宮本大人のミヤモメモ(続)

漫画史研究者の日常雑記。はてなダイアリーのサービス停止に伴いこちらに移転。はてなダイアリーでのエントリもそのまま残っています。

熊本行ってきました

 熊本市現代美術館(CAMK)で開かれている展覧会「日比野克彦 HIGO BY HIBINO」をゼミ生たちと見に行き、いつものように熊本大学の跡上史郎ゼミと合流しました。
 上のリンク先を見ていただければわかるんですが、この展覧会、かなり大々的に市民参加型のプロジェクトをいくつも並行してやっていて、展覧会場にも、その成果として、熊本の伝統工芸の職人さんたちと日比野のコラボレーションによって生まれた作品がたくさん並んでいます。
 その最も中心になるのが石垣プロジェクトで、会場の一角に、一般の来場者が作ったダンボールの「石」で熊本城のような石垣を築く、ということをやっています。我々も大喜びで石を作り、その表面にカラーチップを張る作業をしてきました。
 石垣プロジェクトについては、その進行状況を報告するブログ「石垣な日々」があります。
http://isigaki.jugem.jp/
 これ見ると、結構捗らなくて大変みたいなんですが、熊本や近隣地域の美術系の学生は何してんでしょうか。日比野克彦に認められるかもしれないチャンスなんだから、春休み毎日通えばいいのに。
 ま、大きなお世話かもしれないので、その話はこの辺にしまして、実際どんな感じか、石垣プロジェクトの会場は写真撮影可とのことでしたので、撮らせてもらったものをいくつかアップしてみます。


 石を作る作業。ダンボールとカッターとテープで自分の思いのままの多面体を作ります。



 私の石。行き当たりばったりに凝っていたら、無駄に凹凸の多いものに。



 できあがったいろんな石。俺のだけテープ多過ぎ。




 こちらは検品済みの石にカラーチップを貼る作業。



 奥の方に見えるのが今のところできている石垣。みんなが自由に作った形の石を、うまく組み合わせる必要があるので大変だと思います。



 細かい作業ですけど、おしゃべりしながらやると結構ハマってずっと続けられる模様。


 


 跡上ゼミの皆さんとCAMK前で。
 この後、雑貨屋兼カフェのORANGEさんに移動して懇親会。楽しい時間をすごさせていただきました。


 で、展覧会についてもうちょっと。
 この展覧会は、上記のさまざまなコラボレーション企画「HIGO BY HIBINO」と、日比野の今までの代表作の展示「HIBINO WORKS」との2部構成になっています。その「HIGO BY HIBINO」の中に石垣模様のござでできた茶室があって、「いくさいぐさ」と名づけられているんですが、なぜ「いくさ」かというと、この茶室の天井にはたくさんの戦闘機の機影が描かれているんですね。そうか城は戦のための建物だし、僕らの生きているこの世界の上空にこんなのが現れる可能性を思いながら生きないと、みたいなことかなとか、思ってたんですが、「HIBINO WORKS」の方は思いがけずそのテーマが大きく取り上げられていて、9.11や阪神大震災などをモチーフにした作品が多かったんですね。その中でも「KAEROU」という巨大な絵が自分にとって、やばかったです。
 真っ白な画面の左端にツインタワー、右端に旅客機の機影、真ん中に太陽があって、上端にローマ字で「KAEROU(帰ろう)」という言葉が何度か繰り返される短い詩が書かれています。日が沈む前に帰ろう、といった内容の詩の全文は、残念ながら記憶してないんですが(図録にはこの作品は載ってませんでした)、その中に、「HAJIMETE HITOKARA KAKURETE NAITA TOKORONI」というフレーズがあり、ちょっとウッとなってしまったのでした。そんなところは、自分にはない、と思ってしまったんですね。
 物心ついたときには人前では泣かない子だったし、人前だけでなく、そもそも、泣ける、という状態が実感としてよくわからなかったので、隠れて泣いた記憶もないんですよ。小5のとき、学校でちょっとストレスフルな状況があって、いろいろ積もり積もって、ある時急に親の前でおえおえ泣いてしまったことがあって、それが「泣けた」最初で、でもその、6歳で交通事故に会っても泣かなかった子が泣いてしまったのがきっかけで、さらに嫌なことが起こったので、とにかく、泣く、という選択肢が自分の中になかったんですよ。
 20歳過ぎてから、急にマンガとかアニメで泣けるようになってしまって、今では涙腺ゆるゆるですけど、自分が帰れる場所として、初めて人から隠れた泣いたところ、というのは存在しないなと。でも、それって、何なんだろう。別にそんなのない人だっているんであって、そんな場所があるだけ幸せなんじゃ?ってことに思い至らない日比野克彦がダメだっていうことでもない気がする。別にそんな場所があったら幸せで、無いと不幸ってことでもないはずだから。テロリストたちに、テロリストとの戦争と称する行為をする人たちに、この言葉が届くだろうかとか、そういうことでもなく、単にいつ「戦争」に遭遇してもおかしくない世界に生きているはずの自分の問題として、ダンボールで石垣作るって楽しそう、くらいの気持ちで行った展覧会で待ち受けていたアルファベットの並びの不意打ちは、ものすごくシンプルな絵の空間とあいまって、なんだかすごく切ないような、引っかかりを残したのでした。