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2007-08-31 Fri

[] 素数と暫しの別れ

博士の愛した数式 (新潮文庫)

博士の愛した数式 (新潮文庫)

そんな日に買う。

2007-08-30 Thu

2007-08-28 Tue

[] スリムノート

スリムノートを買って、和らいだ悲劇。

2007-08-27 Mon

[] 悲劇

悲劇的に痛い。あとスリムノートを使い切ってしまった悲劇。

[] スガシカオライブ沼澤尚

THE BEST HITS OF LIVE RECORDINGS-THANK YOU-

THE BEST HITS OF LIVE RECORDINGS-THANK YOU-

久々に聴くと落ち着く。メロディには確実に個性があり、凄さをすぐに体感できるのがいい。これだけを聴き続けていると飽きてきて、一定期間をスガシカオから離れて過ごす。それでも他の音楽を色々聴き回ってもスガシカオに対抗しうるほどの安定感と一個性を発見することが出来ないことに気付いて帰ってくるわけだ。

このアルバムの外せない聴き所の一つはドラムの沼澤尚。ドラムには叩けること以上の音楽が要る。リードしつつ、隠れて、集め、歌うのがドラムだ。僕の周りの打楽器奏者の正しいがつまらなく邪魔な音の対極に沼澤尚が居る。僕の周りの打楽器奏者に言いたい、沼澤尚を聴けと。聴いたことのない音を叩けるのは天才だけなのだ。君は天才ではないのだから。

2007-08-24 Fri

[] 昨日の呟き

昨日の呟きは衣食住で言えば、「住」のことです。ご心配なく。

2007-08-23 Thu

[] 腹立たしい

腹立たしい対応を続けられ、脱力する。暫くはこちらからのアプローチはやめておく。

2007-08-20 Mon

[][] マーケティング

マーケティングとは消費者に媚びることでもなければ、浪費を促すことでもない。知恵を使って合理的に仕事をしていく、という単純なことなのである。

売れないのは誰のせい?―最新マーケティング入門 (新潮新書)

ということらしい。

2007-08-19 Sun

[] 塩野七生チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷

チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷 (新潮文庫)

チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷 (新潮文庫)

再読終了。懐かしく読み終えた。チェーザレ・ボルジアが絶頂期から崩れ落ちる過程の冷静な描き方にグッと来る。初めて読んだのは十数年前だが、その時もチェーザレの最期を離れて見ようとする塩野七生の態度を感じたけど、今回はもっとビリビリと。塩野七生はチェーザレを愛し、彼の行動に共感し切っているのだと思う。だからこそ、近付きすぎて自分自身が崩れ落ちてしまうのを避けているように思えてならない。

今回読み終えて連想したのは「新選組」。若い人間の勢いとシステムを自らのものとしていながら、時代情勢と運に見放された人たち。チェーザレも近藤・土方も、若かった。

2007-08-18 Sat

[] あらゆることに

「あらゆることに気を配り、時が来るのを待つ」、そんなことが僕に出来るのかどうか。

2007-08-17 Fri

[][] 気になる本

紀伊国屋書店で手に取ってペラペラとめくりながらも、購入に至るほどの決め手はなく、それでもいつか出会い直す時のためと一応メモをしておく。ああ、もっと本を買いたい読みたい。

グスタフ・マーラー―愛と苦悩の回想 (中公文庫)

グスタフ・マーラー―愛と苦悩の回想 (中公文庫)

今後、マーラーについて書くことがあるかも知れない。暫くはないと思うけど。

人生の鍛錬―小林秀雄の言葉 (新潮新書)

人生の鍛錬―小林秀雄の言葉 (新潮新書)

小林秀雄のものの見方をよくは知らない。青山二郎絡みの小林秀雄と、茂木健一郎さんが好きな対象としての小林秀雄、そして「モオツアルト」を一応読んではいるので、僕の中での小林秀雄の全体像はその三つの要素の組み合わせだ。この新書のようなダイジェストから入り直すのも妙かも知れないが、触れないよりはいいだろうとメモ。

[] 集中力がない金曜日

集中力がない。何も考えずに出来るような手仕事を中心に一日を終えた。また明日から。

2007-08-16 Thu

[][] フレンニコフ死去

フレンニコフが逝去したらしい。と書いてみても、それほど詳しくは知らないわけで、書いてて恥ずかしい。ソ連時代のショスタコーヴィチに相対する体制側の作曲家としてのイメージと、あとは吹奏楽にも編曲された「軽騎兵バラード」の作曲家としてのイメージしかない。ソ連崩壊後の創作活動は、どんなものだったのだろうか。

2007-08-15 Wed

[][] 今日聴いた

休日で休息。

In a Silent Way

In a Silent Way

[] 塩野七生チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷

チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷 (新潮文庫)

チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷 (新潮文庫)

最近再読がブーム中。時間の無駄かなと思いながらも、やめられない。かつてとても大切にした本を、今の感性で受け止め直したい気分なのだ。そして今は塩野七生「チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷」。塩野七生の作品の中では「海の都の物語」の次に好きかも知れない。あ、「海の都の物語」も再読せねば。

2007-08-13 Mon

[] ルービンシュタインピアノ

意味がなければスイングはない」を読んでから、聴こうと聴こうと思っていたルービンシュタインのピアノを聴く。

ショパン:ポロネーズ全曲

ショパン:ポロネーズ全曲

持っているのは海賊盤なのだと思うが・・・、ご容赦。かつて聴いた時は、ペラペラとした音色が受け入れられなかった僕。歌謡性は乏しいと感じたし、詩情的な雰囲気からも遠いと思い込んでいた。けれど今回聴いてみて、この滑らかでくすんだ響きは途轍もない個性だと思えるようになっていた。「この音を出すのは難しいだろうな」と思っているうちに、その響きに馴染んでいる自分を見つける。あんなに個性的な性格だったピアニストだけど、鳴る音楽人間的なものの存在を感じさせない。琥珀、それも色の薄い琥珀を連想した。よく分からないけど。

ポロネーズの中では「第1番」が好きだな。弾むリズムばかりを強調するスタイルの演奏の少なくない「ポロネーズ」だけど、ルービンシュタインの弾くピアノにはもっと節度のある大人っぽさがある。

村上春樹はルービンシュタインの弾くシューマン「謝肉祭」を評価していた。次の機会には手を出してみたい。

2007-08-11 Sat

[] Penguin Cafe Orchestra

昨日行った店でペンギン・カフェ・オーケストラ音楽が鳴っていた。

Preludes Airs & Yodels (A Penguin Cafe Primer)

Preludes Airs & Yodels (A Penguin Cafe Primer)

10年以上前にこれを買った。意味不明ジャケット試聴で判断。発売されたばかりだったので、フルプライスに近かったと思う。人に聴かせても気持ち悪がられて、羞恥する青春時代サイモンジェフスが亡くなって10年も経つことを「ドメインパーキング」で知る。10年、僕も生き続けてきたんだな、と思い直す。

手元にはあと1枚。それほど熱心な聴き手ではないかも知れないが、この音楽が好きだ。

Penguin Cafe Orchestra

Penguin Cafe Orchestra

[] 今日聴いたもの

昨日聴いたペンギン・カフェ・オーケストラに火をつけられて。

Preludes Airs & Yodels (A Penguin Cafe Primer)

Preludes Airs & Yodels (A Penguin Cafe Primer)

ミニマル系の作曲家の中ではフィリップ・グラスが一番しっくりくるな。湿ってる。

My People

My People

ジョー・ザヴィヌルアルバムの中ではこれが好き。聴き飽きない響き。というか、このアルバムを言及しているダイアリーがないのに驚いた。ちょっと、これ名作ですよ。買って下さい。誰に言ってるんだw

これも趣味がいいアルバムだと思う。チェット・ベイカーの音はこの録音でしか知らないのだけど、滋味深くもあるし、十分に楽しませてくれる機動性もあると思う。マイルスほどの流れを生み出せなかったのは、どうしてなんだろう。新しさがなかったのかな。

2007-08-09 Thu

[][] 図説指揮者列伝―世界の指揮者100人

先日借りて読んでいるところ。楽しいけど、ヴァーツラフ・ノイマンが居ないのは寂しいな。

2007-08-08 Wed

[] 藤原和博リクルートという奇跡

リクルートという奇跡 (文春文庫)

リクルートという奇跡 (文春文庫)

課題に取り組む姿勢がダレないようにと、再読してみる。藤原和博の考え方には懐疑的なのだが、真似できないほどに彼がパワフルであることは疑えないので、身構えながら読む。本ばっかり読んでて暇みたいだが、主に通勤電車の中が読書場所。

[] 2つの100曲(「音大生なら聴いておきたい」と「初心者のための」)を中途半端に内容比較

懲りずにクラシック音楽の話題を書く。

このダイアリーで取り上げたクラシックに関連する「100曲」は以下の2つ。そこで、この2つを比較してみようと思い立った。

no title

はてなダイアリー

前者は「音大生なら聴いておきたい」と銘打ってあって、後者は「初心者のための」と銘打ってあるので、それぞれ聴いて欲しい対象は異なるはずだが、重なっている曲もあるということで、思い立った以上はやってみる。中途半端になること必至だが。結果は後で考える。両方のリストにある曲は以下の作品。抜けがあったらすいません。

こう並べてみると、どれもこれも大名曲だし、作品の持つ雰囲気に違いがあるので見ていて楽しい。聴きたくなってきた。

続けて、両方のリストの作曲世紀毎の内訳。以下のような感じ。

作曲世紀音大生なら聴いておきたい初心者のための
13世紀20
14世紀10
15世紀00
16世紀30
17世紀10
18世紀168
19世紀4746
20世紀3046

「音大生なら聴いておきたい」のほうは、19世紀が一番多く20世紀がそれに次ぐ形だ。18世紀も少なくないのと、17世紀以前にも音楽史上重要な作品として数が割かれている。これに対して、「初心者のための」は、19世紀・20世紀が大部分を占めると同時に、17世紀以前からは全く選ばれていないことが分かる。つまり、より現代に近い作品が選ばれている。

続けては、便宜的に使われることの多い作品の形態を指すカテゴリを用意して、それぞれの内訳を整理してみた。

カテゴリ音大生なら聴いておきたい初心者のための
管弦楽曲3663
協奏曲1215
器楽曲199
室内楽78
歌劇102
声楽161
その他02

「管弦楽」に多くの作品を充てているのはどちらも同じだが、「初心者のための」がかなり「管弦楽」に偏向していることが分かるだろう。また「歌劇」と「声楽曲」といった、声に関連する作品の数も「初心者のための」では少なく、「音大生なら聴いておきたい」のそれとは大きな違いが出ている。

「初心者」にとってみれば、派手な響きで耳に馴染みのあるもののほうが入っていきやすいと思うので、現代よりの管弦楽作品からセレクトするのは妥当な判断だろうと思う。その理由としては、オーケストラの響きに接する機会は、現代でも知らず知らずのうちに設けられているからだ。CM音楽やテレビ番組ジングル映画音楽。特に映画音楽に関しては、脚光を浴びる映画の殆どがオーケストラを使用した音楽を採用していて、「ハリー・ポッター」や「ロード・オブ・ザ・リング」などの音楽を聴いた耳であれば、20世紀のオーケストラ作品の響きの質はかなり近く感じられると思う。先に述べた「作曲世紀毎」の傾向を考えてみても、現代でもよく聴かれるような響きがクラシック音楽の中に刻印されているのを感じ取れれば、一気にクラシック音楽を身近にすることが出来るかも知れない。そんな意図が「初心者のための」のリストには込められているのかも知れない。意図的なのか恣意的なのかは分からないが、「初心者のための」の100曲リストを作成した方からすると、そういう音楽との付き合い方をされたのかなと想像する。

だからどうなんだ。結論は、まだない。

2007-08-07 Tue

[][] 上田昭夫慶応ラグビー部起業」報告』

再読終了。なかなか示唆に富む内容だった。再読は楽しい

以下、メモ

2007-08-06 Mon

[] 変化する姿勢を変化させてみる

「変化し続けること」を自分に課している人が居るとする。新しいことに取り組み、仕事創造し、どんどん周りを巻き込んでいく。けれど、そういう「スタイル」は変化している風には見えない。新しいことをするという行動自体は、いつも同じだ。たまには変化しないで止まることも、姿勢を硬直させない方策の一つなのかも知れない。ややこしい。

[] 上田昭夫慶応ラグビー部起業」報告』

昔、スポーツ関係仕事をしていた頃に斜め読みした本を久々に取り出してみた。当時は読んで得たと感じたものを活かすフィールドも、試してみる情熱も皆無だったけど、今ならどう思えるだろうかと。まだ読んでいる途中だが、筋の通らないことを排し理想を持つことを忘れなければ、何とかなるような気にさせてもらっている。あと必要なのは、仲間だ。

以下、僕に残った言葉

  • 教えるのは一度だけ。
  • 10回のプレーがあったら10回全力でプレーしなさい。
  • 人間性格というのは基本的には変わりません。
  • 組織において何をするべきなのか。
  • 我々大人も変化していかなければ。

[] クラシック音楽の、作品を聴くか演奏を聴くか

またぼんやりと考えながら、クラシック音楽について書いてみたりする。

僕は長い間クラシック音楽を聴いてきたのだけれど、その間に訊かれることが多かった質問が「クラシックの中で何が一番好きですか?」という質問。そう質問された時期それぞれで僕の聴き方や嗜好は異なっていることが多く、またかつて好きだったものは蓄積されてきているので、ある瞬間には「フランクブリッジが一番好き」とも言えるし、『バッハの「音楽の捧げ物」が一番好き』も全然嘘ではないし、「バーンスタインが一番好き」というのも僕にとっては正直な意見なわけで、いつも回答に困っていた。そこで結局、「何でも好き」と不真面目と捉えられかねない回答をし続けてきたのだ。先日何かの会話で出たのだけど、例えば「エルガーが一番好き」と言ってしまうと、それ以外のたくさんの好きなものに申し訳ないような気がするというか何というか。端的に言えば八方美人なわけなのだけれど。

「僕の聴き方や嗜好」と上に書いた。そこで、今までの僕の聴き方の変遷を思い出してみようかと思いながら躊躇中。はっきり言って、時間がかかるのが嫌なのと、羞恥心邪魔をする。お邪魔することの多いid:intelligentsiaさんが「100のメニューより、1つの偶然を - To Walk with Wings」というエントリを書かれていて、僕もまさにその通りと賛同するわけで、クラシック音楽という大きな海へ漕ぎ出す、「始めの場所」も「手段」も「行き先」も人それぞれ違うのだと思う。偶然を信じて好きなものを順繰りに辿っていく作業を続けていくプロセスこそが、クラシック音楽を聴くことなのではないだろうか。だから、100曲と区切って作品を並べる作業自体はとても楽しいけれども、他の人の作品リスト通りに聴き進んでクラシック音楽を好きになるかというと微妙だ。かえって嫌いになる可能性もある。そういった作品リストを作ることは、結局は作品リスト作成者のクラシック音楽への関わり方の表出でしかないと割り切っておいたほうがいいだろう。長々と何を書いているのか僕も分からないが、僕個人のことを語る前の言い訳めいたものっぽい雰囲気になってきたので、丁度いいと諦めて僕の聴き方の変遷を続けて考えながら書いてみる。

色々な聴き方をしてきたけれども、大雑把に分けるなら「作品を聴く」か「演奏を聴く」かだ。どちらもクラシック音楽の作曲家の音楽を聴いているわけだ。その中身を考えてみた。

決まった「作品」を聴く

僕が一番はじめのほうに聴いたクラシック音楽はモーツァルト交響曲第40番」。その時はその音楽が何かすらも分かっていなかった。指揮者という役割の人が居ることも知らず、オーケストラという装置も知らず、ただそういう音楽があるということだけが分かる状態で、自宅にあったLPを聴いていた。そして僕は「交響曲第40番」の冒頭のメロディを口笛で吹けるようになっていた。その時は演奏者の存在自体について分かっていないわけだから、僕が聴くのはモーツァルト「交響曲第40番」という作品でしかない。落語に例えるなら、噺家名前も分からないまま、古典落語ストーリーを覚えてしまったようなものだろうか。それが落語というジャンルであることすらも分からないままテープで聞いているような感じ。どんな感じだよ。『「寿限無」が好き』という好きになり方は有り得るから、そのような感じで間違っていないと思う。

僕がそういう風に好きになっていった他のクラシック音楽には、ワーグナー歌劇タンホイザー」の行進曲や、ベートーヴェン「ロマンス」シューベルト「楽興の時」、スッペの喜歌劇軽騎兵」序曲なんてものがある。それを聴き始めた頃は、曲名以外の情報には関心がないし、曲名以外に情報があるなんてことを知らなかった。その頃に僕がもしコンサートに行こうとしたとするなら、これらの曲の有る無しでしかコンサートを選び取れなかったと思う。そして今でもクラシックのコンサートに足を運ぶ人の大部分が、こういう状態なのではないかと思う。『「未完成」を聴きたいんです』や『「新世界」しか聴かない!』とか、ね。それはそれで楽しみ方の一つだ。けれど、演奏者に関心を持たないまま、覚えている音楽をそのままなぞる聴き方は、僕の主観で言ってクラシックの面白さの半分くらいを知った程度だろうか。こういう時に楽しいのは、やはりタイトル付きの作品だった。交響曲なら「運命」「田園」「未完成」「新世界」。ベートーヴェンのピアノソナタなら「悲愴」「月光」「熱情」。「どこが熱情なんだろう?」とか思いながら聴いていたな、そう言えば。

決まった作品の「演奏」を聴く

続けての段階は、「演奏」面に耳が行くようになった頃。幸運にも僕はピアノのレッスンに通っていたので、ベートーヴェンのピアノソナタを弾くようになる。自分にとっての決まった作品だった「月光」や「悲愴」が、僕の稚拙なテクニックでは、如何にあやふやな響きで頼りない音楽になってしまうのかを思い知る。作品を決まった形にするためのテクニックの必要性、演奏家の存在に思いを馳せるようになる。「僕の中の決まった作品を演奏していたのは誰だったのだろう?」とCDジャケットを見ると、例えば「悲愴」では「ヴィルヘルム・ケンプ」と書いてあった。「そうか、これはケンプが弾いているのか。変な名前だなあ」と、まあ妙な感想を持ちながらも、生きた人間が演奏している事実を知って以降、僕は「演奏」を聴けるようになった。ヴラディーミルアシュケナージの弾く「悲愴」の趣味の良さや、エミール・ギレリスの弾く「悲愴」の武骨な雰囲気の違いを楽しむようになった。僕が通っていたピアノ教室の教師は、色んな演奏家のテープを持っていて、レッスンの度に貸してくれた。少しエキセントリックな教師だったが、この点には大変感謝している。そして僕の「演奏」を聴く耳は養われていったと思う。それに実際に日々ピアノに触れていたことも大きかったろう。同じようにドの音を鳴らしても、アシュケナージのようには鳴りはしない事実を体感していたのだから。

他にも色々な切っ掛けはあったろうと思う。CMに使われたクラシックを集めたCDをカセットテープに落として楽しんでいたのだけど、テープに落とした時には演奏者が誰かなんて全く気にしていなかった。そのテープの1曲目がドビュッシーの「海」の第1楽章で、全曲を聴きたくなってエルネストアンセルメという指揮者がスイス・ロマンド管弦楽団というオーケストラを指揮したCDを買って聴くと、自分が覚えている雰囲気とは全く違う響きがしてとても驚いた。この驚きも、「演奏」に耳の焦点を合わせていく切っ掛けになったと思う。あとは同じアンセルメ/スイス・ロマンド管弦楽団の演奏するムソルグスキー展覧会の絵」の冒頭のトランペットの妙なヴィブラートに気持ち悪さを感じたのも思い出した。クラシックを聴きながら、そんな違和感を得るようになると、「演奏」に関心を寄せられるようになるのかも知れない。落語で言えば、たまたま足を運んだ高座で聞いた「寿限無」の雰囲気が、自分の記憶と微妙に異なっているような感じだろうか。何て適当な比喩なんだ。

新しい「作品」を聴く

続けては、自分にとって新しい作品を聴くという楽しみ。聴いたことのない作品を聴く。聴いたことのない演奏家を聴く。そのこと自体に楽しみを見出すようになった。どんな演奏にも作品にも個性があって、それを楽しむ方法を模索しながら、「とりあえず受け取ってみよう」とする聴き方。これが今の僕かも知れない。こういう聴き方にシフトするようになる切っ掛けは、例えばベートーヴェンの交響曲。「英雄」「運命」「田園」「合唱付き」のタイトル付きの交響曲しか聴いていなかったのだけど、たまたまカップリングで「第4番」が入っていたり、別の作曲家の別の作品と一緒に「第8番」が入っていたりすると、勿体無いので一通り聴くことになる。最初は良いとも悪いとも思わないのだけど、だんだんと曲の響きに慣れてくる自分が楽しくなってくる。あとは名前を聞いたことのない作曲家。僕にとってはブルックナーがそうだったけど、名前を聞いたことのない作曲家の作品を聴くことで、クラシック音楽の果てしない広がりを感じることが出来るようになったし、まだ出会っていない素晴らしい作品や演奏があるのではないかという期待感を持てるようになった。この流れで現代の音楽などにも手を出しては、作曲家が考えたことや、聴いたことのない響きに浸る楽しみを覚えるようになった。落語で言えば、聞いたことのない落語だったり、新作落語だったり、だろうか。

休憩。

「クラシック音楽」というジャンルに属する音楽は、それこそ星の数ほど存在している。それを全部聴くことはきっと無理だろう。けれども、その母数が多い分、今残っている音楽作品の訴求度はかなり高いと思うのだ。色々な作品を聴き続けることは、自分の好きなものを探す旅のようなもの。『ふん、「新世界」なんてもう卒業だぜ』みたいな勿体無い態度をしていた頃もあった気がするが、今はそうは思わない。多くの作品と出会うことで、自分の中の「決まった作品」が別の輝きを持ったり、新しい輝きを見出す術を身につけられるようになった気がしたりしたのだ。「新世界」にもフレッシュに付き合える。ああ、疲れてきた、書くのが。

中山康樹という人が「マイルスを中心に聴いていけば、ジャズを芋蔓式に俯瞰できるようになる」みたいなことをどこかで書いていたように思う。マイルスを聴けば、ギル・エヴァンスも、ビル・エヴァンスも、ウェイン・ショーターハンコックも、チック・コリアキース・ジャレットも、トニー・ウィリアムスもゲリー・マリガンも付いてくるというような話。クラシックでも、そういう適当な道標になるような存在の演奏家なり作曲家が居ればいいのだけどな。難しい。また今度。

2007-08-05 Sun

[][][] ルドルフ・ゼルキン言葉

「彼は昔からずっとそうやって生きてきたんです。どうして今さら生き方を変えなくちゃならないんですか?」

意味がなければスイングはない

これはルドルフ・ゼルキンがアルトゥール・ルービンシュタインを指して述べた言葉らしい。「彼」を僕の思う対象に置き換えて、自分を戒めてみるか。いや、僕の歳ではまだ早い気もするし、僕の思う対象も凝り固まるには早い歳なのではないかと思ったりもする。

[] ダヴィドヴィチがラフマニノフを!

アマゾンを徘徊していて、ふと思い立って「ダヴィドヴィッチ」で検索してみたら、こんなものが引っ掛かった。

Amazon CAPTCHA

ラフマニノフをレコーディングしていたとは! 今まで「ダヴィドヴィチ」で検索していたせいで全く気付いていなかった。けれども品切れ・・・。どこかで出会うことがないとも限らない。忘れないようにしておこう。

[] 演奏を聴く

バーンスタインの録音に入れ込んでいた頃は、演奏家でCDを買うようなスタンスで居たけれども、ここ数年は作曲家で選ぶことがお多かった。でもちょっと反省。演奏の良し悪しなり、方向性を読み取ろうという気概がここ数ヶ月足らないような気がしているから。演奏を聴くために、よく知っている曲のCDを買った。

Sym No 9

Sym No 9

2007-08-04 Sat

[] ギュンター・ヴァント/ベルリン・フィル

ギュンター・ヴァント/ベルリン・フィルのブルックナー交響曲第9番」のCDが590円で売られているらしい。欲しい。

[] ピアノ宗教

前奏曲集、バラード集、他 ダヴィドヴィチ(ピアノ)マリナー&ロンドン交響楽団(2CD) : ショパン (1810-1849) | HMV&BOOKS online - BRL93528

ソ連生まれのピアニスト、ベラ・ダヴィドヴィチがずっと気になっていた。彼女ショパンの2つのピアノ協奏曲レコーディングしていて、以前にも感想を書いた( ダヴィドヴィチ - think two things)けれども、それ以外の録音情報が見当たらず、ずっとそのままにしていたのだけれど。ブリリアントというレコードレーベルには本当に足を向けて寝られない(寝ないけど)。こんなレコーディングを彼女が残しているとは! ショパンのバラードに、前奏曲。これは買わずには要られない。ああ、散財。

もう一つはヴェルディレクイエム」。演奏はゲオルグショルティ/シカゴ交響楽団声楽陣はまた今度書く。

2007-08-01 Wed

[] 「ゲド戦記読了

ゲド戦記 5 アースシーの風

ゲド戦記 5 アースシーの風

長かったのと、それぞれの巻の雰囲気があまりにも違うのに当惑しながらも読み終えた。僕は第4巻「帰還」が好きだ。深遠さと派手さとが同居している。二人の気持ちが交わっていく箇所の描き方が秀逸だと思う。人間の感情の内奥が生々しく描かれている。第5巻はどこか説明くさい部分が多くて謎。それでも最後の部分はとても素敵だ。

映画を見たくなってきた。

ファンタジー作品を大人になって読むことに、少し悔しさを感じていた。「指輪物語」を読み終えた時も、「ホビットの冒険」を読み終えた時も、「子供の頃に読んでいたらどんな感想を持っていたのだろう」と答えの出ない問いを僕自身に突きつけたものだけれども、「ゲド戦記」は違った。これは今の僕でしか受け取れない要素が多過ぎると思うのだ。ゲドやアレンが迷いながらも、目的を持って行動する「影との戦い」や「さいはての島へ」は手に汗握って読んだだろうけど、女性の心の揺れ動きが大部分を占める「壊れた腕輪」「帰還」などは、子供には、それも男の子には荷が重いと思う。だから、「ゲド戦記」を今読めて良かったと思う。

「指輪物語」のように、装置がカッチリと用意されているものの凄みも格別だけど、完全な幻想の中でしか描けない人間の心理を彫り上げた「ゲド戦記」も力強い。ファンタジーが僕には大切だ。

[] クラシック音楽には近寄らないほうがいいのかも

以前書いたことと矛盾まくりだけど、クラシック音楽には近寄らないほうがいいのかも知れない。もし「聴いてみたい」と思っている人が居れば、今からでも引き返しておいたほうがいいと助言すべきなのかも知れない。

クラシック音楽を好きになると、お金がかかる。クラシック音楽好きな人が所持しているCDの枚数と、その他のジャンルの音楽が好きな人が所持しているCDの枚数を比べてみれば、どれだけ散財を求められる音楽ジャンルなのか良くわかるはずだ。クラシック音楽にはCDを聴くだけではなくて、コンサートを聴く楽しみもある。高ければ数万円、安ければ1,000円なんていう良心的なチケットがあるにしても、身を誤らせる機会が多くあるのは確かだ。

J-POP歌い手もCDを出してライヴをするが、CDのリリースは年に数枚だし、ライヴ・チケットも枚数に限りがあるわけだから、買い続けるような通い続けるようなこともない。それにJ-POPの歌い手には「引退」の二文字が。バンドなら「解散」。それ以後はコンサートに通い詰める必要もないし、新しいCDがリリースされることもない。けれどクラシックは違うから困る。ベートーヴェンを好きになってしまえば、何種類ものベートーヴェンのCDが訴えかけてくるし、コンサートでも色々な指揮者でベートーヴェンを楽しむことが出来る。サヴァリッシュという指揮者が先日引退したが、引退後も未発表録音が出てくる可能性はあるし、既にリリースされている膨大な録音がどんどん誘惑もしてくる。それにクラシックの音楽家は活動期間が長いのだ。

クラシックを好きになるということは、果てのない海を泳ぐようなものだ。どこに辿りつくか、何が近付いてくるか、全く分からない。でもそれが面白く楽しい。クラシック好きの中には、モーツァルトという島から出てこない人も居る。小澤征爾という船に乗ったままの人も居る。オペラという海域にしか興味のない人も居る。クラシックの楽しみ方には決まりがなく、人それぞれなのだ。それが許されるのがクラシック音楽。個人個人が感じる「クラシック音楽」は決して重なりはしない。どこかクラシック音楽の楽しみは、生きることに近い。だからクラシック音楽には近寄らないほうがいい。人は既に自分人生を背負っているのだから。それでも僕はクラシック音楽からは離れられないのだけど。