I me Mine

根暗なマイハートのネジを巻け!

主語を「東京は」でなく「私は」


ライブの迫力は生の感動、言葉や映像で追体験したのではこぼれ落ちる何かがある。
だから日本で五輪を。感覚的に分かる。


臨場感とは何で構築されているか考えるとき、観客の存在が大きいと思う。


演者と観客の一体感、呼応、気配など。


数の問題はどうか。


スポーツにおける観客の意味は、何だろうか。


観客たる日本人として、五輪が日本に来たら、何ができるだろうか。


オリンピアンがよく言うのは、日本で五輪が開催されて日本人が沢山応援してくれたら力が出るのだそうだ。


やはり、日本人、同郷人、友人、恋人、家族など自分に近い人が来るほど力が湧くのが人間というものか。


応援の掛け声、息をのむ気配。感動の涙。


観客の数が多ければ力が出るという単純明快な選手もいるかもしれない。


人間は、共感する力があるというから、観客の心の振動がダイレクトに選手に伝わるという、具体的に表すことができないインパクトが起きるのかもしれない。


生。


もちろん、日本人選手の応援だけでなく、各国の選手に分け隔てない応援の声を掛けられるフェアな観戦態度も日本人の美点だと思う。


また、五輪観戦のため訪日する外国人に、ホスピタリティを持って接するということも、五輪だから特別の体勢を組んでどうのこうのとか言わなくても、日本人が普段から出来ていることに思える。


ただし、都会では傍観してしまう人、自分を含めて、シャイな人も多いから、何か背中を推してくれる社会的なシカケがあると、ホスピタリティがより伝わりやすくなると思う。通訳ボランティアやSNSを使った情報提供など。


当然、2020年までに言語の壁や文化の壁がなくなるような、ハード面、ソフト面の取組が必要だし、東京の都市魅力を高め訪日外国人が楽しめる環境づくりを進めることが大事だ。


1人1人が見る側でなく、スポーツをする側になれば、アスリートファーストの思想が共通認識となり、選手の受入体勢の知恵も沢山出るかもしれない。
地域の体育館やグラウンドなどスポーツ施設が求心力を持って新たなコミュニケーションが生まれるのもいい。出会いの場的な。


もちろん、我こそがオリンピックに出場しますと真剣に取組む子ども達が増えれば、それに関わる人も増えるので、スポーツが持つ求心力が高まるだろう。


ひいては、スポーツで地域活力が出るし、スポーツ観光のような地域産業も活性化して最高じゃないですか。


問題があるとすれば、多摩地域。競技会場が無い。
都心に来た訪日外国人がシャワー効果で多摩地域まで足を運ぶようにしないと。多摩地域の小学生が五輪で作文が書けるような関連づけが必須だ。


五輪招致が成功するしないに関わらず大事なこと。
そもそも、都には年間4億人を超える旅行者が国内外から訪れている。


主語を、東京は、ではなく、私は、で考えてゆきたい。