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2014-10-27 『憂鬱なる党派』は(私には)面白い

[]『憂鬱なる党派』は(私には)面白い 15:13 『憂鬱なる党派』は(私には)面白いを含むブックマーク 『憂鬱なる党派』は(私には)面白いのブックマークコメント

いま、院の授業でゆっくり読んでいる(Eliot, "Ash Wednesday"なんかが引用されているのだった)、原爆文学という枠で(も)論じられる高橋和巳の『憂鬱なる党派』(1965年)は、広島で被爆した主人公西村が(一応伏せてあるが)京都大学英文学研究し、その後京都の被爆者の文集を編集していたりはするものの、原爆「展」の責任者になることは拒否しているシーンなどがある。いま少しずつ勉強している「核時代の英米文学者」というテーマと関わっていて面白いもっとも作者の高橋京大でも中文なので、小説中の西村の「英文」という設定は「中文」と読み替える必要があるのかもしれないけれど。

2014-10-25 役に立つ英文学

[]役に立つ英文学 08:57 役に立つ英文学を含むブックマーク 役に立つ英文学のブックマークコメント

もう四半世紀前になりますが、「なんで英文学なんかやっているの?」と尋ねられて、明快に答えることができなかった私は、博士論文まで書いて、英文学が役にたった具体例を調べたのです。例えば、日露戦争のとき、『英語青年』は頑張って戦意高揚をやりました。中野好夫はのちに自らを戦犯だったと公言する位には、英文学者(翻訳者)として、イギリス人によるイギリス(西欧)批判をがんばって翻訳・紹介しました。ただ、私は、こういう実例を調べるうちに、その時々の人々が「役に立つ」だろうとして世に出したテキスト群が「役に立たなかった」こと、原著者の意図を裏切っていったことも論じた、つもり。

というわけで、宮崎さんのご著書と、拙著を紹介しておきます。大学図書館では入れてあるところも少なくないでしょう。

太平洋戦争と英文学者

太平洋戦争と英文学者

帝国日本の英文学

帝国日本の英文学

今思うのは、反戦平和のためにがんばった英(米)文学者たちのこと。やはり世のため人のため、一生懸命がんばって「役に立つ」ことをやった人たちがちゃんといたということ。ただし、私の知識不足で精密に語ることができない。これはちゃんとやらないといけない。そもそも、博論中野好夫の戦中の仕事をやっておきながら、戦後仕事検証をやっていないというのは、これは私の怠慢で(も)あるわけなのですが。でも、もうそろそろ、中野好夫、寿学文章といった人たちについて、論文レベルではなくて、本格的な大著が出てきてもいいよね、とは思う。

ところで、こうした人たちが「役に立つ」と考えて世に出したテクストも、やはり原著者の意図を裏切る形で機能した場合もあるだろう。そこはちゃんと見ていきたい。

2014-10-20 スペンダー広島講演会についてのメモ

[]スペンダー広島講演会1957年)についてのメモ 08:41 スペンダー広島講演会(1957年)についてのメモを含むブックマーク スペンダー広島講演会(1957年)についてのメモのブックマークコメント

Stephen Spender, "Problems of Modern Poetry"について今週木曜日に「予行演習」をさせていただくわけですが、あいかわらず泥縄作業中。そんな中、Facebook経由で以下のNHK番組重要性を知った。いや、私も録画はしているんですが、やっぱり見ておかないと思いを新たにした、というわけです。

http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2014/1018.html

番組紹介より引用

1956(昭和31)年、広島の爆心地に建つ原爆資料館で、3週間にわたって開催された「原子力平和利用博覧会」。

当時の1年間の来館者に相当する11万人が訪れ、原子力エネルギーがもたらす明るい未来に歓声を上げた。

実はこの博覧会は、原爆犠牲者や遺族の魂が込められた遺品などの展示物を一時的に資料館から近くの公民館に移して開催されたものだった。

被爆記憶がまだ生々しい時期、核廃絶を誓う「聖地」でなぜこのようなことが可能だったのか?

背景にあるのは、日本の反核運動危機感を持ったアメリカ被爆地ヒロシマで展開した情報文化外交。その内実を明かす史料が出てきた。

米国務省から広島アメリカ文化センター館長として派遣されたアボルファズル・フツイ氏が残した手記や公文書には、核の恐怖を取り除き、「平和利用」への理解を取り付けるためにあらゆる手段を講じた様子が詳細に記されていた。(以下略

スペンダーの講演会1957年。活字になったのが(とはい媒体広島大学英文学会の雑誌というマイナーものだが)1958年。その内容は原爆詩を"occasional poetry"としてディスって、エリオット荒地』&ジョイスユリシーズ』をアゲるというものから、「博覧会」と文脈はつながっているなあとあらためて感じた次第。

2014-10-11 冷戦読書会>Alive

[][]冷戦読書会Alive 05:21 冷戦読書会>Aliveを含むブックマーク 冷戦読書会>Aliveのブックマークコメント

今日の午後3時から第47回(!)の冷戦読書会がありまして、最近齋藤も参加させていただいております。冷戦期の日本の英米文学者と〈アメリカ〉との関わり(特に「核」)を勉強し始めているところなので、まさにうってつけであるわけです。

ここ最近のネタはこれ。

邦訳は読んでいて、短い書評も書かせて頂いたのだけれど、英語で読むと(遅い分だけ)印象も違うわけです。しかし久しぶりに徹夜レジメを作ってしまった…。

疲れたので、Meshugghaを聞いて寝ますAliveの全部なんてあがっていないので、Perpetual Black Secondを流して目をつぶるか。

http://www.youtube.com/watch?v=wA6DlgxUe7E

2014-10-01 泥縄でスペンダーの勉強中(補足あり)

[]泥縄でスペンダーの勉強13:47 泥縄でスペンダーの勉強中を含むブックマーク 泥縄でスペンダーの勉強中のブックマークコメント

11月アタマにアメリカのピッツバーグでスティーブン・スペンダーについて話をするので、泥縄勉強中です。Journals 1939-1983を買ったりとか(徳永暢三訳で『スティーヴン・スペンダー日記 1939ー1983』というのが出ていた)、雑誌Encounterについての論文を読んだりとか、もっとはやくやっておけよと自分に突っ込んでおります。ピッツバーグでは1958年の日本での講演旅行特に広島)でのスピーチ話題にするわけですが(ウォーホール記念館も観てきたい)、そのためJournalを読んでいると、また型にはまった一週間だのなんだの文句を書いていたり、広島平和記念公園についてこれはshrineとしてよくできているとか書いていたりと、それなりにおもしろかったりする(講演としては京都のものが印象に残ったようだがーー会場がすし詰めで、しかも講演の翻訳に2時間かかったとかという理由)。

本当は、この講演旅行スポンサーとその意図、その中でのスペンダーの広島講演(被爆した広島で『荒地』と『ユリシーズ』を語った一方、"occasional poetry"は批判しているーー大雑把にいって反共リベラリズムということだろうか)の意味考察する必要があるわけで、これはいずれ論文にしたいが、まあ今回は資料紹介と考察少しができれば御の字だろうかとも思い始めた今日この頃

チケットを買って出張届けを提出、パスポート確認したら、もう2年以上も国外に出ていないのには驚いたのでした。

[]「スペンダー、ジョイスエリオット、広島」のメモ(上記エントリーの補足) 02:46 「スペンダー、ジョイス&エリオット、広島」のメモ(上記エントリーの補足)を含むブックマーク 「スペンダー、ジョイス&エリオット、広島」のメモ(上記エントリーの補足)のブックマークコメント

スペンダーの日本訪問1958年)が、その3年前のフォークナー日本訪問、さらにはスペンダーがJournalに書いているように、エドマンド・ブランデンやD・J・エンライトが日本を訪問して(スペンダーに言わせれば彼ら、特にブランデンは「神格化されている」という)いるが、彼らの訪問は単なる物見遊山ではなく、「意図」をもった講演旅行があったわけで、それは(反共)リベラリズムを説くもの、(英)米の対日文化政略であった可能性は念頭においておくべきだろう。冷戦期ですからね。

それで、スペンダーの広島講演、"Problems of Modern Poetry"だがーー広島で現代詩問題を語るのであれば原子爆弾のことを念頭におかないわけにはいかい。ところで、1954年第五福竜丸事件以降、"occasional poetry"があるようだが、それは語る価値はあまりないだろう、でも『荒地』と『ユリシーズ』は日本で有名だから(これはインフォーマントがいるはず、たぶん1958年訪問でも実際に会っている吉田健一あたりだろう)それを語ろう。どちらも「破壊から再生」の詩なのだから。ーーというもので、明言はしていないが、日本の荒地派や戦前からの『ユリシーズ翻訳のことを考えて両作品言及したのだろう。ここで重要なのは、"occasional poetry"については、ディスてはいもの、具体的な作品を取り上げて批判してはいないことだ。私は、これはおそらく大原三八雄が1955年英訳した「原爆詩集」のことをもさしているのだろうと思う。スペンダーは読んではいないのだと思うが。読まずに評判だけを聞いたのかもしれない。

この英訳「原爆詩集」は、原爆投下の悲惨を語る詩(峠三吉の詩は原子力の平和利用を夢見る人民の詩も入っていてうーむと考えてしまう)がメインである(ただし要精読>オレ)。ともあれ、ここでスペンダーは、一次大戦破壊再生を語る作品、『荒地』と『ユリシーズ』が広島でも読まれてよいと言っているわけだが、これは迂遠ではあるが荒地派や深瀬訳エリオット伊藤整の流れにお墨付きをあたえたわけで、「左翼的」な"occasional poetry"(峠三吉栗原貞子なども含む)を生み出した、またそれにコミットした英米文学者(大原寿岳文章など)の系譜を抑圧する役割を果たしたのではないか。私の立場は、どちらの系譜も同時に勉強しなきゃダメでしょ、というものであります・・・などと寝付けぬ夜に長文を書いてしまった。ままいいや、朝起きたら赤面ものだが、それでもいいや。

ではおやすみなさい。