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拓殖のあと このページをアンテナに追加 RSSフィード

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2000-06-25 札幌交響楽団

[]札幌交響楽団 13:14 札幌交響楽団を含むブックマーク 札幌交響楽団のブックマークコメント

リサーチや書籍購入のため札幌に出ることが多い。ついでにキタラホールに立ち寄り、何かやっていれば聴いていく。あのホールの音を聴くだけでも結構満足できる。

先週金曜日は札幌交響楽団(札饗)の定期演奏会だった。バルトークピアノ協奏曲ピアノ打楽器との掛け合いのあたりでこちらの緊張感が切れてしまい、大きな感動はなかった。しかしヤナーチェク、グラゴリオ・ミサには大変感動した。うねるコンバスの迫力あるリフを聴いて完全にのめり込んでしまった。昨日、ウィーン・フィルCDを買って、今聴いているのだが、これもいいなあ。

*1

衆議院選挙終了。結果はまあこんなものだと思う(結果には満足していないし、首相交代の可能性がなくなったことは本当に心のそこから悔しいけれど)。大事なのは、むしろ、低い投票率道新では「神の国」発言で「大方がしらけた」との社説だが、僕には「しらける」人の気持ちがまったく理解できない。

僕は選挙前、新聞でも雑誌でもネット上でも「候補者アンケート」があったから、各党・各候補の答えを箇条書きにしてみた。積極的にこの人だ!という候補者・党を決定することはできなかったが、相対的にましだと思われる候補者・党を決めることは容易だった。「しらける」どころか「楽しい」作業だったのである。

*1:「はまぞう」にはチェコ・フィルの演奏しかない。ウィーン・フィルのは輸入盤だっただろうか?[2006/07/14]

2000-06-21 私たちの生きている時代

[]私たちの生きている時代 13:07 私たちの生きている時代を含むブックマーク 私たちの生きている時代のブックマークコメント

私たちはどのような時代に生きているのか

私たちはどのような時代に生きているのか

高橋シモーヌ・ヴェイユは――彼女は工場労働スペイン市民戦争など、現場に体ごと入っていって、そこでものを考えられるかどうか試みた哲学者ですが、完全に疲労困憊して何一つ自分の思うままにならない状況では、人間思考できないと言うんですね。逆に、すべてが思い通りになる状況でもじつは人間思考できない。つまり他者との間のザラザラした摩擦感あるつき合いっていうか、関係のないところでは、思考そのものができないんだと。いまの日本社会では、何でも手に入るという幻想と、情報過剰による疲労困憊との両極端で、ものが考えられなくなっているんじゃないでしょうか。

「情報過剰による疲労困憊」の特効薬。テレビの電源を抜く。ためしに一週間テレビを押入れにしまうか、コンセントテーピングしてみるべし。もうひまでひまでどうしようもなくなって、本を読み勉強するのが楽しくてしょうがなくなること間違いなし。*1

2000-06-20 空想の森映画祭

[]空想の森映画祭 13:04 空想の森映画祭を含むブックマーク 空想の森映画祭のブックマークコメント

日曜日、友人の車で「空想の森映画祭」なるイベントに行ってきた。新得町新内といっても分からない人が多いだろうが、十勝側から狩勝峠を登る直前、サホロ・リゾートの直下である。開拓の里である。この新内の開拓農家井上さんの倉庫を「豊之進劇場」として利用しようというイベントなのである。日曜日は初日で、メインの映画は今週末ということだった。

早速観たのは『森と水のゆめ--Nature in Perpetual Motion』なるドキュメンタリー映画。劇場の名前になっている井上豊之進さんという76歳の開拓農家の方が、シマフクロウの住む原生林を探しにきた女性をトムラウシ山麓へと案内する。後半は雄大な自然と病める文明(これは十勝大橋が映っていた)という対立軸が強調される。トムラウシ山麓の森やお花畑の映像には観るべきものがあったけれど、正直なところ、テーマ設定には新味がなかった。トムラウシを全然知らない「内地」の人には新鮮かもしれない。当日の説明では、この映画はインドのムンバイ国際映画祭のコンペに出品されたとのこと、どうやらなかなかの評価を受けたようだ。やはり、「道外」で観るべき、ということだろう。

ところで、私としては、自然対文明というテーマの引き立て役にしかなっていなかった井上豊之進という開拓農家の話をもっと聞きたかった。映画では、この人は自然と文明の調和を体現する人物として登場していた。しかしシマフクロウの森を破壊したダム、林道、そして牧草地、これは「開拓」の延長線上にある事業ではないのか。むろん井上さんは「開拓」が「開発」になることを批判しておられたのだろうが、だからといって「開拓」が「開発」と無関係ではないだろう。開発批判者は批判すべき開発と無縁ではないかもしれない。このあたりのやっかいな問題を、たとえば井上さんはどう考えておられたのだろうか。残念ながら井上さんはすでに故人である。

この映画祭には若い人々も参加して、自主映画を制作しようと活動しているようだったので、井上さんのような人々の経験や歴史を掬い取るような映画ができてこないかなと思っている。*1

*1:この映画祭は地味にしかし着実に年月と成果を積み重ねている。開拓地の廃校農家の倉庫を使った手作りの映画蔡だから、金はあまりなくとも人がいれば続くんだよな。http://kuusounomori.com/ [2006/07/14]

2000-06-12 『クマソタケルの末裔』、「いま英文学とはなにか」

[] 13:00 を含むブックマーク のブックマークコメント

クマソタケルの末裔

クマソタケルの末裔

「野性よ、疲弊した文明を撃て――」とカバーに書いてあるが、その通りの小説十勝毎日新聞小説を連載している立松和平さんの作品が好きな人はどうぞ。私は、ちょっとねえ・・・

主人公慎次が都会人川島を殺害して「クマソタケルの末裔」と一緒に暮らしてゆくことを決心する場面など、野性の文明に対する勝利ということだが、それでいいのかと言いたい。「野性」や「自然」がそういうものとして我々に認識される時点で、すでにそこには人の手が、アートが介在している。アート(技、技術)があるからネイチャーがあるという認識から出発しないと不毛な二項対立を繰り返すだけ。小檜山さんは本当に「自然」を信じているようで、こういう人は貴重だとは思うが、しかしなあ・・・

ちなみにこの小説には「アイヌ」は登場しない。北海道は雑種だ、だから自由なんだ、内地が何だ!と説く小檜山さんのアキレス腱が「アイヌ問題」だろう。雑種といったって、自由といったって、アイヌもウイルタも自由意志から「和人」と交わったわけではないのに、ぜんぶごちゃまぜにして「道産子」なる主体を立ち上げるのは、今は「内地」と悪魔化できるからいいけれど、そのうち「道産子」の内部の差異を抑圧する方向に向かう可能性がなきにしもあらず。

[] 13:00 を含むブックマーク のブックマークコメント

文学』5/6月号(岩波書店) 特集=いま英文学とはなにか

といったって、「かつて英文学とはなんだったのか」をきちんとやっていないんだから、こういう特集をくんだってたかが知れている。とはいえ、富山論文は、過去30年間の日本の英文学研究なるものを徹底的に批判的に読み抜くことで、異様なまでに先鋭化した英米批評に対処する――抵抗、とは安易に言えない――手がかりが見えてくるのではないかと指摘している点、読むに値する。

論文「米学事始」は、とっかかりとしては優れた論文だが、でも巽さんがこういう仕事をやっちゃ独占禁止法違反だと思う。

2000-06-05 〈北海道〉

[]〈北海道〉 12:55 〈北海道〉を含むブックマーク 〈北海道〉のブックマークコメント

先週の水曜日は「開学記念日」だったので全学休み。月火は授業がないので休暇をとり、四日間ほど札幌でリサーチをしてきた。後期開講の「表象文化論」のネタを仕込むためである。

今年は「メディアにおける北海道表象」を取り上げる。北海道といえば「広い」「なにもない」「夢を実現できるところ」等々、本州人の勝手な欲望の対象となってきたわけだが、これは明治時代からあまり変わっていない。国木田独歩から浅田次郎まで一貫している。「なにもない」ところで新たな自己を発見し再生を果たす内地人男性。そのとき、その「なにもない」ところが実は「なにもない」「処女地」(これも死語になった)ではなく、つまりは自己の欲望を遂げる場所ではなく、すでにさまざまな利害がからんだ場所であることはきれいさっぱり忘れられる。これではいかんわけである。

ところで、私は「何もない」「処女地」に自己の欲望をぶちまける(と言うと性的なメタファーにこだわっているようだが、実はこだわっているのは本州人男性作家である)という構図――「文学」ということだ――に批判的である。批判的だが、しかし、例えば「アイヌ」や「道産子」を代表して、本州人なる人々に食ってかかっているというスタンスを、私はとることはできない。私は夕張出身の「道産子」だが、「道産子」なら「本州人」に食ってかかる権利が自動的に与えられているわけではない。私の父方の祖父は坑夫頭(のようなもの)で北炭社員ではなく、階級的にはかなり下の方だった。ところが、オヤジは北海道拓殖銀行就職することで階級上昇を果たした。というわけで、私の代になると、もう産炭地の人々、貧しい人々を代表することなんか絶対にできず、むしろ抑圧する側になっているわけなのである。その拓殖銀行の行員の息子が脳天気に「拓殖」批判をやることなんかできるはずがない。

とはいえ、「植民地知識人」のように板挟みになってうじうじ悩むのは最悪の「文学」的態度なので、とりあえず「道産子」という仮構を想定して、そこから本州人のイメージ戦略を批判するという作業をどんどん進めたい。だいたい「(内地)メディアにおける北海道表象」なんて、これまできちんと分析されたことがないのだから、それもしょうがない。こういう作業がすでに山ほどあるというのなら、そういう作業に従事している人々のポジションを批判するという作業も意味があるのだろうが、批判すべき何物もないのだから、自分で作業しつつ自分をつっこむしかない。

・・・と、二週間前までは思っていたのであるが、先週札幌でいろいろ調べたところ、北海道出身の作家、特に小檜山博という小説家が「メディアにおける北海道表象」をかなり批判していることが分かった。この人は滝上町の開拓農家の出身、とはいえ要するに貧農、「水呑み百姓」であると公言している。つまり彼は自らを底辺に置き、そこから内地人を批判する。内地では伝統や慣習にとらわれ息苦しい、食い物もまずい、資本主義が跋扈して農業を貶めている。それに比べて北海道はそもそも流れ者の集まりだから階級差がなく、生きやすい。食い物は抜群にうまく、よいところだ・・・と、これもステレオタイプな北海道賛美ではあるが、ともあれこういうことを繰り返し書いている。

ところで、この人の物言いの中で、北海道はそもそも流れ者の集まりだから階級差がない云々というところ、これは違うのではないかと私は思う。例えば夕張出身といっても、元炭坑夫と旧拓銀行員では全然違う。小檜山さんは自らを底辺の「貧農出身」と位置づけており、確かに彼の自叙伝的文章を読むと、かつての開拓農家の艱難辛苦が伝わってくるのだけれど、それでもアイヌの人たちの苦労とは簡単に比較できないだろう。小檜山さんの作品には『クマソタケルの末裔』(集英社、1983)という小説があるが、なんで九州のクマソが北海道にやってきた、という作品を書かねばならないのか、分析する必要がある。もしかすると、内地人に対する道産子という主体を立ち上げるため、巧妙にアイヌ問題を避けているのではないかという予感がある。

近いうちに読書メモをアップする予定。

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