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2018-04-27 閑話小題 〜“キャバクラヨガ”

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   * 微妙〜な一線

 まあ面白い! SJでヨガ・エアロに参加して6年2ヶ月、大よそ千回になる。

ストレッチそのもので、腰痛対策としてベストである。ヨガ専用教室の参加費は

一時間、大よそ1500円が目安。ジムのそれは、50人の定員もあって、100〜200円。

ところが、色気を売りにした“キャバクラヨガ”なる店に、文化相が公用車で

通っているのがすっぱ抜かれた。 〜まずは、ネット記事から〜

【 林芳正文科相(57)が、平日の白昼、“キャバクラヨガ”と呼ばれる店に、

公用車で出かけていたことがわかった。 週刊文春の取材によれば、

<4月16日14時半、林大臣を乗せた公用車は、恵比寿にある雑居ビルの前に到着。

林氏はヨガスタジオに入り、2時間を過ごした後、待たせていた公用車に乗込んだ。

 店は、元AV女優が経営し、個室で元グラビアタレントや元キャバクラ嬢

インストラクターらが一対一でヨガを指導した後、オイルマッサージなどを行う。

料金は男性客は1時間1万1000円なのに対し、女性は3000円。客とのLINE交換や

食事、交際も認めており、テレビでは「キャバクラヨガ」として扱われていた>】

 ――

 〜コース詳細が何とも〜

 TT200詳細

ベーシック100hの合格後に受講し、中級者以上にも教えられるレベルを目指す。

『1時間15分のヨガクラス』のオリジナルプログラム作成とレッスンを通して

行える ヨガ中級者以上に対し、効果的なアジャストバラエティ豊かなポーズ

構成、テーマに合ったクラス運営、臨機応変な対応ができるレベルを目指す。

ヨガスタジオの中級者以上のクラスで自分のオリジナルレッスンを構成しギュラー

レッスンを運営し続けられるレベル。100hで学んだ事をベースに、より難しいポーズ

の練習やアジャスト、クラス構成の仕方を体験的に学びます。TT200は実技が中心

となり、体験的に、楽しみながら学んでいくプログラムが特徴です。アロマやハーブ

の応用や骨盤調整ヨガ、月礼拝も学びます。また、インターン制度を導入しており、

自分のレッスンを10時間行い、認定されたのち、合格となります。資格をとった後、

一番悩みの多い意見が、教えた経験の少なさからくる疑問や不安です。本校では、

基礎的な知識、体力作りだけでなく、心やマインドの成長のお手伝いも目標です。

インターン制度は生徒自身の自信につながり、即デビューの架け橋となります。

<庄司ゆうこ オフィシャルブログ(ポジ☆ポジ☆ポジティブ

 https://ameblo.jp/shojiyuko/   

https://matome.naver.jp/odai/2152456174521985501

▼ 成るほど、ヨガを建前に密室指導とは考えたもの。デルヘル嬢が、少し

 ヨガを手ほどきを受け、密室で… 早速、店主のブログ「庄司ゆうこブログを

検索すると、ありました。 これが‘キャバクラヨガ’でなくて、何ぞや。

ピンサロ・ヨガ」と書かれなくてよかった? 

オプションは、密室の中の交渉ごと。ヨガ用のレオタードと、軽装の運動着。

状況はホボ同じ。店主としては建前上は、「怒り心頭のポーズ」は必要。

何と男客の写真が、そのまま写っているのは、健全客? だから。

 健全といえば、SJのエアロ。今どきは、昼時に、真っ暗なスタジオ内で、

ミラーボールが点滅する中、老若男女が我を忘れて、大音響の中で踊りまわる。

これはストレス解消になり、健全なスポーツ。 キャバヨガも、凝ってる?

部分をとき解すのなら、健全? ところで、新潟県知事、何故、止めたの。

「県知事である前に男の子です、すみません!」で、通ったのでは!

「少女買春」の男が、アワヤ都知事になったかもしれないのに。

こんなことを早朝の4時過ぎに書いている私は不健全ということ! 今さら…?

ところで、ホストヨガが成り立つのでは? 当たると思いますよ!

・・・・・・・

3684, 自己を見つめる −8

2011年04月27日(水)          

  * 仕事について     「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)

 第二の人生に入って一ヶ月足らずになる。 今月から仕事・事業人生から

無職のリタイアの人生に入った。人生の大部分を仕事を通して幸福・不幸の

波の中で泳いできた。仕事は人生の核であることは間違いない。社会の中の存在

意義が仕事を通して証明される。そこで表現した中に自分が見えてくる。仕事、

趣味、そして学びは人生の三本柱。人生のプロセスで、その重心が変わって

くるが、男は家族を作り、養っていかなければならない。だから仕事の比重は

のしかかってくる。とはいえ、三本柱の一つだが・・・

  ーこの本の中の仕事に関する部分を抜粋して考えてみるー

【 したがって、社会に応えてなんらかの役割を果たし、世間に寄与することが

 できるということは、人間の自己意識にとっては、自己の存在の意味を確認

することのできる最も直接的な答えであり、また喜びであることは、疑いようの

ないことだからである。もちろん、そうした仕事における労苦のうちには、

失敗や挫折、困難や事故、予期せぬ妨害や災害、さらには競争や不運など、

実にさまざまな心労の種が含まれていて、人生の現実が容易ならぬものである

ことが、誰にでも、ひしひしと実感されてくる。人生における懐疑や煩悶、

疑心暗鬼や気欝は、多くの場合、仕事をめぐるトラブルや、そこに絡んでくる

陰湿な人間関係に起因するものであることは、否定することができない。

けれども、そうした暗欝な影にもめげずに、自分の関与する仕事の有意義性を

確信して、少しでも前進し、実りある人生行路を切り開こうとする人にとって、

やはり、仕事を措いて、人生の実質上の道程は考えられないことになるであろう。

そして、もしもその人が、強い信念の持ち主として、どんな障害にも屈服せずに、

この世界では善が勝ち、道徳的な世界秩序が実現してゆくはずだと確信する

ことができるならば、たしかにヒルティも述べたように、その人にとっては、

仕事を通じた人生の意味と幸福が、力強く確認され、労働の喜びが増すであろう。】

▼ 「人生における懐疑や煩悶、疑心暗鬼は、仕事をめぐるトラブルや、

 それに絡んでくる陰湿な人間関係に起因する。」 しかし、それを乗り越えて

仕事を成し遂げることこそ、その醍醐味がある。とはいえ、経済震災や、自然震災

は、その全てを飲み込んでしまう。これほど大激震だと諦めがつくが。

これも人生。人生の多くを事業を通して多く学び、楽しんだことも確か。

 まあ、面白かった! 

・・・・・・

4791,「消費される物語」 ー1

2014年04月27日(日)

        ー耕論「消費される物語」朝日新聞(4月22日)よりー

 * 「消費される物語」 ー憧れをかみ殺す  

  ー「夢はかなう」を引きずるロマン 竹田青嗣ーより

 毎日、随想日記をネットに載せてから、まる13年になる。これも、ミニ物語

になるが、先日の朝日新聞の耕論「消費される物語」が考えさせられる。 

 ーまずは、竹田青ほぼ全文を抜粋ー

《 「どんな物語が杜会で受け入れられるか」ということは、「人々の間で

 広く共有されて一般化している欲望とは何か」ということに強く影響されます。

近代社会のかっての一般的な欲望は「自由」でした。職業選択の自由、思想信条

の自由、そして自由恋愛。だが、これらの自由への欲望は、先進諸国では20世紀

半ばまでに実現してしまった。それに代わり、現代社会で一般化しているのが

「承認」への欲望です。 そもそも人間の欲望には、それが他者から承認され

ないと実現できない、という特質があります。赤ちゃんがお乳を吸おうとする

ことさえ、母親の「あなたは私の子ども」という承認がなければ実現できない。

人間社会では、どんな欲望も承認を経て初めて実現する以上、快楽への欲望が

「みんなから認められたい」「祝福されたい」という承認への欲望へと移行して

いくのは、自然なことです。佐村河内さんの物語も、小保方一さんの物語も、

「不幸な境遇にある人や一見平凡に見える人が、がんばって成功し、多くの

人々から承認を得る」という基本的な枠組みは共通している。最近公闘された

英国の映画「ワンチャンス」も、携帯電話の販売員がテレビ(オーディション

番組で優勝し、塒界的なオペラ歌手になる、とり実話を描いた作品でした。

   □ 憧れをかみ殺す

 だが、ここで問題になるのは資本主義社会における「承認を巡る競争」

ゼロサムゲームで、勝者は常に少数派、です。「そこそこ満足」という人まで

勝者に含めても、6〜7割の人は最終的に挫折感や敗北感を抱くのではないか。

実現不可能な一般的な欲望に縛られ続けると、人間は不幸になるだけです。

(略)・・・ 挫折自体は決して悪いことではない。実現不能な欲望や憧れを

かみ殺し、強い忍耐で現実世との調停を試み、自らの生き方を確立する契機に

なるからです。・・欲望をすべて実現したいという「極端なロマン主義」、理想

がかなうことなど決してあり得ないという泥のようなリアズム、そのどちらかに

真理があるではない。両方の引き合いので、より深く生きられる「微妙な場所」

を探し当てることこそが必要なのです。私にとっては井上陽水の歌や、

フッサール、へーゲルの哲学が、そうした場所を見いたすための道しるべ

となってくれました。 ・・ ーつづく  》

▼ 現実にぶつかり、破壊された挫折経験の中で、「微妙な場所、そして立場」

 で、生きている我身にとって、自分にとって、都合の良い「物語」をつくる

しかない。それが、珍妙で、哀しく、痛面白いのである。逆に言えば、イドラ

(真実を覆っている嘘)世界にドップリ浸かっている人たちが鮮明に見えてくる。 

だから、この結果も悪くはないのである。イドラの言葉から、世間を読み解くと

面白い! 其の辺の、市場で聞いた噂を、信じて、小さな殻の中で、情念で

生きているのが一般である。ほぼ、世の中は、嘘と妄想で出来ているのが、

気づかない人たちの総称を「世間」。日本人の大多数にとっての宗教が、

この「世間教」。で、信者の群れが数多、屯する。それを、学生時代のゼミの

「ケース・スタディ」で、徹底的に議論の中で教わった。現象の中に隠された

真理、道理を冷静に捉える知識の必要性である。釈尊の遺言に「すべてのものは

移り変わる、怠らず努め励めよ」とある。変化する時代の中で、ロマン主義と、

泥のようなリアリズムの引き合いの中でこそ、怠り務めることだ!(-ノ-)/Ωチーン

・・・・・・

5886,閑話小題 〜政治家は本当のことを言ってはならない

2017年04月27日(木)

  * 政治家は本当のことを言ってはならない

< 東日本大震災について「まだ東北だったから良かった」と被災者を傷つける

 発言をした責任をとった。事実上の更迭。>と不穏当な発言で、復興大臣が

辞任をした。 前後の発言の脈絡からすると、さほど不穏当の内容でないが、

その部分だけを切られて繰返し報じられれば、被害者は怒って当然のこと。

今では、誰もがビデオ機能付きスマフォか、デジカメを持っていて、報道局に

気楽に転送される。 政治家は御政道を語り、大衆を導くのが本分。これが、

この政治家の限界ということか。たった一言で、これまでの人生の全てを失う

のが政治家の辛いところ。

  * 小学生が、「忖度」なる言葉を使っていた

「小学生が忖度の言葉を使っているのを聞いて驚いた」との新聞記事にあった。

「忖度」の意味は、<他人の気持ちをおし はかること。推察。>である。

政治家が多用しそうな言葉であるが、この年齢になるまで「忖度」なる言葉を

一度も使ったことがない。

  * 昨夜は、中学校の同期会

 この10年来、年に3〜4回は開かれている中学の「同期会」が開かれた。

出席12名。以前は「同級会」だったが、死んだり、転居などで出席者が激減の

ため、何時の間にか、「同期会」になってしまった。 一次会で早々、帰宅の

ため二日酔いなし。

 高校、大学の同級会は同じ傾向にあり、消滅一歩手前? 歳を重ねると、

唯我独尊で、他人に厳しく自分に甘くなり人間関係に支障をきたす傾向が強く

なるのは自分からして納得。 晩秋の夜会もまた、娑婆の妙な味がする。

・・・・・・

4424, 残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法 ー8

2013年04月27日(土)

      「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」橘玲著

  * 私たちが何故不幸か、進化心理学が教えてくれる

 チンパンジーからして、実は平等も格差も遺伝子に刻印されている。

この矛盾が、人間を不幸にしている。能力も、女性の容姿も、生まれながら

大きな差がある。それを克服するには、一生を要するが、それを失うには数年、

いや、数ヶ月で済む。女性が連れ合いの選択にシビアになるのは当然、それで

人生の大半が決まってしまうため。だから二段階上の相手を必死に探す。

それをシンデレラコンプレックスという。しかし殆どが夢幻の幻想で終わる。

だから神様は、男の性欲を過剰に与えて、仮装の相手に惑わさせるようにした。

で、男は一生、その付けを払わされる。平等欲求と格差の遺伝子を同時に与え、

不幸になるように創られたのは、神様の仕業。だから幸福など気の迷い。

「不幸なのは人類の宿命で、私や貴方だけでない!」と割り切るしかない。

 ーその辺りから抜粋ー 

≪ 二頭のチンパンジを真中をゴフス窓で仕切った部屋に入れ、片方にキュウリ

を与えるとすごくおいしそうに食べる。ところがもう一方のチンパンジー

バナナが与えられると、いきなり怒り出し、手にしていたキュウリを壁に投げ

つける。さっきまであんなにうれしそろだったのに。霊長類学者ドゥ・ヴァール

は、こうした観察結果から極めて重要な発見をした。平等はチンパンジー

とって、けっして譲ることのできない「基本的猿権」なのだ。 ぼくたち人間も、

「平等」に強いこだわりをもっている、人種差別で沢山の血が流れるのも、

バックパッカーがぼったくられたことに延々と文句をいうのも、同じ人間として

平等に扱われていないと感じるからだ。でも平等が遺伝子に刻み込まれた生得的

な価値観でなぜ世の中は格差社会になるのだろうそれは、「格差」もまたぼく

たちの遺伝子に刻印されているからだ。 初対面の二頭のチンパンジを四角い

机に座らせ、どちらにも手が届くところにリンゴを置くと先へと互い取り合う。

負けけがつづと威嚇の表情を見せるが、喧嘩にはならない。互いに先取者に

所有権があることを認めているからだ。ところが同じことを何度も繰り返すうち、

どちらか一方がリンゴに手を出さなくなる。からだの大きさなどさまざまな特徴

から二頭の間で自然に序列が生まれ、いちど階層が決まると、下位のチンパンジー

は上位者にエサを譲るようになる。保育園や幼稚園でも、子どもたちを集団で

遊ばせるとごく自然に階層が生まれ、リーダーが決まる(とくに男の子の場合、

この傾向は明瞭だ)。サルやヒトには、相手と自分の関係を測り、無意識のうちに

支配したり従ったりする強力なちからが働く。 人間の耳には、五〇〇ヘルツ

より低い周波数は意味のないハミング音としか聴こえない。ところがぼくたちが

会話をすると、最初はハミング音の高さがひとによってまちまちだが、そのうち

全員が同じ高さにそろう。ひとは無意識のうちに、支配する側にハミング音を

合わせるのだ。 声の周波数分析は、アメリカ大統領選挙のテレビ討論でも

行なわれている。一九六〇年から二〇〇〇年までの大統領選挙では、有権者は

一貫してハミング音を変えなかった(すなわち相手を支配した)候補者を常に選んで

きた。わざわざ選挙などやらなくても、討論のハミング音を計測するだけでどちら

が勝つかはわかってしまうのだ(ドゥ・ヴァール『あなたのなかのサル』) ≫

▼ 誰もが不幸になるよう設計されていると思えば、少々の怒りや悩みは解消

 される。だいたい幸・不幸は一時的感情。だから格差を容認するため「公平」

という考え方を作り上げた。ここでチンパンジーに平等の意識が「基本的猿権」

 としてあるのに驚いた。数十、数百万年かけてつくられたのだろう。小・中・

高校、大学に進学する度に選択されていく。上に進むたびに格差された自分の上下

左右が鮮明に見えてくる。平等、自由、博愛、これは理念、現実は逆ということも!

・・・・・・

5521,閑話小題 〜「しないこと」を決めることが先決

2016年04月27日(水)

  * 「しないこと」を決めることが先決

 政策についてのテーマで、以前、取上げたことがあったが、

 デル創業者/マイケル・デルの言葉、《「すること」それを決めることは

簡単である。難しいのは「しないこと」を決めることだ。》がある。

 日常の多くは、優先順序の低いこと、しないでよい事に、手をとられている

ことが大部分。すべきことに集中するには、しないでよいことから、切り捨てる

ことを明確にしておくべきということ。 これは、人生についてもいえること。

 それを明確にするには、死際を想定すること。それが無理だとしたら、死に際

から生還してきた人の死生観の本から学べばよい。そこには、人生で、しなくて

いいことが、列記してある。その結果、残ったことを優先順位をつければよい。

 それを先にしないと、あの世間様に、人生を食散らされてしまう。そういえば、

家訓も、「しないこと」が多い。 経営セミナーの経営計画の立て方で、

政策セミナーで、聞いた、【政策とは、「すること」より、「しないこと」を、

まず先決すること】の教えに驚いたことを、憶えている。で、何故か、しない

でよいことばかりをして、このザマ。人生も、何事も、すべからく同じ。

  * ノコギリヤシ

 新聞広告で、【1万人に抽選でノコギリヤシを無料進呈】にひかれて、

ネットで申し込んだものが、送られてきた。一日、三錠、一ヶ月分で5千円は

高過ぎるのでは? と、年齢から考えて、まず二錠を飲んでみて暫く経つと、

何か身体に精力が漲るような感覚が湧き出てきた。初回性もあるのだろうが、

とにかく一ヶ月間、飲み続けることにした。これを無料提供も、肯ける。

  * なに、これ!

 東京オリンピックエンブレム、朝顔のエンブレムが、てっきり決まると

思っていたが、最も良くないと評価をした「なに、これ?」が決定した。

地味オリンピックには、これが丁度よいのか? 決定するに、広告代理店

一線の人の意見を重視すれば、こんな葬式みたいなエンブレムを選ばない。

 柔道の山下氏が出てきて発表すること自体が変。決まったとしても、変は

変。チョッと否定的過ぎるか、動乱の世情からみて、東京オリンピック

開催からして疑問が残るが、こういう時勢だからこそ、やるべきか? 

・・・・・・

5156,閑話小題 〜地球規模で、天変地異が

2015年04月27日(月)

   * つれづれに 〜地球規模で天変地異が

ネパールで大地震があったが、太平洋岸で次々と起きている 大地震の一連? 

 それと、イルカが最近、太平洋岸に迷い込んだのも関連しているのか。

 それとチリの大噴火も、先年の大地震の関連。そうこうみると、三陸沖地震が、

 そう遠くない時期に起きても不思議ではない。

 ――

・自宅の極近くのSC内にある喫茶店チェーンのコメダコーヒー。今月になって

 二度行ったが、一人客が意外と多い。数ヶ月前、9枚綴りの回数券を買ったが、

 あと一枚残っている。近所のため、一人で行きづらいが、気分転換に良さそうだ。

 ――

・首相官邸の屋上に、ヘリコプタークローンが着陸、発見されたのが二週間後

 というから国辱もの。ハッキリいえば、テロから逃れること自体が不可能。

 ネット上で、一気に100人が打ち合わせをして飛ばしたら、どうなる? 

 「原子炉の上空をクローンが飛んでいるのを何度か見た」と報じていたが、

 恐ろしい時代に入った。人類は22世紀を無事迎えられないという説がある。

 ――

・小学生の頃から超大物といわれた高1の野球選手が注目を浴びてきた。

 ラグビー元日本代表の清宮克幸の息子。成るほど、それだけの器のようだ。

 少年相撲にも、それクラスのがいるというが。

 ――

・幸福優位7つの法則ー幸福と成功の意外な関係】ショーン・エイカー著―

 の感想文を、書いたが、フト、真逆の「不幸不利7つの法則〜不幸と失敗の

 意外な感想」をテーマに思いついて、数日前から下書きを書き始めた。

 幸福優位と、不幸不利性が、あい絡まっているのが人生。その二つを意識して

 コントロールするしかないが・・ 傍から見たら、私など不幸不利の典型に

 思われているのだろう。不幸不利に思える人を多く見かけるが、両親から

 引継がれているとしか思えない。 身近な人をみていると、連合いとの

 相性もある。神様は、一番相性の悪いのをわざわざお選びになった?

・・・・・・

4050, 一時停止 ー8

2012年04月27日(金)                

 * 「好き」という言葉が好きだ     

          「一時停止」 谷川俊太郎ー自選散文ー1955〜2010

≪ ・・ぼくは生きる上でいちばん大切なのは、好きになる気持ちだと思って

 いるんだ。好きになるのに理由はない。「好き」はじぶんのからだとこころ

のもっとも深いところからわいてくる。 むりして好きになるわけじゃない、自然

に好きになる。好きになる気持ちは人間に、そしてほかの生きものにも、はじめ

からそなわったすばらしい能力だと思う。何かを、誰かを好きになること、じぶん

が生きているこの世界を(それがときにどんなに苦しく悲しいものであれ)好きに

なること、そしてこれがけっこうむずかしいんだけど、じぶんじしんを好きに

なること。じぶんがきらいじゃ、ほかの人を好きになれないし、生きているのが

つらくなる。はじめきらいだと思っていたものや人が、知っていくにつれて

だんだん好きになるってことだってある。ぼくは「好き」ということばが好きだ。    

                  (母のひろば482号一 二〇〇四年) ≫

▼ 人生の早い段階で好きなことを見つけ、続けることは大事なことだが、

 それぞれの年代ごとに、蛇の脱皮のように、好きなことを変えることも必要。

それは男女の出会いに対していえること。節目ごとに好きな対象が変化するものと、

一貫して好きを貫くか、である。「好きと嫌いじゃ どれほど違う 命ただやる 

ほど違う」という都々逸があるが、それほど好みは根源から湧き出るもの。 

反面、「好きになるまで取り組んだことを突き詰めれば、奥底好きになれる」

こともある。好きという言葉は、人生の鍵を握っているようだ。現在の自分が

好きになれるか?特に人生の晩秋に差し掛かった時期の自分が、どうだろうか?

 「日々、面白い!」と思えるかどうかが目安。ここまでくれば、

「突き抜けた自分を好きと思うしかないか!」自嘲的自己肯定か、最期は。

2018-04-25 閑話小題 〜北が核放棄? 何を今さら

[] 05:22 閑話小題 〜北が核放棄? 何を今さら - 堀井の「居間 客室 読書室」 を含むブックマーク

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   * つれづれに

 先週末に、NHKスペシャルで、三回にわたり、金正恩の特集を組んでいた。

北が核放棄というが、全く怪しいもの。北朝鮮ウォッチャーの女性評論家が、

「その確率は2%」と宣っていたが、そんなもの。これまで、ことごとく、

約束を反古にしてきて、誰が信じるか? 問題は、明らかに耄碌な人、

トランプの甘さ。

 あそこまで罵倒した黄色人種を、白人ファーストアメリカの極右が

見逃すわけがない。何があっても殺戮するのが、あの国のやり方。

そんな、甘いくはない。アメリカと英国が組んだら、まだ圧倒的軍事力がある。

英国のEU離脱も正しい判断かも知れない。その背後にプーチンの影が見え隠れ。

――

 野口悠紀雄の『「超」リタイア術』を10年ぶりに本棚から手にしたが、

さっそく、目に飛び込んできたのが、

リタイア=将来のために現在を犠牲にする時代から卒業すること」の文字。

リタイアしてまず実感したのが、このこと。これまでの「会社のため云々」の

ワク組のタガと、常に3〜5年先から現在をみる奇妙な習性から解放された

爽快感は計り知れない。夢の実現のための日々を過ごしていた20,30歳代の

日々は、それはそれで悪くはない。あれは犠牲でも何でもない。

サラリーマン人生とは違う生き方をしてきたこともある。自ら望んで始めた

事業の苦労は犠牲ではなかった。リタイアで、大方の人は、コペルニクス

転換が、この言葉に込められている。将来のため、(役職に応じた)会社の

ためが、今度は用無しの身分になり、自分のための人生に直面する。

問題は、仕事とは別にライフワークを持っていたかになる。ここで、世間教の

皆様方が右往左往を始める。世間話が趣味ともなれば、半径500m内で群れる

ため、行蔵のない人たちの空疎の群れになり、生きてきたように死んでいく。 

それも人生だが… 何れにしても砂利は砂利、大して変わらないですか。

・・・・・・

閑話小題 〜馬の腹中で一夜を過ごす

2016年04月25日(月)

   * 馬の腹中で一夜を過ごす

 先週のシネマ、『レヴェナント』の中で、追手に追詰められて、断崖から馬

もろ共、落ちた主人公のデイカプリオが、林の木と馬がクッションになって、

何とか助かるが、その前に熊に襲われた重症の身で、激寒の中で、一晩を

過ごすが、その時、死んだ馬の内臓を抉り出し、素っ裸になって腹の中に

潜りこむ。息子の復讐のための執念が、一瞬、それをさせたが、朝、腹の中

から血だらけで出てくる姿は圧巻。これでデイカプリオはアカデミー賞の主演

男優賞を貰ったが、さもありなん。

 以前、読んだ慧海の『チベット旅行記』で、ヒマラヤ超えの山中で、雪の中

で、連れていた二匹の羊の間で何とか一晩を過ごす場面に驚いたが、これは

馬の生肉の腹の中! こういう話は実際に、あるのだろう!

 ところで、40数年前に、居酒屋・養老の滝のFCを、建てたばかりの飲食

ビルで始めた数ヵ月後に、近くの肉屋の人が来て、「朝、潰したばかりの豚肉

のツナギのルートがある」というので、見せてもらったのが、舌から大腸まで

繋がった内臓一式。思わず吐きそうになるほど生々しい。これを自ら捌いて、

串に刺して焼いて売ったのが、戦後、何もなかった下町の飲食店と屋台。

 必死さが、それも平気で捌いてしまう。事業の出だしとして、私にはベスト

の経験になった。それと飲食店のカウンターの内側と外側の大きな段差の違い。

要は、腹を括れば何でもできる。時にサラリーマンが、「屋台をひいても、

自分で商売をしたい」とか言うが、腹を本当に括れるかどうか。 括れない

人が、腹を括った結果を痛烈に批判する。気持ちは分らないでもないが・・

・・・・・・

4048, 一時停止 ー6

2012年04月25日(水)

  * 人間は大文字で書かれた矛盾     

         「一時停止」 谷川俊太郎ー自選散文ー1955〜2010

≪ 唐突なようだが・シモーヌ・ヴェイユのことばを孫引きさせてもらう。

(精神がつきあたるもろもろの矛盾、それらのみが実在するものであり、

実在性の基準である。想像上のものには矛盾はない。矛盾とは必然性の

如何を試すものである)

(存在の奥深くまで体験された矛盾、それは我々の身も心も引き裂く。

それが十字架である)

自己弁護のためにひくにしては、これらのことばがあまりに痛切であることは

感じてもらえるだろう。私は十字架にまで到達できる人間ではないけれども、

せめて矛盾をかいま見る地点にまでは行きたいと思う。矛盾の一方に身を

置けば、たしかにそこにも悲劇は待っていよう。作家の自殺のいくつかは

そうした場所で行われたのではないかと私は想像する。だが矛盾そのものを

生きることは ―それは私には想像もつかない。ヴエイユの言う矛盾は、

いわば大文字で書かれた矛盾であり、人間そのものと言っていいと思うが、

そのことが、つまり究極には矛盾しかないのだということが、私に勇気を

与える。私の出会うもろもろの小さな矛盾も、最終的な矛盾と構造的に結ば

れているに違いない。ひとつの矛盾を解決し得たと思うとき、それがすでに

もうひとつの矛盾のはじまりになっている。その無限地獄にこそあるいは

書くことに第一原因がひそんでいるのかもしれない。―その辺でやめておけ。

おまえにはそんなことまで論ずる資格はありはしない。どうしてそんなに

大仰でこわばった口しかきけないのだ。 おまえの内なる自然の荒廃は

その口のききかたからもあきらかだよ。見栄をはって、もっともらしい

愚痴を人に聞かせる暇はもうないそ。 (一九七二年) ≫

▼【 ヴェイユの(精神がつきあたるもろもろの矛盾、それらのみが実在

であり、実在性の基準である。想像上のものには矛盾はない。矛盾とは

必然性の如何を試すものである)】が良い。人生を総括すると矛盾の塊である。

しかし、その矛盾こそ実在であると知れば、人生を、そのまま受け取ることが

出来る。「矛盾は人間そのもの」とすれば、自分だけでなく他人を受け入れる

ことも出来よう。激しく生きるほど矛盾は大きくり、その重圧に潰されながら

生きていくことこそ人生の味わいを深くする。人間は矛盾だらけか〜

 他人のそれは見えても、自分のは見たくないもの。

・・・・・

4422, 糞袋の内と外

2013年04月25日(木)

              「糞袋の内と外」石黒 浩 (著)

「世界の中の自分は時に不自由であるが、世界を飲み飲んだ自分は自由

なのである」という新聞広告にひかれて、アマゾンで、この本の内容紹介を

読んでみた。まだ発刊して間もないこともあり、レビューも何もない。

パソコンとネットの機能から、逆に人間の脳の機能を逆照射した哲学を読んだ

ことがある。 ロボット工学者が、人間の形を持ったロボットの視点から人間

を見つめると、また違った何が見えてくる。 まずは ー内容紹介ーより

≪ 人間は感覚器が集まった糞袋。しかしその糞袋は、自分が自分である

 ということを確認する手段を持たない。CNNの「世界を変える8人の天才」

のひとりに選出されたロボット工学者、石黒浩。最先端のテクノロジー開発

を通し人間の本質を見つめる中で、「生きるとはどういうことか?」

「人間とは何か?」という問題を常に問い続けている。【人間を「糞袋」

と捉えることで、どのような答えが浮かび上がるのだろうか? 】約2年間に

わたって発信してきたツイートをもとに考察を深め、いま本当に伝えたい

メッセージを丁寧に綴った、渾身のエッセイ。≫

▼「人間は感覚器が集まった糞袋」と「世界を飲込んだ自分は自由なのである」

 という意味について考えてみる。まず「人間は感覚器が集まった糞袋」を、

「人間は考える製糞器」であると言い替えると、動物とロボットと際立って

違うところは、動くエネルギーが動植物系と電気かガソリンの違いになる。

人間の燃えカスは、一度、糞袋に溜められて排出される。人間は世界を飲み

込んで(環境を直感して主体的に)動くところが違う。それも自由度が高い

ほど人間度が高い、ことになる。自由こそ人間たる要素である。

世界を知り、そこで方向を探し出し、常に環境の変化に対応し、殻を破り

 続ける糞袋が人間の本来の姿。だから、身近に飛行機、自動車、自転車、

パソコンなどの身に合ったツールやシステムを使いこなし、自由度を高める

ことが必要。優秀なロボットを創ることで逆照射をして、人間の本質を探る

切り口は新鮮。人間の肉体を内と外面をシビアに捉え完成に近づける過程

から見えてくる姿は、哲学でいうところの「他者」と「自分」の関係を

考える上で面白い。この工学者は、自分の姿のロボットをつくり、生身の

自分から見つめている。第三者が触ったり、殴ったりした時に何かを感じる

はず。これは自己承認や、他者承認の問題に似ている。ロボットから見たら

糞袋に過ぎない人間の肉体。ロボットのように、第三者からの指示や

プログラムでしか動けない哀れな糞袋が、あまりに多い。そういう私の貧弱な

プログラムこそ最も稚拙!後悔先に立たず。自分を腹から笑えるだけ、

まだましか。


・・・・・・

5884,本物の教養 −3

2017年04月25日(火)

          <人生を面白くする 本物の教養 〜出口治明 (著) > 

   * 教養とは、そもそも何か?

 「教養とは、知識、経験から養われた素養」と、考えてきた。

そのベースには、地縁、血縁、学縁の影響を受け、文化、文明と、時代背景

の影響を受ける。

 第1章の目次そのものが、その説明になる。

≪  第1章 教養とは何か? 

・人生を面白くするためのツール 

・知識は手段、教養が目的 

・「自分の頭で考えられる」ことが教養 

バロメーターは「腑に落ちる」という感覚 

・「腑に落ちる」ことが本気を呼び起こす 

・意見が決められないのは「考え不足」が原因 

・「反対のための反対」に陥っていないか? 

・いま教養人であることが求められている 

 〜第1章「教養とは何か」からの抜粋…

≪ 教養とは何でしょうか? どうして人間には教養が必要なのでしょうか? 

 もし、そう質問されたら、私の答えは「教養とは、人生におけるワクワク

すること、面白いことや、楽しいことを増やすためのツールです」という一言

に尽きると思います。よりワクワクする人生、より面白い人生、より楽しい

人生を送って、悔いなく生涯を終えるためのツール、それが教養の本質であり

核心であると私は考えています。

「あの人はすごい教養人だ」と他人に評されるかどうかなどは、どうでもいい

ことです。教養とは、人からの評価を高めたり箔をつけたりするためのものでは

なく、自分の人生をより彩り豊かにするためのものだと思います。

ですから、教養を高めれば人生をもっとエンジョイできるのに、どうしてそう

しないのか、という逆の問いかけもまた可能です。

 日本人は、?心の幅〞が不足しているように感じます。とくに戦後の日本人は

そうではないでしょうか。焦土から立ち上がって、とにもかくにもアメリカ

キャッチアップしなければという時代が長かったので仕方がない面はあります。

だとしても、関心事が経済やビジネスに偏りすぎているように思えてなりません。

 日本人も、かつてはもっと人生をエンジョイしていました。

室町時代には奇天烈な装束を身にまとった武士が大勢いました。「婆娑羅大名」

や「傾奇者(かぶきもの)」と呼ばれた人々。いまで言うパンクファッション

日本人は元来、楽しむことが大好きな民族なのです。

 戦後このかた、そういう感覚が追いやられすぎていたのではないか。

人生をもっと楽しむ心があれば、人間的な幅が広がり、魅力がより醸成され、

個人として熟成されます。突き詰めて言えば、教養とはそのためのツールに

すぎないのです。

 教養を身につけるには、ある程度の知識が必要です。教養と知識は、不可分の

関係にあると言っても間違いではありません。しかし、勘違いしてはいけない

のは、知識はあくまで道具であって手段にすぎないということです。

決して知識を増やすこと自体が目的ではありません。

 知識が必要なのは、それによって人生の楽しみが増えるからです。

サッカーを知らなければテレビでワールドカップを放映していても面白くも

何ともありませんが、サッカーを知っていれば最高の時間になります。

知識はその人の興味の範囲を広げてくれます。それが「教養化した知識」です。

 別に興味の範囲を広げようなどとは思わない、面白いことは一つあれば十分

だという考え方もあるかもしれません。もちろん、それはそれでいいのですが、

興味の対象が多ければ多いほど、本当に自分が好きなものや、打ち込めるもの

が見つかる確度が高まります。つまり、選択肢が広がるのです。自分が本当に

好きなものは案外見つからないものです。面白いことが多いのは決して悪い

ことではないでしょう。 また、面白いことは一つで十分だと考えていると、

食わず嫌いに陥る可能性があります。食べてみたらすごくおいしいと感じる

食事であっても、食べてみなければそのよさは分かりません。≫

――

▼ <「教養とは、人生におけるワクワクすること、面白いことや、楽しい

 ことを増やすためのツールです」でなくとも、広く深い知識は必要である。

その質量が視界と行動を促すことになるからだ。著者が、教養を広めるに、

「旅」が非常に有効という。私の旅行はパックツアーが主だが、最終日の

ホテルは主要都市の豪華ホテルと、美術館と史跡が組込まれている。 

秘異境ツアーには、アフリカ大陸や、南米大陸には、大自然、史跡などの

文明、乗り継ぎの主要都市には観光地と美術館・博物館巡りがセットされる。

この、どちらかというと、オマケも、回数を繰返すうちに目が肥えてくる。

「わくわく、どきどき」することを求めると、それが教養として身に付く事例

である。人生にとって遊びほど大切なことはない。問題は、「良く遊ぶこと」

その「良く」は、世間により淀むが、その解放から質的にレベルアップする。

 < 達磨さん、ちょいとこっち向け、世の中は、月雪花に酒に女だ >

・・・・・・

5154,知の逆転 〜?

2015年04月25日(土)

           ー知の逆転ー 対談相手〜マービン・ミンスキー

   * ユングとフロイト

 ユングとフロイトについてミンスキーはフロイト寄りの論だが、説得力がある。

私自身、ユングのいう、「意味ある偶然の一致」=シンクロニシティ(共時性)

の体質?が少しあるので、ユングに傾倒していたが、違う論も面白い。 

  ーその辺りを抜粋 〜P195

≪ ーあなたは人工知能に関連して心理学の分野も研究されるわけですが、

 以前「カール・ユングの人気は全くおかしい」とおっしやっておられました。

 なぜそのように考えておられるのでしょうかー

ミンスキー: カール・ユングは科学分野からとうの昔に消え去ってるでしょう。

  ーそれに異論がありませんが、フロイトはどうでしょうー

ミンスキー: ジークムント・フロイトはなかなか興味深い人物です。

 たくさんの新しいアイディアを持っていましたが、あまりに時代に先駆ていた。

たとえば、神経系の中をいかに情報が伝わっていくかについての理論を、早く

から論文にしていたけれども、一九五〇年になるまで活字にならなかった。

神経細胞がどのように情報を伝達するか、それが経験によっていかに変わって

いくかなど、さまざまなアイディアが入っていたのですが、あまりにも当時の

他の理論と異なっていたために、なかなか出版されなかったのです。

フロイトの学生だったユングは、面白い理論を構築し始めます。その過程で、

異なるいろいろな文化が実は同じようなアイディアを持っていたことに気づく

わけです。たとえば、それぞれの文化の伝説や神話がやたら似ているとー。

 悪い行いをすると神様が出てきてその行いをこらしめるといった話ですね。

だからユングは、全ての人々の心は、何かテレパシーのような神秘的な方法で

コミュニケートしているんじゃないか、と考えたわけです。これに対して

フロイトが怒って、以来、二人は二度と口も利かないようになった。

互い相手の主張がばかげていると思ったんですね。ばかげていたのは明らかに

ユングのほうでしょう。でも、いまだに多くの人々が、彼の説を良しとして、

意味のある心理学だと思っているようです。・・・ ≫

▼ 改めて、フロイトとユングの違いをダイジェスト的に論じているが、

 色いろ相まって人間の心は構成されているため、フロイトの考えだけでは

限界があるし、ユング的霊性も限界がある。ネット社会で、共時性が如何に

意味を成していくか、失っていくのか? 対談者とインタビュアーは、後者

のようだ。ネットが共時性そのものに、なったため、それが如何した?

レベルになった? 生物、人間が進化してきた過程で膨大な経験がある。

・・・・・・

4789,葬式は、要らない ー2

2014年04月25日(金)

           「葬式は、要らない」島田裕己著

   ーアマゾンのレビューよりー

《 過激なタイトルだが、葬式が「要らない」のではなく、そんなに

 金をかけるものでは無い、と言いたいのだ。「高い高い」と言われても、

何もお寺が強要してる訳でもなく、また業者も商売なので多少の出費は仕方ない。

人が嫌がる、または面倒な事をお願いするのだから。また諸外国と(金額の)

比較をし、日本が異様に高いというが、国柄や文化がそれぞれ違うのであまり

参考にはならない。要は個人個人が思うようにすればいいだけの話。

 でも日本人はそれができない。冠婚葬祭に関しては世間体やら周りの目を

気にする体質ですから。ある意味、日本に住んでる以上葬式にお金がかかるのは

仕方の無い事かも。日本人は世間体を絶ず気にする。それがあらわれるのが葬式。

布施や香典は行う側の気持ちによるとされてはいるものの重視されるのは、自分

がいくら出したい・出せるかではなく、他人がいくら出しているのか、である。

こうした感覚が日本人のなかに育まれる上で重要な働きをしたのが村落共同体の

成立である。江戸時代に入って寺請制度が導入されたのは大きな意味をもった。

すべての村人は村内にある寺の檀家になることを強制された。よって村人は

必ず仏教式の葬式をしなければならなくなり、戒名も授けられた。

 仏典は膨大な数が存在するが戒名についての説明はない。仏教が広まった

地域のなかで戒名という制度が存在するのは日本だけ。初期の仏教はインドで

生まれ主に東南アジアの国々に広がった。その後生まれた大乗仏教はインドから

中国に伝わった後、朝鮮半島や日本に伝えられた。最後に生まれた後期密教は

チベットに伝わった。 出家した僧侶がその証に戒名を授かる点は日本も他の

仏教国と同じだが、一般の在家の信者でも死後に戒名を授かるのは日本にしか

ない制度だ。しかも日本は出家であるはずの僧侶が妻帯し戒律を蔑ろにしている。

破戒の道をたどっている僧侶が授戒を行い矛盾している。多くの宗教にも出家の

制度は存在しない。あるのは仏教とキリスト教カトリック、東方教会だけ。

仏教でも本来、出家した人間に僧侶としての名前が与えられるのであって、

俗人にそれが与えられることはない。が、日本では禅宗で在家の信者の葬式の

作法が確立され、その際、いったん出家のかたちをとらせたため戒名が授け

られることになった。寺にとって財政を支えてくれる檀信徒の存在は不可欠で、

寄進された土地や田畑は寺領として寺の維持に貢献した。が、明治に入り寺請

制度は廃止され、寺領は召し上げられた。奈良の寺々は葬式仏教の前の時代に

創建されており境内に墓地を持たず檀家も存在しない。寺領没収後は他の収入の

道を確保せねばならなかった。境内に墓地を持ち地域の住民を檀家として

かかえる一般の寺院は葬式仏教の道を歩むことで生き延びることができた。

寺は檀家の布施がなければ寺は成立しない。戒名料が高騰するのは戒名の本質

死後の勲章だからであり、立派な戒名が葬式を贅沢なものにしていく。

が、戒名のあり方や戒名料への批判はあっても改革が行われないのは寺院経営

の問題が深くかかわっているからである。寺は宗教法人であり、檀家は法人を

構成するメンバー、つまりは信者である。・・・ 》

▼ 上記の内容は、この情報化では一般的に周知のこと。ますます、お寺は

 衰退し、墓参り仏教も、変化する。戒名など、いらないし、年内に自分で

つけた戒名の位牌をネットで注文しようか、そんな必要もないか?

私の場合、家族葬で20人ぐらいで、葬儀社の指定した僧侶にお経をあげて

もらって、それで御終い! それを、むしろ願っている。死んでしまえば、

それまでよ! である。 墓は、このブログで充分!

2018-04-24 閑話小題 〜死のむこうには?

[] 06:20 閑話小題 〜死のむこうには? - 堀井の「居間 客室 読書室」 を含むブックマーク

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   * 霊的なものは身体や脳という物質を介さなければ…

 霊的な世界を簡潔に説明している個所である。霊感に関しては体質の問題で、

全く霊体験をしたり、持ったことのない人には、解りようがない。何度か経験

してきたが、現在は薄れている。私は父親の霊?が、10年近く体質化して心底に

あり、不思議な現象を度々、経験をしていた。孫のようにように幼児の頃から、

愛され育ったこともあり、元もと、脳内などに染み込んでいたことも…

それにしても、死ぬまでの、生への渇望のエネルギーには、驚いてしまった。

 丁度、27歳、起業へのジャンプ台から飛び出すに、このエネルギーが、その

まま原動力になっていた。 以下は佐伯啓恩の『反・幸福論』のー死後の世界

と生命についてー の一節である。

≪ 実際、この宇宙にはまだとらえられてない、不可思議エネルギーが存在

するようで、それどころか、宇宙を構成している物質の殆どは未知のエネルギー

とか、物質だか、正体を知りえないものだという。 そこで仮にそうした霊的

エネルギーが存在するとしましょう。それでもそれが人間の精神を形つくると

するには、やはり人間の身体や脳という物質がなければなりません。そうで

なければ、この不定形で停泊場所をもたない宇宙的なエネルギーが我々の

意識や精神になるとは思えません。仮に人間のうちに霊的なもの、つまり、

「精神」と呼ぶようなものがあるとしても、それは、物的な身体性と不可視

の霊的エネルギーの結合というほかないでしょう。とすれば、身体が消えれば

意識も精神も消えてしまう。それは宇宙に拡散して存在するかも知れません。

しかし、それは「私の霊」ではないでしょう。「私」がないのだから「私の霊」

などというのはありません。

 …確かに死ねば何もなくなるかもしれないが、『魂でもいいから、そばにいて

─3・11後の霊体験を聞く』奥野 修司 (著)という本がある。東日本大震災に

後に、多くの霊的現象や体験が報告されている。その聞き込み取材を行った

著者によって、多くの事例が紹介されている。… これらの全てが錯覚だと

いう勇気がないが、少なくとも、地震や津波で身内を失った多くの人達が、

何か説明のつかない体験をしたと信じていることは事実であり、しかも、

多くの場合、その霊的体験によって、残された家族が多分に安らかになった

という事例を読めば、そのことに疑いをさしはさむ必要もありません。≫

▼ 具体的な霊的現象の記述を、ここで数限りなく書いてきた。霊体質とか、

 霊的経験のない人からみれば、『いい歳をして、馬鹿か?』でしかない。

脳内現象では割切れないことは、世界には現にある。

 兎にも角にも、以下の内容を… 

・・・・・・

2001/12/19

[138] 夢についてー8

  (今まで見た夢で印象に残っている夢をかいてみる)

海岸線に飛行している夢ーこれは自己実現に対し欲求不満が原因らしい

谷の間を飛行している夢ー最高の気分

お城の天井裏に姫と家臣が隠れ住んでいるイメージ

白熊に追われ港のヘリに立っているイメージ

長岡の大手ドウリの店ー子供のころの3階の部屋の夢

どこかの町でトイレを探している夢

大学の時代いた寮の部屋の夢ー葬式の式段に自分の写真が飾ってある夢

5歳のころ一番上の兄が死んだとき白馬に乗って天に昇っていく夢

母が白い巡礼の服を着てーそれも7〜8歳の姿で、

もう亡くなった不運の一生だった叔母が見ている夢

ー母の生前の10年前の頃

あまりに鮮明に見えるので確認のためもう一回みるとピンボケになっていた夢

お寺みたいな屋敷を入っていくと廊下があり、その向こうに池がある、

その池が幻想的である夢

・・・・・・

[204] 霊体質ー3

 今まで起きた実際の事実を書く!信じようが信じまいがその人の判断だ。

シンクロニシテー(意味ある、考えられない遇然の一致)と重なっている。

1、5〜6年前柏崎の義父の葬式の帰り、峠で行く先々で7〜8回虹ができ

  その下を通った。100回以上そこを通ったが虹が出たことは初めて。

  かつ虹の下なぞ通ったのも初めての経験である。

2、近くの堀井といううちの分家にあたる従兄弟が、7〜8年前「自死」を

  したときの事。丁度通夜の日、ジャイアンツの二軍が悠久山で試合があった。

  それで天侯を憶えていたが、午後3時過ぎに突風がふくと天気予報がいっていた。 

  3時に納棺であったが、その時突風がふき桜の花が納棺の最中吹荒れた。

  終わったと同時にピタッと止んだ。彼は毎年桜の花を写真に撮るのを

  趣味としていた。その年は桜の当たり年で、私もかなり多くをとった。

  彼もそれを覚悟で多くの写真を撮っていた。

3、母の葬式の日、‘おとき’のかえり天気なのに突然雨が降ってきた。

  涙雨といってよくあるそうだ。その時初めて知った。

  

4、昨年東京の叔母の葬式の時、丁度焼き場に遺体が行っていて、式場で家族以外が

  待っている時、急に気分が悪くなった。ハッとした、今叔母が私の処にきている

  のが解った。横を見ると鏡のついた柱があった。「鏡は霊を呼ぶのかーと思った。」

  ということは、10年前に抜けた霊体質がまだ残っているのかもしれない。

 また以前の文をコピ−しておく。


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S6201霊的体験

私には少し強めな霊的感覚があります。今回より数回シリーズで実体験を公開。

“A”さんが数年前になくなった時の事です。同じ会社仲間だった“B”さんと

十日町の彼の家へおまいりにいきました。その途中の車中で“B”さんと

般若心経の話になりました。

そこで彼の供養も含めてお経をとなえました。

その後、Aさんの家の確認のため車をとめ地図をみました。何げなく“B”さん

の顔をみると、彼の顔がまっ青になっているのです。やはり車中で“C子”さん

の話をしていたのです。

“A”さんが入社試験にやってきた時、彼(A)が優秀という事であり、

同じ十日町出身の美人C子さんにお茶を出させ、郷里の話をさせたのです。

そのせいかどうか彼は私の思いどおり入社したのです。

そのおもい出話をした事であったのか数万分の一、いや数十万分の一の確率で

彼女の家の前に車がとまったのです。十日町に出店をした時、彼女の家の前を

“B”さんが通って知っていたのです。私がそこに“偶然”(?)車をとめて

しまったのです。

“B”さんはあまり霊的な事を信じない人ですが、その時は最後まで信じられ

ないという風でした。私自身またかというのが実感でした。 その日一日

“A”さんがニコニコ私達を見守っていたという何かを感じとっていた。

ーーーー

霊的体験‐                 

平成4年 7月

20年近く前になるが、父の死後四九日の終わるまで何度か不思議な体験をした。

死後一週間後位か妙な夢をみた。私自身父の気持になり“死にたくない。

もっと生きたい、生きたい”という“念”になってしまった夢である。

夢の“念”は父そのものであるし、父と一年身近で苦しんだ為に“念”が

自身実感できたのだと思う。父が‘なんだ自分はこうして生きているではないか’

という内的実感。

夢よりさめた自分の魂が“父の魂”と一緒になったという不思議な実感。

恐らく経験した人間ではないとわからない。

また死後二〜三日後の夢も強烈な夢(?)であった。

何か強烈な恐怖感がおそってきた。その時、父のベットで寝ていたが

“おやじ助けて!”と言ってしまった。と同時に廊下の向こうにある仏間より

本当に強烈な“引力”が足をひっぱった。

そのひきずりこまれた瞬間ベットにしがみついたが、

その時隣に寝ていた母がスクッと立ちあがりトイレに行った。

全身汗びっしょりであった。まだまだ不思議な事がいっぱいある…。

あれ以来最近は少なくなったが幽体離脱とか、妙な霊的体験が多くなった。

・・・・・・

2014/06/14

「事業人生を決心して45年」の語り直しー14

  * 父の亡くなった直後の夢で起こった魂の融合!

ここで何度も書いてきた、父との魂の融合の経験の内容から

《 ー平成04/07 霊的体験 ー <社内報のレポート>より

 二十年近く前になるが、父の死後49日法要が終わるまで、何度か不思議な

体験をした。死後数日後に妙な夢で、私自身が父の気持になり“死にたくない。

もっと生きたい、生きたい”という“念”になった夢。そして夢よりさめた時の

妙な気持。 私自身が父になってしまった。いや私自身(父自身)生きている!

という妙な不思議な感覚である。夢の“念”は父そのものであるし、父と一年

身近で苦しみが伝わっていた為に“念”が自身実感できた。夢よりさめた自分の

魂が“父の魂”と融合した不思議な実感。この感覚は経験しなければわからない。

更に数日後の夢も強烈な夢であった。夢で強烈な恐怖感がおそってきた。

その時は、父のベットで寝ていたが、“おやじ助けて!”と言ってしまった。

と同時に廊下の向こうにある仏間より強烈な“引力”が全身をひっぱった。

その瞬間、ベットにしがみついたが、隣のベッドに寝ていた母がスクッと立ち

あがりトイレに行った。全身汗びっしょり。まだまだ不思議な事が多くあった… 

あれ以来(最近は少なくなったが)幽体離脱とか、妙な霊的体験が多くなった・・》

 何故、これを取り上げたかというと、姉夫婦との対立の根は、父と姉夫婦に

根があった。父親は、典型的明治生まれの、質素倹約が基本にあるが、派手に

湯水のように社交費を使う姉夫婦と深い溝があった。絶対的な父のサブとしては

義兄の能力があっても、トップとして疑問を感じていた。 父は、中学と高校時

に私を二度、仕入れに同行させていた。将来のための実学のため。それと、子供

時代より実家の転業と、商売の現場で体感していた。これが急遽、本店を任され、

何も知らない仕入れや、経営に大きく役に立つことになる。父の魂が現場に再起

して私に成り代わったようでもあった。まず産地を歩き、情報を集めること!が、

コツ。 父が特別教育と、千葉の千城台ビルの土地購入から、立ち上げの過程を

見れば、姉夫婦が不安になって当然。

 ところで、養老乃滝の開店のドサクサに、姉夫婦が父の遺留分の財産を、

母と実兄と私の相談なしに勝手に処分、その上、白紙委任状を送りつけてきた。

父の遺言状が何時の間に蒸発。その上、母に、義兄を(遺言に反して)社長に

するよう執拗に依願。それを受けてしまった母に私が激怒の電話。と同時に

姉夫婦への対決を決意する。千葉での相方(親戚筋)から、気を許して話した

本心が姉夫婦に筒抜け。それが拍車になってもいた。地元では実兄に対する

陰湿な追い出しが本格的に開始していた。 のんびりした兄に、従業員の

総スカンが露骨の針のムシロの中、怒りの電話を何度も私にしてきた。 

父が生前贈与をしていた私たちの資産の実質乗取り劇の、開始である。 

・・・・・・

2003/04/25

不思議-シンクロニシテー

 以前にもシンクロニシティーについて書いたが、また書く。

親戚の葬式で不思議なことがおこることが多い。

不思議な現象で特に多いのが虹だ。5~6回はある。

先日も葬式から帰ってきて散歩にでると、過去15年以上を散歩

をしているコースで初めて大きな虹を見た。

ああまた出たという感覚である。

 その中で一番凄かったのは、7~8年前に義父が亡くなった時である。

葬式が終わり柏崎から車で帰ってくる曾地峠で虹が7回も

次々に出て、その下を通ってきたのだ。

曾地峠は過去に数百回は車で通っているが虹が出たのは勿論

はじめてである。

 

 以前にも書いたが、ゾクッとしたのは8年前に近くの分家にあたる

従兄が自死した時のある現象である。

納棺の時に、突風が自宅に吹き込み桜の花吹雪が舞い込んだのだ。

写真を撮っていたが、汗びっしょりになった。

そして納棺が終わると同時に、その突風が止んでしまった。

天気予報で午後の三時過ぎに突風が吹くといっていたが、

納棺の時間が偶然に一致したのだが。

死ぬ前日に桜の花をいっぱい撮っていた。

こういうのをユングが「意味ある偶然の一致」といっている。

 涙雨というのは昔からある。

晴天でも葬式の時だけ雨が降る現象だ。

それなら大都会では毎日降っていなくてはならない。

地方におきやすいのだろう。

人知のはかれない何かがあることは間違いない!

・・・・・・

H0511妙な夢―(?)  

ある夜半、自宅のどこかで音が聞こえた。

泥棒ではないかと起きようとするが半睡眠状態で身体が動かない!

起きよう起きようとしているうちにスーッと身体が起きて廊下に出て、

居間に行き、台所を通り、寝ていた部屋へ一周してもどってきて布団

に入る。ところが、ところが、自分の肉体は反対側の向きでねている。

まずいと思い反対側にねがいって自身の肉体と一緒になるという夢(?)

である。これが単なる夢か幽体離脱七日まだわからない。

 また、こんな夢(?)もみた、明け方、自分の身体が1.8m位浮いて

(そのまま水平にいて)下をみると自分の肉体が下にみえる!直観的にまずい

と思い下にもどろうとするがもどれない。かなりうなされていたと思うが?

何年か後に誰かにきいたが、霊現象の一つで、よくある事だそうだ。

 こんな事もあった、これは夢ではないが屁の天井や床の下四ケ所で次々と

音がする。はじめは気のせいか夢かと思い、じっくりと観察を数回してみたが、

しかし夢ではなかった。ところで当社の税務事務所の応接間でも同じ現象が

あるそうです。

・・・・・・

H0511妙な夢―(?)  秋葉原のワシントンホテルに泊まった時の事、夜半、

何かのケハイに横を見ると女の人の顔が浮いている。夢だろうと腕をつねったが

痛い、これは面白いと、メガネをかけじっくりとみた。全体が白光色の黒髪の

27〜28才位の、のっぺらした美人であった。別に恐ろしいという事も

なかったが顔ははっきりと憶えている。ところが何年か後に会社のある人に

その話をしたところ、“それってみんな同じ顔をしているんだよね!”

といわれた時、はじめてゾーッとした。

 またこんな夢もある。夜半目がさめて寝むれないので、般若心経をとなえて、

ウトウトした頃、急に別空間にひきずりこまれそうな感覚になり、まずいと

中断した。あの別空間は“別宇宙”“ブラックホール”的イメージであった。

その前後の夜半に夢で宇宙船みたいなものが近くおり、乗れという、これも

乗ったら危険と直観し去けた夢である。あれに乗ったらどんな景色がみえた

のだろうか?単なる夢とかたずけられない妙な内容であった。

2018-04-22 閑話小題 〜10年で100倍、20年で1万倍というが…

[] 05:19 閑話小題 〜10年で100倍、20年で1万倍というが… - 堀井の「居間 客室 読書室」 を含むブックマーク

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   * 10年で100倍もコンピューターが進化したというが?

 1年〜1年半で2倍の速度の進化が10年も続くと100倍になるが、TV、

PC機能にストレートに進化しないとしても、10倍より遥かに大きな進化を成し

遂げている実感はする。23年前にWindows95が発売され、世界中に普及され、

世界は本格的情報社会に突入をした。コンピュータが小型化され、ノート型

PCなどの携帯化が進み、今では、タブレットPCや、スマートフォンが世界中に

溢れるようになった。 これからしても100倍の進化は軽くしているといえる。

この間に、現実社会の上に、ネット社会が覆ったことは事実。

 一昨年の秋口に、東京在住の一まわり年上のカメラマニアの万年青年の

従兄が、4kTVと、4k撮影機能の凄みを、お斎の席で教えてくれた。85歳

だが、進行ガンで、余命数年という。

『この10年のカメラ機器やTV、PCの進化からみて、劇的進化があるはずだが、

それをみてから旅立ちたい』と、切々と訴えていた。そこで、居間と寝室の

寿命に近かったTVを、4kTVに入替えて1年余り経過したが、その凄さに、現時点

になっても新鮮な驚きの日々を過ごしている。 8年前のTVは東芝の多機能TVで、

当初100万のモノが、型落ちで60万に値下したのを購入したもの。しかし、

現在のスマートTVの総合機能は、それより数十倍はアップしている。

年内には360度見渡せるVR機器のゴーグルの中古?を買うつもりだが。これも

カルチャーショックになるだろう。

 その事例で端的に見せつけられるのが、最近のシアターの映像世界。

スピルバーグの、『レディ・プレイヤー』は、これまでの映像世界と一線を

画するもの。シアター内で見る映画は、バーチャル世界に没入できる時空間で、

異世界に誘ってくれるが、そのリアルさが数倍、数十倍、増している。

こう考えればよい。洋風の居酒屋で、酒と魚の味が10数倍ずつ確実に美味しく

なっている。別に毎日通う必要はないが、月に数度は行くだけの価値があると。

デジタル化の進歩は、生世界のリアルさを大いに増してくれる。その価値を、

合理的に日常に取入れない手はない。

・・・・・・

3314, 聞きしに勝る3D/TV

2010年04月22日(木)

最近、昼飯は外食を週一にして、サンドイッチを通勤途中に買ってきて食べているが、

昨日は新潟駅の中華店でランチ。その後、ジュンク堂書店に向かう途中、ビックカメラ

の前を歩いていると、話題の3D/TVが店頭にあった。 昨日の新聞で一部の店舗で

デモ展示を始めた記事を読んだ直後だった。

ところで、現在のTVは7年半になるパイオニアの50インチのプラズマ。当たり

外れの、当たり。しかし、地デジには特殊のマシーンを入れなければならないので、

替えときにきている。 先週の土・日に家電を見て周り、一度頭を冷やした今週末に、

シャープの60インチのLED・TVを発注と決めていたが、「3D/TVが700万台

の新規需要の創造」とかいう週刊誌の広告が気になっていた。そこで早速、見たところ、

その決心を覆すほどの画面。映画のアバターを3Dでみて驚いたが、TVは大した

ことはないと、思っていた。 ところが実際は映画より良い。

映画もそうだが、画面と自分の間に空間ができ、更に画面の奥行きができたイメージ

で立体感を出している。デモ用の3D/TVはメガネが固定してあるので、メガネを

した時と、しないで見たときの差が比べることが容易。そこで、比べた結果は格段の

違いである。 これで大相撲や野球を見たら、迫力は数倍は違ってくる。 

デモ用のソフトは石川遼のゴルフだった。 なるほど週刊誌の見出しの「新規700万

台の市場の創造」の意味が分かった。 

十数年前に初めてハイビジョンが店頭に出たとき、ソニーの画像を見たときの驚きと

同じである。その時は、暗い舞台にバレリーナーが白鳥の湖を踊っていたが、立体的

な画面に感動したことを憶えている。 それまでのTVとハイビジョンTVの格差と、

3Dの映像の差は同じ位はある。数年後には多くの3D番組が出るだろう。

急遽、買い替えは数ヶ月待ってから、3D/TVにすることにした。ますます、お宅か! 

21世紀とは、ツイッター、3D/TVにしろ、iPadにしろ、こういう時代

だったのか!驚きの連続である。

「明治は遠く、なりにけり」から「昭和は遠く、なりにけり」か〜。

・・・・・・

5151,知の逆転 〜?

2015年04月22日(水)

           ー知の逆転ー  対談相手 オリバー・サックス

   * 人間特有の能力とは

 人間特有の能力とは、「文法」と「読む能力」という説。これは50年近くの

読書習慣と、一日一文章の作成から実感するが、少年期に読書週間がなかった

ことがハンデになって現在に至っている。それでも、読書習慣で助けられた。

文法こそが、多くの意味をもたらすが、技量をつけるには量をこなすしかない。

≪ ・多くの動物や猿が、40もの異なる危険を知らせる音を持っていること

 が知られていますが、これらはどちらかというと記号のようなものです。

人間の言語では、チョムスキーの言うような意味での「文法」というものが

不可欠になります。文法こそが言語に限りなく多くの意味というものを生み出す

ことを可能にし、言語をクリエイティブなものにします。単に情報交換を目的と

したコミュニケーションのためだけでなく、われわれ自身そのものを表現する

手段としての言語というのは、人間に特有のものでしょう。

音楽もそうです。録音機を持って50万年前に戻れたらいいのですが。

・言語の一側面である「読む能力」というものは、強力で人間に特有なもの。

しかしこの能力は進化の直接の産物ではありません。環境の視覚認識のために

使われていた能力を利用したものです。類人猿では個々の記号を認識するところ

まではできても、テキストを読むというのは無理で、これは人類に固有の能力で

あろうと思います。この能力は、限られた知能しかない場合も含め、おしなべて

人類に共通する能力なのです。 〜p153 ≫

▼ これを人間の能力にも言えること。その力量に比例して「文法」と

「読む能力」が身についていく。「文法」は、話す能力、書く能力。

「読む能力」は、相手の、社会の発信する知識・情報を受止める能力になる。

14年間、これを続けてきたのは、この努力の効果と、その蓄積からくる醗酵の

効果が実感できるため。 ネットによる「文法」の意味とは、<広義の文法は

言語能力であると考え、音声や意味から独立した自律的 な構造を想定し、

それを特に文法と呼んでいる。> 言語能力こそ人間たる思考能力になる。

読め読め読め、聞け聞け聞け、書け書け書け、そして黙れ!ということか。

・・・・・・

4419, この結果に感謝している!

2013年04月22日(月)

 一昨年の倒産劇から数ヶ月あたりから、

「この結末が私の人生にとってベスト?」という思いが心の片隅に生じていた。

他人に言うべきことでもないし、失業させてしまった社員や役員に対しても、

こんなことは口が裂けてもいえないこと。2001年の9・11テロ以来、10年間、

右下がり傾向が続き、リーマンショックで売上げが三分の一まで落ち込んでいた。

経営は死に体に近づき、真剣に止め時を探っていた矢先の東北大震災。もう駄目!

と早めの決断をした。その事業物件の買手が直ぐに見つかり、同じホテル名で

新経営者の下で現在、営業が続いている。一般債権もほぼゼロで、金融債権以外

は思惑通りの清算ができた。会社借り入れの個人保証もあって普通なら個人破産

しかないが、物件の処分が順調だったこともあり、何とか破産なしの無傷で

済ますつもり。担保に入っていた自宅も、家内が買い取ることで確保。 何とか

今までとおり生活をしている。 順調に誰かに経営を渡すのと、この結果の

どちらが良かったか、勿論、前者と思うが、こと私の人生という面からみると、

この方が良かったとも考えられる。 全てがベストに動いてきたから、人類も、

自分もいる。 先日の高校の同級会で、半年前に老舗の会社を倒産させた人が

隣でシミジミと、「この結果で終わったことに感謝している。こんな気持ちに

なるとは思ってなかった」と、現在の私の心情と同じことを、そのまま語り

かけてきた。 これは実際に経験した者でしか言えない言葉。無念で、情けない

自分と、周囲の好奇の視線の中、独りで日々、悶えた結果、この現実をそのまま

受け入れるしかない中で、実はこれがベストの結果だと気づく。「この苦しみを

与えているのは、神(自然)が、何かの意味を気づかせようとしているのでは

ないか」という、フランクルの問いかけである。その時に自然に出てきたのは、

「この経験で私は、やっと半人前になったが、貴方は以前の不幸分を加えると、

半人前から一人前になった」で、ある。互いの心奥の葛藤と、その思いは同じ。

過去を振り返ると、何度かのどん底の青春期の日々にこそ、人生の味があった。

思い出すのは絶頂の浮かれていた日々でなく、瀬戸際で呆然と過ごしていた

日々である。あの時、何かが変わろうとしていた。それと同じ心情が、

「この結果(状況)に感謝!」の言葉に集約されている。底に下りてしまえば、

不安感など消滅。結果を素直に受け入れれば、そのまま安心立命の境地に到達

できるのが人生。実際に倒れ、孤立し、そこで人生を俯瞰すると、全く違う

目線を得ることが出来る。その視線から、これまでの人生を振り返ると、

何とつまらない自分が見えてくる。だから、「この結果に感謝している!」

の言葉になる。なかなか人生は味があり、面白い

それを味わうのが、これからの人生。 

・・・・・・

4045, 末っ子はつらい ー3

2012年04月22日(日)

 私は10人家族の末っ子。 家が商家だったので誰も自分のことで手一杯、

互いのプライベートを見せないのが暗黙のルール。4〜10歳までは1Fが店舗、

2Fが倉庫と事務所、3Fが住居、4Fには住込みの女子従業員7〜8人が住む。 

食事は、何時も従業員と一緒。 小学校5年になって、7〜8分離れたところに

住居部分が移動した。雑然とした商家では独りで遊ぶしかなかった。末っ子は

親の目が行き届かない分、姉や兄の虐めから自らを守らなければならなく、常に

周囲の顔色を窺がう性格になっていた。特に父親が店と家族と親戚を束ねていた

絶対的存在で、父に媚びるのが効果的であるのを知っていた。そのため?末っ子

の私に甘かった。数年前、新幹線の乗客の会話で、「私は多人数兄弟の末っ子で、

常に親や兄弟から許されてきた。それが今でも直らず、失敗をしても許される

だろうという思い込みの性格が身について、大きな壁になっている」というのを

聞いて、「まさに自分そのもの!」と、驚いたことがあった。家族間では絶対に

互いの陰口はタブーで、兄や姉が他人の噂話をしたのを殆んど聞いたことがない。 

児童心理学では、家族は5人以上が必要という。一人っ子は同年代の心の内を知る

機会が少なく、孤独になりがちになる。 さらに親のかまい過ぎと、兄弟がいない

ため自己中心になってしまう。 家族の立ち位置で、性格が形成されるのは自然

の摂理。数年先が、それぞれの姉、兄の姿から見え、学ぶことが多い。

7歳年上の姉が勉強の仕方とか、自分の夢をイメージ化する重要性などを、

節目ごとに教えてくれた。ある意味で、一番、世話になった人である。末っ子は、

末っ子の欠点と利点がある。冷静にみて、やはり大家族は利点が多い。  

両親の要素もあるが。

  * 末っ子はつらい ー2 2002/05/08

 末っ子は辛いと、姉が聞いたら、「なにをいっているか!」と怒鳴られそうだ。

「両親に、兄姉にみんなに可愛がられて!」と。確かにそうだ。特に両親にとって、

ペットみたいな存在で、亡くなる時もしかり、傍にいた。そして遺言も財産に

関しても、不利にならないようにして亡くなった。 家は両親が死ぬまで常に

お手伝いがいて何時もチヤホヤされてきた。末っ子の特権を充分享受した。 

それと大家族は逆に孤独に強くなる。一人でいつも遊んでいた。後年になって

長姉がいうには、いつも一人で三輪車で遊んでいたとか。今も一人遊びが好きだ。

ノイローゼになる人は一人遊びの出来ない人。 幼児期・少年期は事業の立ち

上げ時で非常に刺激的な環境。 そういう意味で「三つ子の魂百までも」である。

それぞれの性格はその時代の背景と、血液型と家族関係と両親の年齢などによって、

微妙に変わってくる。 長男には長男の立場、末娘ならその立場で決まってくる。 

すぐ上の兄は、私の影的存在で?大人しい性格。「積み木崩し」というタレント

手記があった。長女、次女の次に男が生まれると、その次女がひねて非行に走る

ケースが多いという。  兄妹の立ち位置で、性格が決められる。

  * 末っ子はつらい ー1 2002/05/07

 8人兄弟の末っ子である立場の自分を書いてみる。少年期まで、末っ子は

上からの虐めがきつい。特にすぐ上の兄のそれがきつい。常に気を張って

いなくてはならないのがその宿命。食事も早く食べないと食べ分がなくなる為、

早食いが癖になっていた。多くの兄弟で育った末っ子は社長に向いているそうだ。 

他人の気持ちを読む習性が、それに向くのだろう。それと結婚の相手は長女が

いいとも最近聞いた。たまたま家内がそうだった。そういえば過去に惹かれた

女性は長女で、A 型で、おっとりタイプが多かった。また末っ子は口が堅くなく

てはならない。立場上、それぞれの兄姉の秘密を知る機会が多い。しかし万一

告げ口をしたら、袋たたきにあってしまう。家族はまず出会う初めての社会。

・・・・・・

4786,自分の頭で考えるための哲学講義

2014年04月22日(火)

         「道徳」を疑え! 〜自分の頭で考えるための哲学講義〜

  * 価値教育とは?

 20歳から30歳までは、変化の連続になる。社会人、結婚、早ければ父親、

と、色いろと変化をしていく。そして、年々、就職先、結婚相手の選定など、

人生を大きく左右する決断が突きつけられる。その中で、大きは危機が

体質の変化時の24歳頃にやってくる。それが人生の大きな分岐点になる。

ここで悩み、基礎を固めておかないと、長い実社会の中で、大きな落とし穴

に落ち込んでしまう。精神的には鬱病、分裂症など。社会的には突然の失業

とか大病とか・・ そこで直面するのが、人生の意味と、価値感である。

その辺りを「アメリカ道徳教育からわかること」の小項目で取り上げている。

   ーまずは、その辺りを抜粋するー

《 価値教育とは、子どもの全人的尊重と、その自主的な全人的な働きによる

 価値の明確化を援助する方式をとる。従って確定した知識を権威として教師

中心に教え込む指導方式とは根本的に違う。・・ アメリカの教育学には、

二つの大きな流れとして本質主義と進歩主義がある。

・前者は、歴史の試練に耐えてきた文化遺産の教育的価値を重視し、学校には

それを次世代に伝達するという、社会から依託された任務があることを強調

するのに対して、

・後者は、子どもの興味・関心・成長欲求を受けとめ、自発性・主体性を尊重

して活動意欲を引き出すことを重視する」と。 そして、本質主義に基づき

価値の伝達に主眼を置く教育が、価値の押しつけにすぎないとして批判される

につれ、進歩主義に基づいて子どもの価値表現や価値判断を重視する教育が

主張されるようになったといいます。そして現在では、両者の統合が課題に

なっているそうです。私が注目したいのは、もちろん後者です。

つまり、子どもたちの価値判断を重視する進歩主義的な教育です。たとえば、

ラス、ハーミン、サイモンらが『道徳教育の革新』のなかで主張した

価値の明確化」という概念があります。彼らは、すべての人が同じ価値観

をもつことはないという前提のもと、それぞれの人が自分なりの価値観を

確立する手法を明確化しようとしました。 それが次の7つのステップです。

選択すること:?自由に選択する ?複数の選択肢の中から選択する、

     ?各々の選択肢の結果についての十分な考慮の後で選択すること

尊重すること:?尊重し、大切にする、?肯定すること、

行為すること:?選択に基づいて行為すること、?繰り返すこと。

 これらの七つを満たしたものを「価値」と呼ぶそうです。 》

▼ アメリカ的価値観が、そのまま現れ出ている。「神の前で、それぞれが

 経典に従い、自主独立で、前向きに生きなさい」という事だが、更にマトメル

と、【自由に、複数の選択肢の中で、充分考慮した上に、大切に、肯定的に、

選択した行為を、繰り返すこと、を満たしたのが『価値』】ということになる。 

価値観は、それぞれの年齢で変転していくため、人生は、何時も学び続け

なければならないことになる。まずは両親など家族からの価値観から脱皮する

には、この7つのステップは有効にはたらくだろう! そのためには、教養が

必要条件になる!三年前の【3679, 自己を見つめる−6 2011年04月22日

「自己を見つめる 」渡邊二郎 (著) 】が、続きになる!

・・・・・・

5881,本物の教養 −1

2017年04月22日(土)      

        <人生を面白くする 本物の教養 〜出口治明 (著) >

   * 本物の教養

 受験勉強から解放された20歳の頃、都会生活の孤独と、様ざまな学生仲間

の接触で、基本的教養としての読書量の絶対的不足に気づくことになった。

以来50年以上、一日、2〜3時間の読書習慣を義務つけてきた。その割に何かが

足りない?が、これはさて置く。そのお陰で、リタイア後も時間が足りない程、

知的欲求、好奇心も、前向きの気持ちも全く衰えてないのは永年の読書習慣で

地頭で考える力がついた御陰だろう。 デ、図書館で見つけたのがこの著書。

< 内容紹介

 教養とは人生における‘面白いことを増やすためのツール’であるとともに、

グローバル化した社会を生き抜くための最強の武器である。その核になるのは、

「広く、ある程度深い知識」と、腑に落ちるまで考え抜く力。

そのような本物の教養はどうしたら身につけられるのか。六十歳にして戦後初

の独立系生保を開業した起業家であり、ビジネス界きっての教養人でもある

著者が、読書・人との出会い・旅・語学・情報収集・思考法等々、知的生産の

方法のすべてを明かす! >

――

冒頭で、シャネル創業者ココ・シャネルはが語った言葉を紹介する。

「私のような大学も出てない年をとった無知な女でも、まだ道端に咲いている

花の名前を一日に一つぐらいは覚えることができる。一つの名前を知れば、

世界の謎が一つ解けたことになる。その分だけ人生と世界が単純になっていく。

だからこそ、人生は楽しく、生きることは素晴らしい」

まさに、現在の日々の生活実感が、この言葉が代弁している。

 長年生きてきて、読書習慣を身につけて以来、落込めば落ち込むほど、

心の地底から何か温かい水泡が次々と湧出てきた。あれは何だったのだろう。

両親から貰った温みだろうか。そして、本を通した見知らぬ人の温みだろうか。

特に、50歳を過ぎた頃から、何か、毎日がウキウキし、楽しく、面白く、酒と

肴が美味しくなっていた。

『生きるとは、地球外生物が、幸運の積重ねの結果、80年の地球旅行に招待

されてきているようなもの。とすると、旅人としては、地球上の極上の大自然の

景観と、そこで人間が営営とつくり上げた文明・文化を知り、恩恵を目一杯、

受けて味わうのは、選ばれし者の権利であり、義務である。その視点を持てば、

世界は広いし、深いのが見えてくる。それは、決して世界の最果てだけでなく、

身近にもある。極上の地球観光旅行に、日常の些細なことでエネルギーを使い

果たす生活など、勿体ないじゃないですか』と、強く考えるに至った。

それを阻むのが、18歳までに作られた常識と、バカの壁。何も気づかず、

日常生活にエネルギーを吸取られ、それが全世界と信じて疑わない世間人。                              〜つづく

・・・・・・

5516,閑話小題 〜トランプ・マニヤ

2016年04月22日(金)

   * 道化師の泡沫候補の鼻息

トランプの暴言集」とネット検索をした結果の一つに以下の内容があった。

典型的な泡沫候補が、共和党候補になる勢いだが、保守白人の本音がこれ!

共和党内の支持者の91%が白人、「移民が米国民の雇用や医療保険を

剥奪している」と考える人が83%、「黒人が貧しいのは本人の責任だ」と

考える人が93%だった。男性のトランプ支持が女性の倍。つまり、弱者への

優遇に不満を持つ白人がトランプの暴言に溜飲を下げている。末恐ろしが、

これがアメリカ白人の本音。 〜「トランプの暴言」で検索すると〜

【 1年前は“道化師”とからかわれたドナルド・トランプ候補(69)だが、

 今や大衆に強く支持されて共和党候補のトップを走っている。

 その理由は全身をポピュリズムで武装しているからだ。

・「ポピュリズム、いわゆる大衆迎合主義というのは支持基盤がもろいので、

 トランプブームは一過性というシナリオも描いておく必要がある。ただ、

8年前にオバマ大統領が『チェンジ』を掲げ、彗星のごとく登場したときの

ように、既存の政治と政治家に対する不満を一手に引き受け、国民に夢を

抱かせるような候補者がトランプ氏以外に見当たらないのも事実です」

(在米日本人ジャーナリスト)

 トランプ候補は、いわば民衆の“怒り”のはけ口となっているのだ。

しかし、陣営には政策担当者がいない。それもあって、誰もトランプ氏の

暴言・失言を止められないでいる。暴言を幾つか拾うと、

・まずは【移民、難民、イスラム教徒、女性蔑視】について。

メキシコ人は強姦犯だ」

「(不法移民を締め出すために)国境に万里の長城を築く。

 ただし費用はメキシコ持ちだ」「移民なんかクソくらえ」

高卒の保守層労働者にとって、メキシコ移民は自分たちの仕事を横取り

する存在だ。暴言には違いないが、労働者は怨念を晴らしてくれたと

拍手喝采を送った。とはいえ難民、不法移民は米国に1400万人もいる。

彼らはすでに既得権益化し、強力なロビー活動を頻繁に行っており、

簡単には解決できない。

「すべてのイスラム教徒の入国を拒否すべきだ」

 この発言には与野党一体となっての非難の大合唱。イスラム教徒

メキシコ人排撃は、ポピュリズムの極端なアピールだが、そもそも移民の

連邦国家がアメリカであって、WASP主流(白人エリート支配)という考え方が

成り立つはずもない。

 また、女性蔑視発言は大の得意技。特に強烈な2つを紹介しよう。

まずは同じ共和党唯一の女性候補だったフィオリーナ氏について。

「あの顔を見てみろよ。誰があんな顔の奴に投票するってんだ?」

 民主党ヒラリー・クリントン候補にはこんな一言。

「夫を満足させられないヒラリーが、アメリカを満足させられると思うか?」】

▼ まあ、いくら本音といえ、こういう人物が、共和党候補になること自体が

 アメリカのジレンマが現れ出ている。これはモンロー主義そのものになる。

世界にとって他山の石でない。それだけ、世界は動乱期に入ったということ。

2018-04-21 閑話小題 〜工学博士の幸福論とは

[] 05:50 閑話小題 〜工学博士の幸福論とは - 堀井の「居間 客室 読書室」 を含むブックマーク

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        『ロボットだって心を持てる 達人対談

           前野隆司vs・ビートたけし‘新潮45:2017・10月号』

   * 「意識』はすべて「錯覚」というけれど…

 図書館から数ヶ月前の‘新潮45’を借りてきて流し読みをし、ここで

テーマとして取り上げること屡々。たけしとロボット博士の幸福論が面白い

ありがとうと感謝の念をもって、ありのままで、やってみよう。

そうすれば、なんとかなる。その積み重ねが、幸せをもたらす!>

 これは、創業の基本理念にもつながる。 幸せな人とは、

《夢や希望や強みを持ち、つながりと感謝を持ち、前向きかつ楽観的に、

自分らしく生きる人。あるいは自分を信じ、他人を信じて生きている人》になる。

    〜要所を抜粋〜

≪ たけし: ロボットに心を持たせるにどうしたらよいか研究や考察をしたら、

 人間には主体的な意識はなく、無意識が決めたことを追認する「受動意識」

 しかないという仮説を唱えているという。…

前野: …その「受動意識仮説」とは、私たちは嬉しいとか悲しいとか、この

  ギャグを言おうかとか、意思で決めているような気でいるが、それは全て

 無意識のうちの処理が先にあって、その結果にすぎないということ。

 私たちは自由意志があるようにような気がするけれど、自由意志などは本当は

 ない。脳の背後で動いているプログラムがあって、それが出した結果を自分が

 やっているように錯覚しているにすぎないというのが、「受動意識仮説」です。

 例えば、「コーヒーを飲もう」と決める。自分がコーヒーを飲もうと決めた

 気がするけれど、本当は脳の中に小人がたくさんいて、それらが、色いろ

 検討をして決めた結果を自分が決めたように感じている。

前野: だいたいコンピューターは10年で100倍、20年で一万倍賢くなる。

 何十年後には人間の頭脳を超えてしまう。幸せな人は、利他的で、性格が

 良いという結果が出ている。ロボットが賢かったら、幸せになりたいと思う

 じゃないですか。幸せになるためには良い人でなければいけないと気付くから、

 嫌な奴にならないと思うんです。

たけし: 先生の幸せの研究は、人々がどのようなときに幸せを感じるかの

 アンケートをとって、その中から要因を取りだして、共通要素を分析して

 いく手法ですよね。

前野: 幸せの4つの因子とそれを現す言葉として、

  やってみよう:自己実現と成長の因子

  ありがとう :つながりと感謝の因子

  なんとかなる:前向きと楽観の因子

  ありのままに:独立と自分らしさの因子があります。

たけし: なぜ人は生きているのか? この世を風呂屋に例えると、

  いい温度の風呂につかっていることが幸せ」だとすれば、熱すぎず、

  温すぎない丁度いい温度に水で薄める努力をしないとね。

前野: 何故生きるかという問いに対し、西洋では神の存在を説いて、

  天国に行くために生きるということになる。ところが仏教では、

  「欲は本当はない」と説く。何のためにいきる、といった目的は徹底的に

  ないと説きます。…私の考えは仏教徒と同じ。「人には全く自由意志がない。

  要するに、自分が感じている欲もないし、生きる意味もない本当はない。

  自分が感じているものは全て脳がつくり出した錯覚にすぎない。何もないん

  だから、幸せに生きた方がいいんじゃないか。風呂の話と同じで、何で

  風呂に入るか分からないけど、どうせ入るならあ適温がいい。だから、

  最近やってるのが幸福学なんです。でも、なぜ生きるかとなると決定的

  理由は見つかりません。

たけし: 「阿波踊り」じゃないけど、「同じバカなら、踊らにゃ損、損」と。

――

▼ コンピューターの能力は、「ムーアの法則」からして、10年で100倍、20年で

一万倍、賢くなるが、実生活で、スマートフォンタブレットPCの進化からみて、

決してオーバーと思えない。20年前といえば私が52歳の頃に、中高生時代の同級生

が数人、亡くなったが、生き残った身として、一万倍のコンピューター社会の進化

を目の当たりに出来た彼らとの差の実感は、あまりに大きい。(比べること自体が

おかしいが…)

 成るほど、中村天風の説く「積極一貫」の精神こそ、幸せをもたらしてくれる。

同じ人生、踊らな損だよ。元幕臣でありながら、新政府に仕えたことなどを

「痩我慢の説」で批判した、福沢諭吉に対して、勝海舟が答えた言葉

「行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張、我に与らず我に関せずと存じ候。」

幸せも同じ。意味も何もありゃしない。まず、やってみて、それを楽しむこと。

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4418, 残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法 ー7

2013年04月21日(日)                

 * 幸福とは何か ー大富豪とマサイ族   

        「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」 橘玲著

 幸福とお金の関係は、なかなか難しい。幸福の必要条件の一つにお金があるが、

十分条件では決してない。その辺りを、以下で大富豪とマサイ族を比較して

分かりやすく説明している。

≪ アメリカでは一九八○年代から、幸福を心理学的に計測するという試みが

 行なわれている。これは厳密に科学的なものではないが、様々な調査によって、

統計的にほぼ同一の傾向を確認できる(大石繁宏著『幸せを科学する』)。 

ある調査によれば、人生の満足度を七点満点とすると、アメリカビジネス

フォーブス』に載った大富豪たちの満足度の平均は五・八だった。彼らは

資本主義社会の頂点に立つ成功者で、豪邸やプライベートジェットなど望む

ものはなんでも手に入れることのできるひとたちだ。 アフリカのマサイ族は、

ケニアとタンザニアに住む半遊牧民で、必要最小限のものしかない貧しい暮し

をしている。同じ調査で、彼らの人生の満足度は五・四だった。目の眩むような

大金は、ひとをたった○・四ポイントしか幸福にはしてくれないのだ。

もちろんこれには様々な解釈が可能だが、大富豪がマサイ族の村に行ったと

したら幸福だと思うだろう。マサイ族の若者がニューヨークを訪れれば、

極貧と不幸に打ちのめされるかもしれない。幸福感は相対的なものだからだ。

マサイ族が幸福なのは、家族や仲間との強い絆(愛情空間と友情空間)のなかで

暮らしているからだ。それに対して貨幣空間の成功者である大富豪は、

その成功ゆえに愛情や友情から切り離されて幸福を感じられなくなる。 

 でも彼の人生は、まだマシな方だ。この調査によれば、世界でもっとも

不幸なのはロサンゼルスなどの大都市で生きているホームレスだ。

彼ら貨幣空間の敗残者は富も人間関係もすべて失ってしまい、自分たちより

過酷な生活をしているインドのスラム街の人たちよりはるかに幸福度が低い。

もっともこれは、それほど奇異な結果ではないだろう。お金が幸福の必要条件

ではあっても、十分条件でないことは誰だって知っている。ぼくたちがお金に

こだわるのは、それが「安心」「安全」という大切な価値と結びついているから。

ヒトはずっと不安のなかで生きてきたから、安心を得ることは幸福の大事な条件

のひとつだ。そして市場経済においては、この安心はお金で買うしかない。

日本国の財政が未曾有の赤字に陥り、少子高齢化で年金制度が破綻必至になった

ことで、この国を重苦しい不安が覆っている。老後を国家からの年金に頼って

いたひとが、安心を奪われてしまったのだ。 でも単純な経済問題だから、

お金により解決できる。財政破綻で年金の大幅減が実行されても、宝くじで

一億円当たったら、どうだってよいと思うだろう。(当たらないと思うが) 

幸福のためにお金を求めるのは、きわめて合理的な行動。ところが皮肉なこと

に、宝くじの当せん者を追跡調査をすると、実はあまり幸福のなっていない。

買物や豪遊で賞金を使い果たすころには、自分には何も残ってないことに

気づくのだ。 ・・・ ≫

▼ ー我われがお金に拘るのは、「安心」「安全」という価値に結びついて

 いるためーというのは分かる。ならば、日本は世界一の「安全」で、「安心」

して暮らせる国で、万一のことがあっても、生活保護がある。しかし自殺は

先進国の中でトップクラスにあるし、国民は幸せそうでない。何故なら国の

先行きが見えないためである。先行きなど、かつても見えなかった。

中途半端な幸せを長年続けてきた結果、激変の最中、動揺しているのである。

東北大震災から数ヶ月後、アフリカの難民をよびよせ、被災民の状況を見て

もらったが、殆どコメントをしないで帰った。彼らにしたら何をか言わんである。

豊かさの中の極貧生活が不幸の最たる状態であるのは、大都市のホームレスを

見れば分かる。今や夫婦間資産格差が出来た私など、不幸の最たるもの?

でも不幸感はない。「不安感」が最小に縮んだからだ。先行きの不安感は、

今が不安定だと生じ、蓄積していく。着地をした現在、今さら「不安」

など感じようもない。

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4044, 一時停止 ー4

2012年04月21日(土)

         「一時停止」 谷川俊太郎ー自選散文ー1955〜2010

  * 他人との出会い

≪ 肉体的な成長だけで子どもがおとなになれるわけではない。肉体的な成長

に精神的成長が伴わなければ、人間はおとなになれない。その精神的成長とは

どういうものか、知識が増えること、感情が豊かになること、経験を積むこと、

考える力が増すことーいろいろな面から考えることが可能だろうが、そのどれも

が結局は<個>の自分の確立ということにむすびついていることに気づく。

 群棲動物である人間は、ひとりで生きてゆくことができない。そこから

私たちは複雑な社会的構造を生み出し、〈個〉は常に自分と同等な〈個〉、

すなわち〈他〉との関係において生きてゆく。〈個〉の確立とは自我の拡張と

同時にその制限をも意味している。言葉をかえると、他人と出会ことによって、

子どもはおとなへと成長してゆくと言うこともできるのではないだろうか。

もしそんなふうに言えるとしたら、私にとって初めての他人との出会いは、

いったいいつのことだつたのだろうと考えることがある。もちろん人間にとって

最初の他人とは母親であると言うこともできるかもしれない。しかし、ほとんど

の子どもにおいては、母親は自分自身の延長のような存在であり、母親を他人

として意識しはじめるのは、むしろ彼がおとなになってからだろうと思う。

似たようなことは他の身内・家族などについても程度の差はあるが、おおむね

あてはまるだろう。 ≫

▼ 学校時代は、進学する度に変わる同級生が、他者を考える上に分かりやすい。

 その時の面々が、その時の自らの分である。それは、自分の広がりでもある。

それが他人との出会いである。その範囲が広がれば広がるほど、その冷たさと

暖かさの差が大きくなる。その段差が、人間を成長させるのである。逆に言えば、

その段差が少ないと、成長が逆行していくことになる。自分を意識する前に

見知らぬものとの出会いがある。その境目が増えるにしたがって、己との枠が

でき、それが自分になる。それぞれの時代の相手の中に、自分の姿が合わせ鏡

となり、自分の姿の一部を垣間見ることになる。

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3678, 自己を見つめる −5

2011年04月21日(木)

  「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)

  ー 境遇 ー

【人生においては、私たちは、それぞれの境遇で、様々な経験をしながら、

 自己自身の人生の有意義性を目指して、日々努力を重ね、永い人生行路の

 過程を踏み、自己の歴史が築かれてゆく。人生とは、そうした各自の時間的

 歴史的な行程であり、多様な諸経験を重ねてゆく遍歴の旅路である。

 人生は、しばしば、旅だと言われ、西洋でも、人間とは「ホモ・ヴィアトール

 (旅する人)」だと語られる。しかし、そのような遍歴の旅とは、いったい何で

 あろうか。とりわけ、多様な諸経験を経巡ってゆくということのなかに

 籠められている大事な眼目は、いったいどこにあるのだろうか。・・

  遍歴の労苦を通じてのみ、私たちの人格の花は、大きく咲き出るのである。

 格言に言われるように、可愛い子供には旅をさせねばならず、異境に出て、

 他流試合に揉まれ、異他的なものとの交流もしくは対決を経巡ってのみ初めて、

 私たちの人格は、大きく実るのである。そうした切磋琢磨と、人格的遍歴の

 過程を、すべての人が、互いに、愛の思いと暖かい心とを込めて見守らねば。

 こうして、人間的振幅や試行錯誤のすべてを受け容れ、また赦すところの、

 裏切ることのない、誠実な追憶の魂もしくは心のなかに、それらの歩みの

 すべてを銘記し、それらを、過ぎ去りゆくことのない、不滅で、貴重な人間的

 経験の全体として、共同でいたわり、保持しようとすることこそが、あらゆる

 人間にとっての、最も崇高な、道徳的かつ人格的な相互的責務であると思う。】

▼ 神話は、まさに異境に出て行って、辛苦の中で勝利し帰還する物語が原型

 である。それは、自分の魂にとっても同じこと。異質なものとの出会い、

そして邂逅のプロセスを通して自己が深まり、広がっていく。ここでも「異境に

出て、他流試合に揉まれ、異他的なものとの交流もしくは対決を経巡ってのみ

初めて、私たちの人格は、大きく実る」現実の世間的価値観の中では、人格は

大きく実らないことは周辺を見れば良く分かること。更にいえば、自己とは

異質なものとの出会いと邂逅の中にこそ存在する。

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5150,知の逆転 〜?

2015年04月21日(火)

         ー知の逆転ー 対談相手 オリバー・サックス

   * 没頭している「平和の時間」こそが

 午前中、4〜5時間、仏間にある書斎コーナーで、本を読んだり、パソコン

に向かっているが、その時間はアットという間に過ぎてしまう。集中している

ためだろう。ネガティブになりがちな身の上?に、老齢化が重なっているため、

落込みへの解毒剤になっている。冬場を除いて、朝方の自転車散歩も加えて、

何とかポジティブ3にネガティブ1の比率を維持している。

 ここで、<没頭している「平和の時間」が、最も望ましい>というが・・

この随想日記の習慣の効用である。没頭には、長年の継続が必要である。

 ーその箇所を抜粋ー p149 

≪ ・・私自身も、書き物をしたり考えたりすることに没頭しているとき、

 あるいはピアノを弾ひたいたり音楽に浸っているとき、神経症やうつ病が

消えて、時間というものを意識しないで平和な時を過ごすことができます。

われわれは誰もがそういう時間を必要としているのです。フロイト精神分析

では、楽しいことに没頭しているときの平和な時間という部分が看過されて

いると思います。彼の精神分析では、生は緊張として捉えられ、緊張が解ける

と何もない状態になると解釈されているわけです。しかし、ポジティブ

平和な時間というものは芸術や科学の基盤であり、最も望ましい状態では

ないでしょうか。≫

▼ 「平和の時間」は、外界の喧騒から隔絶出来て、気持ちが集中、脳も、

 心もシンプルでいられる。週一のシネマも、ポタリング(自転車散歩)も

「平和の時間」。リタイア直後に立てたプログラムは、まず、ストレスによる

自己崩壊を避けるためだったが、結果として「平和の時間」の維持の効用に

なっていた。今までは会社の維持に向けられたエネルギーが、「平和の時間」

に向けられるから、悪いわけがないが、だがストレスは生半端ではない。

それが当り前だが! 知恵を使って、見方、支点を変えれば、逆境さま様!

ものは考えよう、面白いもの。 偶然だが、以下の内容が、丁度良く続く。

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5880,世界がもし100人の村だったら お金篇 〜2

2017年04月21日(金)

   『世界がもし100人の村だったら お金篇

         〜たった1人の大金持ちと50人の貧しい村人たち 』

              池田 香代子 (著), C.ダグラス・ラミス (著)

 21世紀の初年度が始まった2001年の9・11テロかで時世界が様変りをした。

ユダヤ・キリスト教イスラム教の対立の鮮明化である。これに中国の躍進と、

時代かかった北朝鮮が絡んだ複雑な様相が現在時点である。その結果、強者は

より強く、弱者はより搾り取られる様相になっている。当然、お金のない国家

対金持国家の対立が浮き彫りになっている。北朝鮮対アメリカ、欧州対中東、

中東の内乱、IS国家の設立がテロなどを誘因する原因となっている。

 それそのままが、以下の数値で物語っている。

≪ ・2000年、世界のGDPは、ドルになおすと33兆ドル

   2015年は 73兆ドル。増えた富は、一番豊かな人びとの元に貯まった。

 ・世界を100人の村に例えると、世界の富のうち

   49%は、1人のいちばんの大金持のもとに

   39%は、9人のお金持ちのもとに、

   11%は、40人の、わりと豊かな人のもとに貯まりました。

  50人の貧しい人のもとにあるのは、たった1%です。

 100人の村では1人の大金持ちの富と99人の富がだいたい同じです。

インターネットを使う人は28億人増えて 32億人。大よそ10倍に。

・中国では自家用車が300万台から1億2400万台に増えた。40倍である。

・世界の通貨、その国だけでなく、世界中で使われている。

  44%がアメリカドル

  16%がユーロ

  11%が日本円

  6%がイギリスポンド

  3%がオーストラリアドル。

・世界の株の値打ちは、この15年で二倍近く増え、もうすぐに

 世界のGDPと同じになります。 ≫

――

▼ 21世紀は、ネット環境が進化し、世界の半数近くが、情報端末を

 持つようになった。今まで権力の乱用は、ネット上で一瞬で表沙汰になり、

権力者は、その座を追われる時代でもある。チャンスとリスクは裏腹だが、

そのバックグランドが、地域社会、国家内から世界に広がってしまった。

しかし、その基盤ルールのコントロールが、全くできてない。あるのは、

弱肉強食」のルールのみ。そしてテロを含めた新たな戦い。

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5515,閑話小題 〜「はてな」のブログ、100万人超え

2016年04月21日(木)

    * 「はてな」のブログ、100万人を超えた!

「はてな」ブログのビュアーの数が、昨日で延べで100万人を超えた。

開設以来、9年4ヶ月、一日あたり300弱になる。現在も、月当たり

を均すと、同じ300人になる。 月の4分の3が、250前後だが、

月に一週間ほど、その2〜5倍のウネリがある。なぜか、内容に力が入った

ときにビュアーが増える。

 当初からの個人HP「えんぴつ」が、ちょうど丸15年。この「えんぴつ」

のブログは一日40人前後。当初から増えも減りもしない。旧来からの知人を

中心にしたビュアーが見ているようだ。 内容が「はてな」と同じため、二つ

とも見る人もいないから、合計で一日330人が見ていることになる。

 一つにしないのは、万一の炎上したときのリスク分散のため。 

それにしても100万人とは驚き。それと15年と、9年4ヶ月も。

  * ああ、お金ですか

 誰かの言葉に、『 人々は、お金では貴いものは買えないという。

そういうきまり文句こそ、貧乏を経験したことのない何よりの証拠なのだ 』

がある。学生時代から社会に出だしの頃、自分のお金が手元になかった。

誰ものことだが、金が無いと、希望も夢も、遥か彼方にしか見えてこない。

そして10年、20年経ち、それなりの金額が、資本として見えてきた時、

自分の言葉と、目の前の具体的な夢と自信が見えてきた。貴いものも、貴く

ないものも、具体的な自由を現前に現してくれるのが、お金。問題は、それを

生き金か、死に金にするかである。 それもこれも妄想でしかないなら、

持った上で妄想をみたいもの。

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4785,閑話小題 ー倒産よもやま話 〜?

2014年04月21日(月)

   * 倒産よもやま話(三年目の実感) 〜?

「その直後、気持ちを落ち着かせるため、東京周辺に一週間ほど出たい」と、

弁護士に相談すると、「一番、大事な時。それは問題に対し後ろ向きになる。

苦しいが今は、直面し続けるしかない!」と一喝。そのことは以前から体感して

いた為、納得。問題の中心点を凝視し、立ち向かい続ければ、時間が解決する。

この経験で、身近の経験者のことが、解っているようで実は何も解ってなかった

ことに気づいた。実は、「犯罪者が捕まり、ホッとした気分は、こんなもの?」

という風な、変な安堵感もあった。 現時点では、『人が死ぬって悪いこと?』

と、ほぼ重なる。 バブル崩壊、9・11、9・15、3・11で、時代が根こそぎ

変わってしまった。現在時点の、良い悪いは、表面的な現象。

10年前から、現在に至るまで何が起こった? 身近の天変事変では、中越地震

柏崎沖地震、東北震災。 世界では、数万規模の死者が出た、幾つかの大地震。 

経済では200年に一度といわれるリーマンショック。そして、今後10年で、

その数倍規模?の自然災害、経済災害が、間違いなく起こる可能性が高い現在、

「倒産、廃業が悪」の図式・考えを捨てるべきではないか?というのも、

排除してはならない。その辺は、自分の自頭で考え、判断すべきである。

 その上に、飛躍的なパソコンの携帯の進化で、これまでの現実社会をネット

社会が覆ってしまった。そしてアメリカのルールに習え、のグローバル化

これが、良くいえば創造的破壊という美名の元に始まっている。

その最たるものがTPPである。経済的な日本併合である。それにしても、

国家戦略ゼロの日本の思考能力に暗澹たる気持ちになる。この節目は、やはり

明治維新、太平洋戦争の敗戦に匹敵するか、それ以上の事態。それに、呆気無く、

飲み込まれてしまったのが、この一連から、鮮明に見えている。私のケースは、

事業からの私自身のリストラであり、経済社会からの完全リタイア、排除である。

で、近く避難先で、町を見下ろしている。