宮本大人のミヤモメモ(続)

漫画史研究者の日常雑記。はてなダイアリーのサービス停止に伴いこちらに移転。はてなダイアリーでのエントリもそのまま残っています。

またしても昨日のことを今日書くの巻

金曜も普段は授業のない日なんですが、諸事情で6時限にシークレット自主ゼミ。今週から火曜の7時限にやることにしたものなんですが、告知が遅かったんで全員集まれず、仕方なく2回同じ内容を火曜と金曜にやることに。
内容は日本のアニメ史概論。来年度の講義でやる予定なんですが、ウチのゼミの3年生で卒論でアニメをやるかもな学生さんたちがいるので、来年まで待たせるわけにも行くまいということで、研究室に入れる人数限定でやることに。
お前にアニメ史なんぞ講ずる資格があるのかと言われると、辛うじて、ですが、あるのではないかと思います。というか、現に、もうやってたんですよね。6年間やってた帝京平成大学というところの非常勤で、半期の講義でアニメ史概論をやってました。これは、詳しく書くと色々差し障りがあるので書きませんが、色々仕方ない事情があって、やらざるを得なくなり、やらざるを得ない以上一生懸命勉強しようと思って、最初は付け焼刃でしたが、6年かけて、一応初学者のための入門編としては「アリ」のレベルかなというところまで持っていけたと思ってます。
これは、「たけくまメモ」での話題ともつながるのですが、大学の専任(常勤)のセンセイには、センセイである以上、教育者としての能力が必要で、研究者としての優劣だけが、常勤か非常勤かのボーダーラインを決めているわけではないのです。
そんなことを知ることが、何か意味のあることでありうるなどと、考えたこともない初学者に、それを学ぶことの面白さを伝える授業をするスキルは、「専門的」な研究者に求められるスキルとはさしあたり別物です。両方備えているに越したことはないですが、実際には、「専門家」にはあまりに自明な事柄についての素朴な疑問を忘れていない程度のレベルの人間の方が、初学者への入門的教育にはふさわしいのでは、とも思えるのです。
それに、もし初学者への入門的教育に、「専門家」としての知識やスキルが必須であるなら、小学校の先生は、一人で同時に国語・算数・理科・社会・美術・体育の専門的な研究者でもなければならないことになってしまいます。そんなことは、無理ですよね。そして、小学校の先生が「いい先生」であるかどうかが、その先生の専門的な知識の量では決まらないことは、割とみなさん納得しやすいことではないでしょうか。アニメについて、今までの単なる視聴者・観客としての見方でないやり方で考えていくことの意味や面白さを知らない子たちに対して、入門的な授業をするのも、同じことだと思うのです。
小学校の先生には、教科書があるではないかと言われるかもしれません。確かにアニメ史には、これさえ使っときゃ安心、みたいな定番的なものはまだないと言うべきなのかもしれませんが、それでもいくつかそれに準ずるよい本はありますよね。はまぞうで出せないみたいですが、山口且訓・渡辺泰著、プラネット編『日本アニメーション映画史』(有文社、1977年)とか、去年出た津堅信之さんのこの本↓とか。

日本アニメーションの力―85年の歴史を貫く2つの軸

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そしてもちろん、テーマを絞り込んだ研究・評論書は、たくさんあります。それらを勉強してまとめ、そこで触れられている作品を一生懸命見ることで、僕自身が僕オリジナルの研究論文を書けるほどの専門家ではなくても、半年の概論を組み立てることは、一応できる、というのが、僕の言い訳です。これからも勉強はし続けますので、どうかお許しを。