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音楽は、聴くことが最初

記憶が曖昧なのだけど、武満徹の言葉で「自己の中の音を聴く」みたいなものがあった。作曲をする上での気構えみたいなことを語る際の言葉だったような気がしている。音を創る作曲家が、音を聴こうと努力をしている。生まれていない音もまず聴かれているものなのだと、感動を持ってその文章を読んだ。

エルガーを「つまらない」の言葉で一蹴する奏者を知っている。その言葉を聞いた瞬間の寂しさを思い出しては、もっと突っ込んでその考えの根拠にあることを聞き出すべきであったと後悔もしている。イギリスの地であれほど愛好され、奏者と聴衆の尊敬を集めている理由は、子供の頃から耳にする時間の長さなのではないかと思う。聴く時間の絶対量の多さ。そこに人それぞれの思い出も付随して、深く深く心に染み込んでいく。

そりゃもちろん、演奏して楽しく充実感があり、同時に聴衆を感動に導くことが出来る音楽が幸福な存在であることは分かる。そんな幸福な組み合わせでないものもたくさんある。音楽は演奏するためにあるのではなく、聴かれるためにあるのが最初だ。学生の時の周囲で「自分達が楽しくなければ、人を楽しませることは出来ない」と尤もらしい言説が蔓延していたが、今ひとつ納得できなかった理由を今なら言える気がする。始まりが奏者にあるのが不思議だったのだな。最初に考えるべきは、音楽を作る作曲家が自己の音を聴こうとした態度と、聴衆の存在だ。