ひまむしにゅうどう(火間虫入道)

2003-12-05

[雑記]

『信長の野望 Online』β版ダウンロード開始

信長の野望Online』β版ダウンロードを始めました。一昨日は残り7時間かけてデスクトップの方にインストール

昨日はノートPCにもインストールするつもりでダウンロードを始めるとわずか20分もかからずして、すべてダウンロード終了。

ダウンロードアクセス数が大きく変化したのだろうか?

ひとまずゲームを開始して、設定だけしてみる。

フルスクリーンでしかプレイできないのかな?


[戦国時代関係]

■因島水軍城にモノレール 石段バリアフリー化

http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn03120534.html

■「山吹城」本丸跡を発掘調査〜大東町教委

http://www.iwanichi.co.jp/iwanichi01/news/higashi/12gatu/news-higa_05.htm

[歴史ゲーム関係]

■戦国タクティカルアクション「戦国無双」は2月11日に発売!?

http://gameonline.jp/news/2003/12/05014.html

[更新情報]
■『信長の野望 天下創世』新武将投稿&配布コーナーに武将追加

[投稿感謝]  すくもさん毛利武将(後編)投稿ありがとうございます。

村上 元吉(むらかみ もとよし)

村上武吉の嫡子。

関ヶ原役では西軍に呼応して、故地伊予の奪回を目指し東軍の伊予加藤嘉明領に討ち入るが、戦死した。

村上 元武(むらかみ もとたけ)

村上元吉の子。武吉の孫。父が関ヶ原役で戦死したため祖父に養われる。

毛利家が防長移封とともに周防三田尻へ移り、毛利家の船手方として海賊の伝統を残した。

杉 元良(すぎ もとよし)

毛利家臣。杉重良の子。

天正七年、父が大友義鎮側に走ったが、元良の母が福原貞俊の娘であったため知行を安堵された。

児玉 就英(こまだ なりひで)

毛利家臣。児玉就方の嫡子。

警固衆の頭領となり、天正四年には村上氏とともに、大坂湾頭の織田勢の包囲を破って、石山本願寺に兵糧を入れることに成功した。

三浦 元忠(みうら もとただ)

毛利家臣。惣四郎。本姓は神田氏であったが、周防の旧族三浦氏を継いだ。

毛利輝元の側近として重用され、周防・安芸・長門のうちで一万六千石余を与えられた。

桂 元忠(かつら もとただ)

毛利家臣。桂元澄元澄の弟。児玉就忠とともに元就直属の奉行として活躍。

毛利隆元のもと五奉行制が成立すると一員となった。元就に才覚はないが正路の人と評された。

小笠原 長旌(おがさわら ながはた)

小笠原長雄の子。父は尼子家に仕えたが、毛利家に降伏。

尼子勝久が挙兵すると、長旌は先鋒となって活躍する。吉川元春の子を養子に迎えようとするが失敗した。

兼重 元続(かねしげ もとつぐ)

毛利家臣。兼重氏は毛利氏の庶流で、元続の祖父は元就の祖父豊元の庶子にあたる。

毛利家が太閤検地の原則にそった検地を行ったとき、検地奉行を務めた。

三吉 広高(みよし ひろたか)

備後の豪族。備前守。毛利家に仕え、比熊山城を築き居城とした。

関ヶ原役後は浪人。その後、広島藩主となった浅野長晟に迎えられた。

井原 元尚(いはら もとなお)

毛利家臣。井原氏は安芸井原村の領主だったが、父の代から毛利家に従属し、城番や検使などを務めた。

天正年間に周防三尾に転封され、二千二百余石を領す。

山内 広通(やまのうち ひろみち)

備後の国人。隆通の次男。父の代から毛利家に仕え、父の死後に家督を継いだ。

朝鮮の役に従軍。備前に六千七百余石を領し、国衆としての性格を維持した。

[投稿感謝]  はらへりさん武将ありがとうございます。

内藤 ジュリヤ(ないとう じゅりや)

丹波八木城主・内藤源左衛門の娘。切支丹の勇将・内藤如庵の妹。

京都の教会に隣接して女子修道院・べあたす会を創設。べあたす会初代院長となる。

清貧・貞淑・従順の三誓願をたて厳格な修道を行う。

宣教師が立ち入ることのできない大奥や公家や大名家の婦女子への布教に専念する。

禁教令・伴天連追放令が発せられ棄教・改宗を強要されるが拒否した。

そのため国外追放に処され高山右近や兄・如庵とともにマニラに追放された。

小西 マリア(こにし まりあ)

小西行長の娘。宗義智の妻。

秀吉が明攻略を画策し行長に朝鮮出兵を命じたとき講和派であった行長は対馬の領主宗氏と結ぶために義智に嫁ぐ。

義智が秀吉と朝鮮との橋渡し、戦の回避に苦悩する義智を支える。

その中で京へ上る義智を東洋巡察師バリヤーノにあわせ切支丹に改宗させた。

その後関ヶ原合戦で父が処刑され義智に離縁される。

今川 桂(いまがわ けい)

寿桂尼。今川氏親の妻。義元の母。京都公家の娘。

病床だった氏親に代わり側近とともに今川を治める。氏親を補佐し今川仮名目録三十三条の制定に尽力する。

今川領内を治め各種政治文書を出し氏親、氏輝、氏真の四十年間に渡って国政を補佐。

実子である義元に対しては教育を太原雪斎に託した。

花倉の乱では雪斎とともに家臣の大部分に事前に根回しを行い義元勝利に尽力する。

桶狭間合戦で義元が討たれると再び国政を補佐し駿府の尼御台と呼ばれた。

南部 禰々(なんぶ ねね)

八戸根城主・南部直栄の娘。清心尼。父・叔父・子と皆が早死し二十一代城主となる。

箆持ち制度、一夫一婦制など領内で制定。

日常生活に即し、足軽や女性といった庶民を尊重した政策を行った。