人を襲ったチンパンジー

[OCN ニュース - 人食いチンパンジー追跡=怪力で惨殺・シエラレオネ]
[人食いチンパンジー追跡=怪力で惨殺-漂流皇室]より)
チンパンジーが人間を殺して顔面を食べたのだとか。
[猿だといってなめんなよ!]を見ると、チンパンジーって成獣で体重80kgぐらいあるらしくって、そして握力は300kg超えているのだそうです。[猿だといってなめんなよ!]には書いていませんが、色々見ていると雌でも握力200kgあるそうです。そういう獣に首根っこ押さえられて地面にたたきつけられたり……。想像するだけで股間のあたりが縮み上がります。亡くなった方の恐怖はどんなものだったでしょう……。

内田樹、小田嶋隆、平川克美、町山智浩『9条どうでしょう』

四人の著者のよる護憲論です。内容は、かなりレベルにばらつきがあります。
小田嶋隆町山智浩、両氏によるお話はかなり面白いですし、僕のような改憲論者にもなるほどと思える部分が多くあります。ただ、改憲論者を自分が思う紋切り型に落とし込んで論じるあたりで、かなり疑問を感じます。話題の対象を、なにがしかのモデルに落とし込んで論じるのは、常套手段だとおもいますが、その落とし込み方がなんだかなと。けれども、大筋では面白い文章でした。
残り二人、内田樹平川克美、両氏の書いたものは……。レトリックを駆使して白を黒と言い含めるような話ばかりで、学者先生の与太話で終わっています。香西秀信『論争と「詭弁」 レトリックのための弁明』にて「自分を恋している者よりも恋していない者にこそ、むしろ身をまかせるべきである」という詭弁が紹介されていました。内田樹平川克美、両氏の文章は多くがそんな調子です。内田樹さんから例をとると、

五年前の論考で私が述べようとしたのは「現実が複雑なときには、単純な政策よりも複雑な政策の方が現実への適応性が高い」というごく当たり前のことである。

p22

ある問題に対処するために、問題点を洗い出し対処法を考えます。問題が複雑であれば対処法(上の文中での政策ですね)はある程度以上には単純にならないでしょう。無理に単純にしすぎると取りこぼしが大きくなったり、問題をさらに悪化させたりすることになるでしょう。ですから、無理に単純化した対処法は適応性が低いのは当然のことだと思います。複雑な問題には対処法も複雑にならざるを得ない。ただ、それは単純な対処方より複雑な対処法の方が良いこととは等しくはなりません。それに上では全然考慮外のように見えるんですが、対処法を実行するのは誰かという問題です。あまりに複雑な対処法は能力の高い人ならいいでしょうが、そういう人はごくまれで、多くは僕のような凡庸な人間です。そういう凡庸な者でも実行できるレベルに対処法をできるだけ単純化しておかないと、複雑さをこなしきれずに問題が悪化しかねません。そういった点を考えていないのか、考えると持論の邪魔になるから無視しているのかはわかりませんが、上はとても「当たり前のことである」とは言えない話です。物事を単純に考えるなってことを言いたいんでしょうが、それで上のように言われても困ります。無茶苦茶な物言いです。ちょっと読み進めるとこういうのが次々に出てきて疲れます。
また、希望的観測も多くって、

自衛隊はその原理において「戦争ができない軍隊」である。この「戦争をしないはずの軍隊」が莫大な国家予算を費やして近代的な軍事力を備えることに国民があまり判定しないのは、憲法九条の「重し」が利いているからである。憲法九条という「封印」が自衛隊に「武の正当性」を保証しているからである。私はそのように考えている。

p20

というくだりがあります。憲法九条の「重し」なんてのを本気にしている人がどれだけいるのでしょうか? 力が無いものの言葉には誰も耳を傾けないっていうどうしようもない現実から、まあ、しゃあないかと思ってる人の方が多いのでは? まあ、アンケートを採っても簡単にはわからない問題でしょうけれども。なんにせよ、希望的感想にすぎます。
ここまでで例として引いたのは内田樹さんのものばかりですが、平川克美のも相当にだめです。内田樹さんの方が、まだ、ましです。面倒なので、もう引用しませんが。
護憲と改憲の間でふらふらしている人に護憲論者になってもらいたいとしたら、内田樹平川克美のお二人の書いた部分を破りとって、小田嶋隆町山智浩のお二人の文章を読んでもらうのがいいんじゃないかと思います。うまくいけば護憲論者になってくれるんじゃないかと思いますよ。

9条どうでしょう

9条どうでしょう

[Amazon.co.jp:論争と「詭弁」―レトリックのための弁明丸善ライブラリー: 本]

引用先、手間暇かかった料理じゃなくて、どっちもインスタント食品だよ

食べ物そのものと、文章を食べ物に例えているのとがごっちゃになっている部分がありますが……。スルーしてください。
[アッテンボロー: 味覚障害と2チャンネル]

是非とも読んでいただきたいのが「きっこの日記」と「瀬戸智子の枕草子」です。お二人とも古文・漢文の素養に溢れる美しい日本語を十分に踏まえた上で、新しい表現に挑んでいます。2チャンネルで頻繁に使われているいる表現や語法が、果たして百年後千年後に生き残るかどうか、しっかり考えて欲しい物です。

えーと、後半の

2チャンネルで頻繁に使われているいる表現や語法が、果たして百年後千年後に生き残るかどうか、しっかり考えて欲しい物です。

は正しいと思います。別に2ちゃんねるじゃなくても生まれてすぐに死んでいく言葉や言葉遣いなんてそこら中にありますしね。が……、前半は何を書いているのでしょうか? 「お二人とも古文・漢文の素養に溢れる美しい日本語を十分に踏まえた上で、新しい表現に挑んでいます。」。古文・漢文の素養に溢れる……。美しい日本語……。

「……すまん、何だって?」
涼宮ハルヒの憂鬱」よりキョンくんの台詞, p60.

せめて上の人に萩野貞樹「名文と悪文」を読んでみて欲しいかも*1

上の人「絶対可憐チルドレン」の台詞を引用しているけれども、引用した二つのページ、どっちもインスタント食品みたいな文章じゃありませんか……(引用されている二つのページが書いている内容自体は、ここでは考えません)。「きっこの日記」は、結構、読ませる文章だと思いますし、もう片方もある程度は整ってはいます。僕はジャンクフードみたいな文章を多く読んでいて、古文・漢文やらはごくごくまれにしか読みませんから、えらそうなことは言えませんが、それでも、上の二つを、古文・漢文の素養に溢れるなんて言っちゃだめでしょうに。古文・漢文の知識を持っているのは伺えるけれども(後者)、文体のリズムとかをものにしているとはとても思えません。古文・漢文の知識をある程度持っていることをして「素養に溢れる」というのなら、上の人の書いていることも間違いじゃないとは思いますが、僕はそんなのは「素養に溢れる」とは言わないと思いますよ。
何にせよ、上の方、まっとうな飲食店の料理とジャンクフードの味の区別が付かないようですから、他人様に基本知識とか宣うのは止めた方がよろし。
なお、僕はジャンクフードでもーまんたいと思っている人間ですが……。口肥えてませんし、わての文章もジャンクフードですしね。ただ、ジャンクフードとまっとうな飲食店をごっちゃにするよな失礼なことは言いたくないかな〜ぐらいのことは考えています。きちんとできているかどうかはともかくとして。

*1:インデックス(「とある魔術の禁書目録」)調で。ここでインデックスを持ち出す意味は全くないけれども……。何故か頭に思い浮かんだのです。最近読んだからかな?