう

とする。人間の心は、科学者と弁護士の両方で協力するようにつくられている。

つまり、客観的真理を意識的に探し求める存在であるとともに、信じたい事柄を

無意識に熱を込めて主張する存在でもある。これらの二つの方法論が競い合う

ことで、わたしたちの世界観は形づくられている。》

▼ 科学者が帰納法、弁護士が演繹法、と解りやすい事例で説明したもの。

これから引出されるキーワードが、判事。正・反・合の合である。居酒屋など

での誹謗中傷は、ヤリ玉の対象を酒の肴に、内なる科学者、弁護士、判事が、

掛けあいで肴に談義すること。心の中では、自分を正当化する弁護士が有利だが、

誹謗中傷では、判事が絶対優位に立つ。他愛のないものだが、それが、その連中

のレベルの内容で、そこの子狐の役回りが仕入れたネタに尾ひれはひれをつける。

それらをヘドロという。その意味では、城下町はドブ沼そのもので、そのガスは、

強力な破壊力を持つ。だから、近寄らないで、ここまできた。実は、そのガスで、

自分自身が殺されていることさえ分からないため、断絶の時代の中で、烏合の衆

として生きるしかない。その老いた醜悪が増長し、周囲を悩ます材料になる。

 そういう人たちの初老性鬱病(良い人仮面病)ほど哀れなことはない。何せ、

一生をかけて偽善の仮面を被り生きてきたのだから! 露悪でいくか、偽善か?

・・・・・・

5896,『しあわせ仮説』 −4 〜愛は恐れを克服する

2017年05月07日(日)

           『しあわせ仮説』ジョナサン・ハイト著 

   * 愛は恐れを克服する

 シリアスな話になるが、義務教育の終わる中学校のメンバーを思い浮かべると、

成績上位の2〜3割と、下位の2〜3割を比較すると、上位は両親が揃っていて、

比較的裕福あるのに対し、下位の人たちは、両親か片親を戦災で亡くなったか、

家が貧しい生活環境にあった。これは当人の責任ではなく、運命の問題になる。

ある程度、安全であればこそ、勉強や、遊びにも注意が向く。 逆に幼児の頃、

両親に愛情過剰な位に与えられた人を何人か知っているが、これは性格が強い。

絶対的愛情を親から注がれ育った人は、生涯を通じて、恐れを克服して勇敢に、

遊べる上に、何事にもチャレンジする傾向になる。愛着理論を、ここで紹介して

いるが、ネット検索をすると、以下のとおり。

≪ 乳幼児が、不安や不快などストレスを感じている状況で、自分の親など周囲

 の養育者に対して泣いて訴える、あるいは接触を求めて甘えるなどして、親密な

きずなを形成しようとする愛着行動に関する理論。英国の児童精神分析学者

ボウルビーが提唱したもので、動物に生来備わっている自分の生命の安全を確保

しようとする本能に基づく生得的行動により、自分の訴えや要求に答えてくれる

限られた養育者との間で愛着(アタッチメント)が形成されることがたいせつと

考える。愛着は1歳ころまでに形成されるが、訴えや要求に対する応答が密なほど

安定した愛着(安定型愛着)が形成され、小児期以降に安定した対人関係をつくり

あげる礎(いしずえ)となる。しかし、安定した愛着が形成されない不安定型愛着

では愛着形成障害を生じ、その後の心身の不安定や行動障害をもたらす。 

 ボウルビーは「愛着」の形成過程を次の四つの段階に分けている。

・まず生後3か月ころまでの第1段階では愛着はまだ形成されず、周囲の注意を

ひこうとだれに向かっても同じように泣いたりほほえんだりする。

・しだいに養育者とほかの人物を区別するようになる生後6か月ころまでの

第2段階では、養育者に対してとくに強く反応し、笑ったり凝視したりする、

あるいはあとを追うような行動もみられる。

・生後6か月〜2歳ころまでの第3段階では愛着が確実に形成され、養育者を安全

基地とし、そこからある一定の範囲で行動したり探索行動をおこして、ふたたび

基地に戻る。また、成長するにつれて自分の要求を主張し、実現に向けて執拗な

行動をとるようにもなる。

・3歳以上の第4段階ともなると、養育者との身体的接触を求めることは少なく

なり、養育者の意図や感情を理解し、協力して行動するようにもなる。≫

▼ 中高校生の頃、同居していた甥っ子が、毛布に愛着を持つ依存症だった。

 今ではそれも、様々なキャラクターの人形があり多様化しているようだ。

職住一緒の商家だったこともあってか、幼稚園の頃、若い色白の女店員が、

対象だった?ような。なぜか魅かれるのが愛情豊かな長女系。で、生涯、支配

される我が身のような人生になる。人気番組の『家についていっていいですか』

で、都会の単身住まいの若い男の部屋に大きな人形があったのは驚いた。

都会の孤独地獄を癒してくれるそうだ。 私は、座卓の上に鏡を置いて、自分

自身と話していたが。それでも、様ざま寮生が1〜2時間は、部屋に来て談笑

していた。 考えてみれば、このブログも、そのようなものですか…

・・・・・・・

4060, 要は、受け止め方である!

2012年05月07日(月)

 人生、色いろ経験を積み重ねた後に過去を俯瞰すると、その行蔵はどうにでも

解釈できる。 ついてなかった人生としても、視点を変えれば、ついていた人生と

脚色出来る。受止め方次第で過去も現在も、そして未来も変わってくる。 

 中村天風は「全ての受け止め方を『積極一貫』にし、肯定的であれ!」と説く。 

人生は問題の山、その中心点が何か考えつくし無心に立ち向かうしかない。 

これからは、自分の人生を、どのように受け止めるかが人生の問題になってくる。

受け止め方を変えることは、行蔵の中の要素を仕分け直すことになる。それで、

これからの人生の方向を変えることになる。そのために記憶さえ変えるのが

人間の業。 それは行蔵の要素をどのように解釈するかになる。そこでも知識の

絶対量が必要になる。分別ない人間の身勝手な解釈では、ますます歪になろう

というもの。「運」があるか、ないかは、「運は自ら運ぶこと」と解釈すれば、

運そのものが意志の問題になる。運がない人は意志が弱いと解釈出来るというもの。 

「人生に起こったことは無駄のものなし」と、信じていれば、最悪のことも結果

としてプラス材料になる。 そうこう考えると無知は、それだけで罪の原因になる。 

知らなかっただけで、どれほど多くの失敗を重ねてきたことか。人類も私もである。

初めから自分のミッションを明文化しておけば、それが信念になり、途中経過の

失敗も成功も、受け止め方がハッキリしているので、ブレが小さく済む。 

おい方一つで、荷物も軽くなると、同じ。これからの日本は坂を転げ落ちる

ように衰退する。そこで何が必要か? 教育制度の再構築と、憲法改正。無理?

・・・・・・

5531,閑話小題 〜たかがプライド、されどプライド

2016年05月07日(土)

   * たかがプライド、されどプライド

 誰も心の奥底にプライドを持っている。それも中途半端な誇り。

それは中途半端に傷ついた経験しかないため。しかし何度も傷つき、立上がる

中で、中途半端な誇りの底が抜けて、虚無に通じていく中で、本物の誇りに

鍛えられる。若い時の誇りは、まだ柔でしかない。

 〜まず、「プライドとは何か?」を格言から考えてみる。

 ―――

☆ 「プライド」と「お金」だけは、何があっても守り抜くのよ

                ー朱子(ベニス)『君が主で執事が俺で』

☆ プライドだとか恥ずかしいとか、そんなつまらないことにこだわらないで、

 仕事恋愛も、自分からどんどん扉を叩くの。そうすれば、もっともっと

 新しい扉が、開いてくるわよ  ー加賀まりこ

☆ 親はなぜ学校に行け、というかと言うと、行かないと子供の将来に

 かかわると思うから。しかしそういう親には、子供は学校でいじめられて

 死ぬほどつらい気持ちを正直に言えない。子供には、かわいそうなくらい

 プライドがあるから、土壇場になるまで言わない。子供が恥ずかしさを

 忍んで訴えたときは、ほんとうに追い詰められたときです。

 場合によっては、休学、転校してもいいんですよ  ー里中満智

☆ 女の想像をこえて、男はプライドに命をかけるものなの。

 むしろプライドに命をかけられない男は、男じゃないわ 

                   ービアンキ『REBORN!(リボーン)』

☆ 些細なことであっても、オーバーに感動してあげましょう。たった、

 それだけのことでも、相手のプライド自尊心にかかわる一番の欲求を

 満たすことになるのです       ージョセフ・マーフィー

☆ 自信のない人ほど中途半端なプライドにしがみついて、謝ることができない。

 ここで謝ったら、自分の人格が全部否定されると思込んでいるのですー中谷彰宏

☆ 仕事へのプライドほど貴重な財産はない ーメアリー・パーカー・フォレット

☆ 僕は人の質を決定するのは、その人が自分にプライドを持っているかどうか

 だと考えている。他人に見せるプライドではない。自分自身への誇りである

                    ー連城三紀彦

☆ プライドを捨てるプライドを持て   ー作者不明(格言)

☆ 人間のプライドの究極の立脚点は、あれにも、これにも死ぬほど苦しんだ

 事があります、と言い切れる自覚ではないか    ー太宰治

☆ 女の喜びは、男のプライドを傷つけることである ーバーナード・ショー

☆ 物事は万事「必死に打ち込んだ」経験が必要なんだよ。

 それが人間の誇りを支えてくれるんだ      ーいしぜきひでゆき

☆ 失敗は誇り。それだけリスクを冒したということだから 

                       ーベンジャミン・ローゼン

☆ 人生は決して後戻りできません。進めるのは前だけです。

 人生は一方通行なのですよ         ーアガサ・クリスティ

――

▼ 5年前の会社整理で深く実感したことは、リスクを冒さない人ほど、他者の

 失敗に辛辣になる。特に組織人ほど、それが強い。思いの外、平気だったのは

その大きさに比例した必死な打ち込みをしてきた実感があるため。 だから、

目先の心が折れても?魂までは折れなかったようだ。プラモデルと同じ。

創りあげ、軌道に乗せただけで、元がとれた実感がある。批判者のそれは、

その経験がないから、上っ面の批判になる。成るほど、「失敗は誇り」である。

挫折を重るほど、芯のプライドが強くなるのは、リスクへの恐怖を乗越えたため。

 ところで、軟弱なプライドも、最後の砦の中の拠りどころで必要ではないか!

  で、偶然だが、以下につづく。 成るほど・・

・・・・・・

4801,閑話小題 ー朝日新聞デジタル

2014年05月07日(水)

  * 朝日新聞デジタル版

 以前から、迷っていた朝日新聞のデジタルに加入。

現在のキャンペーン中に、申し込めば新聞代プラス500円の追加料金で済む

(平常は、千円)。別にパソコンで見る必要もないと思ったが気になっていた。

最低期間が半年で、月初めなら、その月が無料で7ヶ月間なら、試してみる

価値があると判断した。で、三日経ったが、これが正解。記事の一つを

クリックすると、そこだけがクローズアップする。更にテキスト記事に転換

可能で、スクラップも出来る。間違いなく、新聞紙を手にとって見るより便利。 

これがプラス500円ならお勧め。朝食前後に、一度、全体のページに目を通し、

昼飯か、夕食時に、印象に残ったところを、いま一度、目を通していたが、

スクラップは、ほぼすることはなかったが、これからはする!また、一日単位

でタブレットなどにダウンロード出来るので、ネット環境が無くても、持ち

運び見ることが出来る。 また家庭内の他のパソコンからも、手軽に記事に

目を通すことが可能である。現在の私は、書斎と寝室にいる時間が多いため、

何度も、気楽に、記事に目が通せるところが良い。実感で、読む時間が

今のところ、二倍になっているが、数ヶ月後には3〜4倍にはなるのでは? 

ページ一覧も可能で、一面、社会、政治、経済・マネー、国際、スポーツ、

カルチャー、オピニオン、などから、記事を拾うことが出来る。紙面が、

そのまま、ビジュアル化して見ることも出来る。 その文字の大小も選択

できるところも良い。紙の新聞を見た後に気楽に読むのに最適ということ。

これまで30分読むか読まないかだった、iPadか卓上なら、プラス30分ぐらいは、

読むのでは! 日中、居間と書斎と寝室のTVとパソコンの間を流離う身に

とって、紙聞紙の持ち運びから解放されるのは、大きい。加入を家内に告げると

、まず大きく拒否反応を示したが、これは何時ものコース。一番、これを

読むのは間違いなく、本人になるが、それが分かってない、何時ものコース。

今まで読まなかった、連載小説や、読者の声の、コーナーを早速、読み始めて

いる。新聞社も、紙面+デジタル版のカタチで生き延びようとするのでは。

月刊誌も、店売りの他に、宅配にして、デジタル版を100円+すればよい。

それなら「新潮45」か、「文藝春秋」を購入するだろう。 それにしても

デジタル版は良い! 他に、雑誌の幾つかが読み放題の「ビューン」に

入っているが、これも良い!

・・・・・・

3694, 自己を見つめる −16

2011年05月07日(土)

  * 幸福について (不幸について) ー3  

            「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)  

【 加えて、そうした無事安全な生活の場の確保に立脚して、更に誰もが、

この世に生まれた以上、自分の生きがいがある。・・略 しかし、そのために、

人は、その自己拡充を念頭において、たえず日夜、精励しなければならないで

あろう。というのも生き甲斐の達成は、いろいろな面で課題や試練や困難や

障碍に出会って、これを克服する努力の連続に置き換えられてゆくから。 

格闘することなしに、人生の実りは結ばないというのが、この世の鉄則である。 

実際、存分に生き抜いたという生き甲斐にみちた幸福感は、それなりの自己

集中や犠牲や断念や労苦の代償のもとでのみ、初めて獲得されるのである。 

けれども、いかに精進したとしても、非力で有限な人間には、完全な意味での

幸福感はけっして与えられえないであろう。考えてみれば、生きているという

ことは、まだなすべきことを残しているということと同義である。

なすべきことがなくなった人生は、死と同義である。生きるということは、

欠如の意識にもとづき、それを充足させるという運動と情熱において成立する。 

その情熱は、充実に向けられている点では、たしかに、憧れにみち、その実現

状態を夢見ていて、幸福感に浸っているであろう。けれども、その意識が、

目下は自分にその充実がいまだ与えられておらず、また、あらゆる意味での

完全な充実が人間には不可能であるという自覚に伴なわれたとき、それは、

そのまま、不幸な意識に転じるであろう。したがって、人間には、生きている

かぎり、終息した絶対的安寧としての幸福感は、与えられず、叶えられず、

許されず、その意味で、人間は、終生、不幸であろう。・・・ 】

▼ 不幸論という本もあるほど、人間の本質は不幸である。最後は死ぬことを、

 二人称の死の経験をして、洗脳されているためである。その人によって大かれ

少なかれ、不平不満、神経質、我執、理屈を言い張る部分を持っている。

それが膨張すると、周辺に諍いをぶつけていくことになる。それが不幸の大きな

要因になる。 そうこう考えると、不幸は体質もある。それは血筋、家系にも

関係してくる。どっちみち、一生の間には谷あり、嵐が襲ってくる。 

それを乗り越えるのが、人生。そのプロセスこそ人生である。そう割り切って

しまわないと、冷静に立ち向かうことができなり、破滅が待っている。

2018-05-03 閑話小題 〜さらば金沢

[] 06:29 閑話小題 〜さらば金沢 - 堀井の「居間 客室 読書室」 を含むブックマーク

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『金沢・富山バスツアー』への参加した際の手記をここで書いた。また先日、

<『トランジション』ウィリアム・ブリッジズ(著)>をテーマに書いた。

金沢「いとはん」時代と、その前年の産能大時代が、私には「ニュートラル」

状態の時節。気持ちは空虚で隅に追いやられた窮鳥状態だったが、その一つ

ずつの決断は、私には人生を大きく左右することばかり。時代は大きく揺れ

ながらも、右上りの潮流が流れていた。しかし、「ニュートラル」状態は、

目先が真っ暗闇で、何も見えない真っ黒なサングラスをかけたよう。一部の

秀才?を除いた司法試験の受験生のようなもの。合格までは、タダの引籠り。

ジャスコを辞めて入った産能時代に、千葉郊外の千葉県第三セクターが造成

した5万人の新興住宅地のど真中の商業地の売出し広告を見て応募して、当選。

土地を確保し、購入条件に二年半後までに着工条件が入っていた。まだ実務

経験不足を補充するため、金沢に期限限定の見習いとして入ったが、そこは

厳しさで有名な会社。今でも、夢に出てくるほどの厳しい現実と、逆に甘い

誘惑が行き交う動乱の修羅場。西武流通グループと資本提携。先が全く見え

ない事態なればこそ仏も存在する。居場所がない状態が自ずと仏心が滲み出る

が故に、様々な邂逅も多くある。2年と割切っても割切れない空虚感が漂う。

「枝葉を切って根を養え」の時節。創業の志は実に逞しく響くが、派手な?

学生時代を生きてきたものにとって、その段差は非常に大きい。 

もう二度と、金沢に行くこともなかろうと『金沢・富山バスツアー』に

参加した。そして、当時を思いだすにつれ、この辛さこそが、当時に、

経験しておくべきことだった。 縮んだ状態と、オデン屋で独り酒?の

味が何ともほろ苦かった… そう思うのは、物語の再構築のためか。

人生、恵まれていたとして、面白かったとしても、違った生き方もあった… 

はず。でも、気にいった人生のデザインと色彩でもある。 人生、二度無し! 

人生を振返り物語ると、自らを癒すことになって色彩が明るくなってくる。

 

後記:以下を読返し、物語、行蔵として書き残す秘儀とはとはかくあらんと… 

 書いておかないと、忘却の彼方に… それもまたよいが。私が消え去っても、

刻印として、残る感覚は、実存の根が残っているようである。

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閑話小題 〜金沢・富山バスツアー

 昨日は、数年ぶりに、観光バスツアーに参加してきた。

地元の越後交通(ゴールデンツアー)の日帰りコース。出発が長岡駅東口で、

早朝の7時20分発。地元到着が19時20分。値段が9500円(税込)。家内が長岡駅

への道すがらにある越後観光ビル内の案内所で見つけてきたツアー。 

・富山県北アルプスを背景にした『あさひ舟川・春の四重奏』の花見と、

・金沢市内の『金沢ひがし茶屋街・散策』

・『ホテル日航金沢のランチ食べ放題』のメニュー。

家内が、このコースに甚く気にいって誘ってきた。この数年、ライフワークの

秘異郷旅行に行ってないため、即座に合意し、参加した。 一つだけ誤算が、

桜の開花が一週間早くて満開の時期を逸し、半分ほど散っていたこと。それでも

、満足できる散策。その後、金沢駅前にある「ホテル日航」のランチが思いの外、

美味しかった。「ひがし茶屋街」散策を1時間ほどして、帰路についた。

金沢には、20歳半ばに一年半ほど、修行も兼ねて勤務をしたことがあった。

立場が立場だけに、気持ちがどん底だったが、ところは、「いとはん」という、

マナーに厳しいと定評のあったファッション衣料チェーン。人手不足の中、

女性専用のマンションが大うけで、若い女性が殺到していた急激な右上がりの

会社で知られていた。しかし、努めて半年もしないうちに、ドルショックが

起きて時代は一変し、売上は激減し、西武流通グループの傘下に入る激動の

最中。社長と、ナンバー3の人物の対立もあって社内は荒んでいた。

 しかし、3人に1人は、いわゆる金沢美人。仕事の半分は、様々な悩みの

相談相手と、イチャツキ。肩書が無い立場からこそ、気を許してくる。

最悪が故に、面白いことが多かった。寮内に、誰か茶道に通っている人が

居ないかと聞いたところ、寄宿していた寮の近くに、一般の家庭の主婦が

教える茶道の家を紹介してもらい、1年程、通っていた。当然、そこに数人、

金沢美人が通っていて、週の二回、火曜日と、木曜日と、交互に通いながら、

様々な地元美人と茶道の練習を楽しんでもいた。金沢は外モノには優しく、

仲間内にはキメ細かい暗黙の気遣う歴然とした階級社会。

男尊女卑が歴然と残っている男社会で、一歩も二歩も、女性が表立っても、

男をたてる世界。富山、福井、能登、飛騨高山が近くにあり、何はともあれ、

金沢に… 。当然、遊び場も、茶屋街に。芸者衆の集まる、茶屋街が、

「ひがい茶屋街」「にし茶屋街」「主計茶屋街」の三つが金沢藩の肝いりで

集められ、現在に至っている。その「にし茶屋街」に、何も知らずに店の

パンフレット配りをして、その奥深い世界を一端を見た時の驚きを忘れられ

ない。当時の茶屋街で出あうのは今まで見たことのない御公家顔の美人ばかり。

あれは芸子のスッピン顔だった、今回の散策で気づいたことだが、綺麗なはず。

 雑種の地方の寄り集まりの首都圏を除き、四日市、神戸、金沢、新潟市、

長岡市と仕事で、渡り歩いたが、こと美人とセンスに関しては、金沢が一番

粒揃いであった。一番、影響を受けているのが、京都の文化。

 北陸新幹線開通まで、あまり知られてなかったのが、料理文化の深さ。

現在は如何なったか知らないが、おでん屋、小料理屋、喫茶店に味わいの

深い店が多い。当時の金沢の話は尽きないほどあるが、どの場面も青春の

真只中のような思い出は尽きない。経済が激動していても、今となっては

夢のような時代背景があった。

ドップリ、地元城下町の一角に沈んでいる自分に気づかされた一日だった。

追: これを書きあげて、20分後にポタリングに出発し花見をする予定。

 長時間バスの座席の固定で腰痛を心配をしたが、殆ど問題は無かった。

習慣の力だが、定時の3時50分に起床し、これを書上げ… 日常の世界へ。

一日とはいえ、この非日常の反動は、数日後に出てくることになるが…

――――

閑話小題 〜金沢・富山バスツアー 〜2

   * こんにちは、わが青春の金沢へ

 日帰りの『金沢、富山コース』。 国内のバスツアーは、十数年前に、、

夜行バスで行った『京都の桜・観光以』以来、二回目。40歳辺りまでは家族と

とものドライブ旅行か、友人とか、仕事仲間内の企画に参加するとかが主だった…

 その後、趣味を一品豪華主義とした秘異郷旅行など海外ツアーに絞ったため、

国内旅行は皆無だった。しかし、海外ツアーで腰痛の負担が増えてきて…

 今回は、日帰りツアーとしても、腰痛が心配だったが、何事もなく帰ってきた。

バスツアーは中高年が多いので、海外ツアーのような、強硬日程は基本的に組み

こんでないようだ。

今回は、金沢の『ひがし茶屋街・散策』と、富山の『あさひ山連邦を背景とした、

「あさひ舟川」の花見』が主である。

『金沢ひがし花街』が風情があって味わいがあった。

写真は、ネットでひろったものだが、着物姿の若い女性や、男女は、貸衣装で

着付けをしたと思われる。当地で数組の芸子らしき連れが歩いていたが、直に、

観光客の「芸子コスプレ」?と気づいた。しかし馬子にも衣裳、派手な和服の

若い女性が妙に色っぽく場に馴染んでいた。

 ネットでひろった写真の芸子は、金沢美人の典型だが、勤め先の女店員の

3分の1は、この程度の美人が揃っていた。当時の写真が一枚も存在いないのが

悔やまれる。私の年代は、戦中、戦後の境目。同じ年代でも、男は数年後の

団塊世代の女性が有り余っているが、女性は終戦直前のため、対象の男が極端

に少ない。特に当時の城下町は、隠れた男尊女卑の文化が浸透していたようだ。

 無役が故の気楽さと、加賀百万石の大らかさが相まって、ドップリと粋ある

美人に囲まれ、鈍よりした女社会の生温かさに浸った日常を過ごしていた。

それと、様々な小料理屋や、おでん屋の酒の味を思いだしていた。世間を渡り

歩いてきたと思っていたが、底辺の一部しか、みてなかったことも、あい知る

ことになった。 花街とは、裕福の男の3%の遊び場の名残りということ。

何時も、極限の先に、大きく世界が広がっていた。 金沢、娑婆娑婆の一節!

  〜【金沢・茶屋街】で検索すると〜

<江戸時代、城下町近郊を流れる犀川・浅野川両界隈に多くの茶屋が立ち並んだ。

 文政3年(1820年)、加賀藩の許可を得、犀川西側に「にし」の茶屋町、浅野川

東側に「ひがし」の茶屋町が共に開かれ、大いに賑わった。この際、旧来の不整形

な町割は改められ、整形な街区が形成された。浅野川をはさんで北西には、茶屋街

の1つである主計町がある。

茶屋町創設時の敷地割をよく残し、全国でも希少な茶屋様式の町屋を多く残して

いるとし、2001年11月14日、種別「茶屋町」で国の重要伝統的建造物群保存地区と

して選定された。二番丁にある茶屋「志摩」は、歴史的価値が高いことから2003年

12月25日に国の重要文化財に指定され、一般公開されている。>

――――

2001/12/21

[178] 忘れられない店ー4(金沢)

   ー平家ー鉄板焼き

 金沢にいた時期によく行った店である。もう30年も前の話である。

4〜5年前に行った時まだっその店があったが、しかし個性的な親父は死んで

しまっていた。その店のかみさんがそのままいた。高級化して二店になっていた。

落人焼きといって、何でも鉄板で焼く鉄板焼きやで‘平家’というだ名前の店だ。

今でもちょっとないかわった店だ。食塩の箱入りとともに、キャベツが山盛りで

ツマミにでる。大きい鉄板の上で魚や肉や野菜や豆腐を焼くのだ。その為店が

油でギトギトで真っ黒で、またそれがいい。親父が遊び人風の個性の塊のような

親父で、その話を聞いているだけでよかった。

 当然お母ちゃんがいて、人間味あふれた夫婦であった。2時間ぐらいいるうち、

必ず大喧嘩をするのが名物で、皆それが始まるのを待っている節があった。

「マダ喧嘩始まらないの?」と聞く人が出る始末。そしてすざましい喧嘩である。

たまに奥さんが休みの日、一人ショボンとしているところがまた可愛い。

何回も家に電話しているのだ。たまたま初めて行ったのは、会社の先輩が競馬で

大あてをして連れていってもらったのだが、「お前の人生は今日で終わりだ、大穴

を当てた味を知ってしまったのだからだ!」と先輩に説教が始まった。

それがいやに説得があって面白かった事を思い出す。

――――

5140,閑話小題 〜北陸新幹線開通1ヶ月

2015年04月11日(土)

  * 北陸新幹線開通1ヶ月

 北陸新幹線が開通して1月。ゴールデンウィーク辺りから、福井、石川、

富山の北陸三県の観光地が脚光を浴びる。金沢は加賀百万石の文化が営々と

引継がれている。20歳代半ばの頃、1年半、金沢の地で勤務したが、現在

でも鮮明な記憶として残っている。休日、日帰りバスツアーで能登半島を

一周したり、半日市内観光をしたり、金沢港でキス釣りをしたり、茶道に

習いにいったりした。 加賀百万石の文化は何とも風情のある。

特に、老舗の居酒屋が良い。北陸三県と隣接した地区の観光資源は豊富。

その背景に三大都市圏の観光需要があるのが大きい。そこに新幹線で二時間半

で行けるのだから、女性にとってうってつけ!『日帰り能登一周コース』を

つくれば良い。 逆にストロー効果で、地元民が東京に取られる可能性も大。 

 ところで金沢滞在の一年半で、姉や友人が三人、訪ねてきた。更に、実家の

会社の慰安会で近くの温泉にバスで来て、私もそこに招かれ、泊まって騒いだ

こともあった。勤務先の会社上げての慰安会が、泊まり込みで片山津温泉。

高度成長経済の真只中時代だった。今では隔世の感がある! 

金沢・能登は一人旅に、うってつけ、お勧めである。

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2014/06/05

「事業人生を決心して45年」の語り直しー8

   

* 「語り直し」を始めて驚いたことは

 3年前の結末で、オセロゲームの駒が、白から黒に変わったと思い込んでいた。

ところが、変わったのは細部の記憶が次々と最近のことのように思い出すこと。

嫌な出来事と思っていた中に、自分自身の姿が垣間みることが出来ることだ。

むしろ、不遇の渦中の中にこそ、人生の醍醐味があるということ。ただ、気づく

か気づかないか。 不遇であればあるほど、周囲の人に親切になる。だから、

多くの邂逅が生まれ、味のある日々になっている。成るほど、人生は面白いもの

である。生きてきた課程で、日々、世界が変化している。そして、自分自身も、

大きく変化している。特に、20歳代の変化は激しく、留まることはない。金沢に

いた頃の会社は、最後は吸収合併をされて、今は、何一つ残ってない。あるのは、

抽象画のような記憶だけ。しかし、これが自分の基礎に大きく根を張っている。

 金沢に来たのだからと、能登一周の観光バスで一日一人旅をしたり、同僚との

東尋坊へのドライブに行ったり、早朝の金沢港でのキス釣とか、金沢駅前の居酒屋

で騒いだりとか、入社前の研修での永平寺の座禅とか・・・ 

 ところで、東尋坊は北陸随一の景勝であり、自殺の名所としても知られている。

同僚から聞いたのが、自殺者の霊が管理事務所に尋ねて来たとか、断崖から下

を見たところ、多くの手が伸びてきたとかは日常茶飯事という。 

 せっかくの金沢なら、茶道でもと思いたち、同僚の女性の紹介で、寮の近くの

家に習いにいっていた。異様な緊張感が漂う中、来ている女性は、なかなかの

若い美人ばかり。週の火・木曜日の週二回のどちらかに行くが、これが心落ち着く。

それぞれの日で、来ている人が違うが、そこでの美人を見るのが楽しみになっていた。

ただ、それだけだが、金沢を急遽、去るにあたって、その事情を師匠に話すと、

「ところで結婚相手が決まっているの?」と聞いてきた。

「職場の女性以外に、チャンスもないし、同僚は付合わない主義で・・」と答えると、

「どっちの娘がいいの?」と結婚相手など微塵だに考えてなかったので、「別に!」

と答えたが、悪くはないが今さら時間が無い。考えてみたら金沢での伴侶の選定も

考えられた。 浅く広い、いちゃつきレベルでは、多くの思い出はある。

一番、惨めで、嫌なことばかりの日々の中にこそ、多くの心の痕跡がある。それが

青春ということか。人生は多くの出来事と、その記憶の重なりで出来ていて、

「自分」は、その蓄積そのもの。そうこう振返ると、創業準備期間の15年の方が、

創業以降の30年より、遥かにエネルギーが入っていたことになる。 

結果が、どうであれ、野心を持って、ひたすら日々を過ごしていた20歳代が、

人生の醍醐味があったようだ。結果としてみて、20歳代は、非常に合理的配転を

自らしていたことになる。今だから言えるが、面白い日々だった。

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2014/06/03

「事業人生を決心して45年」の語り直しー6

  金沢の16ヶ月でも多くを学んだ。特に印象的だったのが、新入社員教育の

ST訓練(センシビリティ・トレイニング)。社員教育の厳しさは、まずここから

始まった。 まる3日間、同期の男子17〜8名が、トレーナーの人事部長の元、

円座に座り、担当の人事部長に指名された二人が、聞き手と、答え手になり何か

質問をする。逆質問は、一切禁止で、質問の中心に向かい掘り下げていく。

曖昧になると、トレーナーが叱咤する。その逆に質問者と聞手の立場を変える。

ランダムに二人を取替え対話をさせる。他の人たちは、二人の対話から、

グループ全体が共通の無意識の内に入ってしまう。 

 ーそれについて以前書いた内容が以下である。  

ー359, ST訓練 <2002年03月28日(木) >よりー

【 毎年この時期、新入社員に私が直接する訓練である。もう2〜3回の入社ゼロ

 の年を除いて、前にいた会社も含めて26年間行っている年中行事である。初め

の頃は二泊三日で行っていたのがいたが、一泊二日になり、今では一日だけ。

研修所や旅館を使って密室状態であったのも、現在は事務所で行っている。

センシビリテー・トレーニングを、途中から独自に変えた内容である。当初は

感性訓練を目的としていたが。密室に新入社員を閉じ込め、それぞれ二人に問い

かけと、答える立場を決める。そして彼らにテーマを出させ、そのテーマ

ついてどことん聞き出させる。脇道にそれたり、いいかげんな事を言った時大声

で叱咤する。あるところまで来たら、立場を逆にする。それを密室の中で、繰り

返しそれぞれの相手を変えてやっていく。その中で自分のいい加減さ曖昧さを

互い気づかせ、表面的会話から、本音の会話へ、更に対話に深めていく。

その中で感性を磨く。あるいはお互いの気心を理解させ、仲間意識や帰属意識を

つくる。組織は人間どうしの意思や情報伝達が基本にある。聞いたことを、

はっきりと他の人に正確に伝える事が前提になる。時間をかけて、叩かれていく

過程で身に付けるものだが。それを初めに、きっちり訓練を入れることを目的と

する。それとリクルートの能力適正試験の内容と、実際の本人の内容の誤差を見る。

ほとんどないが、それでもそれだけで見えない部分がある。ある意味で一生もう

決まっている、その人のソフトのベースもある。

 この訓練を通して、自分で把握した事がある。日記を書くこと、本を読む事、

人の話を聞くこと、自分で考える事、理想も持つ事、良い習慣を多く身に付ける

こと、変化する事、初心を持ちそれを大事にする事である。 】

 金沢でも有効な自己鍛錬をしていた。特に会社は強くあらねば!ということを。

人生に無駄なことなど何もない。

   * ST訓練とは? ーネットで検索ー

《 ・・この訓練は、通常10人〜15人の小グループに、1人〜2人のトレーナー

 がついて、一週間前後の合宿で行われる。メンバーは、時間を決めて繰り返し

行われる「Tグループ」に参加することを義務づけられますが、グループ内では

自由」に振る舞うことが出来ます。討議課題や話合いのルールは示されません。

すべてそれぞれのメンバーの関わりの中で決定していくことになる。つまり

「グループの中で起こるすべてのこと」が学習の教材となるのです。

従って、対人関係の感受性社会的感受性を高め、同時に、状況に適合した行動を

柔軟にとれるような能力を開発するのがこのトレーニングの狙いとなります。

一般的な効果としては次のような点があげられます。

(1) いままで気づかなかった自分に気がつきます。    

(2) 自分と集団の相互作用を体験的に理解します。

(3) 対人コミュニケーションのあり方を原理的に体得します。

(4) リーダーシップを体験的に学びます。

(5) 新しい建設的な動きや創造性が発揮できます。 》   

実はトレナー本人が、一番、学ぶことがあった。

――――

2014/06/01

「事業人生を決心して45年」の語り直しー5

   * 金沢百万石での経験

? 千葉の新興住宅地のド真ん中の交差点で何か事業を立ち上げるに、実社会の

経験不足はまだまだ不足。それと建設期限まで二年間半の期間があた。そこで、

何処かで厳しい修行の場に探し出したのが、当時、厳しい社員教育で知られていた

「いとはん」という衣料チェーン店で、北陸三県に10数軒を出店していた。

入社して知ったのが、西友と資本提携。そのため会社は大きく動揺している最中。

資本提携は、強者が弱者を生きたまま飲み込む残酷な実情であることを、当時の

社長を含めた役員はあまり理解してなかったようだった。

その上に、入社半年後にドルショックが起き、既存店の売上高が、大きく右下がり

に落ちていき、会社内は暗い空気に満ちていた。ジャスコ在職の時は、合併先への

新兵で乗り込む立場から、今度は逆の立場の占領される側の一兵卒である。

2〜3年後は辞めると分かっていても、プライドがボロボロ。その惨めさを、世の

サラリーマンが、多く経験しているはず。貧すれば鈍するとは、よく言ったもの。

何がどうであれ、弱者の立場には立たないこと。三年前の決断は、こういう経験が

あればこそ出来たこと。前向きで自ら崖っ淵に立つのは構わないが、後ろ向きの

踏んばりは、避けるべき!という体験を、早そうに知ることになった。社内は役員の

対立などあり、疑心暗鬼のルツボ。 

 当時の「いとはん」にとってのブラックスワン(思いもよらいない震災クラス

の事件)が、入社半年後に起きた、ドルショックと、大手スーパーの進出。

私が去った一年後に西友との提携解除、その一年後に、ジャスコと提携し、

北陸ジャスコに会社名が変わり、その後、本体に吸収合併をされていった。

?金沢は加賀百万石の城下町。その歴史の深い文化は、何ともいえないミニ

京都風の味わいがある。特に目を見張るような加賀美人が多く、表向きは男社会。

いっけん厳しそうな男女間は、非常に大らか。私の出身地の長岡藩では、幕末の

「お妾禁止令」があって、二号を持つのは、長岡では後ろ指を指される。

しかし、金沢では、勲章を意味していた。 また居酒屋やスナックも、何とも

いえない味わいのある店が多く、料理の味付けは京都風。鬱屈した会社内の空気

から開放されるに丁度良い環境でもあり、青春?真っ只中。

しかし、一日、二時間の読書習慣は何とか維持をしていた。

? 入社後4ヶ月間の配送センターを経験後、、武蔵ヶ辻店の靴下売場のあと、

子供服売場へと配置された。ジャスコも含め、多くの売場配転から学んだことは、

業種は、メーカー、問屋の販売経路別の店先でしかないこと。それを業態別の

再編成するのが、時の「流通革命」。靴も、洋服も、卵の販売も、商品の一つ

でしかなく、とらわれる必要がないこと。ここで、親しくさせて貰った取締役

部長の何気ない一言「自己能力の限界の設定」が、その後の事業立ち上げの教訓

になっていた。しかし、丁度なれてきた金沢の生活も、入社の一年4ヶ月後に、

突然、家からの一本の電話が入った。      ーつづく

――――

2005/06/29

1548, わたしの酒中日記−11

金沢−7

1972年7月20日

明日で、金沢を去る。

一番上の姉・正子さんから電話があり、京都に行く途中に金沢に寄るという。

そのため今夜、金沢で酒を飲むことになった。

片町から少し歩いた犀川大橋の先にある、ごり料理の有名店に行く。

「ごり」とは金沢を流れる浅野川などに生息するハゼのような川魚だが、

昔から金沢料理に使われる名物である。

川のほとりに建ち、「ごり」を中心にした加賀料理の店である。

二階の一室に通されるが、なかなか趣がある。

ワラビのヌタや、ごりの佃煮と揚げ物が出た。

夕景の中での料亭も風情があってよいものだ。

ごりは、小さな川魚でゴツゴツした形である。

金沢で初めて食したが、良い思いでになった。

その後、金沢の郊外にある「ホワイト・ハウス」

という有名レストランに案内をする。

金沢市内を一望できる有名店だ。

同僚と一度いったことことを思い出して案内した。

その後、都ホテルに姉を送る。

金沢の夜も今日で最終になった。

一年半近くいたが、五年もいたような気分であった。

会社が揺れていたこともあるが、中味の凝縮された日々である。

気分的には屈辱の日々であった。

金沢は見方によれば、露骨な差別社会で、

そと者の社員は人間扱いはされない。

金沢で特に感じたことは、加賀百万石の文化の深さである。

自分の故郷も元長岡藩だが、その歴史の深さがまるで違う。

金沢は、派手なのだ。

背後には能登半島、福井、富山、高山を控えた観光地である。

対極にある長岡は、それに対して地味の世界である。

比べること自体が問題であるが。

幕末に長岡藩家老の河井継之助が「贅沢禁止令」を出した文化が、

今でも脈々と続いている世界である。

それと江戸末期に官軍に敗れたことが、どこか卑屈になっている。

金沢に住んで、このことがよくわかった。

長岡は、金持ちが「めかけー愛人」を持つことは悪口の対象になる。

金沢では、それは羨望であり、ほめ言葉である。

男女の??も非常に大らかで、自由な雰囲気が満ちていた。

日本の中のスウェーデンと内々で自認している世界である。

また、男は今でも自分のことを「わし」という。

相手を呼ぶ時は「お前」か、「貴様」という。

店では、男は絶対に掃除はさせないのだ。

箒を持ったら誰か女性がきて、取り上げられてしまう。

とにかく、加賀百万石の異様な?世界であった。

外者にとって、長くは住みたいとも思わない世界である。

でも三年住むと、それも無くなるという。

さらば!金沢。

――――

閑話小題 〜金沢・富山バスツアー 〜3

   * 芸子コスプレ? 花街街

 「ひがし花街」に入って、数組の芸子らしき連れが歩いていたが、若くて

艶やかだが、何か不自然。 直に、観光客の「芸子コスプレ」?と気づいた。

一年程前にTVで京都・祇園の舞子姿の着物のレンタルサービスを報じていたのを

見たからである。早速、「金沢、花街 着物レンタル」で、検索したところ

以下の通り出てきた。 『着物レンタルができるスポット7選】の店の一つの

プラン説明である。7店のレンタルプライスは、セットで4000〜5000円。

 手頃の値段である。ある店の説明文が、分かりやすい。

――

【 金沢街歩きプラン4,500円(税抜)

 モノトーンモダン風、レトロ椿姫風、パステルメロウ風、大正ロマン風など

テーマを決めて、300種類以上の着物からお気に入りの1点を見つけて金沢街歩き。

これが私のキモノ道!今日は私が姫なのです。自分が主役になる晴レの日。

そんな時には何の遠慮もいらないの。おもいきり飾って、重ねて盛ってたくさん

つけて。お着付けから着物・帯・和装小物・草履まですべて料金に含まれている

ので、手ぶらでご来店頂いても大丈夫です。

01.お電話orメールでご予約

 ご希望の日・ご来店時間をお聞きして、予約の空きを確認致します。

ご予約はホームページの予約フォームより承っております。当店よりメールで

一両日中に予約を承りました旨を返信させて頂きますのでご確認くださいませ。

02.ご来店選ぶ楽しみ、着るシアワセ。

 SHOPにご来店頂き受付をお済ませ頂きましたら、レンタルプランのご案内をさせて

頂きます。お気に入りの着物を見つけて金沢街歩き。帯や帯揚げ・帯締めのコーディ

ネートに迷ったらSTAFFがお客様のスタイルアップのお手伝いさせて頂きます。

  着物選び時間約20分〜30分

03.着付け綺麗に見える着付け=着心地の良い着付け

 落ち着いた金澤町家の和室で本格的な着付け体験。年間2万人を超えるお客様

の着付けを行うプロの着付け師が親切、丁寧にスタイリング。「綺麗に見える

着付け=着心地の良い着付け」をお楽しみください。かわいい帯結びや小物使い

などのスタイルアップはプロにお任せください。

  着付けのお時間約15分

04.ヘアセット一期一髪

 ヘアスタイルはお客様にとって着物の次に大切なところ。お選びの着物と

お客様のイメージをスタイリストと創り上げる一期一髪のスタイリング。

FORMALからCASUALまでブライダルやパーティーシーンで活躍中の

プロスタイリストが繰り出す旬のヘアアレンジをお楽しみください。

 ※当店ではお客様がご自由にお使い頂けるヘアーセットスペースも

  御用意してます。

 ヘアセットのお時間約20分

05.ご出発

 お支度が済んだらご出発。

兼六園入口だからとっても便利!金沢随一の観光スポットです。徒歩圏内で

21世紀美術館・東茶屋街、長町武家屋敷・近江町市場など金沢探訪には最適

なエリアです。アクセス便利なロケーションなので、ご出発からご返却まで

楽々ご利用頂けます。

06.ご返却

・楽しくお出かけの後は、18時までに当店にお戻りください。

お預かりの荷物のお渡して、お着替えが終わりましたら返却完了です。

お帰り支度のお時間約5分

・翌日返却

翌日の12時までに当店にご返却下さい。

・ホテル返却

レンタルされた着物は、ご宿泊先のフロントで返却頂けるサービスです。

お預かりしたお洋服やお荷物は当日の18時までにご宿泊先のフロントに弊社

STAFFがお届けしておきます。お届けした袋にレンタルされた着物や小物を

入れていただき、翌日のチェックアウトの際にフロントにお預け頂けると

返却完了となります。                   】

▼ 少し着付けを身に付ければ誰でも可能な仕事だ。相手は1限、中古を

 集めればサホド初期投資はかからない。遊びとして合理的である。特に外人は

喜ぶだろう。これらの情報ネットで簡単に得ることが出来るし、予約制も取

入れれば、互いのロス時間も最小に済む。現地で、和服の結婚衣装姿の撮影も

していた。結婚式のプランの一つのようだ。

 ところで、石川県の人口が、新潟県の人口の丁度、半分の115万人とは驚き。

北陸3県の人口は300万で、新潟県の2割程しか多くない。

しかし、存在感が数倍も感じられるのは、背景に、能登半島と、飛騨高山、

富山などの山々の自然の幸が豊富のため。それと、加賀百万石の秘められた

豊かさがある。それが、香林坊、片町、「ひがい茶屋街」「にし茶屋街」

「主計茶屋街」や、兼六園を代表とする文化を営々と作り上げている。

<それにつけても… カッパエビセン>  知らないことも時に必要です!

でも、知る悲しみを通過しないと人は成長しません。 何を言ってるの?

――――

H0407城下街小唄

 私の出身地の長岡はかつて“長岡藩”の城下街であった。その大手通り

のほとんど真中に生まれ育った事もあり、その長所・短所がよくわかる。

その特質は閉鎖性・固定的、商人的であり、“城下街曼陀羅”がきっちり

できており漫画的ですらある。

 彼等の社会は“ウワサ社会”で構成されている。

特に長岡財界とかいう社会が存在(?)しており、彼等の出す“ウワサ”

がその社会を大きく左右する。それが事実であろうがなかろうが“マンダラ”

の中心点に近い人間が言った事こそ絶対のようだ。

(“ウワサ”として)彼等の社会をみていて、維持型の人間こそ“一級”

と評価される。固定社会が故に何もしない(何もできない)事こそがベスト。

“非能動的二代目+婿取り娘サロン社会”と言える。先日もいやな“ウワサ”

を聞いた、今は下火になったのだが、新興の各業界の�・1の社長が十人あまり

�・1が、ゆえに聞くに耐えない“ウワサ”を流された。“一種の集団いじめ”

なのだが、そのストーリーが陰湿でリアリテーにとんでいる。

冷静に考えればほとんどが尾鰭のついたウソである。 それがおもしろ

おかしくて集団ヒステリック的につくりあげられており、自らの名が出るか

どうか怯えている。“参加型変態うわさゲーム”を全員で楽しんでいる

“ちほう社会”そのもの。