bloodthirsty butchers吉村さんのこと

今日オフィシャルでの発表があり、bloodthirsty butchers吉村さんが亡くなられたことが公になった。

つい先月、横浜FADでbloodthirsty butchersと共演させてもらった時はいつも通りの吉村さんだった。

昨日の朝、最初に話を聞いたときは俄にそれが信じられなかった。
今日のTwitterのタイムラインで生前関わりのあった人達、吉村さんやbloodthirsty butchersファンの皆さんの書き込みが流れていくのをぼんやりと見ていたら急に実感が湧いてきて、もう会えないのかと思うと、とても胸が苦しくなった。

最初に俺らがbloodthirsty butchersと共演したのはたしか2004年Some of US小林さんが招聘したRainer Mariaの来日ツアーサポートで大阪心斎橋Dropに出演させてもらった時、あの時は吉村さんに話しかけることもほとんど出来ず、初対面で怖かったしで、でもひさ子さんと吉村さんと一緒に写真撮ってもらって、嬉しかったのを覚えてる。
そこから何度かイベントなんかで共演する機会があったり、イベントに誘って出てもらったり、誘ってもらったり、徐々に吉村さんがどんな人なのかわかるようになった、わかると言っても、ほとんど何を言っているのかわからない時の方が多かったけど。とにかく感覚で話す人だったように思う、彼の弾くギターや歌われる歌詞と同じように。それがとても魅力的だった。

吉村さんとbutchersの積み重ねて来た長い歴史の中で、俺らが共有出来た時間は長くはなかったかもしれない。俺なんかに話せることなんか、小さな小さな出来事だったかもしれない。でももうちょっと話したい。

2人で弾き語りのツアーにも行った、その時はお互いソロで行動していたのでライブ前に立ち飲みを探して行ってみたり、吉村さんが作ってくれたいいちこウーロン茶割りを一緒に飲んだりした。一緒にいる間飲み過ぎて足の裏が痺れて歩けなくなったときは、「そりゃお前、通風だな」と笑いながら心配されたりした。俺の大好きな曲「サラバ世界君主」を一緒に演奏したり、吉村さんが好きだと言ってくれた「TOBACCO」という曲を一緒に演奏したりもした。ギタリストでもない自分とそうやって共演してくれたこと、弾き語りのツアーに一緒に行こうと誘ってくれたこと、がとても嬉しかった。今年の秋、今度は北の方に一緒に行こうってついこないだ話してたところだった。

今日は皆が吉村さんとの思い出を語っている、皆が吉村さんのこと大好きだったと思う。

仲の悪く疎遠になっていたLOSTAGEと元メンバーのやっているCARDの共演を「俺がやらないと、お前らずっと一緒にやらないだろ」といってイベントを企画して渋谷のネストに呼んでくれたこと。あれがなかったら俺は、多分今もLOSTAGElostageだった時の事に、モヤモヤしたものを抱えたままバンドを続けてたと思う。今も全然仲良くなったわけじゃないけど笑。

面倒なオヤジは何を言っているのかわからない、なぜかいきなり機嫌が悪かったりもする。でも、いつも愛のある優しい人だった、特にロックバンドや音楽のこと。あんなに誠実で、そしてピュアなバンドマンを他に知らない。

特別上手いわけじゃないけれど誰にも真似出来ない孤高の歌声や、全てのギタリストが憧れたギターの音色、それがもう聴けなくなってしまうことがどうしようもなくさみしい。
今日は一日bloodthirsty butchersを聴いて過ごそうと思う。


彼を失って、俺らはやらないといけないことが1つ増えた。




吉村さん、ありがとうございました。






さみしいです。